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2007.03.08 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第32回:コンゴ民主共和国(Part5) - コンゴ動乱の結末

前回の続きです。
結局、コンゴ動乱は凄まじい足の引っ張り合いの末に、モブツ参謀総長のクーデターによって決着がつきました。民度の低い国はこうするしか収まりがつかないんですね。


◆コンゴ動乱④ - カタンガ、ついに降伏

強引な手法故に敵も多かったとはいえ、コンゴ独立のリーダーであるルムンバが殺された。これで国際世論の同情が一気にスタンレーヴィルのルムンバ派政権に集まり、カタンガ政府の黒幕ベルギーと何もできなかった国連事務総長ハマーショルドは吊るし上げられた。国連やいくつかの国はスタンレーヴィルのルムンバ派政権をコンゴの正統政権として承認した。
ルムンバを殺害したうえに傭兵まで雇って紛争を煽るチョンベのやり方は国連で槍玉に挙げられ、2月には国連決議を採択して「コンゴ動乱終結のためには武力行使も辞さない」こと、「国連軍以外のあらゆる他国の軍隊・傭兵をコンゴから即時撤退させる」ことを決めた。

影の薄かったカサブブ大統領はこの国連の動きを見て、これまでとは打って変わって積極的に動き、7月にはカタンガ以外の勢力をまとめあげてシリル・アドウラを首相とする挙国一致体制(アドウラ政府)を作ることに成功した。アドウラは親欧米派だがMNCの党員でもあり、ルムンバ派政権とのパイプも持っていた。


一方、カタンガでは担当の国連大使がアドウラ政府に加わるようチョンベを説得していた。いくら諸勢力が集まって挙国一致体制を作ったところで、金づるのカタンガにそっぽを向かれたままでは立ち行かないのだ。しかしチョンベは一向に言うことを聞かず、カタンガ憲兵隊と国連軍の小競り合いが続いた。
1961年8月、ついに堪忍袋の緒が切れた国連軍は大規模な軍事作戦を展開し、傭兵達を一網打尽にして捕獲した。続いて国連軍はチョンベやカタンガ政府閣僚の逮捕に踏み切るが、チョンベには逃げられたうえに逆にカタンガ憲兵隊の反撃に遭い、勇猛果敢なグルカ兵を擁するインド軍ですら壊走させられ、アイルランド軍にいたっては包囲されて降伏するという事態に陥った。

国連事務総長ダグ・ハマーショルド武力制圧は無理と判断したハマーショルドはチョンベに会談を申し入れるが、その会談場所に向かう途中に乗っていた飛行機が墜落して死亡してしまった。フーガ・マジステール(フランス製のジェット機)を持っていたカタンガ空軍の仕業と言われているが、真相は未だ不明。
こうしてコンゴ問題の解決に並々ならぬ情熱を注いだ国連事務総長は、資本主義諸国・社会主義諸国・新興独立国の3つのグループの対立に振り回され続けた末にこの世を去った。後に事務総長になるブトロス・ガリやコフィ・アナンのようなロクデナシこそが、アフガニスタン上空でスティンガーミサイルで撃墜されるべきだったのに。

1962年に入ると、新しい国連事務総長ウ・タントはケネディ政権からの協力を取り付け、経済封鎖を行ってカタンガを締め上げた。カタンガの生命線は天然資源がもたらす金なので、経済封鎖を食らうと急激に弱体化した。この間に国連軍は着々と州内の重要拠点を制圧し、12月にはコンゴ国軍がカタンガ州北部を制圧した。
こうなると所詮金で雇われた白人傭兵はあっさりとやる気を失ってしまい、1963年1月にカタンガ政府は降伏した。チョンベはスペインに亡命し、最後まで戦った憲兵隊員と白人傭兵は隣国アンゴラへ逃亡した。この頃、ポルトガルの植民地だったアンゴラは独立戦争の真っ最中。彼らはポルトガル政府軍に雇われて独立派ゲリラの鎮圧に当たった。



◆コンゴ動乱⑤ - モブツ独裁政権が誕生

アドウラ政府によって統一されたコンゴだが、国内はボロボロに疲弊しており混乱が続いた。 1964年6月には国連軍が撤退するが、するとピエール・ムレレ率いる「シンバ」と呼ばれるゲリラが中国の支援を得て反乱を開始した。シンバの主要メンバーは旧ルムンバ派政権の急進的改革派で、リーダーのムレレは毛沢東を崇拝するバリバリの共産主義者
シンバは比較的規律がしっかりした組織だったので、国軍の横暴な振る舞いに泣かされていた農村部で幅広い支持を得た。また彼らは入隊の際に受ける洗礼の儀式によって不死身になれると信じていたことから、死を恐れぬ狂信的な突撃で国軍兵士を震えあがらせた。現在のコンゴ大統領ジョセフ・カビラの父親で、先代の大統領ローラン・カビラも、このシンバの出身。

短期間で一気に勢力を拡大したシンバは3ヶ月弱の間にコンゴの2/3を制圧し、スタンレーヴィルで「コンゴ人民共和国」の建国を宣言した。赤化した西コンゴが後の1970年にコンゴ人民共和国と改名するが、そっちとは一切関係ない。紛らわしいわ、ほんとに。
余談だが、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは奮闘するシンバの噂を聞くとキューバ政府の閣僚の地位を捨て、キューバ人の部下を連れてコンゴへ馳せ参じた。しかし、やる気の無い幹部連中のバカっぷりに呆れてすぐに去っている。幹部連中はタンザニア(中国にとってアフリカにおける最大の同盟国)に引きこもって自らは戦おうとせず、たまにコンゴへやって来ても酒と女にうつつを抜かして遊び呆けていたらしい。


