2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その15)
前回の続きです。
◆ルカシェンコ切手、ゲットォォ!ε≡Ξ⊂ ´⌒つ´∀`)つ
プンスカ怒りながらオヴィールを後にしたにゃおんちゃんは、マリナの車で勝利広場へ。彼女が手紙を出したいと言うので、昼食を食べに行く前に郵便局へ立ち寄る。ついでなので職員にルカシェンコ切手について尋ねるが、やはり「無い」と言われてしょげる。やはりもう売っていないのだろうか・・・。
ところが、マリナが近くに美味しいスタローヴァヤがあると言うので、そこへ行く途中に地下通路の売店でルカシェンコ切手を発見。ガイドブックや地図、土産物を売っている店なのだが、ルカシェンコ切手はその片隅にひっそりと鎮座していた。見つけたのはマリナ。目ざといなぁ。
ルカシェンコの顔、国旗、国章、国旗&国章がそれぞれ描かれた切手が1枚ずつセットになっていて、1セット4枚で2100BYR(約105円)。切手の額面価格を全部合わせると4200BYRになるのに、販売価格はその半分。何故?偽物?いや、こんなものを欲しがる物好きなどいないので、偽物が出回るとは思えない。謎である。またと無い機会なので3セット購入する。
お目当てのブツを手に入れてホクホク顔のにゃおんちゃんを見てマリナが一言。
「あなたはどうしてこんなものを欲しがるの?」
マリナ、その理由は聞かないほうがいいだろう。

これがルカシェンコ切手。
じーっと見ているだけで笑いがこみ上げてくる逸品です。
勝利広場近くのスタローヴァヤで昼食。激混みで席を確保するのに苦労したが、マリナがお勧めするだけあって結構美味しい。ご飯を食べながらミール城へ行く方法について話していると、マリナが「私が連れて行ってあげる!」と言い出した。申し出はありがたいのだが、あなたの運転は怖いのだ・・・。
しかし、時間はもう13時過ぎ。バスでミールへ向かうにはちと遅すぎる。お願いすることにしよう。でも、俺が運転するからな。
食事を済ませると、キオスクで地図を購入して駐車場へ向かう。マリナが駐車場のおじさんにミール城への行き方を尋ねていると、駐車場の裏手で警官がスピード違反の取締りをしているのを見つけた。
そーっと近づいて様子を観察する。警官はポラロイドカメラを一回り大きくしたような機械を手に持ち、道路っぷちに立っている。機械についているボタンを押すと電波が飛んで速度測定ができる仕組みらしい。引っかかった車がいたら、車道に出て「止まれー」と合図してそのまま御用。にゃおんちゃんが観察している間にも哀れなドライバー1名が御用となっていた。
合図に気づかないとか意図的に無視する車がいたら、パトカーで追いかけるのだろう。オンボロ・パトカーが隠れるようにして木陰に停まっている。ちなみにミンスクのパトカーは全て旧式のラーダ。市内ならいざしらず、郊外でこんなポンコツで追いかけてもぶっちぎられるのでは?

ネズミ獲り真っ最中の警官とポンコツ・パトカー。
◆ミール城への道
出発前にガソリンスタンドに寄って給油。こっちのスタンドはセルフ式だが、日本とは異なり先に事務所へ行って金を払う。強盗対策なのか事務所の窓口には鉄格子がはまっている・・・。レギュラーでリッター当たり2,470BYR(約120円)。日本よりは安いが、ベラルーシ人の平均所得を考えると決して安い値段ではない。
給油を済ませ、郊外にある環状線まで行ったところで運転を交代。マリナは数ヶ月前に免許を取ったばかりで、まだミンスク市内から出たことが無い。郊外なら毎日毛ガニ村の農道を爆走しているにゃおんちゃんのほうが慣れているので、ここから先は私が運転する。
久しぶりに左ハンドルの車を運転したが、マリナの車が小型車であることもあって結構すぐに慣れた。
ミールへ行く方法は簡単。ミンスクからブレスト方面へ向かう「M1」という高速道路をひたすら走るのみ。高速道路は日本と同じ4車線(ところにより6車線)だが、日本の高速道路ほど金はかかってない。まあ、日本の設備が過剰なんだけどね。ミンスク市内は道路が結構ガタガタだったが、さすがに高速道路ではそういうことはない。こまめに補修しているようで、あちこちで道路工事をしていた。制限速度は120km。捕まると厄介なので制限速度を守って走る。
途中、マリナが「これがネマン川よ」と言う。ネマン川とはミンスクの南からグロノドを通り、カウナスとクライペダ(ともにリトアニア)を経てバルト海へと注ぐあの川。そう、メーメル川!
ドイツ語ではメーメル川、リトアニア語ではネムナス川と言うが、ロシア語では「ネマン川」と言う。この川のほとりでドイツ国歌(それも一番)を高らかに歌い上げたのは2年前。まさかこんなところで再会することになろうとは。
しかし、マリナにネオナチと思われたら困るので、歌は止めておく。それから、この辺りはかなり上流なので看板が出てなけりゃ気づかないくらいの小川でした。

上に先払いした金額、下に給油可能なガソリンの量、その下にリッター当たりの単価が表示されている。
右側の表示は油種。
ミンスク市内から2時間弱でミール村に到着。高速道路を降りてから一般道を10kmほど走ると村が見えてきた。しかし、せっかく世界遺産に登録されたのに、ベラルーシ政府もミール村も観光客を呼んでやろうという気概がまるで無いようで、看板のひとつもありゃしない。どうなることかと思ったが、村に入ってすぐのところで左手にお城が見えた。おー、こりゃ簡単だな。
お城の脇には駐車場と売店が2〜3件ほどあるのみ。時間が遅かったせいか観光客も殆どいない。いるのは、お城の入口で工事をしているおじさん達のみ。この工事の方法たるやまた凄まじく、正面入口にトタンの塀がドカーンと鎮座していて、どこから入っていいのかまるで分からない。
暫しウロウロした後、正面入口の右手からドブ川を渡りノリ面を這い上がって入場。皆ここから入っているようで芝生がハゲて道がついていたが、ドブ川には板すらかかっておらず埋設してある土管の上を歩いて渡る羽目に。これ、土管の上で滑ってドブに落ちる観光客、絶対にいるぞ・・・。

これがミール城。「城」というより「館」って感じの可愛い建物です。
《つづく》
◆ルカシェンコ切手、ゲットォォ!ε≡Ξ⊂ ´⌒つ´∀`)つ
プンスカ怒りながらオヴィールを後にしたにゃおんちゃんは、マリナの車で勝利広場へ。彼女が手紙を出したいと言うので、昼食を食べに行く前に郵便局へ立ち寄る。ついでなので職員にルカシェンコ切手について尋ねるが、やはり「無い」と言われてしょげる。やはりもう売っていないのだろうか・・・。
ところが、マリナが近くに美味しいスタローヴァヤがあると言うので、そこへ行く途中に地下通路の売店でルカシェンコ切手を発見。ガイドブックや地図、土産物を売っている店なのだが、ルカシェンコ切手はその片隅にひっそりと鎮座していた。見つけたのはマリナ。目ざといなぁ。
ルカシェンコの顔、国旗、国章、国旗&国章がそれぞれ描かれた切手が1枚ずつセットになっていて、1セット4枚で2100BYR(約105円)。切手の額面価格を全部合わせると4200BYRになるのに、販売価格はその半分。何故?偽物?いや、こんなものを欲しがる物好きなどいないので、偽物が出回るとは思えない。謎である。またと無い機会なので3セット購入する。
お目当てのブツを手に入れてホクホク顔のにゃおんちゃんを見てマリナが一言。
「あなたはどうしてこんなものを欲しがるの?」
マリナ、その理由は聞かないほうがいいだろう。

これがルカシェンコ切手。
じーっと見ているだけで笑いがこみ上げてくる逸品です。
勝利広場近くのスタローヴァヤで昼食。激混みで席を確保するのに苦労したが、マリナがお勧めするだけあって結構美味しい。ご飯を食べながらミール城へ行く方法について話していると、マリナが「私が連れて行ってあげる!」と言い出した。申し出はありがたいのだが、あなたの運転は怖いのだ・・・。
しかし、時間はもう13時過ぎ。バスでミールへ向かうにはちと遅すぎる。お願いすることにしよう。でも、俺が運転するからな。
食事を済ませると、キオスクで地図を購入して駐車場へ向かう。マリナが駐車場のおじさんにミール城への行き方を尋ねていると、駐車場の裏手で警官がスピード違反の取締りをしているのを見つけた。
そーっと近づいて様子を観察する。警官はポラロイドカメラを一回り大きくしたような機械を手に持ち、道路っぷちに立っている。機械についているボタンを押すと電波が飛んで速度測定ができる仕組みらしい。引っかかった車がいたら、車道に出て「止まれー」と合図してそのまま御用。にゃおんちゃんが観察している間にも哀れなドライバー1名が御用となっていた。
合図に気づかないとか意図的に無視する車がいたら、パトカーで追いかけるのだろう。オンボロ・パトカーが隠れるようにして木陰に停まっている。ちなみにミンスクのパトカーは全て旧式のラーダ。市内ならいざしらず、郊外でこんなポンコツで追いかけてもぶっちぎられるのでは?

ネズミ獲り真っ最中の警官とポンコツ・パトカー。
◆ミール城への道
出発前にガソリンスタンドに寄って給油。こっちのスタンドはセルフ式だが、日本とは異なり先に事務所へ行って金を払う。強盗対策なのか事務所の窓口には鉄格子がはまっている・・・。レギュラーでリッター当たり2,470BYR(約120円)。日本よりは安いが、ベラルーシ人の平均所得を考えると決して安い値段ではない。
給油を済ませ、郊外にある環状線まで行ったところで運転を交代。マリナは数ヶ月前に免許を取ったばかりで、まだミンスク市内から出たことが無い。郊外なら毎日毛ガニ村の農道を爆走しているにゃおんちゃんのほうが慣れているので、ここから先は私が運転する。
久しぶりに左ハンドルの車を運転したが、マリナの車が小型車であることもあって結構すぐに慣れた。
ミールへ行く方法は簡単。ミンスクからブレスト方面へ向かう「M1」という高速道路をひたすら走るのみ。高速道路は日本と同じ4車線(ところにより6車線)だが、日本の高速道路ほど金はかかってない。まあ、日本の設備が過剰なんだけどね。ミンスク市内は道路が結構ガタガタだったが、さすがに高速道路ではそういうことはない。こまめに補修しているようで、あちこちで道路工事をしていた。制限速度は120km。捕まると厄介なので制限速度を守って走る。
途中、マリナが「これがネマン川よ」と言う。ネマン川とはミンスクの南からグロノドを通り、カウナスとクライペダ(ともにリトアニア)を経てバルト海へと注ぐあの川。そう、メーメル川!
ドイツ語ではメーメル川、リトアニア語ではネムナス川と言うが、ロシア語では「ネマン川」と言う。この川のほとりでドイツ国歌(それも一番)を高らかに歌い上げたのは2年前。まさかこんなところで再会することになろうとは。
しかし、マリナにネオナチと思われたら困るので、歌は止めておく。それから、この辺りはかなり上流なので看板が出てなけりゃ気づかないくらいの小川でした。

