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2007.03.22 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第38回:コンゴ民主共和国(Part11) - モブツの最期とアフリカ大戦

前回の続きです。
風邪をひいて具合が悪いのに、書いても書いても終わりません。ネタ不足で書くことが無いと大変ですが、ネタてんこ盛りなのもつらいです。さて、長年に渡ってザイールに君臨したモブツ大統領ですか、ついに国を追われることになりました。


◆1997年5月、ザイール共和国(モブツ政権)崩壊

さすがのモブツも観念し、大統領の座を退くことを決意して望んだ第2回目の直接会談。ところが、今度はカビラが文句を言い始め、「会談場所に警備上の問題がある」などとイチャモンをつけてドタキャンしてしまった。カビラにしてみれば、キンシャサ陥落が目前なのに話し合いなどする必要は無い。 国連やマンデラが慌ててカビラの説得に掛かるが、そこでカビラから出された要求はモブツに対して「俺様にひれ伏せ」と言うのに等しいものだった。
もはやこれまでと観念していたモブツだったが、あまりの屈辱的な要求に激怒。「こうなったら最後の最後まで徹底抗戦するんじゃ!」と部下に命じ、自分はキンシャサ市内の銀行にある全ての外貨をかき集めてバドリテの宮殿に立てこもった。

バドリテの宮殿には強固な塹壕が築かれており、DSPの精鋭部隊と白人傭兵が守備している。「ADFLごときチンピラ・ゲリラが簡単に落とせる代物ではないわ!うぇーはっはっは」とモブツが高笑いしていたのも束の間、100kmほど離れたところにいた国軍の部隊が蜂起し、こちらに向かっているという知らせが入った。ついに国軍からも裏切り者が出る事態となった。
もはやこうなっては万事休す。モブツは慌てて脱出の準備をし、お友達のニャシンベ・エヤデマ大統領を頼ってトーゴへ脱出した。脱出直前に造反部隊が空港に到着し、モブツの乗る飛行機が狙撃されるほど危機一髪の脱出だったらしい。無事脱出に成功したモブツだが、機中で次のようにつぶやいたという。

「ワシの兵士達でさえ、ワシに銃を向ける。ワシはもうこの国でやるべきことがない。もはや、これはワシのザイールではない」


こうして30年に及ぶモブツ独裁政権はついに崩壊した。 モブツはトーゴを経てフランスへの亡命を希望するが、総選挙を控えていた与党「国民運動連合(UMP)」とフランス政府はこれをやんわり拒否。最後まで色々と面倒を見てくれたシラクですら、最後はモブツを切り捨てた。さらに、お友達だと思っていたエヤデマ大統領からも、「お前がいると野党の攻撃材料になるから、この国に長居しないでくれ」と言われる始末。
立て続けに友達に裏切られたうえに宿無しになる危機に陥ったモブツだが、数少ないモブツの友達モロッコ国王ハッサン2世が「フランスからも頼まれたし、仕方ないのぉ」と受け入れを表明した。

ちなみに、各国がババ抜きならぬ「モブツ抜きゲーム」をしていることを知ったカビラは、「仮にも一国の元首だった人物が宿無しで世界を放浪するのはあまりに屈辱的。身の安全を保証するので、望むなら帰国してもよい」と表明した。しかし、モブツ自身が過去に国外逃亡していた政敵が国内に戻ると捕らえてなぶり殺しにしたという前科を持つだけに、こんな申し出に応じるわけがなくモロッコへ亡命した。

その4ヶ月後の1997年9月、以前から患っていた癌が進行し、モブツはついに死んだ。享年66歳。 アフリカ人はどこでどのように死のうが生まれた土地に埋葬されるのがしきたりらしいのだが、モブツの亡骸は未だにザイールに埋葬することを許されず、モロッコの外人墓地で眠っている。



◆国名が再び「コンゴ」に

モブツがザイールを去った翌日、ADFLがキンシャサを制圧した。国軍もDSPも皆逃げ出してしまい、戦闘行為は全く無かった。
数日後、キンシャサに入ったカビラはすぐに新政権を樹立するが、国防大臣にはADFL幹部のルワンダ人が選ばれ、ルワンダ人兵士がキンシャサ市内をパトロールするなど、ルワンダの傀儡色が強いものとなった。さらに、カビラはADFL以外の政党の活動禁止と国会議員選挙の延期を宣言し、これに抗議したUDPSの政治家を弾圧した。長年モブツ政権と戦ってきたチセケディをはじめとする民主化勢力と共闘するつもりなど、これっぽっちも無かったのだ。そのうえ、カビラは自分と同郷のカタンガ出身者ばかり要職に起用したことから、ザイール国民はすぐにADFLに失望してしまった。
独裁者がモブツからカビラに変わっただけで、ザイールの悪政は何も変わる見込みは無かった。

