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2009.08.12 (Wed)

【世界の香ばしき国々】第51回:ローデシア(Part5)

前回の記事の続きです。

◆白人至上主義極悪国家『ローデシア』誕生

1962年、ニヤサランドが独立を前提に連邦から離脱、北ローデシアもそれに続くのが避けられない状況となり、ローデシア・ニヤサランド連邦は事実上崩壊した。アフリカ諸国が次々と独立していく中で、南ローデシアだけをいつまでも植民地にしておくわけにもいかない。だが、かといって人種隔離政策を認めたまま独立させるわけにもいかず、扱いに困ったイギリス政府は南ローデシアをひとまず自治領へ戻すことにした。
しかし、南ローデシアは白人の比率が高く、しかもその殆どは農場経営者としてローデシアに土着化している。白人入植者の生活は黒人を搾取することで成り立っているため、黒人が政治に参加するような事態は絶対に回避する必要があった。彼らの危機感は1962年に『ローデシア戦線(RF)』という右派政党を生み、RFはその年の選挙で大勝して与党となった。

南ローデシア自治政府首相となったウィンストン・フィールドは南ローデシア独立の承認を引き出すべく本国イギリスとの交渉を繰り返すが、イギリス政府からの回答は「人種差別はもうダメよ。黒人にも参政権を与えて(※4)、両者が共存する国として独立したら?」というもの。しかし、RFやその支持者である白人入植者にとって、これは断じて受け入れられる話ではない。
両者の交渉が暗礁に乗り上げるとフィールド政権の対英協調外交は弱腰と批難され、フィールドは1963年に首相を辞任する羽目となった。

※4:黒人の参政権
南アフリカが黒人の参政権をまったく認めなかったの対し、ローデシアは一定の学歴や資産を持つごく一部の黒人には参政権を与えていた。



イアン・スミス首相新たに首相となったのはフィールド内閣で蔵相を務めていたイアン・スミス。1919年に白人入植者の息子として南ローデシアで生まれたスミスは、第二次世界大戦にイギリス空軍のパイロットとして従軍した後、1948年に政界に進出してローデシア・ニヤサランド連邦の議員となり、RF旗揚げの際には主要メンバーのひとりとなっている。
スミス政権は、外交面においてはイギリスからの一方的な独立も辞さない強行姿勢を貫き、内政面では黒人活動家を片っ端から刑務所にぶち込んで彼らの政治運動を徹底的に弾圧した。また、彼は相手が白人であろうと自分達に逆らう連中は容赦なく取り締まり、イギリスの保守派でさえ顔をしかめるほどの強権政治を行った。

しかし、黒人もやられっぱしだった訳ではない。彼らは政党を作り政治活動に乗り出すが、南ローデシア政府がこれを弾圧すると暴動やサボタージュで報復し、ついにはゲリラ組織を作って武力闘争を始めるに至った。1961年にジョシュア・ヌコモがソ連の支援を受けて『ジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)』を結成、1963年にはZAPUを飛び出した連中が中国から支援を受けて『ジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)』を結成している。しかし、彼らが本格的に暴れ出すのはもっと後の話。

スミス政権もイギリスとの交渉に繰り返すが、アフリカ諸国が次々と独立していたこの時期にRFの主張など絶対に認められるわけがない。イギリス政府はスミス政権に対し「勝手に独立宣言したら経済制裁を加える」と脅しをかけるが、そんなものに怯まない白人入植者達はスミス内閣を支持し、1965年の総選挙でもRFが圧勝した。


ローデシア国旗国民から圧倒的な支持を得たスミスは後述する「密約」のメドが立つと腹を決め、イギリス本国との交渉を打ち切る。そして1965年11月、イギリスから派遣されていた総督を追放し、新国家『ローデシア』として独立を宣言した。22万人の白人が360万人の黒人を支配する白人至上主義の極悪国家の誕生である。
総督とは国王(女王)の名代として各植民地を統治する存在。南ローデシアには自治政府や議会があるので、実際には形式的な存在に過ぎなかったとはいえ、国王の名代を追放するのだからイギリスとの絶縁を宣言したに等しい。海外植民地の白人入植者がイギリス本国に反逆するのは、18世紀のアメリカ独立以来のことであった。

総督を追放されたイギリスは激怒し、国内にあるローデシア関連の資産を凍結して報復した。さらに国際社会に働きかけて、国連安保理からローデシアに対する石油・自動車・武器等の禁輸措置を、国連総会ではローデシアの独立不承認と外交断絶の決議を引き出した。これを受けて各国は首都ソールズベリー(現在のハラレ)にある領事館を閉鎖し、ローデシアは見事なまでに国際社会からハブられた。
これを見たイギリス政府は、「ここまで厳重に包囲してやれば、内陸国のローデシアは貿易ができなくなって1~2年で干上がるだろう」と予測した。