上に先払いした金額、下に給油可能なガソリンの量、その下にリッター当たりの単価が表示されている。
右側の表示は油種。
ミンスク市内から2時間弱でミール村に到着。高速道路を降りてから一般道を10kmほど走ると村が見えてきた。しかし、せっかく世界遺産に登録されたのに、ベラルーシ政府もミール村も観光客を呼んでやろうという気概がまるで無いようで、看板のひとつもありゃしない。どうなることかと思ったが、村に入ってすぐのところで左手にお城が見えた。おー、こりゃ簡単だな。
お城の脇には駐車場と売店が2〜3件ほどあるのみ。時間が遅かったせいか観光客も殆どいない。いるのは、お城の入口で工事をしているおじさん達のみ。この工事の方法たるやまた凄まじく、正面入口にトタンの塀がドカーンと鎮座していて、どこから入っていいのかまるで分からない。
暫しウロウロした後、正面入口の右手からドブ川を渡りノリ面を這い上がって入場。皆ここから入っているようで芝生がハゲて道がついていたが、ドブ川には板すらかかっておらず埋設してある土管の上を歩いて渡る羽目に。これ、土管の上で滑ってドブに落ちる観光客、絶対にいるぞ・・・。

これがミール城。「城」というより「館」って感じの可愛い建物です。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その14)
前回の続きです。
◆日白寝坊ブラザーズ(2008年8月1日)
ミンスクへ来て3日目。今日はミール城へ行ってこようと思う。数少ないベラルーシの世界遺産のひとつだ。とは言ったものの、どうやって行くのかまるで分からない。警察でレギストラーツィアを済ませたら、とりあえずネットカフェにでも行ってインターネットで調べるか?
午前8時に起床して出かける準備をしていると、マリナから電話が来た。
「お兄ちゃん寝坊したから、私が迎えに行くね」
昨日は私が寝坊し、今日は大佐が寝坊。「日白寝坊ブラザーズ」である。
チーズをつまみながらディスカバリーチャンネルを見て過ごすこと約1時間、10時少し前にマリナがやって来た。ちなみにアカゲビッチ大佐同様、彼女も赤毛ではない。
警察に行く前に用事があるので大学へ付き合って欲しいと言われ、彼女が通う大学へ向かう。その大学はミンスク駅から車で東に20分ほど走った郊外にあった。建物の表示を見ると「ベラルーシ国立経済大学」と書いてある。マリナは別に授業を受けるわけではなく、何やら事務手続きが必要らしい。部外者であるにゃおんちゃんは中に入れないので、構内をウロウロして時間を潰す。入ろうと思えば入れない訳ではないが、面白いことは何も無さそうだし。
大学のキャンパスにしては随分と手狭で、15分ほどウロついただけで見終わってしまった。マリナはまで戻って来ておらず、仕方がないので正面にあるベンチにどっかりと腰を下ろして待つ。
夏休み中だというのに建物は学生でごった返している。大学生なら留学生なんかを見慣れていて外国人は珍しくないと思うのだが、どの学生もジロジロとこっちを見る。やっぱり東洋人は珍しいのかなぁ・・・。
「お前ら、俺は日本人だぞ。中国人じゃないからな!」
叫びたい衝動に駆られるが、グッと堪える。
ベンチにふんぞり返ってi-podでIKUZOを聴いていると、目の前で教官らしき女性がフラットファイルをぶちまけた。ファイルを縛っていた紐がほどけてしまったようだ。しかし、周りにいる学生どもは誰も彼女を助けようとしない。何をボーっとしてんねん、お前ら。
にゃおんちゃんが歩み寄ってファイル拾いを手伝い始めても、学生は誰一人加わってこない。もしかしてこの教官、学生からすげー嫌われているとか?
そんなこんなでさらに待つこと約20分、マリナがニコニコしながら戻ってきた。何だか知らないがとても喜んでいて書類にキスしている。
「テストの結果が良かったのか?」
「いいえ、これは学費の免除申請が認められた書類なのよ!」
大佐の家は貧乏ではないはずだが、それでも学費免除なんて認められるのか。彼女は随分と優秀な学生らしい。よほど嬉しかったらしく、すぐに携帯電話で母親に報告していた。

ベラルーシ国立経済大学のビル。
◆「怯え」のち「キレる」
マリナの用事は済んだので、いよいよ警察へ向かう。オヴィールへ着いたのは12時少し前。昼休みでまた閉まっているのではないかと心配したが、建物のドアは開いていた。
おずおずと中へ進み、廊下ですれちがった女性警官に手続きの場所を尋ねると、彼女は無言のまま奥の一室を指差して立ち去った。こ、怖い・・・。
待合室らしき薄暗い部屋へ入ると、ウクライナ人やロシア人のおじちゃん・おばちゃんが賑やかに話をしていた。
「あんた、どっから来た?日本?おー!ビジネスか?」
ニコニニしながら私に話しかけてくるおじさん・おばさん。あんたら、鬼警官が怖くないのか・・・。雰囲気はまるでどこかの集会所で、圧政国家の警察署にいることを忘れそうになる。
待合室の奥にさらに部屋があり、自分の順番が来ると彼らは入室していく。そして、そのたびに女性警官が書類を片手に慌しく出入りを繰り返す。
この警官、モデル並の美女なのだが物凄く不機嫌そうな顔をして恐ろしいことこのうえない。空気を読まずに口説いたりしようものなら、その場で射殺されるかもしれない、と思っちゃうくらい怖い。いくら美人でもあんなにツンケンしてる人、にゃおんちゃんは嫌だ。
順番を待っていると、あることに気づいた。
女性警官は奥の部屋に出入りするたびにドアを開け閉めするのだが、そのドアに防音加工が施されていることに気づいた。ヴィリニュスのKGB博物館で防音加工された拷問部屋取調室を見たことを思い出し、一気に背筋が寒くなる。
「マ、マリナ・・・ど、ど、どうしてあのドア、ぼ、防音加工してあるのかな?」
「えー?そうなの?私には分からないわ」
ヴィリニュスのKGB博物館で見た取調室の話をすると、彼女は( ´,_ゝ`)プッと吹き出した。圧政国家慣れしている現地人と違って、平和な日本で育ったにゃおんちゃんにとっては笑い事ではないのだが。
「不審な点があったら拷問されるんじゃないのか?」
「ここはKGBじゃないわよ。ただの警察」
「じゃ、じゃあどうしてドアに防音加工してあるんだよぉ〜」
もう殆ど泣き出しそうなにゃおんちゃん。
そしてにゃおんちゃんの番がやってきた。最初、マリナは「私、ここで待ってるから」と言って中へ入ろうとしなかったのだが、「ダメ!ダメーッ!一人じゃ無理。お願い!」と必死に懇願して一緒に行ってもらうことに。
謎の防音ドアがすごく重たく感じる。キィ・・・
私の予想に反して中は明るく、そして清潔で暖かみのある部屋だった。あれ?
しかし、拍子抜けしたのも束の間、一瞬で恐怖に引き戻された。怖い顔をした女性警官が鋭い口調で一言。
「パスポート!」
私のパスポートとビザ、そして出入国カードの内容を確認する鬼警官。表情は相変わらず恐ろしいまま。1分後、彼女は顔を上げると再び鋭い口調で言った。
「いつまでミンスクにいるんだ?」
「えっと・・・明日までですぅ」
引きつった笑いを浮かべながら必死に応答するにゃおんちゃん。
そして次の瞬間、予想だにしない答が返ってきた。
「お前は手続きは必要ない」
へ?いや、そんなはずないですけど。
「お前は3日しかミンスクにいないから、手続きは必要ない」
彼女はこう言うと私にパスポートを突き返した。
3日?ちょっと待て。俺がミンスクに来たのは7月30日。そして明日は8月2日だ。4日間の滞在なはずだが・・・。この警官、7月は31日まであることを忘れてるのか?混乱する私。
こっちだってちゃんと手続きしておかないと困るのだ。後で悪徳警官に絡まれて手続きの不備を追求されたりしたらどうするんだ?
「あのー、4日間の滞在になると思うのですが・・・?」
すると、ただでさえ険しかった警官の表情は一層険しくなり、こう叫んだ。
「お前は手続きは必要ない!必要無いと言ったら必要無い!」
そして、部屋から追い出された。訳が分からず困惑する私。
待合室にいたおじちゃん・おばちゃん達に事情を説明すると、 「土日はカウントしない」ということが判明した。
このクソ警官、ちゃんと説明しろ。バカヤロー!
事情が判明すると一気に怒りが噴き出し、私は中指をおったてて警察署を飛び出した。
日本の警察の怠慢ぶりも相当なものだが、ベラルーシの警察はほんとダメだ。威張り腐ってるだけでバカばっかりだ。
このときばかりはジョージ・ソロスの味方をしたい気分になった。
《つづく》
◆日白寝坊ブラザーズ(2008年8月1日)
ミンスクへ来て3日目。今日はミール城へ行ってこようと思う。数少ないベラルーシの世界遺産のひとつだ。とは言ったものの、どうやって行くのかまるで分からない。警察でレギストラーツィアを済ませたら、とりあえずネットカフェにでも行ってインターネットで調べるか?
午前8時に起床して出かける準備をしていると、マリナから電話が来た。
「お兄ちゃん寝坊したから、私が迎えに行くね」
昨日は私が寝坊し、今日は大佐が寝坊。「日白寝坊ブラザーズ」である。
チーズをつまみながらディスカバリーチャンネルを見て過ごすこと約1時間、10時少し前にマリナがやって来た。ちなみにアカゲビッチ大佐同様、彼女も赤毛ではない。
警察に行く前に用事があるので大学へ付き合って欲しいと言われ、彼女が通う大学へ向かう。その大学はミンスク駅から車で東に20分ほど走った郊外にあった。建物の表示を見ると「ベラルーシ国立経済大学」と書いてある。マリナは別に授業を受けるわけではなく、何やら事務手続きが必要らしい。部外者であるにゃおんちゃんは中に入れないので、構内をウロウロして時間を潰す。入ろうと思えば入れない訳ではないが、面白いことは何も無さそうだし。
大学のキャンパスにしては随分と手狭で、15分ほどウロついただけで見終わってしまった。マリナはまで戻って来ておらず、仕方がないので正面にあるベンチにどっかりと腰を下ろして待つ。
夏休み中だというのに建物は学生でごった返している。大学生なら留学生なんかを見慣れていて外国人は珍しくないと思うのだが、どの学生もジロジロとこっちを見る。やっぱり東洋人は珍しいのかなぁ・・・。
「お前ら、俺は日本人だぞ。中国人じゃないからな!」
叫びたい衝動に駆られるが、グッと堪える。
ベンチにふんぞり返ってi-podでIKUZOを聴いていると、目の前で教官らしき女性がフラットファイルをぶちまけた。ファイルを縛っていた紐がほどけてしまったようだ。しかし、周りにいる学生どもは誰も彼女を助けようとしない。何をボーっとしてんねん、お前ら。
にゃおんちゃんが歩み寄ってファイル拾いを手伝い始めても、学生は誰一人加わってこない。もしかしてこの教官、学生からすげー嫌われているとか?
そんなこんなでさらに待つこと約20分、マリナがニコニコしながら戻ってきた。何だか知らないがとても喜んでいて書類にキスしている。
「テストの結果が良かったのか?」
「いいえ、これは学費の免除申請が認められた書類なのよ!」
大佐の家は貧乏ではないはずだが、それでも学費免除なんて認められるのか。彼女は随分と優秀な学生らしい。よほど嬉しかったらしく、すぐに携帯電話で母親に報告していた。

