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2007.03.06 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第31回:コンゴ民主共和国(Part4) - コンゴ動乱の勃発

前回の続きです。
独立したばかりだというのに、コンゴ動乱が勃発して国が崩壊する危機に。
当時、日本でもルムンバを支援してベルギー大使館の前でデモを行った連中がいたそうです。共産主義者でしょうか?


◆コンゴ動乱① - カタンガ独立

カタンガ国コンゴの混乱を見たカタンガ州知事チョンベは、チャンス到来とばかりに7月11日にカタンガ州の分離独立を宣言した。先の述べたようにカタンガ州はコンゴの中でも特に地下資源に恵まれた地域なので、分離独立したほうがその儲けを独り占めできて潤うのだ。以前からその機会を窺っていたチョンベがこんな絶好のチャンスの逃すはずが無い。独立から2週間も経たないうちにコンゴは分裂の危機に陥ってしまった。

チョンベは「ルムンバ首相は実は共産主義者で、今回の暴動はコンゴから白人や欧州資本を追い出すための彼の陰謀である。我々はこのような陰謀に加担できないので独立する!」とブチ上げ、カタンガ州に出兵していたベルギー軍と協力して「カタンガ憲兵隊」と呼ばれる民兵組織を作ると、あっという間に州内の暴動を鎮圧してしまった。
ちなみに、カタンガ州に駐屯していたコンゴ公安軍は、出兵してきたベルギー軍によってすぐに武装解除させられている。そう、チョンベとベルギーは最初からグルだったのだ。最初は限定的だった暴動がすぐに大騒ぎになり、次々とベルギー人が逃げ出したのも、ベルギー政府や軍が暗躍したせいなのかもしれない。

しかし、チョンベの手際の良さを見たカタンガ州の白人入植者達は「チョンベは頼りになる」と彼を支持した他、この暴動では白人女性が暴行されるケースが非常に多かったことがベルギー人を激怒させており、それに迅速に対処したことでベルギー本国でもチョンベの株は上がった。国際世論がある手前、大っぴらにカタンガ独立を承認した国はさすがにひとつも無かったが、カタンガ州で鉱山開発を行っていた企業はもちろん全て欧州資本なので、欧州各国も安定した採掘を保証してくれそうなチョンベを支持した。
一方、カタンガ州以外の地域では暴動は収まらず、政治・経済の要職を担っていた白人達は皆逃げ出してしまった。残ったのはロクな教育も受けておらず経験も無い黒人だけ。何一つまともに運営されなくなったコンゴは麻痺状態に陥った。


カタンガ州が独立宣言をしたことを知ったルムンバは、チョンベと交渉するため現地へ向かおうとするが交通手段が無い。仕方が無いのでベルギー軍に頼んで飛行機で迎えに来てもらうが、やって来たのは座席も無い輸送機。迎えの兵士には猿呼ばわりされたうえに、カタンガ州都エリザベートヴィル(現ルブンバシ)の空港で州政府から入国を拒否され、レオポルドヴィルへ追い返された。

チョンベとベルギー軍がグルになっていることを知ったルムンバは国連に支援を要請した。ルムンバに泣きつかれた国連事務総長ダグ・ハマーショルドはすぐに安全保障理事会に諮り、安保理は「ベルギー軍の撤退を要求する」と「国連軍を派遣する」という旨の決議を行った。
しかし、国連本部で協議が行われている間に暴動はますます酷くなり、ついにはベルギー軍とコンゴ公安軍が戦闘状態に陥った。すっかり頭に血が上ったルムンバはベルギーとの国交断絶を宣言してしまい、平和的な解決は無理と確信したベルギー軍はさらに行動を活発化させた。



◆コンゴ動乱② - 国連軍の介入

暴動が始まってから約1ヶ月半後の8月下旬、国連軍が続々と現地に入り治安回復に当たった。
ところが、ベルギーやアメリカがカタンガ州への国連軍進駐にイチャモンをつけた。国連軍派遣の名目は「暴動によって混乱した治安の回復」なので、とっくに混乱が収まっているカタンガ州への国連軍派遣は越権行為であり、コンゴ政府への内政干渉に当たると抗議したのだ。両国がそのような抗議をした理由はもちろん親欧米派のチョンベに対する支援であり、あわよくばカタンガの独立を既成事実にして豊富な地下資源を確保しようという魂胆による。
一方、ルムンバとソ連をはじめとする東側陣営はカタンガ州への国連軍進駐を強硬に主張した。ルムンバの暴走やソ連の介入を恐れたハマーショルドは一度は国連軍の進駐を発表したが、チョンベやその支持者が徹底抗戦を叫んだことからすぐに撤回する羽目となった。

