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2008.11.29 (Sat)

2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その22)

更新ペースが遅くてご迷惑をおかけしております。最近、出張だらけで家にいる日が少ないんですよ。

前回の続きです。

◆ブレスト要塞でもニャンコとイチャイチャ

ブレスト要塞はプーク川とムハヴェツ川に囲まれた大きな中州にある。正面入口から要塞へ進むと、左手に兵舎らしき建物が並んでいるのが見える。一部は屋根も吹き飛んでいて無残な姿を晒しているが、保存状態の良い部分は今も使用されているようで人が出入りしている。近づいて確認すると博物館のようだが独ソ戦に関するものではない。考古学か民俗学か何かの博物館だ。表示は全てロシア語なのでさっぱり分からない。
博物館の向かいには対戦車砲や高射砲が展示されているが、その対戦車砲の足元でチビにゃんこがじゃれあっているのを見つけてしまい興奮する。ムハーッ!にゃんこー!
我を忘れたにゃおんちゃんは30分近くぬこと戯れ続けるが、どういう訳か観光客が集まってきたので退散する。

周りを見渡すが、あるものといえば不気味のオブジェと尖塔、そして教会と博物館。意外とつまらんぞ、ここ・・・。
ロシア語に悪戦苦闘しつつ案内表示とにらめっこしていると、教会のそばにある立派な建物は戦争に関する博物館であることが判明。そうだよな、ここはブレスト要塞なのだから独ソ戦に関する展示があるのは当然だよな。よし、行ってみよう。

不気味なオブジェその2
不気味なオブジェその2。夜中にこんなものを見たらショック死しそうです。

かつての兵舎
かつての兵舎。今は博物館や事務所、トイレなどになっています。

ブレスト要塞にいたにゃんこ
ブレスト要塞にいたチビにゃんこ達。温かくてモフモフしてて気持ち良かったです。


博物館へ入ってみるが、キエフやミンスクの戦争博物館と異なり、展示物が年代順に並んでいる訳ではない。小火器は結構充実していたが、写真はたいしたものは無い。
にゃおんちゃんはロシア語を読めないうえに、ブレスト要塞攻防戦などという局地戦に関する知識は殆ど持ち合わせていない。展示物にはきちんと解説がついているが、どれも全てロシア語・・・。
だーっ!わかんねー!まるでわかんねー!
ロシア語にうなされながら博物館をさまよい歩いていると、例の女子大生らしき団体客とちょうど一緒になる。彼女達は団体なので博物館の職員が付き添って展示物を説明している。少しは参考になるかと思って一緒に説明を聞いていたが・・・やっぱり分からない。もう帰る!

外へ出るとベラルーシ軍の兵士に包囲されてビビるが、彼らはべつににゃおんちゃんを捕まえにきたわけではない。今日はここで何かの式典が行われるようで、それに出席するために来た模様。
以前にウクライナで軍隊を見たとき、飛び交う怒声におしっこをちびりそうになるほどビビったが、ここにいる兵士達はずいぶんとユルい。上官はベンチ座ってタバコを吸っているし、立たされている下っ端兵士達は女の子やにゃおんちゃんを見てニヤニヤしている。この野郎・・・。
「チェストォォォッ!」と叫んで驚かせてやろうかと思うが、騒ぎになったら嫌なので退散する。

ソ連軍の軍服  ドイツ軍の軍服
独ソ軍服比較。やっぱりドイツ軍のほうがかっこええです。

ブレスト・リトフスク条約調印の場
今では基礎しか残ってませんが、ここにあった建物で「ブレスト・リトフスク条約」が調印されたそうです。



◆税関押収品博物館

再び、どこまでも真っ直ぐなだだっ広い道路を歩いて市街地へ戻る。相変わらず誰もいない。
ホテルへ戻る途中、「博物館」と書いてある看板を見つけたので行ってみる。見た目はちょっと大きな一軒家といった感じでまるで博物館には見えないが、看板には「税関なんとか博物館」と書かれている。ははー、わかったぞ。ここは税関で押収したブツの博物館だな?
ブレストは国境の街。モスクワやサンクトペテルブルクから陸路で西ヨーロッパへ行く場合、ここブレストを経由してワルシャワ、ベルリンへ抜けるのが最も一般的。当然、様々な荷物がここを通関するが、その中にヤバいものが色々とあっても不思議ではない。

博物館は閑古鳥が鳴いているようで、にゃおんちゃんが中に入ると職員は暢気にロビーでお喋りしていた。おばちゃんの職員が「ここは博物館よ。あなた、見学に来たの?」などとのたまう。見学に来たんですよ!ええ、来ましたとも!だから、ちゃんと仕事してね!
にゃおんちゃんがお客さんだと分かってバタバタと持ち場につくおばちゃん達。一瞬呆れてしまったが、まあ・・・こういうユルい雰囲気は別に嫌いではない。入場料は撮影料と合わせても3,000BYRかそこらだったと思う。

博物館は二階建てで、一階には主にイコン(聖像)が展示されている。イコンを密輸する際に小さくする必要があったのだろう。無残にもぶったぎられている。せっかく持ち出してもこんなにバッツリ切断されていたら価値も半減するだろうに・・・。もしにゃおんちゃんがソ連のエロいえらい人だったら、大切な文化遺産にこんな仕打ちをする奴はシベリアのラーゲリ(強制収容所)送りでは済まさんだろう。
イコンがどこから持ち出されたものなのか一切解説が無いので分からないが、中世に作られたであろう年季が入ったものもたくさんある。

ブレスト税関押収品博物館
普通の家に見えますが、ここが「税関押収品博物館」です。
後ろには政府の建物と思われる、すげー変な形のビル(しかもボロボロ)が建っています。

無残にも切断されたイコン  ヴィリニュスの夜明けの門の写真
左:無残にも切断されたイコン
右:我が心の故郷ヴィリニュスの「夜明けの門」の写真。どうしてこれが押収されるのだ?


二階へ上がると、装飾品や美術品、絵画などが展示されていた。何故か日本画や扇子などもあって驚く。扇子には大きく「神敬」と書かれていて、その横に「平沼騏書」とある。なんと、あの平沼騏一郎か!
平沼は書家としても知られていたが、それにしてもこんなものがどうしてここに?一体どのような経緯でここで展示されるに至ったのだろうか?

平沼騏一郎は法曹界の大物でバリバリのファシスト。1939年に第一次近衛内閣が総辞職すると、平沼に大命が下り首相に就任。平沼内閣は日独伊三国同盟の推進と泥沼化した日中戦争の収拾を図るが、モロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)が締結されると「欧州の天地は複雑怪奇なり」という迷言を残して総辞職した。ヒトラーは「共産主義は人類の敵だ!」とスターリンを罵り、日本と「日独防共協定」を結んでおきながら、一転してソ連と同盟を結んでしまったのだ。
退陣後も第2次・3次近衛内閣で閣僚を務め、東條内閣ができるとその倒閣にも活躍している。戦後はA級戦犯として終身刑になるが、1952年に病気仮釈放。直後に死去している。
ちなみに、大東文化大(当時は大東文化学院)の設立者にして初代総長である。

他にも「どうしてこれが押収されるのだ?」というようなものがたくさんあった。普通の写真なども押収品として展示されているのだ。何故?

平沼騏一郎の作品である扇子
平沼騏一郎が「神敬」と書いた扇子。このようなものが何故ここに?


《つづく》

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