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2007.12.15 (Sat)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その37)

◆母なる都市キエフへ帰還

具合が悪いので寝台でゴロゴロすること数時間、乗客が列車を降りる準備を始めて車内が慌しい雰囲気になる。車掌も切符を返しにきた。どうやら、もうすぐキエフに着く模様。こっちの寝台列車は乗車した際に車掌が切符を回収し、降りる駅が近くなると返しに来る。
窓から外の景色を見ていると、手前にドニエプル川が。そして、その向こうには見えるのは巨大な「祖国の母」像と、黄金に輝くペチェルースカ大修道院。キエフよ、私は帰ってきた!

思えば、色々と縁あって訳も分からないままウクライナにやって来たのが2年前。一週間ほどここキエフに滞在していたのだが、そのときのカルチャーショックたるや凄まじく、そのときの驚きがそれ以降毎年東欧へやって来るモチベーションの元となっている。
元々、にゃおんちゃんは動じないというかニブいタイプなので、カルチャーショックを受けることはあまり無い。というか、日本人がアメリカやフランスへ旅行に行っても「なんじゃこりゃー!」ってほどのカルチャーショックは受けないと思う。だって、アメリカやフランスのことって、特に関心持って暮らしてなくてもそれなりに知っているじゃない?
でもウクライナは違う。名前くらいは知っていても、どこにあるのか分からない人のほうが多いようなレベルの国。ウクライナについて何も知らないままキエフにやって来たにゃおんちゃんは、一週間毎日「なんじゃこりゃー!」に遭遇する日々を送っていたのだ。

あのときは「もう二度とここに来ることは無いだろうな」と思っていたのに、たった2年後にまた来ることになるとは、人生は分からない。「ラトヴィア?あんなチェキストどもの国、もう二度と行くか!」などと悪態ついているにゃおんちゃんだが、5年後にはラトヴィアに住んでいたりして・・・。

ドニエプル川とその向こうに見えるキエフ市街
手前がドニエプル川。左に見える巨大な像が高さ60メートルの巨大な女神像「祖国の母」。
反対側に見える高い建物が世界遺産にもなっている「ペチェルースカ大修道院」。


列車を降りて駅舎の中へ入っただけで懐かしい気持ちで一杯になる。2年前、ここからキエフを去ったんだよね。ヴィニリュスでは駅前にあるマックを見ただけで感激したし、にゃおんちゃんは単純な男だ。
駅を出ると天気が良く暖かったので、街まで歩いていくことにした。散歩がてら、空港へ行くバスの時間と乗り場でも確認しておくか。えーと、どこから乗るんだっけ?勝利広場だったかな?駅からそう遠くないので、行ってみようか。

駅からタラス・シェフチェンコ通りまでやって来ると、「エクスプレス・ホテル」や日本食レストラン「ヤキトリヤ」など、馴染みのある建物が見えた。「ヤキトリヤ」はロシアやウクライナに展開してる日本料理屋のチェーン店で、2年前にここで寿司を食った。それも、たった1週間の滞在で2回も。にゃおんちゃんが望んだわけではなく、付き合いで行く羽目になっただけだが。
「エクスプレス・ホテル」は1階にウクライナ鉄道局の切符売り場がある。ここでミンスク行きの列車のチケットを買い、近くにあるベラルーシ大使館領事部でビザを貰ったことを思い出す。ベラルーシなぁ・・・また行きたいような行きたくないような・・・。

それから2年前と比較すると、何となく街に活気があるように思える。あのときは、「ここは本当に人口250万人の都市か?」と思うくらいショボく感じたが、今回は一国の首都らしい活気が感じ取れる。
それもそのはず、近年のウクライナ経済は毎年7%を越えるスピードで成長しているのだ。4,000万人の人口を擁し、教育レベルもそれなりに高いので、最近はIT技術者の重要な供給元となっているのだという。