コンゴ民主共和国の国旗(1997年)そんなザイールだが、国名だけはまた変わった。これで何度目の改名だろうか。 「ザイール共和国」への国名変更はモブツ主導で行われた経緯があるので、カビラはモブツ体制を否定する意味を込めて国名を「コンゴ民主共和国」へ変更した。彼は人民革命党を率いていたころから、自分が大統領になったらこの名前にしようと決めていたのだという。
しかし、実際はこの国で民主主義によって選ばれた大統領など、初代大統領のカサブブ以外一人もいないのだ。独裁で世襲制の北朝鮮が「民主主義」と「共和国」を名乗るのに匹敵するバカらしさだ。


大統領となったカビラは欧米からの支援を受けて経済を立て直そうとしたが、東部を制圧した際にルワンダから逃げてきたフツ族難民を虐殺したことが仇となった。国連はこの虐殺に関する真相究明として調査団派遣を行おうとしたが、自分の悪行がバレてしまうのでカビラがこんなものに応じるわけがない。 調査団受け入れを拒否したことによって、経済支援も棚上げされてしまった。
ADFLは一党独裁体制を築いたうえにルワンダの傀儡色が強いため国民から総スカンを食らい、しかも経済を立て直すこともできない。「このままでは俺もモブツの二の舞になってしまう」と危機感を抱いたカビラはコンゴ人の歓心を買うべく勝負に出る。ルワンダ人の閣僚を更迭し、さらにルワンダ軍に対して「申し訳ないが出て行ってくれ」と言い出したのだ。

ルワンダは以前からカビラに対して不満を感じていた。武器や資金を援助してカビラが大統領になるのを手伝ってやったのに、カビラは大統領に就任するとルワンダの敵であるフツ族ゲリラに融和的な態度を取るようになったからだ。そのうえ、「もうお前らの協力は必要ないから出て行け」と言い出したのだ。これではルワンダも怒るに決まっている。
この裏切りに怒ったルワンダ軍は撤退すると見せかけてカビラの油断を誘い、そのあいだにADFL内のバニャムレンゲ人をはじめとするツチ族を味方につけて「コンゴ民主連合(RCD)」というゲリラを作り、1998年8月に彼らと共にコンゴ東部の都市ゴマを襲撃して占領した。それから1ヶ月も経たないうちに彼らはキンシャサを包囲し、カビラの天下は1年ちょっとで終わるかに見えた。


またカビラはルワンダのみならずアンゴラとウガンダとの関係も悪化させてしまった。
ウガンダとルワンダはこの件に関しては同じツチ族政権として共闘する場合が多く、ルワンダを敵に廻すと同時にウガンダも敵になってしまう。ルワンダが傀儡ゲリラRCDを作ったように、ウガンダも「コンゴ解放運動(MLC)」を作り、彼らを使ってコンゴ北東部を占領した。ちみなに、中央アフリカ政府もこのMLCに加担し、地下資源のお裾分けを貰おうと企んでいる。

アンゴラについては、ウガンダ&ルワンダとは少し事情が異なる。
アンゴラの共産ゲリラMPLAは1975年から始まった内戦に勝利し、1979年にジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスを大統領とする共産主義政権を打ち立てた。しかし、敵対する親米派ゲリラUNITAにトドメを刺すまでには至らず、長年彼らの攻撃に悩まされてきた。モブツ政権は冷戦終結後もUNITAを援助し続けたためアンゴラ政府はモブツを激しく恨み、ADFLが結成されるとアンゴラはこれを支援した。ところが、カビラはフツ族ゲリラのみならず、UNITAに対しても融和的な態度を取った。これでは今まで支援してきた意味が無く、アンゴラが怒るのは当然のことだった。

