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2007.03.11 (Sun)

【世界の香ばしき国々】第33回:コンゴ民主共和国(Part6) - アフリカ最凶の独裁者モブツ

前回の続きです。
アメリカが冷戦時代に「アカよりはマシ」というだけの理由により野放しにした世界各国のキチガイどもの中でも、モブツは飛びぬけています。この国は呪われています。


◆アフリカ最凶の独裁者モブツの素顔

コンゴ動乱以降30年にわたりこの国に独裁者として君臨することになるモブツ。彼が行った極悪政治については後に詳しく述べることとし、まずは彼の生い立ちと人間性について触れてみたい。

ジョゼフ・デジレ・モブツは、1930年にベルギー領コンゴ(当時)赤道州の小さな村で生まれている。彼はンバンディ族という少数部族の出身で、父親がカソリック教会に勤める料理人だったことから幼少の頃から教会に出入りしていた。子どもの頃のモブツはわんぱく坊主でイタズラも酷かったが、物覚えが良いうえに読書好きだったのでベルギー人神父達から目をかけられていたらしい。8歳のときに父親が亡くなり一家は貧乏暮らしを強いられるが、それでも彼はコツコツと神学校で勉強を続けた。
頭が良く勉強熱心なジョゼフだったが、19歳のときにあまりの素行の悪さに学校を退学となり、酋長に疎まれて公安軍に入隊させられてしまった。当時の公安軍は村ごとに徴兵する兵士の数を割り当てており、どこの村の酋長も問題児を優先して軍隊に送り込んでいた。

自らの意に反して入隊する羽目となったにも関わらず彼は成績優秀で、24歳にして当時の黒人兵士では最高位の階級となる軍曹に昇進している。その2年後に兵役を終えて除隊すると、軍で機関紙の編集に携わっていた経験を生かして地元の新聞社に就職する。
モブツは取材活動を通じて独立運動のリーダーだったルムンバと知り合うと、彼に傾倒してMNCに入党している。後にモブツはルムンバを激しく弾圧するが、実は最初はルムンバの支援者だったのだ。その後、モブツはジャーナリズムを勉強するためにベルギーへ留学するのだが、1959年にコンゴ独立に関する円卓会議がブリュッセルで開催されると、モブツはMNCの現地駐在員として会議出席のためにベルギー入りしたルムンバの世話係となった。この際にルムンバの信頼を得たモブツは側近として彼に仕え、1960年の独立直後に起こった暴動で公安軍のベルギー人士官達が解任されると、参謀総長に抜擢されて軍に復帰することとなった。

CIAはかなり早い時期からモブツに目をつけていたようで、彼が参謀総長になると大金を与えて懐柔し、ルムンバがアメリカに敵対的な行動を取った際にはモブツにクーデターを起こしてもらう算段をしていた。モブツはCIAから貰った金を部下にばらまいて軍を掌握すると、1965年にクーデターを起こして大統領となった。
ルムンバをはじめとして有力な政治家はたくさんあれど、結局は「武力を持っている奴が一番強い」という結果になった。


モブツの基本ファッション(豹柄の帽子&杖)モブツは残虐なだけでなく、短気かつ執念深い男で暴君の要素を漏れなく兼ね備えていた。彼は酋長が持つような大きな杖をいつも持ち歩いていたのだが、部下がヘマをすると容赦なくこれで殴りつけた。大臣クラスの人間ですらモブツに殴られて顔を腫らしているのは珍しくなく、腕を折られて入院した首相までいる。
また非常に執念深く、自分に逆らった奴のことはいつまでも覚えていて絶対に許さない。モブツがまだルムンバの側近だった頃に彼を怒鳴りつけた政治家がいるが、彼は後に大統領となったモブツから執拗な嫌がらせを受けたあげく、何度か殺されかけている。後に述べるムレレの最期の話にしろ、とにかく自分に逆らったり侮辱した奴は絶対に許さず、復讐しないと気が済まない性格だった。