キエフの道路標識
「↑ タラス・シェフチェンコ通り 0.4km」と書いてある。こんな標識を見ただけで感激する単純なにゃおんちゃん。

エクスプレス・ホテル
これはエクスプレス・ホテル。1階に鉄道局の切符売り場があるので、駅まで行かなくてもいい。
今回はキエフから飛行機に乗って帰るので、ここに用は無い。

キエフ駅
これがキエフ駅(北口)。やはり「バクザール」としか書いておらず、実に無骨。


30分ほどブラブラと歩いてやって来た勝利広場。名前のとおり独ソ戦勝利を祝って作られた広場で、ど真ん中に記念碑が建っている。うぇーん、悔しいよぉママー。。゜゜(´□`。)°゜。
心の中で「お前のせいでソ連が戦勝国になってしまったのだ!」とヒトラーに悪態をつきながらバス停を探すが、どこにも見当たらない。バス停自体はあるのだが、どれも路線バスやマルシュルートカ用のもので、空港バスのものではない。仕方ないので近くにあるキアーヴィア(こっちではよく見かける旅行代理店)のオフィスに入って尋ねると、「ここじゃなくてキエフ駅の南口だ」と言われる。どうやら移転したらしい。Σ(゚Д゚;エーッ!

キエフを去るのは明後日の朝なので、当日にバスの時間や乗り場を確認するのは嫌。だから、絶対に今のうちに確認する。バスに乗って駅北口まで戻り、南口へ行くと・・・あった。「空港バス乗り場」と書いてある看板が立っていて、時刻表もある。15~30分間隔で運行されていることを確認して帰る。ちなみに、南口の駅舎は無骨な北口とは対照的に凄くモダンなデザイン。


勝利広場北口へ戻り、ジュースを飲んで休憩していると、近くで貸し部屋の客引きをしていたおばさんが話しかけて来た。話をしてみると、部屋の値段は手ごろなのだが、場所が悪い。という訳で断ることにしたのだが、おばさんも引き下がらない。ロシア語があまり通じないと見るや、おばさんはどこかから英語の分かる青年を引っ張ってきて通訳させだした。

その青年はレバノンから来た留学生でキエフに住んでいるという。青年は「キエフは物価が上がって、今じゃ街中のホテルはどこでも1泊100USD以上するぞ。このおばさんの家は地下鉄に乗ればすぐだ。君は学生なんだろ?」と言う。にゃおんちゃん、おやじなんですけど・・・。
部屋の値段は手ごろなのだが、中心部から遠い。キエフの地下鉄が早くて快適なのは知っているが、地下鉄駅からおばさんの家までどれほどの距離があるのかも分からない。

部屋を見てから決めるという方法もあるが、もし何か問題があってダメだったらさらに1時間をロスすることになる。にゃおんちゃん、風邪ひいて具合悪いし、ここまでの倹約が功を奏して金に余裕あるから、ホテルに泊まることにするよ。
そのことを青年に告げるとおばさんも諦めて去っていったので、地下鉄に乗って中心部へ向かう。キエフ駅から地下鉄に乗って、キエフの街のど真ん中にある独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)へ移動する。


《つづく》

15:36  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.12.08 (Sat)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その36)

◆アンドレイとお別れ

8月30日(木)
いよいよ、旅行は終盤戦に突入。今日はウクライナの首都キエフに移動して、土曜日には日本へ帰る。

この日は朝6時に起床。東欧に来るといつも風邪をひくのだが、今回もその例に漏れずしっかり風邪をひいたので、最高に具合が悪い。迎えに来てくれるというアンドレイをホテルの前で待つが、小雨が降っていて寒い・・・。立っている気力も無く、玄関の隅っこでしゃがみこんで待つ。
待つこと10分、アンドレイがタクシーに乗ってやって来た。駅はホテルから歩いて行ける距離だし、道も知っているので一人で行ける。なのに、朝の6時半にわざわざ来てくれるとは・・・。ありがとよぉ。・゚・(つД`)・゚・

