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2006.04.20 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第9回:ニカラグア(Part1) - 余計なことをしてアメリカから睨まれる

しばらく更新してませんでしたが、サボっていたわけではありません。
今回は結構な大作です。5回にわたって掲載します。

◆大国アメリカに翻弄される小国の悲哀
さて、今回取り上げるのはニカラグア。中央アメリカのほぼ真ん中に位置する小国だ。
にゃおんちゃんの場合、ニカラグアと聞いて思い浮かべるものといえば、1980年代後半に活躍したアメリカのスラッシュメタル・バンドSACRED RICHの名曲"Surf Nicaragua"やTHE CLASHが1980年にリリースした三枚組の大作「SANDINISTA!」といったところか。
SACRED RICHはともかく、「SANDINISTA!」のほうはタイトルどおりニカラグアの左翼ゲリラ「サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)」を応援するアルバムで、小学生のときは何も知らずに喜んで聞いていたが、中学生になってFSLNが共産ゲリラと知ったときの衝撃は尋常ではなかった。にゃおんちゃんは100%反共で「共産主義者は全て悪者」と思っていたので、愛するTHE CLASHが中南米の左翼バカゲリラを応援していると知って心穏やかでいられるわけがない。「いくら反体制を掲げるパンクといえども共産主義者に加担するとは何事だ!」と怒り、しばらくジョー・ストラマーを嫌いになったほどだった。

しかし、そんなにゃおんちゃんも今では大人になり、FSLNが生まれるきっかけとなったソモサ政権の悪逆非道ぶりを知ると、彼らが生まれた理由や目指していたものが少しは理解できるようになった。
FSLNは1961年にキューバ革命に影響された10人の若者によって結成されたが、その戦いは苦難の連続だった。ソモサ政権との戦いの中でその10人は次々と命を落としていき、しまいにはリーダーまで死んでしまい、その後は内紛を起こして分裂している。しかし、悪逆非道なソモサ政権に憤慨する多くの国民と団結し、ついにはこれを倒して新政府を樹立した。まるでFINAL FANTASYの世界である。w
「悪の帝国ソモサ政権と、それに立ち向かう10人の勇敢な若者」という設定で、誰かFSLNを主人公にしたRPGでも作ってくれないだろうか。まぁ、共産主義者なのが難点ですが・・・。


ニカラグア国旗革命を成就したFSLNだが、むやみに赤い旗を振り回してアメリカを刺激するようなことはしなかった。資本主義と社会主義の長所を組み合わせた穏やかな政策を打ち出し、挙国一致体制で国家再建や貧困撲滅に取り組む。しかし、キューバと深いつながりがあるFSLNの存在をアメリカが許すわけがない。

アメリカは様々な外交的圧力でニカラグアを締め上げ、さらにFSLNと敵対する勢力をかき集めて反FSLN連合「コントラ」の結成をお膳立てすると、これに湯水のごとく金や武器を与えてサンディニスタ政権を潰そうとした。
40年に及ぶソモサ一族の独裁政権を倒したのもつかの間、再び始まった内戦は長期に及んだが、1990年代初頭にソ連が崩壊し東西冷戦が終結。すると、アメリカからの援助が止まったコントラは武装解除に応じ、さらに同時期の総選挙で負けたFSLNが素直に政権を手放したことから、再びニカラグアに平和が訪れた。

ニカラグア位置図1990年に発足したチャモロ政権はアメリカをはじめとする西側諸国との関係を正常化し、年10,000%を超えるインフレが続いていたニカラグア経済の再建に成功したが、IMFが要求する緊縮財政と経済の自由化を推進した結果、貧富の差が拡大して議会との対立が激化した。

1997年に大統領に就任した右派のアルノルド・アレマンは元ソモサ一族の部下。アレマンは自由主義市場経済を一層推進し、さらに自分の支持層である保守派富裕層や身内に対する露骨な利益誘導政治を行った。そのため貧富の差はさらに拡大し、貧困層は教育も満足に受けられなくなるなど、サンディニスタ政権時代に行われた改革の成果は失われてしまった。というか、FSLN自身も利権をエサにアレマンに取り込まれる始末。

2002年に大統領に就任したエンリケ・ボラーニョスは、かつてサンディニスタ政権に逆らったため弾圧され、自身が経営していた会社を没収されたという可哀想な過去を持つ。ボラーニョスは汚職撲滅を掲げ、アレマン政権時代の腐敗を追及する姿勢を見せているが、議会では大統領支持派が少数であるため厳しい政権運営が続いている。
頻繁に大統領が変わっている印象を受けるが、それはこの国が「大統領任期は1期5年、連続再選禁止」という条項を憲法に定めているため。


