2017年09月 / 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2013.02.07 (Thu)

2010フィリピン旅行記(その2)

 
◆よく見ておくのだな、エルミタというのは、ガイドブックのように綺麗なところではない

真夜中にホテルにチェックインしたが、意外に元気なのでエルミタへ行ってみることにしたにゃおん氏。エルミタはホテルやバーがたくさんあって外国人観光客で賑わっているところらしい。
とりあえずタクシーに乗り、エルミタの中心部にあると思われるロビンソン・デパートを目指す。

タクシーの中から街を眺めてみるが、低階層の色褪せたコンクリート建築物が密集する様子は、何やら『トロピコ』に登場する街並みを彷彿させる。「貧乏人だらけの南国」という点では確かに共通するか・・・。
マニラに到着した時から感じていたのだが、この国は全然アジアっぽくない。むしろ、ラテンアメリカとか中南米を彷彿させる。誰かが「フィリピンは東京から4時間で行けるラテン・アメリカだ」と言っていたが、そのとおりであることを後に確信することになる。
やはり、スペインの植民地だったからなのだろうかね?


そんなことを考えているとエルミタに到着。立派なロビンソン・デパートを取り囲むように薄汚い建物が密集している。道端にはホームレスとゴミが転がっていて、交差点には何やら怪しい奴らが立っている。うわぁ・・・ここ、絶対にヤバいわ。何やらとんでもないところに来ちゃったな。

「ホテルやバーがたくさんあって外国人観光客で賑わっているところ」っていうから、例えばバンコクならスクンビット(ナナやアソーク)やカオサンのような場所をイメージする人も多いと思うが、エルミタは安宿がたくさんある場所ではないし歓楽街なので、カオサンとは全く異なる。では、スクンビットような雰囲気かというと・・・歓楽街という点では通じるものがあるが、ここはあんなに賑やかではないし、とにかく荒み具合や不穏な空気が半端ではない。
案の定、タクシーから降りて歩き出した途端に数人のポン引きが声を掛けてくる。「女はいらないか?」とか「バイアグラ買わないか?」とか言ってくるが、あのなぁ・・・バイアグラなんか必要な年に見えるか?まだそんなものに頼らなくても大丈夫だぞ!

あまりウロウロしないほうがいいことは一目で分かる場所なので、速やかに移動することに。しかし、手持ち資金数千円では遊びに行けないので、まずは両替屋へ。この近くにレートの良い両替屋があることは既にチェック済み。
両替屋へ行くと、店の前にショットガンを持ったガードマンが立っている。おいおい、やっぱりここはヤバいんだな。にゃおんちゃんも武装したほうがいいのだろうか?なんて考えながら両替を済ませ、近くにあるカラオケバーへ向かう。
最初はこの辺りを散策しようと思っていたが、あまりに荒んだ雰囲気にそんな気は完全に失せた。


やって来たのは某カラオケバー。やはり入口にはガードマンが立っている。ショットガンは持っていなかったが。しかし、愛想の良い人でにっこり微笑みながらにゃおんちゃんのためにドアを開けてくれた。
中に入ると、音楽が大音量で鳴り響き、それに合わせて女の子が踊っている。店員に導かれるままに2階へ。2階は普通のカラオケバーのような感じで、ソファーのボックス席が並んでいる。といっても、カラオケを歌いたくてここに来たわけではない。実はこのお店の経営者は日本人で、にゃおんちゃんはその人に会いたくて来たのであった。
席に座るとウェイトレスが注文を取りに来るが、注文もそこそこにオーナーに会いたいことを告げる。しかし、彼は今ちょっと留守にしているようで、「後で連れて来るから、それまでこの子達と飲んでて」と女の子数人を置いていった。

それじゃ・・・ということで皆で飲み始めるのだが、どうして日本でフィリピン・パブが流行ったのかよく分かった。彼女達はとにかく陽気で面白い。音楽が流れだせばノリノリで踊り始めるし、歌も上手い。若くて可愛い女の子達とゲラゲラ笑いながら酒を飲めるのだから、世のおじさん達もそりゃハマるわな。やっぱりフィリピン人はラテン系だと思う。
やがてしばらくしてオーナーの「酔いどれ親父」氏がやって来た。実はにゃおんちゃんは親父氏とも何回かメールをやり取りしたことがあり、マニラに行った際には遊びに行くからという約束をしていた。


