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2008.02.11 (Mon)

【世界の香ばしき国々】第41回:沿ドニエストル・モルドバ共和国(Part2)

◆トランスニストリアの歴史

さて、それではどうしてこんなヘンテコな国が生まれたか・・・。
それにはモルドバの歴史から説明しなければならない。


現在のモルドバ共和国領の大半を占めるベッサラビア地方は、ドニエストル川を東端としプルト川を西端とする。
元々はモルダビア公国(現在のルーマニアの前身となった国のひとつ)の領土だったが、モルダビア公国はロシア帝国とオスマン帝国の争いに巻き込まれ、19世紀初頭にベッサラビア地方をロシアへと割譲する羽目になった。その後、ベッサラビアを失ったモルダビア公国は19世紀半ばにワラキア公国と合邦し、「ローマ人の王国」を意味する『ルーマニア王国』として生まれ変わった。

ルーマニア人が本当に古代ローマの末裔かどうかは疑わしいのだが、スラヴ系民族が多いバルカン半島にあってルーマニア人だけがラテン系なのは事実。ただし、周辺のスラヴ系民族と同様に早い時期にビザンチン帝国(東ローマ帝国)の文化を受け入れているので、彼らの宗教はカソリックではなく東方正教。でも、使用している文字はキリル文字やギリシャ文字ではなくラテン文字、という何とも不思議な存在。


それから約60年後、第一次世界大戦真っ只中の1917年にロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、ルーマニアはこの混乱に乗じてベッサラビアを取り返す。第一次世界大戦で連合国の一員だったルーマニアは戦勝国となり、失った領土を取り戻したことに加えてブコビナ地方やトランシルバニア地方も獲得して『大ルーマニア』(ルーマニア人の住む土地を全てルーマニア領とすること)を完成させた。

しかし、そんな栄光の大ルーマニアも長くは続かない。第二次世界大戦が勃発しても旗幟を鮮明にせず曖昧な中立外交を取ったルーマニアは、1939年のモロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)によってドイツとソ連の取引材料にされ、ベッサラビアを要求するスターリンの恫喝に屈することとなった。
スターリンはベッサラビアを手に入れると、ここをソビエト連邦を構成する共和国のひとつとして位置付け 『モルダビア・ソビエト社会主義共和国』(モルダビアSSR)として再編した。

しかし、スターリンはその際に奇妙な領土交換を行い、ベッサラビア改めモルダビアに民族紛争の火種となる地雷を仕掛ける。ベッサラビア南部(地図の赤い部分)をモルダビアSSRから切り離し、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(ウクライナSSR)へと編入した。そして代わりにウクライナSSR内の自治州だったトランスニストリア(地図の黄色い部分)をモルダビアSSRへと編入したのだ。
これによってモルダビアSSRは黒海沿岸の土地を失ったうえに、異民族であるスラヴ系(ウクライナ人やロシア人)が多数住むトランスニストリアを抱え込むことになった。

沿ドニエストル・モルドバ共和国位置図ソ連は第二次世界大戦後に連邦構成共和国の大規模な再編を行い、15ヶ国体制(これらは後にNIS諸国として独立することになる)へと組み直すのだが、この際に中央アジアやカフカス地方でも同じことをしている。中央アジア諸国の国境線がグチャグチャだったり、ナゴルノ=カラバフ紛争(アルメニアvsアゼルバイジャン)が起こったのはスターリンの仕業なのだ。

スターリンはこうして意図的に領土・民族問題を内包させることによって、各共和国が連邦政府に反抗する力を持つことを未然に防ごうとしていたと言われている。




独ソ両国の食いものにされたルーマニアは、さらにドイツの威を借るブルガリアやハンガリーに領土を脅し取られるが、ファシスト団体『鉄衛団』がクーデターによって実権を握ると急速にドイツへ接近していく。そして、1941年6月に独ソ戦が始まるとルーマニアも枢軸国の一員として参戦。ルーマニア軍はソ連軍を蹴散らしてベッサラビアを奪還し、さらにはウクライナ南部の港湾都市オデッサまで到達した。
しかし、1943年1月にスターリングラードの戦いで枢軸軍が大敗北を喫すると以後は防戦一方となり、1944年8月にソ連軍がベッサラビアに侵攻すると再びクーデターが勃発。ファシスト政権は打倒され、ルーマニアは連合国へと寝返った。