しかし、ひたすら乱暴で執念深いだけでは30年以上も大統領に君臨することはできない。不要な恨みを買って、いつか暗殺されるのがオチである。
モブツは恐ろしい一面がある一方で、自分の一族には非常に優しく、側近に対する心配りも忘れない男だった。自分の家族の面倒を見ることについては決して人任せにせず、いつも自分で直接必要なものを手配したり金の工面をしていたという。側近に対しても、ヘマをすれば殴りつけたりもするが普段は優しく、「金持ちの料理人は立派な食事をするものだ」と言ってSPや自分の身の回りの世話をする人を厚遇した。
また、モブツはかなりの女好きだったが、女性には優しく結構モテたらしい。そのかわり人妻(それも自分の部下や政敵の妻)が大好きという困った性癖があったのだが、これはただの女好きだけではなく、その夫への影響を見越した政治的策謀でもあったらしい。

そんなモブツだが実は小心者で、迷信や占いを盲信してやたらゲンを担いでみたり、政治的に重要な決断をする際にはそのプレッシャーに負けて飲んだくれていることも多かった。最初にクーデターを起こす際にはその重圧に負け、酔っ払って現実逃避しているところをCIAの人間に叱責されているし、ルムンバが殺されたことを知った際には食事が喉を通らなくなり、1週間で15kgも痩せている。
モブツは、完全に狂ってしまった晩年のヒトラーや、どんな粛清も顔色ひとつ変えずに指示した冷酷なスターリンのようにはなれなかった。もし彼らのようになれていたら、あのような晩年を迎えることは無かったかもしれない。そのかわり、余計に恨まれてロクな死にかたをしなかった可能性もあるが・・・。



◆モブツの野望① - 約束を平気で反故にする男、モブツ

天下を取っても、余念の無い男モブツは自分を脅かす政敵の排除にも抜かりは無い。逆らう奴は容赦なくぶっ殺す。それがモブツ・クォリティ。
最初の犠牲者はキンバ前首相。1966年6月、モブツはキンバとその側近3人を言いがかりに近い理由で逮捕すると、審議時間わずか5分というとんでもない裁判で死刑を言い渡し、民衆の面前で公開処刑を行って殺してしまった。

次のターゲットはチョンベ。しかし、「次は俺の番だな?」と殺気を感じたチョンベはすぐにスペインへ逃亡。頼みのカタンガ憲兵隊は国軍に吸収されていたが、軍内部で差別に遭っていて彼らの不満は爆発寸前だった。チョンベが呼び寄せた白人傭兵達も約束どおりの報酬を貰えずモブツを恨んでいた。そこでチョンベは彼らを集めて自分の地元カタンガ州で反乱を起こすことを計画した。この頃、モブツは鉱山の国有化を目論んでおり、これに危機感を覚えた欧州資本の鉱山会社もチョンベの計画反乱を支援した。
しかし、これをいち早く察知したモブツはCIAの協力を得てチョンベを誘拐し、1967年6月にアルジェリアへ連れ去った。すかさずアルジェリア政府に身柄引き渡しを要求するが、アルジェリアはモブツの陰謀を見抜いてこれを拒否。しかし、そのチョンベもアルジェリア当局によって監禁されたあげく、1年後に謎の死を遂げている。モブツが刺客を送って暗殺したという説もあるが、真相は未だ不明。


かつてチョンベが率いたカタンガ憲兵隊は豊富な武器を持ち、ベルギー軍や白人傭兵から訓練を受けていたので、土人をかきあつめてきただけの国軍と比較すると優秀な兵士が多かった。白人傭兵達は豊富な戦闘経験を持つ百戦錬磨のツワモノ揃い。味方にすれば頼もしいが、敵にすれば厄介な存在だ。
しかし、カタンガ兵も傭兵も前述のとおりモブツを恨んでいた。そこでモブツはカタンガ人部隊や傭兵部隊を解体し、コンゴ国軍への編入や国外追放などを進めていた。