この酔いどれ親父氏、外見は飄々とした感じでさほど口数も多くない普通のおじさんなのだが、フィリピンに来て商売をすることになった経緯が凄い。

親父氏は日本にいた頃は普通のサラリーマンだったのだが、50代のときに離婚。独りになって自由な時間も増えたのでフィリピンの田舎にあるビーチに遊びに行ったのだが、そこで仲良くなったタクシーの運ちゃんに自宅に招待された。すると、そこに来ていた運ちゃんの親戚の娘に気に入られて猛アタックを受けた。最初は「あんたみたいな若い娘とこんなおじさんじゃ釣り合いが取れないからダメだよ」と断っていたのだが、年の差なんて関係ないと猛攻を繰り返す娘に負けて、親父氏陥落。
それから休みを取ってはフィリピンへ、ということを数回繰り返していたのだが、やがて彼女が妊娠した。親父氏は彼女を日本に呼び寄せて一緒に暮らすつもりだったのだが、フィリピン人にはそんな簡単にビザが下りないので、とりあえずお金を渡してマニラへ移住させた。出産やビザの申請を考えるとマニラにいたほうが色々と便利だからなのだろう。

やがて彼女は無事男の子を出産し、親父氏は喜び勇んで赤ちゃんに会いに行くのだが、家に行くとそこにいたのはベビーシッターのおばさんと赤ちゃんのみ。彼女は遊び歩いてばかりで家に寄りつかず、ベビーシッターはロクに給料も貰えていないらしい。親父氏はベビーシッターに未払い分の給料を払い、やがて帰宅した彼女にお説教するが、彼女はまるで反省せず。この時点で親父氏はヤバいと思っていたようなのだが、休暇を取って来ている身分なので長期間滞在することはできず、数か月分の生活費を彼女に預けて帰国した。
ところが、それから間もなく彼女から送金の催促が。彼女はともかく、赤ちゃんに何かあっては大変なので、言われたとおりお金を送る親父氏。数か月後、再びフィリピンへ行くが、彼女は相変わらず遊び回っていて育児は全てベビーシッター任せ。こんなことを数回繰り返した後、ついにキレた親父氏は自分で子供を育てることを決意し、彼女を追いだした。

しかし、そうはいっても乳飲み子をこのまま日本へ連れて帰るわけにもいかないし、そもそも連れて帰っても仕事を抱えた自分が一人で赤ん坊の面倒を見るのは不可能。前妻との間には子供がいなかったので、この子は親父氏にとってたった一人の実子。到底見捨てることはできず、親父氏は自分がフィリピンへ移住することを決意。ベビーシッターに事情を話して子供を託し、一旦日本に戻った親父氏は職場を退職して財産も全て処分し、再びフィリピンへ戻った。それから苦労の末にこの店を始め、今では親子二人が食っていけるくらいの稼ぎは出せるようになったらしい。
ちなみに、5~6歳になった息子さんの写真を見せてもらったが、親父氏にそっくり。

いやー、凄いね。女の子を妊娠させて日本に逃げ帰っちゃう鬼畜も多いのに、親父氏は子供のために全てを捨ててフィリピンに来たんだからね。酔いどれ親父は偉大なり。


そんなこんなで親父氏と話し込み、結局は閉店の時間まで長居してしまった。
帰り際、一緒に飲んでいた女の子に泊まっているホテルを聞かれたので、「パサイのヘリテージ・ホテル」と答えると、「エドゥサ・コンプレックス(通称エドコン)の向かいね」と言われた。そりゃ何ですか?ショッピング・モールですか?
すると、彼女は笑いながら一言。

「ゴーゴーバーがたくさんある場所よ!」


親父氏に別れを告げて店を出たにゃおんちゃんはタクシーでホテルに戻った。ホテルに入る前に斜め向かいを見ると、確かにネオンサインがギラギラの大きな建物がある。あれがエドコンか・・・。
時間は午前3時。明日というか、今日の昼にはメルトモのおじさんが迎えに来る。本当はそろそろ寝たほうがいいのだが・・・。
ホテルの前でタバコを吸いながら悩むこと2分。誘惑に負けたにゃおんちゃんは吸い寄せられるかのようにエドコンへ向かった。