ベラルーシ国立経済大学のビル。
◆「怯え」のち「キレる」
マリナの用事は済んだので、いよいよ警察へ向かう。オヴィールへ着いたのは12時少し前。昼休みでまた閉まっているのではないかと心配したが、建物のドアは開いていた。
おずおずと中へ進み、廊下ですれちがった女性警官に手続きの場所を尋ねると、彼女は無言のまま奥の一室を指差して立ち去った。こ、怖い・・・。
待合室らしき薄暗い部屋へ入ると、ウクライナ人やロシア人のおじちゃん・おばちゃんが賑やかに話をしていた。
「あんた、どっから来た?日本?おー!ビジネスか?」
ニコニニしながら私に話しかけてくるおじさん・おばさん。あんたら、鬼警官が怖くないのか・・・。雰囲気はまるでどこかの集会所で、圧政国家の警察署にいることを忘れそうになる。
待合室の奥にさらに部屋があり、自分の順番が来ると彼らは入室していく。そして、そのたびに女性警官が書類を片手に慌しく出入りを繰り返す。
この警官、モデル並の美女なのだが物凄く不機嫌そうな顔をして恐ろしいことこのうえない。空気を読まずに口説いたりしようものなら、その場で射殺されるかもしれない、と思っちゃうくらい怖い。いくら美人でもあんなにツンケンしてる人、にゃおんちゃんは嫌だ。
順番を待っていると、あることに気づいた。
女性警官は奥の部屋に出入りするたびにドアを開け閉めするのだが、そのドアに防音加工が施されていることに気づいた。ヴィリニュスのKGB博物館で防音加工された
「マ、マリナ・・・ど、ど、どうしてあのドア、ぼ、防音加工してあるのかな?」
「えー?そうなの?私には分からないわ」
ヴィリニュスのKGB博物館で見た取調室の話をすると、彼女は( ´,_ゝ`)プッと吹き出した。圧政国家慣れしている現地人と違って、平和な日本で育ったにゃおんちゃんにとっては笑い事ではないのだが。
「不審な点があったら拷問されるんじゃないのか?」
「ここはKGBじゃないわよ。ただの警察」
「じゃ、じゃあどうしてドアに防音加工してあるんだよぉ〜」
もう殆ど泣き出しそうなにゃおんちゃん。
そしてにゃおんちゃんの番がやってきた。最初、マリナは「私、ここで待ってるから」と言って中へ入ろうとしなかったのだが、「ダメ!ダメーッ!一人じゃ無理。お願い!」と必死に懇願して一緒に行ってもらうことに。
謎の防音ドアがすごく重たく感じる。キィ・・・
私の予想に反して中は明るく、そして清潔で暖かみのある部屋だった。あれ?
しかし、拍子抜けしたのも束の間、一瞬で恐怖に引き戻された。怖い顔をした女性警官が鋭い口調で一言。
「パスポート!」
私のパスポートとビザ、そして出入国カードの内容を確認する鬼警官。表情は相変わらず恐ろしいまま。1分後、彼女は顔を上げると再び鋭い口調で言った。
「いつまでミンスクにいるんだ?」
「えっと・・・明日までですぅ」
引きつった笑いを浮かべながら必死に応答するにゃおんちゃん。
そして次の瞬間、予想だにしない答が返ってきた。
「お前は手続きは必要ない」
へ?いや、そんなはずないですけど。
「お前は3日しかミンスクにいないから、手続きは必要ない」
彼女はこう言うと私にパスポートを突き返した。
3日?ちょっと待て。俺がミンスクに来たのは7月30日。そして明日は8月2日だ。4日間の滞在なはずだが・・・。この警官、7月は31日まであることを忘れてるのか?混乱する私。
こっちだってちゃんと手続きしておかないと困るのだ。後で悪徳警官に絡まれて手続きの不備を追求されたりしたらどうするんだ?
「あのー、4日間の滞在になると思うのですが・・・?」
すると、ただでさえ険しかった警官の表情は一層険しくなり、こう叫んだ。
「お前は手続きは必要ない!必要無いと言ったら必要無い!」
そして、部屋から追い出された。訳が分からず困惑する私。
待合室にいたおじちゃん・おばちゃん達に事情を説明すると、 「土日はカウントしない」ということが判明した。
このクソ警官、ちゃんと説明しろ。バカヤロー!
事情が判明すると一気に怒りが噴き出し、私は中指をおったてて警察署を飛び出した。
日本の警察の怠慢ぶりも相当なものだが、ベラルーシの警察はほんとダメだ。威張り腐ってるだけでバカばっかりだ。
このときばかりはジョージ・ソロスの味方をしたい気分になった。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その13)
前回の続きです。
◆ルカシェンコ・グッズ、買えず
高圧的なバカ警官のせいですっかり気分が悪くなったので、独立広場地下のモールを散歩して気分転換。キエフの独立広場にあるモールと比べると全然小さい。ベラッサラブスキー市場のモールより少し大きいかな?程度。まだできて間もないせいか、空き店舗も多い。
特に見るものも無いので、すぐに立ち去る。
中心街へ来たついでなのでお土産にルカシェンコ・グッズ(ブロマイドと切手)を買いに本屋と郵便局へ行く。しかし、残念ながらどちらも入手できず。郵便局では「無い!」の一言で追い払われ、本屋にあったのは額縁入りのブロマイドのみ。ブロマイドだけなら50円程度なのに、額縁つきだと3,000円近くしやがる。
郵便局に行ったついでに併設するネットカフェへ行き、メールをチェックする。職場からのメールは無し。よかった。
時間を20時を過ぎ、そろそろ日が落ち始めた。来た道を戻って帰ってもつまらないので、キーロフ通りを通って帰る。途中、どこかでご飯を食べて帰ろう。キーロフ通りの一本東にある道路はウリヤーノフ通りという。ウリヤーノフってのはレーニンの本名。ほんと、ボリシェヴキ野郎どもの名前ばっかり・・・。
キーロフ通りにあるのは大使館や政府の建物ばかりでお店は全然無し。「ニャーミガまで行ってご飯食べようかなぁ?」などと考えていると、7階建てくらいの大きな白いビルにぶち当たった。これも政府の建物であることはすぐに分かったが、警備の警官の数が普通じゃない。
あっちに一人、こっちに一人、向こうには二人・・・一体全部で何人いるのだ?
こんなに警官がたくさんいるということは、このビルは普通の建物ではない。通行人のふりをしてビル正面を通った際に看板をチラ見したところ、どうやら大統領府の建物らしい。もしかして、ルカシェンコ閣下執務中?いや、もしかしてここに住んでるとか?
警官がウロウロしてるのでじっくり見ることもできず、向かいの公園の木陰からこっそり見る。政府の建物見るだけでどうしてこんなにコソコソせにゃいかんのじゃ。これだから圧政国家は嫌だ。というわけで、まともな写真も撮れず。

独立広場地下にあるショッピングモール。
ソ連風味の国ですが共産主義国家ではないので、普通に西側の製品が売られてます。
◆飲酒運転はいけません
大統領府から公園を抜けると、大祖国戦争史国立博物館がある10月広場はすぐそこ。大統領選で選挙やり直しを訴えた連中、こんな目と鼻の先でデモやったのか。そりゃルカシェンコ怒るわ。w
そこからニャーミガまで歩き、聖霊大聖堂をチラッと見た後、地下鉄駅のそばにあるスタローヴァヤ(食堂)へ行く。たまにはレストランに逝けって?一人のときは食えれば何でもいいんだよ。下手にレストランへ行っても英語通じないしメニューは読めないし、余計な苦労が増えるので嫌なのだ。スタローヴァヤだって侮れないのよ。たまに大当たりがある。

聖霊大聖堂
ニャーミガ駅周辺には夜遊びスポットが多いのか、地下鉄駅には待ち合わせをしている若者がたくさんいた。ご飯を食べていると大佐から電話が来た。
「にゃおんちゃん、今どこにいる?」
「ニャーミガでご飯食べてる」
「そうか。部屋に戻るのは遅くなりそうか?」
「いや、ご飯食べたら帰るよ」
「それじゃ後でお前の部屋に行くぞ」
「了解〜」
駅のそばにあるスーパーで小腹が空いたとき用のお菓子と寝酒を買って帰る。酒はもちろんウォッカ。こっちのウォッカは値段が安いうえに種類も多い。
部屋に戻って間もなくすると大佐が来た。
二人でウォッカを飲みながら話をする・・・って大佐、あなた車で来たのでは?
「あ?大丈夫だよ、これくらい」
いけません、いけません!あなたはケフィアでも飲んでなさい!
「にゃおんちゃん、明日は何するんだ?」
ミール城に行こうと思っていることを話すと、ミンスクからだとバスで4時間くらいかかると言われる。レンタカー借りるかな・・・。確か国際免許証はベラルーシでも有効だったはず。
いずれにせよ、明日は午前中にもう一度警察に行ってレギストラーツィアの手続きをしなくてはならない。大佐、よろしく。
そんなこんなで2時間ほど話をした後、大佐は帰宅。飲酒運転はダメだってば。
《つづく》
◆ルカシェンコ・グッズ、買えず
高圧的なバカ警官のせいですっかり気分が悪くなったので、独立広場地下のモールを散歩して気分転換。キエフの独立広場にあるモールと比べると全然小さい。ベラッサラブスキー市場のモールより少し大きいかな?程度。まだできて間もないせいか、空き店舗も多い。
特に見るものも無いので、すぐに立ち去る。
中心街へ来たついでなのでお土産にルカシェンコ・グッズ(ブロマイドと切手)を買いに本屋と郵便局へ行く。しかし、残念ながらどちらも入手できず。郵便局では「無い!」の一言で追い払われ、本屋にあったのは額縁入りのブロマイドのみ。ブロマイドだけなら50円程度なのに、額縁つきだと3,000円近くしやがる。
郵便局に行ったついでに併設するネットカフェへ行き、メールをチェックする。職場からのメールは無し。よかった。
時間を20時を過ぎ、そろそろ日が落ち始めた。来た道を戻って帰ってもつまらないので、キーロフ通りを通って帰る。途中、どこかでご飯を食べて帰ろう。キーロフ通りの一本東にある道路はウリヤーノフ通りという。ウリヤーノフってのはレーニンの本名。ほんと、ボリシェヴキ野郎どもの名前ばっかり・・・。
キーロフ通りにあるのは大使館や政府の建物ばかりでお店は全然無し。「ニャーミガまで行ってご飯食べようかなぁ?」などと考えていると、7階建てくらいの大きな白いビルにぶち当たった。これも政府の建物であることはすぐに分かったが、警備の警官の数が普通じゃない。
あっちに一人、こっちに一人、向こうには二人・・・一体全部で何人いるのだ?
こんなに警官がたくさんいるということは、このビルは普通の建物ではない。通行人のふりをしてビル正面を通った際に看板をチラ見したところ、どうやら大統領府の建物らしい。もしかして、ルカシェンコ閣下執務中?いや、もしかしてここに住んでるとか?
警官がウロウロしてるのでじっくり見ることもできず、向かいの公園の木陰からこっそり見る。政府の建物見るだけでどうしてこんなにコソコソせにゃいかんのじゃ。これだから圧政国家は嫌だ。というわけで、まともな写真も撮れず。

