2008.12.14 (Sun)
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その25)
前回の続きです。
◆災難を災難と感じない大物?
ルーツクでの苦難は続く。なけなしの100UAH(約2,300円)を握り締めて切符売りのババァに立ち向かうにゃおん氏。このババァはさっきまで客を怒鳴りつけていた極悪切符売りである。ご機嫌を損ねて切符を売ってもらえなかったりすると、私はこの駅で一夜を明かす羽目になる。緊張の一瞬である。
「キエフまで。クペー(2等寝台)」
果たして100UAHで買えるだろうか?3等寝台になることも覚悟していたが、幸いなことにクペーでも69UAH(約1,600)円で済んだ。
鉄道で旅をする人間にとって旧ソ連は天国のようなところである。主要都市を結ぶ列車は必ずあるし、時間どおりに運行されるし、値段も安い。至れり尽くせりのサービスは無いが、普通に利用する分には特に不便は無い。あえて欠点を言うならトイレが混むことと、いくら掃除をしてもすぐに汚れてしまうので、車掌が怠け者だったりするトイレが凄いことになってしまう点だろうか?
無事切符を買えたが、時間はまだ20時。金が無いので駅の売店でパンとコーラを買って飢えをしのぐ。はぁ・・・美味しいもの食べたいなぁ・・・。駅前にバーのネオンが見えるものの、所持金は20UAH(460円)を切っている。今のにゃおんちゃんは酒など飲めるような身分ではない。
キエフ行きが決まったので友達のリナ嬢に電話する。結構古くからのメルトモだったが、去年の夏にキエフへ行ったときに彼女は実家のあるザポリージャへ帰っており、会うことは叶わなかった。
「リナ、明日キエフに行くことになった。すまんが、部屋を探すのを手伝ってくれないか?」
急なお願いだったにも関わらず彼女は快くOKしてくれた。彼女は私がいずれキエフに来ることは分かっていたが、こんなに早く来るとは思っていなかったようで驚いていた。しかし、適当に理由を作って仕事を抜けてきてくれるという。感謝。
ここで4時間待ち。さて、何をして過ごそうか・・・。
駅周辺だけでも見て回ろうかと思い、重たい荷物を担いでヨロヨロと歩く。喉が渇いたのでコーラでも買おうと思いキオスクに立ち寄ると、近くにたむろしていた若者にからかわれた。ウクライナ語なので何を言っているのかさっぱり分からないが、ロクなことを言われてないのは分かる。普段なら応戦しかねないところだが、安酒で酔っ払ってクダを巻く彼らの姿があまりにみすぼらしく、怒りよりも彼らに対する憐れみで胸が一杯になってしまった。
奴らは俺が東洋人であることをバカにしていたようだが、いくら白人に生まれても無教養な彼らはハッキリ言って「白人のクズ」だ。彼らは自分の人生に不満を持っていても、それを変える術を知らない。できることと言えば酔っ払って愚痴を言うだけ。
日本に生まれたことと、大学まで行かせてくれた両親に感謝しながら駅に戻る。もっとちゃんと勉強しておけば良かった・・・。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
駅へ戻り待合室で音楽を聴きながら過ごすが、ここでもまたひと騒動起こる。
にゃおんちゃんの足にけっつまづいて転んだおっさんが文句を言ってきたのだ。でも、やっぱりウクライナ語なので何を言っているのかまるで分からない。文句を言われて腹が立つことよりも、ウクライナ語を聞けることが珍しくておっさんの文句を聞き入ってしまうにゃおん氏。
そう、ウクライナ西部はウクライナ語が完全に優勢な地域。ウクライナの公用語はもちろんウクライナ語だが、殆どの人はロシア語も話せる。いや、話せるどころか南部や東部はロシア語のほうが優勢で、キエフを含む中央部で半々といったところ。これはソ連時代にロシア語が分からないと良い仕事に就けなかったことに加えて、南部や東部は元々ウクライナ人が住んでいなかったことに起因する。
今回で三回目の来訪となるウクライナだが、実はにゃおんちゃんはウクライナ語を話す人を殆ど見たことが無い。なので珍しくて仕方なかったのだ。何を言われているのか分からないので、適当に「Tak(はい)」とか答えていたら、おっさんはすげー変な顔になった。
好奇心に満ちた表情を浮かべるにゃおんちゃんを見て困惑したのか、おっさんは首を振りながら去っていった。言葉が分からないってのも、時には武器になるもんだ。

ウクライナの夏の風物詩、クヴァス(クワス)売り。美味しいです。
◆キエフに到着
