2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その31)

◆ドニエプロペトロフスクにてトイレに監禁される

8月28日(火)
クリミアを去ったにゃおんちゃんは夜行列車に乗り、朝の6時30分にウクライナ東部の都市ドニエプロペトロフスクに到着。ウクライナ東部はソ連時代から東欧でも有数の工業都市で、元ソ連書記長レオニード・ブレジネフや前ウクライナ大統領レオニード・クチマを輩出した地域として知られている。両者ともロクデナシなところがナニだが、だからといってロクデナシばかりが住む地域ではあるまい・・・というか、そうではないことを願う。

列車を降りると・・・寒い!今まで灼熱地獄に苦しんでいたのに、一転してここは寒い!
夜行列車で同室だったおじさんが「街の中心部に行くなら連れて行ってやるぞ」と誘ってくれるが、こんなに寒くては着替える必要があるし、ポルタヴァへ行く列車の切符も買わなくてはならないので、丁重にお断りする。
モルドバを去る夜以来、ずっとTシャツ+半ズボンにサンダルという汚いバックパッカー姿で旅をしていたが、ここでやっとジーンズとブーツ着用に戻る。その際に駅前にあるショッピングモールのトイレで着替えをしたのだが、ここでアクシデント発生。
個室に入るとカギが壊れていることに気づいたのだが、深く考えずにカギを閉めた。着替えを終えてカギを開けようとすると・・・カギが開かない。

にゃおんちゃん、トイレに監禁される。

しばらく色々とやってみたものの、何をどうやっても開かない。カギのレバーを回しても空回りしているようでロックが解除されないのだ。仕方がないので扉をドンドン叩き、さらには「助けてー」と大声を出して人を呼ぶ羽目になった。やがて人が集まってきて、ドアの向こうでガヤガヤ話しているのが聞こえるが、何をやってもドアは開かない。
最後には蹴破ることも覚悟して、激しくドアを激しくゆすりながらレバーをガチャガチャやっていると、何かの拍子でロックが外れてやっとドアが開いた。

英語で「このドアのカギ、壊れてるよー」と言うが、集まってきた人たちは俺を見て「トイレから出られなくなったマヌケな旅行者」と思っているようで、散々笑われる羽目になった。無念じゃ、実に無念じゃー。侍なら腹をかっさばいて恥をそそぐのだろうか?
侍ではないにゃおんちゃんは顔を真っ赤にしてそそくさとその場を立ち去る。ちくしょー、何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に・・・。


駅へ戻り、ポルタヴァ行きの列車の切符を買おうとするが、窓口のおばちゃんに一言「無い!」と言われて終了。無いわけがないだろ!せめて、「次の列車は○時間後」くらい言えんのか、こら!とつたないロシア語でゴネていると、横にいた若い男性が「バスがある。バスターミナルは分かるか?」と言ってきた。
彼の名前はセルゲイ。妹がスーミに行く用事があるので、出勤前に二人で切符を買いに来たのだという。ああ、だからスーツ姿なのか。

彼らは「スーミに行く列車はあるのに、何でポルタヴァ行きは無いのだ!」と憤るにゃおんちゃんをなだめ、バスターミナルがどこにあるのか知らない俺を案内してくれることになった。ただし、セルゲイは出勤しなくてはいけないので、妹のタチアナが俺をバスターミナルまで連れて行ってくれるという。セルゲイに礼を言うと、どこから来たのか聞かれたので「ヤポン(日本)」と答える。「日本?随分遠くから来たなぁ・・・。日本は豊かでいい国だよな。あ、もう行かないと。それじゃな」と言い、彼は風のように去って行ってしまった。


ポツンと取り残された俺とタチアナ。彼女は殆ど英語が分からないので会話もままならないが、彼女は「私は学生なので今は夏休み。これから家に帰るけど、バスターミナルはその途中にあるから、別に気にしないでいいわよ」と言ってくれた。なんて親切な姉妹なのだ。。゜(゚´Д`゚)゜。
バスターミナルは駅前から(駅を背にして)右手の道を進むとすぐのところにあった。トラムを利用したのだが、ほんと一駅か二駅程度だった。右手に「アフトープス・バクザール」(ロシア語で"バスターミナル")と書いてある変な形の建物が見えてくるので、すぐに分かった。

ちなみに、ドニプロの駅前はY字型に道路が走っているのだが、駅から見て左手が中心街へ行く道で「カール・マルクス通り」。こんな名前の道路があるということは・・・この街にもレーニン像があるかもしれない。一方、右へ行く道路は「クルチャトフ通り」という。イーゴリ・クルチャトフ・・・ソ連の核開発を主導した有名な原子物理学者だ。タチアナに「イーゴリ・クルチャトフのことか?」と尋ねたが、「分からない。私、知らない」と言われて終了。クルチャトフはロシア人なんだけどねぇ・・・。

ドニエプロペトロフスクのバスターミナル
ドニエプロペトロフスクのバスターミナル。物凄く奇抜なデザインなので、すぐに分かる。



◆日本は「特定アジア」の一員ではありません

バスターミナルへ着くと、タチアナはポルタヴァ行きのバスの時刻を調べてくれた。時刻表を見ると次のバスは13時30分。5時間半待ちになるが、その間にドニプロの街でも見てくればいいや。
しかし、気を利かせた彼女が窓口で確認すると、9時30分にもあることが分かった。こっちのバスは時刻表がかなりいい加減で困る。さすがに鉄道ではこんなことはないのだが、ウクライナに限らずベラルーシやモルドヴァでも、窓口で確認したら時刻表に書いてあることと全然違うことを言われたことがある。
旧ソ連諸国を旅する皆様、「次のバスまで待ち時間がなげぇなぁ・・・」と思ったら、窓口にて確認することをお勧めします。

タチアナは9時30分にもバスがあることを告げると、「もう言ってもいいでしょ?じゃあね」と立ち去ろうとする。慌てて引きとめ、アントネスクにあげようと思って持参していたお土産をお礼に渡す。余り物で申し訳ないが、今のにゃおんちゃんにはこの程度のことしかできんのだ。とにかく、ありがとう。


さて、次のバスですぐにポルタヴァへ行くか、街を見てから午後のバスで移動するか悩むことに・・・。タバコを吸いながら3分ほど考えた結果、すぐにポルタヴァへ行くことにした。辺りにいた人に聞いて回ったところ、ノンストップの都市間バスではなく普通の路線バスなので、ポルタヴァまで3時間以上かかりそうなのだ。
午後に出発したら向こうに着くのは夕方になってしまうし、アンドレイさんにSMSを送ったところ、「ドニプロペトロフスクなんか工場ばっかりで面白いものなんか無いぞ」と返事が来たので、速やかに移動することにした。
切符は31UAH(約710円)。普通の路線バスにしては妙に高い。かなり遠いのだろうか・・・。

バスターミナルの売店でパンを食って時間をつぶす。これが、バスターミナルなんかで売ってるものはと思えないほど旨くて機嫌が良くなる。こっちのパンとお菓子は何気に旨い。2年前にキエフに一週間いた際にも毎日パンとお菓子を食いまくっていた。パンはともかく、お菓子は・・・だからこっちの女性はおばちゃんになるとスモウ・レスラーのような体型になるのだろうか。

バス乗り場へ行ったところ、その片隅に変なバンが停まっていることに気づいた。車に日中韓の国旗が描かれているのだ。何だこりゃ?何だか知らんが、シナチョンと一緒にされるのは嫌だなぁ・・・と思いながら下に書いてある文字を読む。
「АВТОЗАПЧАСТИ」(車のスペーアパーツのこと)と大きく書いてあり、その上にこの会社のHPだろうか?「WWW.JAPANCARSCLUB.COM」とURLが載っている。

現代や大宇は日本車じゃねーぞ!まぎらわしいことすんな、ヴォケ!
支那?論外です!まともな車なんか作れないだろ、あいつら。


お願いだから奴らと一緒にしないで!(;つД`)


いやね、こっちでは大宇とか起亜とか結構見るんすよ。貧乏人御用達のメーカーですからね。日本車だと思って乗ってないだろうね、君達?
リトアニアで「俺は日本製の携帯電話を使ってる」と言われたので見せてもらったところ、実は「三星」の電話だったことがあるからなぁ・・・。不安。

特亜といっしょ・・・
すんげー嫌なパターンの国旗スリーショットです。お願いだから止めて。

「マイコ」だよ、マ・イ・コ!
バスターミナルにあったゲーセンの看板。「マイコ」と読みます。間違えないように。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その30)

