2017年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2007.03.18 (Sun)

【世界の香ばしき国々】第36回:コンゴ民主共和国(Part9) - ルワンダ内戦

前回の続きです。
もう、疲れました・・・。


◆やっぱり暴れだす馬鹿ども

やっと国民会議が開催されたというのに、それでもザイールでは騒動が続く。
1991年になると首都キンシャサを中心にネズミ講が流行り、酷いインフレに苦しんでいた多数の市民がこれに飛びついた。案の定、このネズミ講は半年後には破綻してしまい、突っ込んだ金が戻ってこないという悲劇が始まった。
1991年9月、怒り心頭の被害者はデモを行って抗議したが、これがやがて暴動に発展。最初はネズミ講を主宰していた連中の事務所や自宅を襲撃していただけだったが、やがてエスカレートして公共施設や病院まで襲いはじめた。当局は憲兵隊を送って暴徒の鎮圧を試みるが、憲兵隊の中にも多数のネズミ講被害者がおり、こいつらまで暴徒に加わって略奪を始める始末。

同時期に、給料をまともに貰えない国軍兵士がキンシャサで大規模な暴動を起こし、これがザイール全土に波及した。本来なら治安維持に当たる連中が暴れまわっているのだから誰も止められない。一般市民もこれに同調して略奪行為に加わると商店・倉庫・公共施設と手当たり次第に襲撃し、略奪と破壊を重ねたあげく、ついには外国人まで襲いはじめた。
国内各地で暴動が始まったのを見たモブツはDSPを送り込んで国軍の説得に当たるが、このDSPが説得どころか国軍と一緒になって略奪を始めてしまった。モブツに厚遇されて高い給料を貰っているDSPですらこのザマなのだ。この国の民度の低さには絶句する他ない。

結局、自力で事態を収拾できないモブツは再びフランスとベルギーに泣きついた。両国はただちに部隊を派遣し、治安回復と外国人救出作戦を行った。この暴動でザイールを脱出した外国人の数は約9,000人(うち日本人は100人程度)に及ぶと言われている。


フランス、ベルギーの働きによってひとまず暴動は治まったが、今度は反モブツを訴えるデモが頻発するようになった。するとモブツはDSPを差し向けてデモ隊を蹴散らしたうえに、この運動の中心にいたカソリック教会を襲撃し、神父達を殺害して教会を破壊するという暴挙に出た。
フランス、ベルギー、アメリカはカンカンに怒り、モブツ下ろし&新体制構築について共同歩調を取るようになる。1993年1月にはこの三国で「チセケディ首相がモブツ大統領から干渉されず、民主的で人権に配慮した政治ができるようになったら、援助を再開します」という声明を出している。要は、モブツに対して「お前はもう邪魔だから消えろ。お前が大統領に居座る限り援助はやらん」と宣言したということ。

同じ1993年1月、相変わらずまともに給料を貰えない国軍兵士が再び暴動を起こし、外国人達はまたもやフランス軍やベルギー軍の力を借りて外国に逃げ出す羽目となった。



◆モブツの反撃

モブツの独裁政治に陰りが見えると同時に民主化運動が始まり、それから10年近くが過ぎた。
1992年8月、国民会議は「移行期に関わる憲法規程条令」という、正式な新憲法が制定されるまでの暫定憲法をを採択し、チセケディを首相とする新体制について法的なお墨付きを与えた。新体制下では約450人の議員から成る「共和国高等評議会」が立法府(国会)として今後の民主化を担うこととなった。やっと、ザイールがまともな民主主義国となる兆しが見えてきた。

しかし、モブツがこのような動きを黙って見ているわけがない。モブツは自分の都合のよいように改訂した憲法規程条令を国民会議で採択させると、それに基づいてチセケディを罷免し、フォスタン・ビランドゥワを新首相に任命した。これによってザイールには「2つの議会、2つの政府」が存在するという事態が発生した。
法的に見れば、国民会議が暫定憲法を採択し、それに基づいて立法府とチセケディを首相とする内閣が組閣されている以上、国民会議はその役目を終えている。その国民会議で後から採択した改訂版の憲法規程条令を振りかざしてチセケディを罷免したところで、法律的な根拠は乏しい。当然、ビランドゥワ内閣を承認した国などひとつも無い。

レオン・ケンゴ・ワ・ドンド首相しかし、極悪モブツなら法的根拠など無視して力ずくでチセケディ内閣を叩き潰しかねない。そこで、事態を憂慮したベルギーが調停に乗り出す。
チセケディとUPDSは「我々には何ら落ち度が無いのに、どうしてモブツやその取り巻きに譲歩しなくてはならないのだ!」と調停案を拒否したが、モブツに切り崩された他の野党勢力が続々とこれに応じてしまい、1994年にレオン・ケンゴ・ワ・ドンドを首相とする新内閣が成立した。モブツにしてみれば、ベルギーの調停によって野党勢力が内部分裂を起こし、さらにそのいくつかを自陣営に取り込むことができたのだから、してやったりである。

ケンゴ・ワ・ドンドは過去にも首相や外相を務めたことがある大物で、財務に強い政治家だった。彼はIMFの指導の下で破綻同然の国家財政を立て直そうとするが、モブツに散々邪魔された末に議会から不信任を突きつけられ、1997年3月に辞任してしまった。



◆ルワンダ内戦

さて、ケンゴ・ワ・ドンド内閣が成立した1994年といえば、ザイールの東隣ルワンダの内戦がピークだった頃だ。これ以降のザイールを語るにはルワンダ内戦を抜きにすることはできない。話は暫しルワンダに飛ぶ。