エドゥサ・コンプレックス
これがエドゥサ・コンプレックス(翌日の昼間に撮影)
体育館みたいなでっかい建物の中にゴーゴーバーがたくさん入ってます。



≪つづく≫


テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

21:36  |  2010フィリピン  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2013.02.05 (Tue)

本日の鹵獲品(WHITE TIGER / WHITE TIGER)

 WHITE TIGER / WHITE TIGER (1986)

White Tiger
 1.Rock Warriors
 2.Love / Hate
 3.Bad Time Coming
 4.Runaway
 5.Still Standing Strong
 6.Live To Rock
 7.Northern Wind
 8.Stand And Deliver
 9.White Hot Desire
10.Rock Warriors (Remix)
Produced by Mark St.John
Performed by David Donato(Vo), Mark St.John(G), Michael Norton(B), Brian James Fox(Ds)

WHITE LIONではありません、WHITE TIGERです。
イアン・ギランの後任として一瞬だけBLACK SABBATHにいたデヴィッド・ドナートというボーカリストと、ヴィニー・ヴィンセントの後任としてKISSに加わり、「ANIMALIZE」に参加しながらもライター症候群という病気(関節炎の一種らしい)で脱退する羽目になったマーク・セント・ジョンというギタリストが結成したバンドだ。
大物バンドに入り損ねた者同士が結成したバンドなので、当時は少しだけ話題になった。

そのWHITE TIGERが1986年にリリースした唯一のアルバムがこれ。自費出版という形で作られたのだが、その割には入手が容易で当時輸入盤屋でよく見かけた記憶がある。
音楽性はいわゆるLAメタルで、若干ウェットな感触があるところなどは典型的なLAメタル勢とは異なるが、ボーカルは普通だし名曲があるわけでもない。マークはKISSの歴代ギタリストの中でも最もテクニカルでフラッシーなソロを弾いていた人だけあって、本作ではこれでもかというくらい弾きまくっているが、それだけで群雄割拠、百花繚乱のLAメタルシーンを勝ち抜けるほど甘くはない。

結局、彼らはメジャーレーベルとの契約を得ることができず、LA周辺でたった9本のライヴを行っただけで1988年に解散している。
その後、マーク・セント・ジョンは同じく元KISSのピーター・クリスと結成したKEEPというバンドやソロで活動していたが、2007年に脳内出血によりこの世を去っている。享年51歳。

ちなみに、デヴィッド・ドナートがBLACK SABBATH在籍時に録音したデモテープはブートレッグとして発売されており、YouTubeで聞くことができる。歌っているのがよりによって"The Shining"(正確にはその原曲)なので、トニー・マーティンと比較すれば彼がすぐにクビになった理由がよく分かるだろう。こんなフニャフニャした歌ではサバスのボーカリストは務まらん。
この時期、トニー・アイオミはLAで若くて生きのいいボーカリストを探していたようで、他にもロン・キールやカル・スワンなどに声を掛けている。ロン・キールは論外だが、カル・スワンならいけたかもしれない。デモ音源が残っていれば是非聞いてみたいものである。


テーマ : ハードロック - ジャンル : 音楽

22:46  |  本日の鹵獲品  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2013.02.02 (Sat)

本日の鹵獲品(ALIEN / ALIEN)

 ALIEN / ALIEN (1988)

Alien (1988) 1.Brave New Love
 2.Tears Don't Put Out The Fire
 3.Go Easy
 4.I've Been Waiting
 5.Jamie Remember
 6.Feel My Love
 7.Only One Woman
 8.Wings Of Fire
 9.Dying By The Golden Rule
10.Touch My Fire
11.Dreamer
12.Mirror
Produced by Chris Minto
Performed by Jim Jidhed(Vo), Tony Borg(G), Ken Sandin(B), Toby Tarrach(Ds), Jimmy Wandroph(Key)


スウェーデン第二の都市イエテボリ出身のメロディック・ハードロックバンドの1988年のデビュー作。
このたび、本作がギリシャの『No Remorse』というレーベルから再発され、さらに今年の「FIRE FEST」への出演が決まったので、記念に取り上げた次第。