◆中国語じゃだめなんだよ! in シンフェローポリ

ウクライナはクリミア半島西部の小さな街バフチサライの観光を終えたにゃおんちゃんは、バスに乗ってクリミアの玄関口シンフェローポリへと戻る。とりあえず、ドニエプロペトロフスクを経由してポルタヴァにでも行ってみようか。
16時20分のバスでシンフェローポリへ。普通の路線バスでエアコンも無いボロだが、運賃は5UAHと激安。40分ほどでシンフェローポリ市内へ着いたが、バスは市内に入ってすぐのところにあるバスターミナルで止まってしまった。まだ市内に入ったばっかりじゃん。これは駅まで遠そうだなぁ・・・。

バスを降りて周りを見渡すが、建物がぽつりぽつりとあるレベルで、ここを市内と呼ぶのもおこがましい景色。駅まで歩いていける場所とは思えないので、速やかにバスを探して乗り込む。運賃は1UAH。
バスに揺られること約10分、見覚えのあるシンフェローポリ駅に無事到着。例によってこの街の地図すら持っていないのだ。無事たどり着けて良かった。今日もシンフェローポリの駅は旅行客でごった返している。まずは列車の切符を買いに行こう。

窓口で「ポルタヴァ」と言うが、係員に「ニェーット!」と言われて終了。確か、ポルタヴァ、キエフ経由でブレスト=リトフスク(ベラルーシ)へ行く列車があったはず。どうやら直通列車は既に出発してしまったか、あるいは満席の模様。
仕方ないので「ドニエプロペトロフスク」と言うと、「リュクス(1等寝台)でいいか?」と言われる。「クペー(2等寝台)は無いの?」と尋ねると、再び「ニェーット!」。はいはい、分かりましたよ、リュクスで行きますよ。
265UAH(約6,000円)の大金をはたいて切符を購入。クペーならキエフやモスクワどころか、西シベリアまで行けそうな金額だ。貧乏旅行者も今夜だけはセレブに変身。

ウクライナ地図
地名だけ言われても分からん、という人のために地図を用意しました。

これまでの移動ルートは、
大阪→イスタンブール→キシナウ→ティラスポール→キシナウ→ソロカ→キシナウ→
オデッサ→シンフェローポリ→ヤルタ→パフチサライ→シンフェローポリ


切符を買い終えてもまだ18時前。列車は22時半発なので、ネットカフェにでも行こうと思い、駅前をウロつく。
すると、ここでもレーニン像を発見。ここのレーニン像は、座りレーニン。座っているものを見たのは初めてだが、立っているものと比べて高さが無いせいか威圧感は感じない。

駅前にある携帯電話屋の奥にネットカフェを見つけたので入ってみる。
店員に「日本語使える?」と尋ねたところ「無い」と言われるが、日本語を使えるように設定してくれるようだ。コントロール・パネルを開いて対応言語のリストを調べるが、そこには「ヤポンスキー(日本語)」は見当たらない。やはり、WinXPのスラブ語版はデフォルトでは日本語が入っていないようだ。どこに行ってもこれの繰り返しだからね。
こりゃだめだなぁ・・・と思いながら様子を見ていると、モニターを覗き込んでいた店員がこちらを振り返り、一言。

「中国語じゃだめか?」

中国語と日本語は全然違うわ!馬鹿者!どちらも漢字を使うから同じようなものだと思ってるのか?
首を振って「ダメ」と答えるが、店員は「中国語でもいいじゃん」みたいなことを言いやがる。だから、違うんだっつーの!

シンフェローポリのレーニン像
シンフェローポリのレーニン像。特筆すべきことは何も無い。


すっかりゲンナリしてしまい、パソコンなどどうでもよくなってしまったので、周辺を散歩してから駅へ戻る。ここシンフェローポリもオデッサやヤルタと同じく緑豊かな街で、店の数はあまり多くないものの大きな建物が立ち並び、人通りも多くて活気のある印象を受ける。
駅へ戻ると近くの市場でビールや食い物を買い込む。今日は朝から何も食べていないことに気づくと、急激に空腹に襲われたのでケバブを買って食べる。

ベンチに座ってケバブを食べていると、ニャンコがやって来て俺の目の前にちょこんと座った。可愛いのでケバブの切れ端をあげたのだが、そのニャンコは俺があげた分を食い終えると、今度は別の人のところに行ってちょこんと座るではないか。しばらく観察していたが、目の前にお行儀良く座ったニャンコにじーっと見つめられた人の殆どはエサをあげていた。
あのネコ、自分の可愛さを武器にしてやがる。賢い奴め・・・。

ポルタヴァのアンドレイさんに電話をすると、「今は仕事が暇な時期だから、いつ来てもいいぞ。歓迎する」と言われる。ええ人やぁ・・・。



◆セレブな旅の友、リュクス(一等寝台)

ビールを飲みながら徐々に暗くなっていく空を眺め、晩夏の夕暮れを堪能した後、列車に乗り込む。イェーイ、今回はリュクスを使っちゃうぜー!どんなセレブなお部屋が俺様を待っているんだい?
と浮かれながら乗り込むと、高い金を払っただけあって豪華なコンパートメントがにゃおんちゃんを待っていた。まず、クペーは1室4人なのに対し、リュクスは1室2名。2段ベッドではないので開放感がある。
さらにテーブルにはおしゃれなクロスが掛けられていて、サービスで水とジュースが置いてある。窓の上にはテレビもあるし、壁には220V対応のコンセントもある。床に敷いてあるカーペットもクペーとは違う。素晴らしい!(;´Д`)ハァハァ

同室になったウクライナ人のおじさんと、ビールを飲みながら話をする。おじさんはキエフに住むビジネスマンなのだが、夏休みでヤルタへ行っていたそうだ。家族はまだヤルタに残っているが、おじさんはいつまても休んでいられないので、ドニエプロペトロフスクでひと仕事してからキエフへ帰るのだという。
にゃおんちゃんが初めてリュクスに乗ったことを話すと、「居心地いいだろ?高いけどな」と言われた。おじさんは仕事柄出張が多いそうだが、その際にはいつもリュクスを使うのだという。もしかして、高給取りの敏腕ビジネスマン?
「でも、たまにクペーも使うんだよ。皆で酒を飲んでワイワイやるのも楽しいからな」
んー、日本のB寝台は壁が無いからなぁ・・・宴会なんかしたら怒られるんだよなぁ。寝台料金も高いし。列車の旅はこっちのほうが絶対楽しい。

おじさんは疲れていたし、にゃおんちゃんも列車に乗る前から飲み続けているので酔っ払ってしまい、二人とも23時過ぎには寝てしまった。

ドニエプロペトロフク行きの夜行列車
ドニエプロペトロフスク行きの夜行列車にも名前がついていた。「ピブデニー号」と読むのか?
例によって、左には新幹線のイラストが。何故だ???

これが一等寝台
これがセレブな一等寝台。枕もシーツもカーテンも豪華で、質素なクペーとは大違い。


目が覚めると朝の6時少し前。通路に出ると、列車はもうすぐ終点ドニエプロペトロフスクに到着するようで、多くの乗客が顔を洗ったりトイレに行ったりと慌しく動いている。
やがて列車は市内に入り速度を落とし始めても同室のおじさんが起きないので、心優しいにゃおんちゃんは起こしてあげることに。テーブルにおじさんの財布と携帯電話が無造作に置かれていてギョッとする。日本人ってことで信用されてるのかな?

6時30分、ドニエプロペトロフスク到着。ここからはウクライナ東部の旅。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その29)

最近、ちょっと忙しいです。更新が滞りがちでごめんなさい。


◆ハーンの次は可愛い車掌さんに萌える

クリミア半島のバフチサライにて、かつてこの地にあったクリミア・ハン国の王の館を見に行ったにゃおんちゃん。「東洋とイスラムの融合」みたいな世界にウクライナで遭遇するという予期せぬ出来事に狂喜乱舞。萌えまくりながら見学する。
見学を終えると、中庭でポーランド人の女の子達と再会した。ここから数km山手に入ったところに、8世紀に建てられたという「ウスペンスキー修道院」がある。彼女達はそこまで行くべきかどうか悩んでいる様子。「あなたはどうするの?」と聞かれたが、にゃおんちゃんはまだたっぷり時間があるので行ってくることする。
暫し悩んでいた二人たったが、結局止めることにした。バフチサライの街を少し見てからヤルタへ戻ると言うので、お互いの旅の無事を祈ってここでお別れ。さよならー。

館を出てバスを待つ間、土産物屋を覗いたり周辺をウロつくが、建物が何気にトルコ風なことに気づく。ぱっと見はただの薄汚い建物だが、実は18世紀くらいの建築だったりする?でも、これコンクリート製だよねぇ?ハーンの館の傍だからそれ風に作っただけで、実はソ連時代の建築物だったりする?んー、いくら考えても分からない。
でも、タタール・ハン国が滅びても第二次世界大戦前まではこの辺りにタタール人が住んでいた訳だから、それ風の建物が多くても別に不思議ではない。土産物屋でタタール人の帽子に惹かれるが、結局買わず。せっかく買っても、かぶる機会が絶対に無さそうだ。

