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2006.12.12 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第25回:コロンビア(Part5) - 瀕死のコロンビア

前回の記事の続きです。

さて、5回目を迎えたコロンビア編ですが、書いてるこっちが嫌になってきました。この国はどこまでトホホなんでしょうか。あまりの酷さにムカついて過激な表現が多くなってしまいましたが、ご容赦ください。まじでこんな国に住んでる人は救われんわ・・・。


◆アペルチューラ政策とポスト冷戦下でのゲリラ再編 - 1990年~1994年
メデジン・カルテルをはじめとする麻薬カルテルが暴れていた頃、ゲリラのほうは何をしていたかというと、FARCに続いてM-19も政府との和平交渉を始めていた。政府はすかさずM-19に恩赦を与えて武力闘争を放棄させ、M-19は「M-19民主同盟(ADM-19)」という政治団体を作って合法的な政治活動を始ることになった。
ところが、政府とゲリラがいくら話し合いをしても、民兵組織がこれを邪魔するのだ。民兵組織はFARCやM-19が武力闘争を放棄したのに付け込んで、FARCの政治団体「UP」の要人やADM-19指導者の暗殺を行い、ゲリラを苛立たせた。ゲリラは政府に対して民兵組織の取り締まり徹底を要求するが、民兵組織は非合法化されたとはいえ軍の庇護を受けているため容易に潰せない。やがて堪忍袋の緒が切れたゲリラが再び暴れだすことになる。

1990年、バルコが任期を終え、セサール・ガビリア(自由党)が大統領に就任した。ガビリアはゴルバチョフのペレストロイカよろしく「アペルチューラ(開放)」という政策を掲げ、1984年以来続いていた戒厳令を解除した。さらにアペルチューラ政策の一環としてIMFの指示に従って規制緩和を行い、関税や貿易障壁を撤廃して市場を開放した。しかし、当然のことながら、これによって外国から安くて良質な製品が大量に流れ込み、国内産業が崩壊して失業者が増大した。貿易収支は赤字となり、ただでさえ多かった対外債務はさらに増加した。
加えて、政府との交渉が不調に終わったFARCが武力闘争を再開したため、コロンビアには再びテロの嵐が吹き荒れた。しかも、ガビリアが推進した自由貿易によって貧富の差はさらに拡大し、これを恨んだ多くの貧民や零細農民がゲリラに加わっている。せっかく戒厳令を解除したのに、コロンビア政府はすぐに非常事態宣言を発令する羽目となった。
この国には「平時」というものが無いのか。



反政府ゲリラは決してバラバラに政府に立ち向かっていたわけではなく、1987年以来「シモン・ボリバル・ゲリラ共同体(CGSB)」という緩やかな連合の元、ある程度連携を取って闘争を行っていた。しかし冷戦終結後の闘争方針を巡って、交渉の余地は残しつつも武力闘争は放棄しないというFARC=ELN連合と、合法的な政治活動によって目標を達成しようというM-19=EPL連合が対立し、CGSBは分裂してしまった。
M-19の政治団体ADM-19は1991年の総選挙で15議席程度を得ていたことから、FARCやELNとは違ってある程度の政治的な交渉力を有していた。しかし、合法政党としての責任からか現実的な政策を選択したことによってガビリア政権に取り込まれてしまい、すっかり影が薄くなってM-19の影響力は一気に低下してしまった。

結局、CGSBはFARC、ELN、武力闘争放棄に反対してEPLを飛び出した連中(EPL左派)の三派によって再編された。彼らは政府と交渉を行いつつも、1991年にボゴタのベネズエラ大使館を占拠するなど今までどおりゲリラ活動を続けた。1994年の総選挙でUPが民兵組織から徹底的に攻撃され、4,000人の死者を出したうえに惨敗すると、政治的な活動手段を失ったFARCはさらに武力闘争を活発化させることになる。
また、この年には大統領選挙も行われたが、長年続く内乱に国民も絶望してしまい、投票率は40%にも達しなかった。選挙はガビリアの後継者エルネスト・サンペールが勝ち、引き続き自由党が政権を担うことになった。FARCはサンペールの大統領就任に合わせて警察署を襲撃したり爆弾テロを行い、政権との対決姿勢を鮮明にした。


◆余命5年と宣告されたコロンビア - 1994年~1998年
民兵組織は1989年にバルコ大統領によって非合法化されていたが、既得権益層や軍部からの支援を受けていたため、その勢力は拡大する一方だった。左翼ゲリラが政治団体を作って合法的な活動をしようとしても、途端にこいつらがその政治団体を襲撃するためゲリラは再武装してしまう、という繰り返しでコロンビアの内戦は一向に終わる気配が無かった。
バルコ、ガビリア両政権は結局最後まで民兵組織を潰すことができなかった。このままではこいつらを潰せないと考えたサンペールは、「CONVIVIR(監視と私的治安のための組合)」というプログラムを打ち出した。これは民兵組織を「軍に地域情報を提供する住民の相互監視・治安維持組織」と位置づけて合法化し、これネットワーク化して組織の要所に政府とつながりのある文民や退役軍人を据えることで彼らをコントロールしようとした。要するに非合法化しても誰も取り締まりできないので、合法化と引き換えに政府の息の掛かった人間を民兵組織内部に送り込み、こいつらが暴走しないようにコントロールしようとしたわけだ。

