2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その23)
前回の続きです。
◆圧制国家からの脱出
博物館を出ると昼近くなっていたので、ホテルへ戻りチェックアウト。バスターミナルへ向かい、13時35分発ルーツク行きのバス・チケットを購入。ルーツクから先の接続が不明だが・・・行けば何とかなるだろう。もうこれ以上圧制国家にいたくない。疲れた。
近くの市場でお昼ご飯を食べ、余ったベラルーシ・ルーブルで3カートンほどタバコを買い込む。ウクライナで買うより安いからだ。もし国境で見つかったら没収されるだろうが、タバコを2カートンばかり没収されたところでさして痛くも無いし、係官もそこまで目くじら立てることはあるまい。行商のおばちゃんなんか半端じゃない量のタバコを持ち出してるわけだし。
バスを待つこと30分、ターミナルにやって来たルーツク行きのバスは日本ならスクラップ確実のひどいポンコツだった。去年、モルドバのソロカに行った際に乗ったバスも凄まじかったが、これはその次に酷い。はぁ・・・こんな酷いバスでこれから何時間も移動するんですか・・・。鬱だ。
渋々バスに乗り込み、憂鬱な時間を過ごすと1時間、国境に到着。停車すると車内は凄まじい暑さとなるが、じっと耐える。エアコン?そんなものあるわけねぇべ。
税関職員がバスに乗り込んでくるが、パスポートを確認しただけで終了。おさげ髪の可愛らしい女性係官だったが、何故か迷彩服の軍服を着ていた。
続いて出国審査。乗客全員のパスポートを回収してスタンプを押すので時間がかかる。なので外に出て免税店でお菓子を買ったり、タバコを吸ったりして時間を潰す。タバコを吸っているとおじさんが話しかけてきた。彼はウクライナ人だが、その隣にいるおばさんはイタリア人だという。
えぇ?イタリア人が何故こんなところに?向こうにしてみれば、「日本人のお前こそこんなところで何をしているんだ?」なのだろうが。
しかし、この際にどうして日本人の私がシナチョン認定されるかが判明した。ウクライナ人やベラルーシ人にしてみれば、「金持ちの日本人がこんな貧乏国の片田舎に旅行に来るはずがない」と考えるのだそうだ。だから、どこに行っても「ビジネスで来たのか?」と言われるわけか・・・。
あいにくだが私は貧乏国の片田舎が好きなのだ。若い連中は大抵の場合「物好きな野郎だ」という顔をするが、おじちゃん・おばちゃんは「よく来た、よく来たなぁ」と結構素直に喜んでくれることが多いような気がする。このときもウクライナ人のおばちゃんと仲良くなって、食べきれないほどたくさんのリンゴを貰ってしまった。
でも、おじちゃん・おばちゃんは英語が通じないから、たいした会話にならないんだよね。やっぱりロシア語を勉強しないと・・・。

かつてのソ連のように、今でも配給待ちの行列があると思ってませんか?
とんでもない!見てのとおり食糧品や日用品は豊富なんです。質はともかくね。

この日はものすごく暑い日だったので、犬もダウン。圧制国家にいることを忘れさせてくれます。
◆あるウクライナ人一家との出会い
出国手続きが終わると、女の子二人が乗り込んできてにゃおんちゃんの前の席に座った。そうだ、彼女達にリンゴをおすそ分けしてあげよう。
お嬢さん達、リンゴ食べないかい?
英語で言ったが、まるで通じない。彼女達は顔を見合わせてきょとんとしている。
アナタ、リンゴ、タベル?オイシイ。
怪しいロシア語で話したところ、やっと通じた。しかし、彼女たちはモジモジしていて受け取ろうとしない。怪しまれているのだろうか?どうしよう・・・?
すると、隣に若い男の子がやってきて英語で言った。
「どうした?通訳してやろうか?」
おお、何とタイミングの良い助け!彼が通訳してくれたおかげで、彼女達にリンゴを渡すことができた。もちろん彼にも分けてあげた。リンゴをかじりながら彼が言う。
「この二人、俺の兄弟なんだよ。」
えー?あなた達、三人とも全然似てないんですけど?
「あそこにいるのが母さんで、その隣にいるのは叔母さんだ。親父は前のほうにいるよ。」
彼はルーツクに住んでいる大学生。父、母、長男、次女、三女、叔母の6人でベラルーシに住む長女の家を訪ねた帰りなのだという。長女はベラルーシ人と結婚してこの国境の近くにある村に住んでいるそうな。言われてみれば、長男は母親似だし、三女は父親にそっくりだ。
次女、三女は全然英語が分からないが、母と長男は英語を話す。特に母はかなり流暢な英語を話し、長男が単語や文法を間違えるたびに「違うわよ!」と指摘する。君のお母さんは随分英語が上手だね?
「ああ、うちのママは中学校の英語の先生なんだよ」
どうりで上手いはずである。
そんなことを話しているあいだに国境を越え、今度はウクライナの入国審査。
何故か呼び出されて事務所へ連れて行かれるが、係官からの質問はたった一つ。
「学生か?」
社会人ですと答えると係官はそれ以上何も言わず、くわえタバコで乗客のパスポートにスタンプを押し続ける。「行ってもいいぞ」と言ってくれないので、アホのように突っ立っているにゃおんちゃん。
やがて、係官はスタンプを押し終えると、パスポートの束をにゃおんちゃんに差し出す。持って行けということか?もしかして、使い走りさせるために呼び出したのか?謎である。
パスポートを抱えてバスに戻り、一人一人名前を読み上げてパスポートを渡す。途中から車掌が代わってくれたが、どうして乗客の俺がこんな仕事をするのだ?
お互いのことを話して打ち解けるにゃおんちゃんと長男。彼はサッカーが大好きで、何故かガンバ大阪を知っていた。かつて、オレグ・プロタソフ(元ソ連代表のウクライナ人FW)がプレーしてたから知っているのかと思ったが、違うらしい。なんでガンバ?
「お前はウクライナのサッカー知ってるか?シェフチェンコ、知ってる?」
シェフチェンコはもちろん知ってるよ!シェフチェンコとレブロフが2トップを組んでいたディナモ・キエフは大好きだったんだよ!レアル・マドリードをやっつけたじゃないか!
「ドイツ・ワールドカップのウクライナは見た?」
見た見た!応援してたよ!アナトリー・ティモシュク(ゼニト・サンクト・ペテルブルク所属)はいい選手だねぇ。
「なに?ティモシュクを知っているのか?彼はルーツク出身なんだぜ!」
長男、すんごい嬉しそう。ルーツクにもヴォリン・ルーツクというサッカー・クラブがあるが、現在は2部リーグ所属。
「ヴォリンはダメだね。弱い」
しかめっ面をする長男。
何事もなく圧制国家から脱出し、ウクライナへ入国できた。ホッとしたのか気持ちが軽くなり、口の動きも滑らかになる。最初は長男とのみ話をしていたが、やがて母親と叔母さんも加わって皆で楽しく会話する。
にゃおんちゃんが日本人と知った叔母さんはいたく驚き、「こんなところで日本人に会えるなんて想像もしてなかったわ!」と叫ぶ。そりゃそうだろうな。普通、こんなところに日本人は来ない。
初めはにゃおんちゃんをじーっと見ていただけの三女だが、我々の会話の盛り上がりを見て話しかけてくるようになった。
「あなた、何歳なの?」
「結婚してるの?」
「え?独身なの?どうして結婚しないの?」
「それじゃ彼女はいるの?」
人が気にしていることをズケズケと・・・・。ママ、泣いてもいい?
泣きそうな顔をしているにゃおんちゃんを見た長男、すかさずフォローする。
「三女はまだ高校生だから結婚できないけど、次女はどうだ?こいつ、今は彼氏いないぞ?」
長男、お前はいい奴だな。シクシク
怪訝な顔をしている次女に、長男が何を話していたかロシア語で説明する。すると、多分「彼氏がいない」という部分に反応したのだろう。余計なことを言うんじゃない!と言わんばかりに長男への攻撃を始める。二人の間に座っているにゃおんちゃんにとってはいい迷惑である。やめて・・・やめて・・・。
次女と三女、二人は顔だけでなく性格も似ていないようで、好奇心旺盛で物怖じしない三女に対し、次女は口数が少なくシャイな性格なようだ。目があってもすぐに恥ずかしそうな顔をして下を向いてしまう。長男が変なことを言ったせいで意識してしまったのだろうか?
日本人女性には忌み嫌われているにゃおんちゃんですが、意識してもらえるなんてまだまだ捨てたもんじゃありませんね。ホルホルホルホル
マジでウクライナ人女性に拾ってもらおうかなぁ・・・。