ハーンの館周辺
ハーンの館周辺の様子。建物が何気にイスラム風。奥にそびえ立つ岩山が見える。


やがてやって来たバスに乗り込むと、可愛い車掌さんがお出迎えしてくれる。どうやら運転手の娘らしい。しかも、妹らしき赤ちゃんをダッコしている。キャー!小さい子が小さい子をダッコしてるー!(〃▽〃)
再び萌えまくる俺。にっこり微笑んでお金を渡すと、彼女は少しはにかみながら微笑み返してくれた。可愛いねぇ・・・ほんとに子どもは可愛い。
運転手の兄さんの身の上が気になった。2児の父とはいえ若く見える。多分、まだ20代後半か30代前半だろう。何故、子どもを乗せて仕事をしているのか。奥さんに逃げられたのか、あるいは奥さんは病で床に伏せっているのか・・・。余計なことを心配して悩む俺。

バスは谷底のような土地を進む。両側には岩山がそびえ立っている。この岩山は垂直にそびえ立っているうえに、岩盤がむき出し。バフチサライの街は平地にあるのに、数km山に入っただけでこんな景色になるのだ。周辺には大きな川も無いので、侵食されてこんな地形になった訳ではない。不思議だ、実に不思議だ。日本じゃ山奥の渓谷にでも行かないと、こんな光景は無い。
10分ほど走ったところでウスペンスキー修道院に到着。可愛い車掌さんに手を振って別れを告げ、修道院へと続く坂道を登る。傾斜はそれほどでも無いのだが、ダラダラと続くので重たい荷物を背負った今のにゃおんちゃんには結構キツい。

可愛い車掌さん  ウスペンスキー修道院の入口
左:バフチサライで見た可愛い車掌さん。妹の子守と車掌の仕事をこなす偉い子。
右:ウスペンスキー修道院の入口。ここまで来るのに散々坂道を登ったのに、さらに階段が・・・。


汗をかきかき15分ほど歩いたところで修道院に到着。この修道院は岩山にへばりつくように・・・というか、岩肌のくぼみを利用して作られている。何でわざわざこんなところに作ったのやら・・・。
8世紀に作られたってことはウクライナにあった「キエフ大公国」が作った教会なのかな?と思ったが、キエフ大公ウラジーミル1世が東方正教を受け入れたのは10世紀。それに、その頃のクリミアにウクライナ人は住んでいない。えーと、タタール人が来る前のクリミアはギリシャ人やハザール人が住んでいたはず。ハザール人は「アシュケナジム」と呼ばれる東欧ユダヤ人の祖先と噂されている謎の民族で、ユダヤ教徒なのでキリスト教の教会なぞ建てる訳が無い。ということはギリシャ人が建てた?えー?その頃のギリシャってビザンツ帝国なんですけど?
この教会、実は何気に凄くない?

しかし、実物の教会は実にヘボいのだ。8世紀の痕跡なんぞどこにも残っていない。クリミアの支配者は幾たびも入れ替わっている訳で、1,300年も前の痕跡が残っていなくても責められないのだが、それにしてもヘボいし建物が妙に新しい。
※帰国後に調べたら、本物はとっくの昔にブチ壊されていて、現存するものはソ連崩壊後に復元したものだそうだ。

ショボい教会の凄いところを何とか探そうとするが、岩山の中腹にへばりつくようにして建っていること以外、凄いところなど全く見当たらない。これじゃ8世紀に作られたとは言えないだろ。
そんな詐欺みたいな教会のわりには観光客や地元民のお婆さんが多く、クソ狭い教会の中は大混雑。全然面白くないし混んでいるので帰ることにする。来て損した・・・。

斜面に作られたイコン  ウスペンスキー修道院外観
左:入口の門をくぐったところ。右上の岩肌にイコンが設置されている。わざわざそんなところに作らなくても・・・。
右:この修道院は、垂直に切り立った崖のくぼみを利用して作られている。物好きな・・・。



◆列車砲グスタフ

バス停まで戻り、売店でジュースを買って飲んでいると、ハチがワラワラとやって来て退散する羽目になる。ジュースに含まれている糖分の匂いに誘われたのか。サソリの次はハチか!
マルシュルートカに乗って駅へ戻る途中、胸からぶら下げていたサングラスが壊れていることに気づいた。金曜日にオデッサで買ったばかりだというのに、わずか4日という短い命に終わる。安物だからいいんだけどさ。

駅へ戻ると16時。次のシンフェローポリ行きの列車は2時間後。どうしようか・・・。
第二次世界大戦においてドイツ軍がセヴァストポリ要塞を攻撃した際、巨大な列車砲を使っているが、その列車砲が設置されたのはここバフチサライだったことを思い出す。何か痕跡が残っているかも?


1941年、「バルバロッサ作戦」においてソ連へ侵攻したものの、レニングラードもモスクワも攻略し損ねて短期決戦で決着をつける予定が大幅に狂ったドイツ。地獄のようなロシアの冬を何とか乗り切りると、長期戦に備えて重要な資源地帯であるウクライナの完全制圧、そしてソ連最大の油田があるバクー(現アゼルバイジャンの首都)攻略のため、1942年6月に「ブラウ作戦」を発動する。
その際にこのクリミア半島を押さえない限り、ウクライナ東部やバクーへと進んだドイツ軍には、側面を突かれる危険性が常に伴う。しかし、クリミア半島は険しい山岳地帯とわずか幅7kmの地峡によって守られた天然の要害であるうえに、ソ連海軍黒海艦隊の拠点であるセヴァストポリには難攻不落の要塞が築かれていた。

セヴァストポリを落とさねば先には進めない。何としてもセヴァストポリを落とせ!
ヒトラーがセヴァストポリ要塞攻略を命じた男は、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン上級大将。第11軍の総指揮官にして、"ドイツ軍最高の頭脳を持つ男"という異名を持つこの軍人は、1940年の西方電撃戦で「マンシュタイン・プラン」という作戦を立案し、フランスを即死させた実績を持つ。
マンシュタインは欧州中から1,300門に及ぶ火砲をかき集めると、約1ヶ月間昼夜を問わずありったけの爆弾をぶち込み続け、ついにセヴァストポリを陥落させた。その際に使用されたのが、80cmの口径を持つ超重列車砲「グスタフ」。世界最大の戦艦「大和」の主砲ですら46cmだから、その異常なまでの大きさは想像を絶する。着弾点には直径28m、深さ30mのクレーターができたという。
重量7tの爆弾が落っこちてきて、さらに爆発するんですよ。こんなものが頭上から降ってきたら、人間なんて骨も残らず消滅する。

グスタフは総重量が1,350tもあるうえに、4本の軌道(複々線)の上に設置されるので、組み立てるのもバラすのも容易ではない。戦車や飛行機の活躍によって戦線が流動的になった第二次世界大戦において、組み立て・解体・運搬にとんでもない手間と時間がかかるこんな兵器の出番は無いに等しく、結局これ以降は出番が無いままドイツ南部に放置されて終戦を迎える。
このドイツ人らしいイカレた発想によって作られた列車砲がその勇姿を現した唯一の場所、それがここバフチサライなのだ。 見に行かない手は無い!

80cmの主砲を持つ脅威の列車砲グスタフ
これが「列車砲グスタフ」。
最大射程45kmなので、ドーバー海峡のフランス側にあるカレーに設置してもロンドンには届かない。
レニングラード攻略で使うという手はあったが・・・。

早速、辺りの人に聞いて回るが、グスタフ云々以前に言葉が通じない。「World War II」って言っても通じないんだぞ?ロシア語で「列車砲」って何て言うんだ?
誰に聞いても「この変な東洋人は何を言っているんだ?」と言わんばかりに怪訝な顔をされるばかりで、手がかりなど全く得られない。そもそも、グスタフなんてマニアックな兵器のことを知っている人など、地元民でも殆どいないに違いない。しかも、敵軍の兵器だし。
日本に来た外国人が「アメリカがB-29で最初に落とした爆弾の着弾点はどこ?」と尋ねたところで、「そんなもの知るか!」と言われるのがオチ。それと一緒。

グスタフの痕跡を見に行こう作戦、15分で頓挫。
もういいわ、次のバスでシンフェローポリに行くことにする。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その28)

◆逃げるようにしてヤルタを去る

8月27日(月)
旅行も後半戦に突入。既にかなり疲れ果てているのだが、旅はまだまだ続く。
結局、昨夜もフルシチョフからの電話は来なかった。朝8時に起きて奴に電話してみるが、やはり応答が無い。それに、サソリがいる部屋にはこれ以上いたくないので、昨日計画したとおりヤルタを発ち、バフチサライを見てからドニプロペトロフスクへ向かうことにする。

