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2006.04.22 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第10回:ニカラグア(Part2) - ラテンアメリカの英雄と中央アメリカ最悪の独裁者

前回の記事の続きです。Part2は、サンディーノの登場からソモサ政権誕生まで。
このサンディーノっておっさん、写真を見るとメスチソの小男なんですが、カウボーイハットやガンベルトが似合っていて格好良いです。

◆ラテンアメリカの英雄サンディーノ
案の定、海兵隊が撤退した2ヵ月後には保守党のエミリアーノ・チャモロによるクーデターが発生。ニカラグアに親米で民主的な政権を作ろうとしたアメリカの努力は台無しになった。アメリカはすぐさまチャモロに強烈な圧力を掛けて辞任させ、両党が話し合いを行う場をお膳立てした。
ところが、メキシコ革命の影響を受けて民族意識に燃える自由党は「メキシコの支援を受けて、これを期にアメリカの傀儡という立場から脱却する」と気勢を上げ、アメリカの調停を拒否したうえに臨時政府(チャモロのクーデターに反発して作られたものであることから「護憲政府」と呼ばれる)を立ち上げた。
ニカラグアが内戦に突入することを恐れたアメリカは、メキシコに圧力を掛けて自由党への援助を止めさせると、1927年には再度ニカラグアに海兵隊を送り込み調停に応じるよう自由党を恫喝した。震え上がった自由党民兵組織の各指揮官はすぐさま武装解除を受け入れた。

しかし、そんな中でひとりだけ武装解除を拒否した指揮官がいた。それがアウグスト・セサール・サンディーノである。彼は若い頃はメキシコの油田で働いていた一介の労働者で、軍歴など無い。初期のサンディーノの部隊は銃すら満足に持っておらず、鉱山から盗み出したダイナマイトを使って戦っていたような連中なので、米軍は彼らを「ゲリラ」ではなく「山賊」と呼んでいた。当初はその程度にしか思われていなかったのである。

反米の闘士アウグスト・セサール・サンディーノサンディーノは自由党を離脱すると、アメリカの傀儡からの脱却を掲げて「ニカラグア国家主権防衛軍」を結成し、北部の山岳地帯に立てこもってゲリラ戦を展開した。サンディーノ軍は軍事拠点を持たず、食料や兵士は通りかがった農村で提供してもらい、兵器は海兵隊や他の民兵から奪ったものを使った。また、装備の貧弱さを逆手にとって機動力を生かした神出鬼没な戦術で米軍を苦しめるなど、後のベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の手法に通じるものがあった。

1920年代はちょうど中南米に共産主義が広まった時期で、サンディーノが支援を求めてメキシコのコミンテルンに接近すると、中南米各国は共産主義者達はアメリカに立ち向かうサンディーノを称えて様々な支援を行った。後にエルサルバドルで活躍するファラブント・マルティも義勇兵としてサンディーノ軍に参加している。しかしサンディーノ本人はただの反米主義者で共産主義者ではないうえに、「アメリカが撤退したら、自分は政治活動も武力闘争も止める」と表明するほど無欲な人物だった。


米軍はサンディーノ軍の徹底したゲリラ戦法に手を焼き、戦死者は増える一方だった。やがて1929年に世界恐慌が始まると、大国アメリカといえども中南米の小国にかまけている余裕は無くなり、ハイチやドミニカ共和国に続いてニカラグアからの撤退も模索するようになる。
一方のサンディーノもスターリンが独裁者と化し恐怖政治を行うのを見て幻滅し、共産主義勢力と距離を置くようになった。それによって支援元を失った彼はメキシコへ向かい、政府に調停と支援を依頼。横暴な大国アメリカと戦うラテンアメリカの英雄として市民から熱烈な歓迎をうけたものの、当時のメキシコは革命後の経済再建に失敗したうえに、世界恐慌の影響を受けて国内経済が壊滅寸前。このような状況でアメリカを敵にまわしてまでサンディーノを支援する余裕などあるはずもなく、それどころかのらりくらりと回答をごまかし続けて1年間ほど彼をメキシコに足止めする始末だった。