ルーツク行きのバス。遅い、うるさい、汚いと三拍子揃ったポンコツです。
しかも、停車すると車内は灼熱地獄と化します。
《つづく》
◆圧制国家からの脱出
博物館を出ると昼近くなっていたので、ホテルへ戻りチェックアウト。バスターミナルへ向かい、13時35分発ルーツク行きのバス・チケットを購入。ルーツクから先の接続が不明だが・・・行けば何とかなるだろう。もうこれ以上圧制国家にいたくない。疲れた。
近くの市場でお昼ご飯を食べ、余ったベラルーシ・ルーブルで3カートンほどタバコを買い込む。ウクライナで買うより安いからだ。もし国境で見つかったら没収されるだろうが、タバコを2カートンばかり没収されたところでさして痛くも無いし、係官もそこまで目くじら立てることはあるまい。行商のおばちゃんなんか半端じゃない量のタバコを持ち出してるわけだし。
バスを待つこと30分、ターミナルにやって来たルーツク行きのバスは日本ならスクラップ確実のひどいポンコツだった。去年、モルドバのソロカに行った際に乗ったバスも凄まじかったが、これはその次に酷い。はぁ・・・こんな酷いバスでこれから何時間も移動するんですか・・・。鬱だ。
渋々バスに乗り込み、憂鬱な時間を過ごすと1時間、国境に到着。停車すると車内は凄まじい暑さとなるが、じっと耐える。エアコン?そんなものあるわけねぇべ。
税関職員がバスに乗り込んでくるが、パスポートを確認しただけで終了。おさげ髪の可愛らしい女性係官だったが、何故か迷彩服の軍服を着ていた。
続いて出国審査。乗客全員のパスポートを回収してスタンプを押すので時間がかかる。なので外に出て免税店でお菓子を買ったり、タバコを吸ったりして時間を潰す。タバコを吸っているとおじさんが話しかけてきた。彼はウクライナ人だが、その隣にいるおばさんはイタリア人だという。
えぇ?イタリア人が何故こんなところに?向こうにしてみれば、「日本人のお前こそこんなところで何をしているんだ?」なのだろうが。
しかし、この際にどうして日本人の私がシナチョン認定されるかが判明した。ウクライナ人やベラルーシ人にしてみれば、「金持ちの日本人がこんな貧乏国の片田舎に旅行に来るはずがない」と考えるのだそうだ。だから、どこに行っても「ビジネスで来たのか?」と言われるわけか・・・。
あいにくだが私は貧乏国の片田舎が好きなのだ。若い連中は大抵の場合「物好きな野郎だ」という顔をするが、おじちゃん・おばちゃんは「よく来た、よく来たなぁ」と結構素直に喜んでくれることが多いような気がする。このときもウクライナ人のおばちゃんと仲良くなって、食べきれないほどたくさんのリンゴを貰ってしまった。
でも、おじちゃん・おばちゃんは英語が通じないから、たいした会話にならないんだよね。やっぱりロシア語を勉強しないと・・・。

かつてのソ連のように、今でも配給待ちの行列があると思ってませんか?
とんでもない!見てのとおり食糧品や日用品は豊富なんです。質はともかくね。

この日はものすごく暑い日だったので、犬もダウン。圧制国家にいることを忘れさせてくれます。
◆あるウクライナ人一家との出会い
出国手続きが終わると、女の子二人が乗り込んできてにゃおんちゃんの前の席に座った。そうだ、彼女達にリンゴをおすそ分けしてあげよう。
お嬢さん達、リンゴ食べないかい?
英語で言ったが、まるで通じない。彼女達は顔を見合わせてきょとんとしている。
アナタ、リンゴ、タベル?オイシイ。
怪しいロシア語で話したところ、やっと通じた。しかし、彼女たちはモジモジしていて受け取ろうとしない。怪しまれているのだろうか?どうしよう・・・?
すると、隣に若い男の子がやってきて英語で言った。
「どうした?通訳してやろうか?」
おお、何とタイミングの良い助け!彼が通訳してくれたおかげで、彼女達にリンゴを渡すことができた。もちろん彼にも分けてあげた。リンゴをかじりながら彼が言う。
「この二人、俺の兄弟なんだよ。」
えー?あなた達、三人とも全然似てないんですけど?
「あそこにいるのが母さんで、その隣にいるのは叔母さんだ。親父は前のほうにいるよ。」
彼はルーツクに住んでいる大学生。父、母、長男、次女、三女、叔母の6人でベラルーシに住む長女の家を訪ねた帰りなのだという。長女はベラルーシ人と結婚してこの国境の近くにある村に住んでいるそうな。言われてみれば、長男は母親似だし、三女は父親にそっくりだ。
次女、三女は全然英語が分からないが、母と長男は英語を話す。特に母はかなり流暢な英語を話し、長男が単語や文法を間違えるたびに「違うわよ!」と指摘する。君のお母さんは随分英語が上手だね?
「ああ、うちのママは中学校の英語の先生なんだよ」
どうりで上手いはずである。
そんなことを話しているあいだに国境を越え、今度はウクライナの入国審査。
何故か呼び出されて事務所へ連れて行かれるが、係官からの質問はたった一つ。
「学生か?」
社会人ですと答えると係官はそれ以上何も言わず、くわえタバコで乗客のパスポートにスタンプを押し続ける。「行ってもいいぞ」と言ってくれないので、アホのように突っ立っているにゃおんちゃん。
やがて、係官はスタンプを押し終えると、パスポートの束をにゃおんちゃんに差し出す。持って行けということか?もしかして、使い走りさせるために呼び出したのか?謎である。
パスポートを抱えてバスに戻り、一人一人名前を読み上げてパスポートを渡す。途中から車掌が代わってくれたが、どうして乗客の俺がこんな仕事をするのだ?
お互いのことを話して打ち解けるにゃおんちゃんと長男。彼はサッカーが大好きで、何故かガンバ大阪を知っていた。かつて、オレグ・プロタソフ(元ソ連代表のウクライナ人FW)がプレーしてたから知っているのかと思ったが、違うらしい。なんでガンバ?
「お前はウクライナのサッカー知ってるか?シェフチェンコ、知ってる?」
シェフチェンコはもちろん知ってるよ!シェフチェンコとレブロフが2トップを組んでいたディナモ・キエフは大好きだったんだよ!レアル・マドリードをやっつけたじゃないか!
「ドイツ・ワールドカップのウクライナは見た?」
見た見た!応援してたよ!アナトリー・ティモシュク(ゼニト・サンクト・ペテルブルク所属)はいい選手だねぇ。
「なに?ティモシュクを知っているのか?彼はルーツク出身なんだぜ!」
長男、すんごい嬉しそう。ルーツクにもヴォリン・ルーツクというサッカー・クラブがあるが、現在は2部リーグ所属。
「ヴォリンはダメだね。弱い」
しかめっ面をする長男。
何事もなく圧制国家から脱出し、ウクライナへ入国できた。ホッとしたのか気持ちが軽くなり、口の動きも滑らかになる。最初は長男とのみ話をしていたが、やがて母親と叔母さんも加わって皆で楽しく会話する。
にゃおんちゃんが日本人と知った叔母さんはいたく驚き、「こんなところで日本人に会えるなんて想像もしてなかったわ!」と叫ぶ。そりゃそうだろうな。普通、こんなところに日本人は来ない。
初めはにゃおんちゃんをじーっと見ていただけの三女だが、我々の会話の盛り上がりを見て話しかけてくるようになった。
「あなた、何歳なの?」
「結婚してるの?」
「え?独身なの?どうして結婚しないの?」
「それじゃ彼女はいるの?」
人が気にしていることをズケズケと・・・・。ママ、泣いてもいい?
泣きそうな顔をしているにゃおんちゃんを見た長男、すかさずフォローする。
「三女はまだ高校生だから結婚できないけど、次女はどうだ?こいつ、今は彼氏いないぞ?」
長男、お前はいい奴だな。シクシク
怪訝な顔をしている次女に、長男が何を話していたかロシア語で説明する。すると、多分「彼氏がいない」という部分に反応したのだろう。余計なことを言うんじゃない!と言わんばかりに長男への攻撃を始める。二人の間に座っているにゃおんちゃんにとってはいい迷惑である。やめて・・・やめて・・・。
次女と三女、二人は顔だけでなく性格も似ていないようで、好奇心旺盛で物怖じしない三女に対し、次女は口数が少なくシャイな性格なようだ。目があってもすぐに恥ずかしそうな顔をして下を向いてしまう。長男が変なことを言ったせいで意識してしまったのだろうか?
日本人女性には忌み嫌われているにゃおんちゃんですが、意識してもらえるなんてまだまだ捨てたもんじゃありませんね。ホルホルホルホル
マジでウクライナ人女性に拾ってもらおうかなぁ・・・。

ルーツク行きのバス。遅い、うるさい、汚いと三拍子揃ったポンコツです。
しかも、停車すると車内は灼熱地獄と化します。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その22)
更新ペースが遅くてご迷惑をおかけしております。最近、出張だらけで家にいる日が少ないんですよ。
前回の続きです。
◆ブレスト要塞でもニャンコとイチャイチャ
ブレスト要塞はプーク川とムハヴェツ川に囲まれた大きな中州にある。正面入口から要塞へ進むと、左手に兵舎らしき建物が並んでいるのが見える。一部は屋根も吹き飛んでいて無残な姿を晒しているが、保存状態の良い部分は今も使用されているようで人が出入りしている。近づいて確認すると博物館のようだが独ソ戦に関するものではない。考古学か民俗学か何かの博物館だ。表示は全てロシア語なのでさっぱり分からない。
博物館の向かいには対戦車砲や高射砲が展示されているが、その対戦車砲の足元でチビにゃんこがじゃれあっているのを見つけてしまい興奮する。ムハーッ!にゃんこー!
我を忘れたにゃおんちゃんは30分近くぬこと戯れ続けるが、どういう訳か観光客が集まってきたので退散する。
周りを見渡すが、あるものといえば不気味のオブジェと尖塔、そして教会と博物館。意外とつまらんぞ、ここ・・・。
ロシア語に悪戦苦闘しつつ案内表示とにらめっこしていると、教会のそばにある立派な建物は戦争に関する博物館であることが判明。そうだよな、ここはブレスト要塞なのだから独ソ戦に関する展示があるのは当然だよな。よし、行ってみよう。