8月4日(月)、午前1時30分。キエフ行きの夜行列車に乗り込む。コンパートメントで同室となったのは中学生くらいの女の子とその母親。夜遅いのでさしたる会話にもならず、簡単に挨拶だけしてすぐに寝る準備にかかる。しかし、中学生のお嬢さんの前で着替える度胸が無いにゃおん氏は、わざわざトイレに行って寝間着に着替えるというヘタレぶりを晒す。
女の子に「着替えるなら俺が外に出るよ?」と申し出たのだが、「このまま寝るからいいです」と言われてスルーされちまったんですよ!中学生の女の子の前でパンツ一丁になる度胸は無かった。
目が覚めると10時近く。過酷なバス移動の後だったので爆睡してしまった。ロシア語で「ドーブラ・ウートラ(おはよう)」と挨拶すると、母親に「ドーブルィ・ラノークでしょ?」と言い直しさせられる。ウクライナ西部の人はウクライナ語に誇りを持っていて、ロシア語を話すと嫌な顔をする人が多いと聞いたが、やはりそうなのか。
ちなみに、ポルタヴァに住む友人のアンドレイ君にウクライナ語を披露したところ、「あ?お前ウクライナ語知ってんの?」と言われただけで、彼はちっとも喜ばなかった。同じウクライナ人でありながらこういう断絶があるが故に、オレンジ革命が起きたりユーシェンコとヤヌコビッチが対立したりするんだろうなぁ。「東部の奴らは嫌いだ」って言い切ったウクライナ人もいたし。あ、でもその人はロシア語を話していたな。w
11時にキエフに到着すると、リナ嬢がホームまで迎えに来てくれていた。ウクライナ人はやたらデカい女が多いのだが、リナ嬢は小柄で華奢。日本人のような体形をしている。そのことを告げると、「ウクライナ人女性はデブが多いでしょ?私は絶対ああはならないわよ!」と力説するリナ。彼女のお母さんも太ってないというから、油断しなければ大丈夫だろう。
彼女はキエフ駅から地下鉄で一駅のところ、「ポリテフニチニー・インスティテュート」に部屋を見つけておいてくれたという。早速行ってみることにするが、地下鉄駅が恐ろしく混んでいたので歩いて行くことにした。
しかし、この日のキエフは暑かったうえに、目的地はたった一駅なのにえらい遠い。重たい荷物を担いでヨロヨロしながら歩く。途中で両替できたのでやっと金欠からの脱出に成功した。
ヒィヒィ言いながら着いた部屋は地下鉄駅から徒歩5分の高層アパートの7階にある一室。オーナーはここの他にも市内に4つほど部屋を持っているという。家賃収入だけで食えそうだ、羨ましい。
部屋は1泊200UAH(約4,600円〉で特に問題は無いのでここに泊まることにする。最近のキエフは物価が急上昇していて、2つ星のボロホテルで1泊1万円もする。それを考えれば、決して高くは無い。
オーナーに何泊するのか聞かれて、1週間と答える。もうどこにも行きたくない。
部屋が決まるとリナはすぐに職場へ戻って行った。
TVをつけると丁度ロシア・リーグのダイジェストをやっていたので暫し見入いっていたが、いつの間にか寝てしまい、起きると夕方だった。
近所のスタローヴァヤへ行ってご飯を食べた後、スーパーマーケットへ行って日用品やら食い物を買い込んで帰る。貸し部屋暮らしもだいぶ板についてきたのか、至ってスムーズに必要なものを調達できた。
友達もいるし、知らない街ではないという安心感があるのか、妙に居心地良く感じる。去年の夏に来たときは風邪をひいてホテルで寝ていただけで終わってしまったことを思い出す。
あ、そういえば今回の旅行ではまだ風邪をひいていない!今度こそ悪しきジンクスを打ち破るぞ!

この日の夕食。シャシリクにボルシチ、それからサラダ。
これで46UAH(約1,000円)もした。物価が上がっているのを思い知らされた一瞬。
《つづく》
◆災難を災難と感じない大物?
ルーツクでの苦難は続く。なけなしの100UAH(約2,300円)を握り締めて切符売りのババァに立ち向かうにゃおん氏。このババァはさっきまで客を怒鳴りつけていた極悪切符売りである。ご機嫌を損ねて切符を売ってもらえなかったりすると、私はこの駅で一夜を明かす羽目になる。緊張の一瞬である。
「キエフまで。クペー(2等寝台)」
果たして100UAHで買えるだろうか?3等寝台になることも覚悟していたが、幸いなことにクペーでも69UAH(約1,600)円で済んだ。
鉄道で旅をする人間にとって旧ソ連は天国のようなところである。主要都市を結ぶ列車は必ずあるし、時間どおりに運行されるし、値段も安い。至れり尽くせりのサービスは無いが、普通に利用する分には特に不便は無い。あえて欠点を言うならトイレが混むことと、いくら掃除をしてもすぐに汚れてしまうので、車掌が怠け者だったりするトイレが凄いことになってしまう点だろうか?
