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2006.07.01 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第15回:中央アフリカ(Part2) - 世界中の笑いものになった皇帝ボカサ1世

前回の記事の続きです。
やっと独立を果たしたというのに、他のアフリカ諸国と同様に植民地時代よりも悲惨な状況に陥ります。アフリカ諸国って、どうしてこうなんでしょうかね・・・。

◆暴君ボカサ登場
大戦終結後の1946年、ボカサの叔父にあたるベルテルミ・ボガンダが「ブラックアフリカ社会進歩運動(MESAN)」を組織して独立運動を開始した。実はボカサ一族はムバカ族という部族の酋長で、フランスの植民地統治にも協力的だったことからウバンギ・シャリではエリートの一族だった。
ウバンギ・シャリは大戦中に自由フランス政府について戦ったことからフランスの心証も良く、1958年には制限付きながらも自治権を認められた。これを受けてウバンギ・シャリはフランス領内の自治共和国となり、名称をウバンギ・シャリから「中央アフリカ」へと改めた。その後、アフリカ全土で独立の機運が盛り上がると、中央アフリカ自治共和国も1960年に「中央アフリカ共和国」として独立することとなった。

中央アフリカのダッコちゃん独立直前にボガンダが飛行機事故で亡くなったため、甥のダビッド・ダッコがMESANを引き継いだ。ダッコはウバンギ・シャリの大学の学長を務めたことがあるインテリで、自治共和国時代には大臣職も経験していた有力政治家だった。独立後の国会で大統領に選ばれたダッコは、中央アフリカ共和国の初代大統領に就任した。
大統領に就任したダッコは親フランス路線を取りつつも、MESANを唯一の合法政党とし、敵対勢力を弾圧して独裁体制を敷いた。ダッコの従兄弟にあたるボカサも、中央アフリカ出身の最高の軍人として活躍した実績により、国軍の参謀総長に任命されている。


しかし、ダッコは経済政策に失敗したうえに政権内ではダイヤモンド利権に関する腐敗が酷かったことから、ボカサは1965年にクーデターを起こしてダッコ政権を倒した。
ボカサは大統領に就任すると独裁体制を作り上げ、凄まじい贅沢を始めた。これに怒った軍や警察が幾度となくクーデターを試みるが全て失敗に終わり、猜疑心に囚われたボカサは共にクーデターを起こした側近達を次々と粛清し、しまいには16ある大臣のポストのうち14を兼任するという傍若無人ぶりを発揮する。

ジャン・ベルデ・ボカサまた、ボカサは猜疑心が強いだけでなく残虐な性格の持ち主だったようで、わざわざ自ら刑務所に出向いては囚人を殴り殺したり、収監されていた小中学生を杖でぶったりしたという。大統領自ら刑務所に行って囚人を撲殺するという話も凄いが、小中学生が収監されているというのも凄まじい。
一方で、自分がクーデターで失脚させたくせにダッコとはその後も仲が良く、側近として彼を取り立てている。後にダッコ本人も「大統領在職中に反対勢力に命を狙われていた自分を、ボカサがクーデターという形で保護してくれたのだ」と語るほどであった。ただし、ダッコが本当に自分の意思でそのようなことを言ったかどうかについては不明。


そんな暴君ボカサだったが、元軍人にしては外交手腕に長けているところを披露している。
1970年にド・ゴールが死亡すると、ボカサはわざわざ自由フランス軍時代の制服を着て出席し、親フランスぶりをアピール。しかし、親フランス一辺倒というわけではなく、訳の分からない文句を言ってフランスを怒らせては、頃合を見計らって矛を収めるかわりに譲歩を引き出すという巧みな外交でフランスにタカり続けた。
もっとも、フランスにしてみれば「元植民地の独裁者が何やらわめいているが、どうせ本気で我が国に逆らう気など無いのだから、適当に金でも与えておけ」といった程度なのかもしれない。何だか、日本の隣にある某国を彷彿させる話だ。

他にも、近隣諸国と友好関係を保ちつつも、アパルトヘイトのせいで他の黒人国家から敵対視されていた南アフリカに接近してみたり、共産主義者でもないくせにソ連に接近してみたりと、とても元軍人とは思えない無節操ぶりを披露している。しまいには、リビアのカダフィ大佐から援助を引き出すためにイスラム教に改宗したりもしている。
金さえくれれば誰でもいいのか、お前は。