3泊分の宿代を前払いしているので、主人と交渉してお金を返してもらわなくてはならない。という訳で隣の建物に住む宿の主人を訪ねて交渉開始。主人は性格も話し方も穏やかなのだが、丸ボウズ&全身に刺青ありで怖い。つたないロシア語でビビりながら交渉した結果、客引きのおばさんの取り分12$は返せなかったが、残りの48$は返してくれた。
すぐに荷物をまとめて、刺青だらけの宿の主人に見送られて出発する。いい人で助かった。

ヤルタから各地へのバス
ヤルタから各都市へ行くバス網。国内主要都市はもちろん、モスクワ、ミンスク、キシナウ行きもある。


トローリーバスに乗ってバスターミナルへ向かい、10時のバフチサライ行きのバスに乗る。隣の席にいた女の子二人組も旅行者で、自然と話をするようになった。彼女達はポーランド人で、ワルシャワから夜行列車を3本乗り継いで昨日の昼にヤルタへやって来たとのこと。「昨日までずっとシャワーを浴びれなくて、あたし達かなり汚い女の子だったよね」と言って笑っている。えーと、汚ギャル?
彼女達は日帰りでバフチサライを見てヤルタへ戻り、夜行バスでキエフへ向かうとのこと。若いだけあってタフ。虚弱体質のオヤジであるにゃおんちゃんには無理だ。

12時過ぎにバフチサライへ到着。彼女達はすぐに「ハーンの宮殿」へ行くと言うが、にゃおんちゃんは荷物を何とかしなくてはいけないので、先に行ってもらうことにする。
バフチサライの駅前は土埃が舞い上がっているうえに高い建物が全然無いので、西部劇に出てくるアメリカ西部の田舎町のような雰囲気。駅とバスターミナルで荷物の預かり所を探すが、いくら探しても無い。駅員に尋ねたところ、一言「ニェット」と言われて終了。はぁ・・・今日は重たい荷物を担いで観光するのか・・・。

駅で帰りの列車やバスの時間を調べていると、子どもがやって来て「お金ちょーだい」と言う。子どもに優しいにゃおんちゃんは、にっこり笑って「ダメだよー」と言うが、子どものほうもあっさり諦めない。
売店でジュースを買っているとさっきの子どもが再びやって来て、にゃおんちゃんの服の袖を引っ張って「金、金、金」。あまりにしつこいので、子どもに優しいにゃおんちゃんもついに堪忍袋の緒が切れて、凄みを効かせて一言「失せろ!」と言い放つ。英語で言ったのだが、子どもは何を言われたか理解したようで、二度と寄りつかなくなった。
小僧よ、お金は自分で働いて稼ぐものだ。元「労働者の国」の人民だろ、働け。

バフチサライ駅
バフチサライの駅。ショボいこと極まりない駅で、周辺にも薄汚い建物がいくつかあるのみ。



◆ハーンの宮殿で萌える

駅前から1番のマルシュルートカに乗り、田舎道を10分ほど走ったところでハーンの宮殿に到着。運賃は1UAH。いきなり人や車、建物が多くなったのですぐに分かった。
それにしても・・・バフチサライは人口3万人の小さな街とはいえ、その寂れ具合はにゃおんちゃんが住む「毛がに村」の比ではない。モルドバのソロカもそうだったが、旧ソ連諸国の田舎の寂れぶりは凄まじい。日本の田舎と比較したら、「人口÷5」(バフチサライの場合は、人口6,000人くらいの日本の田舎町と同等ってこと)くらいで考えないとショックを受ける。

さて、やって来たハーンの館。周りは岩山に囲まれていて、守りやすそうな地形であることが一目で分かる。岩山の上に兵を配置して、よじ登ってくるロシア兵を蹴り落とせば良いのだ。という訳で、館には高い城壁もお堀も無く、武田信玄の居城「躑躅ヶ崎館」よりもシンプル。
つーか、目と鼻の先にある岩山を抑えられたら、その時点で負けだわな。山の上から大砲を撃ちこまれておしまいだもの。


以前にも書いたとおり、クリミア半島は1783年にロシアに併合されるまでタタール人の国『クリミア・ハン国』の領土だった。タタール人ってのは、モンゴル帝国がロシアを支配した際に土着化したモンゴル人やトュルク系の民のこと。彼らの多くはイスラム教徒であるうえにコーカソイドとモンゴロイドの混血みたいな感じなので、コーカソイドでキリスト教徒のロシア人・ウクライナ人とは見た目からして全然違う。

本家のモンゴル帝国がぶっ潰れた後も、オスマン帝国に臣従して生き残り続けたクリミア・ハン国。ここは16世紀前半に建てられて以来、そのクリミア・ハン国の歴代のハーン(国王)が住んでいた館。イスラム様式の模様や飾りはあれど、アラブの歴史的建造物とは異なる。アラブというより、シルクロードにあったオアシス国家の建物に似ている。これは面白そうだぞ?

ハーンの宮殿入口
ハーンの宮殿の入口。イスラム風の紋様がとても綺麗です。

ハーンの宮殿内部
宮殿内部。こんな感じでお庭に花壇や芝生があって、それを取り囲むように建物が。


中に入ると正面に広い庭があり、その庭を取り囲むように建物が並んでいる。監視用の塔なのだろうか?「ハヤブサの塔」とかいう名前がついている高い塔もある。
建物内部はやはりイスラム風の飾りが多いのだが、どことなく中国というか東洋風な匂いもして、何とも不思議な感じ。「東洋とイスラムの折衷」と言おうか・・・。中央アジアの連中がこんなところまでやって来て、住み着いて国を作ったんだから、凄いとしか言いようがない。唯一残念なことは、タタール人が全然いないこと。文句はクレムリンに埋葬されているスターリンに言うことにしよう。

建物の奥に進むと居住スペースがあり、家具や食器など身の回りのものが多数展示されている。どれをどう見ても、他の土地で見たロシア帝国やソ連のものとは全く違っていて、実に新鮮。すげーなー、タタール人。いいなぁ、にゃおんちゃんもハーンになりたいなぁ。
しかし、この国はキプチャク・ハン国(チンギス・ハーンの孫がロシアに作った国)の弱体化によって自立した国。その瞬間からポーランドやロシアとの戦争を義務付けられている訳で、オスマン帝国からの支援があるとはいえ・・・やっぱりハーンになるのは止めておきます。死にたくない。

涙の泉  鉄の門
左:「涙の泉」:クリミア・ハン国最後のハーン、クリム・ギレイが愛人の死を嘆き「石にも涙を流させよ」と命じて作った泉。左右に並ぶ受け皿から、水が涙のようにポトリと落ちて流れていく。
右:「鉄の門」:イスラム風の精巧な彫刻が施されている門。半円の中央にあるのがハーンの紋章らしい。ここから中には入れないので、門の向こうに何があるかは不明。

居住スペース
館の住人の居住スペース。アジア風でしょう?中々、快適そうです。

タタール人男性の服 タタール人女性の服
タタール人の服。一瞬、「ハーンになりたい」と思わせたほど素敵な一品。



【旅の情報:ヤルタ編】
・シンフェローポリ−ヤルタ間のバスは、ひっきりなしに走っている。運賃は18UAH。トローリーバスならもっと安いが、そのかわり死ぬほど遅い。
・ヤルタのバスターミナルは市街地から数kmほど離れた街外れにある。中心部への移動はマルシュルートカまたは市内を走るトローリーバスで。運賃は1UAH程度だったと思う。
・リヴァーディア、ツバメの巣へ行くには、27番か37番のマルシュルートカで。運賃は3.5UAH。乗り場は「クリム・ホテル」の側にある小さな公園。マルシュルートカがたくさん止まっているので、すぐに分かる。
・ヤルタ港とツバメの巣を結ぶ遊覧船もある。20UAH。リヴァーディア行きは無い。
・にゃおんちゃんのようにホテルではなく貸し部屋を利用したければ、バスターミナルに客引きがたくさんいるので、彼らと交渉すると良い。部屋の写真を持っている人も多いので、判断材料にできる。言うまでもないが、英語は通じない。
・街外れでも良ければ、かなり安い部屋もある。バスで移動する手間を惜しまないなら、モスクワ通りやキエフ通り沿いの部屋などは街外れでも良いかもしれない。
・バフチサライ行きのバスは8時、10時、11時。運賃は25UAH、所要時間は約2時間。
・もっと遅い時間のバスもあるが、日帰りでヤルタに戻る、またはシンフェローポリに移動するつもりなら、お勧めしない。ただし、バフチサライ駅から夜行列車(セヴァストポリから各地へ行く列車)に乗るなら話は別。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その27)