独立宣言書にサインするスミス首相
1965年11月11日、ローデシア独立宣言の書類にサインするイアン・スミス首相


ところが予想は大ハズレ。

アパルトヘイト仲間の南アフリカ(※5)と、植民地放棄を頑なに拒否して世界中からヒンシュクを買っていたポルトガル(※6)が通商条約を結んでローデシアを助けたからだ。スミスがイギリスに喧嘩を売ってまで独立を決意した理由は、この両国との「密約」の存在にあった。
ローデシアは南アフリカやモザンビーク経由で必要物資の調達や農産物の輸出を行った(ローデシア産であることを誤魔化して売りさばいた)ため、経済制裁はまるで効果無し。外国企業が引き上げても国内企業が穴埋めしてしまったので、国内経済はむしろ活性化した。

この辺りは、白人を追い出したはいいがその穴埋めができず飢餓地獄に陥った、後のモザンビークやジンバブエとは全く異なる。できる奴(白人)は何をやらせても上手く、ダメな奴(黒人)は何をやらせてもダメ・・・ということなのだろうか?
ちなみに、このときの制裁のせいで軽工業が発達したジンバブエは、今でも質は悪いながらも国産製品の普及率が高い。

※5:アパルトヘイト仲間の南アフリカ
南アフリカはローデシア以上に極悪なアパルトヘイトを推進していた。普通ならローデシアのように袋叩きに遭ってすぐに潰れてしまいそうなものだが、この国は金やダイヤモンドの他各種レアメタルの宝庫だった。南アフリカ以外でこれほど豊富な種類の鉱物資源を大量に産出できる国はソ連くらいしかなかったため、西側諸国は南アフリカに対してあまり強気な態度を取れなかった。


※6:植民地放棄を拒否するポルトガル
英仏は植民地が独立してもそれらの国を政治的・経済的に牛耳る自信があった。しかし、弱小国ポルトガルにはそのような体力は無く、下手に独立させようものなら他国に権益を奪われる危険性があった。ポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールはそれによって国内経済が破綻すれば共産革命が起こると考えていたので、国際社会からどれほど批難されても植民地の放棄を拒否し続けた。
しかも、モザンビークは内陸国のローデシアやザンビアの貿易拠点となることで全収入の40%を稼いでいたため、ローデシアと絶縁することはできなかった。



ローデシアはイギリスを敵に廻したものの、タバコの葉を大量にアメリカへ輸出していたし、国内に存在する反政府ゲリラ(ZAPUとZANU)がソ連や中国から支援を受けていたので、反共の姿勢を明確にすればアメリカが助けてくれるだろうと考えていた。
経済制裁がローデシアにはまるで効いていないことに気づいた東側諸国とアフリカ諸国は、イギリスに対して「我々は反対しないから、あのような極悪国家は武力で叩き潰しなさい!」と要請するが、下手にスミス政権を潰してローデシアが共産国家になれば厄介なことになる。という訳で1968年に国連安保理はローデシアに対して全面禁輸措置を行うことを決定したが、西側諸国が二の足を踏んだためそれ以上のことはできなかった。

ちなみに、この経済封鎖で酷い目に遭ったのはローデシアではなく、ローデシア経由で貿易を行っていた内陸国ザンビア。黒人国家ザンビアがローデシアのような悪党の存在を容認できる訳がない。なので、国連の制裁に加わるだけに留まらず、ZAPUに基地を提供するなど反政府ゲリラの活動を支援していた。するとローデシアは自国領を経由してザンビアへ向かう物流ルート(鉄道)を遮断したため、銅の輸出や石油の輸入がストップしたザンビア経済は大混乱に陥った。
そして、そのザンビアの困窮ぶりに同情した中国の援助で作られたのが、ザンビアとタンザニアを結ぶ「タンザン鉄道(タザラ鉄道)」(※7)。

※7:タンザン鉄道(タザラ鉄道)
ザンビアは世界で一番最初に中国(中華人民共和国)を承認したことから、中国ととても仲が良かった。タンザン鉄道の建設は、いつもロクなことをしない中国が他国の役に立つことをした珍しい事例といえる。


アフリカの植民地(1914年) ←各国位置確認用の地図 ※クリックすると拡大します

「SOUTHERN RHODESIA」がローデシア、「NORTHERN RHODEDIA」がザンビア、
「NYSALAND」がマラウイ、「GERMAN EAST AFRICA」がタンザニア、「BELGIAN CONGO」がコンゴ(ザイール)として独立。
1965年当時、モザンビークとアンゴラはまだポルトガルの植民地。
なので、ザンビアはローデシアとポルトガルから意地悪されると干上がります。
ザイールとも国境を接していますが、ザイール国内の鉄道網が未発達で大西洋沿岸まで繋がっていません。



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21:09  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

ポルトガルといえば、インド独立後もゴアを手放さずにゴネまくって、
デモ隊殺傷した揚句に実力行使で叩き出されてましたね。
小国の悲哀と言うには余りにも

・・・・・・おや?郵便屋でも来たかな?
名無しのイワンさん |  2009年08月18日(火) 15:28 |  URL |  【コメント編集】

志村、後ろ!後ろ!((;゚Д゚)ガグブル
にゃおんちゃん |  2009年08月19日(水) 20:18 |  URL |  【コメント編集】

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