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2009.08.16 (Sun)

【世界の香ばしき国々】第52回:ローデシア(Part6)

前回の記事の続きです。

◆ミステリアス・ローデシア

ローデシアはタバコやトウモロコシなど農産物の輸出で十分な収入を得ていたが、どういう訳か政府は観光産業にも力を入れていた。アパルトヘイトを掲げる極悪国家に観光に行く人などあまりいないと思うのだが・・・。
その際に使用されていたキャッチフレーズが凄い。

「ミステリアス・ローデシア」

冒頭に書いたとおり、ローデシアの白人は黒人がグレート・ジンバブエ遺跡を作ったことを認めていなかった。誰が作ったか分からない謎の遺跡だから「ミステリアス」なのだそうだ。笑わせる。

「痛いローデシア(ノ∀`)」のほうが似合うと思う。


ローデシアは国際社会からどれほど批難されようとも、同じ穴のムジナである悪党(南アフリカとポルトガル)の助けがあるので、過酷な制裁措置を受けてもビクともしない。「差別反対?そそそそ・・・それって旨いのけ?」というナメくさった態度を貫き、各国の足元を見た巧みな外交を繰り広げた。
1968年10月、イギリス政府は再びローデシアの説得に取り掛かる。

イギリス:国際社会も怒ってるし、こんなことはもう終わりにしようぜ?

ローデシア:我が国は全く困っていないので、アパルトヘイトを止める理由は何も無い。

イギリス:こ、こいつ・・・いい加減にしろ!お前のせいで俺まで批難されるのだ!

ローデシア:やーい!ばーか、ばーか!

これっぽちも態度を改める気の無いローデシアはイギリスとの交渉が決裂すると、1970年3月に永続的な白人支配を謳った新憲法を採択し、国名を『ローデシア共和国』と改めた。共和制を採用したということは、イギリス国王(女王)を国家元首として仰ぐ意思は無いということ。つまり、英連邦との決別を意味する。
慌てたイギリス政府は三度ローデシアとの交渉に臨むが、「ローデシアの一方的な独立と白人支配を謳った憲法を既成事実として認める代わり、アパルトヘイトを緩和する」という軟弱な案が黒人やアフリカ諸国の怒りを招き、またしても開き直ったスミスに一蹴される結果となった。

アフリカ諸国が烈火のごとく怒ろうとも、西側諸国は「アカに乗っ取られるよりはマシ」と肝心なところで手を緩めてしまう。中でも「たとえキチガイや悪党でも、アカよりはマシ」と徹底した反共を国是に掲げるアメリカは、ザイール、ニカラグア、カンボジアなどで悪党の政権を援助するのみならず、ローデシアに対しても米国製の兵器等を融通していた。
国連総会でローデシアに対する全面禁輸措置が決議されているにも関らず、各国はそれぞれの思惑でそれを無視したため、ローデシアはどこまでも国際社会をナメくさった態度を貫いた。

ちなみに、黒人をホームランドに押し込んで参政権を一切与えなかった南アフリカと異なり、ローデシアは下院議会66議席のうち16議席を黒人に与えていた。また、黒人の納税額が増加すれば最大50議席まで黒人枠を増加させるとしていた。
しかし、黒人を徹底的に差別するローデシアにおいて、黒人の納税額が劇的に増える要素などあるはずもなく、この規定は白人の言い訳として用意されていたに過ぎなかった。



◆ローデシア紛争(第2次チムレンガ)

ローデシアが独立した1965年の時点では、ZAPUやZANUのゲリラ活動は細々としたものでローデシアの政情は安定していたのに対し、隣のモザンビークは既に香ばしい状態に陥っていた。反政府ゲリラの独立闘争は1962年から始まっていたが、1964年になると3派に分かれていたゲリラが『モザンビーク解放戦線(FRELIMO)』として統合され、1万人近い兵力を有する武装組織となったからだ。ダメ宗主国ポルトガルに、ソ連や中国から援助を受けたFRELIMOを抑える力は無く、反政府ゲリラは着々と支配地域を広げていった。
これを受けてローデシアでも1967年頃から、ZAPUがザンビア領内から、ZANUはモザンビーク領内からゲリラ戦を仕掛けるようになった。(ローデシア紛争)

しかし、ローデシア軍は二正面作戦をものともせず、侵入してきたゲリラをことごとく殲滅するという戦果を挙げている。ローデシア軍は重火器こそ不足していたもののアメリカ製や南アフリカ製の小火器を多数有し、イギリス軍仕込みの厳しい訓練と経験豊富な傭兵の存在によって世界でも有数の戦闘力を誇っていた。
また、彼らは「コンバット・トラッキング」や「ファイヤー・フォース攻撃」という自ら開発した新しい戦術によって大きな戦果を挙げていた。コンバット・トラッキングとはゲリラ部隊の残した痕跡を辿って追撃する戦術で、ファイヤー・フォース攻撃はコンバット・トラッキングにヘリや輸送機を組み合わせて撤退するゲリラ部隊の退路を断つ戦術である。
これらの装備・戦術を駆使したローデシア軍は一般部隊で黒人ゲリラの8倍、ローデシアSASやセルース・スカウツといった特殊部隊に至っては35~50倍の殺傷率を記録していたという。まるでサイヤ人の軍隊である。