◆ツバメの巣にて

やっとの思いでやって来た「ツバメの巣」。思っていたよりもずっと小さな建物であるうえに、1912年に建設されたという割には建物の質感が妙に新しい。もしかして、大規模な改築でもした?
ドイツの富豪が建てたものらしいが、こんな辺鄙なところにわざわざ城を建てるなんて、よほど人間嫌いの人だったのだろう。にゃおんちゃんも金持ちだったら同じようなことをやりかねないので、建てた人の気持ちが何となく分かる。

城の中はレストランになっていて、関係ない人は入れない。にゃおんちゃんはお腹が空いてないので、当然入らない。それに、無駄に高そうだし・・・。貧乏人には無縁だな。
ここは断崖絶壁に立つ城なので、黒海やヤルタの街がよく見える。でも、にゃおんちゃんは高いところが苦手なので、下を見下ろすと眩暈がする。

ツバメの巣
断崖絶壁に建つ「ツバメの巣」。岬の先端から下を見下ろすと眩暈がします。


ツバメの巣の後方には岩山がある。疲れたので、その岩山に登ってひと休みする。たくさんの人が上り下りしたせいで岩が磨耗してツルツルになっていて、サンダル履きのにゃおんちゃんにはとてもデンジャラス。
岩山のてっぺんで休んでいると、カップルが話しかけてきた。話の内容は特筆すべきものは何も無い他愛もないものだったが、彼らが話していたのがウクライナ語だったことに驚いた。ウクライナに来たのは二度目、しかも前回は1週間も滞在していたのに、にゃおんちゃんはウクライナ語を話す人を生で見たことが無かったのだ。

この建物の他には周辺にはロクなものが無いので、土産物屋で絵はがきを数枚買って帰ることにする。
「またあの階段を上り下りしてバス停まで行くのかぁ?」と思っていると、崖の下に船着場があり、そこから遊覧船が発着していることに気づいた。船着場へ行き、列に並んでいる人に尋ねると、ここからヤルタ港行きの遊覧船が出ているのだという。
丁度船がやって来たところだったので、迷わずこれに乗って帰ることにする。運賃は20UAH。ちょっと高いけど、あのクソ忌々しい階段を上らなくて済むうえに、涼しい船内で快適な時間を過ごしながらヤルタに帰ることができた。
あ、船の写真を撮り忘れた・・・。

真面目に観光してヘトヘトになったので、ヤルタ港から市場へ直行。
市場でケバブを買い、部屋に戻って食い、そして寝る。


横になるが、暑くて寝付けない。エアコンを全開にしているが、効きが悪くて部屋が涼しくならない。結局、少しウトウトしただけで、20時半に出かけることにする。
ちなみに、朝からフルシチョフに電話し続けているのだが、何度掛けても連絡が取れない。そして向こうからの連絡も無い。何があったのか知らないが、電話の一本くらいくれてもいいのに。
フルシチョフよ、アントネスクに続いてお前もトンヅラか?

もうヤルタ観光は済ませたので、フルシチョフと連絡が取れない以上、ここにいる理由は無い。明日の朝まで待って彼から連絡が来なかったら、アンドレイさんのいるポルタヴァへ行こうかな・・・。

それじゃ下準備だけでもしておこうか・・・という訳で、バスターミナルへ行ってバスの行き先と時刻を調べる。ポルタヴァへ行くには・・・直行便はもちろん無いので、まずはドニエプロペトロフスクまで行き、そこからさらにバスか鉄道で移動することになる。しかし、バスは夜行便のみ。当たり前だ、7時間も8時間もかかるのだから。
それじゃ、明日の昼間は何をしようか・・・かつてクリミア・ハン国の首都だったバフチサライにでも行こうか。もしバフチサライに行くなら、ヤルタまで戻ってくるよりもシンフェローポリへ移動して、そこから夜行列車にでも乗ったほうが無駄が少ないし、体にも優しい。
よし、決めた。明日はヤルタ→バフチラサイ→シンフェローポリ→ドニエプロペトロフスクと移動することにしよう。



◆詐欺女、野良犬、さそり・・・ヤルタで迎えた最悪の夜

フルシチョフと連絡が取れなくて気が重かったのだが、明日の予定が決まると元気が出てきた。酒でも飲みに行こうと思い、街へ向かう。
街へ向かう途中、歩きつかれたので港のベンチに座って休んでいると、隣に女の子二人がやって来た。にゃおんちゃんは別にそれを気に留める訳でもなく、「よーし、パパ明日はバフチサライへ行ってハーン(王)の館を見ちゃうぞー」などと脳内妄想に勤しんでいたのだが、しばらくすると彼女たちが話しかけてきた。
また、支那人認定されるんじゃないだろうね?

彼女達の名前は、サーシャとターニャ。
サーシャはコサックで有名なウクライナ東部の都市ザポリージャから来た旅行者で、英語を少し話せる。夏休みで家族と一緒にヤルタに来ているそうな。まだ若いのにバツイチで子持ち。
ターニャはここヤルタに住んでいる地元民。英語はからっきしダメだが、ドイツ語を少し話せる。しかし、にゃおんちゃんはドイツ語がからっきしダメなインチキ・ドイツ人なので、サーシャの通訳無しでは会話にならない。二人は住んでいるところは離れているが、以前からの友達なのだという。
20〜30分ほど夜風に当たりながら話をした。彼女達はこれから二人でナイトクラブへ行って遊ぶのだという。

そうかい、そうかい、行っといで。おじさんはここでもう少し脳内妄想に勤しむことにするよ。


と言おうとした矢先、彼女達から「一緒に行かない?」と誘われた。うーむ・・・クラブかぁ?正直言ってそんな気分じゃないが・・・良い機会だからとりあえず行っておくか。キシナウでも教授の誘いを断らなかったおかげで色々と面白いことがあった訳だし。
我々が向かった先はヤルタ随一の高級ホテル「オレアンダー」のディスコ。最初から「エントランス・チャージくらいは俺が払ってやろう」と思っていたのだが、ディスコの前まで来るとサーシャが「私たちの分も払ってくれる?」とのたまう。あーあ、言っちゃった。黙っていれば払ってやったのに、可愛くない奴らだねぇ。
この時点でかなり萎えたのだが、とりあえず中に入ろうと思い料金を聞くと、一人当たり70UAH。日本円にすればたったの1,600円程度、たいした額ではない。

しかし、無いのだ・・・所持金が。

全部で280UAH程度しか持ってないのだ。ジュース買っても80円とか、メシ食っても500円の世界だぞ。何万円も持ち歩く訳がない。
3人分払っても210UAH。払えるけど・・・この面構えだけは豪華そうなディスコのことだ、払ってしまったら残金70UAHでは飲み物もロクに買えないだろう。という訳で却下。だめだ、金が無い。

サーシャはそれを聞くと、「それじゃどこかお金がかからないところに行って遊びましょ」と言う。あくまで俺にタカるつもりらしいが、こっちの財布の都合に合わせてくれるところはまだ許せる。しかし、ターニャがどうしてもオレアンダーに行きたいらしい。
サーシャは「カードか現金を取りに部屋まで戻ったら?」と言うが、ここからだと余裕で30分以上はかかる。彼女達は待っていると言うが、にゃおんちゃんがそんなことしたくないのだ。さして気乗りしないディスコに行くのに、このクソ暑い中30分も歩くのは嫌だ。完全に萎えてしまったので、「俺は帰るから、君たち二人で行きなよ」と別れを告げて帰ることにした。

ところが、サーシャは俺を引き止め、ターニャと二人でグダグダやっている。その場でさらに10〜20分ほどグダグダが続いた後、「さっきから何度も行ってるでしょ。俺は金が無い。しかし、部屋まで取りに戻る気も無い。だから、二人で行くと良い。ほら、行きなよ」と言うと、ターニャがバッグの中を開いて「お金無いから、行きたくても行けないよ!」と叫び、プンスカ怒りながら行ってしまった。
ちょっと待て。お前ら、最初からあのディスコに入る金を持ってなかったのか?

俺はお前らの財布じゃねーぞ、馬鹿野郎!

もしかして、最初からそれが目的で俺に話しかけてきたのか?
ターニャは怒って行ってしまったので、サーシャを問い詰める。にゃおんちゃんの怒りを察知した彼女は何やら必死に言い訳をしたが、最後にとんでもないことを言って去っていった。

「ごめんなさい、これがウクライナの女の子のやり方なのよ」

(°Д°)ハァ? ふざけんな。どんなやり方やねん。


もはや飲みに行くどころではなくなり、にゃおんちゃんもプンスカ怒りながら帰る。
途中、野犬に吠え立てられて泣きながら逃げて帰る羽目に。
汗だくになって帰宅したにゃおんちゃんは、シャワーを浴びるべくバスルームへ。
すると・・・

さそり

ぎゃー!さそり!!!