5分足らずで駅に到着したが、列車の発車時刻は7時14分。30分以上待ち時間があるので、待合室にある喫茶店で紅茶を飲んで時間を潰す。アンドレイは学校の先生なので、もうすぐ夏休みが終わって登校してくる子ども達の話になる。「生徒達に会うのが楽しみだ」とニコニコしている。夏休みの間に色々なことを体験した子ども達がどのように成長しているか、それを見るのを楽しみにしているのだという。
やがて列車が到着したので乗り込むぺくホームへ向かうのだが、列車に見覚えのあるロゴマークが描かれていて驚く。これは・・・リトアニア国鉄のマーク!これの列車はシンフェローポリから来てヴィリニュスへ向かう寝台列車だった。数両隣にはラトヴィア国鉄の客車が連結されているのが見える。そうか、途中までは一緒に運行されるのね。

雨が降っているので出発までアンドレイを待たせるわけにはいかない。「色々ありがとう、もう大丈夫だよ」と言い、がっちりハグをしてお別れ。さらに彼は別れ際にお土産をくれた。何かと思って袋から取り出すと、それはポルタヴァの地図だった。「今度来るときに役に立つだろ?」だって。うぇーん、おまいは俺を泣かせたいのか。。・゚・(ノд`)・゚・。
本当に色々ありがとう。また来るからね。

シンフェローポリからヴィリニュスへ  湯沸かし器
左:この列車はヴィリニュス行きでリトアニア国鉄が運行していた。
右:こっちの列車には必ず積まれている湯沸かし器。これで美味しいお茶を飲めます。


列車に乗り込むと、切符を確認するため車掌が英語で話しかけてきた。そう、リトアニア国鉄の車両だから、当然乗務員もリトアニア人。だから英語も通じる。さすがEU加盟国。片言のリトアニア語で挨拶すると、すげー驚いていた。わーっはっは、どうだい?
コンパートメントの中にはお母さんと小学校低学年くらいの女の子がいた。彼らはリトアニア人でクリミア半島で夏休みを過ごした帰りなのだという。シンフェローポリからヴィリニュスまで36時間くらいかかる。昨日の夜に出発して、今日一日を列車の中で過ごし、明日の朝にヴィリニュスに到着するのだ。何とも凄い話だが、西シベリアのオムスクに住む知り合いはロストフ・ナ・ドヌー(アゾフ海に近いロシア南部の都市)へ行くのに列車の中で3泊したと言っていた。ソ連は広い。ほんと無駄に広くて、移動が大変だ。

お母さんのほうは少し英語を話せるが、子どものほうはさすがに無理。子どもは教科書らしき本を取り出して勉強を始めたので、その様子をじーっと見る。子どもは見つめられてやりにくそうな表情をしていたが、やがてモジモジしながら話しかけてきた。お母さんの通訳によると、これは国語の教科書で夏休みの宿題として出されたものだそうだ。
そこで、子どもに片言のリトアニア語で話しかけ、一緒に国語を勉強する・・・っていうか、にゃおんちゃんが子どもにリトアニア語を教えてもらう。色の名前とか花やら動物の名前を教えてもらったが・・・すぐに忘れた。許せ、おじさんだから物覚えが悪いのだ。


タバコを吸いにデッキに行くと、列車が止まった。ここはどこだろう?と思い外を覗くと、カゴを持ったお婆ちゃんがモノを売りに来た。何かと思っていると、お婆ちゃんがカゴから取り出したのはパン。焼きたてらしく、まだ温かい。「このパンは婆ちゃんが作ったの?」と尋ねると、うなづきながら「家で作って持ってきた。焼きたてホヤホヤだよ」みたいなことを言う。にゃおんちゃんの幼稚園児以下のロシア語能力では全てを理解できなかったが、大方は合っているだろう。お腹がすいていたので買うことに。
すぐにその場で少しかじってみると、メチャメチャ美味しかったので、「ハラショー!フクースナ!スパシーバ!」を連発してお婆ちゃんを褒め称える。すると、その様子を見ていた乗客がわらわらとパンを買いに来たので、にゃおんちゃんは退散することに。あの分なら、持参したパンは完売しただろう。よかったね、婆ちゃん。