1970年には南部の都市フォート・ビクトリア(現マスヴィンゴ)において、ローデシア軍はZAPUを壊滅寸前にまで追い込む戦果を挙げている。しかし、ゲリラを根絶やしにするのは容易ではなく、叩いても叩いても涌いて出てくるゲリラに業を煮やしたローデシア政府は1973年1月にザンビア国境を完全封鎖し、ザンビアもろともZAPUを干上がらせる戦術に打って出た。
だが、老若男女全て合わせてもわずか22万人の白人入植者が動員できる兵力は限られており、ローデシア軍は戦況を優位に進めながらも兵員不足に苦しみ出すことになる。

ローデシア軍の兵士募集ポスター   ローデシア軍の兵士募集ポスター
ローデシア軍の兵士募集ポスター。かっこいいっすね。


そして1974年、ポルトガルの首都リスボンでローデシアの命運を決定づける衝撃的な事件が起きた。『カーネーション革命』だ。

ポルトガルでは、1933年以来アントニオ・サラザール大統領による独裁体制(エスタド・ノヴォ)が続き、1968年にサラザールが病に倒れた後もマルセロ・カエターノ首相による強権政治が続いた。そして、第二次世界大戦後に植民地が次々と独立していく中でも、ポルトガルは「モザンビークやアンゴラは植民地ではなく、ポルトガルの海外県である」と屁理屈を言って手放そうとしなかった。
やがて1960年代になってモザンビークやアンゴラでソ連の支援を受けた共産ゲリラが暴れ出すようになると、ポルトガル政府は国家予算の半分近くを軍事費に費やす羽目となり、気がつけば欧州最貧国に転落していた。しかし、植民地からの撤退を進言した軍幹部は次々と更迭され、戦争反対を訴えた国民は秘密警察によって弾圧された。

1974年4月、このような状況に危機感を覚えた軍内部の左派将校が、ソ連からの支援を受けてクーデターを決行。戦闘行為は全く起きず、無血革命によって約40年続いたエスタド・ノヴォ体制はあっけなく崩壊した。(※7)

※7:カーネーション革命
クーデターが成功したことを知った国民はカーネーションを手に反乱軍兵士達を出迎えたことから、「カーネーション革命」と名付けられた。


カーネーション革命の兵士
カーネーション革命に加わった兵士


左派政権は植民地の放棄を宣言したため、モザンビークは1975年6月に『モザンビーク人民共和国』として独立を達成した。アカの反政府ゲリラFRELIMO主導による独立なので、マルクス=レーニン主義を指向する共産主義国家である。
一方、ローデシアは大規模農場を経営する白人入植者が中心の国。農業まで集団化するマルクス=レーニン主義など彼らにとって危険極まりない思想であり、当然ローデシアはバリバリの反共国家だった。

それまでの共闘関係から一転、相容れない仲となった両者。ローデシアは重要な貿易拠点を失ったのみならず、モザンビーク領内に兵站拠点を確保したZANUの攻撃に悩まされるようになった。
ローデシア政府は南アフリカからの支援や兵役強化などで対抗するが、毎年のように3~6ヶ月の追加召集を掛けられる市民はたまったものではない。繰り返される兵役によってローデシア経済は衰退し、その一方で反政府ゲリラはソ連や近隣諸国からの援助によって力を増していった。
ついには農村部のみならず首都ソールズベリーでも暴動が起きるようになり、ローデシアの白人は苦境に追い込まれる。

しかし、ローデシア政府も手をこまぬいていたわけではない。ローデシア軍は国境を越えてモザンビーク領内にあるZANUの基地を破壊しまくり、モザンビーク政府が国境を閉鎖して経済封鎖を行うと、その報復として越境空爆を繰り返した。
また、ローデシア政府はモザンビークで共産主義に反対していた部族や旧ポルトガル政府の秘密警察「国防国際警察(PIDE)」の元兵士に声を掛けて『モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)』の結成を手助けした。ローデシアや南アフリカから支援を受けたRENAMOはソ連崩壊後の1992年まで暴れ続け、内戦によって90万人の死者を出したモザンビークは壊滅寸前の飢餓国家に転落することになる。ローデシアは1980年に消滅するが、彼らはモザンビークにとんでもない置き土産を残して逝った。

モザンビーク解放運動(FRELIMO)の旗   モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)の旗
左:FRELIMOの党旗。いかにも、という感じでつまらんです。
右:RANAMOの党旗。エスニックな雰囲気があって良いです。


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01:27  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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