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2006.08.31 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第20回:ミャンマー(Part4) - 引きこもり国家の迷走

前回の記事の続きです。

◆潰された改革
ミャンマーはアジアの引きこもり国家なので、基本的には諸外国からいくら批判されても平気なのだが、そうは言っても経済をズタズタなままにはしておけないし、周辺国がASEANに加盟し急激に経済発展しているのを見て多少は欲が湧いてきたらしい。

ミャンマー政府は1992年を「経済の年」と位置づけ、収監されていたNLDの幹部数名を釈放するなどして外資を誘致しようとする。が、そのような小ざかしい真似で諸外国の信用を得られるならどこの国も苦労しない。思うように外資が入ってこないことが分かると、すぐに態度を元に戻してしまった。
さらに1994年を「全面開発の年」、1996年を「観光の年」と定め、スー・チー女史の軟禁を一時的に解除するなどして再び外資や観光客の誘致を企むが、これも期待したほどの効果が得られないことが分かると、やはりすぐに元の強硬姿勢に戻ってしまった。
ブルキナ・ファソやトルクメニスタンに観光に行く人がいないように、わざわざミャンマーに行く物好きなどいないのだ。おこがましい奴らである。


キン・ニュン前首相中国がバックについて孤立無援という状況は避けられたものの、ASEAN内からでさえ「あんなバカ国は退会させろ」という声が出はじめたことから、これに危機感を覚えたSPDCきっての経済通にして国際派キン・ニュン首相をはじめとする穏健派が動いた。2003年、ミャンマー政府は穏健派の主導によって民主化に向けた7段階の「ロードマップ」を発表し、憲法制定のための国民会議が開催するなど民主化に向けた動きを見せるようになった。
しかし、2004年にはこれを推進していたキン・ニュンが失脚し、タン・シュエの子飼いでバリバリの強硬派ソー・ウインが新たに首相に就任した。ミャンマー政府は引き続きロードマップを推進する声明を出したが、この政変で強硬派が再び台頭していることから予断を許さない状況が続く。

キン・ニュン前首相は民主化に非常に積極的な人物だった。オン・ジョー外相が2001年に来日した際、前首相の意向を受けて「スー・チー女史と連立政権を組むことも考えている」とまで発言している。実際、この頃のミャンマー政府は、以前から両者の仲介を行っていた国連大使を通じてスー・チー女史との交渉を準備していた。
スー・チー女史との和解が進むことで改革派に政権を乗っ取られることを恐れた保守派のタン・シュエらが、一度は軟禁を解除した女史にイチャモンをつけて再び拘束して交渉の機会を潰し、さらには穏健派を一掃したのであろう。あるいは、この少し前にタン・シュエが中国を訪問しているので、「中国という金づるができたので、スー・チーとの交渉は必要ない」という判断があったのかもしれない。

それから、ミャンマー政府は2005年11月に突如ヤンゴンから内陸部のピンマナへの遷都を行っている。ヤンゴンの北方約320kmに位置するピンマナは研究施設が多い都市だそうで、とんでもない山奥やド田舎ではない。とはいえ、大都市ヤンゴンでの生活に慣れた政府関係者にとっては迷惑以外の何物でもない。「そんなところへ行きたくないから」と退職願いを出しても受理してもらえず、多くの職員が引越しする羽目になっているらしい。
この突然の遷都はその理由が謎に包まれており、一説には「米軍の攻撃に備えて」とか「タン・シュエお抱えの占い師によって決まった」などと言われている。悲惨なのは隣国タイで、ヤンゴンに数十億かけて新大使館を作っていたのに、突然の遷都でこれがパーになった。遷都の理由が占いの結果だったりしたら、タイ政府は泣くに泣けない。


◆麻薬王クン・サの華麗なる転身
と、ここまで軍事政権のことをボロクソに書いてきたが、ミャンマーにはいきなり民主化できない事情もある。
この国は結構な多民族国家であり、辺境の地域には様々な少数民族が住んでいる。少なく数えて8、細かく数えると40以上というのだから尋常ではない。しかも、これらの少数民族はその殆どが武装組織を持っており、1990年代半ばにSLORCが様々な利権を餌にして彼らと和解を果たすまで、辺境地域はミャンマー(ビルマ)政府の統治が及ばない地域だった。特にカレン族は1948年のビルマ独立以来、一貫して分離独立を唱えて武力闘争を続けている。こんな状況で一気に民主化を進めようものなら、ミャンマーという国家の枠組みが崩壊しかねない。

カレン族の約70%を占める仏教徒が率いる武装勢力「民主カレン仏教徒軍(DKBA)」は麻薬利権を餌にSLORCと和解を果たしたが、キリスト教徒が率いる「カレン民族同盟(KNU)」は今でも闘争を続けている。もっとも、KNUはDKBAの裏切りによって壊滅寸前まで追い込まれ、今ではミャンマー領内に拠点も無く、タイ領内の難民キャンプを拠点にしている。
かつてタイ政府はミャンマーとの国境地域に緩衝地帯を作り出すためカレン族を支援していたが、親ミャンマーのタクシン政権以降はこの支援も激減しており、KNUは四面楚歌の状況に追い込まれている。


