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2007.04.10 (Tue)

2006バルト三国旅行記(その42) - 占領博物館にて(9月13日)


◆ラトヴィアのパルチザンはどこにいるんですか?

まるで爺さんのごとく早朝の散歩に繰り出したにゃおんちゃんだったが、発熱により体調が思わしくなく、昼過ぎにはホテルに帰還。朝食も昼食も食い損ねたので、途中の商店で水と黒パンを購入し、ホテルの部屋でモソモソと食べて寝る。

起きると夕方になっていた。博物館などが閉まるまでにはまだ少し時間があるので、さっき行き損ねた「占領博物館」に行ってみる。道を歩いていると、小学生の集団と遭遇。一人の女の子がにゃおんちゃんに気づくと、隣にいた友達の肩を叩いて「ねぇ、見て見て、あれ!」というような仕草を。するとそれに気づいた数人がこっちを見てニコニコしながら手を振ってきた。東洋人がそんなに珍しいのだろうか。
ウクライナではまるで宇宙人にでも遭遇したかのような驚愕の表情をされたことがあるが、あの子達の表情にはそんな驚きも侮蔑も無かった。ただ、ひたすら珍しいという顔をしていた。そういや、にゃおんちゃんもチビの頃は外国人を見ると珍しくて仕方なかったもんなぁ・・・。それと同じようなものか。


ラトヴィア占領博物館
「占領博物館」
ブラックヘッドのギルドのすぐ隣にある黒くて大きな建物がこれ。

さて、市庁舎広場まで行き、占領博物館に入る。入場料は無料。
1階に小さなロビーがあるが、そこにいきなり「モロトフ=リッベントロップ協定」に関するパネルがドーンと鎮座している。バルト三国はこの独ソの密約によってドイツから見捨てられ、ドイツから「好きにしていいよ」というお墨付きを得たソ連によって恫喝され、最終的には併合されている。やはり、ラトヴィア人にとっては許されざるものに違いない。

2階に上がると広いフロアがあり、時代順に様々な資料や展示物が並んでいる。大きなものはあまり無く、当時の兵士が使っていた身の回りのものや、写真、パネル、公文書などが中心。
受付で展示物について英語で解説してある本を貸してもらえる。中を見ると「自分達がいかにドイツやソ連に酷い目に遭わされたか」が延々と書いてある。
しかし、その割にはリトアニア・パルチザンの資料が多かったりするところが泣ける。「あれ?これ見たことあるなぁ」と思ったら、ヴィリニュスのKGB博物館にあるリトアニア・パルチザンの資料だったりするのだ。おいおい、ラトヴィア人は何もしてねぇのかよ・・・。

リトアニア人の強制移住先一覧図
「リトアニア人の強制移住先一覧」
第二次世界大戦が終わった後もソ連と戦い続けたリトアニア・パルチザン。そのためリトアニア人は「人民の敵」認定を受け、一般市民までもが多数強制移住の対象となった。この地図は彼らが送られた収容所を地図に落としたもの。西シベリアや中央アジア、極東に集中しているのが分かる。
ちなみに、ラトヴィア人のものは無い。おまいらはどこに強制移住させられたんだ?

リトアニア・パルチザンに関する展示物 リトアニア・パルチザンに関する展示物 その2
「リトアニア・パルチザン」
ラトヴィアの博物館なのに、何故かリトアニア・パルチザンに関するパネルが。それも結構な大きさで、たくさんあった。現物はヴィリニュスのKGB博物館などにあるので、ここにあるものは写真撮影したものをパネルにしてあるだけ。
あのー・・・すみません、ラトヴィアのパルチザンに関する資料はどこですか?

強制収容所のジオラマ
「強制収容所のジオラマ」
つくり自体はドイツや他国のものとそれほど違いは無いが、極寒の地シベリアの場合はこれに殺人的な寒さが加わるわけで、こんな小さなストーブで部屋が暖まったとは到底思えない。衰弱の末に凍死した人が多いのも納得。

ドイツ軍を歓迎する女性達
「ドイツ兵を歓迎する女性達」
ウクライナなどと同様、バルトでも市民は鬼畜のソ連軍を追い払ったドイツ兵を「解放軍」として迎え入れた。しかし、現地人を味方にする絶好のチャンスだったにも関わらず、あのチョビビゲは恐怖政治でこれに応じたため人心の離反を招いた。


結局、「ドイツやソ連にこんな酷い目に遭わされた」という解説ばかりで、ラトヴィア人がパルチザン組織を作って対抗したという資料や展示はどこにも見当たらなかった。
ソルジェニーツィンがラトヴィア人のことをボロクソに書いた理由が垣間見えたような気が・・・。

誰ですか!
「ラトヴィア人は、やはりバルトの朝鮮人だったか」と言っている人!

博物館の外に出ると、綺麗な夕焼けが見えた。

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19:07  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●どこだっけ・・・・

旦那の渡ラトヴィアに先立ち、「バルト三国の歴史」みたいな本でお勉強させられたんですが(読んで10分でレクチャーしてくれと)、強制移住先は忘れてしまいました。

続きを楽しみにしております
ようよ |  2007年04月11日(水) 01:33 |  URL |  【コメント編集】

実はラトヴィア人もシベリア送りになっています。しかも、人口の1/3を失ったと言われています。
でも、にゃおんちゃんの中では「ドイツが強いときにはドイツにペコペコし、ソ連が優勢になると手のひらを返したかのようにスターリンにおべっかを使ったが、スターリンに"あんな二枚舌は信用ならん"と言われてシベリア送りにされちゃった」って印象なんですよねぇ・・・。

孤立無援の絶望的な状況でも戦い続けたリトアニア人とか、シベリア送りにされても反抗的な態度を取り続けたチェチェン人と比較すると、トホホな印象。
にゃおんちゃん |  2007年04月11日(水) 22:51 |  URL |  【コメント編集】

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