このように両者とも戦争の継続が困難な状況に陥ったことから、1932年から休戦協定締結に向けた交渉が始まった。
そもそもアメリカがニカラグアに介入した理由は、馬鹿なニカラグア人が内輪もめばかりして政情不安を招いたことにある。招いた・・・というか独立以来殆どの時期がそのような状態だった。アメリカの要求は決してハードルの高いものではない。親米で民主的な政権が安定した国家運営をしてくれればそれで十分だったのだ。にもかかわらず、中南米諸国の大半は内輪もめを繰り返してアメリカの気を揉ませてばかりいた。
そこで、アメリカはひっきりなしに続く両党の反乱やクーデターを防ぐため、国家警備隊(軍隊)の機能強化を提案した。これには、仮に反米主義者のサンディーノが大統領になったとしてもゲリラあがりの彼には軍とのパイプは何も無いことから、軍部さえ押さえておけばいつでもサンディーノなど失脚させられるという意味合いもある。
共産主義者と手を切り、メキシコにも冷たくあしらわれたサンディーノにはもはやこれを拒絶する力は無く、「とりあえず米軍は出て行ってくれるから」ということで協定案に合意した。


協定締結後の大統領選ではかつて護憲政府の大統領も務めた自由党のファン・パウティスタ・サカサが勝利した。注目の国家警備隊の長官にはアメリカのゴリ押しによって親米右派のアナスタシオ・ソモサが任命され、米軍は1933年にニカラグアから撤退した。サンディーノは当初の宣言どおり米軍が撤退すると武装解除に応じ、大統領選にも出馬せず地元のニカラグア北部に帰って共に戦ったゲリラ兵達と農場建設を始めた。

米軍撤退後、サカサ政権内ではやはり強力な軍部を擁するソモサの発言力が増し、大統領はただの飾りと化してしまった。ソモサは在ニカラグア米国大使を通じてアメリカと今後の体制について協議を行い、まずはサンディーノを殺して後顧の憂いを絶つことで合意した。今は政治活動と無縁とはいえ彼を信奉する国民は多く、何かあれば政権の強力な敵となる可能性があるからだ。
1934年2月、協定締結時の合意が政権側に次々と反故にされていたことから、サンディーノは首都マナグアでサカサと会談を行い抗議した。しかし、その帰路の途中ソモサの命を受けた国家警備隊によって拉致され、側近とともに射殺されて空き地に埋められた。享年38歳。


◆中央アメリカ史上最凶最悪の政権誕生
中央アメリカ史上最悪の独裁者アナスタシオ・ソモサ・ガルシアソモサはサンディーノを暗殺すると、すぐに彼の農場を襲撃して元ゲリラ兵士たちのみならずその妻子までことごとく殺害した。さらに自分の手下のファシスト団体「青シャツ団」を使って暴動を頻発させると戒厳令を発して議会を停止し、サカサを辞任に追い込んだ。そして、候補者は自分とその傀儡候補だけという茶番選挙を行い、1937年に自らが大統領に就任した。クーデターで実権を掌握することも可能だったが、そんなことをすればアメリカが騒ぐので、体裁を整えるためにこのような手法を採った。
これらは全て事前にアメリカに伺いを立てたうえで行われており、アメリカはソモサの横暴を黙認した。それどころか大統領フランクリン・ルーズベルトは「ソモサは売女の息子だが、しかし売女たる我々の息子だ」と言って彼をかばう発言までしている。当時のアメリカは世界恐慌で受けたダメージから立ち直るのに必死で、他国に軍隊を送る余裕などなかった。後の冷戦時代にアメリカは「悪党でもアカよりはマシ」と世界各地で親米派キチガイ政権を野放しにするが、その傾向はこのとき既に始まっていた。

