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2007.10.10 (Wed)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その24)

◆恐怖のソビエト広場

チェックインした我々は30分ほど部屋で休み、テレビを見ながら汗が引くのを待つ。テレビでは料理番組をやっており、レポーターがシェフに何やらインタビューをしている。
フルシチョフ君は日本は好きだが、日本食はあまり好きではない。それでも、やっと寿司を食えるようになったらしい。1年前に寿司屋に連れて行った際には、数貫食ったところでギブアップしていたことを考えれば、すごい進歩だ。

そんなことを話していると、やがてにゃおんちゃんはあることに気づいた。レポーターはウクライナ語で質問しているのだが、シェフはそれに対してロシア語で答えているのだ。なんじゃ、こりゃー!
ウクライナ人の殆どが両方の言語を理解するからこそ成り立つこの会話。分かっちゃいるけど信じられん。恐るべし、ウクライナ。


一休みしたところで、早速出かける。お昼時なのでレストランを探して中心街へと向かう。
やって来たのは「プローシャチ・ソビエツカヤ」。

ソビエト広場だぁ?

そんな名前の広場が未だに残っているのも珍しい。聞き間違いかと思って再度フルシチョフに尋ねるが、やはりここは「ソビエト広場」なのだという。彼はさらに衝撃的な発言を続ける。

「レーニン像もあるよ」

えーっ!ここはベラルーシか!
にゃおんちゃんが目を白黒させているのに、フルシチョフは何事も無かったかのように「レーニン像を壊してもソビエト時代が無かったことになるわけではない。ここの人間はソビエトに対する抵抗感は無い」と言い放つ。うむ、確かに正論だ。

同じウクライナでも、昔からウクライナ人が住む西部(リヴィウ等)や中央部(キエフ等)と違い、東部や南部には元々ウクライナ人は住んでいなかった。特にクリミア半島は18世紀後半まで『クミア・ハン国』というタタール人の国があった場所。ロシア人やウクライナ人が住むようになったのはここ100年程度に過ぎない。
帝政ロシアによって移住が奨励された土地なのでロシア人比率も高く、ウクライナ人のような反ロシア・反ソビエト感情はあまり強くない。っていうか、フルシチョフ君も元はボルゴグラード出身のロシア人だし。

ちなみに、かつてこの地に住んでいたクリミアン・タタールは、スターリンによって中央アジアに根こそぎ強制移住させられたので、街中でタタール人を見ることは無い。「人民の敵」認定されたリトアニア人でさえスターリンの死後には母国への帰還を許されたのに、クリミアン・タタールは結局最後まで帰還を許されなかった。
ソ連崩壊後に約25万人が帰ってきたが、既にこの地に何十年も住んでいるウクライナ人とのトラブルが多発して社会問題になっているという。


そんなことを話しながらソビエト広場にあるスタローヴァヤで昼食を食べる。
食事を終えて外に出ると、目の前に巨大な廃屋が建っていた。元は映画館だった建物だが、2年前の火事で丸焼けになって以来、そのまま放置されているのだという。正面にはシートが被せられているが、その隙間から黒焦げになった角材が見える。そして、フルシチョフはポツリと呟いた。

「その火事で男が二人死んだ」

おーい、部屋に戻るときにこの建物の裏を通るんですけど、俺。
オバケとか出ないだろうな?嫌だぞ、俺・・・。

ソビエト広場
ソビエト広場。正面にある建物が火事になった映画館跡。オバケが出るかどうかは不明。




◆ここはロシアか?

食事を終えると、フルシチョフは自宅へと帰った。昨夜、サンクト・ペテルブルクから親戚が来てパーティーをしたそうで、あまり寝ていないらしい。夜にまた再会する約束をして、一旦別れる。
さてと、ヤルタの街を徘徊してみようか・・・。

ソビエト広場から海に向かって歩くと市役所があった。屋根の上にはウクライナ国旗ではなく、何故かロシア国旗らしきものが翻っている。風ではためいてよく見えないが、どう見てもウクライナ国旗ではない。なんでロシア国旗?クリミア半島はブレジネフの時代までロシア共和国領だったから、もしかして今でも気持ちはロシア領のまま?
しかも、建物のてっぺんにはソビエトの国章が残っている。ありえねぇ、キエフでは絶対にありえねぇ。

ヤルタ市役所
ヤルタ市庁舎。はためくロシア国旗、柱の上にはソビエトの国章・・・。ここはどこ?


ヤルタのレーニン像市庁舎から道路を渡ると、そこはヤルタ港。そして、その港の入口にある公園にはレーニン像が立っている。
ミンスクの独立広場にあるものほどデカくはないが、結構な大きさだ。キエフじゃレーニン像なんかひとつも見なかったし、レーニン博物館はコンベンション・ホールになってしまったというのに。ここホントにウクライナですか?
レーニン像の下にはスケボーで遊ぶ少年達がいる。レーニンが見たら、。「米帝の退廃文化は許さん!」とか言って怒るだろうなぁ。w

港といってもヤルタは保養都市なので、他の都市と違って倉庫やクレーンなど無い。遊覧船や客船の船着場があり、海沿いにはレストランやホテル、さらには遊園地などが立ち並んでいる。マックもあるぞ!絶対行かないけど。


ヤルタ港は綺麗に整備されていて、とても旧共産圏とは思えない。旅行者が行き交い、まるでスペインや南フランスのリゾート地にいるような錯覚に陥る。いや、行ったこと無いんだけどさ。
ヤルタはとても小さな街で、街中にはビーチとホテル以外たいしたものは無いので、部屋に戻って休むことにする。暑くてたまらん。
帰りに市場に寄り、食べ物を調達する。他の都市で見た市場よりも狭くてゴチャゴチャしてるが、品揃えは他の都市に劣らない。色とりどりの野菜や果物が山積になっていて、見ているだけでも結構楽しい。

市場を歩いていたら茄子の漬物のようなものを薦められ、試食したら美味しかったので買ってしまった。唐辛子がまぶしてあってとても美味しかった。これは何という食べ物なのだろうか?
部屋へ戻り、ご飯を食べてから少し寝る。スペインにシエスタ(お昼寝)なんて習慣があるのが理解できた。これだけ暑かったらバテちゃうよな。モルドバに来て以来ずっと続くこの暑さ、一体いつまで続くのだろうか・・・。

ヤルタ港
太陽の光が降り注ぐヤルタ港。焦げるかと思うくらい暑かった。

ヤルタの市場
ヤルタの市場。これらの果物はウクライナ産かと思ったら、多くはトルコからの輸入物らしい。


《つづく》

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