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2007.01.28 (Sun)

【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その10)

これまでの経過はこちら。
今度はメーメルを併合。にゃおんちゃんが「おまいら、独逸を何だと思ってやがりますか!」とシャウトした街です。


マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで - 1939年3月24日~3月29日

チェコ併合の衝撃も覚めやらぬ3月24日、リトアニアがメーメルの割譲に同意した。ドイツ国歌の一節に「マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで」とあるとおり、メーメルは元々東プロイセンの一部だったが、第一次世界大戦後は国際連盟の委任統治領を経てリトアニア領となっていた。
しかし、ズテーテンラントと同様にメーメル住民の殆どはドイツ人であることから、ズテーテンラント割譲やチェコスロヴァキア解体を見た彼らはドイツへの帰属を要求して騒ぎを起こし始めた。すると、チェコのように併合されてしまうことを恐れたリトアニア政府は、それまでの強硬姿勢から一転してあっさりとメーメルの返還に合意したのだった。

ポテンテは「リトアニアは我が心のふるさと」と公言してはばからないほどのリトアニア好きで、アンタナス・スメトナ大統領とも交友があった。今回の件で大統領は怒っているのではないかと心配して電話してみた。すると・・・

カール・ポテンテ

こんにちは、あの・・・ポテンテです。

アンタナス・スメトナ

あっ!ポテンテさん?
これはこれはどうも。わざわざお電話していただいて恐縮です。(*^∇')v

カール・ポテンテ

あの・・・スメトナ大統領ですか?

アンタナス・スメトナ

はい、スメトナでございますよ。
嫌だなぁ、ポテンテさん。私の声を忘れちゃったんですか?r(^ω^*)))

カール・ポテンテ

本当にスメトナ大統領ですか?今日はやけに腰が低いですね。
それに、その顔文字は何なんですか。

アンタナス・スメトナ

何を言ってるんですか、私はいつもこうですよ。
もう、ポテンテさんってば、私をからかってるんですね?(^。^;)

黒猫ポンセ

いつもと全然違うような気が・・・。
ところでスメトナ大統領、メーメルの件ですが・・・。

アンタナス・スメトナ

ああ、あれね?問題ないですよ、全然問題ないです。(≧∇≦)b

黒猫ポンセ

怒ってませんか?

アンタナス・スメトナ

怒ってるわけがないでしょう?あそこは元々ドイツさんの土地です。ドイツさんからお借りしていた土地を返しただけなんですよ、ははは。
返すのが遅れてしまって申し訳ないです、ほんとに。m(_ _;)m

黒猫ポンセ

は、はぁ。

アンタナス・スメトナ

そんなことよりポテンテさん、ヒトラー総統はお元気ですか?このスメトナがよろしく言っていたとお伝えくださいね、お願いしますよ。あ、今度リトアニア名物の琥珀でも・・・

黒猫ポンセ

・・・ガチャ(電話を切る)

小国の悲哀を見せつけられたポテンテは、またしても3日ほど逃亡したい気分になっていた。


総統閣下@メーメル 1939プラハでこの知らせを聞いたヒトラー総統はベルリンに戻ると、直ちに軍艦ドイチュラント号に乗ってメーメルへ向かった。ポテンテのリトアニア好きを知ってか知らずか総統は彼にも同行を命じたのだが、メーメルへ向かう船の中でひどい船酔いに苦しみ、ポテンテに向かってこう吼えた。

「私がこのような目に遭うのも全てはあの忌々しいポーランド回廊のせいだ。あれが無ければ鉄道で行くことができるのに!次のターゲットはダンツィヒとポーランド回廊にする」

メーメルに着いたヒトラーはドラマ劇場のバルコニーから演説を行い、劇場広場に集まった市民から熱烈な歓迎を受けた。歓喜の渦に包まれたメーメルでは真夜中になっても人々の歌うドイツ国歌が途絶えることはなかった。