クソダサいジャッケトを見るとハズレ臭がプンプンするが、とんでもない!北欧メタル史に残る名作です。
北欧のバンドらしい透明感がありなからも非常に垢抜けており、このままイギリスやアメリカに持って行っても通用するであろうクオリティを誇る。12曲も収録されているが、捨て曲はひとつもない。
あのEUROPEだって、最初の2枚はダサい曲もたくさんあったし歌も下手だったのに、それに対してこのバンドはデビュー作でいきなり完璧に近いものを出してきたのだから、こいつらは一体何者だ?と騒ぎになったのは当然だった。

この騒ぎを見た所属レーベル『Virgin Scandinavia』は、これならワールドワイドで通用すると判断してアメリカに売り込みを掛け、1989年にリイシュー盤が日本を含む全世界でリリースされている。
このリイシューの際に、既にジム・ジドヘッドが脱退していたことから、Voを後任のピート・サンドベリのものに差し替え、楽曲も一部を差し替えて(4曲カットして新曲を2曲追加)全曲リミックスし、さらにジャケットを変更している。『Virgin』はALIENを本気でEUROPEに続くバンドとして売り出そうとしていたものと思われる。

Alien (1989)北欧メタルマニアの多くは、やはりオリジナル盤のほうを好むらしいが、リイシュー盤も世界進出を見据えて作ったものだけあって高い完成度を誇っている。
まず、リミックスによってタイトで分厚い音になっている。オリジナルはかなりリヴァーブが掛かった音で、それはそれで北欧のバンドらしい雰囲気を醸し出していたが、アメリカでの成功を狙うならやはりこういう音にしたほうがいい。
また、ボーカルの交代も功を呈したようで、歌のクオリティが上がっている。個人的にはジム・ジドヘッドのいっぱいっぱいの歌も好きなんだが、客観的に見ればピート・サンドベリの余裕たっぷりで貫禄すら漂わせる歌のほうが上。ルックスもジム・ジドヘッドがただのおっさんなのに対して、ピート・サンドベリはセクシーなロックスターっぽいし。
ジャケット?言うまでもなくこっちのほうがいいに決まってる。オリジナルのジャケットでは売れるものも売れない。


本作リリース後、新加入のピート・サンドベリとリーダーのトニー・ボルグを除くメンバーが全て入れ替わり、1990年に「SHIFTIN' GEAR」をリリース。
プロダクションもちゃんとしていて、お金掛けて作ったであろうことが分かる作品だったが、楽曲の質が大幅に低下して普通のメロディック・ハードロックに成り下がってしまった。いや、決してダメなアルバムではないのだが、やはり前作が凄すぎたのだ。

その後、ALIENはメジャー契約を失い、トニー・ボルグのソロ・プロジェクトのような形で1993年に「ALIEN」、1995年に「CRASH」をリリースするが、アルバムを出すたびに質は低下しつづけ、最後の「CRASH」に至ってはDEEP PURPLEもどきの褒めるところがひとつもないクソアルバム。駄作続きでファンから見放されたALIENはひっそりと消えて行った。

しかし、それから10年後、ジム・ジドヘッドとトニー・ボルグは突如ALIENを復活させ、2005年に「DARK EYES」を発表。さすがに1stのような名曲揃いの奇跡の一枚ではないが、落ち着きのある大人のメロディック・ハードロックをやっている。
その後、またしばらく消息不明となっていたが、2013年10月に開催される「FIRE FEST X」への出演が決定した。



テーマ : ハードロック - ジャンル : 音楽

18:42  |  本日の鹵獲品  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2013.02.01 (Fri)

2010フィリピン旅行記(その1)

さて、今回は2010年2月にフィリピンへ行ったときの旅行記です。
滞在日数が短かったので、あまり長いものにはならないと思います。


◆見せてもらおうか。リアル貧乏国のダメっぷりとやらを!(出発前)

さて、今回のフィリピン旅行はいつもの夏季休暇ではなく、イレギュラーな休みがあった2月に行ったときのもの。
おいおい、ソ連はどうした!と言われそうだが、さすがにそろそろ違うところにも行きたくなるし、冬にソ連になんか行きたくないし、この時はそもそも欧州まで行けるほど長い休暇ではなかった。そういうわけで、行き先は最初から「近くて温かい所」と決めており、台湾か東南アジアくらいしか選択肢がなかった。
普通なら「台湾でマターリ ( ・∀・)」なんて思うところなのだが、実はにゃおんちゃんは『リアル貧乏国』に行ったことがないことに気づいた。