面積は約13万k㎡(日本の1/3で北朝鮮やギリシャとほぼ同等)で、人口は約560万人。一人当たりのGDPは820$。もちろん中央アメリカ諸国ではぶっちぎりの最下位。メキシコは別格としても、コスタリカやパナマと比較しても1/5以下の所得水準なのだ。この地域でアメリカに逆らったときの代償は大きい。
工業化も進んでおらず、主な輸出産品はコーヒーや牛肉。ニカラグア産の農畜産物に対するブランドイメージなど聞いたこともないし、広大な国土を有する国が行う大規模経営の農畜産業にコストや生産量で勝てるわけがなく、これで稼げる外貨などたかが知れていると思われ。
ニカラグアの苦難は続く。


◆スペインからの独立と中央アメリカ連邦の崩壊
クリストファー・コロンブスによって発見される前のニカラグアの地にはアステカ、マヤ系のインディオが住み、ニカラオカリ(現在のリバス付近)を拠点にアステカ王国の南端基地として、南米のインカ帝国などとの交易を行っていた。
16世紀初頭にコロンブスがこの地を発見すると、スペインは周辺諸国と同様ニカラオカリを征服し、1525年にはニカラグア総督を設置した。スペイン人は奴隷貿易を始めたため原住民は40年後には絶滅寸前まで減少してしまったが、全く悪びれることもなく今度は大アンティル諸島(キューバやジャマイカなど)から奴隷を連れてきて金を掘りはじめた。といっても、ニカラグアで採れるのは砂金程度。資源に乏しく人口も少ない地域ということでグアテマラ総督領に編入されるなど、周辺地域のオマケのように扱われる時代がしばらく続いた。

それから約300年後、中南米への入植者達は18世紀後半から19世紀初頭に起こったアメリカ独立やフランス革命などの影響を受け、スペイン本国の影響から逃れて自分達で国家を運営したいと考えるようになった。
かくして中央アメリカ各地で独立機運が高まり、19世紀に入るとメキシコで独立戦争が始まった。1821年にメキシコが独立を達成するとニカラグア総督管区も独立を宣言し、1823年には周辺の4ヶ国(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカ)と共に、アメリカをモデルにした連邦国家「中央アメリカ連邦」を結成した。

ところが、1938年に連邦政府が財政難を理由に各州に関税をかけることを決議すると、ニカラグアはこれに反発し連邦から離脱、翌年には内乱で連邦そのものが崩壊してしまった。元は同じスペインの植民地だというのに、上手くいかないものである。
中央アメリカ連邦議会は、共和制と自由主義を標榜する「自由党」と王党派の流れを汲む「保守党」の二大政党によって運営されていたが両党の対立が酷く、それも連邦崩壊の一因となった。両党は各州に支部を持っていたことから、自由党と保守党はの対立は連邦崩壊後もこの5ヶ国それぞれで続こととなった。


◆セラヤ大統領の野望
アメリカ西部で金が産出されるようになると、アメリカ政府はそれを東部やヨーロッパへ船で運ぶために太平洋と大西洋を結ぶ運河を建することを計画した。地図を見ると分かるが、ニカラグア地峡は幅も狭いうえに途中に川や湖などがあることから、運河建設に適した地形となっている。結局、アメリカは後にパナマに運河を作ることを選択するが、当初はニカラグア地峡への運河建設も有力な案だった。
中央アメリカ連邦が崩壊すると、アメリカに加えてカリブ海に利権を持っていたイギリスがこれに目をつけて、ニカラグアへの影響力を確保しようと様々な工作を行った。ただでさえ自由党と保守党の対立があるところに、英米や近隣諸国がそれぞれの思惑で介入するものだから、ニカラグアでは何年も政情不安な時期が続いた。統一国家とはいっても、実際は両党がそれぞれ民兵組織を持ち、覇権を争っている状態だった。
両党の対立は激しくなる一方で、少しでも優位に立とうとした自由党は傭兵を雇い入れたりしていたのだが、1855年にはその傭兵が率いる部隊に国を丸ごと乗っ取られるという事件が発生した。何ともマヌケな話だが、このときばかりは自由党と保守党はもちろんその背後にいる周辺諸国も団結し、約1年を費やしてやっとの思いで傭兵部隊をニカラグアから追い出した。

