2006バルト三国旅行記(その41) - 散歩のつづき(9月13日)
◆バリケードの博物館
早起きしたので早朝のリガ旧市街をブラブラと歩くが、風邪をひいているせいかすぐに疲れてしまった。ホテルに戻ることにするが、大聖堂の裏手に小さな博物館を見つけたので入ってみる。「1991年のバリケード博物館」と書いてあるが、裏路地に面した普通の家の2階にあるので誰も気づかないのではないだろうか。
玄関のドアを開けて中に入ると階段があり、その傍らにバリケードの残骸が置いてある。
東西ドイツ統一や冷戦の終結を受けて、バルト三国では1980年代末から独立運動が起こっていた。この博物館は、その独立運動真っ只中の1991年1月にソ連内務省治安部隊の襲撃を受けた際に市民が作ったバリケードに関する博物館らしい。
1991年1月といえば、リトアニアでもランズベルギス大統領が独立を叫んで国会議事堂に立てこもり、市民が大統領を守るべく国会議事堂の周りにバリケードを築いてソ連の治安部隊と戦っている。そのバリケードの一部は今でも国会議事堂の裏に残っている。
どうやら、リガでも同じようなことがあったらしい。意外だ。
とにかく、にゃおんちゃんのラトヴィアに対する印象は悪い。ロシアのチャットで遊んでいたときも話をしたラトヴィア人は失礼な奴だったし、実際にこっちへ来てもリエパーヤの街はボロボロだし、歩いていてもやたらジロジロ見られるし、とにかく感じが悪い。リトアニアでは皆気さくに話しかけてきたのにねぇ。以前にかのノーベル賞作家ソルジェニーツィンの「収容所群島」を読んだ際、ラトヴィア人のことがボロクソに書かれていて驚いたことがある。「収容所群島」はソルジェニーツィンが収容所に入れられた体験を小説にしたものなのだが、頭のイカレた残虐なラトヴィア人がやたらと登場する。ソルジェニーツィンに言わせれば、「ラトヴィア人は、リトアニア人やエストニア人とは明らかに異なるヤバい奴らばかり」ということらしい。
何せ、にゃおんちゃんのラトヴィアに関する知識はこの程度なので、バリケードを作って治安部隊と戦ったなどという話を聞くと非常に違和感がある。
誰ですか、そこ!
「ラトヴィア人はバルトの朝鮮人か?」と言っている人!
そんな感じで少々困惑気味のまま中へ入り、階段を上る。2階に上がると受付があり、おばちゃんが座っていた。どこから来たか尋ねられたので「日本」と答えると、「日本語のパンフレットもあるわよ」と言われる。販売されているパンフレットを見ると、おばちゃんの言うとおり日本語のものもあったが、ショボいので買わないことにする。
民家の一室を改造したものなので大きなものは置いておらず、主に写真やポスターなどが飾られている。ジオラマを見ると、どうやら大聖堂の前のドゥーマ広場を車や有刺鉄線を巻いた鉄骨で封鎖し、立てこもって戦ったらしい。
面白かったのが、館内に置いてあるモニターで流していた当時の映像。現場で撮影されたもので、怪我をした人が血を流しながら何かを叫んでいたり、治安部隊から狙撃されてカメラをかついだまま逃走したので映像がブレまくっていたり、と非常に生々しい。当時の緊迫した情勢と、「独立を!」と叫ぶ民衆の高揚感がよく伝わってくる。音声と字幕は全てロシア語やラトヴィア語なので、何を言っているのかまるで分からないのが難点だったが、ショボい展示物よりもよほど面白くて見入ってしまった。

「博物館内部に飾ってあったパネル」
◆ブラックヘッドのギルド