「刺されたら死ぬ! (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
体長5cm程度の小さなさそりだったが、しっかりとさそりの形をしている。水をかけると生意気にも尻尾を振り上げて威嚇しやがるのだ。シャワーを武器にさそりに立ち向かうにゃおんちゃん。
5分に及ぶ格闘の末に、さそりは排水溝へと消えていった。俺は勝った・・・。

って冗談じゃねぇよ!ヤルタにさそりがいるなんて聞いてねぇよ!
ベッドの中にいたりしたいなだろうな?
夜中に一人で部屋中のものをひっくり返して、他にさそりがいないかどうか調べる俺。

もう、嫌だ!
相変わらずフルシチョフから電話来ないし、もうこんな街は出て行くことにする。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その26)

◆リヴァーディアで歯噛みする敗戦国民の子孫

さて、リヴーディアにやって来たにゃおんちゃんは入場券を買って入ろうとするが、係員が入れてくれない。なんでやねん、はよ入れんかい、こら。
憤慨しつつも様子を見ていると、人数がある程度まとまったところでグループを作って入場させていることが分かった。そして、各グループにはガイドがついている。

待つこと10分程度、やっと中に入れた。ガイドがつくといっても、ロシア語のガイドではにゃおんちゃんには何の意味も無い。まぁ、いいや。
最初の部屋は食堂。手前のテーブルで三国の首脳が会談をしたそうで、誰がどこに座ったかを示すプレートがテーブルの上に置いてある。奥にあるデカい広間は、各国のオブザーバーの待機部屋。でも、皇帝が食事をするときはこっちの部屋を使っていたのだろう。
その隣の部屋がルーズベルトの待機部屋だそうで、さらにその隣が合意文書にサインした部屋。「ちくしょー、こいつら・・・」と歯噛みしながら見て回る。同じグループのロシア人らしきお姉ちゃんがこっちを見て微笑んでいるが、「やーい、敗戦国民」とでも思われているのだろうか・・・。

三悪人の会談部屋
ここが三悪人が会談した部屋。左からスターリン、ルーズベルト、チャーチルの順で座ったらしい。

スターリンとルーズベルト
スターリンとルーズベルト。これに毛沢東が加わると、「20世紀最凶の悪人トリオ」が完成します。

調印の間
この部屋で合意文書に調印したそうな。アメリカ人がこの場にいたら、お説教すること確実。


1階はこれで終了。続いて2階へ進むが、2階にはヤルタ会談関連の展示は無くて、もっぱらニコライ2世一家に関する展示ばかり。
ニコライ2世といえば、皇太子時代に来日して警官に斬りつけられちゃったとか、空気を読めないドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に戦争をふっかけられたあげくロシア革命が起きて退位する羽目になったとか、「可哀想」または「無能」みたいな印象しかない。
とんでもない奴も多かった歴代ロシア皇帝の中では、ニコライ2世は教養豊かな常識人なのだが、生まれた時代が悪かったとしか言いようが無い。ロシア帝国がいずれぶっ潰れるのは、時代の必然だったのだから。

ここが皇帝の別荘だったことから、この地でバカンスを楽しんだ皇帝一家の写真がたくさん飾られているが、写真を見ただけでニコライ2世が家族思いの優しいパパだったことが分かる。特に皇太子アレクセイと一緒に写っている写真なんて満面の笑みを浮かべていて、ただの子煩悩なパパにしか見えない。いやー、ニコライ2世のこと好きになっちゃったよ、俺。
皇帝家なんかに生まれていなければ家族と共に幸せな一生を送れただろうに・・・。合掌。

ニコライ2世が執務した机
ニコライ2世が執務に使用した机。

ニコライ2世の娘たち
ニコライ2世の娘たち。ボリシェヴィキの連中は、こんな子ども達まで皆殺しにした。


大きな建物ではないうえにガイドに従って移動しなければならないので、1時間程度で見終わってしまった。ついでなので、ここからそう遠くないところにある断崖絶壁の上に建つ古城『ツバメの巣』を見に行くことにした。
地図を持っていないのだが、たいした距離ではあるまいとタカをくくり、散歩がてら歩いて行くことにした。




◆遥かなるツバメの巣

クソ暑い中、「ツバメの巣」を目指して歩く・・・が、歩けど歩けど一向にそれらしきものが見えてこない。それでも、途中に土産物屋がたくさん並んでいたので安心していたのだが、そこを過ぎると途端に人通りが減り、やがて誰もいなくなった。だめだ、これは道を間違えたに違いない。
とはいうものの、海に沿って一本道を歩いてきたのだから、道を間違えようが無いのだ。考えられることはただひとつ、「そもそも方向が反対」。
仕方なくリヴァーディアまで戻るが、これで2時間をロス。ムキーッ!

来るときにマルシュルートカを降りた場所まで戻り、バスを待つ。同じ場所でバスを待っていた海水浴帰りの一家に尋ねたところ、にゃおんちゃんはやはり逆方法へ行っていたことが分かった。ここからツバメの巣まではそう遠くないものの、歩いて行ける距離ではないとのこと。
ちなみに、リヴァーディアから階段で崖を下りたところに海水浴場があるそうで、一家はそこに行った帰りらしい。

やがてバスがやって来たので乗り込む。
バスはすごい山道を進む。走り屋さんが喜びそうなヘアピンカーブがたくさんあるが、運転の荒いウクライナ人といえどもバスでドリフトするような無茶はしない。でも、朝鮮人ならやりかねない。
韓国へ行ったら分かるよ。あいつらの運転の荒さは尋常じゃないから。


さて、バスで15分ほど走ると「ツバメの巣」に到着。バスを降りるが、周りにあるのはデカいサナトリウムと土産物屋やレストランばかり・・・。
えーと、お城はどこ?・・・・・・ん?あれかーっ!

あんなに遠くにあるなんて・・・
バス停から見た「ツバメの巣」。あんなに遠くにあるなんて・・・。あそこまで歩いて行くのか・・・。

何の根拠もありゃしないのだが、バス停からすぐのところにあると思っていたので、一瞬マジで凹んだ。俺、あんなところまで歩いていくの・・・?クソ暑いうえに道を間違えて2時間も無駄に歩いた直後なのに・・・。
眼下には「ツバメの巣」へ向かう人々が歩いているのが見える。ここから階段を下りて数百mほど歩き、さらに階段を登らなくてはならない。

ここまで来ておいて「面倒だから帰る」と放り出すのもシャクなので、頑張って行くことにする。
転げ落ちたら絶対にケガしそうな急な階段を、ヒザをカクカクいわせながら下りる。歩き過ぎちゃって、もうダメなのよ、俺。
階段を下りたところには展望台のようなスペースがあり、その下には海水浴場があるのが見えた。岩場に囲まれた小さな入り江で、結構な人が詰め掛けている。

一休みしてから、今度は階段を登る。ヒィヒィ言いながら階段を登り、あともう少しで到着・・・というところで男が立ちふさがり、「チケットを買え」と言う。何だと?お城の中ならまだしも、お城のそばに行くだけで金を取るのか?
ここまで来て帰る訳にもいかないので、渋々払う。確か5UAH程度だったと思う。たいした額ではない。ちゃんと切符をくれるので、ヤクザのカツアゲという訳ではなさそう。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その25)

◆ひとりぼっちの夜 in ヤルタ

部屋に戻り、ひと眠り。起きると20時だった。フルシチョフに電話して港で合流し、レストランへ。
例によってメニューはロシア語で書かれていてさっぱり読めないので、彼の「ヤルタは魚が旨い」というアドバイスに従って魚料理をオーダーする。さてさて、どんな料理が出てくるやら。
お互いの近況や仕事のことを話していると、料理がやってきた。何やら鮭をクリームソースで煮込んだ料理で・・・食べてみるが、美味しくない・・・うぅっ・・・(ノД`)

心の中で泣きながらご飯を食べていると、フルシチョフ君の携帯に電話がかかってきた。そして、電話を終えると彼は「ごめん、急用だ。ママが何やら困っているらしい」と言い、そそくさと行ってしまった。何があったのか分からないが、そういう事情なら仕方あるまい。明日は日曜日だし、また明日会えばいい。


食事を終えて一人で海辺をお散歩する。海岸通りは歩行者天国になっていて、夜の10時過ぎだというのに人通りが多い。ホテル、レストラン、クラブ、ディスコ、バー・・・昔の貴族のドレスを着て写真を撮れるサービスやら、スタッドだらけのレザージャケットを着てハーレーにまたがって写真を撮るサービスなんてのもある。まるでJUDAS PRIESTみたいな衣装で、結構すごい。にゃおんちゃんはレトロ・ハードロッカーなのでああいう格好はパス。