不気味なオブジェその2。夜中にこんなものを見たらショック死しそうです。

かつての兵舎。今は博物館や事務所、トイレなどになっています。

ブレスト要塞にいたチビにゃんこ達。温かくてモフモフしてて気持ち良かったです。
博物館へ入ってみるが、キエフやミンスクの戦争博物館と異なり、展示物が年代順に並んでいる訳ではない。小火器は結構充実していたが、写真はたいしたものは無い。
にゃおんちゃんはロシア語を読めないうえに、ブレスト要塞攻防戦などという局地戦に関する知識は殆ど持ち合わせていない。展示物にはきちんと解説がついているが、どれも全てロシア語・・・。
だーっ!わかんねー!まるでわかんねー!
ロシア語にうなされながら博物館をさまよい歩いていると、例の女子大生らしき団体客とちょうど一緒になる。彼女達は団体なので博物館の職員が付き添って展示物を説明している。少しは参考になるかと思って一緒に説明を聞いていたが・・・やっぱり分からない。もう帰る!
外へ出るとベラルーシ軍の兵士に包囲されてビビるが、彼らはべつににゃおんちゃんを捕まえにきたわけではない。今日はここで何かの式典が行われるようで、それに出席するために来た模様。
以前にウクライナで軍隊を見たとき、飛び交う怒声におしっこをちびりそうになるほどビビったが、ここにいる兵士達はずいぶんとユルい。上官はベンチ座ってタバコを吸っているし、立たされている下っ端兵士達は女の子やにゃおんちゃんを見てニヤニヤしている。この野郎・・・。
「チェストォォォッ!」と叫んで驚かせてやろうかと思うが、騒ぎになったら嫌なので退散する。

独ソ軍服比較。やっぱりドイツ軍のほうがかっこええです。

今では基礎しか残ってませんが、ここにあった建物で「ブレスト・リトフスク条約」が調印されたそうです。
◆税関押収品博物館
再び、どこまでも真っ直ぐなだだっ広い道路を歩いて市街地へ戻る。相変わらず誰もいない。
ホテルへ戻る途中、「博物館」と書いてある看板を見つけたので行ってみる。見た目はちょっと大きな一軒家といった感じでまるで博物館には見えないが、看板には「税関なんとか博物館」と書かれている。ははー、わかったぞ。ここは税関で押収したブツの博物館だな?
ブレストは国境の街。モスクワやサンクトペテルブルクから陸路で西ヨーロッパへ行く場合、ここブレストを経由してワルシャワ、ベルリンへ抜けるのが最も一般的。当然、様々な荷物がここを通関するが、その中にヤバいものが色々とあっても不思議ではない。
博物館は閑古鳥が鳴いているようで、にゃおんちゃんが中に入ると職員は暢気にロビーでお喋りしていた。おばちゃんの職員が「ここは博物館よ。あなた、見学に来たの?」などとのたまう。見学に来たんですよ!ええ、来ましたとも!だから、ちゃんと仕事してね!
にゃおんちゃんがお客さんだと分かってバタバタと持ち場につくおばちゃん達。一瞬呆れてしまったが、まあ・・・こういうユルい雰囲気は別に嫌いではない。入場料は撮影料と合わせても3,000BYRかそこらだったと思う。
博物館は二階建てで、一階には主にイコン(聖像)が展示されている。イコンを密輸する際に小さくする必要があったのだろう。無残にもぶったぎられている。せっかく持ち出してもこんなにバッツリ切断されていたら価値も半減するだろうに・・・。もしにゃおんちゃんがソ連のエロいえらい人だったら、大切な文化遺産にこんな仕打ちをする奴はシベリアのラーゲリ(強制収容所)送りでは済まさんだろう。
イコンがどこから持ち出されたものなのか一切解説が無いので分からないが、中世に作られたであろう年季が入ったものもたくさんある。

普通の家に見えますが、ここが「税関押収品博物館」です。
後ろには政府の建物と思われる、すげー変な形のビル(しかもボロボロ)が建っています。

左:無残にも切断されたイコン
右:我が心の故郷ヴィリニュスの「夜明けの門」の写真。どうしてこれが押収されるのだ?
二階へ上がると、装飾品や美術品、絵画などが展示されていた。何故か日本画や扇子などもあって驚く。扇子には大きく「神敬」と書かれていて、その横に「平沼騏書」とある。なんと、あの平沼騏一郎か!
平沼は書家としても知られていたが、それにしてもこんなものがどうしてここに?一体どのような経緯でここで展示されるに至ったのだろうか?
平沼騏一郎は法曹界の大物でバリバリのファシスト。1939年に第一次近衛内閣が総辞職すると、平沼に大命が下り首相に就任。平沼内閣は日独伊三国同盟の推進と泥沼化した日中戦争の収拾を図るが、モロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)が締結されると「欧州の天地は複雑怪奇なり」という迷言を残して総辞職した。ヒトラーは「共産主義は人類の敵だ!」とスターリンを罵り、日本と「日独防共協定」を結んでおきながら、一転してソ連と同盟を結んでしまったのだ。
退陣後も第2次・3次近衛内閣で閣僚を務め、東條内閣ができるとその倒閣にも活躍している。戦後はA級戦犯として終身刑になるが、1952年に病気仮釈放。直後に死去している。
ちなみに、大東文化大(当時は大東文化学院)の設立者にして初代総長である。
他にも「どうしてこれが押収されるのだ?」というようなものがたくさんあった。普通の写真なども押収品として展示されているのだ。何故?

平沼騏一郎が「神敬」と書いた扇子。このようなものが何故ここに?
《つづく》
前回の続きです。
◆ブレスト要塞でもニャンコとイチャイチャ
ブレスト要塞はプーク川とムハヴェツ川に囲まれた大きな中州にある。正面入口から要塞へ進むと、左手に兵舎らしき建物が並んでいるのが見える。一部は屋根も吹き飛んでいて無残な姿を晒しているが、保存状態の良い部分は今も使用されているようで人が出入りしている。近づいて確認すると博物館のようだが独ソ戦に関するものではない。考古学か民俗学か何かの博物館だ。表示は全てロシア語なのでさっぱり分からない。
博物館の向かいには対戦車砲や高射砲が展示されているが、その対戦車砲の足元でチビにゃんこがじゃれあっているのを見つけてしまい興奮する。ムハーッ!にゃんこー!
我を忘れたにゃおんちゃんは30分近くぬこと戯れ続けるが、どういう訳か観光客が集まってきたので退散する。
周りを見渡すが、あるものといえば不気味のオブジェと尖塔、そして教会と博物館。意外とつまらんぞ、ここ・・・。
ロシア語に悪戦苦闘しつつ案内表示とにらめっこしていると、教会のそばにある立派な建物は戦争に関する博物館であることが判明。そうだよな、ここはブレスト要塞なのだから独ソ戦に関する展示があるのは当然だよな。よし、行ってみよう。

不気味なオブジェその2。夜中にこんなものを見たらショック死しそうです。

かつての兵舎。今は博物館や事務所、トイレなどになっています。

ブレスト要塞にいたチビにゃんこ達。温かくてモフモフしてて気持ち良かったです。
博物館へ入ってみるが、キエフやミンスクの戦争博物館と異なり、展示物が年代順に並んでいる訳ではない。小火器は結構充実していたが、写真はたいしたものは無い。
にゃおんちゃんはロシア語を読めないうえに、ブレスト要塞攻防戦などという局地戦に関する知識は殆ど持ち合わせていない。展示物にはきちんと解説がついているが、どれも全てロシア語・・・。
だーっ!わかんねー!まるでわかんねー!
ロシア語にうなされながら博物館をさまよい歩いていると、例の女子大生らしき団体客とちょうど一緒になる。彼女達は団体なので博物館の職員が付き添って展示物を説明している。少しは参考になるかと思って一緒に説明を聞いていたが・・・やっぱり分からない。もう帰る!
外へ出るとベラルーシ軍の兵士に包囲されてビビるが、彼らはべつににゃおんちゃんを捕まえにきたわけではない。今日はここで何かの式典が行われるようで、それに出席するために来た模様。
以前にウクライナで軍隊を見たとき、飛び交う怒声におしっこをちびりそうになるほどビビったが、ここにいる兵士達はずいぶんとユルい。上官はベンチ座ってタバコを吸っているし、立たされている下っ端兵士達は女の子やにゃおんちゃんを見てニヤニヤしている。この野郎・・・。
「チェストォォォッ!」と叫んで驚かせてやろうかと思うが、騒ぎになったら嫌なので退散する。

