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2011.12.07 (Wed)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第27回)

◆南朝鮮を斬る!(戦争記念館編 その1)

10月10日(土)、早朝に南朝鮮へ到着したにゃおんちゃん。京城市内へ移動してホテルにチェックインをするが、時間はまだ午前11時。本当はひと眠りしたいところだが、さすがにこの時間ではまだ部屋に入れてもらえず、近くにある戦争記念館へ行くことにした。
戦争記念館は朝鮮戦争に関する軍事博物館なのだが、実際は朝鮮戦争に限らず様々な時代の戦争に関する展示物があるという。あの国のことだ、どうせ安重根(※1)に関する展示とかあって笑わせてくれるに違いない。

※1:安重根
朝鮮の独立運動家で、1909年にハルビン(現・中国黒竜江省の省都)で伊藤博文を暗殺した。犯行後、当時ハルビンを統治していたロシアの警察に逮捕され、日本に引き渡されて裁判に掛けられた後、翌1910年に処刑されている。
日本人から見れば「日韓併合反対派の重鎮だった伊藤博文を殺して併合を加速させたバカ」なのだが、どういう訳か南朝鮮では「抗日闘争の英雄」という評価になっている。
近代以降の朝鮮で英雄と称されている人物は、安重根に限らずテロリストばかりで、まともな人物はひとりもいない。金嬉老までもが英雄視されるのだから、南朝鮮ではヤクザでも何でもとにかく日本人を殺せば英雄になれるらしい。


地下鉄4号線の三角地駅を出ると、遠くに戦争記念館の屋根が見えた。遠めに見てもかなり巨大な建物で、近づくと前庭に戦闘機や戦車などが展示されているのが見えた。こりゃ見ごたえがありそうだ。
にゃおんちゃんは今回を含めると南朝鮮へ来るのは4度目なのだが、実は戦争記念館へ来るのは今回が初めて。本当は前回の訪朝時にここへ来る予定だったのだが、あのときは同時期に某三国人チャットの常連日本人達(通称「チョッパリーズ」)と時期を合わせて訪朝したため、彼らと一緒に行動することが多く、戦争記念館へ行くことを予定していた当日の朝にキムチ太郎(というハンドルネームのチョッパリーズのひとり)に捕まり、 「美人床屋」へ拉致されるというアクシデントにより来ることができなかったのだ。

その一件に限らず、前回訪問時はチョッパリーズのせいで予期せぬ出来事が次々と起こり、最後には飛行機に乗り遅れるというオチまで付けてしまった。どうやって帰国したのかって?航空券を買いなおして、成田経由で帰国しましたよ・・・。
いつも一人で旅行してるから、仲間と一緒の旅行ってこんなに楽しいものかと思った。またいつか皆で一緒にどこか行きたいなぁ。でも、朝鮮はもう嫌だから、台湾にしようぜ!

南朝鮮の戦争記念館
戦争記念館の前景。建物の両側には連合国軍として参戦し、南鮮を助けた各国の国旗が並んでいます。ちなみに、日本は武装解除されていて軍隊が無かったので参戦してません。

兄弟の像
敷地に入ると真っ先に見えるのが、この「兄弟の像」。
「南朝鮮軍将校の兄と北朝鮮軍兵士の弟が、戦場で劇的に再会したという実話をもとに作られた」らしいが、正直に言って悲劇だとは思わない。朝鮮が南北に分断されたのは朝鮮人の自業自得だし、「日本の共犯者」として裁かれずに済んだことに対する代償としか思えないからだ。


さて、朝鮮に対する同情心が微塵も無いにゃおん氏がここに来た理由は、展示されている兵器と朝鮮人のトンデモ歴史観に基づいて書かれた解説を見るためである。さてさて、どんな香ばしいことが書いてあるのやら?
建物の中へ入ると、まずは朝鮮戦争に関する展示から始まるのだが、戦争の経過を説明するボードは幸いなことに朝鮮語と英語で表記(一部、日本語表記もあり)されている。実際は李承晩の独裁政権下で100万人を超える自国民をブチ殺した南朝鮮が、自由と平和のために戦ったように書かれているところなんか脱力ものだが、この程度で呆れていては先に進めない。

