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2007.03.21 (Wed)

【世界の香ばしき国々】第37回:コンゴ民主共和国(Part10) - カビラとADFLの登場

前回の続きです。
ルワンダ内戦の影響を受けてモブツ政権が傾きだします。今まで真面目に政治してりゃ、こんなことにはならなかったのにねぇ・・・。


◆コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)の誕生

ここから話はザイールへ戻る。
ツチ族反政府ゲリラ「ルワンダ愛国戦線(RPF)」とウガンダ政府軍の侵攻によって国を追われたフツ族はザイール領へ逃げ込み、ザイール東部キヴ州の難民キャンプを拠点にしてルワンダへの反攻を開始した。当然、ルワンダ国軍(ツチ族政権)はそれを迎え撃ち蹴散らすが、トドメを刺そうと追いかけるとフツ族ゲリラはザイール領内に逃げ込んでしまう。ついこの間までは自分達がウガンダ領内からルワンダのフツ族政権に対して同じことをしていたわけだが、立場が逆転して今度は自分達がゲリラに悩まされるようになった。

そこで、ルワンダのカガメ副大統領は「おめーんとこの難民キャンプに隠れてるフツ族ゲリラが、オラんちの畑を荒らして困ってるべ。お願いだからあのバカどもを始末してけれ」とモブツに要求した。
ところが、モブツはこの要求を無視した。自分の権力基盤の維持に忙しいうえに前立腺癌を抱えていることが発覚し、それどころではなかったのだ。 しかも、モブツは同じ独裁者同士でウマが合ったのかハビャリマナとは親しかったので、そのハビャリマナ政権を倒したRPFを助けてやる義理など全く無かったのだ。


フツ族難民が逃げ込んだザイール東部は、バニャルワンダ人やバニャムレンゲ人というツチ族系の原住民が暮らす土地だった。彼らは市民権すら与えられず長年にわたってモブツ政権から迫害されていたうえに、雪崩れ込んできたフツ族難民に土地を奪われて憤慨していた。
そこでルワンダは彼らツチ族系先住民に武器を与え、ザイール領内に潜むフツ族ゲリラを一掃してもらおうと画策した。しかし、彼らが武装蜂起しただけではすぐにザイール国軍に始末されてしまううえに、ザイールに対する内政干渉として自分達が批判されかねないので、カガメは自分の知り合いであるローラン・カビラというゲリラの頭目を彼らに紹介し、反モブツで利害が一致する両者を組ませた。

カビラはバニャルワンダ人・バニャムレンゲ人の武装組織といくつかの反モブツ組織をまとめ上げ、1994年10月に「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)」という反政府武装組織を結成した。これによって、ADFLはツチ族やルワンダの手先ではなく、反モブツを掲げるコンゴ人全体のための組織という位置づけが可能となった。
ツチ族政権のウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、さらに反モブツを掲げるアンゴラから資金と武器を得たADFLは、装備は貧弱で士気も低いザイール国軍をあっという間に蹴散らし、1994年の末にはキヴ州を制圧してしまった。キヴ州で暴れていたフツ族難民は蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、作戦が見事成功したルワンダ政府は大喜び。

この際、ルワンダ軍はADFL支援という名目でザイール領内に侵攻し、ADFLへの武器援助や資金供与の報酬として東部のダイヤモンド鉱山などを占拠した。すると、カガメの兄貴分であるウガンダ大統領ヨウェリ・ムセベニもそれを見て、俺にも金儲けさせろとばかりに「ザイール北東部を拠点とする反政府ゲリラが越境して我が国を攻撃している」という名目でザイールに侵攻し、ADFL内の親ウガンダ派を使ってザイール北東部の鉱山を占拠した。
鉱山占拠の見返りとしてウガンダ、ルワンダの両政府はカビラにガンガン武器を売りつけ、ADFLの戦力は一気に強化された。



◆反逆者ローラン・カビラ

カビラは自身はルワンダ人ではなく生粋のコンゴ人。バルバ族出身で1939年にカタンガ州で生まれている。若い頃にタンザニア(当時イギリスの委任統治領)のダルエスサラーム大学へ留学しているが、タンザニアといえば後にアフリカの共産主義者の先駆者的存在ジュリウス・ニエレレが大統領となった国。多分、カビラはこの頃に共産主義と出会い、感化されたのだろう。
コンゴへ戻ったカビラはルムンバの支持者となった。コンゴ動乱の際にモブツのクーデターに対抗してルムンバ派がスタンレーヴィルに立てた政権にも加わり、その後はピエール・ムレレ率いるシンバの一員となっている。ルムンバ派政権やシンバには共産主義者が多く、彼らは中国や北朝鮮から支援を受けていた。

シンバではそれなりの地位にいたようで、チェ・ゲバラがシンバの応援に行った際に書いた手記にも登場する。しかし、筋金入りの革命家ゲバラから見るとカビラなど偽者野郎にしか見えなかったようで、「タンザニアの高級ホテルでウイスキーをあおりながら声明を起草するだけ」とか「飲み食いばかりしていて戦う気が全くない。それでも、ソ連と中国が送ってくるから武器だけは持っている」とか「お山の大将になりたがる割に指導力がなく、すぐタンザニアへ帰ってしまう」とボロクソにこき下ろされている。