タイ=ミャンマーの国境地帯といえば、いわゆる「黄金の三角地帯」の一角に当たる。
知らない人もいるだろうから説明しておくが、「黄金の三角地帯」とはタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する地域を指し、この地域はアフガニスタン、パキスタン、イラン国境付近の「黄金の三日月地帯」と並ぶ世界最大のケシ栽培・覚せい剤密造地帯として知られている。
この地域は近年までいくつかの少数民族の武装組織が実効支配しており、タイ、ミャンマー、ラオスいずれの国の統治も及ばない地域だった。ミャンマーの場合はシャン州東部がこれ属するのだが、最近までシャン州は外国人立ち入り禁止になっていたほど。

麻薬王クン・サこの地域でカレン族と並んで長年ミャンマー政府と戦っていたのが、シャン族の武装組織「モン・タイ軍」。モン・タイ軍の親玉クン・サは元々はシャン族独立の運動家で、その闘争資金確保のために麻薬ビジネスをやっていたのだが、いつの間にか本業と副業が逆転し、ついには世界最大のケシ生産者にまで登りつめた。

しかし、あまりに手広く商売をやりすぎたクン・サはアメリカに目をつけられ、200万ドルの懸賞金を掛けられて麻薬密輸容疑で指名手配となった。すると、ミャンマー政府に捕まってアメリカへ送られることを警戒したクン・サは、麻薬利権を手土産に政府に投降してまんまと身の安全を確保した。ミャンマー政府はクン・サを逮捕してアメリカへ送還するどころか、アメリカからの身柄引き渡し要求を拒否し、クン・サが撒いた餌に食いついて利権を貪った。
クン・サは刑務所にぶち込まれるどころか豪邸に住み、タイとの国境沿いのジャングルに無数の麻薬精製工場を持つほか、今やバス会社やホテルを経営して表のビジネスでも活躍している。

この地域で生産された麻薬はその殆どがタイを経由して世界各地へ運ばれていく。そのため、タイでは麻薬中毒患者の数が一向に減らず、タイ政府はミャンマー、ラオスの両政府に取締りと撲滅の徹底を訴えている。しかし、ラオス政府の統治はこの地域に及ばず、ミャンマー政府は前述のとおりクン・サとグルになっているので本気で取締りなどしない。
ミャンマー政府はヤンゴン市内に「麻薬博物館」なるものを作り、SPDCがいかに麻薬撲滅のために努力を払ってきたかを宣伝しているが、全てはポーズに過ぎない。


あ、それから「ビルマの竪琴」って小説があります。映画化されて話題にもなりました。
しかし、あの映画の中で竪琴が上手なビルマ人の僧侶が登場しますが、上座部仏教の戒律では僧侶が歌・踊り・音楽を行うことは一切禁止です。実際にはあんな僧侶はいません。

《ミャンマー編終了》

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テーマ : アジア - ジャンル : 海外情報

20:55  |  ミャンマー  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

ミャンマーについては、私が某お役所で勤務していた時、このような信憑性の高い話を聞いたことがあります。

インド洋へ自国のプレゼンス、特に海上戦力を進出させたい中国と中東からの原油を運ぶ為の日本のシーレーン防衛の為に中国のインド洋へのプレゼンスを極力抑えたい日本の思惑が重なり、ミャンマーが日中の援助合戦の対象となっているそうです。実際、中国はインド洋に浮かぶミャンマー領の小島に軍用のレーダー基地を作ったりミャンマーの軍事政権を支えるための各種援助を行っています。対する日本は、首都ヤンゴンの国際空港改良のための援助等で対抗し、がめつい軍事政権はこの事を知ってか当然日中を天秤にかけていましたね。結局、日本には分が悪かったようで、ミャンマーへのアプローチを弱め、日本のインド洋のシーレーン防衛の為に東西冷戦中から海上自衛隊と親密な関係を持っていたインド海軍との結びつきを更に強めたようです・・・。

幸か不幸か中国と国境を隣接しているせいか、欧米諸国の経済制裁は、軍事政権を打倒するだけの効果はありませんね。極論を言えば、仮にスー・チー女史の代表される民主的な政権が誕生しても、かつてのマルコス政権を打倒したフィリピンのアキノ政権同様、現状より良くはならないでしょう・・・。下手をすれば内戦、国家分裂さえはらむ事になるでしょう・・・。

ま、お先真っ暗な国であることだけは、間違いです・・・、はい。
かつて日中の草刈の場とした国 |  2006年09月01日(金) 00:12 |  URL |  【コメント編集】

●ごめんなさい!

HNが「かつて日中の草刈の場とした国」はコメントの題名で、投稿者は私、不肖「やまゆき」でした。失礼しました!
やまゆき |  2006年09月01日(金) 00:14 |  URL |  【コメント編集】

ほんと、中共はいらんことばかりしますね。
確かに、あんなゴロツキ政権よりもインドと仲良くするほうが賢明ですよね。

SPDCのことをボロクソに非難してる私ですが、ミャンマーは民主化なんかしたらバラバラになると思います。
にゃおんちゃん |  2006年09月02日(土) 19:17 |  URL |  【コメント編集】

●初めまして。

なかなかいいブログですね。勉強になります。
懸命に読んでいます。
あら座 |  2006年09月03日(日) 15:03 |  URL |  【コメント編集】

●ありがとうございます

1ヶ国分書くのに一週間かかります。苦労してます。w
楽しんでいただければ幸いです。
にゃおんちゃん |  2006年09月04日(月) 19:46 |  URL |  【コメント編集】

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