そんな再編作業を進めていた1967年7月、彼らはチョンベの誘拐によって一度は未遂に終わった反乱をついに起こした。3,000人を超える兵士達が参加したが、対する国軍は15,000人規模の部隊を投入。結局、反乱軍は耐え切れなくなりコンゴからの撤退を決断し、家族を連れて隣国ルワンダへ避難した。
しかし、モブツ政権との繋がりも浅くないルワンダにとって反乱軍は招かれざる客。ルワンダ領を拠点にしてコンゴへのゲリラ活動などやられてはたまったものではない。一方の反乱軍にとっても、ルワンダ政府に売り飛ばされてコンゴへ強制送還されるかもしれないという恐怖感がある。そこで、国際赤十字社は彼らをザンビアへ逃がそうと奔走していたのだが、そこにモブツから「特赦を与えて罪に問わないから、希望する者はコンゴへ戻って来なさい」という申し出が届いた。すかさず、アフリカ統一機構(OAU)とルワンダ政府が仲介に入って交渉を行い、モブツからこの特赦について保証を取り付けた。

反乱軍の兵士達はOAUとルワンダのお墨付きを得たことから、1967年12月にコンゴへ帰還した。ところが、彼らはコンゴへ戻ると牢屋へぶち込まれ、その大半は拷問された末に殺されてしまった。モブツを信用するとこういう目に遭うのである。
脱出に成功したわずかな生き残りは、モブツへの復讐を誓って再びアンゴラに逃れた。


モブツが約束を平気で反故にしたのはこれだけではない。その約1年後の1968年10月にはかつてシンパを率いていたピエール・ムレレを裁判にもかけずバラバラに切り刻んで殺している。
1964年11月にシンバが崩壊した後もムレレはジャングルに立てこもって闘争を続けていたが、1968年9月に西コンゴへ逃亡した。この頃の西コンゴは親仏派政権が軍事クーデターによって倒され、共産主義政権が樹立していた。中国と太いパイプを持つムレレが西コンゴを頼るのは当然のことだった。
やがて、ムレレがブラザヴィルにいることを知ったモブツは西コンゴ政府に身柄引き渡しを要求した。西コンゴ政府から見ればムレレなどもはや何の価値も無い逃亡者であり、下手に匿ったところでモブツとの関係が悪化するだけなので引き渡しに応じることにした。

しかし、モブツのような凶悪な男にムレレを引き渡そうものなら、彼がどんな殺され方をするか分かったものではない。西コンゴにも独立国としてのメンツがあるので、ムレレの身の安全を保障することを条件として身柄引き渡しに応じた。ところが、モブツはそんな約束をあっさり反故にしてムレレを残忍極まりない方法で殺してしまったのだ。メンツが丸潰れになった西コンゴは激怒し、モブツ政権との外交関係を断絶した。



◆モブツの野望② - 鉱山の国有化

内政面を見ると、逆らう奴を容赦なくぶっ殺す一方で翼賛政党を通して国民をコントロールして自分の支持者とし、自らの独裁体制を着々と強固にしていくモブツ。では、この頃のモブツが外交面では何をしていたかというと、鉱山の国営化を企んでいた。
この頃のコンゴの一人当たりGNIは90$。資源が何も無いルワンダ、ブルンジ、チャド、エチオピアなどの最貧国と同クラスだ。銅やらダイヤモンドやらをザクザク掘り出しているのに何だこの数値は。しかもコンゴ動乱のせいで独立前よりも経済状況が悪化している。

元々、植民地の経済体制というのは宗主国に依存せざるを得ないような仕組みになっている。植民地は天然資源を宗主国に安値で買い叩かれるのみならず、近代国家を運営し経済活動を行うために様々な物資を輸入せざるを得ない。だって自国で生産できないんだから。一度文明の利器に味をしめた人間に「土人みたいな暮らしに戻れ」と言っても、それは無理な話。
アフリカ諸国はどこの国も独立後もこの問題に苦しむのだが(そうなることが分かっていたから欧米諸国は独立を許したとも言える)、コンゴは特に酷かった。コンゴ動乱でズタズタになったとはいえ、壊れたものは再建すれば済むことだ。しかし、多くの白人が逃げ出してしまったコンゴでは、壊れたものを直すことができる人間が誰もいなかったのだ。