イタリア同様、名目上は戦勝国といえども裏切り者であるルーマニア。そんなルーマニアに戦後処理に関する発言力などあるはずもなく、ベッサラビアはソ連に再併合された。
元はルーマニアの一部だったベッサラビア(モルドバ)は、ここから現在に至るまでルーマニアとは異なる道を歩むこととなる。


戦後、ソ連は「モルドバ人はルーマニア人とは異なる民族である」というプロパガンダを垂れ流してモルダビアSSRの正統性を喧伝した。ソ連政府に言わせれば、モルドバ人はラテン文字ではなくキリル文字を使用するし、彼らが使う言語はルーマニア語に似ているがルーマニア語とは異なる『モルドバ語』なので、ルーマニア人とは異なるのだという。 アホらしい・・・。

モルドバ人は民族学的に見てもルーマニア人と何ら違わないし、帝政ロシアの統治を経験していたからキリル文字を読み書きできたに過ぎない。モルドバ語だって帝政ロシア統治下でロシア語の語彙が混入して変化したとはいえ、ルーマニア語の方言みたいなもので異なる言語と言えるほどの違いは無い。
このように、モルドバ人などという民族は昔から存在していた訳ではなく、ソ連の政治的意図によって60年前にでっち上げられたに過ぎないのだ。

しかし、ヤルタ・ポツダム体制によって共産勢力の影響下に置かれ、1947年には赤化してソ連の属国に成り下がったルーマニアがそんな与太話に抗議できるはずもなく、ベッサラビアはルーマニアから完全に切り離された。
ルーマニアに見捨てられたベッサラビアでは、ソ連統治下の1969年に首都キシナウで青年知識層を中心に約100名のモルドバ人民族主義者が「国民愛国戦線」という秘密組織を結成。民主化やソ連からの離脱及びルーマニアとの統合を画策したが、2年後にKGBによって一網打尽にされている。




◆俺達はソ連のままでいたい!

時は流れて1980年代後半、長年の放漫経営のツケが祟ったソ連は弱体化の一途を辿り、これを憂慮した最高指導者ミハイル・ゴルバチョフは「ペレストロイカ」(改革)と名付けられた大規模な政治改革に着手した。
ペレストロイカは内政面に留まらず、事実上の属国である東欧諸国に対する締め付け政策(ブレジネフ・ドクトリン)の放棄にまで及び、これを受けて東欧諸国は次々とマルクス=レーニン主義を放棄、民主化していった。

共産主義という名の恐怖政治の支配が緩むと、そこから噴き出してきたのは民族主義だった。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は連邦離脱を主張し、モルダビアでも『大ルーマニア主義』に燃える民衆が「モルドバ語(ルーマニア語)も公用語にしやがれ!」と大規模なデモを起こした。


1990年、こうした連邦内の動揺を見たゴルバチョフは各共和国に大統領ポストを創設し、広範囲に渡る自治権を付与することで事態を収拾しようと試みる。
ソ連は連邦国家とは名ばかりで中央の権限が非常に強い国だったのだが、これを改めることによってバルト三国等の非スラヴ系国民の不満を抑え、同時に「今までのように連邦政府で全ての面倒を見るのは無理です。権限を与えるから、自分の食い扶持は自分で何とかしてください」と宣言したのだ。

これを知ったトランスニストリアは危機感を募らせた。

俺達は(同胞たるロシア人が主導する)ソ連の一部だったはずのに、これじゃ(異民族のモルドバ人が主導する)モルダビアSSRの一部になってしまうじゃないか!

