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2007.05.06 (Sun)

【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その25)

これまでの経過はこちら
ソ連を蹴散らしたドイツ軍は、中東と北アフリカへと向かいます。


インドへの道 - 1940年12月26日~1941年2月12日

聖夜に起こった元総統秘書官ニーナ・ゲーレンによる『カール・ポテンテ総統補佐官襲撃事件』から遡ること約3週間、12月上旬に中東・北アフリカ攻略作戦『クラフトヴェルク作戦』が本格的に動き出した。
12月1日には北方軍集団改め「ドイツ・アラブ軍集団」(司令官:ブロンベルク元帥)がレバノンへ上陸、12月6日にはバクー(現アゼルバイジャン共和国首都)に駐留していた中央軍集団改め「ドイツ・インド軍集団」(司令官:クルーゲ上級大将)がイラン領への侵攻を開始した。

インド軍集団は険しい山道に苦しながらも12月中旬にはラシュトとタブリーズを攻略し、首都テヘランの目前に迫った。山岳戦に向かない機甲部隊はタブリーズから山を降りてイラク領へと進み、年末には首都バグダッドの目前まで進軍した。
一方、アラブ軍集団主力部隊は順調にシリア、パレスチナ、ヨルダンの攻略を続け、12月26日には聖都エルサレムを占領した。


年が明けた1941年1月11日、フランス領ポリネシアに続き赤道アフリカ植民地が自由フランス加盟を表明した。欧州を追われ、未開の地ブラザヴィル(現コンゴ共和国首都)でくすぶるシャルル・ド・ゴール率いる自由フランス政府に到底未来があるとは思えないのだが、アフリカの民は露骨な人種差別政策を掲げるナチス・ドイツに従うヴィシー政権がよほど嫌いらしい。

1月24日、アラブ軍集団隷下のフェードア・フォン・ボック中将率いる第8軍がスエズを制圧。スエズ運河を失ったことによって、インドを拠点とするイギリス海軍は地中海を経由して欧州へ進出する術を断たれた。さらに2月10日にはベーメ少将の海兵隊がエジプトの地中海沿岸を全て制圧し、地中海沿岸にあるイギリスの植民地はマルタ島を除いて全て消滅した。
インドへ逃れて再起を図った大英帝国政府だったが、北を見ればシベリア軍集団はアフガニスタンのさらに北、トルクメニスタンにまで進出しており、西でもテヘランが包囲され、マンシュタイン中将の機甲軍団はペルシャ湾に到達しつつあった。このままイランを失えば、北部と西部からドイツ軍が雪崩れ込んで来ることになる。

頼みのアメリカは欧州大戦参戦に対して世論を統一できず、ドイツへの宣戦布告どころか「武器貸与法」を議会で否決され、連合国への軍事援助すらできない状況だった。起死回生の本土奪還作戦も失敗し、成す術が無いチャーチルにできることは、もはや神頼みだけとなっていた。


また、2月7日にキプロス島が「キプロス共和国」として独立した。ヒトラー総統は同盟国トルコの要請を受け、トルコ系キプロス人の独立運動家ファジル・キューズク博士を大統領に任命した。しかし、これにギリシャ系キプロス人が反発し、ヒトラーを驚かせた。
「何故だ?独立したというのに、奴らは何が気に入らないのだ?」

ギリシャ系住民に言わせれば、「トルコ野郎に支配されるくらいなら、イギリスの植民地のままのほうがよっぽどマシ」なのだそうだ。
両者の対立をここまで悪化させた原因は、イギリスの植民地政策に起因する。イギリスはどちらかに肩入れすることによって(キプロスの場合はトルコ系)意図的に対立を煽っておきながら、その一方で調停者を演じることによって不満の矛先が自分に向かないようにしていたのだ。これがイギリス得意の「二枚舌外交」である。

ヒトラー総統は渋い表情を浮かべ、蝿を追い払うような仕草をしながら言い放った。
「チャーチルの野郎をとっ捕まえたらキプロスに謝罪旅行に行かせるから、ギリシャ系住民にはそれまで静かにしているよう伝えておけ」



赤い巨星が落ちた日 - 1941年2月13日~5月8日

「ドイツ・シベリア軍集団」(司令官:ルントシュテット上級大将)は、-30℃を超える寒さと雪に苦しみながらもソ連領の中央部を突き進み、2月上旬には『ゼーベルティーガー作戦』の到達目標となっていたオムスク、ノヴォシビリスクなど西シベリアの工業地帯に迫っていた。
そして2月13日、後が無くなったソ連はついに講和を申し出てきた。

ミハイル・カリーニン

もはやこれまで。我々はもう十分戦った。
モロトフ君、ここに用意してある講和案を持ってヒトラーの元へ行ってくれ。

ヨシフ・スターリン

何を言うか、カリーニン同志!

