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2009.08.05 (Wed)

【世界の香ばしき国々】第48回:ローデシア(Part2)

前回の記事の続きです。

ブログのデザインを変えてみました。見やすくなったと思うのですが、いかがでしょうか?
最初、ヘッダーの部分にソ連国旗を置いてみたのですが、ロクでもない雰囲気が漂ってしまったので、ディナモ・キエフのロゴに変更しました。何だか、ディナモの応援サイトみたいになっちゃいましたね。


◆「アフリカのナポレオン」と呼ばれた男

成金帝国主義者セシル・ローズ1853年にイギリス・ハートフォードシャー州で牧師の息子として生まれたセシル・ジョン・ローズは生まれつき病弱で、鉱山で働いていた兄を頼って気候の良いケープ植民地へと移住する。
やがて健康を取り戻したローズは坑夫となるが、採掘場へ排水ポンプを貸し出す商売で成功すると、ロスチャイルド財閥(イギリスのユダヤ系巨大財閥)から融資を取り付けて南アフリカ中のダイヤモンド鉱山を買い漁った。
悪名高き「デ・ビアス鉱業会社」はローズがロスチャイルド財閥の後ろ盾を得て1881年に設立した会社で、20世紀初頭には全世界で産出されるダイアモンドの90%を独占し、厳しい価格統制を敷いて莫大な利益をあげた。

1888年、ボーア人国家(トランスヴァール共和国とオレンジ自由国)の北にある地域ザンベジア(後の南北ローデシア)が手付かずになっていることに目を付けたローズは、金や武器で各部族の酋長を懐柔して採掘権を確保。さらに地下資源の採掘のみならず、その地域一帯の統治に関する特許をイギリス政府に申請した。当初、イギリス政府は成り上がりのローズを信用しておらず特許を与えることを渋っていたが、ロスチャイルド財閥の支援を受けたローズは政府関係者に猛烈なロビー攻勢を仕掛けて許可を引き出し、1889年に『イギリス南アフリカ会社』を設立してここをを植民地とした。

アフリカの植民地(1914年)← アフリカにおける各国の植民地獲得状況(1914年)
     ※地図をクリックすると拡大します

「NORTHERN RHODESIA」と「SOUTHERN RHODESIA」と書かれている部分がセシル・ローズの獲得した土地。
見てのとおり、イタ公を自力で撃退したエチオピアと、アメリカ様の庇護の下で独立したリベリアを除き、アフリカ全土がどこかの植民地となっている。


イギリス本土の4倍を超える広大な土地を手に入れたローズは、そこを『ローデシア』と命名した。意味は「ローズの家」。こんな名前をつけるセンスから分かるとおり、ローズは傲慢極まりない成金親父かつ筋金入りの帝国主義者で、著書の中で次のような記述を残している。

神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られることを望んでおられる。出来ることなら、私は夜空に浮かぶ星さえも併合したい。

実におこがましい男である。

ちなみに、南アフリカは金も大量に産出する国だが、こちらもロスチャイルド家の支援を受けたアーネスト・オッペンハイマーなる男が『アングロ・アメリカン』という会社を設立し、莫大な利益を上げている。後に南アフリカに君臨するオッペンハイマー財閥はこうして生まれた。オッペンハイマー財閥は後にデビアス社を買収し、金・銀・クロムに加えてダイヤモンドの世界市場も牛耳る存在となった。
ローズにしろオッペンハイマーにしろ我々には想像もつかない資産を持つ大富豪なのだが、そんな彼らでさえロスチャイルド財閥の手下に過ぎないのだ。ユダヤ人が嫌われる理由が何となく分かる。


イギリスは「カイロ、ケープタウン、カルカッタを結ぶ三角形の内部を自国の勢力圏とする」基本方針(3C政策)に基づき、ケープタウンからカイロまでアフリカ大陸を南北に縦断する植民地獲得を目指していた。
一方、ドイツやポルトガルは東西に横断する植民地建設を目指していたし、オランダとは南アフリカの支配権を巡って以前から激しく対立するなど、この頃のアフリカでは欧州列強が熾烈な植民地獲得競争を繰り広げていた。