◆ボカサ、ついに皇帝になる
ボカサの専横ぶりは留まることを知らず、1972年には終身大統領に就任。しかし、これに飽き足らず、1976年には「皇帝ボカサ1世」と名乗り帝位についてしまった。これに伴い、国名も「中央アフリカ帝国」に改名されている。・・・・・・20世紀だぞ、しかも1970年代。こんな時代に皇帝を名乗る馬鹿がどこにいるか。

戴冠式の様子翌1977年には当時の中央アフリカの国家予算の2倍にあたる2,500万ドルを費やして、ナポレオンにならったという豪華な即位式を行った。当時のこの国の一人当たりのGNPはたったの150ドル。そんな貧しい国で、こんな何の形にも残らない贅沢な式典のために2,500万ドルの大金を浪費したのだ。

本当はバチカンの大聖堂でローマ教皇に戴冠してもらいたかったのだが断られたので、首都バンギに建設した「ボカサ・スタジアム」で行った。また、同じ皇帝である日本の昭和天皇を戴冠式に呼ぶべく日本政府にも招待状を出したが、にべも無く断られている。
当たり前だろ、教皇や天皇を何だと思ってるんだ。



この戴冠式はテレビ放映されて世界中から嘲笑を買い、アメリカなどは「馬鹿馬鹿しい、こんな国に援助する理由など無い」と、即座に経済援助を停止してしまった。ただし、フランスは中央アフリカに金やウラン鉱山の採掘権を持っていたことから、トチ狂った独裁者の愚行といえども切り捨てることができず、経済援助を続けたうえに戴冠式に必要な金も貸し付けた。
もちろんボカサのほうも抜かりはなく、フランスから支持と援助を取り付けるために当時の大統領ヴァレリー・ジスカールデスタンに膨大な贈賄工作を行い、戴冠式に必要な費用の借款と皇帝としての承認を引き出している。


皇帝となったボカサの悪政と浪費は一層酷くなり、国情は悪化の一途をたどった。元々経済的に脆弱なこの国が、粛清による人材不足からくる行政組織の機能不全と腐敗、それが引き起こす社会の停滞や混乱に耐えられるはずがなく、頼みの綱はフランスからの援助。
しかし、その援助も全てボカサ皇帝が浪費してしまうのだから、国の経済は一向に改善しない。もっとも、フランスにしてみれば、自国企業への採掘権さえ保証してくれればこんな土人の国の主など誰でも良いわけで、渡した金がどのように使われようと知ったことではないのだが。

ボカサ皇帝の奇行や狼藉はエスカレートする一方で、目に留まった女性を片っ端から連れ帰ってハーレムを作って100人以上の子どもを作ったり、30歳未満の国民全員を帝国唯一の政党MESANの党員にしたり、大学で憲法学や政治学、社会学の講義を禁止にしたりとやりたい放題。国民にとってはたまったものではない時代が続く。


◆ボカサ帝国の崩壊
そんなボカサ帝国の終焉は思いのほか早く訪れた。
帝位についた2年後の1979年1月、首都バンギで反帝政の学生デモが起こった。そもそもの発端は、ボカサが小中学生への制服着用を義務化したことだった。この制服はボカサ自らがデザインしたもので、皇帝一族の所有する工場で生産され、一族の所有の店を通じて販売された。寡占体制なので当然価格は不当に高く、日頃からボカサの圧政に苦しんでいた国民の怒りがついに爆発し、大規模なデモと暴動に発展した。

ボカサは皇室親衛隊に加えてザイールから軍を派遣してもらい、400人の死者を出してこれを鎮圧した。デモには何故か多数の小学生も参加していたため、死者400人のうち100人は子どもだったという。子どもを容赦なく殺すのも酷いが、こんな圧政国家で行われるデモに子どもを参加させる親も親である。しかし、これにはさすがのフランスも怒り、ついにボカサに見切りをつけて全ての援助を止めてしまった。
ちなみに、ザイールから軍を派遣してもらったのは、ボカサがザイールのモブツ大統領と仲が良かったことに加え、自国の軍隊を信用してなかったから。皇室親衛隊はボカサのボディガードとして優遇される一方で、国軍はボカサの浪費癖のせいで酷い扱いを受けていた。