ルワンダはザイールの東隣にある小国。面積は約26,000平方kmとザイールの1/90程度で、旧宗主国のベルギーよりも小さい。人口は約800万人で、90%が農耕民族のフツ族、10%が遊牧民族のツチ族という構成。人口密度は高いがこれといった産業は無く、国民の90%が農民と漁師という世界有数の貧乏国だ。


ルワンダにはもともとフツ族(農耕民族)が住んでいたが、15世紀にツチ族(遊牧民族)がやってきて「ルワンダ王国」を建国してフツ族を支配した。しかし、両者は同じ言語を話し、同じ宗教を信じ、人種間結婚もしており、はっきりとした民族的な違いは無い。遊牧民族と農耕民族の違いが貧富の差を生み階層を作っていたに過ぎず、それほど深刻な民族対立は無かったらしい。
17世紀に入るとルワンダはドイツの植民地となり、第一次世界大戦以降はベルギーの信託統治領となるのだが、ドイツもベルギーも植民地時代にツチ族の王政を支持して露骨に肩入れした他、植民地支配に対する目くらましとして「アーリア人の流れを汲むツチ族はヨーロッパ人に近い高貴な民族であるのに対し、フツ族はただの野蛮な未開人である」というプロパガンダを盛んに流し、両者の対立を煽った。

1962年に「ルワンダ共和国」として独立を果たした後も両者の小競り合いは続くが、1963年にツチ族が大量虐殺に遭って周辺国に逃亡したことと、1973年になるとジュヴェナル・ハビャリマナ国防大臣(フツ族)が軍事クーデターを起こして強力な一党独裁体制を確立したことから、ルワンダではしばらく小康状態が続く。ハビャリマナはフランスから様々な支援を得て長年に渡り独裁者としてルワンダに君臨した。
虐殺されたうえに国外へ追放されたツチ族の多くは北隣のウガンダに逃亡し、1987年に「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を結成した。そして1990年代入るとツチ族政権であるウガンダ政府の支援を受けて、RPFはルワンダに猛攻を仕掛けるようになった。


東西冷戦終結後の1993年、ハビャリマナは民主化を要求する国際世論とRPFの軍事的圧力に耐えられなくなり、ツチ族との和解と民主化を宣言した。しかし、これまで一党支配で利権を独占してきたフツ族支配層が納得するわけがなく、ハビャリマナはその翌年に暗殺と思われる飛行機事故で死亡してしまった。
独裁者ハビャリマナが死ぬと彼らはそれをRPFの仕業にすりかえ、政府軍と暴徒化したフツ族民兵組織が「ハビャリマナ大統領暗殺に対する報復」として、たった3ヶ月で80~100万人のツチ族(と虐殺に反対したフツ族穏健派)を虐殺するという事件を起こした。
本来なら事態収拾に動くべき国連や欧米先進国は、この少し前にソマリアで酷い目に遭っていたことから国連軍の派遣に消極的で、見て見ぬふりをした。

ポール・カガメところが、フツ族が虐殺に明け暮れてルワンダが集団ヒステリー状態に陥っていた1994年10月、北隣のウガンダが「ツチ族保護」を名目にRPFを支援して侵攻し、あっさりと全土を制圧してしまった。こうしてルワンダにはツチ族の政権が立てられた。
国内融和を意識してフツ族のパステール・ビジムングが大統領に就任したが、RPFのリーダーであるポール・カガメが副大臣兼国防相となり、事実上政権を掌握した。今度はフツ族が殺される番となり、復讐を恐れる多数のフツ族が周辺諸国へ難民となって流出した。ルワンダと国境を接するザイール東部のキヴ州にも120~170万人の難民が流れ込み、多くの難民キャンプがつくられた。

《Part10につづく》

関連記事
11:36  |  コンゴ民主共和国/ザイール  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●この記事について

この記事について、いろいろ書きたい事があります。
ザイールでもアルバニアのようなネズミ講による暴動が起こったとは知りませんでした。お馬鹿な国ならではの事件ですね。

ツチ族の大虐殺の時、フツ族の人々はツチ族を「ゴキブリ」とか「蛇」と罵倒しながら殺しまくったとか。奴等は「ツチ族は人間ではなく動物だ」と思っていたのでしょうね。

ポール・カガメって、以前天皇陛下と会見した鬼畜ですね。
羊 |  2007年03月18日(日) 16:04 |  URL |  【コメント編集】

ネズミ講にだまされて「金返せ」ってデモするのは分かるんです。当然でしょう。ところが、それが暴動になり病院やら公共施設まで襲うから「バカかアホか」と言われてしまうわけで・・・。
アルバニアの場合と違って政府は特に関与してないようですし、しかも治安部隊まで略奪に加わるんですから、絶句するばかりですね。

ルワンダの件については、どっちが悪いか問い詰めだすと「先にやったのはお前らだ」「いや、お前らだ」って泥試合になっちゃうんですが、とにかくお互いに長年にわたる遺恨があったんでしょうねぇ。

カガメなんてバカゲリラの頭目ですよ。なんであんなのを陛下に会わせるんでしょうね。止めて欲しいです、ほんと。
にゃおんちゃん |  2007年03月19日(月) 22:49 |  URL |  【コメント編集】

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://powerpopisland.blog68.fc2.com/tb.php/183-355ba118

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。