ただでさえ多くの資金が必要な時期なのに、内乱が起きて経済活動が止まったうえに余計な出費を強いられ、カタンガ州やカサイ州の分離独立によって入ってくるはずの金が入って来ず、その一方で独立後に生まれたコンゴ人エリートが私利私欲を貪ったことから、国家財政はみるみるうちに悪化した。アフリカの貧乏国に金を貸す物好きなどいないので政府は紙幣を大量発行せざるをえず、国民は酷いインフレに苦しむことになる。


と、モブツが大統領に就任する前後のコンゴ経済はこんな状況。
そこで、モブツは大統領に就任するとベルギーからの経済的独立を目指し、最大の収益源である鉱山の国有化を目論んだ。独立前後の交渉でコンゴ政府は十分な分け前(採掘料)を確保できなかったうえに、植民地時代の資産・債務の整理を巡ってベルギーと対立していた。ベルギーが譲歩しないことにキレたモブツは一方的に解決することを決意し、コンゴ国内で開発を行っている外資系企業の事業権を一旦全て白紙にした。外資系企業は仕方なく再申請するのだが、その際に当局は全ての外資系企業に本社をコンゴへ移転することを要求した。

コンゴで一番手広く鉱山開発を行っていたのは「ユニオン・ミニエール」というベルギー資本の企業。この会社がコンゴで儲けていた額は凄まじく、「コンゴ国内にはユニオン・ミニエール帝国という、もうひとつの国がある」と言われていたほどだった。モブツが目をつけていたのは、もちろんこの会社。
当然、ユニオン・ミニエール社は本社移転を拒否する。当たり前の話だ。「本社の国外移転=法人としての国籍変更」なので株主総会での承認が必要となるが、コンゴへの移転など株主が認めるわけがない。しかもこの会社はコンゴだけで商売しているわけではないので、コンゴへの本社移転によってこの会社が第三国に持つ資産までがコンゴ政府の影響を受けることになる。モブツのような嘘つきの悪党が親玉の政府だ。何をされるか分かったものではない。

すると、モブツはべらぼうな税金をかけて嫌がらせをしたあげく、1966年末にはユニオン・ミニエール社を接収してしまった。とはいえコンゴ人に自力で掘るノウハウは無いので、モブツは接収した資産を使って新たに国営鉱山会社「ジェミコン」を設立し、他国の鉱山開発会社にこの会社への資本参加を呼びかけた。
しかし、各国の鉱山開発会社にしてみれば、こんな提案に応じて悪しき前例を作れば他の国に真似されかねないので、モブツの提案に乗る企業はひとつも無かった。

ユニオン・ミニエール社はコンゴで商売ができず儲けを失い、一方のモブツも彼らに商売してもらわないことには国庫に金が入らない。そこで再び交渉が行われ、結局「コンゴ国内にあるユニオン・ミニエール社の資産はコンゴ政府が接収するが、開発はユニオン・ミニエール社の関連会社に委託する」ということで手打ちとなった。
ユニオン・ミニエール社を接収したことでモブツのメンツは保たれ、一方ユニオン・ミニエール社は引き続き開発・販売権を確保することができた。

《Part 7につづく》

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Comment

●ハイル・マイン・フューラー!

楽しみにしていたモブツの特集記事の第一弾を見せて頂きました。ありがとうございます!
モブツはこんなに凶暴な独裁者だったとは知りませんでした。勿論、次回の記事も楽しみにしてます。ハイル・マイン・フューラー!
羊 |  2007年03月12日(月) 15:22 |  URL |  【コメント編集】

これで終りじゃないんですよ。まだまだ続くんですよ。
前回のコロンビアもそうでしたが、書いてる私がうんざりするくらい酷いです。もうかなり疲れてきました。でもまだ40年分も残ってるんですよ。(;´д`)トホホ
にゃおんちゃん |  2007年03月13日(火) 22:43 |  URL |  【コメント編集】

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