これでルムンバのアメリカに対する不信は決定的となった。ルムンバは国連に泣きつく前に実はアメリカに支援を要請していたが、アメリカ政府は急進的かつ過激な独立主義を唱えベルギーへの挑発的な発言を繰り返すルムンバを危険人物と見なし、「アメリカはこの問題に直接関与はしない。国連へ行って相談しろ」と厄介払いしていた。ルムンバは共産主義者ではなかったが、悪の宗主国ベルギーに肩入れして国連軍のカタンガ進駐を邪魔するアメリカに対抗するため、ソ連に急接近する。
板ばさみになったハマーショルドは直接カタンガに乗り込んで交渉を行い、「国連はこの問題に一切干渉しない。我々はコンゴの治安回復にのみ専念する」と約束することでベルギー軍撤退と国連軍進駐にこぎけつた。あまりゴネすぎると今度は自分達が批難されるので、チョンベとベルギーもこれで手を打った。

そんなことをしてる間にカタンガ州は独自憲法を制定してチョンベが大統領に就任し、着々と分離独立を進めていた。 さらにMNC内部の反ルムンバ派が、カタンガ州に次ぐ鉱山地帯カサイ州南部に「南カサイ鉱山国」なる新国家を作り、分離独立を宣言した。この一派は昔からMNCの主導権を巡ってルムンバと対立していたうえに、彼がソ連に接近したことに嫌悪感を抱いていた。
ルムンバは多くの人を惹きつける強烈なカリスマを持つ大衆政治家だったが、元々言動が過激なうえに混沌とした情勢を解決するために独裁的な手法を取ることが多く、次々と様々な反発を招いていた。いずれにせよ、これでコンゴ政府はカタンガの銅に続いて南カサイからのダイヤモンドによる収入も失うことになった。


カタンガに続いて、今度は南カサイが独立を宣言した。このままでは国が崩壊するというのに、国連はカタンガやベルギーの顔色ばかり伺って、一向に自分達を助けてくれない。完全にブチ切れたルムンバは国連に頼らず力ずくで問題を解決することを決意し、8月25日にソ連の支援を受けて南カサイ鉱山国へ侵攻を開始した。なお、コンゴ公安軍はもはや治安維持を担う組織ではなく、戦争を行う組織となったことから「コンゴ国軍」に改名されている。
ソ連から武器を供与された国軍は南カサイ鉱山国へ侵攻したが、まともに給料をもらえていなかった国軍兵士が略奪行為や民間人の虐殺に走ってしまい、元々ギクシャクしていた西側諸国との関係が最悪になってしまった。

すると、今まで影の薄かったカサブブ大統領がここで動き、9月5日にルムンバの解任を発表した。じっと我慢していたカサブブだが、もはやルムンバのやり方では事態は好転しないと判断したのであろう。もちろん、ルムンバがこれをおとなしく受け入れるわけがなく、「俺は議会の信任を得て首相になってんだ。お前こそ大統領クビだ!」と反撃する。分離独立を訴える勢力がいるうえに、政府では大統領と首相の二重権力状態が発生し、コンゴは非常に危険な状態に陥った。
コンゴの憲法は大統領制の国であるにも関わらず、立憲君主制であるベルギー憲法をそのまま流用している部分が多かった。ベルギーにおける国王と首相の関係を、そのままコンゴの大統領と首相に置き換えてしまったため、それ故に起こった混乱だった。ベルギー憲法には国王が首相を解任できる条文があるが、実際には選挙によって選ばれた議員から選出された首相を国王が一方的に解任することなどあるはずもない。コンゴ憲法を制定する際、ベルギー人法学者達はもちろんこの点について検討したが、「実際に使われることは無いだろから問題ないだろう」とこの規定を残してしまったのだ。

余談だが、日本の隣にも大統領制の国なのに、立憲君主制の日本の法令をそのままパクってる法制能力ゼロのバカ国があることをお知らせしておく。



◆コンゴ動乱③ - ルムンバ死す

9月14日、今度はアメリカが動いた。ルムンバがソ連に接近していることを苦々しく思っていたCIAの支援を受けた陸軍参謀長ジョセフ・モブツ大佐がクーデターを決行したのだ。
実際、この頃のコンゴは政府機関が何一つ機能しない滅茶苦茶な状態で、レオポルドヴィルでは司法や警察が機能しないのをいいことに犯罪者が暴れまわっている有様だった。こうなってしまっては、もはや軍部が動いて戒厳令でも発さないことには事態の収拾はできない。