イギリス政府の意向を受けたローズは3C政策推進の尖兵となり、ローデシアの植民地化のみならずケープタウンとカイロを結ぶ鉄道の建設などにも携わった。世界最大の鉱業者となったローズは南アフリカの鉄道・電信・新聞業をも支配し、その経済力をバックに政界に進出すると1890年にはケープ植民地自治政府の首相にまで登りつめた。政治・経済の両面においてアフリカ南部を牛耳る人物となった彼は、「アフリカのナポレオン」と呼ばれた。


広大な土地を手に入れたローズだったが、ケープ植民地とは異なりローデシアには彼が期待していたような豊富な鉱物資源は埋蔵されていなかった。しかし、ローデシアはイギリス政府の直轄地ではなく南アフリカ会社の所有地なので、統治にかかる費用は当然南アフリカ会社が負担しなければならない。
経費ばかりかさんで儲けが薄いことに不満を覚えたローズは、ボーア人国家にある鉱山を手に入れるべく、1895年にトランスヴァール共和国に住むイギリス人に武器弾薬を送りつけて反乱を起こすよう陰謀を企てた。彼らが反乱を起こしたら、邦人保護の名目で南アフリカ会社が保有する軍隊が両国に侵攻し、そのまま併合してやろうという算段だ。ボーア人国家はケープ植民地とローデシアの間にあって邪魔なうえに良質の鉱山が存在する。上手いこと併合できれば一石二鳥である。

ところがローズのこの企みは、現地のイギリス人が蜂起に失敗したうえに侵攻した南アフリカ会社軍がボーア人に包囲されて全軍が捕虜になる、という惨憺たる結果に終わった。ローズの悪巧みはボーア人のみならず世界中からヒンシュクを買い、庇いきれなくなったイギリス政府も彼を見捨てたため、ローズは自治政府首相を辞める羽目となり失脚した。(ジェームソン蜂起)


ボーア人兵士トカゲの尻尾切りでローズを見捨てたイギリスだが、ほとぼりが冷めると再びボーア人国家に対してちょっかいを掛けはじめる。イギリスはこの鬱陶しいボーア人国家を何としても潰して鉱山を手に入れるつもりだった。イギリスは挑発行為を繰り返してボーア人を暴発させると、1899年に両者は戦争(ボーア戦争)を開始した。イギリス軍はボーア人のゲリラ戦に苦しめられ甚大な被害を出したが、何とか勝利して1902年に両国を併合した。
ちなみに、ローズはボーア戦争が始まるとキンバリー(現在の南アフリカ共和国北ケープ州都)にある自分の鉱山を守るため現地へ向かったが、攻め込んできたボーア人の部隊に4ヶ月間も包囲される羽目となり、これが原因で体調を崩して1902年に49歳の若さで病死した。

ローズは生涯独身を通したため、膨大な遺産の大半はオックスフォード大学に寄贈された。大学はこれを元手に「ローズ奨学基金」を設立して優秀な学生に奨学金を提供するが、ローズの遺言により対象となるのはイギリス人・ドイツ人・アメリカ人に限定されていた。(※1)
余談だがビル・クリントン元アメリカ大統領もかつてローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学した経験を持つ。「ローズ奨学金を貰ってオックスフォード大学に留学」というのはアメリカ人にとってはエリート中のエリートの証だそうな。

※1:ローズ奨学制度
ローズはアングロ・サクソンこそ最も優れた人種であり、アングロ・サクソンによる支配が人類全体の幸福に繋がると信じていたから。しかし、差別的と批判されたので後に対象者を拡大している。



18:29  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2009.08.01 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第47回:ローデシア(Part1)

皆様、お待たせしました。「香ばしき国々」、久しぶりの更新です。
今回登場する国は「ローデシア」。かつて南アフリカと共にアパルトヘイト政策を推進し、白人至上主義の極悪国家として世界中に悪名を轟かせましたが、1980年に消滅して今は「ジンバブエ共和国」となっています。

当コーナーの第一回でジンバブエを取り上げており、そこでもローデシアについて少し触れているのですが、何しろあれは3年も前によく分からないまま書いたもの。いずれきちんとした形で書き直したいと以前から思っていました。
今回はローデシアについてのみとしますが、ジンバブエについてもいずれきちんとした形で再登場させたいと思っています。


◆ジンバブエって、どんなハエ?