ミハイル・カリーニン

スターリンよ、我々は負けたのだ。こうなってしまっては、ソ連という国家の存続が最優先だ。革命の灯を消してはならんのだ。

ヨシフ・スターリン

ソ連最高会議幹部会議長(名目上の国家元首)とは思えないその言葉!
これは重大な反逆であり、実に反革命的な発言だ。ベリヤ君、カリーニン同志をシベリアへ案内したまえ!

ラヴレンティ・ベリヤ

・・・・・・。

ヨシフ・スターリン

何をしているのだ!早くこのジジイをシベリア送りにしろ!

ミハイル・カリーニン

シベリアへ行くのはお前じゃ、スターリン。
シベリアで木を数える、シベリアで木を切る、シベリアで穴を掘る、シベリアで土を運ぶ、どれでも好きなものを選ぶがよい。

ヨシフ・スターリン

ベ、ベリヤ、お前まで私を裏切ったのか!

ラヴレンティ・ベリヤ

・・・申し訳ございません、閣下。

ヨシフ・スターリン

おのれ!貴様ら全員粛清だ!このトロツキストの豚どもめ!

ミハイル・カリーニン

衛兵!スターリン前書記長をシベリアのラーゲリ(強制収容所)にお連れしろ。

ヨシフ・スターリン

こ、こら!何をする!放せ!やらせはせん、やらせはせんぞ!
シベリアになど行ってたまるか!うぎゃー!ママ、助けて~!

こうして、残虐極まりない恐怖政治で北の赤い大国に君臨した暴君は失脚し、50年間の強制労働を課されてシベリア送りとなった。後任には人民委員会議副議長のラヴレンティ・ベリヤが任命された。
ナチ党高官の一部は共産主義の撲滅を訴えて戦争の継続を訴えたが、独ソ戦開戦から1年半を過ぎて国内世論は戦争に倦みはじめていた。ソ連全土を制圧するとなればさらにもう1年を要することから、ドイツ政府は講和に応じることにした。この講和によってウラル山脈以西はドイツに割譲され、両国は1942年8月までの不可侵条約を締結した。
また、同時にソ連はサハリンの北半分とカムチャッカ半島を日本へと割譲する羽目となり、太平洋へ進出する術を完全に失った。


その日の夜、ベルリンの総統官邸では盛大な祝勝パーティーが開催された。各戦線に赴いている将軍達の出席は叶わなかったものの、多くの人が詰め掛けて勝利の酒に酔いしれた。

アドルフ・ヒトラー

本日、ソ連が講和を申し出てきた。この講和条約によって共産主義者どもはウラル山脈の彼方に追いやられ、我々はロシアの大地を手に入れた。諸君、我々はついにやり遂げたのだ!

ルドルフ・ヘス

おめでとうございます、総統閣下。ナチズムの優位性が証明できて、私も嬉しい限りであります。

アドルフ・ヒトラー

うむ、しかし・・・かつての半分になったとはいえ、ソ連は未だイタリアを越える工業力を有している。一度は50個師団を切った赤軍も、これから1年半の間に必死に再建を試みるに違いない。

ヘルマン・ゲーリング

やはり、このまま攻め続けるべきだったのでは?

カール・ポテンテ

いや、パルチザンに悩まされて前線への補給もままならないことを考えれば、ここで手打ちにするのが得策かと。今回の講和によって東方占領地でのパルチザン活動は収まり、補給の遅滞は解消されました。

アドルフ・ヒトラー

しかし、不可侵条約の有効期間はたった18ヶ月間に過ぎない。いずれ、我々は再び赤軍と対峙することになるだろう。今回の講和は「終わりの始まり」に過ぎないのだ。

ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

1942年夏までにインド攻略を終えておく必要がありますね。

アドルフ・ヒトラー

うむ、そうだな。それでは各人は引き続き自己の職務を全うしてくれたまえ。
ナチズムが世界を席巻するまで、あともう一歩だ。


ソ連を倒して勢いに乗るドイツ軍は2月23日にはヴィルヘルム・フォン・レープ中将の第9軍がテヘランを制圧。その後も順調に南下を続け、4月11日には南部の港湾都市バンダル・アッバースを占領。主要都市を全て失ったペルシャは併合されて消滅し、皇帝パーレヴィ2世はチャーチルを頼ってインドへと亡命した。
一方、イラクでも3月10日にホート中将率いる第13装甲軍が首都バグダッドを占領。3月14日にはマンシュタイン中将の第22装甲軍が南部の都市バスラを制圧。同日、イラクはドイツに併合されて消滅した。

レバノンに上陸したアラブ軍集団はパレスチナ、シナイ半島を経由してエジプトに展開していた。先乗りした海兵隊が既にカイロ、アレキサンドリアをはじめとする地中海沿岸部の占領を終えていたことからナイル川に沿って南下し、5月8日にはイギリス領スーダンのハルツームに到達した。


《つづく》

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13:13  |  黒猫ポンセの野望  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

ベリヤなだけにシベリヤ追放...なんちてw
qwerty |  2007年05月12日(土) 09:53 |  URL |  【コメント編集】

座布団一枚進呈。
ポンセ |  2007年05月13日(日) 20:24 |  URL |  【コメント編集】

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