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2006.12.09 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第24回:コロンビア(Part4) - マフィアにナメられる情けない国

前回の記事の続きです。

一般的にマフィアは公権力に楯突くような真似をしません。さすがの彼らといえども軍や警察を敵に廻しては生き残れませんし、そもそも彼らは非合法な手段による金儲けを目的とした集団ですから、政治的イデオロギーを掲げる反政府武装組織などと違ってお上とドンパチする必要など無いのです。
イタリアなど一部の国ではマフィアが恐喝にも賄賂にも屈しない司法関係者を爆殺したりしますが、それはあくまで最終手段のようなもので、彼らとて頻繁にそのような方法を取ったりはしません。

ところがコロンビアは違いました。さすがアメリカ大陸一ダメな国です。マフィアに喧嘩を売られてしまいします。


◆汚い戦争 - 1982年~1986年
1982年に大統領に就任した保守党のベリサリオ・ベタンクールは、それまでの自由党政権とは異なりゲリラとの対話を行い、内戦の平和的解決を目指した。1982年といえば既にニカラグアやエルサルバドルで泥沼の内戦が始まっており、ベタンクールはコロンビアもそのような状況に陥ることを恐れてたからだ。また、国内経済がズタボロだったので、いつまでも不毛な戦いを続けていられないという事情もあった。
ベタンクールが呼び掛けた甲斐があって、1984年にはFARCやM-19などいくつかの反政府武装組織との停戦協定が成立した。

しかし、その一方で民兵組織は暴れ放題で、ゲリラの支持基盤を潰すために農民を追放・殺害するなどの乱暴を繰り返していた。それによって生まれた耕作放棄地をマフィアが次々と買い漁ったため、1980年代末には彼らがコロンビア最大の土地所有者となってしまった。
ベタンクールは交渉相手であるゲリラが見ている手前、民兵組織の犯罪についても調査を始めるが、その背後にいる軍や既得権益層の妨害を受けて一向に進まなかった。それでもいくつかの事件で民兵組織や軍関係者を法廷に引きずり出すことに成功したが、判事が報復を恐れて被告を軍事法廷に引き渡してしまい彼らに何の罰も与えることができなかった。軍部が自分の手下である民兵組織を裁くわけがなく、こうして民兵組織はアンタッチャブルな存在となり、容赦なくゲリラを襲撃し続けた。後に「汚い戦争」と呼ばれる時代の幕開けである。

それでも、ベタンクールが説得した甲斐あってFARCは武力闘争を停止して合法組織となり、コロンビア共産党などの左翼政党とタッグを組んで「政党愛国同盟(UP)」という政治団体を作って活動を始めた。
ベタンクールはゲリラと和平交渉を行う一方で麻薬カルテル壊滅にも力を入れ、メデジン・カルテルの工場を潰して幹部を国外逃亡に追い込むなど奮闘していた。しかし、メデジン・カルテルは政府と対立して和平協定を破棄したM-19と手を組んで報復に出る。1985年にはM-19が最高裁判所を占拠し、判事や職員など60名を殺害するという事件を起こした。ハト派のベタンクールもこれにはカンカンに怒り、逮捕したゲリラ兵をぶち殺して行方不明扱いにしたうえに、その一週間後にはM-19のアジトを襲撃して首脳陣の大半を殺害した。
ベタンクールの和平政策はこの事件で崩壊し、翌1986年の大統領選で保守党は大敗。自由党のビルヒリオ・バルコが新大統領となった。


◆麻薬戦争 - 1986年~1990年
バルコ政権は前政権とは異なりゲリラとの対決を鮮明にしたが、その一方で前政権と同様に国内の麻薬カルテル壊滅を目指した。この頃になると、コロンビアから大量の麻薬が流れてくることに怒ったアメリカが、「お前の国で大量に生産されている麻薬を何とかしろ!それから麻薬カルテルの幹部を逮捕してアメリカに引き渡せ!」と強烈な圧力を掛けていたからだ。バルコはアメリカと犯罪者の身柄引き渡しに関する条約を結ぶが、これに怒ったカルテルが政府要人への襲撃を繰り返し、恐れをなした司法当局が条約に違憲判決を出して骨抜きにしてしまった。
政府と麻薬カルテルがそんな争いをしている間も共産ゲリラは暴れまわり、民兵組織はそのゲリラを襲撃し続けていた。1987年にはFARCが民兵組織の度重なる攻撃についにブチ切れ、武力闘争をの再開を宣言した。コロンビアの国内情勢は悪化する一方だった。

パブロ・エスコバル1988年に入るとFARCの激しい反抗が始まり、他の共産ゲリラもこれに同調して爆弾テロを繰り返した。民兵組織はそれに対抗して農民を殺しまくり、当局の捜査に抵抗する麻薬カルテルが政府要人への恐喝や暗殺を繰り返した。中でもメデジン・カルテルはバズーカ砲でアメリカ大使館を攻撃したり航空機をハイジャックするなど、その暴れっぷりはマフィアのレベルを超越していた。
最盛期のメデジン・カルテルは世界のコカイン市場の80%を支配し、年間250億ドルの収入を得ていたと言われている。親分のパブロ・エスコバルはアメリカのビジネス雑誌に掲載されるほどの大富豪だったが、その一方で身銭を切ってメデジン市内の生活インフラを整備したり貧困層への慈善事業を熱心に行っていたため、市民から絶大な支持を得ていた。そのためメデジンは公権力の力が十分に及ばず、半ばエスコバル王国と化していたという。
国土の約半分が政府の統治が及ばない地域となり、悪党が跳梁跋扈するカオスと成り果てたコロンビアを見たバルコは戒厳令を敷き、「民主主義防衛法(テロ対策法)」を公布。力ずくで事態の収拾を図ろうとする。