ハエの名前ではなく、13~14世紀にこの地で栄えた王国の名前が由来。ジンバブエの人口の70%を占めるショナ族の言葉で「石の家」を意味し、その名のとおり彼らは石造建築に関して優れた知識を持っていた。ショナ族の支族であるカランガ族が建設したと考えられているこれら巨大石製建築物群は「グレート・ジンバブエ遺跡」として世界遺産にも登録されており、このどうしようもない国の数少ない観光名所となっている。
現在の「ジンバブエ共和国」と区別するため『グレート・ジンバブエ』と呼ばれているこの王国は、遥か彼方のインドや中国とも交易を行って栄えたという。14世紀に最盛期を迎えるが、あまりに進んだ文明を持ちすぎたせいか森林伐採やそれに伴う土壌疲弊、土砂流出などの環境破壊を招き、旱魃や飢饉等何らかの天災によって15世紀後半には突如として滅びてしまった。

廃墟と化したグレート・ジンバブエ遺跡は19世紀になって白人に発見されるが、そのスケールの大きさや建築技術の高さに驚いた白人研究者は、「未開人の黒人にこんなものを作れるはずがないので、これはアラブ人が作ったものに違いない」と決め付け、記録が残っていないのをいいことに20世紀半ばまでまもとに研究しようとしなかった。
当時、この地域はイギリスの植民地だったり、「ローデシア」なるアパルトヘイト国家が統治していたため、この遺跡は「黒人はアホだから俺達が指導してやらなくてはならない」と考える白人にとって非常に都合が悪かったからだ。

グレート・ジンバブエが衰退するとモノモタパ王国(マンボ王国)やロズウィ王国(ロジ王国)が金や象牙を輸出して栄えるが、16世紀になると他民族が領内に大移動してきたり、黄金に目をつけたポルトガル人の襲撃を受けたりして衰退していった。しかし、ポルトガルには内陸部へ進出するだけの力は無く、ジンバブエはいくつもの小国が分立する状態が続く。
当初、アフリカに進出した白人は基本的に沿岸部に拠点を築いて貿易や奴隷狩りをする程度で、不便なうえに風土病がある内陸部にはあまり積極的に進出しなかった。しかし、18世紀末になるとアフリカは産業革命によって工業化した欧州への原料供給元として注目され、欧州列強は鉱山開発や農場建設のため競って内陸へ進出するようになった。

グレートジンバブエ遺跡
グレートジンバブエ遺跡。世界遺産にも登録されている。


白人がアフリカ大陸南部へ進出したのは17世紀。オランダ人が東インド植民地(現インドネシア)と本国を行き来する際の補給基地を現在のケープタウン周辺に建設したところから始まる。やがてオランダ人やフランス人が基地周辺への入植を開始し、そこは『ケープ植民地』と呼ばれるようになった。入植者は農民が多かったことから比較的すぐに土着化し、彼らは「ボーア人」とか「アフリカーナー」と呼ばれるようになった。
当時のオランダは東南アジアやインド南部、さらには南北アメリカ大陸にも植民地を持つ大国だったが、17世紀後半に英蘭戦争でイギリスに敗れてからは没落の一途を辿り、ケープ植民地も1814年にはイギリスに奪い取られた。

イギリスは他国に先駆けて19世紀前半に奴隷貿易の禁止に踏み切っているが、ボーア人には黒人奴隷の労働力に依存する農場経営者が多かったため、彼らの生活は大打撃を受けた。しかもイギリス統治下では、彼らは「英語を話せない二流市民」として差別された。黒人を差別していたボーア人が、今度はイギリス人によって差別される立場となったのだ。
結局、ボーア人はケープ植民地を捨てて北方の内陸部に大移動し、1852年に『トランスヴァール共和国』、1854年に『オレンジ自由国』という二つの国を建国した。両国は姉妹のような関係で、共通の大統領を戴いていたこともある。

トランスヴァール共和国・オレンジ自由国位置図
トランスヴァール共和国・オレンジ自由国位置図
後に両国とも南アフリカ連邦に併合され、トランスヴァール州、オレンジ自由州となっている。
スワジランドとレソトが残っているのは、ズールー族やボーア人の侵略に悩まされた両国が自ら進んでイギリスの保護領となったため。