窮地に陥ったコンゴ政府はここでとんでもない行動に出る。なんとスペインに亡命していたチョンベを呼び戻して首相に据えたのだ。チョンベはアンゴラに逃げていたカタンガ憲兵隊と白人傭兵を呼び戻し、コンゴの赤化を恐れるアメリカやベルギーもからの支援も取り付けた。これで一気に形勢を逆的したコンゴ政府は11月にスタンレーヴィルへ大攻勢を行い、傭兵部隊やベルギー軍特殊部隊の活躍によってあっさりとシンバを叩き潰した。
翌1965年5月には総選挙が行われ、チョンベ率いるCONACO(コンゴ国民公会:かつてのコナカ党を改名)が圧勝した。ところが、調子に乗りすぎたチョンベはカタンガ時代から自分に仕える側近ばかりで組閣しようとしたため、カサブブ大統領と反カタンガ派の反発を食らい、首相を解任されてしまった。シンバを潰してしまえばチョンベなど用無しなのだ。

しかし、アメリカやベルギーとグルになるわ白人傭兵を使うわで、コンゴの評判は地に落ちてしまった。他のアフリカ諸国から見れば、帝国主義的な欧米諸国や黒人の生き血をすすって生きる白人傭兵とグルになって自らの保身を図るなど言語道断である。
カサブブ大統領と新首相エヴァリステ・キンバはアフリカ諸国が多く属する非同盟諸国(エジプト、インド、ユーゴスラビアなど、米ソいずれの味方にもならず独自路線を採っていた国)へ接近し、それらの国との関係改善を図るべく反米的な発言を繰り返した。

しかし、これがCIAとモブツの怒りを買い、1965年11月にモブツが二度目のクーデターを決行した。
最初のクーデターはルムンバを排除するのが目的だったことから、モブツはルムンバと対立するカサブブを厚遇したが、今度は違う。観念したカサブブは今後政治活動を行わないことと引き換えに釈放され、1969年に死去するまで故郷で隠遁生活を送った。
クーデターによって大統領に就任したモブツは強力な独裁体制を作り上げ、ひとまずコンゴ動乱は終結した。しかし、とことん呪われたこの国の不幸はまだまだ続く。



◆独裁者ジョセフ・デジレ・モブツ登場

若き日のジョセフ・デジレ・モブツ大統領に就任したモブツは「政治家は必要ない」と明言すると、憲法改正を行って議会の権限を大幅に制限した。さらに、自分の支持政党である「国民革命運動(MPR)」以外の政党を全て禁止して独裁者に君臨した。内乱続きでうんざりしていた国民は権力闘争に明け暮れる政治家に愛想を尽かしており、最初はモブツのクーデターを歓迎したという。

コンゴには様々な部族が暮らしており、言語も違う。中央集権的な統一国家を運営するのであれば、そのように雑多な国民をどこかで均質な「コンゴ国民」に変えていかなければならない。というわけで、モブツはMPRを作ると「ナショナリズムによってのみ、市民は真の政治的、社会的、経済的解放を達成することができる」とブチ上げ、国民にコンゴ人としてのナショナリズムを植え付けようとした。MPRの党籍が無いと公的サービスを一切受けることができない等、様々な社会的制約を受けたことから、全ての国民はMPRに加入せざるを得なかった。モブツはこれを通じて自分の独裁政治を正当化し、国民を洗脳していった。


のぼせ上がった独裁者が個人崇拝に走るのは世の常。
モブツは国内のいたる所に自分の肖像画を飾ることを強要し、演説を行う際には政府・党・各界の有力者はもちろん私企業にいたるまでMPRを使って動員を掛け、 「救世主モブツ!再建の人モブツ!建国の人モブツ!創造の人モブツ!」などとキチガイじみた賛歌を歌わせた。
今でも北朝鮮やトルクメニスタンではこんなことが続いているが、軍事クーデターで政権を取った反共の人間がこんなことをするのも珍しい。

独裁者にとっての必需品は親衛隊と秘密警察だが、モブツもこれを創設することを忘れてはいない。
自分の出身部族であるンバンディ族から選りすぐりの屈強な兵士を集め、大統領特殊師団(DSP)という15,000~20,000人規模の親衛隊を作って身辺を警護させた。国軍兵士は安月給ですら満足に貰えなかったのに、DSPの隊員は高給を貰いモブツに絶対的な忠誠を誓っていた。
他にも憲兵隊と呼ばれる公安組織や、CNDとかANDと呼ばれる秘密警察を作って市民を震え上がらせた。

反共のくせに共産主義国がやるような手法を取ることから分かるとおり、モブツという男はこのへんには余念が無い。頭は良いのだが人格が破綻しているので、その頭脳はもっぱら悪事にばかり活用された。

《Part 6につづく》

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20:48  |  コンゴ民主共和国/ザイール  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●遂に・・・

遂にモブツ独裁時代に突入しましたか・・・。本当に面白くなってきました。モブツの馬鹿げた賛歌は初めて知りました。
次回の記事で、モブツの悪行がどれだけ紹介されるのか楽しみです。
羊 |  2007年03月08日(木) 21:55 |  URL |  【コメント編集】

●現在、飲んだくれ中

しがない少市民がストレス発散中。続きは週明けに。
にゃおんちゃん |  2007年03月10日(土) 03:22 |  URL |  【コメント編集】

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