ポテンテの杞憂 - 1939年3月30日~7月7日

ドイツがミュンヘン協定を反故にするとそれまでの宥和政策から一転して強硬姿勢に転じたイギリスは、ドイツを封じ込めるべくポーランドに同盟締結を持ち掛け、3月30日にポーランドの連合国加盟が発表された。
ヒトラーが次に狙うのは、ドイツ本国と東プロイセンを分断している通称「ポーランド回廊」と港湾都市ダンツィヒであることは誰もが知るところだった。何故なら、ここも第一次世界大戦によってドイツが失った領土だからだ。ズテーテンラント割譲の際と同じように、ポーランドに対して激しく外交圧力を掛けることは子供でも予想がつくことだった。

しかし、連合国入りによって英仏という後ろ盾を得たポーランドに、チェコスロヴァキア対して行ったような恫喝外交が通じるとは思えず、各国はドイツがどのような手段に出るか固唾を呑んで見守っていた。もそもそ、英仏はヒトラーのハッタリ外交に四度(ラインラント進駐、オーストリア併合、ズテーテンラント割譲、チェコ併合)もしてやられているのだ。宥和政策を捨てた両国にはもはやこの手は通用しない。しかし、今まではハッタリだったドイツの軍事力は国力の増強に伴って一気に拡充され、もはやハッタリに頼らずとも目的を達成できるレベルに近づきつつあった。
このようにドイツ、ポーランド共に強気の姿勢を崩さないため、ヒトラーがダンツィヒ及びポーランド回廊の返還を要求すれば、今度こそ戦争になるのは間違いなかった。

しかし、周辺をイギリス、フランス、ポーランドと連合国に囲まれているうえに、その背後にはソ連という不気味な存在がいる現状で戦争を始めれば、ドイツが第一次世界大戦と同じように二正面作戦を強いられて不利な状況に陥るのは確実だった。スペインやトルコ、ハンガリーとの同盟もその問題を解決する切り札には成り得ず、打開策を見つけられないまま情勢が緊迫していくことに対するポテンテ補佐官の苦悩は日を追うごとに深まっていった。
「あのチョビヒゲ総統は、ドイツを再び破滅に追い込むつもりなのだろうか?」


4月10日、イタリアがアルバニアを併合した。ムッソリーニは3月26日にアルバニア併合に関する最後通牒を突きつけたが、アルバニア国王ゾグー1世はこれを拒否して両国は戦争に突入していた。しかし、アルバニアのような貧しい小国がイタリアに勝てるはずもなく、たった2週間で併合の憂き目に遭った。
これでイタリアはバルカン半島南部に橋頭堡を得た。ムッソリーニ親方がユーゴスラビアやギリシャに対して余計なことをしなければいいのだが・・・。

7月7日には、5月以来続いていた日ソの軍事衝突「ノモンハン事件」が、日本側が敗北を認めて譲歩することで決着がついた。満州国とモンゴルの国境線を巡る小競り合いから始まったこの事件は、両国の後ろ盾である日本とソ連の主力部隊が激しく衝突する事態となっていた。
しかし、元々両国とも全面戦争は避けたかったことから、近代化されたソ連軍によってボコボコにされた日本が引くことで事態の収拾がついた。なお、同時に両国は不可侵条約を締結している。

※史実での「日ソ中立条約」は1941年に締結されているが、このゲームではノモンハン事件のイベントにおいて発生。


また、各国に対する一通りの外交工作が完了したことから、この頃に情報大臣がヴィルヘルム・カナリスへと変更された。今後は彼が持つ諜報能力を生かして各国へスパイを送り込み、様々な諜報活動を活発化させることになる。

ナチス・ドイツの膨張やファシズムの台頭を見たイギリス、フランス、アメリカ、ソ連の列強は続々と戦時体制に入り、来るべき戦争に備えて一気に軍備拡張を開始した。そしてそれらの国は早くも各地で小競り合いを始め、世界中に戦火が轟く日は目前に迫っていた。


≪つづく≫

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アルバニア[世界の旅]

アルバニアアルバニアは、東ヨーロッパのバルカン半島南西部に位置する共和国。正式名称はアルバニア共和国(Republika e Shqip?rise)で、首都はティラナ。西はアドリア海に面し、北にはセルビア・モンテネグロ、東にはマケドニア共和国|マケドニア、南にはギリシャがある
2007/02/13(火) 08:18:15 | 世界の旅

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