内陸へ移動して新国家を建設したボーア人だが、彼らに安息の日が訪れることはなかった。領内で大規模な金やダイヤモンドの鉱床が見つかったからだ。この鉱物資源のせいで両国は再びイギリスから付け狙われることになってしまった。
金やダイヤモンドが埋まっているのが分かった以上、掘り出さない手は無い。しかし、農場経営者が多いボーア人は金やダイヤを掘り出すための技術も資金も持っておらず、結局は多数のイギリス人資本家や技術者が両国へ進出することを許す羽目となった。
ボーア人は「俺達、また追い出されちゃうのか?」と警戒心を募らせ、イギリス人に参政権を与えず、さらに彼らが起こした事業に対して重税を課したため、イギリスとの関係はさらに険悪になった。

一方、その両国の北に広がる未開の地ザンベジア(後のローデシア)はまだどこの植民地にもなっていなかったが、19世紀半ばにイギリス人探検家デイヴィッド・リヴィングストンによってこの地の様子が欧州に伝わると、セシル・ローズなる実業家が進出してこの地で鉱山開発に乗り出す。

19世紀半ばに撮影されたボーア人一家の写真 
19世紀半ばに撮影されたボーア人一家の写真


21:03  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2006.02.06 (Mon)

【世界の香ばしき国々】第1回:ジンバブエ - これなら白人支配のほうがマシ?

先日、ジンバブエ人との会話をネタに記事を一本書いたところ、友人から「ジンバブエが酷いというのは分かったが、何がどう酷いのだ?」という指摘を受けまして・・・。という訳で、週末の間に少しずつ頭の中にある知識を整理したり調べものをしたりして、ジンバブエについて簡単にまとめてみました。
以前から世界中の香ばしい国や独裁者をネタしてシリーズで書いてやろうと思っていたので、これを機に始めてみることにしました。
つーわけで、第一回はジンバブエ。

◆ジンバブエってどこだ?
ジンバブエはアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北東に位置する国で、周辺国と同様に
ジンバブエ国旗かつてはイギリスの植民地となっていた国である。どこだそりゃ?と言われそうだが、かつてはローデシアという名前の国だったと言えば思い出していただけるだろうか。そう、一時は南アフリカとコンビを組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)で世界に悪名を轟かせたアフリカの白人国家のあの国である。

ジンバブエ位置図黒人の独立ゲリラ達は1980年に白人政権を打倒し、新たに「ジンバブエ共和国」を建国する。初代首相となったロバート・ムガベ(現大統領)は要職に白人をそのまま留任させるなど白人と黒人の共存を目差した政策を行い、その現実的な政治手法は隣の南アフリカがアパルトヘイトから脱却するためのモデルとして賞賛された。独立した途端に白人を全て追放して農地や企業を国有化した結果、経済が破綻してたちまち飢餓地獄に陥った隣国モザンビークなどと比較すると、当時のムガベ首相の現実的な政策が評価された理由がよく分かるだろう。



面積は39万k㎡(日本とほぼ同じ)、人口は約1,290万人(2003年)、一人当たりのGDPは1,045$(2005年)。GDPだけを見ると案外悪くないのだが、人口の少ない国は数値が高めになるし、貧富の差も激しそうな国なので、あまり参考にならないかもしれない。


◆ジンバブエの歴史
ジンバブエは13世紀頃には独自の王国を持つほど栄えていたが、16世紀になるとポルトガル人の侵入に悩まされるようになり、19世紀後半には南アフリカ会社の統治を経てイギリスの植民地に組み込まれ、第一次大戦後にはイギリス領南ローデシアとなった。植民してきたイギリス人を中心とする白人は、黒人から肥沃な土地を奪い、彼らを使ってタバコ栽培や牧畜を行う農場を経営していた。
第二次世界大戦後は北ローデシア(現ザンビア)やニヤサランド(現マラウィ)などと共に「ローデシア・ニヤサランド連邦」を結成して英連邦内の準独立国となったが、1950年代末から'60年代初めにかけてアフリカ諸国が独立していく中、北ローデシアとニヤサランドが1964年に相次いで黒人国家として独立してしまい、連邦は崩壊する。
当然南ローデシアでも黒人達の独立運動が起きた。宗主国イギリスは黒人国家の独立を認めようとしたが、ローデシア南部は比較的白人人口が多かったため、武装した白人達はイギリス本国から派遣されていた総督を追放し、1965年に一方的に独立を宣言して「ローデシア共和国」を建国する。