モルドバは一人当たりのGDPが$1,600程度で欧州最貧国っていったって、以前にも書いたがソ連時代の遺産でそれなりにインフラや社会保障、教育システム等が整備されているし、資本主義が導入されてから日が浅いので、わずかばかりの成金はいるにしても、国全体で見れば社会が階層化されているわけでもない。なので、「思ったほど物価は安くないのに、こんな薄給でどうやって生活してるんだろう?」という疑問はあれど、リアル貧乏国では当たり前の「スラム街の掘っ立て小屋に住んでゴミ拾いで食いつないでる貧乏人」なんて見かけることはなかった。
『世界の香ばしき国々』なんて不謹慎なブログを書いているわけだし、「行ったこともないくせに!」なんて言われては反論もできないので、やはりリアル貧乏人(がいる国)というものを一度見ておくべきではないのか?


そういうわけで、台湾、シンガポール、マレーシア、タイあたりは軒並みボツ。
候補はフィリピン、インドネシア、カンボジア、ラオス、ミャンマーあたりか・・・。

しかし、カンボジアはビザが必要、ラオスとミャンマーは乗り入れている航空会社が少ないうえに国内の交通の便が悪く、たった3~4日程度の休暇では行って帰ってくるだけになってしまうという理由で却下。(※当時はラオスもミャンマーもビザが必要だったが、国境や空港でアライバルビザが取得できた)
最後はフィリピンとインドネシアの一騎打ちとなり、「フィリピンのほうがダメダメ感が強い」「インドネシアはイスラム教国」という理由に加え、「現地人からのご招待」という切り札によってフィリピンが圧勝した。

見せてもらおうか。リアル貧乏国のダメっぷりとやらを!


「現地人からのご招待」なんて書くと、フィリピンパブのおねーちゃんを追いかけて行ったと思われそうだが、実際は「フィリピン在住の日本人のおじさんからのご招待」ですから!実は数年前からマニラ在住の日本人のおじさんとメル友になっておりまして、フィリピンに行こうかと思ってるんだけど・・・という話をしたところ、「是非来なさい!」という回答をいただきまして、乗るしかないこのビッグウェーブに!という感じで行くことが決定したわけだ。
実はにゃおんちゃん、未だにフィリピンパブに行ったことがありません。蝦夷ヶ島には無いんですよ、そんなもの。20年くらい前はあったらしいんだけどね。

こうしてフィリピン行きが決定したわけだが、今回は休みが短いので滞在地はマニラのみ。
しかし、一日中貧乏人だけ見て過ごすわけにもいかない。マニラって何があったっけ?
実はにゃおんちゃんはフィリピンに対する知識は殆ど無いに等しい。フィリピンに対する印象といっても思い浮かべるものといえば、「ジャパゆきさん」「不法滞在」「マルコスとマラカニアン宮殿」「周辺国は皆経済発展してるのに、いつまで経ってもダメダメなASEANの落第児」「米軍を追い出したら支那に恫喝されるようになり、米軍を呼び戻す羽目になったボンクラ国家」「アメリカとその手下の成金に搾取されっぱなしで、出稼ぎ労働者からの送金で細々と食いつなぐニート国家」といったところ・・・。
大丈夫なのか?こんな国に行って・・・。

しかも、マニラ行きの航空券って何故か高いんですよ!
マニラよりもずっと遠くにあるバンコクやシンガポール行きのチケットのほうが安いし!
なんか、もうこの時点で行き先を間違えたような気が・・・。
行く前からテンション下がりっぱなしのにゃおん氏なのであった。



◆坊やだからさ。(1日目)

2月某日、前年秋のカザフスタン行きに続き、またしても旭川発のアシアナ便に乗ることに。
またこの便を利用することになるとは思わんかった。いや、他に安いチケットが無かったもんで。

道中は特筆すべきことは無く、22時過ぎにニノイ・アキノ空港に無事到着。しかし、何とも狭くてボロくて汚い空港だ。空港からしてこの調子なんだから、フィリピンって一国丸ごとこんな感じなのではないか?とさらにテンションが下がる。
しかし、この空港の凄まじさはそんなものでは済まない。空港から市内へ移動する際、夜間はバスやジプニー(ジープを改造した乗合バス)に乗ってはいけないのだ。その理由は強盗に襲われるからだそうだ。メル友のおじさんからも「クーポンタクシー(行き先の地区によって料金が決まっている定額のタクシー)を使えよ」と言われている。
いや、確かに大きな荷物を抱えて移動する外国人旅行者なんて、強盗から見れば絶好のカモなのだろうが、それにしたって首都の国際空港に乗り入れるバスで強盗事件が頻発するって、ここはどんなラゴス(ナイジェリア最大の都市で武装強盗の巣窟として有名)ですか?


