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2006.03.14 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第6回:ソマリア(Part1) - ソ連万歳!ただし反共ですが、何か?

4ヶ国目となる今回は某ニーナ氏からのリクエストにより、ソマリアを紹介。
ウクライナの博物館でナチスの制服を見つけて萌えていたところ、一緒に行ったウクライナ人の友達に「このナチスの同盟国民め」という顔で呆れられた過去を持つにゃおんちゃんにとって、ニーナ氏の命令には逆らえません。ジーク、ハイル!


◆国連も見捨てる無法地帯
♪I am an antichrist, I am an anarchist...
と歌ったのはSEX PISTOLSだが、そんなパンクなあなたにぴったりなのがソマリア。イスラム教国なうえに現在無政府状態なのだから。

ソマリア国旗ソマリアはアフリカ大陸の東北端に位置し、インド洋に突出したその地形から「アフリカの角」と呼ばれている。ジヴァの女王の故郷であり、かつてはアラブの商人達の貿易拠点として栄えたこの国も今では荒れ放題に荒れている。
1991年の内戦勃発以来事実上の無政府状態が続き、一応中央政府(暫定政権)は存在するが首都すら満足に支配できておらず、現在国家と呼べるようなものが存在しないという世にも珍しい地域と化しているのだ。というか、ソマリア民主共和国憲法が'91年に廃止され、それ以降ソマリア全土を支配する国家によって憲法が作られていないため、法的にも公式な国家は存在していない。
長年、血で血を洗う抗争を繰り広げてきたカンボジアやリベリア、シエラレオネだって、一時的な混乱で無政府状態になることはあっても、それが長年続くことはなかった。それを考えれば、50万人以上の死者と200万人近い難民を出し、もう15年近く壊滅状態が続くこの国の香ばしさが分かっていただけるだろうか。

ソマリア位置図1992年にあまりの酷さに見かねた国連が国連平和維持活動(PKO)を開始。米軍を中心とした多国籍軍を派遣するが、武装勢力に宣戦布告されて事態の収拾に失敗したうえに殺された米軍兵士の死体がゲリラによって引きずり回されるというショッキングな映像が報道され、アメリカ世論から「あんな馬鹿国は放置しておけ」との反発を招き、散々な目に遭って撤退する羽目になっている。
国連からも見捨てられ、外務省からは退避勧告が出ている危険度A級の国、武装強盗やテロリストが跋扈するアナーキストの天国、それがソマリアだ。

ソマリアは、アフリカの国としては珍しく単一の民族・言語・宗教を持つ国だが、氏族と呼ばれる血縁でつながる地方豪族間の対立が酷く、それが統一国家運営の阻害要因となっている。元々、土地から土地へと渡り歩く遊牧民には国家というものに対する帰属意識低いうえに、大きく分けても6つ、細かく分けると20を超える氏族が互いに好き勝手なことばかり主張し、気に入らないことがあるとすぐに銃をぶっ放す野蛮人ばかりなのだから、今のような状況になるのはある意味必然だったのかもしれない。頭の中が中世から進歩してない輩に近代国家を運営しろと言っても、それは無理なのだ。

面積は約64万k㎡(日本の約1.8倍でアフガニスタンとほぼ同等)、人口は990万人(2004年)、GDPは・・・いつも使っている IMFのサイトに載っていないので不明。国家が無いのだから統計も取れるはずが無いか。


◆独立と大ソマリ主義
ソマリアの地は19世紀中頃までエリトリアやジブチなどと同様にエジプト(ムハンマド・アリー朝)の支配下にあったが、1869年にスエズ運河が開通すると紅海はイギリスとその植民地インドを結ぶ重要な航路となったことから、イギリス軍はソマリアや対岸のイエメン南部といった紅海沿岸の地域に駐留するようになった。
その後、イギリスはソマリアの保護領化を進め、1905年にはイギリス領ソマリランドとして植民地にするのだが、氏族の激しい抵抗にあって内陸部まで支配することができず、北部(紅海沿岸部)の経営に専念するようになる。元々、イギリスは紅海の入口を確保したいがためにこの地に進出したわけで、沿岸部さえ確保できれば、その後背地などどうでもよかったのだ。
一方の南部(インド洋沿岸や内陸部)はアフリカに残った数少ない空白地ということで、統一国家の建設が遅かったことから植民地ビジネスに乗り遅れていたイタリアが進出し、1908年にイタリア領ソマリランドとして植民地化した。

