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2008.09.07 (Sun)

2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その10)

前回の続きです。

◆ソビエト連邦英雄都市ミンスク

レギストラーツィアをし損ねたにゃおんちゃんだが、この日は天気が良かったので散歩することにした。どこに行こうか?よし、英雄都市記念碑を見に行くことにしよう。

第二次世界大戦終結後、ソ連政府はドイツとの戦争で激しい戦場となった12の都市に対して「英雄都市」の称号を与えている。例えば、全滅するまで要塞に立てこもって抵抗を続けたブレスト(ベラルーシ)、焼け野原になるまで砲撃されたにも関わらずトーチカに立てこもって抵抗したセヴァストポリ(ウクライナ)、ドイツ軍に包囲されて飢餓地獄に陥りながらも耐え抜いたレニングラード(現サンクト・ペテルブルク:ロシア)、レンドリースの荷揚げ基地として戦争遂行を支えたムルマンスク(ロシア)など。
ミンスクも瓦礫の山になるまで戦い続けた都市なので、この英雄都市の称号が授与されている。その記念碑が日本大使館の入っているビルの向かいにある。3年前に泊まったホテルの窓からチラッと見えたが、風邪をひいて熱があったので見学に行かなかったのだ。
現在位置であるフルンゼスカヤ駅からそう遠くないので行ってみることにした。

この辺りは中心街から少し外れたところだが、街の印象は中心街と変わらない。スターリン様式のゴツいビルと、1970~80年代に建てられた(当時としてはモダンな)ヘンテコな形をしたビルが立ち並び、空いているスペースは緑地帯や公園になっている。そして道路はやたら広くて真っ直ぐ。道路が狭くて建物が密集してる日本の都市とは全く対照的。
ミンスクは独ソ戦で焼け野原になった後、都市計画に基づいて復興した都市なので、全体的にスペースに余裕があり、そしてこれでもかというくらい緑地帯と公園がある。こんなに公園だらけじゃ維持費もバカにならんと思うが、そのへんは人件費の安い国だから人海戦術で何とかなるのだろう。

緑地帯が広がるミンスク市内
こんな感じで公園や緑地帯がたくさんあり、天気の良い日に散歩すると気持ちいいです。


そんなことを考えながら30分ほど歩くと、英雄都市記念碑がある公園に到着。きれい整備された公園の真ん中に丘があり、その上にコンクリート製の巨大なモニュメントがそびえ立っている。

3週間ほど前にこの公園でルカシェンコ大統領も出席して独立記念式典が行われたのだが、その際に爆弾テロ事件が起こっている。当局の発表によれば、死者はいないものの負傷者37名。犯行声明は無く犯人も未だ捕まっていないため、動機や目的は不明。ルカシェンコ本人は「ワシを狙ったものではない。独立記念日という祝日を気に入らない奴の嫌がらせじゃ」と言っている。閣下、なんでそんなに余裕なんすか?

まぁ、3週間も前の話なのでその痕跡は全く無い。あるのは草木、いるのは花壇を手入れしているおばちゃんのみ。実に平和である。
強い日差しを避け、小鳥のさえずりを聞きながら木陰で休む。見上げるとりんごの実が成っているのを発見。食べられるような代物じゃないけど、見ているだけでほのぼのした気分になる。圧政国家にいるのを忘れそうになるくらいマターリした時間を過ごす。

英雄都市記念碑
小さな丘の上にポツンと立ってます。人がいるのを見たことがありません。



◆大祖国戦争史国立博物館にて

ひと休みした後、バスに乗ってクパラウスカヤ駅まで移動。独立通り(旧フランチェスカ・スカリナ通り)とレーニン通りが交差するところなので、ミンスク市内でも比較的賑やかなところ。2006年の大統領選の際に野党勢力が集まってルカシェンコに対する抗議デモを行った「10月広場」が近くにある。ちなみに、デモ隊は治安部隊に蹴散らされている。さすが圧政国家。
時間は15時。お腹が空いたので通りに面したカフェテリアに入り、遅い昼食を食べる。

ご飯を食べながら道行く人々を眺めてみる。前回来たときは「ここは美人しかいない国か?ブスは強制収容所に送られているのか?」と思ったほど美人だらけで腰を抜かした記憶があるが、よーく見るとそんなことは無い。
それから、あの時は道行く人がまるでゾンビのように覇気が無く「ああ、やっぱり圧政国家・・・」と思ったが、今回はそんなことも無く大都市らしい活気が感じられる。2度目にウクライナに行ったときも同じことを感じたのだが、それはウクライナの景気が良いからだと思っていた。しかし、ここベラルーシでも同じことを感じるとは・・・にゃおんちゃんの感覚がソ連仕様になりつつあるのだろうか。

そんなことを考えて苦悶していると、激しい雨が降り出して途方に暮れる。うーむ、これではどこにも行けない。よし、とりあえず近くの博物館に避難しよう。
というわけで、雨の中を走って「大祖国戦争史国立博物館」へ。入場料は写真撮影代も合わせて6,000~7,000BYR(ベラルーシ・ルーブル)程度だったと思う。日本円で300~350円程度。どっちにしてもたいした額ではない。