独ソ軍服比較。やっぱりドイツ軍のほうがかっこええです。

今では基礎しか残ってませんが、ここにあった建物で「ブレスト・リトフスク条約」が調印されたそうです。
◆税関押収品博物館
再び、どこまでも真っ直ぐなだだっ広い道路を歩いて市街地へ戻る。相変わらず誰もいない。
ホテルへ戻る途中、「博物館」と書いてある看板を見つけたので行ってみる。見た目はちょっと大きな一軒家といった感じでまるで博物館には見えないが、看板には「税関なんとか博物館」と書かれている。ははー、わかったぞ。ここは税関で押収したブツの博物館だな?
ブレストは国境の街。モスクワやサンクトペテルブルクから陸路で西ヨーロッパへ行く場合、ここブレストを経由してワルシャワ、ベルリンへ抜けるのが最も一般的。当然、様々な荷物がここを通関するが、その中にヤバいものが色々とあっても不思議ではない。
博物館は閑古鳥が鳴いているようで、にゃおんちゃんが中に入ると職員は暢気にロビーでお喋りしていた。おばちゃんの職員が「ここは博物館よ。あなた、見学に来たの?」などとのたまう。見学に来たんですよ!ええ、来ましたとも!だから、ちゃんと仕事してね!
にゃおんちゃんがお客さんだと分かってバタバタと持ち場につくおばちゃん達。一瞬呆れてしまったが、まあ・・・こういうユルい雰囲気は別に嫌いではない。入場料は撮影料と合わせても3,000BYRかそこらだったと思う。
博物館は二階建てで、一階には主にイコン(聖像)が展示されている。イコンを密輸する際に小さくする必要があったのだろう。無残にもぶったぎられている。せっかく持ち出してもこんなにバッツリ切断されていたら価値も半減するだろうに・・・。もしにゃおんちゃんがソ連の
イコンがどこから持ち出されたものなのか一切解説が無いので分からないが、中世に作られたであろう年季が入ったものもたくさんある。

普通の家に見えますが、ここが「税関押収品博物館」です。
後ろには政府の建物と思われる、すげー変な形のビル(しかもボロボロ)が建っています。

左:無残にも切断されたイコン
右:我が心の故郷ヴィリニュスの「夜明けの門」の写真。どうしてこれが押収されるのだ?
二階へ上がると、装飾品や美術品、絵画などが展示されていた。何故か日本画や扇子などもあって驚く。扇子には大きく「神敬」と書かれていて、その横に「平沼騏書」とある。なんと、あの平沼騏一郎か!
平沼は書家としても知られていたが、それにしてもこんなものがどうしてここに?一体どのような経緯でここで展示されるに至ったのだろうか?
平沼騏一郎は法曹界の大物でバリバリのファシスト。1939年に第一次近衛内閣が総辞職すると、平沼に大命が下り首相に就任。平沼内閣は日独伊三国同盟の推進と泥沼化した日中戦争の収拾を図るが、モロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)が締結されると「欧州の天地は複雑怪奇なり」という迷言を残して総辞職した。ヒトラーは「共産主義は人類の敵だ!」とスターリンを罵り、日本と「日独防共協定」を結んでおきながら、一転してソ連と同盟を結んでしまったのだ。
退陣後も第2次・3次近衛内閣で閣僚を務め、東條内閣ができるとその倒閣にも活躍している。戦後はA級戦犯として終身刑になるが、1952年に病気仮釈放。直後に死去している。
ちなみに、大東文化大(当時は大東文化学院)の設立者にして初代総長である。
他にも「どうしてこれが押収されるのだ?」というようなものがたくさんあった。普通の写真なども押収品として展示されているのだ。何故?

平沼騏一郎が「神敬」と書いた扇子。このようなものが何故ここに?
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その21)
前回の続きです。
◆ブレスト要塞
8月3日(日)、今日は午前でブレスト観光を済ませ、午後にはベラルーシを去る。次の行き先はウクライナ西部最大の都市リヴィウ。どうやって行くのかいまいち分からないが、とりあえずバスでコヴェリかルーツクまで行けば、後は鉄道があるので何とかなるだろう。
午前7時半に起床し、8時半にホテルを出る。チェックアウト・タイムは昼なので部屋に荷物を置いたままでも大丈夫。ホテルの前を走るマシェロヴァ通りを2kmほど西へ歩けばブレスト要塞。バスで移動したいところだが、バスはロクに走っていないらしい。朝もやが立ち込めるブレストの街を歩いて要塞へ向かう。
要塞の入口には小さな公園があり、真ん中に不気味なオブジェが立ち、その周りには戦死した兵士達の銅像が並んでいる。彼らを愛国者に仕立て上げようというソビエト共産党の徹底した魂胆が早くも丸分かりである。
悪党のくせに!悪党のくせに!彼らのように最前線にいた兵士を見殺しにしたくせに!
要塞へ向かう道はどこまでもまっすぐ続き、道路脇には戦死した兵士のオブジェがどこまでも続いている。途中に工場と鉄道博物館がある以外、周りには何も無い。鉄道博物館は屋外施設でフェンスの向こう側に年代モノの機関車がたくさん並んでいるのが見える。にゃおんちゃんはさして興味無いが、鉄道マニアなら楽しいんじゃないかな?
道はどこまでも真っ直ぐで遠くに要塞の入口が見えるのだが、歩けど歩けど一向に着かない。ソ連は道路が真っ直ぐなうえに巨大な建築物が多いので遠近感が狂って仕方ない。

戦死した兵士をモチーフにしたオブジェ

ブレストの鉄道博物館
黙々と歩くこと20分、やっと要塞に到着。にゃおんちゃんの到着と同時に観光バスが数台やって来て、乗客がゾロゾロと降りてくる。全員高校生か大学生くらいの若者で、何故か女の子ばかり。どこかの女子高(女子大)の課外授業とか?
要塞の入口には星をかたどった巨大な門がドカーンと鎮座しており、備え付けてあるスピーカーから爆発音や軍歌、アジテーションの演説や軍靴のコツンコツンという足音などが流れている。高らかにソ連国歌を歌ってやりたい気分になるが・・・やめておこう。
門をくぐると真正面にオベリスクのような尖塔と、人の顔が描かれた巨大なコンクリート製の岩山が。尖塔のほうはキエフやミンスクの街中にもこんなものが立っているので珍しくもない、ここにあるものはかなり高い。鉄筋コンクリート製のようだが、下部はコンクリートがはがれて鉄筋がむき出しになっている。おいおい、大丈夫なのかよ?
岩山のほうもとんでもないデカさで、3〜4階建てのビルひとつ分くらいある。一体どれだけのコンクリートを使っているのだろう?おまけにしかめっ面をした男性の顔が描かれていて、何とも不気味なオーラを放っている。これがソ連人の美的センス・・・。
一瞬帰りたくなるくらい気持ちが萎えるが、左手に戦車が並んでいるのを見つけて気を取り直す。T-34/85はすぐに分かったが、見慣れない戦車が2台。ありゃなんだ?砲身がやたら長いうえに、無旋廻砲塔だな。SU(自走砲)か?
近づいて見ると、それはSU-100とT-44だった。T-44!珍しい!初めて見たよ。
T-44は実戦配備が第二次世界大戦に間に合わなかったうえに、戦後まもなくT-54に進化してしまったのでソ連の戦車にしては生産台数が少ない。SU-100は100mm砲を搭載した自走砲(駆逐戦車)で、パンターやティーガーを正面から撃破できる。チハタソなら至近弾でもバラバラになりそう・・・。

ブレスト要塞の入口

初めて生で見たT-44

不気味な巨大オブジェ
《つづく》
◆ブレスト要塞
8月3日(日)、今日は午前でブレスト観光を済ませ、午後にはベラルーシを去る。次の行き先はウクライナ西部最大の都市リヴィウ。どうやって行くのかいまいち分からないが、とりあえずバスでコヴェリかルーツクまで行けば、後は鉄道があるので何とかなるだろう。
午前7時半に起床し、8時半にホテルを出る。チェックアウト・タイムは昼なので部屋に荷物を置いたままでも大丈夫。ホテルの前を走るマシェロヴァ通りを2kmほど西へ歩けばブレスト要塞。バスで移動したいところだが、バスはロクに走っていないらしい。朝もやが立ち込めるブレストの街を歩いて要塞へ向かう。
要塞の入口には小さな公園があり、真ん中に不気味なオブジェが立ち、その周りには戦死した兵士達の銅像が並んでいる。彼らを愛国者に仕立て上げようというソビエト共産党の徹底した魂胆が早くも丸分かりである。
悪党のくせに!悪党のくせに!彼らのように最前線にいた兵士を見殺しにしたくせに!
要塞へ向かう道はどこまでもまっすぐ続き、道路脇には戦死した兵士のオブジェがどこまでも続いている。途中に工場と鉄道博物館がある以外、周りには何も無い。鉄道博物館は屋外施設でフェンスの向こう側に年代モノの機関車がたくさん並んでいるのが見える。にゃおんちゃんはさして興味無いが、鉄道マニアなら楽しいんじゃないかな?
道はどこまでも真っ直ぐで遠くに要塞の入口が見えるのだが、歩けど歩けど一向に着かない。ソ連は道路が真っ直ぐなうえに巨大な建築物が多いので遠近感が狂って仕方ない。