そして2回の住民投票を行った結果、96%と98%という圧倒的多数で独立が支持されたことから、トランスニストリアは1990年9月2日に『沿ドニエストル・モルドバ社会主義共和国』として独立を宣言した。
国名を見れば分かるとおり、ソ連から離脱するつもりは毛頭無く、あくまで「モルダビアSSRの一部」として扱われることに対する抵抗なのだ。


トランスニストリアが主張する独立宣言の根拠は次の4つからなる。

①民族自決
-今日存在する国と同様、トランスニストリアにも民族自決に基づき国家を作る権利がある。

②実際に存在する特殊性
-トランスニストリアはモルドバはいくつかの共通点を持つものの、人口の64.2%はロシア語を話すスラヴ系民族であり、モルドバ語を話すモルドバ人の国ではない。両者は使用する文字、宗教、経済などにおいても異なる。

③トランスニストリアのモルドバから分離された歴史
-トランスニストリアは歴史的にモルドバとの結びつきは全く無く、独立したモルドバ人国家の一部であったことは一度も無い。両国は伝統的にドニエストル川を境に国境を形成しており、モルドバの領有権主張は歴史的事実に基づかない。

④モロトフ=リッベントロップ協定の破棄
-この協定はモルドバとトランスニストリアを結び付ける唯一の合法的な合意であるが、1990年にモルダビアSSR政府がこの協定の無効を宣言していることから、同国のトランスニストリアに対する領有権は存在しない。

要するに、「トランスニストリアはスラヴ系民族の土地で、モルドバ(ルーマニア)人国家の一部だったことはない。だから独立する」と言っているわけだ。

ここで注目すべきは④。確かにトランスニストリアはモロトフ=リッベントロップ協定と、その後の領土再編によってモルダビアSSRに組み込まれている。モルダビアSSR政府が協定の無効を宣言したとなれば、「モルダビアSSRなる国はソ連がルーマニアから領土を強奪して作った違法国家」として存在自体が無効となり、ルーマニアに帰属しならなければならないはず。
一方、トランスニストリアもウクライナSSR内の自治州という位置づけになり、独立を宣言するのは筋違いだ。
お互いに我田引水の主張をして喧嘩しているわけだ。実にアホらしい。


共産主義とロシア人の支配に対する反発から民族主義に燃えたのは、モルドバ人だけではない。バルト三国も揃ってモロトフ=リッベントロップ協定の無効を宣言している。
しかし、彼らはソ連に併合される前に短期間ながらもそれぞれ独立国家を持っていた歴史があり、それらの国は第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の一部として世界から承認されていた。「モルドバ人国家」なるものを持ったことが無いモルドバとは前提条件からして異なる。

リトアニアでさえモロトフ=リッベントロップ協定の無効を宣言した際に「それならヴィリニュスをポーランドに返せ」(※1)と言われているのに、確固たる根拠を持たないモルドバ人が民族主義に燃えて同じことをするとはアホとしか言いようがない。


※1
リトアニアは第一次世界大戦直後の混乱期に首都ヴィリニュスをポーランドに奪われ、カウナスを暫定首都として独立せざるを得なかった。そして、モロトフ=リッベントロップ協定によってリトアニア及びポーランド東部がソ連に併合された後、ヴィリニュスは「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」へ帰属変更となった。
したがって、モロトフ=リッベントロップ協定を否定するとヴィリニュスはポーランド領になってしまう。

しかし、ヴィリニュスはリトアニア大公国以来長年に渡ってリトアニア人国家の首都であり、ポーランドがエグいやり方でヴィリニュスを強奪したことは当時の国際連盟でも問題となっていた。また、第二次世界大戦後にソ連=ポーランド国境が大幅に西へ移動している(カーゾン線)ことから、ヴィリニュスがポーランド領になると飛び地と化してしまう。
このようにあまりに非現実的な主張であることから、リトアニア政府は「ヴィリニュスをポーランドに返せ」などという馬鹿げた主張を黙殺することができた。


《Part3へつづく》

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