入国審査を済ませて荷物が出てくるのを待っていると、隣に立っていたフィリピン人の女性に話しかけられた。彼女は日本在住で日本語がペラペラ。行き先を尋ねられたので、パサイ(メトロ・マニラを構成する都市のひとつでニノイ・アキノ空港がある)にホテルを予約してあることを告げると、「空港から近いけど、危ないからタクシーを使いなさい」と忠告された。初めてのフィリピン訪問でしかも一人旅、というシチュエーションは彼女を心配させるに十分なものだったらしい。
確かに、銃を持った強盗が夜の街を徘徊してる国になんて来たことないからなぁ・・・。
いや、一度行ったことあるわ。アメリカって国。

荷物をピックアップすると税関を出たところで彼女と別れ、両替をして数千円分のフィリピン・ペソを確保。これだけあれば、とりあえずホテルまで行って、近所でメシを食うくらいなら十分足りるだろう。
両替屋の横にSIMカードの自販機があったので、購入しようとしたのだが故障していた。この空港は建物だけじゃなくて、何もかもがオンボロだなぁ・・・。しかし、幸いなことにすぐ近くでSIMカードを手売りしていたお姉さんがいた。値段は忘れてしまったが、日本円で数百円程度。自販機に掲示されていた額と一緒だったので、ボッてるわけてもなさそう。

入国早々にSIMカードをゲットできたので、早速おじさんに「空港に着いたよ~」とSMSを送信すると、すぐに電話が掛かってきた。明日の昼にホテルまで迎えに来てくれるそうだ。そして、再び「クーポンタクシーを使えよ」と念押しされた。
そんなに治安悪いのか、マニラって・・・。


ターミナルを出ると、湿った熱気に包まれる。不快なほど湿度が高いわけではないが、2月の夜とは思えない暑さだ。タバコを吸いながら、南国に来た実感にしみじみと浸る。
一服すると、おじさんの言いつけどおりクーポンタクシー乗り場へ。パサイまでのチケット代は350~400ペソ(約700~800円)程度だったと思う。係員の指示する車に乗り込み、ドライバーにチケットを渡して行き先(ヘリテージ・ホテル)を告げると、「カジノが目当てか?」と言われた。大きなカジノがあることで有名なホテルだそうだ。
車が動き出すと、すぐに運転席を除く全部のドアをロックする。治安の悪い国だと、信号待ちしてる間に強盗が車内に乗り込んでくるからね。

空港を出ると、タクシーは6車線の広い道路を進む。これがロハス・ブルーヴァードね。この道路をずっと北へ行くと、マラテやエルミタといったマニラの中心街に行くことができる。
ロハス・ブルーヴァードに入ると、間もなくネオンギラギラのお店が立ち並ぶ一角を見かけた。ありゃ何だろう?と思っていると、あっという間にホテルに着いてしまった。いや、こりゃ確かに空港から近いね。帰りは楽チンだ。

今回、にゃおんちゃんが泊まったこのヘリテージ・ホテルは、なんと4つ星。物価の安いフィリピンだからそれほど高いわけではないが、貧乏旅行ばかりしてるもんだから今までこんな高級ホテルに泊まったことがない。さすがに今回ばかりは治安の悪さにビビってセキュリティを重視したからなのだが、こりゃ何とも身分不相応なホテルを取ってしまったなぁ・・・と、広くて綺麗な部屋で一人居心地の悪さを噛みしめるにゃおん氏。


最初は近所でメシでも食って、ホテルのバーで少し飲んだらさっさと寝るつもりだったのだが、意外に元気一杯だったのでエルミタへ行ってみることにした。ホテルや両替屋がたくさんあって外国人観光客で賑わっているところらしいが・・・どんなところなんだろう?

