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2007.03.13 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第34回:コンゴ民主共和国(Part7) - シャバ紛争

前回の続きです。
まだ7回目ですが、かなり疲れてきました。あと35年分も残ってるのに、どうしましょうか・・・。


◆モブツの野望③ - コンゴからザイールへ

モブツが国民に対して「部族」ではなく「コンゴという国家」に帰属意識を持たせようと腐心していたのは前述のとおりだが、1967年に『コンゴ人民共和国』に、さらに1971年に『ザイール共和国』と改称してそれを推し進めた。ザイールとは「全てを飲み込む混沌とした河」という意味で、国土の中央を流れるアフリカ有数の大河コンゴ川に由来し、植民地時代の忌まわしい思い出を払拭しようという意志が込められている。
ザイール共和国旗同時にモブツはそれまで使われていたフランス語に代わってリンガラ語を普及させようとし、さらにレオポルドヴィルやエリザベートヴィル、スタンレーヴィルといった植民地時代に名付けられた都市名をことごとく改名した。もちろん国旗・国歌も変更されているし、白人の姓を持っていた人(混血の人など)までザイール風に改姓させられている。そのわりには新しい国歌はフランス国歌のパクリなのが情けないし、国旗はMPRの党旗の流用なのだ。もう、やりたい放題である。

植民地時代の否定は西洋文明の否定へとつながり、西洋的なものは次々と排除された。モブツ自身も「そんなこと言っても、お前はジョゼフ・デジレってクリスチャンネーム使ってるじゃないか」というツッコミを受けて、モブツ・セセ・セコ・クク・ンベンドゥ・ワ・ザ・バンガと改名している。
とはいえ、いい加減なコンゴ人のやることなので、イスラム原理主義のように狂信的だったり、中国の文化大革命のように大虐殺があったりしたわけではない。モブツは「欧州の価値観から見れば我が国は貧乏国だが、我々は幸せである。テレビや車が無くても、ザイールには素晴らしい自然があるではないか」と言い張ったが、その割には自分は不正蓄財しまくりで贅沢な暮らしをしているので全然説得力が無い。


モブツは様々な分野でザイール化を進めナショナリズムを煽ったが、それは経済面でも同様だった。独立後も現地に残っていた白人入植者に対して象牙や金やコーヒーの密輸業者というレッテルを貼り、財産を取り上げて国外へ追放した。
しかし、農場を経営していたベルギー人にしろ、都市で商売をしていたポルトガル人やギリシャ人にしろ、ザイール人の職を奪っていたわけではない。ザイール人を雇用していた彼らがいなくなると、自力では農場経営や商売ができないザイール人は次々と失業した。しかも、白人から取り上げた資産は後を継ぐノウハウを持った現地人には引き継がれず、モブツ一族やその側近連中に捨て値で売却された。

モブツはこれによってザイール人のブルジョワや中産階級を作り出そうとしたのだが、このバカどもは真面目に事業を行う気などサラサラ無く、儲けを自動車やら宝石やらに浪費してしまった。事業に対する熱意もノウハウも持たないこの連中によって各事業は発展どころか維持すら行われなくなり、結果として金があっても欲しい物を売ってる店が無い・サービスを受けられない(もっとも、失業してるから金も無いが)というマヌケな事態を引き起こした。
結局、こいつらのバカっぷりに失望したモブツは、「金を出すから帰ってきてくれ」と追い出した白人を呼び戻す羽目になっている。



◆モブツの野望④ - 腐敗の凄さも半端ではない

モブツは経済には疎く自分の金の管理すら側近に任せていたらしいが、その割にはセコいというか強欲で、CIAから貰った傭兵を雇う費用や、アンゴラの反政府ゲリラ「アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA)」へ渡す金をピンハネして貯め込んでいた。また、モブツ本人だけじゃなくて一族も悪いのだろうが、使う金の額も半端ではなかった。1970年代後半でモブツ一族は年間7,000万ドルを浪費していたという記録が残っている。当時のレートで約120億円に、物価換算すると(最低でも)さらにその3倍に相当する。
資源が何も無い貧乏国でこんな真似は不可能だが、不幸なことにザイールは鉱物資源という宝の山だった。増長極まるモブツは「ワシは世界第二位の億万長者だ」と豪語し、不正蓄財疑惑を指摘されると「ワシは今まで国のために頑張ってきたんだぞ。ひたすら搾取したレオポルド2世とは違う」と詭弁を言って不正を正当化しようとした。

モブツはベルギーやスイスに不動産を買い漁った他、ザイール国内のいたる所に豪華絢爛な大統領宮殿を建設した。母親の故郷であるバドリテ(赤道州の中央アフリカ国境近く)に作ったものは特に凄まじく、ベルギーのラーケン王宮をモデルにしたといわれるこの宮殿の建設費用は1億ドル以上に及び、「ジャングルのベルサイユ宮殿」などと呼ばれた。さらにモブツの鶴の一声で、当時人口5,000人程度のこの田舎に突如ジャンボジェット機が離発着できる国際空港が作られた。これに伴い様々な企業がバドリテに進出し、いつのまにか人口5万人の街が出来上がっていたという。
一見地域経済が発展したように見えるが、モブツがこの地域に突っ込む金を目当てに人が集まっただけで、この地域がコンゴ経済に寄与するものは何も生んでいない。