すぐに車掌さんのところへ行ってお茶を頼み、お湯が沸くまで立ち話をする。「あなたはどこでリトアニア語を覚えたの?」と聞かれたので、にゃおんちゃんはリトアニアが大好きで去年・一昨年と訪問していることを話す。しかし、彼女は「リトアニアなんて小さな国なのに」と納得できない様子。物好きな奴だと思われているのだろうか?リトアニアをマンセーしているとお湯が沸いたので、紅茶を受け取りコンパートメントへ戻る。
リトアニア人親子にパンを勧めるが、彼らは既に朝食を摂ったので不要とのこと。改めてパンを食べてみると・・・ほんとに美味しい!今までウクライナで食べたパンの中で一番美味しい!焼きたてでホクホクしていて柔らかいし、蜂蜜が塗ってあって甘くて本当に美味しい。デカいパン二つをあっという間に食べきってしまった。
あのお婆ちゃんは駅でモノ売りなんかしてないで、パン屋さんをやるべきだ。もし、お婆ちゃんが目の前にいたら、「にゃおんちゃんがこの街に住んでいたら、毎日買いに行っちゃいそうなくらい美味しい。婆ちゃんはパン作りの名人だ!」とマンセーしていただろう。

これが美味しい手作りパン
これが美味しい手作りパン。また食べたいなぁ・・・。

ヴィリニュス行きの寝台列車
これがリトアニア国鉄の車両。このままヴィリニュスに行きたいなぁ・・・と思うことしきりだった。

ラトヴィアの寝台車両
こっちはラトヴィア国鉄の車両。このままリガへ・・・行くわけねぇだろ、馬鹿野郎!


《つづく》

23:57  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.12.05 (Wed)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その35)

◆にゃおんちゃんは「お姉ちゃん」ではありません

公園をお散歩してすっかりほのぼのしちゃった我々は、明日のバスチケットを買うためバスターミナルへ向かう。本当はもう少し街にいたいのだが、キエフに行ってやりたいこともある。残された日数を考えると、明日には移動しなくてはならない。最初は列車の移動を希望していたのだが、アンドレイに「列車なんか不便で使えないぞ」と言われてバスで行くことになってしまった。
バスターミナルへ到着すると時刻は既に20時を過ぎていた。朝8時の便は既に満席。次の便のチケットを買おうとしたところ、窓口のおばちゃんに「夜中にならないと販売できない」と言われて追い払われる。これには地元民のアンドレイも「何て馬鹿げた発券システムなんだ!」とおかんむり。いいよ、にゃおんちゃんは列車で行くことにするよ。

マルシュルートカに乗って駅へ向かう。
律儀な日本人はマルシュルートカに乗るとすぐにお金を払おうとするが、別に急いで払う必要は無い。地元民は席に座ってからお金を準備する。座った席が運転手から遠い場合、お金は乗客の手渡しリレーによって運転手の元へ届けられる。これはウクライナでもモルドバでもバルトでも、どこでも一緒。にゃおんちゃんは運転手のすぐ後ろの席に座っていたので、後方部の座席からリレーされてきたお金がやって来た。お金を見ると二人分の運賃だったので、「ドゥヴァー(ロシア語で"2"の意味)」と言って運転手に渡す。何度も経験しているので、今となっては別にどってこと無い。何も言わずに目の前にお金を差し出してくるから、初めてのときは驚いたけどね。


ところが、この光景を見ていたアンドレイが笑い出した。

「まるでウクライナ人みたいだ!」

どこから見ても一目で外国人と分かるにゃおんちゃんが、お金手渡しリレーに平然と参加している姿が妙に可笑しく見えたらしい。 マルシュルートカでお金を手渡す姿が板についてきたってか?少なくとも、昨日この国にやって来たばかりのおのぼりさんには見えないってことだ。徐々にウクライナに馴染みつつあるようで・・・。

アンドレイの笑いは止まらない。隣の席に座っていた小さな男の子が、我々のやり取りを見ながらポツリと衝撃的な一言を放ったからだ。その男の子は、にゃおんちゃんを見てこう言った。

「お姉ちゃん?」

アンドレイはゲラゲラと笑い出し、周りの乗客からは「プププ」という押し殺した笑い声が漏れてくる。にゃおんちゃん、中途半端に髪の毛長いからな。でも、ヒゲ生えてるんだけど・・・。
ウクライナでは、ヒゲが生えていても髪の毛が長ければ女の子と思われるのだろうか?