しかし、にゃおんちゃんは知らなかったのだ。
フィリピンのダメっぷりを。マニラの恐ろしさを。
何故だ?
坊やだからさ。


≪つづく≫



テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

00:28  |  2010フィリピン  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2013.01.29 (Tue)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(最終回)

いよいよ最終回です。長かった・・・。


◆嫌がらせ観光最後の地

三田渡碑に夢中になっていたが、ふと気が付くと辺りはかなり暗くなっていた。この石碑の正体を知る朝鮮人に見つかって絡まれたりしたら嫌だから、そろそろ市内に戻ろうか。
そのまま石村駅に戻ってもよかったのだが、もう二度とこんなところに来る機会は無いと思ったので、地下鉄蚕室駅まで歩くことにした。
松坡大通に沿って蚕室駅を目指すと、その途中に石村湖の横を通りがかった。石村湖の中には島があり、そこが丸ごとロッテワールドという遊園地になっている。そういや、三田渡碑の移設予定地はこの石村湖のほとりのどこからしい。ついでだからちょっと見ていこうか。

石村湖の外周を半周ほど歩くが移設予定地は発見できず、歩き疲れたので湖のほとりにあるベンチに座りロッテワールドを眺める。絶叫マシンに乗ってる人達の歓声・・・いや悲鳴が遠くから聞こえてくる。石村湖周辺は公園として整備されており、外周に沿ってジョギングをしているおじさん・おばさん達の姿が見える。
天気の良い日の昼間なら日向ぼっこをするのに絶好の場所なのだろうが、辺りはもうすっかり暗くなっていて、しかも少し肌寒い。これ以上ここにいても風邪をひくだけなので、さっさと移動することにしよう。
さて、どこに行こうか・・・?

ロッテワールド
石村湖とロッテワールド


蚕室駅まで次の行き先を考えながら移動する。せっかく江南に来たのだから、江南のどこかに寄ってから市内に戻るべきなのだろう。でも、にゃおんちゃんは江南は好きじゃないんだよね。後進国の成金の巣窟みたいな場所だから。
「嫌がらせ観光」という今回の訪朝(というか、トランジットで仕方なく寄っただけなんだが・・・)の趣旨を踏まえて、キムチ太郎御用達のサイボーグ美女がわんさかいる高級クラブにでも行ってやろうかと思ったが、高い金を払って全身歪曲朝鮮女を見に行くなんて馬鹿らしいにもほどがあるのですぐにボツ。むむむ・・・困ったぞ。
しかし、にゃおんちゃんはここでまたしても笑韓の神様から啓示を受けた。<`∀´ ∩ ピコーン

笑韓の神様に導かれてやって来たのは狎鴎亭洞。目指すは朝鮮HOOTERS。そう、以前に紹介した「これ」の南朝鮮版。
実はカザフスタンに旅発つ前、某三国人チャット常連倭人のひとり、摩天楼氏とこの店について話す機会があった。摩天楼氏はアメリカに住んでいたことがあり、その際に行ったことがあるそうな。そして、その会話の中でなんと南朝鮮にもHOOTERSがあることが判明。早速ホームページをチェックしたところ、あまりにブサイク&貧相なウェイトレスばかりで二人して爆笑したという。ホントに性格の悪い二人である。
このことを思い出したにゃおんちゃんは、嫌がらせ観光の総仕上げとして朝鮮HOOTERSに突撃し、後でチョッパリーズの皆に報告してやることにしたのであった。


と、そんな感じでニヤニヤしながら店内へ突入。あ、店が店だから違う意味でニヤニヤしてると勘違いされてしまうね。必死に笑いを堪えながらウェイトレスが注文に来るのを待つ。
と、その間に店内を見回すが・・・。店内には客はまばらで、暇そうなウェイトレス達が厨房の入口で立ち話をしている。
うーん、リアルで見ると別にブサイクじゃないな。ホームページに載っていた連中は爆笑モノだったのに。