カビラにしてみれば政権を取った以上、国内を安定させるためには今まで敵対してきた勢力との和解も必要だろう。ならばUDPSと組むべきだったのだ。こんなガタガタな状態で民主政治などしたら国が崩壊する、というのであれば独裁も仕方ないのかもしれないが、カビラにはそんなコンゴを引っ張っていけるだけの政治や外交に関するセンスは無かった。
こうして、「取れない資源は無い」というくらい豊富な地下資源を持ち、広大な領土と約6,000万近い人口を持つアフリカ有数の大国は、モプツというキチガイとカビラというアホのでたらめな政治によって世界最低クラスのダメ国家となり、ウガンダやルワンダのような貧乏小国の食い物にされることになった。
真面目に政治をしていればサウジアラビアのようになれたかもしれないのに・・・。(サウジはイスラム万歳野郎でまともな憲法も持たず、内閣も国会も存在しない独裁国家だが、オイルマネーできちんと国民を養っているし、あの地域では大きな影響力を持つ)



◆周辺諸国の食い物にされるコンゴ

周辺国から総スカンを食らったうえに、ルワンダ軍(とその手下ゲリラ)に首都を包囲されて絶体絶命のカビラ。ルワンダを裏切ったせいで寄り合い所帯のADFLなどとっくに崩壊しており、カビラの手元には包囲に耐えられるだけの戦力は無い。
すると、カビラはアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに対し、「うちの鉱山の採掘権をあげるから助けてくれ」と援軍を頼んだ。すると、ダイヤモンド鉱山の採掘権という餌につられたチャドとナミビアが参戦を表明した。さらにアンゴラとジンバブエもカビラの要請を受諾した。この2ヶ国も石油やダイヤの採掘権を貰っているが、金に目がくらんだだけのチャド、ナミビアとは少し事情が異なる。

アンゴラは一度はカビラに見切りをつけ、「お前なんかルワンダ軍に殺されてしまえ!」と憤慨していたのだが、宿敵UNITAがルワンダ軍と合流する動きを見せたため再びカビラ支持に回った。UNITAがカビラ打倒に協力し、その後の新政権に参画することになれば厄介なことになる。
一方のジンバブエはコンゴとは国境を接していないし、特に目ぼしい利権や対立要因も無い。ジンバブエ大統領ロバート・ムガベは「カビラは私の古くからの盟友である」と言っているが、ムガベとカビラがどう繋がっているのかさっぱり見えない。ジンバブエも経済がズタズタなので金に目がくらんだのかもしれないし、アフリカ南部の盟主の座を巡ってライバル関係にある南アフリカがルワンダに武器を輸出していることから、コンゴを支援することで南アフリカを牽制しようとしたのかもしれない。ジンバブエのようなゴミ国家がアフリカ南部の盟主?と不思議に思う人もいるかもしれないが、かつてローデシアと名乗っていた頃、この国はアフリカ有数の農業大国でかなり裕福だったのだ。


とにかく、これら4ヶ国から援軍を得たカビラは反攻に転じ、首都陥落寸前の状態から西部と南部を奪い返すまで盛り返した。コンゴは政府軍・アンゴラ・ジンバブエ・ナミビア・チャド vs ルワンダ・ウガンダ・その手下のゲリラという内戦状態に陥り、激しい戦闘の舞台となった東部を中心にたった1年間で150万人が死亡した。
首都キンシャサですら電気や水道が止まり、日常の経済活動は完全に麻痺して一般市民は物々交換と自給自足の生活を強いられた。電気が止まっているのでテレビ・ラジオによる情報伝達も行われず、風評が飛び交って混乱が続いた。

コンゴに介入し続けたルワンダとウガンダは国際社会から猛烈な批判を浴びたが、それでも両国には撤退できない大きな事情があった。この両国はコンゴ領内の鉱山を不法占拠して大金を稼いでおり、ルワンダに至っては軍事費の50%をここから調達しているといわれている。余りに依存しすぎて退くに退けない状況となっていたのだ。また、カビラ政権を快く思わないアメリカがこの2ヶ国に資金などの援助を行っているという噂もある。

《Part12につづく》

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21:46  |  コンゴ民主共和国/ザイール  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

群雄割拠すぎw
gorubii |  2007年03月28日(水) 21:29 |  URL |  【コメント編集】

何とも香ばしい「連合国vs枢軸国」でございます。
にゃおんちゃん |  2007年03月29日(木) 22:15 |  URL |  【コメント編集】

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