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2007.01.03 (Wed)

【思い出の80'sメタル】第12回:VOIVOD - モントリオールが生んだ奇才スラッシャー

新年一発目はこれ。あまり人気の無いのだが、書き手としては思い入れがあったりする当コーナー。
今回登場するのはカナダのサイバーパンク・メタルの雄VOIVOD。長いキャリアを誇るバンドだが、これまたカルトな存在のバンドだったりします。


◆モントリオールの人食い戦士VOIVOD登場
VOIVODはカナダはケベック州モントリオールで、ミッシェル"アウェイ"ランジェヴァン(Ds)とドニ"ピギー"ダムール(G)という二人の幼馴染によって結成されている。バンド名は北欧に実在したといわれる人食いの蛮族戦士集団の名前から取られている。
まもなく、ドニ"スネイク"ベランジェール(Vo)とジャン"ブラッキー"イヴ・テリオール(B)の二人が加わるとバンドは活動を本格化させ、地元でギグを繰り返し、さらにデモテープを作成する。このデモテープが『Metal Blade』のオーナー、ブライアン・スラゲルの目に止まり、1984年にリリースされた同レーベルのコンピレーション「METAL MASSACRE V」への曲提供を経て、正式な契約を手に入れる。

そして1984年にリリースされたのがデビュー・アルバム「WAR AND PAIN」。VENOMやANVILなど1980年代前半に活躍したクソやかましいHMバンド直系のサウンドだが、DISCHARGEなどハードコア・パンクからの影響も強く感じられ、前のめりになりながら突っ走る破天荒な音を披露した。また、後にVOIVODのトレードマークとなるピギーの不協和音一歩手前の奇妙奇天烈なコードはこの頃から聞かれ、同時期にデビューしたMETALLICAやSLAYERなどの音像とは大きく異なる。思えば、この頃から唯一無二の存在としての片鱗はあった。

1986年にはセカンド「RRROOOAAARRR」をリリース。バカみたいなタイトルだが、音のほうも前作がさらに過激になったヤケクソとしか思えないような凄まじい轟音で、スラッシュ・メタルの歴史に残る傑作となった。元々独自の世界観を持つバンドだが、2作目で早くもこのバンドにしか出せない凍てついた雰囲気を醸し出すようになっていた。


◆人食い戦士は知性派スラッシャーへと進化した
「RRROOOAAARRR」で早くも自らのサウンドを確立し、スラッシュ・メタル界を代表するバンドのひとつとなったVOIVODだったが、「普通のスラッシュ・メタルはやりつくした」とあっさりこの路線を捨ててしまう。

KILLING TECHNOLOGYドイツの『Noise』に移籍して1987年にリリースされた3作目「KILLING TECHNOLOGY」は、誰もが驚くサウンドとなった。音のイカツさはスラッシュ・メタルのままながらも、ピギーの嗜好であるプログレやサイケデリック・ロックからの影響によって曲構成は複雑になり、ギターのリフはジャズ・コードを多用したますます複雑怪奇なものになり、吐き捨て型だったスネイクの歌もわずかながらもメロディを追うようになっていた。
また、サウンドのみならず歌詞やレコード・ジャケットなどの面においても、アウェイの影響によって科学技術の恐ろしさ、核戦争後の世界観、SF趣味などが前面に出されるようになり、VOIVODはいつしか"サイバーパンク・メタル"などと呼ばれるようになっていた。初期の頃は"Suck Your Bone"とか"Fuck Off And Die"とかバカみたいなタイトルの曲が多かったが、このアルバム以降はMEGADETHと並ぶ知性派スラッシャーとして一目置かれるようになる。

元々、アウェイは原子物理学者になりたくて大学まで行っており、今でも「ディスカバー」や「オムニ」といった科学雑誌を毎月欠かさず読んでいるインテリなのだ。また彼は絵を描くのが趣味で全てのアルバム・ジャケットやブックレットのイラストを手掛けている。最初の頃は「金が無くてダンボールに描いていた」だけあってチープなものだったが、現在はコンピュータを使って描いているので、作風は今と昔では大きく異なる。


