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2009.11.09 (Mon)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第9回)

◆大統領博物館で偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下について勉強汁

アスタナへやって来たにゃおんちゃんは、この日から本格的に観光を開始する。中心街をブラブラした後に向かった先は『大統領博物館』。アバイ大通りに面した大統領府の裏にある博物館で、なんと入場料は無料。さすが偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下である。
博物館の入口にはゴツい門があってゲートは閉じられたままなので、その横にある小屋から敷地内に入ることになる。小屋の中には警備の警官がいて、金属探知機が設置されている。金属製品をたくさん身に着けているにゃおん氏は、いつものように金属探知機に引っかかりブーツまで脱ぐ羽目になるが、ヤバいものは持っていないので入場を許可される。ありがたやー、ありがたやー。
しかし、警官から「写真は撮るなよ」と言われてショゲる。日本の皆様に香ばしき展示品を紹介しようと思っていたのに・・・残念無念。それでもエントランスにある写真パネルだけは隠れて撮影してきた。下の写真がその1枚である。

建物の中に入ると、入口にいたおばちゃんにゴミ袋を手渡される。
えーと・・・このゴミ袋は何に使うのでしょうか?まさか、かぶるとか?
ゴミ袋を手にしたまま首を傾げていると、おばちゃんは上の階から降りてきた入館者を指差した。彼らを見ると・・・なんと、ゴミ袋を靴にかぶせて歩いていた。床が汚れるからゴミ袋を履いて歩け、というのである。こんな高圧的な博物館は見たことが無い。さすがはのぼせ上がった独裁者偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下の博物館である。
しかし、係員は親切で目の前に階段があるのにわざわざ私をエレベーターまで案内し、「最上階(5階)まで上がってから、階段で降りてくるといいですよ」と説明してくれた。しかし、彼女が押したボタンは3階・・・。まぁいい、何も言うまい・・・。

3階でエレベーターを降りて最初に入った部屋に展示されていたのは、カザフスタンの民族衣装。どんな香ばしい展示品があるかと期待していたが、見事に出端をくじかれた。もしかして、この博物館ってまとも?
しかし、偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下は私の期待を裏切らなかった。展示物がまともなのは3階だけで、4階に上がると「どうだい?俺って凄いだろ?」という自己顕示欲がプンプンする展示物がこれでもかというほど展示されていたのだ。
具体的には各国で貰った大綬(勲章:もちろん日本を含む)、各国の国家元首からの贈呈品、ナザルバエフ大統領の著書(しかも各国の翻訳版まであった)、大統領が愛用していた身の回りの品、家族の写真、若い頃の写真、ソ連時代に貰った勲章などなど。中にはルイス・ハミルトン(F1ドライバー)から貰ったグローブや、大きな工事を受注したIHI(石川島播磨重工)から貰った五月人形などもあった。

アスタナの大統領博物館
これが偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下の博物館。金掛かってます。

ナザルバエフ閣下と飯島酋長
ナザルバエフ閣下(右)と今は亡き飯島酋長(左)の写真。これが隠し撮りした唯一の写真。


さて、ここで偉大なる終身大統領ナザルバエフ閣下の輝かしい半生を記載しておこう。
ヌルスルタン・ナザルバエフは1940年7月6日、ソビエト連邦カザフ・ソビエト社会主義共和国(カザフSSR)のアルマアタ州カスケレンスキー地区チェモルガン村で、農民の家に生まれている。色々調べてみたが、彼の家系については両親が農民だったくらいしか分からない。
1960年にカラガンダ冶金コンビナート付属鉱業大学を卒業した彼は、カラガンダ市近郊のテルミタウの製鉄所に就職し、溶鉱炉の技師として働くことになった。若い頃からカラガンダ地区のコムソモール(共産党の青年組織)の役員として働いていた彼は、1973年にカラガンダ・コンビナート地区の委員会書記となり、1977年にはカラガンダ州委員会書記(後に第2書記)となった。こうして地方支部の有力者となった彼は、1979年にカザフ共産党中央委員会の工業部担当書記に抜擢され、アルマアタへの進出を果たす。

当時のカザフ共産党のトップ、ディンムハメッド・クナーエフの目に留まったナザルバエフは、1984年にカザフSSR閣僚会議議長(首相)となった。首相といっても、ソ連は中央集権型国家のうえに、共産党が政府を指導するという形を採っていた国なので、西側諸国の首相のような大きな権力を持っていたわけではない。
時の最高指導者レオニード・ブレジネフの寵愛によってカザフSSRに君臨していたクナーエフの影響力は、ソ連のトップがミハエル・ゴルバチョフへ変わると同時に急速に低下し、1986年に失脚して年金生活へと送られることになった。この際、ナザルバエフはクナーエフを引きずりおろすのに一役買っている。ゴルバチョフによればクナーエフにクビを宣告する際に、クナーエフはナザルバエフの台頭を阻止するよう要請したという。

ゴルバチョフはクナーエフの後任にロシア人のゲンナジー・コルビンを抜擢するが、これがカザフ人の反発を招き、1986年12月の「アルマアタ暴動」へと発展する。ロシア人であるコルビンのカザフSSR第一書記就任に怒ったカザフ人は30,000~40,000人規模のデモを行うに至り、当然のごとく治安部隊と衝突して5,000人が逮捕、200~1,000人が死亡する惨事となった。
就任早々大きな政治的ダメージを受けたコルビンは1989年6月まで第一書記を務めたものの、最終的にはナザルバエフに取って代わられることとなった。