サクッと見て帰るつもりが、意外に面白くて長居してしまった。また熱っぽくなってきたので、さっさとホテルに帰ることに。その途中にあるのが、これ。

リガのシンボル「ブラックヘッドのギルド」だ。その大きさといい、精巧な彫刻といい、見事としか言いようがない。残念ながらオリジナルは独ソ戦の際に壊れてしまったので、現在あるものは4年間の歳月を費やして2000年に復元したもの。いや、それにしたって見事だわさ。あまりの凄さに、しばし見とれてしまう。その横にある聖ペテロ教会もすごい。
ブラックヘッドのギルドがある広場は「市庁舎広場」といい、北に市庁舎、南にブラックヘッドのギルド、東に聖ペテロ教会、西に占領博物館と観光スポットに囲まれている。

「リガ市庁舎」
クラシックな外観だが、中は改装されていてモダンなつくりになっている。真ん中にある塔はエレベーターで上がることができる。何度か行こうと試みたが、いつも混んでいて断念した。
この近辺に来ることが多かったので、来るたびにここのトイレを利用していた。わはは

「聖ペテロ教会とブラックヘッドのギルド」
聖ペテロ教会はデカすぎて写真に納まりきらず、こんな写真しか無い。

路上でのんびりと毛づくろいしていた猫。話しかけると、「うにゃ〜」と返事をした。
この国は、人間は無愛想だが、猫は愛想が良い。
2006バルト三国旅行記(その40) - 早朝のリガをお散歩(9月13日)
◆「バルトのパリ」という異名は伊達ではなかった(9月13日)
どこからか蚊がまぎれ込んだようで、うるさくてあまり眠れなかった。8時半に目が覚めたが、まだ熱っぽい。とはいえ、気分はそれほど悪くないので、朝食を食べに外出することに。早朝の旧市街地をブラブラと歩く。天気は良いが空気はひんやりしている。
出勤途中のスーツ姿の人をたくさん見かけた。まるで映画のセットのような街並みだが、住んでいる人はちゃんといるらしい。
ホテルから北に向かって当ても無く歩くと、旧市街地の真ん中にある「リーヴ広場」に着いた。オープンテラスのカフェテリアがたくさんあるが、早朝なので全て閉まっている。お腹すいたー。
広場の北側にある黄色い家が「猫の家」。屋根のてっぺんに風見鶏ならぬ風見猫がいる。しかも黒猫だ。おはよう、我が同胞よ。
リーヴ広場から東の「ピルセータス運河」へ向かう。実際には運河というより小さな川で、新市街地と旧市街地の境目になっている。河川敷は公園になっていて、木々や花々に彩られている。きちんと手入れも行き届いているし、街並みはヴィリニュスよりも美しい。
そういえば、この国は有料トイレが多く、金を取っているだけあって清潔なトイレが多い。そんなこともあって、リトアニアよりも何事にもきちんとした印象を受ける。ラトヴィア人はお行儀が良い?
運河に掛かる橋の向こうに巨大な女神像が立っている。「自由記念碑」という名前の像で、帝政ロシアからの独立を記念して1935年に建てられたものだという。ラトヴィアは3つの地方から成る国なので、台座の上に立つ女神は3つの星を天に向かって掲げている。そして、その下にはソ連に併合される前の時代の軍服を着た衛兵が立っており、ピクリとも動かない。
どう見てもラトヴィアの自由と独立を象徴するようなデザインなのに、ソ連時代に破壊されなかったのは奇跡に等しい。

再び旧市街地へ戻り、さらに北へ向かうが、適当な食べ物屋が見つからない。その代わりレートの良い両替屋を見つけたので、入ってみることに。ところが、にゃおんちゃんがこのときに持っていた1万円札は偽造防止用ホログラムが無いタイプのもので、「ホログラムがついたものじゃないとダメよ」と両替を拒否される。偽札じゃないってば・・・。(;´д`)トホホ