1988年になると前作を正常進化させた新作「DIMENSION HATROSS」をリリース。スラッシュ・メタルの人気が高まっていたこともあってバンドは着々とファンを増やし、翌年にはメジャーの『MCA/Mechanic』に移籍して「NOTHINGFACE」を発表する。
「KILLING TECHNOLOGY」以降、バンドの音楽性はアルバムを追うごとにメロディアスになり、そしてプログレの影響が強まっていった。このアルバムからはPINK FLOYDのカヴァーである"Astronomy Domine"がシングル・カットされ、MTVでもガンガン流れた。

なお、この「NOTHINGFACE」製作中にブラッキーが他のメンバーと大喧嘩して脱退している。かなり深刻な対立だったようで、メンバーは未だに「ブラッキーの復帰?それはありえない」と断言している。これ以降、バンドは正式なベーシストを迎えることはなく、その都度様々なベーシストを雇ってレコーディングやツアーを行っていく。

VOIVOD 1989


◆栄光・・・そして転落
1991年リリースの「ANGEL RAT」ではRUSHを手掛けたことで有名なテリー・ブラウンをプロデューサーに迎えるが、前作のツアーで共演したSOUNDGARDENやFAITH NO MOREからの影響によって「ライヴ向きのストレートな音楽をやろうと思った」とメンバーが語ったとおり、プログレ色が大きく減退してシンプルな作風となった。正直に言えばVOIVODらしくないアルバムだが、バンドが上り調子の時期にメジャーで作られたものだけあって質は高い。

THE OUTER LIMITSそして1993年、VOIVODはついに最高傑作「THE OUTER LIMITS」を発表する。もはやスラッシュ・メタルとは呼べないほどに正統派のHMとなったが、前作の反省を踏まえて再びプログレ色が強くなり、VOIVODサウンドは頂点を極めた。曲もよく練られており、全く飽きが来ない傑作だった。
このバンドはどれほど進化しても自らの出自を忘れないバンドらしく、ファンを置き去りにするような方向へ進化することはなかった。また、「プログレッシヴで知的」というイメージからお高くとまっても不思議ではなかったのに、実際はスラッシュ・メタルとは呼べないほどメロディアスでプログレッシヴなHMになってもファンは離れていかなかった。アウェイが「僕達のサウンドはクセがあるからハマりにくいけど、一旦ハマると抜け出せないんだ」と言っていたが、まさにそのとおりだった。VOIVODは誰も真似できないサウンドを奏でる唯一無二の存在となっていた。

また1990年代に入るとオルタナ・ブームによってHMシーンは瀕死の状態になるが、このバンドはSOUNDGARDENやFAITH NO MOREとツアーしたことからも分かるとおり、典型的なHMバンドは異なるので、HMバンド受難の時代でも生き残っていけそうな可能性を感じさせた。


せっかく傑作をリリースしたというのに、VOIVODの栄光は長くは続かなかった。1994年になると様々な個人的問題を抱えていたスネイクが脱退。さらにバンドは『MCA/Mechanic』との契約も失い、しばらく活動停止に陥る。これが無ければVOIVODは成功していたかもしれないのに・・・悔やみきれない出来事だった。

1995年に入るとエリック・フォレスト(Vo,B)を加入させトリオ編成となったVOIVODは『Slipdisc』というインディペンデント・レーベルから「NEGATRON」をリリースする。「大掛かりなコンセプトは持たずスタジオでジャム・セッションを重ねて作った」(アウェイ)ことからプログレ/サイケ色が大幅に減退したうえに、エリック・フォレストがまるでフィル・アンセルモのような咆哮型のボーカリストだたことから多くのファンがショックを受けた。
今となっては「スネイクそっくりのボーカリストを入れて愚か者になるわけにはいかなかった」というアウェイの言葉も理解できるが、当時は本当にショックだった。