独立広場地下にあるショッピングモール。
ソ連風味の国ですが共産主義国家ではないので、普通に西側の製品が売られてます。
◆飲酒運転はいけません
大統領府から公園を抜けると、大祖国戦争史国立博物館がある10月広場はすぐそこ。大統領選で選挙やり直しを訴えた連中、こんな目と鼻の先でデモやったのか。そりゃルカシェンコ怒るわ。w
そこからニャーミガまで歩き、聖霊大聖堂をチラッと見た後、地下鉄駅のそばにあるスタローヴァヤ(食堂)へ行く。たまにはレストランに逝けって?一人のときは食えれば何でもいいんだよ。下手にレストランへ行っても英語通じないしメニューは読めないし、余計な苦労が増えるので嫌なのだ。スタローヴァヤだって侮れないのよ。たまに大当たりがある。

聖霊大聖堂
ニャーミガ駅周辺には夜遊びスポットが多いのか、地下鉄駅には待ち合わせをしている若者がたくさんいた。ご飯を食べていると大佐から電話が来た。
「にゃおんちゃん、今どこにいる?」
「ニャーミガでご飯食べてる」
「そうか。部屋に戻るのは遅くなりそうか?」
「いや、ご飯食べたら帰るよ」
「それじゃ後でお前の部屋に行くぞ」
「了解〜」
駅のそばにあるスーパーで小腹が空いたとき用のお菓子と寝酒を買って帰る。酒はもちろんウォッカ。こっちのウォッカは値段が安いうえに種類も多い。
部屋に戻って間もなくすると大佐が来た。
二人でウォッカを飲みながら話をする・・・って大佐、あなた車で来たのでは?
「あ?大丈夫だよ、これくらい」
いけません、いけません!あなたはケフィアでも飲んでなさい!
「にゃおんちゃん、明日は何するんだ?」
ミール城に行こうと思っていることを話すと、ミンスクからだとバスで4時間くらいかかると言われる。レンタカー借りるかな・・・。確か国際免許証はベラルーシでも有効だったはず。
いずれにせよ、明日は午前中にもう一度警察に行ってレギストラーツィアの手続きをしなくてはならない。大佐、よろしく。
そんなこんなで2時間ほど話をした後、大佐は帰宅。飲酒運転はダメだってば。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その12)
前回の続きです。
◆トホホなベラルーシ
スヴィスラチ川を渡り、ミンスク市街の北側へやって来た。
この辺りはデパートやブティックなど小奇麗で雰囲気のある建物が並んでおり、まるでパリを彷彿させる・・・わけがない。しかし、圧政国家にいることを忘れさせるほど小洒落た雰囲気が漂う。
そんなお洒落なミンスクの街角でベンチに座ってコーラを飲む。
コカ・コーラ?いや、ベラ・コーラ
デザインもそのまんまだが、「ベラ・コーラ」と書いてあるので間違いない。こんなことして、よく訴えられませんね?朝鮮人じゃあるまいし、パクリは止めなさいよ、パクリは。
味のほうは、コカ・コーラよりあっさり・・・というかコカ・コーラを薄めた感じ。これで本家よりも美味しかったら褒めようもあるが、妙な薄味ぶりが安っぽくて涙を誘う。パクリ製品だけあって値段は安い。

左:ベラ・コーラとベラルーシのラッキー・ストライク。
右:地下鉄駅のホームにあったレーニンの生首オブジェ。
ひと休みしてから地下鉄に乗って中心街へ。
ミンスクの地下鉄はモスクワやキエフと違ってそれほど深いところは走っていない。ソ連チックなものは全て撤去されたキエフでも地下鉄駅にはレーニンのオブジェが残っていたりするが、ここミンスクではどの駅にもソ連チックなオブジェが堂々と鎮座している。
ホームにある路線図の表示を見ていたら、「プローシチャ・ネザヴィーシモスチ(独立広場)駅」が「プローシチャ・レニーナ(レーニン広場)駅」になっていて驚く。ということは、独立広場も「レーニン広場」に改名されているのだろうか?
うーむ、さすがソビエト・テーマパーク。時代に逆行しております。
ちなみに、ロシアのKGBは「FSB( ロシア連邦保安庁)」と改名しましたが、ベラルーシは「KGB(国家保安委員会)」のままです。
次は「スターリン大橋」とか「トロツキー公園」を作ってください、ルカシェンコ閣下。
◆オイコラ警官との戦い
地下鉄を降りて独立広場へ行くと、大きな噴水や花壇があって豪華になっているうえに、地下にはショッピングモールができていて驚く。そうか、3年前にここをフェンスで囲って重機でほじくり返していたのは、そういうことだったのか。
噴水の周りには飲物やアイスクリームを売る屋台が並び、花壇には花が咲き乱れている。ベンチに座ってアイスクリームを食べながら談笑する家族や恋人達。えぇ風景や・・・。
しかし、そんな素敵な風景をぶち壊す巨大なレーニン像、そして刑務所や精神病院にしか見えないゴツい政府のビル。
どんなに素敵なものを見ても、これを見ると一気に気分が憂鬱になる。国家権力のシンボルタワーというか、ベラルーシの圧政の象徴というか・・・。同じ旧ソ連でもバルト三国はおろか、ウクライナにすらこんな威圧的な建物は無い。モスクワのルビヤンカ(旧KGB本部)に匹敵する。

地下鉄駅は改名したのに、広場の名前は「独立広場」のままだった。

レーニン像と精神病院みたいなイカツいビル。
レーニン像の写真を撮る際、後ろに回り込もうとしたところ、近くにいた警官に叱られる。しかも、さすが圧政国家のクソ警官と納得するくらい高圧的な態度。像の手前に階段があるのだが、「その階段から奥には行くな」と。要はレーニン像の後ろにある政府のビルに近寄られたくないのだろうが、階段からビルの入口まで30mくらいあるんですけど?ここからビルに向かって爆弾でも投げつけると思ってるのか?
そんなに近寄られて嫌なら大使館みたいにフェンスでも立てておけ、馬鹿野郎。
頭に来たので、「奥に行かなければいいんだろ?」と言わんばかりに左右にウロウロして写真をバシャバシャ撮影して挑発する。警官の顔つきが変わってくると、ニッコリ笑ってレーニン像を指差し「レーニン?レーニン?」。マヌケな(ふりをしてる)旅行者相手に怒るに怒れず、うんざりした表情でうなづくクソ警官。
「ルカシェンコ大統領はここでお仕事してるのかな?」とか「いやー、ここはほんとに綺麗な広場だねぇ」とか、警官に聞こえるようにデカい声で独り言を言っていると、にゃおんちゃんのウザさに耐え切れなくなったのか、しばらくすると警官は立ち去った。
バーカ、バーカ!俺はお前みたいに木っ端警官の分際で権力を盾にして威張り散らす野郎は大嫌いなんだよ!
ミンスクの中心街ではどこへ行っても必ず警官がいる。グルッと辺りを見渡して警官やパトカーの姿が見えないことは、まず無い。必ずどこかにいる。だから治安は良いのだが、実はその警官が一番タチが悪い。
以前、大佐に「ベラルーシは警官だらけだ」と言ったところ、「俺達を守ってるんだよ」という答が返ってきたことがあった。「本当にそう思ってるのか?」と問うと、彼は黙り込んだ。彼の沈黙が全てを物語っている。ベラルーシの警官は市民の安全を守るためにいるのではない。

綺麗な広場の周りに立ち並ぶのは、こんな刑務所みたいなビル。台無しです。

ハゲの圧政によって血塗られた教会。
ウソです。「聖シモン・聖エレーナ教会」というカソリックの教会です。
《つづく》
◆トホホなベラルーシ
スヴィスラチ川を渡り、ミンスク市街の北側へやって来た。
この辺りはデパートやブティックなど小奇麗で雰囲気のある建物が並んでおり、まるでパリを彷彿させる・・・わけがない。しかし、圧政国家にいることを忘れさせるほど小洒落た雰囲気が漂う。
そんなお洒落なミンスクの街角でベンチに座ってコーラを飲む。
コカ・コーラ?いや、ベラ・コーラ
デザインもそのまんまだが、「ベラ・コーラ」と書いてあるので間違いない。こんなことして、よく訴えられませんね?朝鮮人じゃあるまいし、パクリは止めなさいよ、パクリは。
味のほうは、コカ・コーラよりあっさり・・・というかコカ・コーラを薄めた感じ。これで本家よりも美味しかったら褒めようもあるが、妙な薄味ぶりが安っぽくて涙を誘う。パクリ製品だけあって値段は安い。

左:ベラ・コーラとベラルーシのラッキー・ストライク。
右:地下鉄駅のホームにあったレーニンの生首オブジェ。
ひと休みしてから地下鉄に乗って中心街へ。
ミンスクの地下鉄はモスクワやキエフと違ってそれほど深いところは走っていない。ソ連チックなものは全て撤去されたキエフでも地下鉄駅にはレーニンのオブジェが残っていたりするが、ここミンスクではどの駅にもソ連チックなオブジェが堂々と鎮座している。
ホームにある路線図の表示を見ていたら、「プローシチャ・ネザヴィーシモスチ(独立広場)駅」が「プローシチャ・レニーナ(レーニン広場)駅」になっていて驚く。ということは、独立広場も「レーニン広場」に改名されているのだろうか?
うーむ、さすがソビエト・テーマパーク。時代に逆行しております。
ちなみに、ロシアのKGBは「FSB( ロシア連邦保安庁)」と改名しましたが、ベラルーシは「KGB(国家保安委員会)」のままです。
次は「スターリン大橋」とか「トロツキー公園」を作ってください、ルカシェンコ閣下。
◆オイコラ警官との戦い
地下鉄を降りて独立広場へ行くと、大きな噴水や花壇があって豪華になっているうえに、地下にはショッピングモールができていて驚く。そうか、3年前にここをフェンスで囲って重機でほじくり返していたのは、そういうことだったのか。
噴水の周りには飲物やアイスクリームを売る屋台が並び、花壇には花が咲き乱れている。ベンチに座ってアイスクリームを食べながら談笑する家族や恋人達。えぇ風景や・・・。
しかし、そんな素敵な風景をぶち壊す巨大なレーニン像、そして刑務所や精神病院にしか見えないゴツい政府のビル。
どんなに素敵なものを見ても、これを見ると一気に気分が憂鬱になる。国家権力のシンボルタワーというか、ベラルーシの圧政の象徴というか・・・。同じ旧ソ連でもバルト三国はおろか、ウクライナにすらこんな威圧的な建物は無い。モスクワのルビヤンカ(旧KGB本部)に匹敵する。

