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2007.01.19 (Fri)

【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その5)

これまでの経過はこちら。 
国防軍とタッグを組み、親衛隊&ゲシュタポと戦うポンセ。プロイセン軍人の名誉を守れ!


レーベンスラウム(生存圏)構想と東方政策 - 1937年9月27日~1938年1月17日

トルコとの同盟締結によるヒトラーの上機嫌も長くは続かなかった。10月5日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、世界に緊張と恐怖をもたらす国家を国際社会から隔離すべしと演説したからだ。俗に言う『隔離演説』である。
ルーズベルトはどこの国を隔離するのか明言しなかったが、それが日独伊の三ヶ国を指していることは明らかだった。日本はこの年の7月に起きた盧溝橋事件によって中国との戦争に突入しており、反ファシズムを掲げるルーズベルトにとってはドイツとイタリアも日本同様、許されざる『ならず者国家』だった。

演説の内容を知ったポテンテは一言、吐き捨てるように言った。
「イギリス流のご都合主義や、アメリカ流の押し付けがましい正義はもうたくさんだ!」 


ルーズベルトの隔離演説以降、しばらくは忙しくも平穏な日々が続いていたポテンテ補佐官だったが、11月5日になるとヒトラー総統に秘密会議(ホスバッハ会議)への出席を命じられた。会議には総統と三奉行に加え、ノイラート外相、シャハト国防相、ベック統合参謀総長、そして陸海空三軍の司令官(フリッチュ、レーダー、ゲーリング)が出席した。

会議は冒頭から大荒れとなった。ヒトラー総統がドイツ軍の軍備が最高潮に達する1943-45年の間にオーストリアとチェコスロヴァキアを打倒することを宣言し、戦争も辞さない覚悟であることを明確にしたからだ。オーストリアはともかくチェコスロヴァキアに手を出せば、フランスが黙っているわけがない。
ノイラートは総統閣下のあまりに唐突な発言に目を白黒させ、レーダーはやっと再建に着手したばかりの貧弱な海軍のことを思い黙って様子を見守っていた。ゲーリングはこの方針に賛成したが、断固反対を主張するシャハト、ベック、フリッチュと激しい口論となった。3人にしてみれば、このような戦略は第一次世界大戦と同様に周辺国からヒンシュクを買って袋叩きにされかねない無謀なものであり、断固として応じられないものであった。

しかし、そもそもヒトラー総統のドイツ復活の戦略は著書「我が闘争」に書かれているとおり、レーベンスラウム(生存圏)構想に基づく東方政策(東欧諸国の併合・保護国化)によるものであり、東方政策によって力をつけたドイツが次の段階を目指す際に英仏と敵対することになるのは当然のことだった。
さらに、総統は動揺を隠せない出席者に対して追い討ちを掛けるかのごとく、英仏の動向次第によってはこの計画の発動は前倒しされる可能性があることを告げた。フリッチュは顔を真っ赤にして怒り、ノイラート外相は殆ど卒倒しそうなほどの虚脱状態に陥った。誰もが、この総統はついに頭がおかしくなったのだと戦慄した。


ヒトラー総統は頭がおかしくなった訳でも、己の力を過信した訳でもなかった。彼の鋭い洞察力は英仏の足元を見抜いていたのだ。
イギリスとフランスは共に第一次世界大戦の戦勝国ながら膨大な経済的・人的損失を蒙っており、再び戦争になることは何としても避けたかった。両国ともヒトラーのような輩が登場したのは自分達がヴェルサイユ体制下でドイツをいじめ過ぎたからという負い目があり、また戦争になればソ連がどさくさにまぎれて西進してくることを恐れていた。

当時のイギリスは工業生産力も金保有高もアメリカに抜かれ、かつては世界の海軍力の半分を単独で有していた自慢のロイヤル・ネイビー(海軍)も、ワシントン、ロンドンの両軍縮条約によってアメリカと同等のところまで成り下がっていた。にも関わらずイギリスは世界最大の植民地帝国の座にしがみつこうとして、インドやエジプトで激化した独立闘争に悩まされていた。ヴェルサイユ体制維持のためには、それによって虐げられるドイツの協力が必要不可欠という、何とも皮肉な状況となっていたのだ。
またフランスも、荒れ狂う恐慌とファシズムに対抗するべく左翼勢力が結集したブルム人民戦線内閣でさえスペイン内戦への対応が原因であっさりと崩壊してしまい、絶え間ない政権交代と小党分立による混乱に陥っていた。そして軍部は独仏国境にマジノ線と呼ばれる防衛陣地群を建設して自国に引きこもり、ドイツに対する軍事的主導権などハナから捨てていた。

ヒトラーは、このような事情を抱える英仏がドイツに対して宥和的にならざるを得ないことを見抜いた上で、冒頭のような発言をしていた。必要以上に軍事に口出しして馬脚を現した晩年とは異なり、この頃の彼は長年の闘争で培った政治的手腕をいかんなく発揮していた。
しかし、ヒトラーは陸軍きっての親ナチ派フリッチュが激しく反対したことに驚き、会議が終わった後にそのことをゲーリングにボヤいた。野心家ゲーリングがこの不協和音を見逃すはずがなく、その日以降ゲーリングは親衛隊と警察組織のボスであるハインリヒ・ヒムラーと何やら怪しげな密談を繰り返すようになった。