大事な金づるを失ったボカサはリビアへ接近し、1969年のクーデターによって独裁者として君臨していたカダフィ大佐から軍事顧問団の派遣や経済援助を取り付けた。ところが、ボカサがリビアを訪問していた1979年9月にフランス軍がダッコを担ぎ上げてクーデターを行い、中央アフリカ帝国はあっけなく崩壊してしまった。
ボカサはカダフィー大佐に貰った金を持ってフランスに亡命しようとしたが、たどり着いた空軍基地で50時間も待たされたあげくに拒絶された。他でもないフランス自身がクーデターを画策したことを知らなかったのだろうか?それとも他に行くところが無かったのか、あるいは贅沢な暮らしができればどこでもよかったのか、いずれにせよ何ともマヌケな話である。

ボカサは仕方なくコート・シボワールへ亡命するが、後に許されてフランスへ移住した。しかし、何を思ったのか1986年に帰国。当然すぐに捕まって裁判にかけられ死刑宣告を受けたのだが、1993年に減刑・釈放され、1996年に死去した。晩年は元フランス軍人に支給される年金で生活していたという。

《Part3につづく》

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テーマ : アフリカ - ジャンル : 海外情報

16:46  |  中央アフリカ共和国  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

こんだけやりたい放題してても死刑にならんと年金暮らしか、いいなww
ニーナ |  2006年07月01日(土) 18:53 |  URL |  【コメント編集】

● "ε(*´ω`)з″

実習が終わって暇が出来たので、見物しにきますた。
香ばしい国の代表例、民主主義じゃないけど民主主義って言うのが
国名に入ってる国は何時登場予定ですか?w
Gorubii |  2006年07月02日(日) 07:50 |  URL |  【コメント編集】

●いらっしゃい

>>ニーナさん
まぁ、フランス政府が支給してる年金ですからね。

>>書記長
民主主義じゃないけど「民主主義」が国名に入っている国・・・。
スリランカ?ラオス?アルジェリア?エチオピア? w
にゃおんちゃん |  2006年07月02日(日) 18:17 |  URL |  【コメント編集】

皇帝を名乗るのに20世紀も1970年代も関係ないと思うのですが…

確かに為政者としては問題が多かったでしょうし、戴冠式にもとんでもない予算が
かかっていることは否定しませんが、それでも彼がれっきとした皇帝だったことに
変わりはありません。

ボカサ1世皇帝は同じエンペラーということでわざわざ我が国の帝に招待状を
出してくださっているのに、教皇や天皇を神聖視しながらボカサ1世皇帝だけを
殊更俗物扱いするような論調には正直激しい不快感を禁じえません。
ぶf |  2011年03月07日(月) 19:49 |  URL |  【コメント編集】

●中央アフリカ帝国皇帝・ボカサ1世の親族

どうも「沿ドニエストル共和国」事で厚く語った、共産主義も半分考えてる自由主義者です。
今回は「中央アフリカ帝国皇帝・ボカサ1世」の親族についてです。
もし貴族の身分を貰うならイギリスに行き、貴族の勉強し「エリザベス女王」に会い、「準男爵」の爵位を貰うべきです!
序に「シーランド公国」で「公爵」の身分を買うって「公爵」になるべきです!
他に「ベルギー軍将校」、「ベルギー貴族」、「ボナパルト家」に会い、その次が「イギリス・南アフリカ」と通じて「ズールー族の王」と会って、そして最後に「神聖中央アフリカ帝国」を建国するべきです!
今は「暫定政府」としてイギリスに亡命するべきです!
何時か祖国に戻るためにです。
最後に「熊谷裕樹」とゆう社交界の大物で「熊谷王子」と言われてます!
その「熊谷王子」に会いべきです!
ホームページは「http://www.kumagai-activity.com/」です。
以上です。
では失礼します。
高橋純一郎 |  2011年04月19日(火) 06:22 |  URL |  【コメント編集】

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