地下鉄駅は改名したのに、広場の名前は「独立広場」のままだった。

レーニン像と精神病院みたいなイカツいビル。
レーニン像の写真を撮る際、後ろに回り込もうとしたところ、近くにいた警官に叱られる。しかも、さすが圧政国家のクソ警官と納得するくらい高圧的な態度。像の手前に階段があるのだが、「その階段から奥には行くな」と。要はレーニン像の後ろにある政府のビルに近寄られたくないのだろうが、階段からビルの入口まで30mくらいあるんですけど?ここからビルに向かって爆弾でも投げつけると思ってるのか?
そんなに近寄られて嫌なら大使館みたいにフェンスでも立てておけ、馬鹿野郎。
頭に来たので、「奥に行かなければいいんだろ?」と言わんばかりに左右にウロウロして写真をバシャバシャ撮影して挑発する。警官の顔つきが変わってくると、ニッコリ笑ってレーニン像を指差し「レーニン?レーニン?」。マヌケな(ふりをしてる)旅行者相手に怒るに怒れず、うんざりした表情でうなづくクソ警官。
「ルカシェンコ大統領はここでお仕事してるのかな?」とか「いやー、ここはほんとに綺麗な広場だねぇ」とか、警官に聞こえるようにデカい声で独り言を言っていると、にゃおんちゃんのウザさに耐え切れなくなったのか、しばらくすると警官は立ち去った。
バーカ、バーカ!俺はお前みたいに木っ端警官の分際で権力を盾にして威張り散らす野郎は大嫌いなんだよ!
ミンスクの中心街ではどこへ行っても必ず警官がいる。グルッと辺りを見渡して警官やパトカーの姿が見えないことは、まず無い。必ずどこかにいる。だから治安は良いのだが、実はその警官が一番タチが悪い。
以前、大佐に「ベラルーシは警官だらけだ」と言ったところ、「俺達を守ってるんだよ」という答が返ってきたことがあった。「本当にそう思ってるのか?」と問うと、彼は黙り込んだ。彼の沈黙が全てを物語っている。ベラルーシの警官は市民の安全を守るためにいるのではない。

綺麗な広場の周りに立ち並ぶのは、こんな刑務所みたいなビル。台無しです。

ハゲの圧政によって血塗られた教会。
ウソです。「聖シモン・聖エレーナ教会」というカソリックの教会です。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その11)
前回の続きです。
◆博物館でグロ写真
大祖国戦争史国立博物館にやって来た。どんなものがあるか、見てみよう。
キエフの大祖国戦争博物館と同様、ここでも時系列に従って展示物が並んでいる。キエフと比較すると兵器や銃の展示物が多いが、逆に資料はあまり充実してなくて、殆どが写真からおこしたパネル。
「たいしたもん無ぇなぁ〜」なんて思いながら見ていたところ、ナチスの将校がパルチザンを処刑している写真が平気で展示してあって驚く。とっ捕まえたパルチザンの首に縄をかけて次々と処刑していくのだ。女性だろうがおかまいなしで、処刑した後は見せしめとして吊るしておく。うーむ・・・凄い。結構グロいので写真は貼りませんよ。しかし、子どもも見に来るだろうに、こんな写真を展示しておいていいのか?
ベラルーシはパルチザン活動が活発な土地だったので、その分ナチスの統治も苛烈なものとなり、約200万人が死んだと言われている。単純計算で4人に1人が死んでいることになる。

左:独ソ戦当時のソ連首脳陣。スターリン、モロトフ、カガノヴィッチ・・・悪党が勢揃いです。
右:その悪党に振り回された将軍様達。ティモシェンコ、ジューコフ、ブジョーンヌイ等々。

1937年式40mm対戦車砲。パンターやティーガーには効きません。

1941年のレーニン広場。ドイツ統治下なのでレーニン像が倒されて台座のみ残っています。
後ろにある巨大な政府のビルはこの当時からあったのですね。
最後に何故かピョートル・マシェロフ(元ベラルーシ共産党第一書記)に関する展示物があった。1970年代に活躍した政治家なので、第二次世界大戦は関係ないはずだが・・・?
マシェロフはベラルーシで「グラスノスチ(情報公開)」の先駆けのようなことをした人で、人民からの人気が高かったらしい。ブレジネフの後継者のひとりと言われていたが、1978年に交通事故で死んでいる。KGBの関与が疑われているところが、とってもソ連。
特に珍しいものは無かったが、結構面白かった。300円でこれだけ楽しめれば十分。
◆勝利広場で敗北感を噛み締める
大祖国戦争史国立博物館から独立通りに沿って北へ向かうとスヴィスラチ川があり、その両岸には公園が広がっている。公園へ入ると、噴水で男の子がいたずらしているのが見えた。その子は水の噴き出し口をふさいで右に左に水を飛ばして遊んでいた。
横に立ってその様子を眺めていると、男の子はこちらに攻撃を仕掛けてきたので応戦する。うりゃー!
5分間ほど男の子と噴水バトルを繰り広げるが、男の子はびしょ濡れになることをまるで厭ず、戦意喪失したにゃおんちゃんがギブアップ。ふと辺りを見渡すと、いつの間にか数名のギャラリーがいて我々の熱い戦いを見ていた。見せもんじゃねーぞっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!
「ムキーッ!」と叫びながら逃亡するにゃおんちゃん。ニヤニヤ笑うギャラリーの女の子達。

噴水にいたずらする男の子。猫は水が苦手なのだ!
公園を抜けて独立通りに戻ると、スヴィスラチ川に掛かる橋のたもとに「第1回会議場博物館」を見つけた。1898年にここでロシア社会民主労働党(ソビエト共産党の前身)の結党大会が開かれたそうな。博物館なんて言っても、木造の小さな家なんですけどね。
ロシア社会民主労働党はロシア初のマルクス主義政党だが、結党直後からボリシェヴィキとメンシェヴィキの二派に分かれて対立していたので、党としての活動実績なんざ殆ど何も無い。そもそも、ここで開かれた第1回会議の時点から対立が激しく、党の綱領すら決められなかったのだ。参加者はたった9名だったというのに。
ソビエト共産党の前身はボリシェヴィキであって、ロシア社会民主労働党だなんて思ってる人は殆どいないと思うのだが、この小さな家は今でも大事に保存されている。
にゃおんちゃんはそんな木っ端政党に興味無いので、見学はおろか写真すら撮らなかった。
※1916年の2月革命によってロシア帝国が倒れると、ロシアには臨時政府が樹立された。その頃のボリシェヴィキは少数派だったが、クーデター(10月革命)を起こして実権を掌握。その後のロシア内戦、ポーランド・ソビエト戦争を乗り切って1922年に「ソビエト社会主義共和国連邦」を建国した。
ボリシェヴィキ:レーニン率いる共産主義左派
メンシェヴィキ:ブレハーノフ率いる社会主義右派
橋を渡ってスヴィスラチ川の北側に行くと、ロータリーの真ん中に独ソ戦の勝利を記念する塔が建っている。勝利広場だ。
塔の手前には戦死した兵士を追悼する炎が絶えず燃やされている。ガスを使っているようで、ゴーッと凄い音がする。道路に囲まれたロータリーの真ん中にあるので地下道を通って広場へ行くのだが、そこにもオブジェがある。
「大祖国戦争」などと銘打って総力戦をやっただけあって、ソ連政府にとって独ソ戦の勝利は自らの正統性を示す大事なものらしく、どこの都市に行ってもそれを記念する博物館や広場がある。
悪党のくせに!悪党のくせに!
悔しい・・・。今度やるときは絶対にイタ公抜きでやろうね、ドイツの皆さん。

ミンスクの勝利広場。
《つづく》
◆博物館でグロ写真
大祖国戦争史国立博物館にやって来た。どんなものがあるか、見てみよう。
キエフの大祖国戦争博物館と同様、ここでも時系列に従って展示物が並んでいる。キエフと比較すると兵器や銃の展示物が多いが、逆に資料はあまり充実してなくて、殆どが写真からおこしたパネル。
「たいしたもん無ぇなぁ〜」なんて思いながら見ていたところ、ナチスの将校がパルチザンを処刑している写真が平気で展示してあって驚く。とっ捕まえたパルチザンの首に縄をかけて次々と処刑していくのだ。女性だろうがおかまいなしで、処刑した後は見せしめとして吊るしておく。うーむ・・・凄い。結構グロいので写真は貼りませんよ。しかし、子どもも見に来るだろうに、こんな写真を展示しておいていいのか?
ベラルーシはパルチザン活動が活発な土地だったので、その分ナチスの統治も苛烈なものとなり、約200万人が死んだと言われている。単純計算で4人に1人が死んでいることになる。

左:独ソ戦当時のソ連首脳陣。スターリン、モロトフ、カガノヴィッチ・・・悪党が勢揃いです。
右:その悪党に振り回された将軍様達。ティモシェンコ、ジューコフ、ブジョーンヌイ等々。

1937年式40mm対戦車砲。パンターやティーガーには効きません。

1941年のレーニン広場。ドイツ統治下なのでレーニン像が倒されて台座のみ残っています。
後ろにある巨大な政府のビルはこの当時からあったのですね。
最後に何故かピョートル・マシェロフ(元ベラルーシ共産党第一書記)に関する展示物があった。1970年代に活躍した政治家なので、第二次世界大戦は関係ないはずだが・・・?
マシェロフはベラルーシで「グラスノスチ(情報公開)」の先駆けのようなことをした人で、人民からの人気が高かったらしい。ブレジネフの後継者のひとりと言われていたが、1978年に交通事故で死んでいる。KGBの関与が疑われているところが、とってもソ連。
特に珍しいものは無かったが、結構面白かった。300円でこれだけ楽しめれば十分。
◆勝利広場で敗北感を噛み締める
大祖国戦争史国立博物館から独立通りに沿って北へ向かうとスヴィスラチ川があり、その両岸には公園が広がっている。公園へ入ると、噴水で男の子がいたずらしているのが見えた。その子は水の噴き出し口をふさいで右に左に水を飛ばして遊んでいた。
横に立ってその様子を眺めていると、男の子はこちらに攻撃を仕掛けてきたので応戦する。うりゃー!
5分間ほど男の子と噴水バトルを繰り広げるが、男の子はびしょ濡れになることをまるで厭ず、戦意喪失したにゃおんちゃんがギブアップ。ふと辺りを見渡すと、いつの間にか数名のギャラリーがいて我々の熱い戦いを見ていた。見せもんじゃねーぞっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!
「ムキーッ!」と叫びながら逃亡するにゃおんちゃん。ニヤニヤ笑うギャラリーの女の子達。

