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2009.08.06 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第49回:ローデシア(Part3)

前回の記事の続きです。

明日からまた出張で不在となるので、今のうちに更新しておきます。


◆南ローデシア自治政府

さて、セシル・ローズと南アフリカ会社はローデシアでどのような統治を行ったか。ローズは鉱業で成功した人物であり、そもそも鉱物資源を目当てにこの地に進出してきたわけで、ローデシアでも鉱山開発を進め、北部では金、銅、クロム、亜鉛、石炭などが掘り出されるようになった。
しかし、前述のとおりローデシアには彼が期待していたほどの鉱物は無く、その開発は細々としたものだった。

一方、ローデシア南部は広大な平地と温暖な気候を有していたことから、南アフリカ会社は農場建設を進めた。いち早く産業革命を成し遂げた工業立国イギリスだが、農業は外国との競争に負けて散々な状態だった。このため、イギリス本国で食いっぱぐれた農民が成功を夢見て次々とアフリカにやってきた。
イギリス人入植者は黒人に土地所有という概念がなかったことに付け込み、広大な土地を占拠していくつもの大規模農場を建設した。このため、土地を取り上げられた黒人は白人所有の農場で働くか、白人地主の下で小作農として生きる羽目になった。当然、白人との対立は激しくなり、耐えかねた黒人は1896年に大規模な反乱が起こすが、約8,000人の死者を出したあげく鎮圧されている。(第1次チムレンガ)


1902年にトランスヴァール共和国とオレンジ自由国がイギリスに併合されて消滅すると、ケープ植民地を中心とするアフリカ南部のイギリス領は1910年に『南アフリカ連邦』として独立した。独立といってもイギリス本国と喧嘩した訳ではなく、白人入植者が高度な自治権を要求したため、イギリス国王を盟主とする英連邦(※2)の一員として独立しただけのこと。
独立したとはいえ白人入植者の大半はイギリス人で、本国と政治的・経済的に深いつながりがある。利害が一致する両者は英連邦という緩やかな枠組みの中で協調して国益を追求する関係となった。(※3)

しかし、独立後の総選挙で勝利したのはボーア人の政党。貧乏白人が多いボーア人は労働市場で黒人と競合することから、彼らは民族主義的政策を掲げてアパルトヘイトを推進していく。イギリス系移民とは異なり、本国からの支援も無く棄民同然の扱いを受けてきた彼らは、南アフリカを追い出されれば他に行くところが無い。その悲壮感が彼らに強硬的な政治姿勢を取らせた。

※2:英連邦(コモンウェルズ)
英連邦加盟国の国家元首はイギリス国王(女王)。これは当時の南アフリカのみならず、現在のオーストラリアやカナダも同様。しかし、カナダやオーストラリアを見て「あれはイギリスの属国だ、保護領だ」と言う人がいないことから分かるよう、これらの国はイギリスを盟主とする連邦の一員だがれっきとした独立国。当時の南アフリカも同じ。


※3:南アフリカ連邦
第二次世界大戦後、アパルトヘイトで世界中から批難される南アフリカ連邦に対し、イギリスは「帝国主義の時代は終わったのだから、そういう政策はもう止めたら?」と注意するが、逆ギレした南アフリカは1961年に英連邦から脱退して『南アフリカ共和国』となった。



一方のローデシアは南アフリカ連邦に加わらず、南アフリカ会社による統治が継続された。期待していた鉱山開発は不発に終わったものの農業は順調に発展し、トウモロコシやタバコなどの農作物がローデシアから大量に輸出された。
しかし、白人入植者は「南アフリカ会社は自分たちの福祉のために予算をつけてくれない」と不満を募らせ、また行政組織に加えて軍隊まで保有する南アフリカ会社の運営コストは莫大で、鉱山や農業による儲けを食いつぶしていたことから、株主も不満を抱いていた。
両者は「南アフリカ会社は商業活動に専念し、ローデシアにきちんとした行政機関を設置すべし」という点で利害が一致したことから、1915年の特許期限満了に伴って南アフリカ会社の統治は終了することとなった。

当初、南アフリカ会社は南アフリカ連邦へ行政権を移譲する予定で、ローデシアは南アフリカ連邦の領土となるはずだった。ところが入植者がこれに猛反発したため住民投票を行い、その結果を受けてローデシア南部はイギリス領内の自治領として扱われることになり、1923年に『南ローデシア自治政府』が樹立された。
一方、北部は白人入植者が少ないうえに開発があまり進んでおらず貧しい地域だったことから、イギリス政府が引き受けて直轄植民地とした。

南アフリカ連邦国旗   南ローデシア自治政府旗
左:南アフリカ連邦国旗。真ん中にユニオンジャック、オレンジ自由国旗、トランスヴァール共和国旗が配置されている。
右:南ローデシア自治政府旗



ところが、1925年に北ローデシアで大規模な銅鉱脈が発見され、今まで放置されていたこの地域が一転して注目されることになる。欧州で自動車や電気が普及したことに伴って銅の需要が増大していたことから、ローデシア北部では銅鉱山の開発が一気に進んだ。
世界恐慌で銅価格が暴落した際には大損害を出したものの、その後ドイツでナチスが台頭して欧州に香ばしい雰囲気が漂い出すと各国は戦略物資としてローデシア産の銅を買い漁り、高品位の銅を大量に産出する北ローデシア経済はすぐに立ち直った。

これを見た南ローデシアの白人は、鉱山が生む利益のおこぼれを狙って南北ローデシアの合併を訴え出した。しかし、南部は大規模農場を経営する白人入植者が多数いて土着化しているのに対し、北部にいる白人は鉱山開発に携わる人間(短期滞在者)ばかり。イギリス政府は「南ローデシアに住む少数の白人だけでそんな広大な地域を統治するのは無理」として入植者の要求を拒否したが、彼らの不満を宥めるため南ローデシア自治政府で行われていた黒人隔離政策を黙認する態度をとった。
そう、南アフリカ同様この国でもアパルトヘイト政策が取られていたのである。

1920年代の南ローデシアは、南アフリカ会社が利益を上げることができなかったことから分かるとおり、行政コストが高すぎて経済的には停滞する状態が続いていた。そして、1929年に世界恐慌が起こると主力輸出品だったタバコの価格が暴落し、南ローデシア経済はさらに悪化した。
世界恐慌によって生活の危機に瀕した白人入植者達は自治政府の経済政策に対する不満をぶちまけ、黒人を安価な労働力として搾取する政策を掲げていた「改革党」が1933年の総選挙で勝利した。首相となったゴッドフリー・ハギンスは公約どおり南アフリカのアパルトヘイトに通じる人種隔離政策を推進し、それまでも白人入植者の所有する農場で散々コキ使われていた黒人は、土地の所有を制限されたあげく狭い居住区に押し込まれ、奴隷同然の扱いを受けるようになってしまった。

北ローデシアの鉱山労働者用住宅
北ローデシアの鉱山労働者用住宅。物置みたいな粗末な家がずらっと並ぶ。


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19:22  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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