無事切符を買えたが、時間はまだ20時。金が無いので駅の売店でパンとコーラを買って飢えをしのぐ。はぁ・・・美味しいもの食べたいなぁ・・・。駅前にバーのネオンが見えるものの、所持金は20UAH(460円)を切っている。今のにゃおんちゃんは酒など飲めるような身分ではない。
キエフ行きが決まったので友達のリナ嬢に電話する。結構古くからのメルトモだったが、去年の夏にキエフへ行ったときに彼女は実家のあるザポリージャへ帰っており、会うことは叶わなかった。
「リナ、明日キエフに行くことになった。すまんが、部屋を探すのを手伝ってくれないか?」
急なお願いだったにも関わらず彼女は快くOKしてくれた。彼女は私がいずれキエフに来ることは分かっていたが、こんなに早く来るとは思っていなかったようで驚いていた。しかし、適当に理由を作って仕事を抜けてきてくれるという。感謝。
ここで4時間待ち。さて、何をして過ごそうか・・・。
駅周辺だけでも見て回ろうかと思い、重たい荷物を担いでヨロヨロと歩く。喉が渇いたのでコーラでも買おうと思いキオスクに立ち寄ると、近くにたむろしていた若者にからかわれた。ウクライナ語なので何を言っているのかさっぱり分からないが、ロクなことを言われてないのは分かる。普段なら応戦しかねないところだが、安酒で酔っ払ってクダを巻く彼らの姿があまりにみすぼらしく、怒りよりも彼らに対する憐れみで胸が一杯になってしまった。
奴らは俺が東洋人であることをバカにしていたようだが、いくら白人に生まれても無教養な彼らはハッキリ言って「白人のクズ」だ。彼らは自分の人生に不満を持っていても、それを変える術を知らない。できることと言えば酔っ払って愚痴を言うだけ。
日本に生まれたことと、大学まで行かせてくれた両親に感謝しながら駅に戻る。もっとちゃんと勉強しておけば良かった・・・。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
駅へ戻り待合室で音楽を聴きながら過ごすが、ここでもまたひと騒動起こる。
にゃおんちゃんの足にけっつまづいて転んだおっさんが文句を言ってきたのだ。でも、やっぱりウクライナ語なので何を言っているのかまるで分からない。文句を言われて腹が立つことよりも、ウクライナ語を聞けることが珍しくておっさんの文句を聞き入ってしまうにゃおん氏。
そう、ウクライナ西部はウクライナ語が完全に優勢な地域。ウクライナの公用語はもちろんウクライナ語だが、殆どの人はロシア語も話せる。いや、話せるどころか南部や東部はロシア語のほうが優勢で、キエフを含む中央部で半々といったところ。これはソ連時代にロシア語が分からないと良い仕事に就けなかったことに加えて、南部や東部は元々ウクライナ人が住んでいなかったことに起因する。
今回で三回目の来訪となるウクライナだが、実はにゃおんちゃんはウクライナ語を話す人を殆ど見たことが無い。なので珍しくて仕方なかったのだ。何を言われているのか分からないので、適当に「Tak(はい)」とか答えていたら、おっさんはすげー変な顔になった。
好奇心に満ちた表情を浮かべるにゃおんちゃんを見て困惑したのか、おっさんは首を振りながら去っていった。言葉が分からないってのも、時には武器になるもんだ。

ウクライナの夏の風物詩、クヴァス(クワス)売り。美味しいです。
◆キエフに到着
8月4日(月)、午前1時30分。キエフ行きの夜行列車に乗り込む。コンパートメントで同室となったのは中学生くらいの女の子とその母親。夜遅いのでさしたる会話にもならず、簡単に挨拶だけしてすぐに寝る準備にかかる。しかし、中学生のお嬢さんの前で着替える度胸が無いにゃおん氏は、わざわざトイレに行って寝間着に着替えるというヘタレぶりを晒す。
女の子に「着替えるなら俺が外に出るよ?」と申し出たのだが、「このまま寝るからいいです」と言われてスルーされちまったんですよ!中学生の女の子の前でパンツ一丁になる度胸は無かった。
目が覚めると10時近く。過酷なバス移動の後だったので爆睡してしまった。ロシア語で「ドーブラ・ウートラ(おはよう)」と挨拶すると、母親に「ドーブルィ・ラノークでしょ?」と言い直しさせられる。ウクライナ西部の人はウクライナ語に誇りを持っていて、ロシア語を話すと嫌な顔をする人が多いと聞いたが、やはりそうなのか。
ちなみに、ポルタヴァに住む友人のアンドレイ君にウクライナ語を披露したところ、「あ?お前ウクライナ語知ってんの?」と言われただけで、彼はちっとも喜ばなかった。同じウクライナ人でありながらこういう断絶があるが故に、オレンジ革命が起きたりユーシェンコとヤヌコビッチが対立したりするんだろうなぁ。「東部の奴らは嫌いだ」って言い切ったウクライナ人もいたし。あ、でもその人はロシア語を話していたな。w
