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2008.10.10 (Fri)

2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その16)

前回の続きです。

◆ベラルーシの世界遺産その1(ミール地方の城と関連建物群)

さて、世界遺産のミール城へやって来たにゃおん氏。世界遺産に登録されるくらいなのだからさぞかし立派なお城と思いきゃ、城というより「地方領主の館」といった感じ。それもそのはず、この城を完成させたのは中世にリトアニア大公国で権勢を振るっていた大貴族のひとつ、ラジヴィル(ラジヴィウ)家。ここから30kmほど離れたところにあるネスヴィジという街にラジヴィル家の本拠地だったお城があり、こちらも世界遺産になっている。

3つしかないベラルーシの世界遺産のうち、2つがラジヴィル家関連。ちなみに、残りのひとつは「ベロヴェーシの森」という原生林でヨーロッパバイソンの生息地として知られている。あ、それからソ連解体が決まった「ベロヴェーシ合意」もその森にあった旧フルシチョフ別荘で調印されたもの。


お城の敷地は四角形で塀で囲まれているのだが、その四隅には漆喰の装飾を施された可愛らしい塔が建っている。が、ひとつだけルネッサンス様式で他は全てゴシック様式。この城は完成までに50年以上かかっており、その間に持ち主が何度か変わっている。最初はゴシック様式で作られていたのを、ラジヴィル公がルネッサンス様式にして完成させたからだそうな。
もっとも、そんなことは帰国後に調べて知ったことで、この時には「修復工事の際にルカシェンコが余計なことしたからじゃないのか?」などと疑っていた。何故なら、ベラルーシはルカシェンコの指示でリトアニア大公国の歴史を「ベラルーシ史」にしてしまい、リトアニアの歴史学会が激怒したという話を聞いたことがあるからだ。

ラジヴィル家が活躍した中世のベラルーシはリトアニア大公国の一部だった。しかし、ベラルーシ人はただ支配されていた訳ではなく、多くの貴族や商人が活躍して公国内でも結構な地位にあるものが多数いた。初期のリトアニア大公国の公用語はリトアニア語ではなく、ベラルーシ語だったほど。
ところが、今じゃベラルーシは独自の歴史も文化も殆ど持たない国として見なされ、ベラルーシ語なんざロクに使われていない。国民がベラルーシの真の歴史を知れば、自分達のアイデンティティをリトアニアに見出しかねず、そうなれば「ロシア命」を掲げるルカシェンコにとっては極めて都合が悪い。

そういうわけでベラルーシの博物館は中世の展示物に関してロクなものを置いておらず、ベラルーシ語は隅に追いやられ、紙幣に描かれているのは動物や建物ばかり。偉人が描かれている紙幣はひとつも無い。
モルドバのように「どの紙幣を見ても描かれているのはシュテファン大公のみ」というのも格好悪いが。


ルカシェンコへの疑念を持ちながらミール城の前に立つにゃおんちゃん。気を取り直して中を見学しようとするが、受付で入場料の書かれた張り紙を見た瞬間、またしてもトホホな状態に陥る。

「ベラルーシ国民 820BYR(約40円)、外国人 10,660BYR(約500円)」

いくらなんでも差をつけすぎだろ、ルカシェンコ・・・。

しかし、ここまで来てそんな端金をケチるはずもなく、ボッタクリ価格の入場料を払って中へ入る。世界遺産登録に合わせて改修工事を行ったらしく、中はとても綺麗だった。つい数年前まではかなりくたびれていたらしい。
屋敷の内部も改装して博物館にする予定らしいが、こちらはまだ工事中。なので、見学できたのは中庭と塔の一部のみ。展示物は殆ど何も無く、どこから持ってきたのか分からない鎧が2つほどトイレの入口に置いてあるのみ。あ、それから地下室にギロチンが置いてあったな。

10,000ルーブルも払ったのに中にはたいしたものはなく、30分ほど見学して外に出る。
城のすぐ横には大きな池があり、地元の子どもが釣りをしていた。一番綺麗だったのは、水面に映る城の姿だった。

湖面に映るミール城
湖面に映るミール城



◆ベラルーシの世界遺産その2(ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体)

ミール城を後にした我々は田舎道をひた走り、ネスヴィジ城へ向かう。
1時間弱でネスヴィジの街に到着する。城の場所が分からず30分ほどウロウロする羽目になったが、街の中をグルグル走っていたら湖の向こうにお城らしき建物が見えた。お城は街の真ん中にある大きな教会の裏手から湖の中を走る一本道を進んだところにある。

お城の手前で中学生くらいの男の子が話しかけてきた。マリナに尋ねると、「彼はギド」だと言う。ギド?名前か?
「違う、違う。彼はギドよ。ギ・ド!」
ギドと言われても、元ドイツ代表のギド・ブッフバルトくらいしか思いつかん俺。しばらくしてから、「ギド=guide」と気がついた。ロシア語ではギドって言うのか・・・っていうか、英語を流用してんのか。
ガイドはいらん!と断るが、男の子は我々の後をついてきて、色々と話しかけてくる。
しょうがねぇなぁ・・・ちゃんとガイドしてくれたらギャラを払ってやることにする。

彼の名前はスパルタクで14歳の中学生。なのにタバコ吸ってやがる。英語で「お前、パンクだな」と言ったところ、パンクと言われたことだけは理解したようで、「僕はパンクじゃない」とブツブツ言っている。面白い奴だ。


ミンスクを出るのが遅かったせいで、ここに来たときには既に17時を過ぎていた。なので城門は閉まっていて中に入れない。こっちはラジヴィル家の本拠地だっただけあって、結構デカい。城の手前には深いお堀(空掘だけど)があり、その向こうに城壁がそびえ立っている。手前に湖があるのでちょっとした要塞だ。
こちらは改装工事の真っ最中らしく、壁はボロボロだし工事用の足場が組んであるのが見える。それにしても酷く痛んでいる。ソ連時代は放置されていたに違いない。

スパルタクが言う。
「お城はもう閉まって中に入れないけど、公園を案内してあげるよ」
城に隣接する森は公園になっていて、ラジヴィル家に関するオブジェが色々あるらしい。彼がそのオブジェについて説明してくれるとのこと。正直、疲れていて歩きたくなかったのだが、マリナが乗り気なので行ってみることにした。もう二度とここに来ることは無いだろうから、見ておこうかね・・・。はぁ・・・だりぃ。

ネスヴィジ城の入口
ネスヴィジ城の入口。残念ながら中には入れず。


《つづく》

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22:39  |  2008ベラルーシ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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