しかし、すぐそばに似たようなレートの両替屋があったので、そちらで両替に成功。ラトヴィア・ラトを補充する。
すぐそばになにやら面白い形の建物が。14世紀に立てられた塔で、火薬庫として使われていたものらしい。現在は軍事博物館になっている。中に入りたかったが、開館前だったので諦めて移動する。
城壁の裏手からスウェーデン門を通って、国会議事堂と三人姉妹の前を通り、ドゥーマ広場に出る。広場自体は何も無くてだだっ広いだけなのだが、その広場に面して立っている「リガ大聖堂」のデカさが半端ではない。ヴィリニュスの大聖堂の倍以上の大きさなのだ。
ここもまだ開館前で中には入れず。アコーディオンを演奏しているおじさんを眺めながら一服して休憩する。
とにかく旧市街地の建物と景観は凄い。ドイツ人が「ここはドイツ以上にドイツらしい」と驚くのだから、相当なものなのだろう。ゴシック様式の建物が多いような印象を受けたが、バロックやらロマネスクっぽい感じの建物もある。独ソ戦で破壊されてしまったものも多いが、かなり再建が進んでいる。
ヴィリニュスの旧市街地は低層の建物が多く、壁の色もパステルカラーで優しい感じなのだが、こっちの建物は尖った屋根とレンガ色の壁を持ち、3〜5階建ての建物がずらりと並んでいるので、狭い路地を歩くと結構な威圧感がある。
リトアニア人の友達ユリアが「リガは凄いわよ」と言っていたのも納得。
「スウェーデン門」
17世紀のお話。当時のラトヴィア人女性は外国人と会うことを禁じられていたが、近くの兵舎に住んでいたスウェーデン人の兵士に恋した娘がここで逢引きを重ねていたという。ところが、ついに見つかってしまい、その娘は罰としてこの門の壁に塗り込められてしまったそうだ。
可愛らしい建物だが、夜になると娘のお化けが出るという・・・。((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
「国会議事堂」
一国の国会議事堂とは思えないほど小さい。どうみても市役所庁舎の別館か何かにしか見えない。
「三人姉妹」
三軒とも中世に建てられたもので、肩を寄せ合うようにして建っていることから、この名前がついたという。中に入れるようだったが、ロシア人観光客でごった返していたのでパスした。
「リガ大聖堂」
13世紀に建てられた巨大な教会。とにかくバカでかい。何度も増築されて現在の姿になったようで、いくつかの建築様式が混在している。中には立派なパイプオルガンがあり、週末にはコンサートが開かれるという。
2006バルト三国旅行記(その39) - バルト海の真珠・リガ(9月12日)
沸騰コーヒーをかぶるのに忙しくて放置していた旅行記を突如再会。去年の9月のことを今頃になってグダグタと書くのが黒猫クォリティ。
【あらすじ】
・寝坊して飛行機に乗り遅れそうになる
・何とか間に合って一路フィンランド経由でリトアニアへ
・心のふるさとヴィリニュスへの帰還を喜ぶ
・カウナスへ行き、メーメル川の辺で「世界に冠たる我がドイツ」を熱唱
・シャウレイの「十字架の丘」へ行き、その壮絶な光景に絶句する
・クライペダへ行き、ドイツ帝国の名残を探す
・ついでに、「おまいら、独逸を何だと思ってやがりますか!」とシャウト
・バルト海に沿ってラトビアへ侵入
・リエパーヤのうらぶれまくった街並みに腰を抜かす
・そんな田舎街で日本人の集団と遭遇してさらに腰を抜かす
・窓を開けたまま寝て風邪をひく