戦死した兵士をモチーフにしたオブジェ

ブレストの鉄道博物館
黙々と歩くこと20分、やっと要塞に到着。にゃおんちゃんの到着と同時に観光バスが数台やって来て、乗客がゾロゾロと降りてくる。全員高校生か大学生くらいの若者で、何故か女の子ばかり。どこかの女子高(女子大)の課外授業とか?
要塞の入口には星をかたどった巨大な門がドカーンと鎮座しており、備え付けてあるスピーカーから爆発音や軍歌、アジテーションの演説や軍靴のコツンコツンという足音などが流れている。高らかにソ連国歌を歌ってやりたい気分になるが・・・やめておこう。
門をくぐると真正面にオベリスクのような尖塔と、人の顔が描かれた巨大なコンクリート製の岩山が。尖塔のほうはキエフやミンスクの街中にもこんなものが立っているので珍しくもない、ここにあるものはかなり高い。鉄筋コンクリート製のようだが、下部はコンクリートがはがれて鉄筋がむき出しになっている。おいおい、大丈夫なのかよ?
岩山のほうもとんでもないデカさで、3〜4階建てのビルひとつ分くらいある。一体どれだけのコンクリートを使っているのだろう?おまけにしかめっ面をした男性の顔が描かれていて、何とも不気味なオーラを放っている。これがソ連人の美的センス・・・。
一瞬帰りたくなるくらい気持ちが萎えるが、左手に戦車が並んでいるのを見つけて気を取り直す。T-34/85はすぐに分かったが、見慣れない戦車が2台。ありゃなんだ?砲身がやたら長いうえに、無旋廻砲塔だな。SU(自走砲)か?
近づいて見ると、それはSU-100とT-44だった。T-44!珍しい!初めて見たよ。
T-44は実戦配備が第二次世界大戦に間に合わなかったうえに、戦後まもなくT-54に進化してしまったのでソ連の戦車にしては生産台数が少ない。SU-100は100mm砲を搭載した自走砲(駆逐戦車)で、パンターやティーガーを正面から撃破できる。チハタソなら至近弾でもバラバラになりそう・・・。

ブレスト要塞の入口

初めて生で見たT-44

不気味な巨大オブジェ
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その20)
前回の続きです。
◆あ、日本人だ!
ベラルーシ南部の都市ブレストへやって来たにゃおんちゃんは、今夜の寝床を無事に確保。雨に濡れた持ち物を乾かした後、食い物を求めて街へ繰り出す。
ホテルを出る際、レギストラーツィアのためフロントにパスポートを提出。食事を終えて戻って来た頃には手続きは終わっているだろう。ミンスクで部屋を借りた際には自ら警察署に出向いて手続きしたが、今回はホテルに泊まるので宿泊施設側で手続きを代行してくれる。
パスポート無し・・・いわば丸腰の状態での外出なので、警官には気をつけなければならない。パスポート不携帯は言い訳の効かない規則違反なので、悪徳警官に捕まった場合にはひとたまりも無い。しかし、雨の日に外をウロウロしてる警官もおるまい。
ホテルを出る際にフロントでバスターミナルの場所を教えてもらい、メシ屋を探しがてら行ってみることにした。さすがインツーリスト系のホテルだけあってフロントのおばちゃんは英語を話せた。とにかくベラルーシは英語が通じない。ここから車で数時間も走れば辿り着くポーランドやリトアニアではバリバリ英語が通じるのに、国境をひとつ越えただけでこのザマである。
しかし、基本的には現地語を話せない自分が悪いのだ。愚痴っても仕方ない。
ブレストの目抜き通りは「ソビエツカヤ通り」。駅から市街地へ向かう道路はレーニン通りだし、街中にはガガーリャ通りなんて名前の道路もある。由来はやはり人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンなのだろうか?
ソビエツカヤ通りは名前とは裏腹に可愛らしい商店、映画館、レストランやバーなどが立ち並ぶ。特に映画館はこんな田舎街には似つかわしくないほど立派。映画くらいしか娯楽が無いんだろうなぁ・・・なんて言っちゃうのは馬鹿にしすぎ?大規模な道路工事の真っ最中で殺風景だったが、完成すれば圧政国家らしからぬ可愛らしい商店街になりそうな予感。
土曜の夜だが雨が降っているせいか人通りは少ないし、時間が遅かったせいか殆どの店は閉まっている。うーむ、残念。でも、ここならメシ屋のひとつふたつは見つけられるだろう。

ソビエツカヤ通り。綺麗な通りですが、工事中なのがちょっと残念。
ソビエツカヤ通りを北(駅方面)へ進み、さらにプーシキン通りで右折して数百メートルのところに市場がある。バスターミナルはその市場の裏手。
バスターミナルへ入ろうとしたところ、入口にたむろっていた若者に「あ、日本人だ!」と言われる。シナチョン扱いされると大変頭に来るが、ずばり日本人と見抜かれるのも困惑するものである。しかし、何故にゃおんちゃんが日本人だと分かったのだろう?
話しかけてくるかと思ってドキドキしていたが、彼らはどこかへ行ってしまった。拍子抜けする。
ポーランドへ行くなら列車を使えば済むので、ウクライナ行きのバスの行き先と時刻を丹念に調べる。ここブレストから一番近いウクライナの大都市はリヴィウ(リヴォヴ)。中世の街並みが残る都市で、ポーランド王国やオーストリア帝国の支配下にあった時期が長いので、ウクライナの他の都市とはかなり雰囲気が異なるらしい。うーむ、行ってみたいぞ!
しかし、残念なことにリヴィウ行きのバスは朝の1本のみ。明日の午前中はブレスト要塞を見に行くのでダメだ。となると、コヴェリかルーツクまでバスで行き、そこから列車でリヴィウへ向かうか。ルブリン(ポーランド)を経由するという手もあるが、一度余計に国境を越えなくてはならないうえに、そもそもルブリン行きのバスが無い。だーっ!なんて不便なんだ!

ブレストのバスターミナル
またしても明日の行き先を保留する羽目になったが、メシ屋を探してウロウロしているとネットカフェを見つけたので寄ってみる。インターネットでリヴィウへ行く方法を探すが、現地で調べて見つからないものがネットで調べても見つかる訳が無い。日本の家族や友人へ「生きてます。無事です。明日は圧制国家から脱出します。」なんてメールを送って時間を潰す。
そんなことをして1時間ほど過ごした後にソビエツカヤ通りへ戻ると、来るときには開いていた店がことごとく閉まっている。時間は22時・・・店じまいするのも当然の時間。しまった・・・メシを食い損ねた。
空腹をかかえてウロウロしていると小さなピザ屋を発見。テイクアウトだけじゃなくて店内で食べることも可能なようだ。昼にもピザを食ったのだが、わがままを言える状況ではない。レジの女の子が少し英語を話せたので、「この街はどう?どっかいい飲み屋知らない?」なんて話をしながらピザを食う。焼きたてだったこともあってなかなか美味しかった。
腹もふくれたので、寝酒を飲みに行くバーを探す。とはいえ、目抜き通りにある店すら閉まる時間なのだから、他へ行ったところで開いている店なんぞあるわけがない。「仕方ねぇな、ホテルのバーにでも行くか・・・」とホテルへ戻る途中、ホテルの隣にあるスーパーマーケットの裏手に若者がたむろっているのを発見。ありゃディスコか何かだな、たぶん・・・。行ってみるか。
◆結婚披露宴のようなディスコで途方に暮れる
外見はどう見てもディスコには見えない殺風景な建物の中に入ると、そこには用心棒と金属探知機が。間違いない、ここはディスコだ。
バーテンみたいなベストを着たおじさんに「ここはディスコかい?」と尋ねると、「そうだよ。あんた飲みに来たのかい?」と英語で言われた。おぉ、おじさん英語上手いじゃないか。入場料を払い、手の甲にチケット代わりのスタンプを押してもらうと、おじさんは「バーとダンスフロアは二階だよ」と階段を指差す。
階段を上ると、手前に食堂のような部屋があり、その隣に喫煙室、その奥にも部屋があり音楽が聞こえてくる。そこがダンスフロアのようだ。手前にはソファーが置いてあり、女の子がお喋りをしている。その横には椅子に座った仏頂面の警官が。こっちではホテルやディスコのようなところには警官が常駐していることは珍しくない。
ダンスフロアへ行くが、どう見てもディスコに見えなくて途方に暮れる。これじゃどう見てもホテルの宴会場だ。手前には椅子とテーブルが並んでおり、奥にはステージがあってそこだけ照明が当たって明るい。若者達はそのステージ前のわずかな空間で踊っている。その横にDJブースがあるのだが、結婚披露宴の司会者に見えて仕方がない。
間違えて知らない人の結婚披露宴に来てしまったような居心地の悪さに襲われたうえに、飲み物をどこで買えばいいのか分からずロビーでオロオロする私。するとさっきのおじさんがやって来て、「バーはあっちだぞ」と食堂を指差す。バー?食堂にしか見えないんですけど・・・。
食堂へ向かうと部屋の隅にカウンターがあるのが見えた。ああ、飲み物はあそこで買うのか。
こっちに来た際にはよく飲むロシア産ビールを注文し、ラッパ飲みしながらロビーへ戻る。だってこれじゃ食堂なんだってば!ビール飲むよりもラーメンを食いたくなるような雰囲気。ラーメンがあれば食ってやるところだが、あるわけがない。
喫煙室へ行くと男の子が話しかけてくるが、英語が通じなくて会話にならない。ロシア語下手でごめんよぉ。
タバコを吸い終えてソファーにふんぞり返って辺りを眺める。小さな街だけに皆知り合いのようで、ますます知らない人の結婚式に紛れ込んでしまったような錯覚に陥る。このビール飲んだら帰ろうかなぁ・・・。そう思った矢先、さっきのおじさんがやって来て話しかけてきた。
「あんた、どっから来た?」
日本だよ。
「ビジネスか?」
いや、観光。
「観光?ベラルーシに?この街には何も無いぞ?」
ブレスト要塞を見に来たんだよ。
「(要塞:fortress と 森:forest を間違えたおじさん)ああ、このあたりは自然は豊かだぞ」
いや、森じゃなくてブレスト要塞。よ・う・さ・い!
「ああ、要塞か。間違えたよ。」
でも、おじさん英語上手いね。どこで覚えたの?
「ん?ああ、自分で勉強したのさ」
へー、すごいね!
ただのモギリ役のおじさんかと思っていたが、彼はここのマネージャーらしい。でも着ているベストのせいでウェイターかチケットのモギリにしか見えない・・・。
仕事中のおじさんはいつまでも立ち話をしている余裕は無く、すぐに誰かに呼ばれてとこかへ行ってしまった。これ以上ここにいても何も無さそうだな・・・というか、この場違いな雰囲気には耐えられん。
お呼びじゃない?こりゃまた失礼しました!
ホテルに戻るが飲み足りないのでバーに寄る。しかし、飲み物の種類は少ない、値段は高い、隣にいた男(イタリア人)が話しかけてくるが、ベロベロに酔っていて明らかにヤバい。
結局、ここもビール一杯で退散する羽目となり、部屋に戻って寝る。はぁ・・・明日はどこに行こうか。