ナザルバエフとゴルバチョフ
ナザルバエフ(左)とゴルバチョフ(右) 1990年の写真


カザフSSRの頂点に立ったナザルバエフは、ペレストロイカの一環による連邦構成国への大統領制導入によって1990年にカザフSSR大統領(兼ソビエト共産党中央委員会政治局員)となり、1991年12月のベロヴェーシ合意によってソ連が解体されることが決まると、カザフスタンの独立を宣言した。
そして、その際の大統領選において得票率98.7%で圧勝したナザルバエフはカザフスタン共和国初代大統領に選出されている。
1995年4月には国民投票によって任期を2000年まで延長(本来は1期5年)することに成功したが、1999年1月に大統領選を前倒しし、得票率79.8%で大勝。この際に憲法改正を行って任期を7年に延長している。2005年12月にも選挙を前倒して実施するが、やはり得票率91.5%でボロ勝ちしている。
2005年の大統領選の際には憲法で定めた三選禁止規定に引っかかることが問題となったが、「1991年の選挙は独立前にやったものだからカウントしない」という屁理屈を持ち出してクリアしている。普通の国なら裁判所がイチャモンを付けそうなところだが、あいにくこの国には三権分立などという概念は無い。

独立後、カザフスタンの地下に眠る原油や鉱物資源に目をつけたナザルバエフは、これら天然資源の開発を進めることによってソ連崩壊後にズタボロになった国内経済を建て直し、多くの国民の支持を得るに至った。ナザルバエフのことを「のぼせあがった独裁者」とか「ニヤゾフの一歩手前」などと罵っているにゃおん氏だが、このような功績によって彼を支持する国民が多いのもまた事実。ヨーコ嬢やその友人達はナザルバエフを「偉大な指導者」として尊敬しているという。だから、そういう個人崇拝をやるから・・・もういい、止めておこう。
以前にも述べたが、カザフスタンは選挙前になると野党の有力者が変死体となって見つかるような国である。お約束どおり、欧州安全保障協力機構(OSCE)は「インチキだらけで到底認められる選挙ではない」という発表を行っている。大統領府のすぐそばにOSCEの事務所を発見したが、きっと事務所の中は盗聴器だらけに違いない。警官に因縁つけられて職員が嫌がらせされてなきゃいいが・・・。

そして2007年5月、与党「ヌル・オタン」が全議席を独占するカザフスタン下院議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決。同時に憲法改正を行って任期を5年に短縮し、三選禁止規定も残したが、初代大統領であるナザルバエフは「カザフスタンの創始者」だから例外なのだという。以前にも述べたが「初代大統領法」によって、彼は大統領退任後も様々な特権を保証されている。

ナザルバエフ切手
切手にまでなってしまったナザルバエフ閣下。お前はルカシェンコか。


ナザルバエフには三人の娘がいるが男子の子供はおらず、長女のダリガ・ナザルバエヴァは与党「ヌル・オタン」の副議長を務めるなど有力な後継者候補として見られている。ダリガはかつてラハト・アリエフという医者と結婚していたが、2007年に離婚している。ナザルバエフの娘婿となったアリエフは、当初は治安畑の要職を渡り歩き後継者として期待されるが、何をやらかしたのか駐オーストリア大使として国外へ飛ばされた挙句、誘拐の容疑で刑事告発されて失脚している。まるで北朝鮮のような話である。
末娘のアリヤはキルギスの前大統領アスカル・アカエフの息子のもとへ嫁ぎ、やれ「政略結婚」だの「独裁者同士の血族支配」だのと話題になったが後に離婚し、またアカエフは2005年のチューリップ革命によって国を追われている。

とまぁこんな具合に、ナザルバエフはやり放題なのである。

もういっそのこと『ナザルバエビスタン共和国』に改名するとか、
『カザフ皇帝ヌルスルタン1世』とでも名乗って帝位に就いたらどう?



≪つづく≫


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22:22  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●カガメと天皇陛下との会談について

カガメと天皇陛下との会談との記事読ましていただきました しかしカガメ率いるRPFはとんでもないごろつき集団ですね フツ族難民を言いがかりに近い理由で捕まえてここでは書けないような残虐な方法でいたぶったり殺したりしてますね こんなごろつき集団の長と陛下が会わねばならないとは陛下も気の毒です  ソースを一応張っておきます  http://homepage2.nifty.com/isaoymk/page78.htm
通りすがり一号 |  2009年11月11日(水) 18:02 |  URL |  【コメント編集】

>床が汚れるからゴミ袋を履いて歩け

偉大なる閣下の博物館を土足で汚してはいけないんでしょうww

>同時に憲法改正を行って任期を5年に短縮し、三選禁止規定も残したが、初代大統領であるナザルバエフは「カザフスタンの創始者」だから例外なのだという。

終身大統領って時点でかなり香ばしいですけど、「俺はいいけど、他の奴はダメ」とは、さすがです。
keta |  2009年11月12日(木) 16:37 |  URL |  【コメント編集】

>>通りすがり一号さん
はい、だから私は外務省を馬鹿野郎と罵ったのです。あんなゴロツキに陛下を会わせてはいけません。むしろ、逮捕して国際司法裁判所に突き出すべきで。
それから虐殺の件ですが、フツ族は同じようなことを過去にツチ族に対して行っているわけで、そういう意味では「お互い様」です。また、カガメがわざわざ「残虐な方法で殺せ」と指示した可能性は低いと思います。ルワンダ人どもは自らの意思で自発的にああいうことをやらかしたのでしょう。
これを「人間はここまで残虐になれる」と考えるか、「奴らは未開人だからああいうことをやらかした」と考えるか。それを知るにはどこへ行けばいいのでしょうね。


>>ketaさん
旧ソ連諸国の指導者はそういうジャイアンみたいな奴が多すぎで。
となると、国民はスネ夫になるのかな?w

にゃおんちゃん |  2009年11月14日(土) 13:58 |  URL |  【コメント編集】

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