ポテンテ補佐官は、つかの間のクリスマス休暇をオーストリアのウィーンで過ごしていた。これはもちろん先の会議におけるヒトラー総統の方針を受けたもので、彼は休暇の合間にオーストリア・ナチ党幹部や親ナチ派の軍人と極秘で会談し、来るべき日のために様々な協議を行っていた。
その来るべき日とは、もちろんオーストリア併合を意味する。
雪国育ちのポテンテはインスブルックのとあるスキー場で見事なスキーの腕前を披露して周囲を驚かせたが、調子に乗りすぎてコースを囲う有刺鉄線を突き破ったあげく川に転落するという失態を晒し、ずぶ濡れになったうえに傷だらけになってプンスカ怒りながらドイツへと帰国した。



ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動 - 1938年1月18日~29日

ポテンテ補佐官の全身を覆う有刺鉄線の傷が癒えはじめた1938年1月18日、事件は起こった。ヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥の再婚相手が元ポルノ女優であることが発覚したのだ。当初、国防省はこのスキャンダルを内々に処理するつもりだったが、これを嗅ぎつけたヘルマン・ゲーリング空軍総司令官によって公にされてしまった。ブロンベルク夫人は若い頃に一度だけいかがわしい雑誌でモデルになったことがあった。
ゲーリングは国防軍最高司令官の座を狙う野心家で、1月29日には陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍の同性愛疑惑もでっち上げた。

ドイツ将校はプロイセン王国時代から結婚相手は軍人か貴族の家系という伝統があったが、自分も平民出身であるヒトラーはブロンベルクの結婚を大いに祝福していた。ポテンテ補佐官就任後の内閣改造によって国防大臣を解任されていたとはいえ、それはあくまで政治上の問題でヒトラー総統はブロンベルクもフリッチュも国防軍を担う有能な将官として信頼していた。それだけに、二人のスキャンダルを知ったヒトラーは大ショックを受けていた。


やがて気を取り直した総統は、ブロンベルクやフリッチュが先に行われたホスバッハ会議の方針に猛反発していたことから排除を決意し、自らが国防軍最高司令官に就任することを画策した。
後に東部戦線でヒトラーの無謀な命令によって多くの将兵が戦死することを知っているポテンテ補佐官は、何としてもこの困った総統の最高司令官就任を阻止する必要があった。
「私の夢をあの伍長閣下にブチ壊されてたまるか!」

ポテンテ補佐官は親しくしていたルントシュテット将軍やレーダー提督を説き伏せて国防軍の全面バックアップを受けると、ブロンベルクやフリッチュを追い落とそうとするゲーリング、そして国防軍の足を引っ張って権力拡大を企む親衛隊(SS)やゲシュタポと凄まじい暗闘を開始した。
質実剛健をモットーとするプロイセン軍人である両者は当初はこのような権力闘争に巻き込まれることを嫌ったが、ポテンテ補佐官が「ドイツ軍人の名誉がこのような謀略で踏みにじられてよろしいのか!」と肉球で机を激しく叩いて力説すると協力に同意してくれた。


ポテンテは国防軍と法曹界の協力を得てフリッチュの無罪を証明することに成功したが、ブロンベルク夫人の件については事実なのでどうしよもなかったことから正面突破を試みた。

「総統、あなただってかつては乞食同然の暮らしをしていた時期があったではないか!人間にとって一番大切なのは今をどう生きるかでしょう?そもそも、ブロンベルク夫人にそのような行為を強いたのはヴェルサイユ体制よる経済破綻が原因です。ヴェルサイユ体制打破を誓うあなたが、その犠牲者である哀れなドイツ婦人がやっと掴んだ幸せを打ち壊すというのですか!」

ポテンテが総統本人の前で総統ばりにダミ声を張り上げて説くと、ハッとしたヒトラー総統は「正直、すまんかった」と言い、すぐにブロンベルク元帥の罷免を撤回する指示を出した。元帥が総統の方針に逆らっていた点については、スペインやトルコと同盟を締結した実績を挙げ、「可能な限り外交による問題解決を重視し、無謀な戦争を国防軍に強いる真似はしない」と確約することで納得してもらった。
そして、この一件でブロンベルク夫妻はスキャンダルから一転、「身分の違いや過去を乗り越えたおしどり夫婦」として雑誌に美談として取り上げられるようになった。


さらに、この事件はポテンテの人間関係にも大きな影響を与えた。彼は幾人かの新しい友人を得たが、幾人かの古い友人を失い、そして幾人かの人から恨みを買った。
国防軍幹部からは「ドイツ軍人の名誉を守った猫」「話が分かる奴」として信頼を得たが、経営学の先生として師事していたシャハト国防相からは「ドイツを無謀な戦争に導く猫」として疎まれるようになった。そして、SSやゲシュタポから恨まれて付け狙われるようになり、国防軍情報部員の護衛無しではどこにも行けない身になってしまった。


≪つづく≫

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22:40  |  黒猫ポンセの野望  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

これもおもしろかー 笑
代吉 |  2007年01月20日(土) 19:43 |  URL |  【コメント編集】

ほんとはもっと笑えるものにしたかったんですけどねぇ。テーマが「ドイツを救え」であることと、ドイツにはあまりアホがいないこともあって、全然笑えないものになってしまいました。
バカとキチガイが勢ぞろいのソ連にしておけばよかったかなぁ・・・。
黒猫ポンセ |  2007年01月21日(日) 03:55 |  URL |  【コメント編集】

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