ブレストのホテルの隣にあった教会
《つづく》
◆あ、日本人だ!
ベラルーシ南部の都市ブレストへやって来たにゃおんちゃんは、今夜の寝床を無事に確保。雨に濡れた持ち物を乾かした後、食い物を求めて街へ繰り出す。
ホテルを出る際、レギストラーツィアのためフロントにパスポートを提出。食事を終えて戻って来た頃には手続きは終わっているだろう。ミンスクで部屋を借りた際には自ら警察署に出向いて手続きしたが、今回はホテルに泊まるので宿泊施設側で手続きを代行してくれる。
パスポート無し・・・いわば丸腰の状態での外出なので、警官には気をつけなければならない。パスポート不携帯は言い訳の効かない規則違反なので、悪徳警官に捕まった場合にはひとたまりも無い。しかし、雨の日に外をウロウロしてる警官もおるまい。
ホテルを出る際にフロントでバスターミナルの場所を教えてもらい、メシ屋を探しがてら行ってみることにした。さすがインツーリスト系のホテルだけあってフロントのおばちゃんは英語を話せた。とにかくベラルーシは英語が通じない。ここから車で数時間も走れば辿り着くポーランドやリトアニアではバリバリ英語が通じるのに、国境をひとつ越えただけでこのザマである。
しかし、基本的には現地語を話せない自分が悪いのだ。愚痴っても仕方ない。
ブレストの目抜き通りは「ソビエツカヤ通り」。駅から市街地へ向かう道路はレーニン通りだし、街中にはガガーリャ通りなんて名前の道路もある。由来はやはり人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンなのだろうか?
ソビエツカヤ通りは名前とは裏腹に可愛らしい商店、映画館、レストランやバーなどが立ち並ぶ。特に映画館はこんな田舎街には似つかわしくないほど立派。映画くらいしか娯楽が無いんだろうなぁ・・・なんて言っちゃうのは馬鹿にしすぎ?大規模な道路工事の真っ最中で殺風景だったが、完成すれば圧政国家らしからぬ可愛らしい商店街になりそうな予感。
土曜の夜だが雨が降っているせいか人通りは少ないし、時間が遅かったせいか殆どの店は閉まっている。うーむ、残念。でも、ここならメシ屋のひとつふたつは見つけられるだろう。

ソビエツカヤ通り。綺麗な通りですが、工事中なのがちょっと残念。
ソビエツカヤ通りを北(駅方面)へ進み、さらにプーシキン通りで右折して数百メートルのところに市場がある。バスターミナルはその市場の裏手。
バスターミナルへ入ろうとしたところ、入口にたむろっていた若者に「あ、日本人だ!」と言われる。シナチョン扱いされると大変頭に来るが、ずばり日本人と見抜かれるのも困惑するものである。しかし、何故にゃおんちゃんが日本人だと分かったのだろう?
話しかけてくるかと思ってドキドキしていたが、彼らはどこかへ行ってしまった。拍子抜けする。
ポーランドへ行くなら列車を使えば済むので、ウクライナ行きのバスの行き先と時刻を丹念に調べる。ここブレストから一番近いウクライナの大都市はリヴィウ(リヴォヴ)。中世の街並みが残る都市で、ポーランド王国やオーストリア帝国の支配下にあった時期が長いので、ウクライナの他の都市とはかなり雰囲気が異なるらしい。うーむ、行ってみたいぞ!
しかし、残念なことにリヴィウ行きのバスは朝の1本のみ。明日の午前中はブレスト要塞を見に行くのでダメだ。となると、コヴェリかルーツクまでバスで行き、そこから列車でリヴィウへ向かうか。ルブリン(ポーランド)を経由するという手もあるが、一度余計に国境を越えなくてはならないうえに、そもそもルブリン行きのバスが無い。だーっ!なんて不便なんだ!

ブレストのバスターミナル
またしても明日の行き先を保留する羽目になったが、メシ屋を探してウロウロしているとネットカフェを見つけたので寄ってみる。インターネットでリヴィウへ行く方法を探すが、現地で調べて見つからないものがネットで調べても見つかる訳が無い。日本の家族や友人へ「生きてます。無事です。明日は圧制国家から脱出します。」なんてメールを送って時間を潰す。
そんなことをして1時間ほど過ごした後にソビエツカヤ通りへ戻ると、来るときには開いていた店がことごとく閉まっている。時間は22時・・・店じまいするのも当然の時間。しまった・・・メシを食い損ねた。
空腹をかかえてウロウロしていると小さなピザ屋を発見。テイクアウトだけじゃなくて店内で食べることも可能なようだ。昼にもピザを食ったのだが、わがままを言える状況ではない。レジの女の子が少し英語を話せたので、「この街はどう?どっかいい飲み屋知らない?」なんて話をしながらピザを食う。焼きたてだったこともあってなかなか美味しかった。
腹もふくれたので、寝酒を飲みに行くバーを探す。とはいえ、目抜き通りにある店すら閉まる時間なのだから、他へ行ったところで開いている店なんぞあるわけがない。「仕方ねぇな、ホテルのバーにでも行くか・・・」とホテルへ戻る途中、ホテルの隣にあるスーパーマーケットの裏手に若者がたむろっているのを発見。ありゃディスコか何かだな、たぶん・・・。行ってみるか。
◆結婚披露宴のようなディスコで途方に暮れる
外見はどう見てもディスコには見えない殺風景な建物の中に入ると、そこには用心棒と金属探知機が。間違いない、ここはディスコだ。
バーテンみたいなベストを着たおじさんに「ここはディスコかい?」と尋ねると、「そうだよ。あんた飲みに来たのかい?」と英語で言われた。おぉ、おじさん英語上手いじゃないか。入場料を払い、手の甲にチケット代わりのスタンプを押してもらうと、おじさんは「バーとダンスフロアは二階だよ」と階段を指差す。
階段を上ると、手前に食堂のような部屋があり、その隣に喫煙室、その奥にも部屋があり音楽が聞こえてくる。そこがダンスフロアのようだ。手前にはソファーが置いてあり、女の子がお喋りをしている。その横には椅子に座った仏頂面の警官が。こっちではホテルやディスコのようなところには警官が常駐していることは珍しくない。
ダンスフロアへ行くが、どう見てもディスコに見えなくて途方に暮れる。これじゃどう見てもホテルの宴会場だ。手前には椅子とテーブルが並んでおり、奥にはステージがあってそこだけ照明が当たって明るい。若者達はそのステージ前のわずかな空間で踊っている。その横にDJブースがあるのだが、結婚披露宴の司会者に見えて仕方がない。
間違えて知らない人の結婚披露宴に来てしまったような居心地の悪さに襲われたうえに、飲み物をどこで買えばいいのか分からずロビーでオロオロする私。するとさっきのおじさんがやって来て、「バーはあっちだぞ」と食堂を指差す。バー?食堂にしか見えないんですけど・・・。
食堂へ向かうと部屋の隅にカウンターがあるのが見えた。ああ、飲み物はあそこで買うのか。
こっちに来た際にはよく飲むロシア産ビールを注文し、ラッパ飲みしながらロビーへ戻る。だってこれじゃ食堂なんだってば!ビール飲むよりもラーメンを食いたくなるような雰囲気。ラーメンがあれば食ってやるところだが、あるわけがない。
喫煙室へ行くと男の子が話しかけてくるが、英語が通じなくて会話にならない。ロシア語下手でごめんよぉ。
タバコを吸い終えてソファーにふんぞり返って辺りを眺める。小さな街だけに皆知り合いのようで、ますます知らない人の結婚式に紛れ込んでしまったような錯覚に陥る。このビール飲んだら帰ろうかなぁ・・・。そう思った矢先、さっきのおじさんがやって来て話しかけてきた。
「あんた、どっから来た?」
日本だよ。
「ビジネスか?」
いや、観光。
「観光?ベラルーシに?この街には何も無いぞ?」
ブレスト要塞を見に来たんだよ。
「(要塞:fortress と 森:forest を間違えたおじさん)ああ、このあたりは自然は豊かだぞ」
いや、森じゃなくてブレスト要塞。よ・う・さ・い!
「ああ、要塞か。間違えたよ。」
でも、おじさん英語上手いね。どこで覚えたの?
「ん?ああ、自分で勉強したのさ」
へー、すごいね!
ただのモギリ役のおじさんかと思っていたが、彼はここのマネージャーらしい。でも着ているベストのせいでウェイターかチケットのモギリにしか見えない・・・。
仕事中のおじさんはいつまでも立ち話をしている余裕は無く、すぐに誰かに呼ばれてとこかへ行ってしまった。これ以上ここにいても何も無さそうだな・・・というか、この場違いな雰囲気には耐えられん。
お呼びじゃない?こりゃまた失礼しました!
ホテルに戻るが飲み足りないのでバーに寄る。しかし、飲み物の種類は少ない、値段は高い、隣にいた男(イタリア人)が話しかけてくるが、ベロベロに酔っていて明らかにヤバい。
結局、ここもビール一杯で退散する羽目となり、部屋に戻って寝る。はぁ・・・明日はどこに行こうか。