・クルディーガへ行こうと思ったが、体調が悪いので首都リガへ
◆バルトの都リガへ
かつてソ連海軍の軍港都市だったリエパーヤ。街外れにある軍港地区へ行くが、巨大なオンボロ教会「海の大聖堂」以外はこれといったものが無く、街中心部へ戻る。この街に来たときには手持ちのラトビア・ラト(LVL)が無くて乗れなかったトラム(路面電車)に乗ってバスターミナルへ向かう。料金は0.12LVL(30円弱)。
この街のトラムは19世紀末に作られたもので、ヨーロッパでも最も古いもののひとつだという。その割には、写真で見てのとおり土はむき出しだし、雑草なんか生えちゃってて貧乏臭いことこのうえない。
トラムの車両のほうはいたって普通。エストニアのタリンのガタガタのオンボロに比べれば、はるかに新しくて綺麗。
バスターミナルへ着くが、次のバスまでしばし待ち時間がある。駅前のコンビニもどきでホットドッグを買って食べ、手持ちの薬を手当たり次第に飲んで誤魔化す。風邪は酷くなる一方で、寒気がする。天気が良いので日向ぼっこをして過ごそうかと思うが、風が冷たくて無理。かといって待合室は日当たりが悪くて薄暗いので、余計に寒気がする。仕方ないので、日は当たるけど風は当たらない場所で隠れるようにしてバスを待つ。
1時間ほどそんなことをして時間を潰した後、14:20分のバスでリガへ向かう。料金は4.5LVL(約1,000円)。チケットを見ると座席指定になっているが、車内には余裕があるので皆すぐに思い思いの場所へ移動する。
バスの窓から景色を眺めるが、田園風景が広がるばかりで目を惹くものは何も無い。唯一気づいたことは、リトアニアでは何に使っているのかよく分からない耕作放棄地みたいな土地がやたら目についたが、ここでは放牧地やら飼料を栽培する畑やら、土地がどのように利用されているかはっきり分かったことくらいか。
バスはひたすら一般道を走る。リガ−リエパーヤ間は高速道路も鉄道も無いのだ。 リトアニアはヴィリニュス−クライペダ間には高速道路が整備されているし、少し遠回りになるとはいえ鉄道もあるというのに・・・。ラトビアの印象がまたひとつ悪くなる。
このバスも、クライペダ−リエパーヤ間と同様、何も無い野原のど真ん中にある停留所で人が乗り降りしていた。多分、道路から少し離れた森の中やその向こうに村があり、彼らはそこの住民なのだろう。村のあるところに幹線道路を作らないのは、共産主義国家だったからなのか、効率優先で道路を作ったからなのか。
17:30、リガに到着。ダウガヴァ川の向こうに建物が密集しているのが見える。バルト海沿岸の田舎巡りをしてきた後なので、すごい都会に来たような気がする。
バスを降りて辺りを見渡すが、街に活気があり、道行く人も何やら慌しく、都会の匂いがプンプンする。バスターミナルもヴィリニュスよりもはるかに大きく、行き交う人の数も多い。さすがバルト最大の都市(といっても人口80万人程度だが)、のんびりした雰囲気のヴィリニュスとは全然違う。
リガのバスターミナルは駅の裏手にある。運河にかかる橋を渡り、鉄道のガードをくぐると、そこは「1月13日通り」。1月13日はラトビアの独立記念日に当たる。
リガの駅前通りに当たるこの通りは、8車線の広い道路でトラムも走っている。リガ駅は大都市の駅にふさわしい大きな建物で、商業施設が併設されている。その隣には「ストックマン」(フィンランド資本の百貨店でバトルでは結構見かける)と「コカコーラ・プラザ」という大きな映画館がある。都会だ。都会ですよ、ここは!