港正面の船着場には豪華客船が停泊していて、その前にはステージが組んである。ステージにはDJがいて、ダンス・ミュージックが大音響で流れている。その周りでは踊り狂う若者、そして一面に飛び散っているビール瓶の破片・・・。
お前ら、ビール瓶を叩き割るのは止めろ、危ないだろ。と言っているそばからサンダル履きの女の子が怪我をして足先から血を流している。ほらー・・・ほんと馬鹿だな、お前ら。他人に迷惑掛けるなよ。

旅行者ばかりのヤルタでは、東洋人のにゃおんちゃんが歩いていても誰も気にしない。当然、地元の人も旅行者慣れしている。モルドバではどこに行っても凄い視線を浴びていたというのに、一転してここでは放置プレイである。
モルドバにいたときは「うざい」と思っていたが、ここに来たらあまりの放置ぶりで何だか寂しくなってしまった。しかし、いまいち飲みに行く気にもならず、DQNを見て気分が悪くなったので帰ることにする。

大勢の旅行客でごった返すヤルタだが、英語表記は殆ど無い。英語なんか全然通じないし、レストランやカフェに入ってもメニューは全部ロシア語。ここはロシア語圏の人を対象にしたリゾート地。黒海沿岸でも有名な観光地で外国人もたくさん来るだろうに、「ロシア語が分からん奴は来なくていい」という本音が見え隠れする。
帰り道の途中にネットカフェを見つけたので立ち寄ってみるが、日本語フォントが入ってなくて万事休す。帰って速やかに寝る。

夜のヤルタ港
夜のヤルタ港。皆楽しそうにしているが、にゃおんちゃんは一人ぼっちで寂しくなる。



◆ちょっとは真面目に観光しようか

8月26日(日)
早寝したので7時に目が覚める。下着やTシャツをお洗濯して、10時に外出する。フルシチョフに電話するが、まだ寝ているのか応答が無い。
港へ行き、海岸通りのスタローヴァヤでご飯を食べるが、食事を終えてもフルシチョフからの電話は来ない。相変わらずクソ暑いので海水浴でもしようかと思い、ビーチへ行く。

ビーチへ行って少しばかり泳ぐが、30分もしないうちに嫌になって止める。一人で海水浴なんて空しすぎるし、周りには水着姿の美しいお姉さんなんて全然いなくて、おじさん・おばさんと子どもばかり。居たたまれなくなってすぐに退散する。
ヤルタへ来てから何もしていないので、少しは観光しておこうかと思い『リヴァーディア』へ行くことにした。

ヤルタのビーチ
ジジババ&子どもしかいないビーチ。居たたまれなくなって30分程度で退散。

ヤルタの海岸線
ヤルタの街の海岸線。背後には1,000m級の山々が迫る。


リヴァーディアはロマノフ朝(というかロシア帝国)最後の皇帝ニコライ2世の別荘として建てられたが、1945年にはあの悪名高き『ヤルタ会談』の舞台にもなっている。ヤルタに来たからには、日本人として行って来なければなるまい。そして、悪態のひとつもつかねばなるまい。
「ルーズベルトのアホバカ野郎!スターリンのクソッタレ野郎!」と。

ん?チャーチルはどうしたかって?
チャーチルは、ルーズベルトよりはアカどものヤバさを知っていたので、あまり責める気にならない。多分、容共主義者のルーズベルトやただのアホのトルーマンに振り回されて、歯噛みしたに違いない。
それに、戦勝国なのに第二次世界大戦で一番大損こいたのはイギリス。「世界最大の植民地帝国」から「ただの島国」へ転げ落ちちゃったわけだから。自業自得とはいえ、哀れ。


モスクワ通りのバス乗り場から37番マルシュルートカに乗ってリヴァーディアへ。運賃は3.5UAH。マルシュルートカはヤルタの街を抜け、やがて何も無いところで止まると、運転手が「ここがリヴァーディアだ」と言う。バスを降りるが右手はノリ面、左手は藪。おーい、ホントにここでいいのか?
左手(海側)に幅4〜5mほどの取付道路があるので行ってみるが、突き当りには金網があって行き止まり。しかし、その少し手前に階段があり、縁石にペンキで「←Livadia Palace」と書いてある。しかし、どう見ても他人の家の裏庭に行くような通路である。ほんとにこっちでいいのか?

疑心暗鬼になりながら歩くこと数分、人がたくさんいるのが見えた。どうやらリヴァーディアに着いたようだが、ここは裏口だ。売店のお姉ちゃんが「正面はあっち」と言うので、教えられたとおりに歩いて正面に回る。おお、これこそ写真で見たリヴァーディア!
ヤルタ会談で撮られた有名なスリーショットの写真を使った看板が立っている。この三人の悪党がどんなところで悪巧みをしたか、しっかり見てこよう。

リヴァーディア正面
これがリヴァーディア。皇帝の別荘というわりには小ぢんまりした可愛い建物です。

三悪人の看板
正面入口に立っていた三悪人の写真看板。おまいら、許さんぜよ!


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その24)

◆恐怖のソビエト広場

チェックインした我々は30分ほど部屋で休み、テレビを見ながら汗が引くのを待つ。テレビでは料理番組をやっており、レポーターがシェフに何やらインタビューをしている。
フルシチョフ君は日本は好きだが、日本食はあまり好きではない。それでも、やっと寿司を食えるようになったらしい。1年前に寿司屋に連れて行った際には、数貫食ったところでギブアップしていたことを考えれば、すごい進歩だ。

そんなことを話していると、やがてにゃおんちゃんはあることに気づいた。レポーターはウクライナ語で質問しているのだが、シェフはそれに対してロシア語で答えているのだ。なんじゃ、こりゃー!
ウクライナ人の殆どが両方の言語を理解するからこそ成り立つこの会話。分かっちゃいるけど信じられん。恐るべし、ウクライナ。


一休みしたところで、早速出かける。お昼時なのでレストランを探して中心街へと向かう。
やって来たのは「プローシャチ・ソビエツカヤ」。

ソビエト広場だぁ?

そんな名前の広場が未だに残っているのも珍しい。聞き間違いかと思って再度フルシチョフに尋ねるが、やはりここは「ソビエト広場」なのだという。彼はさらに衝撃的な発言を続ける。

「レーニン像もあるよ」

えーっ!ここはベラルーシか!
にゃおんちゃんが目を白黒させているのに、フルシチョフは何事も無かったかのように「レーニン像を壊してもソビエト時代が無かったことになるわけではない。ここの人間はソビエトに対する抵抗感は無い」と言い放つ。うむ、確かに正論だ。

同じウクライナでも、昔からウクライナ人が住む西部(リヴィヴ等)や中央部(キエフ等)と違い、東部や南部には元々ウクライナ人は住んでいなかった。特にクリミア半島は18世紀後半まで『クミア・ハン国』というタタール人の国があった場所。ロシア人やウクライナ人が住むようになったのはここ100年程度に過ぎない。
帝政ロシアによって移住が奨励された土地なのでロシア人比率も高く、ウクライナ人のような反ロシア・反ソビエト感情はあまり強くない。っていうか、フルシチョフ君も元はボルゴグラード出身のロシア人だし。

ちなみに、かつてこの地に住んでいたクリミアン・タタールは、スターリンによって中央アジアに根こそぎ強制移住させられたので、街中でタタール人を見ることは無い。「人民の敵」認定されたリトアニア人でさえスターリンの死後には母国への帰還を許されたのに、クリミアン・タタールは結局最後まで帰還を許されなかった。
ソ連崩壊後に約25万人が帰ってきたが、既にこの地に何十年も住んでいるウクライナ人とのトラブルが多発して社会問題になっているという。


そんなことを話しながらソビエト広場にあるスタローヴァヤで昼食を食べる。
食事を終えて外に出ると、目の前に巨大な廃屋が建っていた。元は映画館だった建物だが、2年前の火事で丸焼けになって以来、そのまま放置されているのだという。正面にはシートが被せられているが、その隙間から黒焦げになった角材が見える。そして、フルシチョフはポツリと呟いた。

「その火事で男が二人死んだ」

おーい、部屋に戻るときにこの建物の裏を通るんですけど、俺。
オバケとか出ないだろうな?嫌だぞ、俺・・・。

ソビエト広場
ソビエト広場。正面にある建物が火事になった映画館跡。オバケが出るかどうかは不明。




◆ここはロシアか?

食事を終えると、フルシチョフは自宅へと帰った。昨夜、サンクト・ペテルブルクから親戚が来てパーティーをしたそうで、あまり寝ていないらしい。夜にまた再会する約束をして、一旦別れる。
さてと、ヤルタの街を徘徊してみようか・・・。

ソビエト広場から海に向かって歩くと市役所があった。屋根の上にはウクライナ国旗ではなく、何故かロシア国旗らしきものが翻っている。風ではためいてよく見えないが、どう見てもウクライナ国旗ではない。なんでロシア国旗?クリミア半島はブレジネフの時代までロシア共和国領だったから、もしかして今でも気持ちはロシア領のまま?
しかも、建物のてっぺんにはソビエトの国章が残っている。ありえねぇ、キエフでは絶対にありえねぇ。

ヤルタ市役所
ヤルタ市庁舎。はためくロシア国旗、柱の上にはソビエトの国章・・・。ここはどこ?