ACCUを率いていたカスターニョ兄弟の弟カルロス(兄フィデルは1994年に失踪。EPLに殺されたらしい)は、この政策を利用して各地の民兵組織をまとめ上げ、「コロンビア自衛軍連合(AUC)」へと発展させた。
AUCは麻薬ビジネスに加えて「軍隊や警察は頼りにならん」と考えた地主や農場主から多額の献金を受けたことから、豊富な資金を武器に勢力を拡大させた。結成当時には4,000人程度だった兵員は、1998年には8,000人、2000年には15,000人と急速に膨れ上がり、最盛期には25,000人にまで増えている。サンペールの思惑は見事に外れ、巨大化したAUCは政府のコントロールが及ばない組織となり、左翼ゲリラとの戦いを激化させた。


冷戦終結によってソ連やキューバからの援助が途絶え、金に困った共産ゲリラはそれまで以上に積極的に誘拐や麻薬に手を出すようになった。彼らは麻薬と誘拐ビジネスで年間6~7億ドルを稼ぎ出し、その金で武器を買い漁り、ついには政府軍よりも高性能な歩兵火器やアメリカ製対空ミサイルを持つまでに至った。初期の頃は政府高官や麻薬カルテル幹部の家族が対象だった誘拐ビジネスも、1990年代半ばからは外国人も対象となり、現地に駐留するビジネスマンや技術者はもちろん、観光客まで誘拐されるようになった。

ゲリラや民兵組織が武力を強化している間、政府は大変なことになっていた。1995年、サンペールがカリ・カルテルから政治資金の提供を受けていたことが発覚し、政権はその火消しに追われてゲリラや民兵組織を潰すどころではなくなってしまった。
麻薬カルテルを何としても潰したいアメリカはこれを知ると激怒し、IMFに圧力を掛けてコロンビアへの融資を止めさせた。コロンビアは他の南米諸国のように通貨の大暴落や財政破綻を経験していないとはいえ、貿易赤字や対外債務に苦しむ貧しい国であることを考えると、これは「お前は今すぐ辞任しろ、ボケ」と言っているに等しい。サンペールは弾劾裁判に掛けられてクビにされそうになったうえにアメリカ政府からビザの発給を拒否され、国連総会への出席以外はアメリカに入国できない身分にされてしまった。

麻薬や誘拐ビジネスで大儲けしたうえに自由貿易推進政策によって失業した貧困層を味方につけたFARCをはじめとするゲリラは、1997年に入ると闘争をさらに激化させた。FARCは国内のあちこちに出没しては銃をぶっ放し、外国人を誘拐し、要人を暗殺して暴れまわった。鎮圧に当たる軍は装備が貧弱なうえに腐敗が酷く士気が低下していたため、一個小隊が丸ごと壊滅したりヘリを落とされるなど甚大な被害を出していた。あまりに不甲斐ない戦いだったようで、負けて帰った師団長が軍法裁判に掛けられたりしている。
この頃のコロンビアは殆ど無政府状態にあったと言っても過言ではない。優位に立ったゲリラは国土の60%を支配するに至り、1997年6月にはFARCが政府から南部平野地帯の実効支配承認を引き出した。アメリカ国防情報局(DIA)が「このままではコロンビアは5年以内に崩壊する」という見解を示すなど、建国以来ズタボロな歴史が続くコロンビア共和国はいよいよ本格的に傾き始めてきた。


◆パストラーナの和平政策 - 1998年~1999年
1998年の大統領選では、ゲリラとの和解交渉推進を掲げる保守党のアンドレス・パストラーナが当選し、ベタンクール以来16年ぶりに保守党から大統領が選出された。いくら強攻策を唱えても現実には軍にゲリラを鎮圧する力が無いのだから、和平交渉を進めざるを得ないのは当然のことだった。
パストラーナは政治家としてデビューしたボゴタ市議時代から麻薬カルテルの悪行を追求し続けてきた人物で、1988年にはメデジン・カルテルによって誘拐された経験を持つ。一週間後に無事救出されたが、これで「麻薬と戦う男」という評判を得て後にボゴタ市長になっている。

パストラーナ大統領とFARC最高指導者マルランダ大統領選を終えると、パストラーナは身の危険も顧みずにFARCの支配地域まで出向き、射撃の名手であることから「ティロフィホ(百発百中)」の異名を持つ最高指導者マヌエル・マルランダとの会談を果たした。両者はこのときの会談による合意事項を元に、1999年2月にゲリラによる誘拐や子どもの兵士、非通常兵器の使用などを禁止した「オスポゾス協定」を締結して、和平への一歩を踏み出した。
政府はオスポゾス協定に加えて、南部平野におけるFARCの実効支配を認め、政府軍を撤退させて非武装地帯とするなど積極的に和平交渉を推進した。