ブレストのホテルの隣にあった教会
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その19)
前回の続きです。
◆要塞の街、ブレストへ行く
8月2日(土)、日本を経って4日目。旅行はまだ1/3程度だが、ベラルーシについては既にお腹いっぱいになりつつある。次の行き先は未定だが、とにかくミンスクを去ることだけは決めている。
午前8時半に起床し、10時にオーナーに部屋を引き渡して退去。地下鉄に乗ってクパラウスカヤへ。ここには鉄道局の切符売り場がある。ミンスク駅へ行かないのは、多分駅の切符売り場は混んでいると予想したため。
クパラウスカヤの切符売り場へ行くと、ガラガラで誰もおらずほくそえむ。壁に掲示している時刻表を見ながら次の行き先を考える。次の行き先は南のブレストか東のゴメリやモギリョフあたりだろうか?ゴメリやモギリョフに何があるのかまるで知らないけど。しかし、北のヴィテプスクへ行ったところで、その先はスモレンスク(ロシア)かダウガフピルス(ラトヴィア)。ラトヴィアには興味ないし、ロシアはビザが無いので入国すらできない。東へ行けばヴィリニュスに戻ってしまうので論外。
時刻表を眺めていると13時半にブレストへ行く電車を発見。今からならご飯を食べてお買い物でもすれば丁度良い時間になる。ブレスト到着は18時だが、今の季節なら21時近くまで明るいのでホテルを探す時間もある。よし、決まり。ブレストへ行くことにする。
さて切符を買おうとするが、今回は昼間の列車なのでお約束のクペー(2等寝台)は無い。何も言わず係員任せにして発券してもらったところ、運賃は21,000BYR(約1,000円)と言われる。あまりに安いので「ああ、こりゃ3等座席かな・・・」と思っていたらチケットを見てビックリ。1等座席だった。
350km先の都市まで1等席で行って1,000円?本当に激安である。日本じゃグリーン席の切符代にもならん。

クパラウスカヤの切符売り場
クパラウスカヤから駅へ向かう途中、本屋に寄って再びルカシェンコのブロマイドを探すがやはり見つからない。ルカシェンコは欧米諸国からの批判を気にして個人崇拝は慎むよう指示を出したらしいので、多分もう生産されていないのだろう。ベラルーシとウクライナの地図を見つけたので買っておくことにする。この先どこに行くか分からないのだから、地図くらい買っておいても損はあるまい。
グムデパートにも寄ってみるが、興味を惹かれたものは到底持って帰れないようなものばかり。結局何も買わず、駅近くのピザ屋で昼食を食べた後、列車に乗り込む。
クヴァスを飲んでは惰眠を貪ること4時間半、18時にベラルーシ南部の都市ブレストに到着。街の南側にある川を渡ればそこはもうポーランド。ポーランド行きの列車に乗ればここで台車交換の作業を見ることができるのだが、にゃおんちゃんはここで降りるのでそれは叶わず。というか、そもそもこの列車は終点がブレストだし。
※ヨーロッパの鉄道が標準軌(1435mm)なのに対してソ連の鉄道は広軌(1520mm)なので、接続駅で台車交換が行われる。列車の上部を持ち上げて固定し、台車を入れ替える作業を行う。日本じゃ絶対に見られないし、世界でもこんな作業をする場所はそんなに多くない。
列車を降りて駅舎へ向かう途中、若い女性に話しかけられる。しかし、ロシア語なので何を言っているのか殆ど分からない。唯一分かったのは「ブレストへようこそ」のみ。たどたどしいロシア語で「ワタシ、ロシアゴ ワカリマセーン」と言うと、その娘はどこかへ電話を掛けるとにゃおんちゃんに電話機を渡す。「相手は英語の分かる人だから話せ」ということらしい。
「俺は話すことなんか無いんだよ!あなたが何か話したいことがあるのでは?」と思いつつも電話を受け取り、状況を説明する。ところが相手はまるで英語が分からず、「お前、誰?」などとぬかしやがる。首を振りながら女の子に電話を突き返すが、女の子は「いいから、話して話して」というゼスチャーをする。だから、俺は何も話すことなんか無いんだってば・・・。
歩きながらそんなやり取りとをしていると駅舎に到着し、駅前に停まっている車の隅で子猫がグンニャリしているのを発見。きゃー!チビニャンコー!もはや意味不明なことを言う女に構っている場合ではない。女の子を置き去りにして一目散にニャンコの元へ。
ニャンコはにゃおんちゃんを見ても逃げることは無く・・・いや、それどころか抱っこしてやるとゴロゴロと喉を鳴らす。ブレスト駅前でニャンコと突然のラブラブタイム。通りがかりのおっさんが「お前の猫か?」と話しかけてきたので、二人して猫を撫でながらしばし世間話。おっさんはブレスト要塞への行き方を教えてくれたが、まずはその前にホテルを探さないと・・・。

ブレストで仲良しになったニャンコ様
と思ったが、せっかく駅に来たついでなので明日の電車を調べておこう。ここから先へ行くとすれば、南のワルシャワ(ポーランド)、東のグロドノ(ベラルーシ)、西のコヴェリ(ウクライナ)。しかし、グロドノ
は遠いうえに直通列車は無く、バスを利用することになる。バスでグロドノへ行ったところで、そこから先はやはりヴィリニュス(リトアニア)くらいしか行くところが無いので却下。
ワルシャワ行きは列車がたくさんあるので問題無さそうだ。一方、ウクライナ行きはちょっと厄介な様子。ロシア語に苦しめられながら窓口のお姉さんと話したところ、「直行便は無いので国境で乗り換え。あんたのような外国人旅行者向きではないのでバスで行きなさい」と言われる。一応、列車の時刻も教えてもらったが、乗り換え先での接続は悪そうだ。
うーむ・・・次はどこへ行けばいいのだろうか。明日の昼までに決めよう。
次の行き先をひとまず保留し、ホテルを探しに市街地へと向かう。旧ソ連の地方都市は街外れに駅がある場合が多く、駅前にはホテルどころかメシを食うところすらロクに無いのは当たり前。ブレストもそういう街で駅前には何も無い。跨線橋を渡って南へ移動したところに市街地がある。跨線橋の上からブレスト要塞が見えるかと思ったが、残念ながら緑の森が見えるのみ。
1939年のモロトフ=リッベントロップ協定によるポーランド分割後、ブレストはソ連領に組み込まれてドイツとの国境の街となった。1941年に独ソ戦が始まるとブレストは真っ先にドイツ軍の攻撃を受け、あっという間に破壊された。しかし、ソ連軍はここに築かれていた要塞に立てこもり、全滅するまで約1ヶ月半に渡って激しい抵抗を続けた。そのため、ブレストもミンスクやキエフなどと同様に「英雄都市」の称号を持つ。戦後、ソ連政府はわざわざ市街地を移動させてまでこの要塞の保存にこだわり、現在も博物館兼公園としてこの街を代表する観光名所となっている。
街角でバス待ちをしていたおばちゃん達にホテルを尋ねると、「インツーリスト・ホテルに行きなさい」と言われる。まあ、インツーリスト(かつてのソ連の国営旅行会社)系のホテルなら当たりは無いだろうが、外国人の利用も多いだろうからハズレもあるまい。
ブレストの街は碁盤の目状に整備された区画に中層ビルやアパートが立ち並び、街路樹がたくさん植えられていて緑豊か。でも戦後に再建された都市なので歴史的建築物は皆無、また地方都市なので雰囲気は寂しい。「リトアニアのシャウレイに似てるなぁ」と思いながら歩いていると、雨が降ってきた。そういえばシャウレイに行った時も雨が降ってずぶ濡れになったことを思い出した。しかし、今回はちゃんと傘を持っているので大丈夫。
ホテルへ到着し、フロントで空室を確認すると「1泊101,000BYR(約5,000円)」とのこと。安いとは言えないが・・・雨の中ホテルを探すのは嫌だし、どうせ1泊しかしないのでここに泊まることにする。
今夜の寝床を無事確保。しかし、雨は激しくなる一方でもう観光できそうにも無い。今夜はご飯食べてお酒飲んでおしまいかな?