と感激するが、具合が悪いのは治らない。ホテルを探してウロウロする体力は無いのでサクッと決めることにする。一件目に行った旧市街地のホテルは満室でアウト。次に駅のそばにある「フォルムス・ホテル」ヘ。1泊46LVL(約1万円)で若干の予算オーバーだが、寒気は酷くなる一方で、もはやそんなことを言っていられる場合ではない。あまりに体調が悪く、仮眠を取らないと動けないほどだったのだ。
ひと眠りすると20時になっていた。1時間ちょっと寝ていたようだ。少し具合が良くなったので、食い物屋を探して旧市街を歩く。狭い路地に尖った屋根を持つレンガ色の建物が覆いかぶさるようにして立ち並んでいる。思いっきりドイツ風だ。まるで古いヨーロッパの童話の世界に迷い込んだような気分になる。「バルト海の真珠」と呼ばれた街並みは本当に素敵だ。街並みだけはね・・・。
適当に歩いていたら見つけたイタリアン・レストランでパスタを食べる。注文を忘れられていたようでひどく待たされたが、美味しいパスタだった。寝酒としてワインを飲んだのは内緒。
熱が出て寒気がする状態で遊びに行く気になるはずもなく、再び手持ちの薬を手当たり次第に飲んで速やかに寝る。
2006バルト三国旅行記(その38) - バルチック艦隊の遺産を探して(9月12日)
前回の記事の続きです。
風邪をひいて具合悪いにゃおんちゃんでしたが、リエパーヤの街外れにある軍港地区へ向かいます。かつてバルチック艦隊の母港だった港です。
◆軍港地区を歩く
バスに乗って軍港地区へ行ったにゃおんちゃん。ところがバスは妙に変な経路を走る。
下の地図が軍港地区(ラトビア語で"KAROSTA"という)のもの。見てのとおり掘込港で、海への出入口近くに橋が架かっている。この橋を通ればすぐに行けるのに、何故かバスはわざわざ東側から回り込む経路を走っているのだ。しかし、いくら悩んでも仕方ないので、「このバスはそういう経路のバスなのだろう」と考えることにした。
堀込の向こうは東側が工場地帯で、西側が居住地区になっている。工場はかなりくたびれていたが、現在でも操業しているような感じだった。ソ連時代に立てられた集合住宅が立ち並ぶ地域に差し掛かると、乗客がひとり、そしてまたひとりと降りていく。 
そして、上の地図で"KAROSTA"と書かれている辺りまで来ると、乗客はにゃおんちゃん一人となった。にゃおんちゃんが見に行きたい「海の大聖堂」はこの近辺なのは間違いないのだが、どこでバスを降りていいのか分からなくて悩んでいると、運転手のおじさんが話しかけてきた。
「お前、どこに行きたいんだ?」と言うので、地図を見せて場所を伝える。すると、運転手は「もう通り過ぎちゃったぞ」と言ってバスを止めた。「ここから少し戻れ。それほど遠くないから」という運ちゃんの指示に従い、その場でバスを降りて来た道を歩いて戻ることになった。
バスを降りて辺りを見回すと、広い道路に沿って集合住宅が立ち並ぶ大きな団地だった。道路には街路樹が立ち並び緑も多く、遊んでいる子供や散歩している親子がいたりして中々良い光景に見える・・・。が、ボロいのだ。何もかもボロい。
道路はガタガタで埃っぽいし、集合住宅はどれも外壁が色あせていてかなり年季が入っている。ソ連時代には海軍関係者が住む立派な団地だったのだろうが、ソ連崩壊以降はロクに手入れもされていないようで酷くみすぼらしいものに変身していた。中心街から遠く離れたところにあるこの団地は今では低所得者が住む地域となっているようで、はっきり言うと・・・はっきり言うとみすぼらしい老人や若者が多かった。夜には来ないほうがいいだろう。
リエパーヤ自体が相当みすぼらしいのだが、この一体はさらにみすぼらしい。またしてもショックを受けた。

スラム・テイストがほんのり漂う団地を歩いていると、突如巨大な寺院が現れた。これが「海の大聖堂」だ。それほど歴史があるわけでもなく、観光名所でもないのだが、とにかくデカい。ヴィリニュスで見た寺院や教会よりもデカい。帝政ロシア時代にロシア人がこれ見よがしに建てたのだろうか?
教会周辺にいた人達は皆ロシア語を話していた。この建物がロシア正教の教会なのだから、ここにいるのはロシア系の人が多いのは当然だろう。
中に入ると、至って普通の正教会だった。特にすごいフレスコ画や祭壇があるわけでもない。手入れはしているものの老朽化には勝てないようで、あちこちに痛みが目立つ。お婆ちゃん数人が熱心にお祈りをしていた。神様は貧しいこの街の貧しい地区に住む貧しいこの人達を救ってくれるのだろうか?
