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2006.02.06 (Mon)

【世界の香ばしき国々】第1回:ジンバブエ - これなら白人支配のほうがマシ?

先日、ジンバブエ人との会話をネタに記事を一本書いたところ、友人から「ジンバブエが酷いというのは分かったが、何がどう酷いのだ?」という指摘を受けまして・・・。という訳で、週末の間に少しずつ頭の中にある知識を整理したり調べものをしたりして、ジンバブエについて簡単にまとめてみました。
以前から世界中の香ばしい国や独裁者をネタしてシリーズで書いてやろうと思っていたので、これを機に始めてみることにしました。
つーわけで、第一回はジンバブエ。

◆ジンバブエってどこだ?
ジンバブエはアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北東に位置する国で、周辺国と同様に
ジンバブエ国旗かつてはイギリスの植民地となっていた国である。どこだそりゃ?と言われそうだが、かつてはローデシアという名前の国だったと言えば思い出していただけるだろうか。そう、一時は南アフリカとコンビを組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)で世界に悪名を轟かせたアフリカの白人国家のあの国である。

ジンバブエ位置図黒人の独立ゲリラ達は1980年に白人政権を打倒し、新たに「ジンバブエ共和国」を建国する。初代首相となったロバート・ムガベ(現大統領)は要職に白人をそのまま留任させるなど白人と黒人の共存を目差した政策を行い、その現実的な政治手法は隣の南アフリカがアパルトヘイトから脱却するためのモデルとして賞賛された。独立した途端に白人を全て追放して農地や企業を国有化した結果、経済が破綻してたちまち飢餓地獄に陥った隣国モザンビークなどと比較すると、当時のムガベ首相の現実的な政策が評価された理由がよく分かるだろう。



面積は39万k㎡(日本とほぼ同じ)、人口は約1,290万人(2003年)、一人当たりのGDPは1,045$(2005年)。GDPだけを見ると案外悪くないのだが、人口の少ない国は数値が高めになるし、貧富の差も激しそうな国なので、あまり参考にならないかもしれない。


◆ジンバブエの歴史
ジンバブエは13世紀頃には独自の王国を持つほど栄えていたが、16世紀になるとポルトガル人の侵入に悩まされるようになり、19世紀後半には南アフリカ会社の統治を経てイギリスの植民地に組み込まれ、第一次大戦後にはイギリス領南ローデシアとなった。植民してきたイギリス人を中心とする白人は、黒人から肥沃な土地を奪い、彼らを使ってタバコ栽培や牧畜を行う農場を経営していた。
第二次世界大戦後は北ローデシア(現ザンビア)やニヤサランド(現マラウィ)などと共に「ローデシア・ニヤサランド連邦」を結成して英連邦内の準独立国となったが、1950年代末から'60年代初めにかけてアフリカ諸国が独立していく中、北ローデシアとニヤサランドが1964年に相次いで黒人国家として独立してしまい、連邦は崩壊する。
当然南ローデシアでも黒人達の独立運動が起きた。宗主国イギリスは黒人国家の独立を認めようとしたが、ローデシア南部は比較的白人人口が多かったため、武装した白人達はイギリス本国から派遣されていた総督を追放し、1965年に一方的に独立を宣言して「ローデシア共和国」を建国する。

総督を追放されたイギリスは当然大激怒。このような独立が認められるはずもなく、国連でもローデシアの独立不承認と外交関係断絶が決議され、ローデシアは国際社会から孤立した。しかし、イギリスはローデシアに武力を行使しようとはせず、国連も石油の禁輸を中心とした経済制裁にとどめた。各国は「ローデシアは内陸国なので、経済封鎖を行い外貨獲得源である農作物や鉱山資源の輸出や石油の輸入を止めてやれば、1~2年で音を上げるだろう」とたかをくくっていたのだ。
ところが予想は大はずれ。アパルトヘイトの同盟国南アフリカ、ポルトガルの植民地だったモザンビークといった同じスネに傷を持つロクデナシの隣国がローデシアを助けてしまい、ローデシア産の農産物や鉱物は産出国を誤魔化して輸出されることに。イギリス資本が撤退したことで地元の白人が基幹産業を担うようになり、むしろ経済は発展していった。