ところが、それを受けて軍が一歩退いた途端、今度は民兵組織と左翼ゲリラの全面戦争が始まった。AUCは政府とFARCの和平会談が開かれることを察知すると、その妨害のために農民を殺しまくるなど徹底的にパストラーナの邪魔をした。遅々として進まない民兵組織への取り締まりに業を煮やしたFARCは、「民兵組織が武装解除しない限り話し合いには応じない」と交渉を打ち切ってしまった。
このように、FRACはこれまで幾度も話し合いに応じる姿勢を見せてきたし、一時期は武力闘争路線を放棄したことすらある。にもかかわらずボンクラ政府が民兵組織を取り締まらないために仲間が次々と殺されるのだから、FARCが「この問題が解決されない限り交渉しても無駄」と思うのは当然のことだった。


当初、FARCはパストラーナの決断を高く評価し、捕虜の交換に応じるなど話し合う姿勢を見せていた。しかし、もうひとつの有力左翼ゲリラELNは何が気に入らないのか執拗に爆弾テロを繰り返したため、パストラーナから干されて政府軍や民兵組織の標的となっていた。
自国の国境付近で暴れまわるELNに迷惑していたベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスは、この頃ELNに対して「お前ら、邪魔。亡命したいなら受け入れてやるから、暴れるのを止めれ」という声明を出している。冷戦終結以降にFARCやELNのパトロンを務めていたのは、このアメリカ嫌いの共産主義かぶれ野郎チャベスと言われているが、そのチャベスでさえもELNの狼藉には迷惑していた。
ベネズエラやペルーなどの周辺国はゲリラに侵入されて国境地帯を荒らされていたうえに、自国民保護のために国境地帯へ軍隊を差し向けたところ国境を巡ってコロンビア軍と一触即発の事態になるなど、ホトホト困り果てていた。
隣国がバカだと周辺諸国が余計な苦労をする羽目となるのは極東も南米も変わらない。

「政府と交渉の機会を持つことは否定しない」というスタンスだったFARCに対し、ELNは徹底した武力闘争路線を掲げ、パイプラインの爆破、ハイジャック、教会の襲撃、外国人の拉致・殺害と、これでもかというくらい暴れまわった。特にミサの真っ最中だった教会を襲って市民を誘拐した事件は世界中のヒンシュクを買い、パストラーナはELNをキチガイ集団呼ばわりして絶縁状を叩きつけ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も「いいかげんにしやがれ」という声明を出している。

1999年1月に南部で発生したM6.3の大地震は900名以上が死亡し20万人が家を失う大惨事となり、政府はゲリラと和平交渉をしているどころではなくなる。一番被害の大きかったキンディオ州アルメニアでは略奪行為が多発したため、パストラーナは治安維持のために非常事態宣言を発令して3,000人規模の軍と警察を送り込む羽目となった。アルメニアでは市民が倒壊した他人の家から家財道具を盗んだり、被災者が被災者から援助物資を略奪していたのだ。
同じ境遇にあるものとして皆で助け合うという発想は無いのか。お前らみたいなクズは死ね。

≪Part6につづく≫

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テーマ : 南アメリカ - ジャンル : 海外情報

17:38  |  コロンビア  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●チャベス大統領って

こんちあ、いつも楽しく読ませてもらってます。

ベネズエラ大統領ですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%99%E3%82%B9
ウゴ・チャベスでは?
もし間違いだったらごめんなさい。
druga |  2006年12月12日(火) 21:34 |  URL |  【コメント編集】

げっ!ペドロ・チャベスって昔のF1ドライバーじゃないか。
ご指摘ありがとうごさいます。訂正しておきます。なんでこんな間違いしたのやら・・・orz
にゃおんちゃん |  2006年12月12日(火) 23:08 |  URL |  【コメント編集】

>隣国がバカだと周辺諸国が余計な苦労をする羽目になるのは南米も極東も変わらない。

ここで吹いた。うんうん。まったくですな。
いつも『なんでこんなとんでもない国が隣にあるんだ!』と憤慨していましたが、あるんですなあ…他所にもとんでもない国が。海外に目を向けると、つくづく日本はいい国だと思ってしまいます。

あき |  2006年12月13日(水) 04:51 |  URL |  【コメント編集】

コロンビア人にとってもコロンビアはとんでもない国のようで、ボゴタにあるアメリカ大使館の前にはいつもビザ申請者の長蛇の列ができているそうです。皆、この国から逃げ出すのに必死なんですね。
ちなみに何のコネも無い場合だと、ビザを取得するのに1年以上かかるとか・・・。で、やっと申請までこぎつけても、コロンビア人の評判があまり悪すぎ(麻薬や不法滞在)て、観光ビザですら40%の人がハネられるそうです。

日本人に生まれてよかった。
にゃおんちゃん |  2006年12月13日(水) 22:08 |  URL |  【コメント編集】

すごい国だなー
にゃおんちゃんの赤太字ツッコミがおもそろいです。
代吉 |  2006年12月15日(金) 07:02 |  URL |  【コメント編集】

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