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2007.01.21 (Sun)

【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その6)

これまでの経過はこちら。
ナチス・ドイツの膨張がついに始まりました。最初の餌食はオーストリア。


満州国と河豚計画 - 1938年1月30日~2月8日

2月8日、満州国の承認イベントが発生。満州国承認を巡って、日本を取るか中国(国民党)を取るかという選択を迫られた。ソ連との衝突は避けられないことを考えれば、日本と組まない手は無い。というか、国民党などと手を組んでも日本の恨みを買うだけで、得られるものは殆ど何も無い。

元々、ドイツにとって日本は第一次世界大戦で敵対した国であり、両国は決して良好な関係ではなかった。当初、ドイツはアレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン将軍を筆頭とする軍事顧問団を派遣して国民党政権を支援していたほどだった。
しかし、日独両国の間に立ちはだかるソ連という脅威の存在、そして両国とも国際連盟を脱退して国際的に孤立しつつある状況を考えれば、ドイツと日本がお互いに接近していくのは歴史の必然といってもよかった。政府・党内部では伝統的友好国である中国を切り捨てることを危惧する声もあったが、リッベントロップら日本支持派が活発に動いてヒトラー総統から満州国承認への同意を引き出した。

ポテンテ個人としては満州事変のような謀略によって作られた傀儡国家を承認することにためらいもあったが、ドイツで迫害されていたユダヤ人の受け入れ先を確保しなければならない事情もあり、同意せざるを得なかった。
ポテンテはヒトラーの補佐官になるに当たり「ユダヤ人をむやみに殺すのは絶対に許さない」という条件を提示していた。ヒトラーもこれを了承し、ユダヤ人排斥については国外追放に留めていた。しかし、SSやゲシュタポといった対ユダヤ強硬派の暴走によってユダヤ人に対する排斥運動は徐々に過激さを増し、もはやヒトラーをもってしても止められない段階まで来ていた。

そこでポテンテは満州でユダヤ人受け入れ計画(河豚計画)を進めていた日本陸軍ハルピン特務機関の安江仙江大佐に相談し、ドイツを追われたユダヤ人を満州国で受け入れてもらう準備を進めていた。
日本は日露戦争の際にユダヤ系アメリカ人銀行家ジェイコブ・シフからの巨額の融資によって戦費を調達した過去があり、ユダヤ人の経済力や政治力を大変高く評価していた。そして日本人は、彼らがこれから行う「五族協和の理念の下、満州に東洋のアメリカを作る」という壮大な実験国家建設において、ユダヤ人に力を貸してもらうことを考えていたのだ。

このような諸々の経緯からドイツ帝国は満州国を承認したが、国民党政権との外交関係は致命的となり、蒋介石は報復としてファルケンハウゼン将軍の軍事顧問団の放逐、そして全ての貿易協定の破棄を通告してきた。
国民党との決裂は決定的なものとなったが、それでもユダヤ人の受け入れ先ができたことにポテンテは安堵した。この後、ドイツを追われたユダヤ人達は続々と満州へ向かうこととなる。



血を同じくする者は同じ国家に - 1938年2月9日~3月13日

ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動により、国防軍総司令官にはなり損ねたものの自分に逆らう陸軍の首根っこを押さえることに成功したヒトラーは、次の目標であるオーストリア併合に乗り出した。
オーストリアの保護国化を狙っていたイタリアの横槍によって一度は潰えたオーストリア併合計画だったが、1935年のエチオピア侵攻によって国際社会から総スカンを食らったイタリアはドイツの支援を必要とするようになり、もはやムッソリーニの反対を心配する必要は無くなっていた。また、イギリスもドイツの暴発を恐れるスタンリー・ボールドウィン首相によって宥和政策を取っていたことから、 ヒトラー総統にとってまたとない好機が訪れていた。

※史実では1937年にネヴィル・チェンバレンが首相になっているが、何故かゲーム上では首相交代が起きず。エドワード8世が退位しなかったせいだろうか?

民族自決に基づくドイツ人統一国家(大ドイツ)は、神聖ローマ帝国崩壊以来ゲルマン民族の悲願だった。第一次世界大戦に敗北してオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、単独では生きられないオーストリアをドイツと併合する案も検討されたが、フランスやイタリアなどから「弱体化させなければならない敗戦国ドイツの領土が拡大するのはおかしい」とイチャモンが付き、ドイツとオーストリアは引き続き別々な国として存在することとなった。 しかし、チェコスロヴァキアやハンガリーの独立により経済的繁栄も大国してのプライドも失ったオーストリアでは、右派・左派を問わず多くの人々がドイツとの統一を願った。
ナチス・ドイツを警戒して併合推進派を弾圧していたエンゲルベルト・ドルフス首相が1934年に暗殺されるとオーストリア・ナチ党は急速に勢力を拡大するが、同党の過激なやり方やナチス・ドイツの執拗な外交圧力は逆にオーストリア人の反発を招いてしまった。「ドイツとは統一したいが、相手があの"ナチス"では嫌だ」というわけだ。


ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動が覚めやらぬ1938年2月、ヒトラーはドルフスの後任であるクルト・シュシュニック首相をベルクホーフ山荘に呼びつけ、オーストリア・ナチ党を入れて組閣することを要求した。

アドルフ・ヒトラー

シュシュニックさん、私の言うとおりオーストリア・ナチ党を入れて組閣しなさい。
私もオーストリア出身だ。悪いようにはしない。

クルト・シュシュニック

な、何を言うか!これは我が国に対する内政干渉だ!