1997年にリリースされた「PHOBOS」では幾分プログレ色が強まったが、どうにもパッとしないアルバムで、誰もが「スネイクを失ってVOIVODは終わった・・・」と落胆した。しかもこのアルバムのツアーで機材車が事故ってエリック・フォレストが瀕死の重傷を負うなど、VOIVODの命運は尽きかけていた。
1998年に未発表曲集「KRONIK」、2000年にライヴ・アルバム「LIVES」をリリースし、またエリック・フォレストが怪我から復帰してツアーも再開するが、もはや往年の勢いは無く、2000年末にアウェイとピギーはVOIVODの解散を決意した。


◆スネイクとジェイソンが馳せ参じるも、ピギー死す
しかし2002年、スネイクが抱えていた問題を解決したことを知ったピギーは、アウェイとスネイクを呼び戻してVOIVODを復活させた。誰もがオリジナル・ラインナップによる復活を期待するところだが、やはりバンドにはブラッキーに声を掛けるという選択肢は全く無かった。しかし、バンドは元METALLICAのジェイソン・ニューステッドを加入させることに成功する。
ジェイソンはかつてFLOTSAM & JETSAMやMETALLICAでVOIVODと共にスラッシュ・メタル・シーンを支えた他、アウェイとTARRATというプロジェクトをやっていたことからメンバーとの親交は深かった。最初は曲作りやレコーディングだけを手伝うつもりだったジェイソンだが、すっかりVOIVODを気に入ってしまい、自分のバンドECHOBRAINが崩壊していたこともあって正式にバンドに加入することを決意した。

VOIVOD 2003

VOIVODそして2003年、バンドはジェイソンのレーベル『Chophouse』から「VOIVOD」をリリース。「THE OUTER LIMITS」には及ばないものの、あのアルバムを正常進化させたような作風で、多くのファンが復活を喜んだ。バンドはSEPULTURAとのツアー、そしてオジー・オズボーン主催のパッケージ・ツアー「OZZFEST」にも参加するなど活発に活動し、スネイクが復活しジェイソンという強力なベーシストを得たVOIVODの未来に誰もが期待した。


しかし、再び悲劇がバンドを襲う。2005年8月、ピギーが直腸ガンで死去したのだ。次作のレコーディングに向けて準備をしていたピギーは体調に異変を感じて病院へ向かうが、そのときにはガンが肝臓にまで転移していて手の施しようが無い状態だったという。
死が迫っていることを知ったピギーは、VOIVOD結成以来苦楽を共にしてきたアウェイに対し、「どうか俺が死んでもアルバムを完成させてくれよ」と言い、病床から彼のコンピュータに納められているサウンド・ファイルに関する細かい指示を与えたという。

KATROZピギーの死後、メンバーは彼が遺したギター・トラックにドラムやベース、ボーカルを被せていくという異例の方法でレコーディングを進めた。作業は難航を極めたものの、2006年夏に13枚目のアルバム「KATORZ」がリリースされた。
アウェイによれば、ピギーは他にも13曲のトラックを遺しており、いずれも発表する価値があるものであることから、2007年にもう一枚アルバムをリリースする予定らしい。


ピギーはVOIVODにとってはただのギタリストのみならず、メインソングライターだった。しかも彼の奇妙なジャズ・コードを多用した複雑怪奇なギターはバンドのトレードマークであったことから、新メンバーを加えてバンドが活動を続けるということは考えにくい。デモ・トラック集などをリリースしない限り、次のアルバムが間違いなくラスト・アルバムになるだろう。
アウェイはツアーをすることも考えているようだが、現状では全くの未定となっている。VOIVODはついに一度も来日公演を行うことなく解散してしまうことになるのだろう。

また、アウェイは過去のアルバムをリマスターして再発することや、過去の映像を集めたDVDのリリース、さらには彼の画集を発売することを予定している。仮にツアーが無くても、彼は当分の間忙しい日々を過ごすことになりそうだ。


ピギーはVAN DER GRAAF GENERATORやEL&Pといったプログレ・バンドが大好きで、ギタリストがいないこれらのバンドのレコードを聴いては、キーボードのコードをギターに置き換えて弾いていたらしい。彼が使う奇妙なコードの殆どのそのようにしてできたのだという。
派手なソロを弾くギタリストではなかったが、間違いなく唯一無二のギタリストだった。

あなたがいなくて寂しいよ、ピギー。



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