ソモサは自分の権力の源である国家警備隊を忠実な猟犬・番犬にすべく、給料を一般兵で50%、将校で30%も引き上げて特権階級扱いにした。図に乗った国家警備隊は組織ぐるみで賭博・売春業者と癒着し暴利を貪ったがソモサはこれを見て見ぬふりをし、国家警備隊と青シャツ団を使って暴虐の限りを尽くした。
まずは憲法を改正して再選禁止条項を廃止し、一期当たりの任期を4年から6年に延長した。反対を唱えた人達は青シャツ団によって抹殺された。続いて、第二次世界大戦が勃発すると1941年に枢軸国に宣戦布告してアメリカに取り入り援助をせしめたうえに、ドイツ人入植者の資産を没収してそれを捨て値で一族や側近に売却した。もちろんソモサ本人も蓄財には余念が無く、1945年までに1億2,000万ドルの資産を獲得しニカラグア最大のコーヒー農園主に成り上がった。


第二次世界大戦末期から世界中で高まった反ファシズムの風潮を受け、中央アメリカでもエルサルバドルやグアテマラで独裁政権が崩壊した。ニカラグアでも反ソモサ運動が盛り上がり、1946年には首都マナグアで10万人規模の市民デモが発生した。頼みの綱のアメリカもソモサ政権が続くことに反対する意向を示したことから、ソモサはやむなく次期大統領選への立候補を断念した。
しかし、そんなことでめげるソモサではない。ソモサは独立自由党のレオナルド・アルゲージョを自分の傀儡として当選させ、院政を敷こうとした。元々、独立自由党はソモサが自分の支持者を集めて作った国家自由党から反ソモサ派がスピンアウトして作った政党なのだが、当局の圧力に屈服して「野党のふりをしたソモサの家来」と化していた。1947年に行われた大統領選では野党保守党が擁立した対立候補に票が集まったが、ソモサが票を操作してアルゲージョを大差で当選させ、自分は引き続き国家警備隊長官の座に居座ることに成功した。ここまではソモサの思い通りに進んでいた。

ところが、飼い犬だったはずのアルゲージョが大統領に就任した途端に突如噛み付いた。アルゲージョはソモサ派の閣僚や軍高官を次々と罷免し、反対派を登用しはじめた。当然ソモサはすぐにクーデターを起こしてアルゲージョを倒すのだが、そのときの理由が「アルゲージョ大統領は発狂したため」というのだから凄い。政敵を精神病扱いにして失脚させるという手法はソ連の得意技であり、反共のソモサがやるのはいかがなものか。
大統領を放逐したうえに、これに抗議した独立自由党の運動家を殺害したことから、周辺諸国もアメリカもことごとくクーデター後の新政権の承認を拒否。ソモサの計画は狂いはじめた。

しかし、ここで余計なことをする馬鹿のせいでソモサが息をふき返してしまった。保守党のチャモロが米軍撤退後の1925年に続き再びクーデターを企んで失敗したのだ。絶好の口実を得たソモサは反対派を一掃し、さらに権力を強化してしまった。
チャモロは国外に逃亡するが、1年半後に許されて帰国した。すると、ソモサはすかさずチャモロに「将軍の協定」と呼ばれる密約を持ちかけた。これは保守党に国会議席の1/3を自動的に与えるとともに、この当時飛躍的に発展していた綿花栽培に関する利権の一部をチャモロに与えるというものだ。本来なら帰国も叶わないのに、それどころかソモサはこんな良い条件を提示してきた。誘惑に負けたチャモロは国を売り飛ばし、保守党も「野党のふりをしたソモサの家来」へと転落した。
1951年にはソモサは大統領に復帰した。政治家も軍もソモサの犬と化し、もはや彼に逆らう者は誰もいなくなった。


一度は周辺国から総スカンを喰らったニカラグアだったが、東西冷戦が本格化してくるとアメリカも周辺国も反共を掲げるソモサ政権を承認せざるを得なくなった。ニカラグアはアメリカが音頭取りをした反共同盟「米州機構(OAS)」に加盟し、1954年にアメリカがグアテマラに軍事介入して左翼政権を転覆させた際にもこれに協力している。

数々の危機を乗り切り、国内でも体外的にも磐石の体制を築いたソモサだったが、1956年にあっけない最期を迎えた。遊説中に行われたパーティーで会場に忍び込んでいた共産主義者の青年に撃たれて死んでしまった。

《Part3につづく》

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