噴水にいたずらする男の子。猫は水が苦手なのだ!
公園を抜けて独立通りに戻ると、スヴィスラチ川に掛かる橋のたもとに「第1回会議場博物館」を見つけた。1898年にここでロシア社会民主労働党(ソビエト共産党の前身)の結党大会が開かれたそうな。博物館なんて言っても、木造の小さな家なんですけどね。
ロシア社会民主労働党はロシア初のマルクス主義政党だが、結党直後からボリシェヴィキとメンシェヴィキの二派に分かれて対立していたので、党としての活動実績なんざ殆ど何も無い。そもそも、ここで開かれた第1回会議の時点から対立が激しく、党の綱領すら決められなかったのだ。参加者はたった9名だったというのに。
ソビエト共産党の前身はボリシェヴィキであって、ロシア社会民主労働党だなんて思ってる人は殆どいないと思うのだが、この小さな家は今でも大事に保存されている。
にゃおんちゃんはそんな木っ端政党に興味無いので、見学はおろか写真すら撮らなかった。
※1916年の2月革命によってロシア帝国が倒れると、ロシアには臨時政府が樹立された。その頃のボリシェヴィキは少数派だったが、クーデター(10月革命)を起こして実権を掌握。その後のロシア内戦、ポーランド・ソビエト戦争を乗り切って1922年に「ソビエト社会主義共和国連邦」を建国した。
ボリシェヴィキ:レーニン率いる共産主義左派
メンシェヴィキ:ブレハーノフ率いる社会主義右派
橋を渡ってスヴィスラチ川の北側に行くと、ロータリーの真ん中に独ソ戦の勝利を記念する塔が建っている。勝利広場だ。
塔の手前には戦死した兵士を追悼する炎が絶えず燃やされている。ガスを使っているようで、ゴーッと凄い音がする。道路に囲まれたロータリーの真ん中にあるので地下道を通って広場へ行くのだが、そこにもオブジェがある。
「大祖国戦争」などと銘打って総力戦をやっただけあって、ソ連政府にとって独ソ戦の勝利は自らの正統性を示す大事なものらしく、どこの都市に行ってもそれを記念する博物館や広場がある。
悪党のくせに!悪党のくせに!
悔しい・・・。今度やるときは絶対にイタ公抜きでやろうね、ドイツの皆さん。

ミンスクの勝利広場。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その10)
前回の続きです。
◆ソビエト連邦英雄都市ミンスク
レギストラーツィアをし損ねたにゃおんちゃんだが、この日は天気が良かったので散歩することにした。どこに行こうか?よし、英雄都市記念碑を見に行くことにしよう。
第二次世界大戦終結後、ソ連政府はドイツとの戦争で激しい戦場となった12の都市に対して「英雄都市」の称号を与えている。例えば、全滅するまで要塞に立てこもって抵抗を続けたブレスト(ベラルーシ)、焼け野原になるまで砲撃されたにも関わらずトーチカに立てこもって抵抗したセヴァストポリ(ウクライナ)、ドイツ軍に包囲されて飢餓地獄に陥りながらも耐え抜いたレニングラード(現サンクト・ペテルブルク:ロシア)、レンドリースの荷揚げ基地として戦争遂行を支えたムルマンスク(ロシア)など。
ミンスクも瓦礫の山になるまで戦い続けた都市なので、この英雄都市の称号が授与されている。その記念碑が日本大使館の入っているビルの向かいにある。3年前に泊まったホテルの窓からチラッと見えたが、風邪をひいて熱があったので見学に行かなかったのだ。
現在位置であるフルンゼスカヤ駅からそう遠くないので行ってみることにした。
この辺りは中心街から少し外れたところだが、街の印象は中心街と変わらない。スターリン様式のゴツいビルと、1970〜80年代に建てられた(当時としてはモダンな)ヘンテコな形をしたビルが立ち並び、空いているスペースは緑地帯や公園になっている。そして道路はやたら広くて真っ直ぐ。道路が狭くて建物が密集してる日本の都市とは全く対照的。
ミンスクは独ソ戦で焼け野原になった後、都市計画に基づいて復興した都市なので、全体的にスペースに余裕があり、そしてこれでもかというくらい緑地帯と公園がある。こんなに公園だらけじゃ維持費もバカにならんと思うが、そのへんは人件費の安い国だから人海戦術で何とかなるのだろう。

こんな感じで公園や緑地帯がたくさんあり、天気の良い日に散歩すると気持ちいいです。
そんなことを考えながら30分ほど歩くと、英雄都市記念碑がある公園に到着。きれい整備された公園の真ん中に丘があり、その上にコンクリート製の巨大なモニュメントがそびえ立っている。
3週間ほど前にこの公園でルカシェンコ大統領も出席して独立記念式典が行われたのだが、その際に爆弾テロ事件が起こっている。当局の発表によれば、死者はいないものの負傷者37名。犯行声明は無く犯人も未だ捕まっていないため、動機や目的は不明。ルカシェンコ本人は「ワシを狙ったものではない。独立記念日という祝日を気に入らない奴の嫌がらせじゃ」と言っている。閣下、なんでそんなに余裕なんすか?
まぁ、3週間も前の話なのでその痕跡は全く無い。あるのは草木、いるのは花壇を手入れしているおばちゃんのみ。実に平和である。
強い日差しを避け、小鳥のさえずりを聞きながら木陰で休む。見上げるとりんごの実が成っているのを発見。食べられるような代物じゃないけど、見ているだけでほのぼのした気分になる。圧政国家にいるのを忘れそうになるくらいマターリした時間を過ごす。

小さな丘の上にポツンと立ってます。人がいるのを見たことがありません。
◆大祖国戦争史国立博物館にて
ひと休みした後、バスに乗ってクパラウスカヤ駅まで移動。独立通り(旧フランチェスカ・スカリナ通り)とレーニン通りが交差するところなので、ミンスク市内でも比較的賑やかなところ。2006年の大統領選の際に野党勢力が集まってルカシェンコに対する抗議デモを行った「10月広場」が近くにある。ちなみに、デモ隊は治安部隊に蹴散らされている。さすが圧政国家。
時間は15時。お腹が空いたので通りに面したカフェテリアに入り、遅い昼食を食べる。
ご飯を食べながら道行く人々を眺めてみる。前回来たときは「ここは美人しかいない国か?ブスは強制収容所に送られているのか?」と思ったほど美人だらけで腰を抜かした記憶があるが、よーく見るとそんなことは無い。
それから、あの時は道行く人がまるでゾンビのように覇気が無く「ああ、やっぱり圧政国家・・・」と思ったが、今回はそんなことも無く大都市らしい活気が感じられる。2度目にウクライナに行ったときも同じことを感じたのだが、それはウクライナの景気が良いからだと思っていた。しかし、ここベラルーシでも同じことを感じるとは・・・にゃおんちゃんの感覚がソ連仕様になりつつあるのだろうか。
そんなことを考えて苦悶していると、激しい雨が降り出して途方に暮れる。うーむ、これではどこにも行けない。よし、とりあえず近くの博物館に避難しよう。
というわけで、雨の中を走って「大祖国戦争史国立博物館」へ。入場料は写真撮影代も合わせて6,000〜7,000BYR(ベラルーシ・ルーブル)程度だったと思う。日本円で300〜350円程度。どっちにしてもたいした額ではない。

お役所みたいな建物ですが、大祖国戦争史国立博物館です。
中に入るとロビーの正面にジューコフ将軍の銅像が鎮座していた。独ソ戦で活躍した将軍は彼だけではないが、日本で山本五十六が特別扱いされるように、ジューコフは別格なのだろう。
展示室の入口に男性数人のグループがおり、職員のおばちゃんと何やら英語で会話している。外国人グループは「オーストリアから来た」と答えている。職員のおばちゃんは殆どお婆ちゃんと言ってもいい年齢の人だが、流暢な英語を喋っている。「ソ連の教育を受けて英語が達者な人=KGBのスパイ」という妄想の激しい私はビビる。
※ゲオルギー・ジューコフ
ノモンハン事件、レニングラード包囲戦、モスクワ攻防戦、スターリングラードの戦い、ベルリン攻防戦などで活躍し、「ジューコフのいるところに赤軍の勝利あり」と言われたほどの名将。
あまりに活躍しすぎたせいでスターリンに疎まれて左遷されるが、スターリンの死後は軍部の重鎮としてフルシチョフを支え、政治局員や国防相となった。
ジューコフ将軍像の周りをウロウロしていると、おばちゃんは私にも声を掛けてきた。
「あなたはどこから来たの?」
「日本です」
「あらまぁ(と言って笑う)」
ああ、敗戦国民が立て続けにやって来たから?ちくしょう・・・。
オーストリア人のひとりがこっちを見ているので、「俺達、敗者だからね」と言うと、彼はムッとした顔して行ってしまった。「俺達はオーストリア人でドイツ人じゃねーよ!」ってかぁ?
オーストリア人達がガラスケースに入った白い防寒服を見ていると、おばちゃんは「それはフィンランド軍のものよ」と一言。
(・∀・) フィンランド軍!マンセー!
にゃおんちゃんの反応を見たおばちゃんは、「これはマンネルヘイム元帥よ」と言いながら写真を指差す。おぉ!マンネルヘイム閣下!
しかし、オーストリア人はまるで反応が無く、おばちゃんは「知っているのはあなただけみたいね」と少しショゲている。
「あなた、赤軍の将軍も知ってる?」
「有名な人だけなら (と言って数人の名前を挙げる)」
「あら、たくさん知ってるじゃないの」
「あの、トハチェフスキー元帥の資料はここにありますか?」
「無いわね。彼は早くに粛清されちゃったから、資料は無いわよ」
「(´・ェ・`) そうですか・・・」
※カール・グスタフ・マンネルヘイム
フィンランド内戦や冬戦争で活躍した救国の英雄。ジューコフ(ソ連)、マンシュタイン(ドイツ)、アイゼンハワー(アメリカ)、モントゴメリー(イギリス)などと並ぶ名将だが、小国出身のせいか知名度が低い。
後に大統領として連合国との単独講和も成立させており、政治家としての手腕も高い。
※ミハイル・トハチェフスキー
ロシア内戦やポーランド・ソビエト戦争で活躍し、「赤軍の至宝」と呼ばれた指揮官。ソ連軍の基本ドクトリン「縦深戦術」の生みの親だが、スターリンに警戒されて1937年に粛清された。ドイツは彼を非常に警戒しており、失脚させるべく工作活動を行っていたほど。
彼の生み出した縦深戦術はジューコフやヴァシレフスキーが受け継ぎ、独ソ戦後半に完成する。