アドルフ・ヒトラー

シュシュニック首相よ、あなたに選択の余地は無いのだ。
フリッチュ司令官!ミュンヘンに駐留している我が軍の準備はどうなっている?

ヴェルナー・フォン・フリッチュ

総統閣下のご命令ひとつで、いつでもオーストリアへ進軍できます。

クルト・シュシュニック

ヒ、ヒトラー総統!あなたはオーストリアへ攻め込むつもりなのか!

アドルフ・ヒトラー

私がたった一言命令するだけで、あなたの国のお粗末な防衛体制など一夜にして吹き飛んでしまうのだ。わっはっは。

ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

シュシュニックさん、民族自決の概念による統一ドイツ国家実現はあなた達オーストリア人にとっても悲願なはず。どうして我々に非協力的なのですか?

クルト・シュシュニック

確かに大ドイツ実現は我々にとっても夢だが、あなた達のやり方は危険すぎる!
ナチスが率いるドイツと一緒になるのはご免だ!

アドルフ・ヒトラー

ああ、美しいウィーンの街が我が軍の戦車に蹂躙されるのを見ることになるのか・・・。
残念だ。じつに残念だ、シュシュニックさん。

クルト・シュシュニック

くっ・・・分かった、あなたの要求を受け入れよう。

しかし、シュシュニックはヒトラーに国を黙って差し出すような政治家ではなかった。彼は帰国すると、国民投票を実施して国民自らに「ドイツとの併合」と「自主独立」の選択をさせようとしたのだ。当時のオーストリアではドルフス前首相の暗殺以来、オーストリア・ナチ党とナチス・ドイツによる様々な圧力に国民の反感が高まっていたことから、シュシュニックにはこの国民投票によって真正面からナチス・ドイツとの併合を断ることができると踏んだ。
ところが、シュシュニックの小細工はヒトラーは激怒を誘発してしまい、3月11日にはついにドイツ軍がオーストリアに侵攻する事態となった。ヴィルヘルム・ミクラス大統領は徹底抗戦も辞さない姿勢を見せたが、シュシュニックは同じゲルマン民族同士で血を流すような事態は避けるべきと考えて首相の座を降りてしまった。オーストリア軍は抵抗しなかったうえにオーストリア・ナチ党の協力もあったことから、 ドイツ軍は無血占領に成功した。

オーストリア併合ミクラス大統領とシュシュニック首相がドイツ軍に逮捕されると、オーストリア・ナチ党の党首アルトゥール・ザイス=インクヴァルトが大統領兼首相に就任し、3月13日にドイツとの併合条約に調印した。
こうしてオーストリアはドイツ帝国の一部である『オストマルク州』となり、三十年戦争によって神聖ローマ帝国が崩壊して以来、約300年ぶりにドイツ人の統一国家が誕生した。

ヒトラーは民衆の大歓迎を受けて故郷リンツに凱旋し、その後ウィーンに入城した。王宮美術館のバルコニーに立ったヒトラーは詰め掛けた何万もの群衆を前に、オーストリア併合(アンシュルス)を宣言した。
「神が私をこの世に送り出した理由は、まさにこの日のために違いない。そう、私がこの世に生を受けた目的は大ドイツ成立を実現するためなのだ!諸君、オーストリアはドイツの一部となった。諸君は胸を張ってドイツこそ我が祖国と言えるようになったのだ!」


その日の夜、故郷に錦を飾った感激でホテルに戻っても涙が止まらない総統とは対照的に、ポテンテは英仏がこのことに対してどのような対応を取るか心配で暗い顔をしていた。「民族自決」という錦の御旗を掲げてのこととはいえヴェルサイユ条約に対する明確な違反であり、相当荒っぽい手段で併合していることから、英仏がさらにナチス・ドイツに対する警戒心を強めるのは確実だった。
ところが、ポテンテの不安に対してイギリスは何も言うことなくロンドンにあるオーストリア大使館をドイツの領事館へと格下げして併合を事実上認め、フランス政府に至っては「20年前にドイツとオーストリアの合併を認めなかったのは、民族自決の原則に反した歴史的な過ちであった」という信じられない声明を出した。

両国の対応にすっかり拍子抜けしたポテンテは疑心暗鬼に陥っていた。
「もしかして、イギリスとフランスは真性のアフォか腰抜けですか?それとも我が国をハメるための深淵なる陰謀ですか?」


≪つづく≫

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16:17  |  黒猫ポンセの野望  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>史実では1937年にネヴィル・チェンバレンが首相になっているが、何故かゲーム上では首相交代が起きず。エドワード8世が退位しなかったせいだろうか?

わしがやった時は駄目首相チェンバレンに交代してた…と思う。少なくともミュンヘン会談にいたのは駄目首相。駄目なまま居座ってくれればいいものを、いつのまにかブルドッグめに交代しおって後々苦しめられた辛ひ想ひ出。
Guicho Zurdo |  2007年01月21日(日) 20:14 |  URL |  【コメント編集】

ボールドウィンだろうがチェンバレンだろうが、宥和政策にしくじった時点で「デブのトミィ」に変わる模様。
黒猫ポンセ |  2007年01月22日(月) 01:07 |  URL |  【コメント編集】

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