2017年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2007.01.23 (Tue)

【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その7)

これまでの経過はこちら
ソ連で、そしてチェコスロヴァキアで悲劇が。心を痛めるポテンテ。


スターリンの赤軍大粛清 - 1938年3月14日~9月29日

オーストリアからベルクホーフ山荘ヘ戻ったその日、ポテンテはヒトラー総統からとんでもないことを告げられた。

アドルフ・ヒトラー

ポテンテ補佐官、伝えるのを忘れていたことがある。君の友人のハイドリヒ保安警察長官から良い知らせが届いていたのだ。

黒猫ポンセ

何ですか、総統閣下?(おいおい、ハイドリヒなんか友達じゃねーよ・・・)

アドルフ・ヒトラー

あのグルジアの野蛮人な、赤軍の幹部を軒並み粛清しおった。トハチェフスキー元帥まで処刑したそうだ。これで赤軍は烏合の衆となった、わっはっは。

黒猫ポンセ

え?トハチェフスキー元帥は『赤軍の至宝』と呼ばれた名指揮官じゃないですか。
(あんたも、後にルントシュテットさんやマンシュタインさんをクビにするけどな)

アドルフ・ヒトラー

しかも粛清の理由が凄い。「ドイツのスパイだから」だそうだ。

黒猫ポンセ

えぇぇぇ??トハチェフスキーさんが我が国のスパイなわけないでしょう?

アドルフ・ヒトラー

ハイドリヒが流した偽文書に、スターリンがまんまと引っかかったのだ。
あの男は精神病に違いない。誰も信じられないというのは哀れだな、わっはっは。

黒猫ポンセ

・・・。(あんたもそうならないように気をつけろよ)

スターリンの家来だったソビエト共産党中央委員会書記セルゲイ・キーロフが何者かに暗殺されたことを発端に1934年に始まったスターリンの『大粛清』は止まるところを知らず、1938年3月には赤軍最高司令官ミハイル・トハチェフスキー元帥を含む大量の将校が処刑されるという惨事に発展した。大佐以上の高級将校の65%が殺害またはラーゲリ(強制収容所)送りとなり、赤軍は壊滅状態に陥った。
ソ連軍(赤軍)は元々スターリンの政敵トロツキーがロシア帝国軍を元に創設したもの。農業の集団化に失敗して大飢饉を発生させるなど、当時多くの人からヒンシュクを買っていたスターリンにとって、赤軍は自国を守る軍隊ではなく自分の地位を脅かす武装勢力だったからだ。

※史実のトハチェフスキー元帥は1937年6月に処刑されていますが、このゲームでは1938年3月にイベントとして赤軍将校が一斉に処刑されるという形になっています。



哀しみのミュンヘン協定 - 1938年9月30日~11月8日

チェコスロヴァキアは現在それぞれ別の国になっていることから分かるように、ヴェルサイユ条約によってオーストリア=ハンガリー帝国が解体された際に、単に言語が同じスラブ系であるという理由だけで人為的に造られた国家であった。
この際にチェコスロヴァキア国内のドイツとの国境地域ズデーテンラントには350万人のドイツ系住民が取り残された。当初、彼らはチェコスロヴァキア政府に対して自治権を要求していたに過ぎなかったが、オーストリア併合による大ドイツ成立を見ると公然とドイツへの帰属を主張するようになった。

恫喝外交の天才ヒトラーとプロパガンダの天才ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相がこれを見逃すわけが無い。二人は「ドイツ人の民族自決権を認めないチェコスロヴァキア政府は、ズテーテンラントのドイツ人を迫害している」と世界に向かって喧伝し、民族自決の観点からズテーテンラントの割譲を要求した。そして、この問題をこのまま放置すれば欧州中がチェコスロヴァキアの巻き添えを食らうことになると恐怖を煽り立てた。
フランスとソ連はチェコスロヴァキアと相互援助条約を結ぶ同盟関係にあり、ドイツとチェコスロヴァキアが戦争になれば仏ソは自動的に戦争に巻き込まれる。仏ソが参戦すれば・・・後は言うまでも無いだろう。
この地域はチェコスロヴァキア随一の工業地帯であり、国土防衛の拠点であるボヘミア要塞があった。経済的・軍事的要所であるこの地を、ドイツが少しくらい脅しつけてきた程度で簡単に手放せるわけがない。するとヒトラーは国境地帯に軍を展開させ、戦争も辞さない構えを見せて緊張を煽った。