キエフへの道を示す標識
キエフへの道を示す標識。明日はこの旅の最終目的地キエフへ向かう。


マルシュルートカを降りると、そこは鉄道駅だった。ポルタヴァ市内には二つの駅があり、我々がやって来たのは「ポルタヴァ・キエフスカ駅」。ポルタヴァなのにキエフという名前がついているのはホテルだけではなかった。
モスクワにはモスクワ駅は無い。「ウクライナ方面の列車はキエフスカヤ駅」、「サンクト・ペテルブルク方面の列車はサンクト・ペテルブルク駅」が発着、といった具合に方面によって発着駅が分かれているからだ。でも、ポルタヴァの二つの駅は同一路線上にあり、隣同士。何故?

そんなくだらないことを考えながら切符を買いに行くと、窓口のおばちゃんから「寝台列車とハードクラス、どちらにする?」と言われる。キエフまでの所要時間は約6時間。風邪をひいて体調が悪いことを考えれば寝台のほうがいいに決まっている。明日の朝7時発で、キエフには13時過ぎに到着。運賃はクペー(二等寝台)で98UAH。無事にチケットを買えてホッとする。これにて本日の用務は完了。

ポルタヴァ・キエフスカ駅
ポルタヴァ・キエフスカ駅。何の変哲も無い普通の駅だが、新しくて清潔。

ハリコフ-キエフを結ぶ列車
切符を買いに行った際にちょうどホームに停車していた列車。キエフとハリコフを結ぶ寝台列車だ。


無事用務を完了した我々は10月公園(「ファシストの軍隊」に強奪されそうになった黄金の鷲がいる公園)まで戻り、近くのレストランで食事をする。既に22時を過ぎていて二人ともグッタリ・・・などと言いつつ、しっかりステーキを食ったにゃおんちゃん。しかし、二人とも本当に疲れており会話が盛り上がることも無く、ぐんにゃりしながら妙なポーズで椅子に座ってビールを飲む。

一時間ほど休憩してからネットカフェへ行くが、例によって日本語を使えないので取り止め。バスが無くなるというので、0時近くなったところでアンドレイは帰宅することに。別れ際、彼は明日の朝6時半にホテルまで迎えに来ると言う。えー?駅へ行く道はもう分かったから大丈夫、一人で行けるよ。ゆっくり寝てなよ。
しかし、彼は「お前はゲストだ。俺はお前をきちんと接待しなくてはならないのだ!」と言い、頑として譲らない。うぅ・・・ほんとにええ人や。ありがとう、ありがとう・・・。

彼を見送った後、にゃおんちゃんもホテルに戻る。疲れていたうえに少し酔っていたので、道を間違えてしまい少々焦る。
キエフには行きたいが、本当はもう少しこの街にいたい。明日の朝にポルタヴァを去ることを決断したが、これでいいのか?と悩みながら眠りに落ちる。

《つづく》

22:42  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2007.11.25 (Sun)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その34)

◆ポルタヴァの戦い博物館へ

8月29日(水)
灼熱地獄のヤルタを発ち、ドニエプロペトロフスク経由でウクライナ北東部の学園都市ポルタヴァへやって来たにゃおんちゃん。昨日はここポルタヴァ在住のアンドレイ氏に案内してもらい、市内を見て回った。アンドレイ氏は英語の教師なのだが、学校が夏休み中につき仕事はそれほど忙しくないらしく、本日も付き合ってくれるとのこと。ありがたやー、ありがたやー。
ポルタヴァにあるのに「キエフ」という名前のこのホテル、朝食付きなので食事に行くが・・・全然美味しくない。サラダとペリメニを少し食べておしまいにする。