ブレストのインツーリスト・ホテル

左:ブレスト駅正面
右:ブレストにあったのは指差しレーニンの像
《つづく》
◆要塞の街、ブレストへ行く
8月2日(土)、日本を経って4日目。旅行はまだ1/3程度だが、ベラルーシについては既にお腹いっぱいになりつつある。次の行き先は未定だが、とにかくミンスクを去ることだけは決めている。
午前8時半に起床し、10時にオーナーに部屋を引き渡して退去。地下鉄に乗ってクパラウスカヤへ。ここには鉄道局の切符売り場がある。ミンスク駅へ行かないのは、多分駅の切符売り場は混んでいると予想したため。
クパラウスカヤの切符売り場へ行くと、ガラガラで誰もおらずほくそえむ。壁に掲示している時刻表を見ながら次の行き先を考える。次の行き先は南のブレストか東のゴメリやモギリョフあたりだろうか?ゴメリやモギリョフに何があるのかまるで知らないけど。しかし、北のヴィテプスクへ行ったところで、その先はスモレンスク(ロシア)かダウガフピルス(ラトヴィア)。ラトヴィアには興味ないし、ロシアはビザが無いので入国すらできない。東へ行けばヴィリニュスに戻ってしまうので論外。
時刻表を眺めていると13時半にブレストへ行く電車を発見。今からならご飯を食べてお買い物でもすれば丁度良い時間になる。ブレスト到着は18時だが、今の季節なら21時近くまで明るいのでホテルを探す時間もある。よし、決まり。ブレストへ行くことにする。
さて切符を買おうとするが、今回は昼間の列車なのでお約束のクペー(2等寝台)は無い。何も言わず係員任せにして発券してもらったところ、運賃は21,000BYR(約1,000円)と言われる。あまりに安いので「ああ、こりゃ3等座席かな・・・」と思っていたらチケットを見てビックリ。1等座席だった。
350km先の都市まで1等席で行って1,000円?本当に激安である。日本じゃグリーン席の切符代にもならん。

クパラウスカヤの切符売り場
クパラウスカヤから駅へ向かう途中、本屋に寄って再びルカシェンコのブロマイドを探すがやはり見つからない。ルカシェンコは欧米諸国からの批判を気にして個人崇拝は慎むよう指示を出したらしいので、多分もう生産されていないのだろう。ベラルーシとウクライナの地図を見つけたので買っておくことにする。この先どこに行くか分からないのだから、地図くらい買っておいても損はあるまい。
グムデパートにも寄ってみるが、興味を惹かれたものは到底持って帰れないようなものばかり。結局何も買わず、駅近くのピザ屋で昼食を食べた後、列車に乗り込む。
クヴァスを飲んでは惰眠を貪ること4時間半、18時にベラルーシ南部の都市ブレストに到着。街の南側にある川を渡ればそこはもうポーランド。ポーランド行きの列車に乗ればここで台車交換の作業を見ることができるのだが、にゃおんちゃんはここで降りるのでそれは叶わず。というか、そもそもこの列車は終点がブレストだし。
※ヨーロッパの鉄道が標準軌(1435mm)なのに対してソ連の鉄道は広軌(1520mm)なので、接続駅で台車交換が行われる。列車の上部を持ち上げて固定し、台車を入れ替える作業を行う。日本じゃ絶対に見られないし、世界でもこんな作業をする場所はそんなに多くない。
列車を降りて駅舎へ向かう途中、若い女性に話しかけられる。しかし、ロシア語なので何を言っているのか殆ど分からない。唯一分かったのは「ブレストへようこそ」のみ。たどたどしいロシア語で「ワタシ、ロシアゴ ワカリマセーン」と言うと、その娘はどこかへ電話を掛けるとにゃおんちゃんに電話機を渡す。「相手は英語の分かる人だから話せ」ということらしい。
「俺は話すことなんか無いんだよ!あなたが何か話したいことがあるのでは?」と思いつつも電話を受け取り、状況を説明する。ところが相手はまるで英語が分からず、「お前、誰?」などとぬかしやがる。首を振りながら女の子に電話を突き返すが、女の子は「いいから、話して話して」というゼスチャーをする。だから、俺は何も話すことなんか無いんだってば・・・。
歩きながらそんなやり取りとをしていると駅舎に到着し、駅前に停まっている車の隅で子猫がグンニャリしているのを発見。きゃー!チビニャンコー!もはや意味不明なことを言う女に構っている場合ではない。女の子を置き去りにして一目散にニャンコの元へ。
ニャンコはにゃおんちゃんを見ても逃げることは無く・・・いや、それどころか抱っこしてやるとゴロゴロと喉を鳴らす。ブレスト駅前でニャンコと突然のラブラブタイム。通りがかりのおっさんが「お前の猫か?」と話しかけてきたので、二人して猫を撫でながらしばし世間話。おっさんはブレスト要塞への行き方を教えてくれたが、まずはその前にホテルを探さないと・・・。

ブレストで仲良しになったニャンコ様
と思ったが、せっかく駅に来たついでなので明日の電車を調べておこう。ここから先へ行くとすれば、南のワルシャワ(ポーランド)、東のグロドノ(ベラルーシ)、西のコヴェリ(ウクライナ)。しかし、グロドノ
は遠いうえに直通列車は無く、バスを利用することになる。バスでグロドノへ行ったところで、そこから先はやはりヴィリニュス(リトアニア)くらいしか行くところが無いので却下。
ワルシャワ行きは列車がたくさんあるので問題無さそうだ。一方、ウクライナ行きはちょっと厄介な様子。ロシア語に苦しめられながら窓口のお姉さんと話したところ、「直行便は無いので国境で乗り換え。あんたのような外国人旅行者向きではないのでバスで行きなさい」と言われる。一応、列車の時刻も教えてもらったが、乗り換え先での接続は悪そうだ。
うーむ・・・次はどこへ行けばいいのだろうか。明日の昼までに決めよう。
次の行き先をひとまず保留し、ホテルを探しに市街地へと向かう。旧ソ連の地方都市は街外れに駅がある場合が多く、駅前にはホテルどころかメシを食うところすらロクに無いのは当たり前。ブレストもそういう街で駅前には何も無い。跨線橋を渡って南へ移動したところに市街地がある。跨線橋の上からブレスト要塞が見えるかと思ったが、残念ながら緑の森が見えるのみ。
1939年のモロトフ=リッベントロップ協定によるポーランド分割後、ブレストはソ連領に組み込まれてドイツとの国境の街となった。1941年に独ソ戦が始まるとブレストは真っ先にドイツ軍の攻撃を受け、あっという間に破壊された。しかし、ソ連軍はここに築かれていた要塞に立てこもり、全滅するまで約1ヶ月半に渡って激しい抵抗を続けた。そのため、ブレストもミンスクやキエフなどと同様に「英雄都市」の称号を持つ。戦後、ソ連政府はわざわざ市街地を移動させてまでこの要塞の保存にこだわり、現在も博物館兼公園としてこの街を代表する観光名所となっている。
街角でバス待ちをしていたおばちゃん達にホテルを尋ねると、「インツーリスト・ホテルに行きなさい」と言われる。まあ、インツーリスト(かつてのソ連の国営旅行会社)系のホテルなら当たりは無いだろうが、外国人の利用も多いだろうからハズレもあるまい。
ブレストの街は碁盤の目状に整備された区画に中層ビルやアパートが立ち並び、街路樹がたくさん植えられていて緑豊か。でも戦後に再建された都市なので歴史的建築物は皆無、また地方都市なので雰囲気は寂しい。「リトアニアのシャウレイに似てるなぁ」と思いながら歩いていると、雨が降ってきた。そういえばシャウレイに行った時も雨が降ってずぶ濡れになったことを思い出した。しかし、今回はちゃんと傘を持っているので大丈夫。
ホテルへ到着し、フロントで空室を確認すると「1泊101,000BYR(約5,000円)」とのこと。安いとは言えないが・・・雨の中ホテルを探すのは嫌だし、どうせ1泊しかしないのでここに泊まることにする。
今夜の寝床を無事確保。しかし、雨は激しくなる一方でもう観光できそうにも無い。今夜はご飯食べてお酒飲んでおしまいかな?

ブレストのインツーリスト・ホテル

左:ブレスト駅正面
右:ブレストにあったのは指差しレーニンの像
《つづく》