総督を追放されたイギリスは当然大激怒。このような独立が認められるはずもなく、国連でもローデシアの独立不承認と外交関係断絶が決議され、ローデシアは国際社会から孤立した。しかし、イギリスはローデシアに武力を行使しようとはせず、国連も石油の禁輸を中心とした経済制裁にとどめた。各国は「ローデシアは内陸国なので、経済封鎖を行い外貨獲得源である農作物や鉱山資源の輸出や石油の輸入を止めてやれば、1~2年で音を上げるだろう」とたかをくくっていたのだ。
ところが予想は大はずれ。アパルトヘイトの同盟国南アフリカ、ポルトガルの植民地だったモザンビークといった同じスネに傷を持つロクデナシの隣国がローデシアを助けてしまい、ローデシア産の農産物や鉱物は産出国を誤魔化して輸出されることに。イギリス資本が撤退したことで地元の白人が基幹産業を担うようになり、むしろ経済は発展していった。


が、そんな美味しい時代も長くは続かなかった。
他国が次々と植民地を手放していく中、ポルトガルだけは頑なに植民地を手放すのを拒否し続けた。しかし、1974年にポルトガルでカーネーション革命と呼ばれる政変が起き、社会主義政権が成立する。社会主義政権は全ての植民地を放棄する方針を打ち出し、これを受けて隣国モザンビークではマルクス主義を掲げるモザンビーク解放戦線(FRELIMO)が翌'75年に「モザンビーク人民共和国」を建国する。'75年といえば東西冷戦の真っ只中。当然モザンビークはローデシアにもちょっかいを掛け始める。後のジンバブエで二大政党として活躍するジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)やジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)といった反政府ゲリラがモザンビークの支援を受け、一気にゲリラ活動を本格化させた。

貿易の拠点だったモザンビークを失ったのみならず、ゲリラの襲撃に悩まされるようになったローデシアの経済はみるみるうちに衰退する。苦境に陥ったローデシア政府は黒人にも参政権を与えたり、黒人を首相に抜擢して打開策を図るが、政府や軍、裁判所といった国家の要職は全て白人に支配されており、これでは黒人首相も白人の傀儡に過ぎない。所詮は小手先の懐柔策なので、国連も新政権を承認せず、反政府ゲリラも闘争を止めない。ついに白人達は今までのような政治を続けることを断念し、1979年にイギリスの仲介の下で「白人が所有する農場を没収せず、独立後に政府が市場価格で買い取る」という条件付きで調停を行い、'80年に「ジンバブエ共和国」が誕生する。


◆独裁者ムガベ大統領
ロバート・ムガベ大統領総選挙ではムガベ率いるジンバブエ・アフリカ国民同盟・愛国戦線(ZANU-PF)が勝利し、彼が初代首相に就任する。ムガベは長年にわたりローデシアの白人政権と戦い続けた独立闘争の英雄だった。
首相となったムガベは前述のとおり白人・黒人の融和を強調する政治を行い世界各国から賞賛されたのだが、徐々に独裁色を強めていく。1985年に大統領制に移行、'87年にかつての白人政権との協定が切れると白人優先議席を廃止。さらには、野党第一党のZAPUも非合法化して一党独裁体制を築いた。

先に述べたように、ジンバブエは建国時に支配階級だった白人達と「政府が白人農園主から土地を市場価格で買い取る」という協定を結んでいる。政府はアメリカやイギリスを中心とする世界各国から融資を受けて白人の農場を購入し、貧しい黒人に分配した。 しかし、土地の配分を受けた黒人農民の多くは営農技術を何も教えてもらえないまま土地だけ与えられたため、生産効率が大幅に下がることに。
ジンバブエ(ローデシア)はアフリカ南部では南アフリカに次ぐ経済大国であり、その潜在能力にかけて資金を援助していた各国は、融資した資金が焦げ付く可能性が生じたことからジンバブエ政府が白人の農場を買うための資金の融資を渋り始めた。他のアフリカ諸国や長期政権が続く国と同様に政権の腐敗が酷く、優先的に土地の分配を受けた人の多くがムガベや政府高官の親族や関係者だったことが新聞で暴露されたりもしている。