しかし、意外なことに「カイロ会談→ヤルタ会談→ポツダム会談→ソ連参戦→日本降伏→米軍・ソ連軍が半島に進駐→南北分割統治→信託統治案がボツに→南鮮だけでインチキ選挙やって独立→北鮮も独立」と朝鮮半島が戦後秩序形成の中でどのような取り扱いを受けたか、きちんと解説されていて腰を抜かす。ここまでちゃんと書いてあるのに、どうして朝鮮人どもは「ウリナラは抗日ゲリラを作って独力で日帝を追い払ったニダ!」とか「金日成が勝手に独立を宣言したせいで分断されたニダ!」とかドンデモ歴史観に基づく仰天発言をするのだろうか?
さらに意外なことに「麗水・順天事件」に関する記載もあった。さすがに「済州島四・三事件」とか「居昌事件」とか「漢江人道橋爆破事件」とか「国民保導連盟事件」とか「国民防衛軍事件」に関する展示は無かったけど。(※2)

南朝鮮人は戦争記念館へ行って勉強し直してから日本人に歴史討論を挑んでください。お前らバカすぎて話になりません。

※2:たくさんある「○○事件」
いずれも朝鮮戦争中に南朝鮮政府が自国民を虐殺した事件。全部合わせると犠牲者は100万人を超える。
南朝鮮軍は「自ら手をかけて殺した国民の数」だけで、第二次世界大戦における日本の民間人死者数(約80万人)を上回ってしまう。これに北朝鮮との戦闘に巻き込まれて死んだ民間人の数も加わる訳で、朝鮮人が同族同士でいかに凄まじい殺し合いをしたかが分かる。


3.5インチM20スーパーバズーカ
南朝鮮軍が使用した3.5インチM20スーパーバズーカ(米国製)。
李承晩のキチガイぶりを目の当たりにアメリカは、南朝鮮が勝手に戦争を始めないようロクに兵器を与えなかった。そのため、南朝鮮軍には戦車どころかまともな対戦車兵器すら支給されず、朝鮮戦争が始まると北朝鮮軍のT-34/85に蹂躙されまくった。
これに慌てた米軍が投入した対戦車兵器が、この3.5インチ(89mm)M20スーパーバズーカ。後に陸上自衛隊にも供与されている。

在日義勇兵のマネキン
朝鮮戦争に参戦した在日義勇兵のマネキン。
当時の在日朝鮮人の人口は約50万人(密入国者も含めると80万人という説もある)なのに、義勇兵として南朝鮮軍に加わったのはたったの650人。これじゃ南鮮本国人も在日を嫌うわな。それなのに、マネキンまで作ってもらえてよかったね。
ちなみに、この義勇兵どもは後に李承晩の命を受けて「新潟日赤センター爆破未遂事件」を起こしている。日本は関係ないんだよ。こっち見るな、朝鮮人!


展示室の隅にモニターが設置されていて、朝鮮戦争当時の映像を視聴できる設備があった。そのモニターの前に中国人の団体が陣取っていたのだが、なんとこの中国人達は中国人民志願軍(※3)の映像が出てくると歓声をあげていた。おいおい、血の気の多い南朝鮮人に襲われても知らんぞ!
幸いなことに、南鮮人達は「なんだ、あいつら?」と一瞥するだけで去っていった。見てるこっちがハラハラしちゃったよ。

※3:中国人民志願軍
朝鮮戦争の際に中華人民共和国が派遣した人民解放軍部隊。正規軍投入による事態悪化をソ連が嫌ったため、「自ら志願した義勇兵の部隊(=だから政府は関係ない)」という形を取っている。
仁川上陸作戦によって補給を断たれた北朝鮮軍が崩壊し、米軍を主体とする国連軍が鴨緑江(中朝国境)まで迫ったところで、突如として参戦した。兵力100万人の人海戦術で国連軍を圧倒しソウルを奪還するが、やがて激しい消耗に耐えられなくなり、戦線を38度線まで押し戻された。
もし中国が参戦しなければ国連軍が勝利し、南朝鮮が半島を統一していたのに、南鮮人どもは「ソ連と金日成が悪い」と言うだけで中国のことは責めない。とんでもないバカになると、「アメリカと日本が悪い」と言い出す。赤化統一がお望みだったらしい。



≪つづく≫

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