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2006.11.20 (Mon)

2006バルト三国旅行記(その29) - お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!(9月10日)

前回の続きです。
このクライペダは旅行前半のハイライトとなりました。何故かって?いや、それは色々とやらかしてきたからですよ。到着したその日の夜にも一発かましてきました。


◆口は災いの元

ダニェ川のほとりには倉庫を改築したおしゃれな店が並んでいる。歩いていると、雰囲気のよさげなレストランを見つけたので入ってみる。店内はちょっと雑然としていたが、倉庫を改造したものなので雰囲気は十分ある。といっても小樽や函館にあるもののようにきっちりリフォームされているわけではなく、ベニヤ板で誤魔化してる部分があったりする。
メニューを貰うと、どこかで見覚えがあるものだった。ああ、そうだヴィリニュスでユリアと一緒に行ったレストランと同じなんだ。店名は違うようだが姉妹店なのだろうか?あのときにユリアが飲んでいたチリ産ワインがとても美味しかったので、同じものを頼む。料理は無難にパスタを頼んでおく。

店員がフォークやナイフ、それからサービスでつけてくれるパンを持ってきた際、話しかけてきた。
「あなた、どこから来たの?」
日本から来たと答えると、彼女は首都ヴィリニュスから遠く離れたこの街までわざわざ来た物好きな日本人の動機に感心を持ったようだ。
「え?日本から?この街の何に興味があるの?」
あー、メーメル川を見ようかと思ってね・・・。
「え?」
(あっ、しまった!ドイツ名だった。) いや、ネムナス川だよ、ネムナス川、わはは。
彼女は怪訝な表情を浮かべている。そりゃそうだ、ネムナス川は何の変哲も無いただの川なのだ。ライン川やドナウ川のような大河ではない。根が親切であろう彼女はさらに言う。
「ここから遠いわよ?」
わははは、いやー。砂州にでも行こうかと思ってさ、ははは。
「ああ、ニダ(クライペダ郊外の砂州にある保養地)ね?あそこはいいところよ」

必死に笑って誤魔化すにゃおんちゃん。 何とか話がまとまったが、変な奴と思われたかもしれない(;´д`)トホホ。

ワインを飲みながら優雅な夕食を楽しむ。テーブルの上にはローソクが灯っていてロマンティックだ。女の子と一緒じゃないのが残念だなぁ。


◆ドイツ人の無念について考える

食事を終えたにゃおんちゃんは旧市街地散策に向かう。といっても時間は23時過ぎ、真っ暗なのであまりよく見えない。あーこりゃダメだ、とホテルに戻ることにするが、その途中にナイトクラブを見つける。んー、ビールの一杯程度は飲みたいがクラブって気分じゃないな。

その向こうに何やら広場が見えるので行ってみる。
ほー、これが旧市街地の中心地「劇場広場」か。広場の真ん中にはこの街出身のドイツの詩人サイモン・ダッハに捧げられたという乙女の像が立ち、その背後にはドラマ劇場がある。

クライペダの劇場広場


1939年、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーがこの劇場の二階中央にあるバルコニーで演説を行ったことがある。今でこそリトアニア領のこの街だが、元々はドイツ人が作った街で長年プロイセン王国やドイツ帝国の一部だった。第一次世界大戦の敗戦によってこの街は連合国(フランス)の委任統治下に置かれるが、そのどさくさに紛れてリトアニアのスメトナ大統領が派兵して強引にリトアニアに編入したという過去を持つ。
とはいえ、住人の殆どはドイツ系だからナチス・ドイツがチェコを併合すると、彼らはメーメルもドイツに統合されることを望んで騒ぎ始めた。これにうろたえたリトアニア政府はドイツへメーメル返還を申し出たため、ドイツはこの申し出を受けてヒトラーがここへ来て演説をしたというわけだ。

そのときの風景を思い浮かべながら広場を眺めていたにゃおんちゃんは、ドイツ人の無念を晴らすべく、少々酔っていたこともあってとんでもない暴挙に出る。
バルコニーの下へつかつかと進むと、辺りに誰もいないのを確認して突如日本語でシャウトした。


「お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!」


わーっはっは!やってやった、やってやったぞ!
ドイツ人の諸君、ドイツを心より尊敬するこの黒猫は諸君の友である。今度一発かますときは、また誘ってくれよ。ただし次回はイタ公抜きでな。

知らない人のために説明しておくと、元ネタはこれね。
本当はカリーニングラードで一発かましてやりたいネタだったが、そこまで行ってる時間も金も無いのでパス。っていうか、オイラはただのバカだ。誰も見てないところでひっそりとしかできない所業だな、これは。


◆可哀想な国ドイツとカリーニングラード

それにしても、ドイツは可哀想な国である。戦争をするたびに負けて領土が縮小され、ついには東プロイセンそのものを失ってしまった。諸侯が乱立していた現在のドイツを統一したのはプロイセン王国。そういう意味では東プロイセンはドイツ人の心のふるさととも言える土地だ。ところが、その東プロイセンはいまやポーランド、ロシア、リトアニアによって切り刻まれてしまっている。
多少なりとも過去に領有した実績があるうえに港を確保する必要があったポーランドやリトアニアと異なり、ロシア(ソ連)がカリーニングラードを領有する根拠なんぞ何にもありゃしない。戦勝国という立場を利用してドイツから掠め取っただけだ。

ん?ドイツが戦争したから悪いだって?ナチスみたいなキチガイが台頭するほどドイツ人を追い詰めたのはどこの誰かね?当時のドイツ人に野垂れ死にしろと言いますか?
日本だってドイツと同じようなものですよ。石油の供給を止められたうえにハルノートなんか突きつけられたら誰だって暴発しますよ。というか、それで何もしなかったら独立国家を運営する資格なんかありゃしない。どこかの国の植民地にされて、「猿」と呼ばれて蔑まれなさいってことだ。ただし、日本の場合は戦争に至るまでの外交努力が殆ど無いので、その点については反省が必要だけど。
戦争には善悪など無い。勝者と敗者がいるのみ。日本もドイツも負けたが故に悪者にされたに過ぎない。


話が逸れてしまった。カリーニングラードの話に戻そう。
ソ連崩壊に伴ってリトアニアが独立してしまい、カリーニングラード州は飛び地となってしまった。しかも、リトアニアのEU加盟&シェンゲン条約締結によって、カリーニングラードの住民は本土へ行く際にいちいちビザを取得する羽目になった。だーっはっは、ざまーみろ。
ロシア政府は「非人道的だ」とリトアニア政府に抗議したらしいが、だったらお前らもEU諸国に対してビザ免除するか、カリーニングラードから出て行け。

ロシア政府はバルト海に面しポーランドとリトアニアに挟まれた土地の利を生かして、カリーニングラードを貿易の拠点にしようとしたが、結果は密輸が蔓延っただけだという。今ではカリーニングラードの住民の多くは担ぎ屋をやって生計を立てているという恐ろしい噂まである。
かつてプロイセン王国の首都として栄えたこの土地もロシア人に統治させたらこのザマである。ドイツ人の皆様、返還要求しないんですか?

ロシアが青息吐息だった頃、円パワーでカリーニングラードを買い取って日本の飛び地とし、裏技でEUに加盟しちゃおう、などとバカなことを言っていたのはオイラだったりする。
いつかカリーニングラードへ行って、殴られるの覚悟でロシア人に説教してやろうと思う。w

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