何よりもカタンガ独立を阻止したいカサブブはモブツと組んでそのまま大統領に留任し、国連もカサブブ派を正統な政府として承認した。追い詰められたルムンバは自分の地元であるコンゴ東部の都市スタンレーヴィル(現キサンガニ)へ戻って支持者と合流すべく逃亡を図った。結局、ルムンバはモブツの兵士に追い回された末に逮捕されてしまうのだが、ルムンバの支持者達はスタンレーヴィルに集結し、ソ連やアラブ諸国から支援を受けて12月に副首相のアントワーヌ・ギゼンガをリーダーとする新政府の樹立を宣言した。

コンゴ動乱勢力図
各国の勢力図はこのとおり。

コンゴは6州からなる国だが、首都レオポルドヴィルを含む西部はカサブブ大統領率いるコンゴ政府が、東部州とキヴ州はキゼンガ副首相率いるルムンバ派が支配している。
カサイ州南部(青い部分)が「南カサイ鉱山国」、緑の部分が「カタンガ国」。





ルムンバは失脚したうえに中央政府は分裂した。カタンガ州のチョンベにとっては圧倒的に有利な展開。ところが、今度はカタンガで内紛が始まり、以前からチョンベと折り合いが悪かった州北部のルバ族が反乱を起こして「北部カタンガ共和国」を建国した。もう・・・内輪揉めが酷すぎる。左翼の内ゲバより酷い。
チョンベはすぐにカタンガ憲兵隊を送って反乱の鎮圧に掛かるが、逆に返り討ちに遭ってしまった。ルバ族に勝てないようではコンゴ国軍に勝てるわけがない。そこで、チョンベは戦力補強のため、フランスを筆頭に南アフリカやローデシアなどから大量の白人傭兵を雇い始めた。

ちょうどこの頃、フランス大統領シャルル・ド・ゴールはアルジェリア独立を許すことにしたのだが、これに納得のいかないコロン(アルジェリアに入植したフランス人)との対立が激化し、コロンに味方したフランス軍の士官や兵士が大量に解雇されるという事件が起こっていた。彼らはインドシナやアルジェリアで経験を積んだ戦争のプロなので、その多くが結構な給料を貰って傭兵としてカタンガ憲兵隊に加わった。 ちなみに、この際に傭兵にならずド・ゴールに逆らい続けた連中が作ったのがOAS(Organisation de l'armée secrète=秘密軍事組織)。フレデリック・フォーサイスの小説「ジャッカルの日」にも登場する極右組織で、アルジェリアでテロをやったりド・ゴール暗殺を企んだりした。
南アやローデシアは言うまでもなく少数の白人が大多数の黒人を支配する国。白人の味方(というか手下)のカタンガに同情的だったこの二ヶ国からは、多くの傭兵が馳せ参じた。


1961年1月になると、スタンレーヴィルのルムンバ派政権は北部カタンガ共和国へ侵攻し、併合に成功 した。
一方、クーデターによって実権を握ったモブツはルムンバの処遇に困っていた。このまま彼を監禁しておけば、人道主義を掲げるアメリカの新大統領ジョン・F・ケネディから絶対にイチャモンをつけられる。死刑にすれば国際社会から袋叩きに遭うし、ルムンバ派に奪還されようものならもっと厄介なことになる。そこで、モブツはルムンバをチョンベの元へ送りつけることにした。
突然厄介な男を押し付けられたチョンベは困り果てるが、結局ルムンバを生かしておくことは危険すぎると判断して処刑してしまった。チョンベは発覚を恐れ、人里離れたサバンナの真ん中に信頼できる側近だけを呼び寄せてルムンバを処刑し、さらにその遺体を硫酸で溶かすという徹底ぶりだった。

しかし、人の口に戸板を立てることはできない。ルムンバが殺されたという噂は瞬く間に広がり、シラを切り通せなくなったチョンベはその翌月に「逃亡しようとしたルムンバを見つけた農民が彼を殺害してしまった」と発表した。
もちろん、こんな戯言を誰も信じるはずがない。すると、カタンガ内相ゴデフロア・ムノンゴは「誰もがルムンバを暗殺したのは我々だと非難する。それに対して私は一言だけ言いたい。証拠を示せ!と開き直った。


《Part 5につづく》
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23:56  |  コンゴ民主共和国/ザイール  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

congoはんぱねーっす
Gorubii |  2007年03月08日(木) 17:14 |  URL |  【コメント編集】

●まだまだ。こんなもんじゃないっすよ。

普通は独裁国家になれば、政治的自由は無くとも、少しは落ち着いた暮らしができるものですが、この国の国民はさらに苦しむことになります。
この国は世界一呪われている国です。
にゃおんちゃん |  2007年03月08日(木) 20:58 |  URL |  【コメント編集】

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