左:ジューコフ元帥の銅像。
右:フィンランド軍の防寒服。マンネルヘイム元帥やティモシェンコ元帥の写真も見える。
《つづく》
◆ソビエト連邦英雄都市ミンスク
レギストラーツィアをし損ねたにゃおんちゃんだが、この日は天気が良かったので散歩することにした。どこに行こうか?よし、英雄都市記念碑を見に行くことにしよう。
第二次世界大戦終結後、ソ連政府はドイツとの戦争で激しい戦場となった12の都市に対して「英雄都市」の称号を与えている。例えば、全滅するまで要塞に立てこもって抵抗を続けたブレスト(ベラルーシ)、焼け野原になるまで砲撃されたにも関わらずトーチカに立てこもって抵抗したセヴァストポリ(ウクライナ)、ドイツ軍に包囲されて飢餓地獄に陥りながらも耐え抜いたレニングラード(現サンクト・ペテルブルク:ロシア)、レンドリースの荷揚げ基地として戦争遂行を支えたムルマンスク(ロシア)など。
ミンスクも瓦礫の山になるまで戦い続けた都市なので、この英雄都市の称号が授与されている。その記念碑が日本大使館の入っているビルの向かいにある。3年前に泊まったホテルの窓からチラッと見えたが、風邪をひいて熱があったので見学に行かなかったのだ。
現在位置であるフルンゼスカヤ駅からそう遠くないので行ってみることにした。
この辺りは中心街から少し外れたところだが、街の印象は中心街と変わらない。スターリン様式のゴツいビルと、1970〜80年代に建てられた(当時としてはモダンな)ヘンテコな形をしたビルが立ち並び、空いているスペースは緑地帯や公園になっている。そして道路はやたら広くて真っ直ぐ。道路が狭くて建物が密集してる日本の都市とは全く対照的。
ミンスクは独ソ戦で焼け野原になった後、都市計画に基づいて復興した都市なので、全体的にスペースに余裕があり、そしてこれでもかというくらい緑地帯と公園がある。こんなに公園だらけじゃ維持費もバカにならんと思うが、そのへんは人件費の安い国だから人海戦術で何とかなるのだろう。

こんな感じで公園や緑地帯がたくさんあり、天気の良い日に散歩すると気持ちいいです。
そんなことを考えながら30分ほど歩くと、英雄都市記念碑がある公園に到着。きれい整備された公園の真ん中に丘があり、その上にコンクリート製の巨大なモニュメントがそびえ立っている。
3週間ほど前にこの公園でルカシェンコ大統領も出席して独立記念式典が行われたのだが、その際に爆弾テロ事件が起こっている。当局の発表によれば、死者はいないものの負傷者37名。犯行声明は無く犯人も未だ捕まっていないため、動機や目的は不明。ルカシェンコ本人は「ワシを狙ったものではない。独立記念日という祝日を気に入らない奴の嫌がらせじゃ」と言っている。閣下、なんでそんなに余裕なんすか?
まぁ、3週間も前の話なのでその痕跡は全く無い。あるのは草木、いるのは花壇を手入れしているおばちゃんのみ。実に平和である。
強い日差しを避け、小鳥のさえずりを聞きながら木陰で休む。見上げるとりんごの実が成っているのを発見。食べられるような代物じゃないけど、見ているだけでほのぼのした気分になる。圧政国家にいるのを忘れそうになるくらいマターリした時間を過ごす。

小さな丘の上にポツンと立ってます。人がいるのを見たことがありません。
◆大祖国戦争史国立博物館にて
ひと休みした後、バスに乗ってクパラウスカヤ駅まで移動。独立通り(旧フランチェスカ・スカリナ通り)とレーニン通りが交差するところなので、ミンスク市内でも比較的賑やかなところ。2006年の大統領選の際に野党勢力が集まってルカシェンコに対する抗議デモを行った「10月広場」が近くにある。ちなみに、デモ隊は治安部隊に蹴散らされている。さすが圧政国家。
時間は15時。お腹が空いたので通りに面したカフェテリアに入り、遅い昼食を食べる。
ご飯を食べながら道行く人々を眺めてみる。前回来たときは「ここは美人しかいない国か?ブスは強制収容所に送られているのか?」と思ったほど美人だらけで腰を抜かした記憶があるが、よーく見るとそんなことは無い。
それから、あの時は道行く人がまるでゾンビのように覇気が無く「ああ、やっぱり圧政国家・・・」と思ったが、今回はそんなことも無く大都市らしい活気が感じられる。2度目にウクライナに行ったときも同じことを感じたのだが、それはウクライナの景気が良いからだと思っていた。しかし、ここベラルーシでも同じことを感じるとは・・・にゃおんちゃんの感覚がソ連仕様になりつつあるのだろうか。
そんなことを考えて苦悶していると、激しい雨が降り出して途方に暮れる。うーむ、これではどこにも行けない。よし、とりあえず近くの博物館に避難しよう。
というわけで、雨の中を走って「大祖国戦争史国立博物館」へ。入場料は写真撮影代も合わせて6,000〜7,000BYR(ベラルーシ・ルーブル)程度だったと思う。日本円で300〜350円程度。どっちにしてもたいした額ではない。

お役所みたいな建物ですが、大祖国戦争史国立博物館です。
中に入るとロビーの正面にジューコフ将軍の銅像が鎮座していた。独ソ戦で活躍した将軍は彼だけではないが、日本で山本五十六が特別扱いされるように、ジューコフは別格なのだろう。
展示室の入口に男性数人のグループがおり、職員のおばちゃんと何やら英語で会話している。外国人グループは「オーストリアから来た」と答えている。職員のおばちゃんは殆どお婆ちゃんと言ってもいい年齢の人だが、流暢な英語を喋っている。「ソ連の教育を受けて英語が達者な人=KGBのスパイ」という妄想の激しい私はビビる。
※ゲオルギー・ジューコフ
ノモンハン事件、レニングラード包囲戦、モスクワ攻防戦、スターリングラードの戦い、ベルリン攻防戦などで活躍し、「ジューコフのいるところに赤軍の勝利あり」と言われたほどの名将。
あまりに活躍しすぎたせいでスターリンに疎まれて左遷されるが、スターリンの死後は軍部の重鎮としてフルシチョフを支え、政治局員や国防相となった。
ジューコフ将軍像の周りをウロウロしていると、おばちゃんは私にも声を掛けてきた。
「あなたはどこから来たの?」
「日本です」
「あらまぁ(と言って笑う)」
ああ、敗戦国民が立て続けにやって来たから?ちくしょう・・・。
オーストリア人のひとりがこっちを見ているので、「俺達、敗者だからね」と言うと、彼はムッとした顔して行ってしまった。「俺達はオーストリア人でドイツ人じゃねーよ!」ってかぁ?
オーストリア人達がガラスケースに入った白い防寒服を見ていると、おばちゃんは「それはフィンランド軍のものよ」と一言。
(・∀・) フィンランド軍!マンセー!
にゃおんちゃんの反応を見たおばちゃんは、「これはマンネルヘイム元帥よ」と言いながら写真を指差す。おぉ!マンネルヘイム閣下!
しかし、オーストリア人はまるで反応が無く、おばちゃんは「知っているのはあなただけみたいね」と少しショゲている。
「あなた、赤軍の将軍も知ってる?」
「有名な人だけなら (と言って数人の名前を挙げる)」
「あら、たくさん知ってるじゃないの」
「あの、トハチェフスキー元帥の資料はここにありますか?」
「無いわね。彼は早くに粛清されちゃったから、資料は無いわよ」
「(´・ェ・`) そうですか・・・」
※カール・グスタフ・マンネルヘイム
フィンランド内戦や冬戦争で活躍した救国の英雄。ジューコフ(ソ連)、マンシュタイン(ドイツ)、アイゼンハワー(アメリカ)、モントゴメリー(イギリス)などと並ぶ名将だが、小国出身のせいか知名度が低い。
後に大統領として連合国との単独講和も成立させており、政治家としての手腕も高い。
※ミハイル・トハチェフスキー
ロシア内戦やポーランド・ソビエト戦争で活躍し、「赤軍の至宝」と呼ばれた指揮官。ソ連軍の基本ドクトリン「縦深戦術」の生みの親だが、スターリンに警戒されて1937年に粛清された。ドイツは彼を非常に警戒しており、失脚させるべく工作活動を行っていたほど。
彼の生み出した縦深戦術はジューコフやヴァシレフスキーが受け継ぎ、独ソ戦後半に完成する。

左:ジューコフ元帥の銅像。
右:フィンランド軍の防寒服。マンネルヘイム元帥やティモシェンコ元帥の写真も見える。
《つづく》
2008ベラルーシ・ウクライナ旅行記(その9)
前回の続きです。
◆オヴィールにおびえーるにゃおん氏
初日、2日目と移動だけで終わってしまったので、今日から本格的な旅が始まる。
昨夜はシャシリクを食べた後、夜遊びにも行かずおとなしく部屋に戻り23時半に就寝。
ところが、起きると10時近くでパニクる。大佐にオヴィール(警察署内にある外国人登録所)に連れて行ってくれるよう頼んでおり、彼が9時に迎えに来る約束だったのに、寝坊してすっぽかしてしまった。よっぽど疲れていたんだねぇ・・・。圧政国家の官憲相手にナメた態度をとっていた私だが、やっぱり緊張していたのだろうか?
恐る恐る電話すると大佐は怒ってはいなかったが、「俺はこれから仕事だから、今日は無理」と言われてしまった。今日は一人でミンスク観光だなぁ・・・と思いながら出かける準備をしていると、大佐から「妹がお前を迎えに行く」という連絡が。
ありがたやー、ありがたやー。何から何まですまん、大佐。
※ベラルーシでは全ての外国人は入国後72時間以内に「レギストラーツィア(滞在登録)」を行う必要があります。オヴィールへ行って「私こと○○は△月×日から□日まで◎◎に滞在しています」という登録をしなくてはなりません。当局のあずかり知らぬところで外国人にウロウロされるのが嫌、という共産主義時代の名残であり、ロシアやベラルーシなどでは未だにこんな面倒な制度が残っているのです。
ホテルに泊まった場合はホテルが代行してくれるのですが、にゃおんちゃんのように民泊している場合は自分で警察へ行かなくてはなりません。これを怠ると、街角で警官にパスポートチェックを食らった際に付け込まれて賄賂をたかられる羽目になります。バルト三国を除く旧ソ連諸国は難癖つけて金をむしろうとするクソ警官が多いので、運が悪いとちゃんと手続きしていても絡まれますけどね。
30分後、呼び鈴が鳴る。エントランスまで行き扉を開ける(あっちの高層アパートは殆どがインチキ・オートロックなので、エントランスまで開けにいかないといけない)と、そこには大佐に全然似てない可愛らしい女の子が立っていた。
「あ、あなたがにゃおんちゃんね?私、マリナ。大佐の妹よ」
マリナは大佐が怪しい日本人とメールやらチャットやらでやりとりしていることを知っており、「お兄ちゃんからあなたのことを色々聞いている」と言う。大佐、変なこと言ってないだろうな?
マリナは20歳の大学生だが、運転免許もマイカーも持っている。彼女の愛車はボロボロのマツダ323(ファミリア)で、価格を聞くと30万円。必死にバイトして貯めた金で買ったと言うが、日本人の私の感覚だと逆に処分代を要求したくなるような廃車同然の代物・・・。
さて、オヴィールがどこにあるか分からないので、まずは日本大使館へ行って場所を確認しなければならない。大使館の場所は知っている。以前に宿泊したユビレイーナヤ・ホテルの向かいにある。
マリナの運転で大使館へ向かうが・・・免許取り立てらしく非常に危なっかしい。しかし、「俺が運転するから、お前はそこをどけ!」とも言えず、ヒヤヒヤしながら移動する。街中の景色なんか見る余裕まるで無し。どこをどう走ったかも覚えちゃいない。
綱渡りのようなヒヤヒヤした30分を過ごした後、何とか大使館へ到着。疲れた・・・もう疲れた。
大使館はユビレイーナヤ・ホテルから道路を渡った西側にある大きなビル(エンターテイメント施設らしい)の一室にある。入口に「日本国大使館」と書いてある小さな看板があり、マリナはそこに描かれている菊の御門を見て「これはサクラ?」と尋ねてくる。彼女は桜がどんな花かよく知らないが、桜が日本人にとって特別な花であることは知っていた。どこで知ったのだろう?
大使館へ行き要件を話すと、領事部の若い男性職員はすぐに場所を調べ、地図のコピーまでくれて親切に対応してくれた。しかも、最後に「お気をつけて」と声を掛けてくれるなど、とっても丁重な対応。
お気をつけて・・・。
オヴィールってそんなに恐ろしい場所なんですか? (((( ;゚Д゚)))
薄暗い取調室で鬼警官に取り囲まれて尋問を受ける光景を想像し、震えあがる小心者のにゃおんちゃん。