9時過ぎにアンドレイから電話が来た。今からホテルに俺を迎えに来るという。どうやら、「ポルタヴァの戦い」に関する記念館に連れて行ってくれるらしい。
ポルタヴァの戦いとは、18世紀初頭にロシアとスウェーデンがバルト海の覇権を巡る戦い(大北方戦争)を繰り広げた際の最大の戦い。この戦いでスウェーデン軍は壊滅し、ロシアはイヴァン4世(イワン雷帝)以来の悲願だったバルト海進出を果たす。当時のロシア皇帝ピョートル1世(ピョートル大帝)はロマノフ朝中興の祖となった偉大な皇帝であり、にゃおんちゃんの大好きな皇帝陛下である。以前に「ポルタヴァといえば、ポルタヴァの戦いが有名だなぁ」という話になった際、にゃおんちゃんがピョートル大帝好きであることを知ったアンドレイは、ここに連れて行ってやろうと思っていたのだそうだ。ありがたやー、ありがたやー。


ホテルからバス停に向かい、そこからバスに乗って移動すること約20分、畑のど真ん中みたいなところで降ろされる。目の前には改築工事真っ最中のボロ屋が一軒、道路の反対側には教会とバカデカいモニュメントと林があるのみ。えー?ここ?
早速中に入ってみるが、小さな博物館なので巨大な展示物は無く、大きなものでもせいぜい大砲程度。絵画や古戦場からの出土品(銃や鎧)が多い。

アンドレイと二人で「ピョートル大帝マンセー」な会話で盛り上がる。ピョートル大帝は、西欧から見れば辺境の未開国に等しかったロシアを大国へと引き上げた偉大な皇帝だが、身長2m近くの大男でパーティーが死ぬほど大好きな大酒飲み。お忍びで出かけるのが大好きで、オランダの船大工に弟子入りして自らハンマーを振り回して造船を学んだり、飲み屋で仲良くなったおっさんを「飲んだくれ大臣」に任命したりと、非常にお茶目な人なのだ。ちなみに、サンクト=ペテルブルクを建設したのもこの人。
二人とも、「彼は偉大な皇帝だ。ただしちょっとイカレているが」という意見で一致する。

大砲とロシア兵 ピョートル大帝のデスマスク
左:大砲とロシア兵。
右:ピョートル大帝のデスマスク。

ポルタヴァの戦いの記念碑
博物館の向かいにある記念碑



◆まったり、ほのぼの、ポルタヴァ

アンドレイは一旦職場へ戻って片付けなくてはならない仕事があるため、街へ戻ってきたところで分かれる。また夕方に合流する予定だが、それまでホテルに帰って寝ることにする。やはり本格的に風邪をひいてしまったようで、具合が悪くなってきた。毎年東欧に来て、毎年風邪をひいている俺って・・・。
近所のカフェでパスタを食べた後、ホテルに戻って寝る。

16時過ぎにアンドレイと再会して、引き続きポルタヴァ市内をお散歩。夕日に染まる街の景色がとっても綺麗。
そして、ポルタヴァにもレーニン像があった。ハゲ頭のてっぺんにとまっている小鳥が、まるでちょんまげのように見えて、二人とも大爆笑。「あの鳥は粛清だ!」と二人で大はしゃぎ。

ちょんまげレーニン像 夕暮れの中に立つレーニン像
左:小鳥がとまってちょんまげを結っているように見えるレーニン。小鳥は粛清確実。
右:暮れなずむ夕日を見つめながら、レーニンは何を思うのか。

刑務所の向かいにある教会 オペラハウスの前にあった銅像
左:ポルタヴァには街の中に刑務所があり、その向かいには教会が建っている。
   罪深き囚人のために建てられたものなのだろうか・・・。
右:オペラハウスの正面に建つ銅像。
   右手の部分に携帯電話を挟めるというお茶目ないたずらをした奴がいるらしい。w