が、そんな美味しい時代も長くは続かなかった。
他国が次々と植民地を手放していく中、ポルトガルだけは頑なに植民地を手放すのを拒否し続けた。しかし、1974年にポルトガルでカーネーション革命と呼ばれる政変が起き、社会主義政権が成立する。社会主義政権は全ての植民地を放棄する方針を打ち出し、これを受けて隣国モザンビークではマルクス主義を掲げるモザンビーク解放戦線(FRELIMO)が翌'75年に「モザンビーク人民共和国」を建国する。'75年といえば東西冷戦の真っ只中。当然モザンビークはローデシアにもちょっかいを掛け始める。後のジンバブエで二大政党として活躍するジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)やジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)といった反政府ゲリラがモザンビークの支援を受け、一気にゲリラ活動を本格化させた。

貿易の拠点だったモザンビークを失ったのみならず、ゲリラの襲撃に悩まされるようになったローデシアの経済はみるみるうちに衰退する。苦境に陥ったローデシア政府は黒人にも参政権を与えたり、黒人を首相に抜擢して打開策を図るが、政府や軍、裁判所といった国家の要職は全て白人に支配されており、これでは黒人首相も白人の傀儡に過ぎない。所詮は小手先の懐柔策なので、国連も新政権を承認せず、反政府ゲリラも闘争を止めない。ついに白人達は今までのような政治を続けることを断念し、1979年にイギリスの仲介の下で「白人が所有する農場を没収せず、独立後に政府が市場価格で買い取る」という条件付きで調停を行い、'80年に「ジンバブエ共和国」が誕生する。


◆独裁者ムガベ大統領
ロバート・ムガベ大統領総選挙ではムガベ率いるジンバブエ・アフリカ国民同盟・愛国戦線(ZANU-PF)が勝利し、彼が初代首相に就任する。ムガベは長年にわたりローデシアの白人政権と戦い続けた独立闘争の英雄だった。
首相となったムガベは前述のとおり白人・黒人の融和を強調する政治を行い世界各国から賞賛されたのだが、徐々に独裁色を強めていく。1985年に大統領制に移行、'87年にかつての白人政権との協定が切れると白人優先議席を廃止。さらには、野党第一党のZAPUも非合法化して一党独裁体制を築いた。

先に述べたように、ジンバブエは建国時に支配階級だった白人達と「政府が白人農園主から土地を市場価格で買い取る」という協定を結んでいる。政府はアメリカやイギリスを中心とする世界各国から融資を受けて白人の農場を購入し、貧しい黒人に分配した。 しかし、土地の配分を受けた黒人農民の多くは営農技術を何も教えてもらえないまま土地だけ与えられたため、生産効率が大幅に下がることに。
ジンバブエ(ローデシア)はアフリカ南部では南アフリカに次ぐ経済大国であり、その潜在能力にかけて資金を援助していた各国は、融資した資金が焦げ付く可能性が生じたことからジンバブエ政府が白人の農場を買うための資金の融資を渋り始めた。他のアフリカ諸国や長期政権が続く国と同様に政権の腐敗が酷く、優先的に土地の分配を受けた人の多くがムガベや政府高官の親族や関係者だったことが新聞で暴露されたりもしている。

苦境に陥ったムガベは「黒人が先祖代々耕してきた農地を白人に奪われたとき、黒人は何の補償も受けられなかった。だから今、白人が独占する農地を没収して黒人に返しても、ジンバブエ政府は何も補償する義務はない。白人が補償を求めるとしたら、その相手はかつての宗主国イギリスになるはずだ」という主張を始めた。 このような主張はジンバブエ建国時の協定に反するものであることから、英米はすぐにムガベ政権への支援を打ち切った。
1997年には、国際金融危機の影響でジンバブエドルも急落して外貨が底をつき、ムガベはIMFに支援を求めたが、土地問題での譲歩を拒否したため断られた。結果、激しいインフレが発生し、失業率は70%に達した。