大使館が入っているビルの玄関にひっそりと掲げられていた看板。
菊の御門と「日本国」という文字を見た瞬間、何故か少しだけホッとしました。
◆ソビエト・テーマパーク
にゃおんちゃんの部屋がある地区を管轄するオヴィールは幸いなことに大使館から近く、20分ほどで到着。マリナの危ない運転には長時間耐えられそうもないので、非常に助かった。
しかし、どういう訳かオヴィールは扉が閉まっていて中に入れない。正午少し前だったので昼休みなのかと思い、マリナと「昼飯でも食って時間つぶすか?」と話していると、おじさんがやって来て扉の前で悪態をつき始めた。「10時に来ても閉まっていた!11時に来ても閉まっていた!もう一度来てみたが、やっぱり閉まっていた!また明日来なくちゃいけない!バカみたいな制度だ!」と怒っている。
理由は分からないが、今日は手続きできないことが判明。仕方ない・・・メシでも食いに行くか。
マリナと二人で近くのレストランへ行き、「黒パンとヴァレニキ、ボルシチ」というとってもロシアな昼食を食べる。美味しそうにボルシチを飲むにゃおんちゃんを見たマリアは驚いている。
「あなた、ボルシチ好きなの?」
「うん」
「ロシア料理は平気?」
「うん、こっちに来ると毎日スタローヴァヤ(食堂)でメシ食ってるよ」
「(驚いた顔をして)まるでベラルーシ人みたい・・・」
私の味覚はソ連仕様ですか?
食事を終えるとマリナは用事があるので帰るとのこと。中心街へ行くなら送ってあげるという申し出があったが、これ以上寿命が縮まる思いをしたくないので、近くの地下鉄の駅まで送ってもらうことにする。
10分ほど走ったところで車を停めたマリナは交差点を指差し、「あそこが駅よ。フルンゼスカヤ駅」と言う。
フルンゼ・・・
一瞬絶句するにゃおんちゃんだが、マリナは私に何も言う間を与えず去って行った。
※ミハイル・フルンゼ。ボリシェヴィキの重鎮にして、ロシア内戦で赤軍を率いて活躍した野戦指揮官。レーニン死後、スターリンと対決するが1925年に病死している。
ここはベラルーシ。「社会主義市場経済」を掲げ、変革に背を向けるこの国では、ソ連は「否定すべき過去」ではない。レーニンやらフルンゼやらキーロフといったボリシェヴィキの連中の名前がついた道路や建物が未だにゴロゴロしている。さすがにスターリンとトロツキーは無いが。
うーむ、さすが「ロシア以上にソ連が残っている国」とか「ソビエト・テーマパーク」と言われるだけのことはある。
さて、それじゃこの「ソ連な国」で何をして過ごそうか。

「レーニン通り」と書いてある表示。
街の真ん中にあり、この周辺だけは綺麗に整備されていてピカピカです。
《つづく》
◆オヴィールにおびえーるにゃおん氏
初日、2日目と移動だけで終わってしまったので、今日から本格的な旅が始まる。
昨夜はシャシリクを食べた後、夜遊びにも行かずおとなしく部屋に戻り23時半に就寝。
ところが、起きると10時近くでパニクる。大佐にオヴィール(警察署内にある外国人登録所)に連れて行ってくれるよう頼んでおり、彼が9時に迎えに来る約束だったのに、寝坊してすっぽかしてしまった。よっぽど疲れていたんだねぇ・・・。圧政国家の官憲相手にナメた態度をとっていた私だが、やっぱり緊張していたのだろうか?
恐る恐る電話すると大佐は怒ってはいなかったが、「俺はこれから仕事だから、今日は無理」と言われてしまった。今日は一人でミンスク観光だなぁ・・・と思いながら出かける準備をしていると、大佐から「妹がお前を迎えに行く」という連絡が。
ありがたやー、ありがたやー。何から何まですまん、大佐。
※ベラルーシでは全ての外国人は入国後72時間以内に「レギストラーツィア(滞在登録)」を行う必要があります。オヴィールへ行って「私こと○○は△月×日から□日まで◎◎に滞在しています」という登録をしなくてはなりません。当局のあずかり知らぬところで外国人にウロウロされるのが嫌、という共産主義時代の名残であり、ロシアやベラルーシなどでは未だにこんな面倒な制度が残っているのです。
ホテルに泊まった場合はホテルが代行してくれるのですが、にゃおんちゃんのように民泊している場合は自分で警察へ行かなくてはなりません。これを怠ると、街角で警官にパスポートチェックを食らった際に付け込まれて賄賂をたかられる羽目になります。バルト三国を除く旧ソ連諸国は難癖つけて金をむしろうとするクソ警官が多いので、運が悪いとちゃんと手続きしていても絡まれますけどね。
30分後、呼び鈴が鳴る。エントランスまで行き扉を開ける(あっちの高層アパートは殆どがインチキ・オートロックなので、エントランスまで開けにいかないといけない)と、そこには大佐に全然似てない可愛らしい女の子が立っていた。
「あ、あなたがにゃおんちゃんね?私、マリナ。大佐の妹よ」
マリナは大佐が怪しい日本人とメールやらチャットやらでやりとりしていることを知っており、「お兄ちゃんからあなたのことを色々聞いている」と言う。大佐、変なこと言ってないだろうな?
マリナは20歳の大学生だが、運転免許もマイカーも持っている。彼女の愛車はボロボロのマツダ323(ファミリア)で、価格を聞くと30万円。必死にバイトして貯めた金で買ったと言うが、日本人の私の感覚だと逆に処分代を要求したくなるような廃車同然の代物・・・。
さて、オヴィールがどこにあるか分からないので、まずは日本大使館へ行って場所を確認しなければならない。大使館の場所は知っている。以前に宿泊したユビレイーナヤ・ホテルの向かいにある。
マリナの運転で大使館へ向かうが・・・免許取り立てらしく非常に危なっかしい。しかし、「俺が運転するから、お前はそこをどけ!」とも言えず、ヒヤヒヤしながら移動する。街中の景色なんか見る余裕まるで無し。どこをどう走ったかも覚えちゃいない。
綱渡りのようなヒヤヒヤした30分を過ごした後、何とか大使館へ到着。疲れた・・・もう疲れた。
大使館はユビレイーナヤ・ホテルから道路を渡った西側にある大きなビル(エンターテイメント施設らしい)の一室にある。入口に「日本国大使館」と書いてある小さな看板があり、マリナはそこに描かれている菊の御門を見て「これはサクラ?」と尋ねてくる。彼女は桜がどんな花かよく知らないが、桜が日本人にとって特別な花であることは知っていた。どこで知ったのだろう?
大使館へ行き要件を話すと、領事部の若い男性職員はすぐに場所を調べ、地図のコピーまでくれて親切に対応してくれた。しかも、最後に「お気をつけて」と声を掛けてくれるなど、とっても丁重な対応。
お気をつけて・・・。
オヴィールってそんなに恐ろしい場所なんですか? (((( ;゚Д゚)))
薄暗い取調室で鬼警官に取り囲まれて尋問を受ける光景を想像し、震えあがる小心者のにゃおんちゃん。

大使館が入っているビルの玄関にひっそりと掲げられていた看板。
菊の御門と「日本国」という文字を見た瞬間、何故か少しだけホッとしました。
◆ソビエト・テーマパーク
にゃおんちゃんの部屋がある地区を管轄するオヴィールは幸いなことに大使館から近く、20分ほどで到着。マリナの危ない運転には長時間耐えられそうもないので、非常に助かった。
しかし、どういう訳かオヴィールは扉が閉まっていて中に入れない。正午少し前だったので昼休みなのかと思い、マリナと「昼飯でも食って時間つぶすか?」と話していると、おじさんがやって来て扉の前で悪態をつき始めた。「10時に来ても閉まっていた!11時に来ても閉まっていた!もう一度来てみたが、やっぱり閉まっていた!また明日来なくちゃいけない!バカみたいな制度だ!」と怒っている。
理由は分からないが、今日は手続きできないことが判明。仕方ない・・・メシでも食いに行くか。
マリナと二人で近くのレストランへ行き、「黒パンとヴァレニキ、ボルシチ」というとってもロシアな昼食を食べる。美味しそうにボルシチを飲むにゃおんちゃんを見たマリアは驚いている。
「あなた、ボルシチ好きなの?」
「うん」
「ロシア料理は平気?」
「うん、こっちに来ると毎日スタローヴァヤ(食堂)でメシ食ってるよ」
「(驚いた顔をして)まるでベラルーシ人みたい・・・」
私の味覚はソ連仕様ですか?
食事を終えるとマリナは用事があるので帰るとのこと。中心街へ行くなら送ってあげるという申し出があったが、これ以上寿命が縮まる思いをしたくないので、近くの地下鉄の駅まで送ってもらうことにする。
10分ほど走ったところで車を停めたマリナは交差点を指差し、「あそこが駅よ。フルンゼスカヤ駅」と言う。
フルンゼ・・・
一瞬絶句するにゃおんちゃんだが、マリナは私に何も言う間を与えず去って行った。
※ミハイル・フルンゼ。ボリシェヴィキの重鎮にして、ロシア内戦で赤軍を率いて活躍した野戦指揮官。レーニン死後、スターリンと対決するが1925年に病死している。
ここはベラルーシ。「社会主義市場経済」を掲げ、変革に背を向けるこの国では、ソ連は「否定すべき過去」ではない。レーニンやらフルンゼやらキーロフといったボリシェヴィキの連中の名前がついた道路や建物が未だにゴロゴロしている。さすがにスターリンとトロツキーは無いが。
うーむ、さすが「ロシア以上にソ連が残っている国」とか「ソビエト・テーマパーク」と言われるだけのことはある。
さて、それじゃこの「ソ連な国」で何をして過ごそうか。

「レーニン通り」と書いてある表示。
街の真ん中にあり、この周辺だけは綺麗に整備されていてピカピカです。
《つづく》