1989年になるとベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦は終結した。ソ連からの援助が止まったFARCは武力闘争の停止を宣言し、政府に対して交渉を呼び掛けてきた。事態を収拾するチャンスである。しかし、相変わらず民兵組織はゲリラの支持基盤である労働組織や農民の代表を殺しまくっていた。右翼民兵組織が現われた1982年以来、彼らに殺害された市民の数は3万人にも達していた。しかも、殺害された人は左翼活動家なのみならず、ただの犯罪者、売春婦、同性愛者、浮浪児など多岐に及んでおり、「気に入らない奴を片っ端から殺してみました」といった印象すら受ける。
バルコはこいつらを潰すことを決意し、市民が自衛組織を作ることを禁じて民兵組織を非合法化した。

さらに、バルコはアメリカの支援を得て改めて麻薬カルテル撲滅を宣言し、軍・警察に一斉摘発を命じた。するとカルテルは政府に対して全面戦争を行うことを宣言し、当局のみならず政治団体や銀行、新聞社にまで及ぶ広範囲なテロで報復した。改めて言うが、こいつらはマフィアであり反政府武装組織ではない。武装ヘリや重火器を所持している極悪マフィアとはいえ、ヤクザに喧嘩を売られる政府って一体何よ?
1989年夏から始まった対麻薬カルテル戦争は約半年に及んだが、コロンビア政府はアメリカから武器や資金を援助してもらい、徹底的にカルテルを叩いた。カルテルも爆弾テロなどで必死に応戦したが力の差はいかんともし難く、最終的には1万人の逮捕者を出し、5億ドル相当の資産を没収され、60~100億ドル相当の麻薬を失った。1990年初頭にカルテルは白旗を揚げるが、バルコはこれを拒否。悪党の殲滅を目指した。


◆メデジン・カルテル - 1990年代前半
アメリカ当局が配布したエスコバルの手配書1990年に入るとアメリカ・ブッシュ(父)政権は「アンデス・イニシアチブ」と呼ばれる麻薬撲滅政策を打ち出した。対象国は左翼ゲリラと麻薬カルテルの跳梁跋扈に苦しむコロンビア、ペルー、ボリビアの3ヶ国。内容は麻薬組織壊滅を目的とした経済・軍事援助で総額は22億ドル。
アメリカはこの援助を武器にコロンビア政府に強烈な圧力を掛け、能無しのコロンビア政府に代わってカルテル撲滅作戦の指揮を直接取るなど積極的に介入した。

1991年6月、やはり政府には勝てないと感じたエスコバルは、5年の服役と自分の身柄をアメリカへ引き渡さないこと条件に投降した。このまま政府に逆らっていても、いつか殺されるか、捕まってアメリカへ身柄を送られることになるからだ。アメリカへ移送されたら死ぬまで刑務所から出られないのは確実だった。
しかし、おめおめと服役するエスコバルではない。自腹を切って自分専用の豪華な刑務所を建設すると、「大聖堂」と名付けてそこに引きこもった。そこで謹慎しているならまだ可愛げもあるが、実際にはエスコバルは買い物やらパーティーやらで自由に外出していたし、手下に電話を掛けてはカルテルに関して様々な指示を出していた。こんなふざけたことを許すコロンビア政府は前代未聞の大馬鹿野郎ですか?

しかし、1992年に手下に対して殺人の指示を与えていたことが発覚すると、さすがに国民も怒りエスコバルは刑務所へ移送されることになった。ところが移送当日、エスコバルは刑務官の前を堂々と歩いて外出し、そのままどこかへ姿を消してしまった。この国の政府はどこまでマヌケなのだろうか。 しかも、メデジン・カルテルの組織網は後に殆ど無傷のままライバルのカリ・カルテルに吸収されてしまい、コロンビアの麻薬はカリ・カルテルがほぼ独占する形となってしまった。当然、カリ・カルテルは誰も逆らえない圧倒的な力を持ってしまい、アメリカへ流れるコカインの量など全く減るわけがない。

書いているこっちが泣きたくなるくらいマヌケな話である。こんな国ですら「一国の独立国でございます」なんて冗談としか思えない。お前らなんてベネズエラにでも併合されてチャベス先生の使い走りをやってろ、この馬鹿野郎。


それ以来、エスコバルはコロンビア政府、アメリカのデルタフォース、カリ・カルテルに追われる身分となった。しかし、1993年に入ると突如姿を現し、「メデジンの反逆者」という武装組織を作って爆弾テロを始めた。するとこれに対抗して、過去にエスコバルに酷い目に遭わされた連中が「ロス・ペペス(パブロ・エスコバルに迫害された者たち)」なる武装組織を作り、エスコバルの一族や手下を300人以上殺害してメデジン・カルテルに大打撃を与えた。
後に分かったことだが、ロス・ペペスを率いていたのは民兵組織ACCUのカスターニョ兄弟。彼らはコカインの取引でエスコバルと揉めた際に身内を殺されていたことを恨んでおり、それを知ったカリ・カルテルが彼らに金を与えてやらせたらしい。

テロを始めてから約1年後の1993年12月、コロンビア当局はエスコバルがメデジン市内の隠れ家から家族に掛けていた電話の逆探知に成功。治安部隊が隠れ家に突入して彼を射殺した。エスコバルの死後、幹部達も次々と殺害または逮捕され、残った組織網はカリ・カルテルに吸収されてメデジン・カルテルは消滅した。ちなみにエスコバルの葬儀には市民3,000人が参列したという。

≪Part5につづく≫

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