苦境に陥ったムガベは「黒人が先祖代々耕してきた農地を白人に奪われたとき、黒人は何の補償も受けられなかった。だから今、白人が独占する農地を没収して黒人に返しても、ジンバブエ政府は何も補償する義務はない。白人が補償を求めるとしたら、その相手はかつての宗主国イギリスになるはずだ」という主張を始めた。 このような主張はジンバブエ建国時の協定に反するものであることから、英米はすぐにムガベ政権への支援を打ち切った。
1997年には、国際金融危機の影響でジンバブエドルも急落して外貨が底をつき、ムガベはIMFに支援を求めたが、土地問題での譲歩を拒否したため断られた。結果、激しいインフレが発生し、失業率は70%に達した。


こうなってはいつ政権を追われても不思議ではない。政権を追われるどころか、クーデターや内戦によって殺されても不思議ではない。絶体絶命のピンチに陥ったムガベは民族対立や地域格差を煽って国民の不満を逸らそうとする。これは別にジンバブエに限らず、国家運営に失敗した政権が使う常套手段である。
ムガベは白人農家に対する強制土地収用政策をさらに進め、1999年に「政府は白人の土地を没収できる」という条項を加える憲法改正を提案するが、国民投票で55%の反対で否決されてしまった。もはや、国民は土地を配分するというムガベの約束を信じなくなっていたのである。
憲法改正にもしくじったムガベは、かつてローデシアからの独立戦争で共に戦った退役軍人たちを扇動し、白人の農場を襲撃させた。黒人が襲撃した農場の数は約1,000ヵ所に及ぶという。こうして、「いつまでも既得権益を貪る白人を叩きだせ」という民族主義を煽ることに成功したムガベは、白人が経営する農場を強制収用し、黒人農民等に再配分することを目的とした土地改革政策「ファスト・トラック」を2000年に開始する。政府は1,100万ヘクタールの農場(約5,000農場)を強制収用し、大多数の白人農場主は十分な補償もないまま土地を追われることとなった。

本来は経済政策の失敗が問題であるにもかかわらず、ムガベによって白人対黒人という人種対立にすりかえられてしまったため、第三者が仲介することは難しい状況にある。イギリスあたりが仲介しようにも、他のアフリカ諸国から「白人を擁護し、植民地主義の復活を狙うものだ」との反発を受けかねず、南アフリカも仲介する姿勢を見せているが、南アフリカ自身にも黒人と白人の対立があり、下手に手を出すと自国の内政問題に飛び火しかねない。


◆ジンバブエの現状
2002年に行われた大統領選挙は、ムガベとチャンギライ民主変革運動(MDC)党首により争われたが、ムガベが再選され4選を果たした。MDCは大統領選挙の無効を主張してデモを行ったが、政府は治安部隊の出動、チャンギライ党首逮捕などの強行的措置で報復した。2004年には、NGO規制法、情報アクセス・プライバシー保護法、選挙委員会法等を相次いで改正・成立させ、野党やその支持者への締めつけを強化している。

ファスト・トラックによる農業経済システムの崩壊、援助の停止や国際的な信用低下に伴う資金流失に加え、干ばつによって食料不足が深刻化し飢饉が発生しているという。かつて、「アフリカの穀物庫」と呼ばれ、農産物で外貨収入の約半数を占めていた国の面影はどこにも無い。2002年の経済成長率は-12.1%、2003年には600%を超えるインフレ率を記録し、IMFから見捨てられそうになるなど経済は壊滅的な状況にある。さらに、成人の25%はHIVに感染し、アメリカからは「圧政の拠点」として北朝鮮、キューバ、ミャンマー、イラン、ベラルーシと共に批判されるなど、そのダメさ加減はとどまるところを知らない。

1921年生まれのムガベは既にいつ死んでもおかしくない年齢であることから、かつてのローデシア首相だったイアン・スミスや野党MDCが政権を狙っているが、ここまでズタズタになった国を立て直すのは容易ではないだろう。

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