教会を出てトボトボと歩くが、とにかくこの教会はデカい。しばらく歩いてから振り返ってみるのだが、ちっとも小さくならない。広くて真っ直ぐな道路の突き当たりにこの巨大な教会が鎮座していているので遠近感が狂ってしまい、自分がとれほど歩いたのか全く分からない。
バルチック艦隊の名残を探そうと辺りを散策するが、とにかく広い。自転車でも無いことにはどこにも行けない。海辺にすら徒歩では行けないのだ。
市街地に戻ることを決断し、港にかかる橋を渡って帰ろうとするが、橋を見て愕然とする。
バスが遠回りしたのはこれが原因だったのだ。大きな船が通る場所なので開閉式の橋が架けられていたのだろうが、見るも無残にぶっ壊れている。一体何があったのだろうか?船でも激突したのだろうか?この橋が壊れているばかりに軍港地区の住民は遠回りを強いられているわけだが、生活道路を直す金が無いほど貧乏なのだろうか?
橋のたもとで釣りをしていたおじさんを見ていたが、おじさんに怪しまれたので退散する。
風邪をひいて具合が悪いうえに無残な光景を見て落ち込んでしまった。時間も昼を過ぎていたので、そろそろバスターミナルに戻ることにする。橋を渡れないので、近くのバス停からバスに乗り、再び遠回りをして帰った。
2006バルト三国旅行記(その37) - また風邪をひいてグッタリ(9月12日)
風邪を引いたにゃおんちゃんは、グッタリしながらリエパーヤの軍港地区を目指します。
◆日本人青年がバルトで感じたこと
ひとりでチビチビとビールを飲んでいたが、ふと周りを見渡すと客は例の日本人ご一行様とにゃおんちゃんだけになっていた。フロアには日本語が飛び交い、この店はまるで日本人に占拠されたような状態と化している。
ラトビアの片田舎のロックバーにひしめく日本人。想像しただけでも異様な光景なのだが、それが目の前で現実に起こっていた。
内閣府派遣の日本人ご一行様は、案内役の現地の学生と何やら楽しそうに話している。邪魔する気は毛頭無いのでひとりでおとなしく飲んでいたのだが、むしろ彼らのほうがこの怪しい一人でウロつく日本人に興味を持ったようで、ぽつりぽつりとこちらにやって来ては話しかけてくる。
話題はもっぱら、彼らの次の行き先であるヴィリニュスについて。ヴィリニュスの見どころや街の雰囲気についてレクチャーする。彼らのスケジュールはかなりタイトなようで街をゆっくり見て歩く時間がどれほどあるのか不明だが、タリンともリガとも異なるカソリック国特有の穏やかで優しい雰囲気を持つヴィリニュスを満喫できることを祈った。
しばらくすると先ほどツーリスト・インフォで会ったY君がやってきた。彼もこの街のボロさに驚いていたようで、最初はその話題で盛り上がっていたのだが、やがて話題は彼がここまで旅をしてきて感じたものへと変わっていった。
少し離れたところで盛り上がる仲間を見ながら、「内閣府のお眼鏡にかなうだけあって、彼らは全員すっごいエリートなんですよ」と言うY君。しかし、にゃおんちゃんから見れば、教師になるのが夢で某有名大学に通うY君だって十分エリートだと思う。Y君はこれが初めての海外旅行というわけではないのだが、今回の旅行では色々考えさせられることが多く勉強になると言っていた。大国に翻弄されたバルトの歴史や今でも根深い反ロシア感情、その一方で国民の数十%を占めるロシア系住民の存在・・・。行く先々で現地の学生と交流しているのだから、少なからず色々な話を聞いているに違いない。
Y君にバルトに来た理由を聞かれたので、「身はたとえ帝政ロシアやソ連に屈しようとも、心までは屈しなかったリトアニア人の心意気に惚れた」と答えておいた。ラトビアは?と聞かれたが、「トロくさい」と答える。