こうなってはいつ政権を追われても不思議ではない。政権を追われるどころか、クーデターや内戦によって殺されても不思議ではない。絶体絶命のピンチに陥ったムガベは民族対立や地域格差を煽って国民の不満を逸らそうとする。これは別にジンバブエに限らず、国家運営に失敗した政権が使う常套手段である。
ムガベは白人農家に対する強制土地収用政策をさらに進め、1999年に「政府は白人の土地を没収できる」という条項を加える憲法改正を提案するが、国民投票で55%の反対で否決されてしまった。もはや、国民は土地を配分するというムガベの約束を信じなくなっていたのである。
憲法改正にもしくじったムガベは、かつてローデシアからの独立戦争で共に戦った退役軍人たちを扇動し、白人の農場を襲撃させた。黒人が襲撃した農場の数は約1,000ヵ所に及ぶという。こうして、「いつまでも既得権益を貪る白人を叩きだせ」という民族主義を煽ることに成功したムガベは、白人が経営する農場を強制収用し、黒人農民等に再配分することを目的とした土地改革政策「ファスト・トラック」を2000年に開始する。政府は1,100万ヘクタールの農場(約5,000農場)を強制収用し、大多数の白人農場主は十分な補償もないまま土地を追われることとなった。

本来は経済政策の失敗が問題であるにもかかわらず、ムガベによって白人対黒人という人種対立にすりかえられてしまったため、第三者が仲介することは難しい状況にある。イギリスあたりが仲介しようにも、他のアフリカ諸国から「白人を擁護し、植民地主義の復活を狙うものだ」との反発を受けかねず、南アフリカも仲介する姿勢を見せているが、南アフリカ自身にも黒人と白人の対立があり、下手に手を出すと自国の内政問題に飛び火しかねない。


◆ジンバブエの現状
2002年に行われた大統領選挙は、ムガベとチャンギライ民主変革運動(MDC)党首により争われたが、ムガベが再選され4選を果たした。MDCは大統領選挙の無効を主張してデモを行ったが、政府は治安部隊の出動、チャンギライ党首逮捕などの強行的措置で報復した。2004年には、NGO規制法、情報アクセス・プライバシー保護法、選挙委員会法等を相次いで改正・成立させ、野党やその支持者への締めつけを強化している。

ファスト・トラックによる農業経済システムの崩壊、援助の停止や国際的な信用低下に伴う資金流失に加え、干ばつによって食料不足が深刻化し飢饉が発生しているという。かつて、「アフリカの穀物庫」と呼ばれ、農産物で外貨収入の約半数を占めていた国の面影はどこにも無い。2002年の経済成長率は-12.1%、2003年には600%を超えるインフレ率を記録し、IMFから見捨てられそうになるなど経済は壊滅的な状況にある。さらに、成人の25%はHIVに感染し、アメリカからは「圧政の拠点」として北朝鮮、キューバ、ミャンマー、イラン、ベラルーシと共に批判されるなど、そのダメさ加減はとどまるところを知らない。

1921年生まれのムガベは既にいつ死んでもおかしくない年齢であることから、かつてのローデシア首相だったイアン・スミスや野党MDCが政権を狙っているが、ここまでズタズタになった国を立て直すのは容易ではないだろう。

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20:11  |  ジンバブエ/ローデシア  |  TB(1)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●プラチナの~

とても良くまとまっていて参考になりました。今危機的状況にあるプラチナの生産は南アが第一位ですが、南アの大手鉱山会社はジンバブエの採掘に乗り出しており、すでに世界第4位です。農産物が無くとも、レアメタルというどこの国も欲しがるものに着手するアングロサクソンは流石にしたたか。でも南アフリかは今、電力危機の真っ最中。その中継基地はジンバブエなのですが・・・どうなるでしょうね。
yokoママ |  2008年04月03日(木) 14:33 |  URL |  【コメント編集】

田中宇さんのパクリね
名無しのイワンさん |  2008年04月03日(木) 23:04 |  URL |  【コメント編集】

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2008/04/02(水) 18:51:03 | なんかもうどうでもいいよ

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