第二次世界大戦を経て北部はイギリスの保護領、南部はイタリアの信託統治領となるのだが、アフリカ諸国で独立機運が高まる中、南北ソマリアも1960年に独立することとなった。その独立運動の中で「ソマリ人が住む地域をひとつに統一しよう」という大ソマリ主義が台頭し、南北はそれぞれ独立を果たすとすぐに統合して、1960年に統一国家「ソマリア共和国」が建国された。
ただし、ソマリ人はエチオピアのオガデン地方(ソマリア=エチオピア国境)やケニア北部にも多数住んでいるが、植民地時代に引かれた国境がそのまま適用されたため、これには加わっていない。また、何故か大ソマリ主義から取り残されたフランス領ソマリ海岸は、'77年にジブチ共和国として独立している。


◆せっかく独立したのに余計なことをする馬鹿
独立間もない'63年、隣国エチオピアがオガデン州に住むソマリ人遊牧民の家畜に課税し始め、抗議した遊牧民が殺害される事件が発生した。
すると、大ソマリ主義に燃える初代大統領アデン・アブドゥラ・オスマンは、フランス領ソマリランド、ケニア、エチオピアと片っ端から周辺国にちょっかいをかけ軋轢を深めていく。とりわけ対立が深刻だったエチオピアがアメリカから軍事援助を受けていたため、ソマリアはソ連に接近する。

モハメド・シアド・バーレ大統領2代目大統領アブドゥル・ラシッド・アリ・シェルマルケは近隣諸国との関係改善に努めたが、1969年のクーデターによって暗殺され、モハメド・シアド・バーレ少将を指導者とする軍部が実権を握った。
バーレはそのまま大統領になるとそれまで以上にソ連に接近して援助を引き出し、オガデン州の併合に向けて軍備増強を進めた。さらに、彼は強力な独裁体制を敷き、ソマリアを完全な共産主義国に変え、国名も「ソマリア民主共和国」に変更した。
といっても、バーレはマルクスやレーニンを信奉していた訳ではなく、親米のエチオピアに対抗するためと、自分の独裁体制の正当化のため。ほんと、ただそれだけ。あ、それから、バーレは金日成と仲良しだったりする。


1974年にエチオピアで革命が発生し、共産主義政権が誕生するのだが、軍内部で粛清が続くなど混乱が続いた。これをチャンス到来とみたソマリアはオガデン州のソマリ人ゲリラを支援して戦い、一時はオガデン州を殆ど手中にしかけた。しかし、ソ連やキューバの援助で軍備を整えたエチオピアが反撃に転じて、一転して形勢不利に。
ソ連がソマリアよりもエチオピアを優先したことを知ったバーレはソ連から招いていた軍事顧問団を追放し、それまでとは一転してアメリカと協力関係を結んだ。バーレよ、お前にはイデオロギーも信念も無いのか。
このオガデン紛争は'83年にはエチオピア軍がソマリア領内まで侵攻するなどエチオピア優勢の状態で進んでいたが、ソマリアで内戦が発生すると、エチオピアも下手に関わって泥沼に足を突っ込みたくないので、オガデン州を取り戻すとあっさりと兵を退き、'90年頃に自然終結した。

ソマリアは独立直後から、経済的に裕福な北部のイサック氏族が南部主導の政治に不満を持ち、南北の対立が深刻化していた。北部の連中がバナナの輸出などで稼いでも、その金の殆どは南部の開発に費やされてしまうのだ。また、バーレはソマリ社会主義革命党による一党独裁体制のもと、自分の属するマレハン氏族ばかり優遇したため、マレハン氏族と他の氏族の経済格差が広がるなど様々な火種を抱えていた。
にも関わらず余計な戦争をして国内を疲弊させたうえに旱魃によって食糧危機が発生したため、バーレ政権に対する怨嗟の声は日増しに高まり、1982年頃から反政府ゲリラが暴れ始めるようになる。


◆裏切りの応酬の結末
1990年にバーレ政権の支持者であったハウイヤ氏族が反政府勢力に転じ、北部のイサック氏族主体の「ソマリ国民運動(SNM)」などと共に反政府勢力「統一ソマリア会議(USC)」を結成し、大攻勢に打って出る。
ソ連のゴルバチョフ書記長の新思考外交やペレストロイカによって東西冷戦の緩和が進んでいたにも関わらず、バーレはエチオピアに共産主義政権がある限りアメリカは自分を支援し続けると考え、ひたすら自国民を弾圧し続けた。実際、長年アメリカから毎年4,000万~8,000万$の援助を貰っていたのに、バーレはそれをエチオピアとの戦いに使わず、国内の政敵を弾圧することばかりに使っていた。特にイサック氏族に対する弾圧は凄まじく、世界各国からソマリアが人権弾圧国家として非難されるようになると、アメリカもバーレ政権に対する援助を大っぴらに続けることが難しくなり、バーレに退陣を迫った。

当然バーレはこれを拒否するが、ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結しつつあるときに、アフリカの片隅にあるキチガイ政権などアメリカにとってももはや価値は無い。'91年にはUSCが首都モガディシオを制圧し、アメリカにも見捨てられたバーレはナイジェリアに追放された。

《Part2につづく》

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