もちろん、国内にロシア系住民が多いなどラトビアにも色々と事情があるのだが、過激な民族主義者・・・じゃなかった独立心が強いリトアニア人に影響されているにゃおんちゃんから見ると、ラトビアは「トロくさい」のだ。
リトアニア人は国がソ連に併合された後もパルチザン活動を行って大量の死者を出したうえに、第二次世界大戦後には「人民の敵」認定されて多くの国民がシベリア送りにされている。一方のラトビアはというと、ソ連政府がラトビア領内に住む他民族に対して、ラトビア国籍取得の際にラトビア語試験を課すなど、明らかに特別扱いされていた。
さらに、彼は「バルトを通して日本が見えた」とも言っていた。そう、そうなのだ。外国へ行けば、ふとしたことから自分が日本人であることを実感したり、現地人を通じて日本が垣間見える瞬間は多々あるはず。よほど漫然してない限り、1〜2週間程度の旅行でも日本や日本人というものについて考えるはずなのだ。
彼はこれをきっかけに日本を見つめなおしたいと言っていた。そして、そのことは自分がいずれ教師になったときに役立つだろうとも。自分が見聞きしたことを熱く語るY君を見て、「ああ、いい先生になるかも」と思った。
やがて日本人一行は帰り支度を始めたので、にゃおんちゃんも彼らにくっついて帰ることにした。だって一人で帰るの怖いんだもん。彼らは明日早朝にここを発つので、ロビーで別れのあいさつをした。
にゃおんちゃんは夕方までに次の目的地に着けば良いので、明日はリエパーヤの軍港地区を見に行こうと思う。

これが例のロックバー。飲みに行った日の翌朝に撮影。
◆東欧に来ると風邪を引くのはお約束ですか?
朝、起きると喉が痛い・・・また風邪ひいた・・・。
バルトの9月は朝晩にはかなり冷えるのに、窓を開けたまま寝たのがいけなかったようだ。にゃおんちゃんは、去年もウクライナを発つ前日に熱を出して、鼻水を垂らしながらベラルーシを徘徊したのだ。去年の悪夢がよみがえる。環境の違う旅先で、毎日毎日ヘトヘトになるまでウロついて体力を消耗しているので、ちょっとしたことですぐに風邪をひいてしまうのだろうか。
今日はこれから軍港地区を見て次の街へ行こうと思う。大きな教会がひとつある以外、何があるのかよく分からないが、この街に二度と来ることも無いだろうし、バルチック艦隊に関するものが何かあるかもしれないので行ってみたいのだ。
軍港はバス・ターミナルのさらに向こうにあるので、もうここには戻ってこない。だからその前にもう一度市街地を見ておこうと思い、再度聖アンナ教会へ向かう。すると、昨日は扉が閉まっていて入れなかった市場が開いていたので入ってみる。品揃えはクライペダとそれほど違わないが、こちらには屋内の市場もあり、そこには保冷機が置いてあって肉や魚を売っていた。

市場をウロウロしていると、おばさんの足にスリスリしているニャンコを発見。おばさんに話しかけたところ、「私の猫じゃないわよ」と言われる。にゃおんちゃんもその場にしゃがんでニャンコをナデナデすると、オイラにもスリスリしてきた。ブサネコだが、人懐っこくて可愛い。

市場を見終わるとツーリスト・インフォへ行き、軍港地区への行き方を受付の人に尋ねると、「4番か7番のバスか、1番か3番のミニバスで行きなさい」と言われる。ホテルの前がバス停なので待っていると、3番のミニバスが来たので乗り込む。運賃は0.3LVL(約65円)。ベンツのミニ・バスでリトアニアで乗ったものと似てるが、あれよりも少し小さい。
乗っているのは地元の人ばかり。普通のバスよりも小回りが効くのがこのミニ・バスの利点なので、バスは主要道路を外れては団地の中を走ったりする。やがてバスは市街地を出て、どんどん建物が少ない場所へと向かっていく。うーむ、ここはどこなのだろうか・・・。