レーニン像の向かいには民族資料館らしき建物が建っている。
ヴェールカ・セルジューチカは子どもの頃にドイツ人と文通していたのだが、その際に自分の住んでいる家の写真を相手にせがまれた。しかし、彼が当時住んでいた家は小さなボロ家だったため、彼は悩みぬいた末にこの建物の写真を「これが僕の家です」と送ったそうだ。ちょwwwwwwwwwwww

民族資料館・・・らしい
こんな写真を送られた相手もさぞかし驚いたことだろう・・・。


続いて我々が向かったのは街外れにある公園。この公園には遊園地があり、時々サーカスもやって来るのだという。もうだいぶ暗くなっていたが、子どもが楽しそうに遊んでいた。遊具はソ連時代の遺物と思わしきポンコツばかりなのだが、のんびりしていて実に良い雰囲気。最新の絶叫マシン目当てに何時間も行列を作る日本人がアホらしく思えたほど。
愛する家族と一緒なら、こんなショボい遊園地でも十分楽しいよね。この街、良いところだなぁ。

ポルタヴァの遊園地その1
池や川ではなく、ビニール製の巨大なプールに浮かべてあるボート。

ポルタヴァの遊園地その2
この手の遊具はどこの街でも、街の真ん中にある公園に置かれている。キシナウ、リガ、タリンなどでも見た。

ポルタヴァの遊園地その3
ゴーカートだってあるんです!奥に写っている男の子たちが何やら一生懸命機械いじりしてました。

ポルタヴァの遊園地その4
にゃおんちゃんが一目惚れした一品。このブサ可愛さは語り尽くせない。これに乗ってキエフに行きたいくらいだ。


《つづく》

19:33  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.11.09 (Fri)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その33)

◆ファシストの軍隊?

ポルタヴァ在住のアンドレイ氏と合流したにゃおんちゃんはマルシュルートカで市街地へ。まずはホテルを探さないとね。最初に行ったホテルは綺麗でこじんまりとしていて良い感じだったが、シングルルームは満室だったうえに予算オーバーなので却下。
続いて我々が向かった先は「ホテル・キエフ」。ポルタヴァにあるけどキエフという名前のこのホテル、外観や共用スペースはモルドバで泊まったホテルのように古ぼけているが、部屋はきちんと改装されて快適そう。風呂・トイレ・エアコン付きで一泊240UAH(約5,000円)。地方都市であることを考えると少し高め?とは思ったが、ここに泊まることにした。

チェックインを済ませると、早速街へと繰り出す。アンドレイが案内してくれるという。
ポルタヴァの街は緑が多く、建物も小奇麗。都会の喧騒とは無縁で、実にのんびりとしている。住むなら、これくらいの小都市のほうがいいのかなぁ?物価も高くないし環境も良さそうだし。
オデッサも綺麗な街だったが、あそこは観光地だからある程度綺麗なのは当たり前。ポルタヴァはああいう観光地の匂いはまったくしないにも関わらず、あまりに街が美しいので驚く。我が心の故郷リトアニアのヴィリニュスも大変美しい街だが、路地を一本裏に入ると今でもオンボロアパートが残っていたりする。リトアニア人の友人曰く、「独立前は街全体が古ぼけていたけど、独立後に急ピッチで改修・修復が進んで小奇麗になった」とのこと。
もしかしてポルタヴァも同じではないかと思い、アンドレイに尋ねたところ、「いや、俺が子どもの頃からこの街はこんな感じだったよ?」と言うではないか。えー?ソ連時代からこんなに小奇麗だったの?信じられないなぁ・・・。