11時にキエフに到着すると、リナ嬢がホームまで迎えに来てくれていた。ウクライナ人はやたらデカい女が多いのだが、リナ嬢は小柄で華奢。日本人のような体形をしている。そのことを告げると、「ウクライナ人女性はデブが多いでしょ?私は絶対ああはならないわよ!」と力説するリナ。彼女のお母さんも太ってないというから、油断しなければ大丈夫だろう。
彼女はキエフ駅から地下鉄で一駅のところ、「ポリテフニチニー・インスティテュート」に部屋を見つけておいてくれたという。早速行ってみることにするが、地下鉄駅が恐ろしく混んでいたので歩いて行くことにした。
しかし、この日のキエフは暑かったうえに、目的地はたった一駅なのにえらい遠い。重たい荷物を担いでヨロヨロしながら歩く。途中で両替できたのでやっと金欠からの脱出に成功した。
ヒィヒィ言いながら着いた部屋は地下鉄駅から徒歩5分の高層アパートの7階にある一室。オーナーはここの他にも市内に4つほど部屋を持っているという。家賃収入だけで食えそうだ、羨ましい。
部屋は1泊200UAH(約4,600円〉で特に問題は無いのでここに泊まることにする。最近のキエフは物価が急上昇していて、2つ星のボロホテルで1泊1万円もする。それを考えれば、決して高くは無い。
オーナーに何泊するのか聞かれて、1週間と答える。もうどこにも行きたくない。
部屋が決まるとリナはすぐに職場へ戻って行った。
TVをつけると丁度ロシア・リーグのダイジェストをやっていたので暫し見入いっていたが、いつの間にか寝てしまい、起きると夕方だった。
近所のスタローヴァヤへ行ってご飯を食べた後、スーパーマーケットへ行って日用品やら食い物を買い込んで帰る。貸し部屋暮らしもだいぶ板についてきたのか、至ってスムーズに必要なものを調達できた。
友達もいるし、知らない街ではないという安心感があるのか、妙に居心地良く感じる。去年の夏に来たときは風邪をひいてホテルで寝ていただけで終わってしまったことを思い出す。
あ、そういえば今回の旅行ではまだ風邪をひいていない!今度こそ悪しきジンクスを打ち破るぞ!

この日の夕食。シャシリクにボルシチ、それからサラダ。
これで46UAH(約1,000円)もした。物価が上がっているのを思い知らされた一瞬。
《つづく》
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erika |
2008年12月16日(火) 02:26 | URL |
【コメント編集】
いらっしゃいませ。これからもご贔屓のほど、よろしくお願いします。
東欧はですね、腐ってもヨーロッパなのでメチャクチャなことはそんなにありません。バスや鉄道でどこでも行けますし、買い物をしても酷いボッタクリに遭うこともありませんし、ホテルで寝ていたら強盗に襲われた、なんてこともありません。
でも、英語はまるで通じないし、警官は悪党だし、不穏な雰囲気が漂う場所も多いので、女性一人で旅する場所としてはあまりお勧めできません。
あ、でもバルト三国なら大丈夫ですよ。さすがEU加盟国だけあって、ウクライナのようなダメさ加減は微塵もありません。15年前ほど前までは同じソ連の一部だったのに、えらい違いです。
タリン、リガ、ヴィリニュスといずれも中世の町並みが残る美しい都市なので、自信を持ってお勧めいたします。
東欧はですね、腐ってもヨーロッパなのでメチャクチャなことはそんなにありません。バスや鉄道でどこでも行けますし、買い物をしても酷いボッタクリに遭うこともありませんし、ホテルで寝ていたら強盗に襲われた、なんてこともありません。
でも、英語はまるで通じないし、警官は悪党だし、不穏な雰囲気が漂う場所も多いので、女性一人で旅する場所としてはあまりお勧めできません。
あ、でもバルト三国なら大丈夫ですよ。さすがEU加盟国だけあって、ウクライナのようなダメさ加減は微塵もありません。15年前ほど前までは同じソ連の一部だったのに、えらい違いです。
タリン、リガ、ヴィリニュスといずれも中世の町並みが残る美しい都市なので、自信を持ってお勧めいたします。
にゃおんちゃん |
2008年12月17日(水) 18:54 | URL |
【コメント編集】
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旅行記すごく面白いです!私はウクライナ人の友達がいて(最近は連絡とれてませんが…)、ウクライナの文化などに興味を持ったので楽しく拝見してます。
しかし凄いですね、東欧一人旅・・・春から大学生になるのでそろそろ1人旅をしてみたいものです(笑)
では、またきます