先に述べたようドイツに対して宥和政策を取らざるを得ないイギリス首相ボールドウィンは、戦争を避けたい一心でベルクホーフ山荘まで飛んできた。しかし、『人間、志を立てるのに遅すぎるということはない』という名台詞を残した名政治家ボールドウィンも、ハッタリをかましてラインラント進駐やオーストリア併合を成し遂げた千年帝国の魔王ヒトラーには勝てず、ズテーテンラント割譲に応じるようチェコスロヴァキアを説得する羽目となった。
 
チェコスロヴァキアはなおも抵抗を続けたが、ヒトラーが9月26日に最後通諜とも取れる演説を行い、一刻の猶予も許されない事態となった。眼前の危機に耐え切れなくなったボールドウィンは英独仏伊の四ヶ国首脳を集めて会議を開き、ドイツがこれ以上領土を要求しないことを条件にヒトラーの要求どおり協定を結んだ。(ミュンヘン協定)
チェコスロヴァキアは会議にすら参加できず、代表のヤン・マサリク外相は控室で待たされたあげく、助けてくれると思っていたボールドウィンから「ズテーテンラントを割譲すべし」と告げられたのだった。加えて、ハンガリーとポーランドにも一部領土の割譲を強いられ、さらに仏ソとの相互援助条約も解消されてしまい、チェコスロヴァキア国民は自分達が世界から見捨てられたことを知った。


ポテンテ補佐官もヒトラー総統に随行してミュンヘン会談に出席し、オブザーバーとしてマサリクと共に控室いた。ボールドウィンから会議の結果を聞かされたマサリクが落涙する姿を見たポテンテは、チェコスロヴァキア国民の暗い未来に同情せずにはいられなかった。もはや、チェコスロヴァキアは死んだも同然、先は長くないだろう。
「ヤン・フスとトーマシュ・マサリクの民族は、このような暴力には屈しない!」というマサリク外相の叫びに対し、フランス首相エドアール・ダラディエはあくびで答えた。

※ヤン・フス~チェコ出身の宗教思想家、トーマシュ・マサリク~初代チェコ・スロヴァキア大統領にしてヤン・マサリクの父

ボールドウィンはロンドンの空港に到着すると、出迎えに来た外相ハリファクス卿に共同声明文をふりかざして叫んだ。
「やったぞ・・・私達は平和を手に入れた!」
ボールドウィンは、チェコスロヴァキアを生贄にして手に入れたこの平和を大きな成果と捉え喜んでいたのだ。しかし、そう感じていたのは彼だけではなかった。イタリアに帰国したムッソリーニは市民に大歓迎で迎えれられ、ヒトラー総統の元には日本から祝電が届いた。世界中が戦争を回避できたことを喜んでいた。チェコスロヴァキアと、ひとり人のイギリス人政治家を除いて。
前海軍大臣サー・ウィンストン・チャーチルは葉巻をふかしながらつぶやいた。
「何が平和だ。こんなものでヒトラーが満足するのものか。ミュンヘン会談はこれから始まる恐怖の幕開けに過ぎない」

そして、ポテンテは国際政治の舞台の非情さを痛感し、そして連合国や国際連盟が唱える秩序や平和など所詮は欺瞞なのだと改めて思い知らされた。


≪つづく≫

関連記事
21:43  |  黒猫ポンセの野望  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://powerpopisland.blog68.fc2.com/tb.php/149-84e5a0f6

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。