シンバ崩壊後は中国の支援を受けて「人民革命党」なるゲリラを作り東部のキヴ州などで細々と活動していたが、1988年にはザイール国軍の攻撃を受けて壊滅している。
カビラは金や象牙などを周辺諸国へ密輸して活動資金を調達していたといわれており、密輸ビジネスの過程で当時反政府ゲリラだったウガンダの現大統領ムセベニや、そのウガンダに潜伏中だったカガメなどと親交を深めたらしい。反政府ゲリラを率いているとはいえ前線に現われることは殆ど無く、ゲバラの証言どおりタンザニアやウガンダなどから指揮を執っていることが多かったようだ。多分、ゲリラ活動よりも密輸ビジネスやスポーツカーを乗り回すのに忙しかったのだろう。

ローラン・カビラ ポール・カガメ ヨウェリ・ムセベニ
モブツ政権を打倒し、コンゴを乗っ取ろうと企む三人
左からローラン・カビラ(ADFL議長)、ポール・カガメ(現ルワンダ大統領)、ヨウェリ・ムセベニ(ウガンダ大統領)



◆往生際の悪いモブツ vs 挑発するカビラ

ADFLが次の戦いに向けて準備をしている頃、モブツは何をしていたかというと、国連創立50周年記念式典で赤っ恥をかいていた。
式典は1995年10月に開催されたのだが、ザイール政府に招待状が届いたのはその10日前。明らかな嫌がらせである。しかも、アメリカ政府がビザ発給を許可した同行者の人数はたったの4人。某時代劇で有名な「越後のちりめん問屋の隠居じじい」の旅行よりもお供が少ないのだ。南太平洋やカリブ海のバナナ共和国の大統領じゃあるまいし、あまりに屈辱的な待遇だ。
それでも、モブツは対米関係を改善したい一心で式典に出席し、アメリカ政府や各国の要人に会談を申し込むが、フランス大統領ジャック・シラクを除きすべて断られるという惨憺たる結果となった。

1996年に入るとモブツがフランスで療養生活に入ったため、代わってケンゴ・ワ・ドンド首相が政治を主導した。
ケンゴ・ワ・ドンドはADFLやウガンダ、ルワンダに奪われたザイール東部を取り戻すべく、国連やアフリカ連合(AU:かつてのアフリカ統一機構)に「ウガンダ、ルワンダ、ブルンジがADFLを使って我が国の主権を侵害した」と訴えた。しかし、AUは「ADFLと話し合いをしてください」と言うばかりで問題を解決する力など無いし、国連でもアメリカが「モブツが居座る限りお前らのことは助けてやらん」という姿勢を貫いたため、話がさっぱりすすまない。

そんなザイールに唯一理解を示したのがフランス。フランスは冷戦終結後も暴動鎮圧に協力したり、モブツの癌の治療のために医者を紹介したりと何かとザイールの面倒を見てきた。そんなフランスが親仏だったハビャリマナ政権を倒したRPFやその子分のADFLを支持するわけがない。
フランスはモブツ独裁政権の延命は無理だとしても、ADFLによって崩壊させられるのだけは避けようと様々な外交努力を行い、カビラとの会談をセッティングした。しかし、モブツが「どうしてワシがあんな山賊野郎と会わねばならんのだ!」と拒否してパーになった。


1997年に入ると戦う準備が整ったADFLは侵攻を開始し、3月には東部最大の都市キサンガニ(かつてのスタンレーヴィル)が陥落した。キサンガニから首都キンシャサまでは相当距離があるとはいえ、当初から政府は「キサンガニが最終防衛ライン。絶対にここを死守する」と考えていただけに、そのショックは相当なものだった。この敗戦の責任を問われたケンゴ・ワ・ドンド首相が辞任する羽目となっている。
もはやADFLの勢いは止められず、モブツが大統領の座を退くのは時間の問題となった。ケンゴ・ワ・ドンドに八つ当たりしても状況は何も変わらない。これ以降はモブツか勝つかADFLが勝つかではなく、ポスト・モブツ体制の構築が争点となる。
4月には南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラがカビラとの会談を準備するが、モブツはこれも拒否してしまった。カビラのほうは何も困らないので、「モブツが我々との会談を拒否する以上、ADFLはキンシャサ陥落まで戦闘を続ける」と気勢を上げた。

国連・AU・欧米諸国のいずれも、キンシャサが火の海となりカビラがモブツに代わって新たな独裁者となる、という状況だけは避けたかった。話し合いによって解決し、幅広い層からなる挙国一致体制を構築することを目指していた。アメリカなどはモブツにさっさと消えて欲しいと思っているので、クリントン政権は特使を送り、「財産と身の安全を保障してやるから、お前は引退しろ」とモブツに迫った。
アメリカにここまで言われてさすがに少し堪えたのか、モブツはカビラとの会談に応じることになった。モブツの意向を受けたマンデラがすかさず動き、再び会談をセッティングした。両者は5月に初の直接会談を果たしたが、強気なカビラはモブツに対して無条件降伏に等しい条件を突きつけたため、すぐに交渉は決裂してしまった。

そんなことをしてるあいだにADFLはキンシャサの200km手前まで迫っていた。冷戦終結によって既にアメリカからの援助を失い、これでモブツ政権まで倒れれば本当に孤立無援となってしまうアンゴラの反政府ゲリラUNITAが助っ人参戦したが、それでもADFLの勢いは止められず国軍は敗走した。

《Part11につづく》

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