ホセ・サントス・セラヤ大統領それから30年間は保守党政権が続いた。そもそも自由党が傭兵を雇い入れたのが動乱の発端なのだから、評判がガタ落ちになるのは当然である。
その30年の間にニカラグア経済はコーヒーやバナナの栽培で順調に発展し、これらの農園を経営する資本家や地主が大きな力を持つようになった。既得権とは無縁のところで成長したこれら新興資本家達は、スペイン植民地時代の封建主義色が残っている保守党よりもアメリカ型の自由主義を掲げる自由党を好み、1893年になると自由党所属のコーヒー農園主ホセ・サントス・セラヤが彼らの支持を受けて大統領となった。
セラヤはかなりの野心家で、順調な経済発展を基にニカラグアの近代化を推し進めたほか、当時イギリスの保護領だったモスキート海岸(現在のニカラグア東部カリブ海沿岸地域)を巡るアメリカとイギリスの権益対立に付け込み、アメリカとグルになってモスキート海岸からイギリスを追い出して、まんまとニカラグアに併合している。


だが、セラヤは親米派といえどもアメリカの子分で満足するような男ではなかった。彼はニカラグアを含む中央アメリカ諸国がそれぞれ分裂した小国のままではアメリカの搾取が続くと考え、「中央アメリカ共和国構想」を打ち出して周辺諸国の再統一を訴えた。しかし、各国が既得権や政治的対立からこれを無視すると、憤慨したセラヤは武力による統一を企む。
1907年にはホンジュラスがグアテマラの支援を受けてニカラグアへ侵攻してきたが、セラヤはこれを返り討ちにして、逆にホンジュラスに侵攻し全土を制圧した。勢いに乗ったニカラグア軍はそのままエルサルバドルにも侵攻するが、大敗北を喫して撤退する羽目になった。
こうなると、逆に上記の反ニカラグア3ヶ国が一致団結して侵攻してくる恐れがあるため、セラヤはアメリカに調停を依頼した。アメリカは親米派のセラヤの頼みゆえ調停を引き受けたが、同時に野心を剥き出しにして余計な騒ぎを起こした彼に対して不信感を抱くようになる。

それでもセラヤは懲りない。今度は自前でニカラグアに運河を建設することを計画し、ドイツやイギリス、日本などに出資を求めた。しかしアメリカにしてみれば、もうすぐパナマ運河が開通(1914年に開通)するのにニカラグアに運河を作る必要性など無いし、しかもそれがもし敵対する国の管理下に置かれたりしたら自国の安全保障は重大な危機に直面することになる。恩を仇で返されたアメリカはカンカンに怒り、セラヤ政権を潰すことに決めた。
1909年、アメリカにそそのかされた軍の一部と保守党が反乱を起こすと、アメリカも正規軍を投入してこれを支援した。周辺国は全て敵、国内では反乱が起こり、アメリカからも三行半を叩きつけられ、進退極まったセラヤはメキシコに亡命する羽目になった。


◆アメリカ海兵隊駐留時代
中南米やカリブ海は、今も昔もアメリカの庭。当時のアメリカはモンロー主義を掲げ他の大陸での争いごとに一切関与しないかわりに、この地域に他の列強が影響力を及ぼそうとしたり、自分の言うことを聞かない国が存在することを絶対に許さなかった。当時、既にハイチやドミニカ共和国が米軍の侵攻・駐留を受けていたほか、この基本方針は第二次世界大戦後も一切変わらず、ハイチやグレナダなどがアメリカに逆らってお仕置きされている。
唯一の例外はキューバだろうか。1959年のキューバ革命以来、あの場所で反米を掲げて約半世紀。今まで生き残っているのは奇跡に等しい。

アメリカはニカラグアに親米傀儡政権を立て、さらに海兵隊を駐留させて厳重に監視した。また、1914年には300万ドルでニカラグアから運河掘削権を買い上げる協定(チャモロ=ブライアン協定)を結び、二度とニカラグアが勝手に運河を作ることができないようにした。「運河を作りたい」からではなく、「運河を勝手に作って欲しくない」から採掘権を買い上げたという、世にも珍しい協定だ。
こうしてニカラグアは事実上アメリカの管理下におかれることになったが、保守党と自由党の対立は一向に収まる気配が無い。両党とも選挙違反や不正は当たり前。そんな調子だから選挙結果を尊重する気など皆無で、負けたほうは必ず反乱の準備をするし、勝ったほうは必ずアメリカに泣きついて支援を求める有り様だった。

1918年に第一次世界大戦が終結すると、世界各地で反帝国主義の風潮が高まった。当然アメリカでも米軍が外国に駐留することに反対する声が高まり、さらに海兵隊の駐留自体も相当長期間に及んでいたことから、1924年の大統領選を見届けるとアメリカ政府はニカラグアからの撤退を決めた。
実際にはこの選挙でも政権側は投票日当日に戒厳令を敷いて野党候補者を外出禁止にしたり、選挙責任者を暗殺したりとロクでもないことをやらかしているのだが、アメリカはニカラグア国民の民度の低さに呆れ果てて早く撤退したい一心なので、選挙については何も言わず黙って撤退を進めた。

《Part2につづく》

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