やがて浪費癖がエスカレートするといくら金があっても足りなくなり、ついにはユニオン・ミニエール社を接収して作った国営鉱山会社ジェコミンから財政部門を分離、そこに自分の手下を置いて資金調達するようになった。財政部門を切り取られて資金繰りができなくなったジェコミンは、鉱山開発に必要な設備や機材の更新、探鉱活動、新しい技術の開発といった投資ができなくなり、みるみるうちに生産力が低下していたった。



◆シャバ紛争

モブツはコンゴ動乱の真っ最中の1965年のクーデターによって大統領となった身。選挙によって選ばれたわけではない。「事態を収拾するための5年間の緊急措置」として大統領に就任しているので、5年後の1970年に大統領選を行った。しかし、その5年間で強力な独裁体制を作り上げていたモブツが当選するのは分かりきったこと。悠々と当選を果たすと、ド・ゴールの真似をして大統領の任期を7年に延長した。
やがて悪政に耐え切れなくなった学生達が反政府デモなどを行うが、モブツは憲兵隊を送ってこれを鎮圧。学生達が懲りず再び集会を開こうとすると、大学を丸ごと閉鎖して学生達を軍にぶち込み、スパルタ教育を与えて報復した。1975年・78年にも将来自分の地位を脅かしそうな優秀な士官にイチャモンをつけて粛清している。1977年の選挙で再選を果たしたのは言うまでもない。

1977年、そんな我が世の春を謳歌していたモブツに復讐するべく、1968年にアンゴラに逃げていた元カタンガ憲兵隊やチョンベに雇われていた白人傭兵達が立ち上がった。
当初、アンゴラに逃げた彼らは、アンゴラの宗主国ポルトガルに雇われて独立ゲリラを叩く仕事をしていた。ところが、1974年にポルトガル本国でカーネーション革命と呼ばれる政変が起こると新政権は植民地を放棄。アンゴラは1975年に「アンゴラ人民共和国」として独立を達成してしまい、彼らは失業した。その後、アンゴラではソ連やキューバから支援を受ける「アンゴラ解放人民運動(MPLA)」、アメリカが支援する「アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA)」、そして南アが支援する「アンゴラ解放民族戦線(FNLA)」の三つ巴の内戦が始まり、UNITAがモブツから支援を受けていたことから、カタンガ兵達はMPLAに加わって戦った。

やがて彼らはMPLAを離れて「コンゴ解放国民戦線(FLNC)」という組織を作り、1977年3月に故郷であるシャバ州(カタンガ州から改名)の奪還を目指して侵攻した。FLNCは怠慢で士気が低いザイール軍をあっさりと蹴散らしシャバ州東部を占領したが、モブツはモロッコからの援軍を得て反撃を開始。モロッコからの援軍とベルギー、フランス、アメリカから援助によって息を吹き返したザイール軍は何とかFLNCを追い払うことに成功した。(第一次シャバ紛争)


第一次シャバ紛争が終わると、モブツはFLNCの襲来に備えてアンゴラ国境沿いに厚く部隊を配置した。すると、それを見たFLNCはザンビア領を経由して背後に回り込み、1978年5月に奇襲攻撃を仕掛けた。これがまんまと成功し、FLNCはシャバ州最大の鉱山都市コルウェジという都市に迫った。
モブツにしてみれば、こんなうるさいゲリラに悩まされるのはゴメンなので、今度こそFLNCの息の根を止めておく必要がある。前回はモロッコから1,500人の援軍が来たが、その程度の兵力ではFNLCを追い払うことはできても壊滅に追い込むのは無理。そこで国連に駆け込み、いくつかの国に「現在のザイール軍の力ではシャバ州にいる外国人を守りきるのは難しい。申し訳ないが邦人保護のために出兵してくれないか?」と呼びかけた。

ところがどこの国も二の足を踏んでしまい、怒ったモブツはFLNCがやったように見せかけてコルウェジにいる外国人を殺しまくった。モタモタしている諸外国に決断を迫るためだ。
アメリカは後方支援については積極的だったが、ベトナム戦争で酷い目に遭っていたことから、どうあっても地上軍の投入は無理。結局、フランスとベルギーがモブツの要請に応じて部隊を派遣した。ところが、現地で積極的に戦ったフランス軍に対し、ベルギー軍は「我々の目的は邦人保護のみである」と言ってフランス軍に全く協力しなかった。フランス軍の指揮官は怒り狂い、「ベルギー軍は自国民だけ助かれば、他の欧州人はどうなってもいいと思ってるのか!」と激しく批難した。ベルギー・・・とことんロクデナシである。
フランス軍の活躍でFLNCは逃げ去ったが、たった一週間の戦闘で1,000名もの犠牲者を出して第二次シャバ紛争は終わった。

《Part 8につづく》

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