小首を傾げているにゃおんちゃんを見ながらアンドレイは続けた。
「ここ、学園都市で大学とか多いんだよ。そんなこともあって優先的にお金を回してもらっていたのかもね。まぁ、その辺は州政府や市役所が良い仕事してきたんだと思うよ」
へー。人口30万人程度の地方都市にも関わらず、ここには大学が3つもあるのだ。しかも、そのうちのひとつはウクライナ陸軍の大学だという。
ウクライナ出身の将校でにゃおんちゃんが知っている人といえば・・・「スターリングラードの戦い」でスターリングラード方面軍を率いて戦ったアンドレイ・エレメンコ元帥くらいしか知らないが・・・。

ホテルの前で撮影
ホテルの前にあった時計塔。何の建物なのか、結局最後まで分からずじまい。


ポルタヴァの街の真ん中には公園があるのだが、ここが実に美しい。多くの市民がベンチに座ってのんびりと過ごしている。我々はその公園のすぐそばにあるカフェに入ってひと休み。二人ともロックが好きなので、「最近、どんなの聞いてる?」なんて話をする。すると、アンドレイは今年の「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」で2位となったVerka Serduchka(ヴェールカ・セルジューチカ)について語り始めた。彼はここポルタヴァの出身なのだという。バスターミナルからそう遠くないところにあるスーパーマーケットは彼の両親が経営しているのだそうだ。
どんな人か全然知らなかったので、帰国後に調べてみたところ、こんなのだった・・・。ぶはは、何だこれ。面白いじゃねーか。

公園のど真ん中にスタチューがあり、そのてっぺんには黄金の鷲の像が乗っている。アンドレイが鷲について説明してくれたのだが、その際に彼の何気ない一言にショックを受ける俺。

「あの鷲は黄金でできていて、独ソ戦の際にこの地にやって来たファシストの軍隊が持ち帰ろうとしたほどなんだぜ」

ファ、ファシストの軍隊?それってドイツ国防軍のこと?
「そうそう、ドイツ軍だよ」と答えるアンドレイ。

こっちではドイツ軍のことを「ファシストの軍隊」って言うのかぁ? ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
いや、確かにソ連は当時のドイツを「ファシスト」と罵る教育してたけどさぁ・・・。20代のあなたでもそういう言い方するのかい・・・。
ファシストの軍隊・・・なんか、すげー衝撃的な表現だよな・・・。

街の真ん中にある公園
ポルタヴァの街の真ん中にある公園。とても綺麗で居心地が良いです。

ポルタヴァのオペラハウス
ポルタヴァのオペラハウス。
この街のロックファンはこの建物の前でテープ・トレーディングや情報交換をしているらしい。

ファシストの軍隊に奪われそうになった黄金の鷲 撮影すると逮捕されるビル
左:これが「ファシストの軍隊」に強奪されそうになった黄金の鷲のスタチュー。
右:撮影すると逮捕されちゃうらしいビル


街を歩いていると、アール・ヌーヴォー様式の建物があったので写真を撮っていたにゃおんちゃん。すると、通りがかりのおねぇちゃん達がにゃおんちゃんに向かって「ここで写真撮ってる逮捕されるよ」と言うと、ゲタゲタ笑いながら行ってしまった。アンドレイも爆笑している。
状況を飲み込めず、ひとりポカーン( ゚Д゚)とするにゃおんちゃん。え?何で?

再び小首を傾げるにゃおんちゃんに向かって理由を説明。
「ここな、警備会社の事務所なんだよ」

ぶっ( ̄w ̄) 。そういうことか。
「KGBの事務所じゃなくて良かった」と言うと、アンドレイは再び爆笑しだした。


薄暗くなるまで市内を歩き回った後、ウクライナ料理の美味しいレストランへ連れていってもらって食事をした。料理は美味しく、値段もお手頃。ウェイトレスは民族衣装を着ていて可愛いらしく、文句なしに良いお店だった。街の中心部から少し遠いのが難点かな?

食事を終えると公園に戻り、ビールを飲みながら二人で話をしていたのだが、夜になると冷え込みが厳しく、最後にはクシャミを連発して鼻水を垂らしながらホテルへ戻る羽目となった。


《つづく》

22:45  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑
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