注文したハンバーガーとチキンを食っていると、ウェイトレス二人が話しかけてきた。報告用に写真を撮らなきゃいけないので、写真撮ってもいい?と頼むと、二人とも快く承諾してくれた。
数枚の撮影を終了すると、そのうちの一人が撮った写真を見たいと言うので、求められるがままに見せてやったのだが、その際に他の場所で撮った写真も見られてしまった。幸いなことに588で撮った写真は見られずに済んだが、西大門刑務所の写真を見た彼女が一言。
「ohhh, Japan bed~」。bedと聞こえたが、badと言っているのだろうということはすぐに分かった。あーあ、やっぱり西大門刑務所は日帝の極悪統治の象徴みたいな場所にされてるんだねぇ・・・。
場所が某三国人チャットなら、こんなことをほざいた朝鮮人は泣くまで責めたてるところだが、こんなところで小娘相手に説教かますのはあまりにナニだし、彼女もそれ以上余計なことを言わなかったので、聞かなかったことにしておいた。
帰り際にもうひとりのウェイトレスに明日の予定を聞かれたが、残念明日は朝早い飛行機で日本へ帰るのよ~。

にゃおんちゃんに明日の予定を尋ねてくれる『日本人』のウェイトレスさんはいないんでしょうか・・・。

ちなみに、この当時(2009年秋)にはHOOTERSはまだ日本に進出しておらず、またにゃおんちゃんがこの時に行った狎鴎亭店は2010年5月に閉店しているそうだ。論峴と龍山にも店があるそうなので、興味のある人はどうぞ。



◆黒猫は嫌韓の果てに何を見た?

食事を終えたが、ホテルへ戻るにはまだ早いので、どこかで一杯やってから帰ることにしよう。今度こそ新村へ行こうかと思ったが、明洞にいい雰囲気のバーがあったことを思い出したので、そこへ行くことにした。

初めて京城に来たのは・・・えーと5年くらい前だったか?10日間くらい滞在していたのだが、殆ど毎晩あの店に顔を出していたような気がする。スタッフとも仲良くなって弘大入口のクラブに連れて行ってもらったりしたんだよな・・・。
あの頃から既に嫌韓と言えば嫌韓だったが、あの頃はリアル朝鮮人がこんなに性根の捻じ曲がった連中ばかりだと思ってなかったからなぁ。まだ純粋だったんだよな、あれでも。
でも、不愉快なこともたくさんあって、さらに人間不信ならぬ朝鮮人不信というか、民族レベルで朝鮮人の人間性を疑わざるを得ないような出来事がいくつかあって、あれからにゃおんちゃんの嫌韓は加速したような気がする。
もちろん、某三国人チャットやエンコリで遭遇したろくでもない朝鮮人ども、というロケット燃料がその加速を3倍速くらいにしたわけだが。

そんなことを考えながら店へ向かったのだが、いざ店の前まで来ると中に入るのがどうしようもなくためらわれた。
なんか、どんな顔して彼らに会えばいいのか分からなかったんだよね。あれから5年も経ってるからスタッフは入れ替わってるのだとしても、オーナーのマスターはいるんだろうし。
にゃおんちゃんはもうあの当時の、文字通りイノセントなにゃおんちゃんじゃないんだな。朝鮮人に対する嫌悪と不信と警戒心はもう隠しようのないレベルになってるし。
これはもうダメだね。にゃおんちゃんは金輪際この国に来るべきではないし、朝鮮人と関わるべきではないね。
結局、店の中には入らずその場を立ち去ることにした。

予期せぬ形で答えを見つけてしまったことがショックだったのか、当てもなく彷徨っていると南大門に辿り着いた。
2008年に放火によって焼失した南大門は復元工事の真っ最中だった。外壁によって覆われているので、復元工事の様子は全く伺えないが、工事現場を取り囲むフェンスに各時代に撮影された南大門の写真パネルが掲示されていた。
その中でこんなものを発見して噴きそうになる。゙;`;・(゚ε゚ )ブーッ!!

李朝時代の南大門
李朝時代(1890年代)に撮影された南大門の写真。
門の前に立ち並ぶ掘っ立て小屋をとくとご覧あれ。


おいおい、こんなものを公衆の面前に晒していいのか?自尊心(≒虚栄心)を傷つけられた朝鮮人が、また放火しそうで怖いんだが・・・。
結局、南朝鮮最後の夜はおとなしくホテルに戻り、コンビニで買った缶ビールを飲んでさっさと寝たのであった。だって次の日のフライトが朝8時だったからね。


≪完≫


テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

20:18  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
PREV  | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。