大祖国戦争史国立博物館
お役所みたいな建物ですが、大祖国戦争史国立博物館です。


中に入るとロビーの正面にジューコフ将軍の銅像が鎮座していた。独ソ戦で活躍した将軍は彼だけではないが、日本で山本五十六が特別扱いされるように、ジューコフは別格なのだろう。
展示室の入口に男性数人のグループがおり、職員のおばちゃんと何やら英語で会話している。外国人グループは「オーストリアから来た」と答えている。職員のおばちゃんは殆どお婆ちゃんと言ってもいい年齢の人だが、流暢な英語を喋っている。「ソ連の教育を受けて英語が達者な人=KGBのスパイ」という妄想の激しい私はビビる。

※ゲオルギー・ジューコフ
ノモンハン事件、レニングラード包囲戦、モスクワ攻防戦、スターリングラードの戦い、ベルリン攻防戦などで活躍し、「ジューコフのいるところに赤軍の勝利あり」と言われたほどの名将。
あまりに活躍しすぎたせいでスターリンに疎まれて左遷されるが、スターリンの死後は軍部の重鎮としてフルシチョフを支え、政治局員や国防相となった。



ジューコフ将軍像の周りをウロウロしていると、おばちゃんは私にも声を掛けてきた。
「あなたはどこから来たの?」
「日本です」
「あらまぁ(と言って笑う)」
ああ、敗戦国民が立て続けにやって来たから?ちくしょう・・・。
オーストリア人のひとりがこっちを見ているので、「俺達、敗者だからね」と言うと、彼はムッとした顔して行ってしまった。「俺達はオーストリア人でドイツ人じゃねーよ!」ってかぁ?

オーストリア人達がガラスケースに入った白い防寒服を見ていると、おばちゃんは「それはフィンランド軍のものよ」と一言。

(・∀・) フィンランド軍!マンセー!

にゃおんちゃんの反応を見たおばちゃんは、「これはマンネルヘイム元帥よ」と言いながら写真を指差す。おぉ!マンネルヘイム閣下!
しかし、オーストリア人はまるで反応が無く、おばちゃんは「知っているのはあなただけみたいね」と少しショゲている。

「あなた、赤軍の将軍も知ってる?」
「有名な人だけなら (と言って数人の名前を挙げる)」
「あら、たくさん知ってるじゃないの」
「あの、トハチェフスキー元帥の資料はここにありますか?」
「無いわね。彼は早くに粛清されちゃったから、資料は無いわよ」
「(´・ェ・`) そうですか・・・」

※カール・グスタフ・マンネルヘイム
フィンランド内戦や冬戦争で活躍した救国の英雄。ジューコフ(ソ連)、マンシュタイン(ドイツ)、アイゼンハワー(アメリカ)、モントゴメリー(イギリス)などと並ぶ名将だが、小国出身のせいか知名度が低い。
後に大統領として連合国との単独講和も成立させており、政治家としての手腕も高い。


※ミハイル・トハチェフスキー
ロシア内戦やポーランド・ソビエト戦争で活躍し、「赤軍の至宝」と呼ばれた指揮官。ソ連軍の基本ドクトリン「縦深戦術」の生みの親だが、スターリンに警戒されて1937年に粛清された。ドイツは彼を非常に警戒しており、失脚させるべく工作活動を行っていたほど。
彼の生み出した縦深戦術はジューコフやヴァシレフスキーが受け継ぎ、独ソ戦後半に完成する。



ジューコフ像  フィンランド軍の防寒服
左:ジューコフ元帥の銅像。
右:フィンランド軍の防寒服。マンネルヘイム元帥やティモシェンコ元帥の写真も見える。


《つづく》

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テーマ : 東欧 - ジャンル : 海外情報

16:06  |  2008ベラルーシ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>>「俺達はオーストリア人でドイツ人じゃねーよ!」
オーストリア人は、やっぱり自分達はドイツ系であってもドイツとは違うって意識があるんですかね。
でもアンシュルスのとき、鍵十時を掲げて、諸手を挙げて併合に賛成していたことは忘れんぞ、オーストリアよ。


>>(・∀・) フィンランド軍!マンセー!
マンネルヘイム万歳。シモヘイヘ万歳。
扶桑 |  2008年09月07日(日) 16:22 |  URL |  【コメント編集】

ムーミン谷のゴルゴ13自重

しかし、フィンランド軍の軍装は兎も角、マンネルヘイム元帥の写真まであるとは。
ちょっと意外でした。
名無しのイワンさん |  2008年09月08日(月) 02:13 |  URL |  【コメント編集】

>>「俺達はオーストリア人でドイツ人じゃねーよ!」

お隣の国みたいで茶噴いたじゃないか!!
枠 |  2008年09月08日(月) 04:52 |  URL |  【コメント編集】

>>扶桑さん
「ドイツに併合されて仕方なくやっただけで、望んでやった戦争ではない」と思いたいのではないかと。実際、ナチはかなり強引な方法で併合してますし。
当時の写真見ると、皆ノリノリに見えますけどね。w

>>名無しさん
ボロ負けした冬戦争はさすがに隠匿しきれなかったのでしょう。ソ連はブレスト・リトフスク条約を隠匿していたので、向こうの人は知らなかったりしますよ。

>>枠
オーストリア人には「共犯者」という意識があるが、あの高麗棒子どもは「被害者」だと思ってやがるからな。
にゃおんちゃん |  2008年09月09日(火) 22:30 |  URL |  【コメント編集】

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