ヤルタのレーニン像市庁舎から道路を渡ると、そこはヤルタ港。そして、その港の入口にある公園にはレーニン像が立っている。
ミンスクの独立広場にあるものほどデカくはないが、結構な大きさだ。キエフじゃレーニン像なんかひとつも見なかったし、レーニン博物館はコンベンション・ホールになってしまったというのに。ここホントにウクライナですか?
レーニン像の下にはスケボーで遊ぶ少年達がいる。レーニンが見たら、。「米帝の退廃文化は許さん!」とか言って怒るだろうなぁ。w

港といってもヤルタは保養都市なので、他の都市と違って倉庫やクレーンなど無い。遊覧船や客船の船着場があり、海沿いにはレストランやホテル、さらには遊園地などが立ち並んでいる。マックもあるぞ!絶対行かないけど。


ヤルタ港は綺麗に整備されていて、とても旧共産圏とは思えない。旅行者が行き交い、まるでスペインや南フランスのリゾート地にいるような錯覚に陥る。いや、行ったこと無いんだけどさ。
ヤルタはとても小さな街で、街中にはビーチとホテル以外たいしたものは無いので、部屋に戻って休むことにする。暑くてたまらん。
帰りに市場に寄り、食べ物を調達する。他の都市で見た市場よりも狭くてゴチャゴチャしてるが、品揃えは他の都市に劣らない。色とりどりの野菜や果物が山積になっていて、見ているだけでも結構楽しい。

市場を歩いていたら茄子の漬物のようなものを薦められ、試食したら美味しかったので買ってしまった。唐辛子がまぶしてあってとても美味しかった。これは何という食べ物なのだろうか?
部屋へ戻り、ご飯を食べてから少し寝る。スペインにシエスタ(お昼寝)なんて習慣があるのが理解できた。これだけ暑かったらバテちゃうよな。モルドバに来て以来ずっと続くこの暑さ、一体いつまで続くのだろうか・・・。

ヤルタ港
太陽の光が降り注ぐヤルタ港。焦げるかと思うくらい暑かった。

ヤルタの市場
ヤルタの市場。これらの果物はウクライナ産かと思ったら、多くはトルコからの輸入物らしい。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その23)

◆中国人の度胸にポカーン|д゚)

8月25日(土)
7時少し前に目覚める。酒を飲んで寝たせいか、寝台列車で横になって休めたせいか、グッスリ寝られたので体調は良さげ。オデッサでは本当にグッタリモードだったからねぇ。
ニコラエフから乗り込んできた同室の老夫婦にゆで卵を貰い、。朝ごはんを食べながら話をする。彼らもバカンスでクリミアへ行くのだという。ただし、ヤルタやセヴァストポリではなく、もっと東寄りの小さな街らしい。にゃおんちゃんの行き先がヤルタであることを告げると、お婆ちゃんが「あそこは美しいところよ」と太鼓判を押してくれた。
お爺ちゃんはアンドレイ・ヴラソフ中将(元ロシア解放軍総司令官)に似ているのだが、さすがにそれは言えなかった。ソ連人民から見たら、ナチスに尻尾を振った裏切り者だし、ヴラソフ中将・・・。

8時にシンフェローポリへ到着。さすがクリミアの玄関口だけあって駅は大きいし、朝から旅行者でごったがえしている。老夫婦と別れ、真っ直ぐバスターミナルへ。
ヤルタには空港も鉄道も無いので、ここからバスで移動する。駅を出ると、手前にヤルタ行きのトローリーバスが止まっている。ここからヤルタまで約70〜80km、しかもクリミア山脈を越えるルートにも関わらず、トローリーバスが走っている。トローリーバスなので当然死ぬほど遅く、ヤルタまで2時間半以上かかる。運賃は安いのだが、遅いのは嫌なので却下。
セレブな旅を目指すにゃおんちゃんは普通のバスに乗る。本当のセレブはバスなんか乗らないことに触れてはいけない。発言に気をつけないと、夜中にKGBがやって来てあなたの部屋のドアをノックすることになる。運賃は18UAH。

シンフェローポリ駅
シンフェローポリ駅。時計塔があったりなんかして、ゴージャス。

ヤルタ行きのバス
ヤルタ行きのセレブなバス。いすゞ車で、多分ウクライナの工場で生産されたもの。


列車の中で飲みきれなかったビールをシートに置き、タバコを吸いがてらフルシチョフに電話をする。バスターミナルまで迎えに来てくれるとのこと。
バスに戻ると、にゃおんちゃんの席周辺は中国人の集団に占拠されていた。お前らなぁ・・・そうやっていつも集団でゾロゾロ行動してるからウザいのよ。しかもうるさいし。あーあ、周りのウクライナ人は俺のことも中国人だと思ってるんだろうなぁ・・・。

シートに座り込んでしばらくトホホしていたにゃおんちゃんだったが、気を取り直して隣に座っている中国人の女の子に話しかけてみた。謎の支那人軍団は男性2名、女性5名の計7名。中国南方のなんとかいう都市(聞いたが3分で忘れた)からやって来た旅行者。てっきり出稼ぎに行く連中だと思っていたので驚いた。っていうか、「君達、出稼ぎに来たの?」って言っちゃったし、俺。失礼ですね。
ウクライナに来る中国人旅行者・・・物好きなのか金持ちなのか・・・。こいつら、どう見ても金持ちには見えんが。

にゃおんちゃんが一人で旅をしていることを知ると、「凄い!」と連呼していたその女の子だったが、彼女の英語は片言レベル、ロシア語は全く分からず。あなたのほうが凄くない?
しかも、他の連中も同様のレベルであることが発覚し、絶句するにゃおんちゃん。

英語もロシア語も分からんで、どうやってウクライナを旅してるんですか、お前ら!

実はドイツ語がペラペラだったり・・・するようには見えない、全然見えない。まぁ、7人もいるから何とかなるんだろうけど。
中国人ってたくましいわ、ほんと。核戦争で世界が滅びても、ゴキブリとネズミと中国人は生き残るな、絶対・・・。



◆にゃおんちゃん、旧ソ連のダメ仕様に劣化する

バスは8時55分にシンフェローポリを出発。ここからヤルタへ行くには、1,000m級の山々が連なるクリミア山脈を越えなくてはならない。バスは曲がりくねった山道を進み、そしてにゃおんちゃんの耳は痛くなる。
やがて黒海が見えてくると、クリミア山脈と黒海の間にある猫の額ほどの傾斜の緩い土地(それでも決して平地ではない)に、へばりつくようにして建物が建っているのが見えた。ヤルタに限らず、この辺りの街はどこもこんな感じ。

11時過ぎにヤルタに到着。ヤルタのバスターミナルは街外れにあるので、街に入ったと思ったらすぐに到着。バスを降りて謎の支那人軍団と分かれる。さーて、フルシチョフ君を探そうか。と思った次の瞬間、ポケットに入れていたデジカメが無くなっていることに気づいて顔面蒼白となる。冗談じゃねーぞ!モルドバで撮った貴重な写真がー!
慌ててバスに戻ると、にゃおんちゃんのデジカメは運転席に置いてあった。どうやらバスを降りるときに落とし、誰かが拾って運転手に渡してくれたのだろう。いやー、危ないところだった。場所が場所だったら絶対盗まれてるぞ。ウクライナ人って、こういうところはホント正直。

ヤルタのバスターミナル
ヤルタのバスターミナル。デジカメを取り戻してホッとした直後に撮影した一枚。


バスターミナルをウロウロしていると向こうからフルシチョフがやって来たのが見えた。約1年ぶりとなる再会。ちょっぴり痩せたような・・・。
ここヤルタもまた灼熱地獄なので、重たい荷物を担いでウロウロしたくない。という訳で、速やかに部屋探しに取り掛かる。3泊くらいしちゃおうと思っているので、ホテルではなく貸し部屋を探すことにする。

フルシチョフ曰く、「セントラルは便利だけど高い」とのこと。しかし、彼もセントラルに住んでいるので、俺が街外れに滞在していてはお互いに何かと都合が悪くなるに違いない。それに、俺も海水浴場まで歩いて行けるところのほうがいい。
早速、バスターミナルにたくさんいる客引きのおばちゃんと交渉する。おばちゃん達は部屋の写真をふりかざしながら、フルシチョフ君の争奪戦を繰り広げている。そして、その様子をマターリと眺める俺。
「おめー、のんびり見てるんじゃねーよ!」とドヤされたので、にゃおんちゃんも交渉に加わる。フルシチョフが「この部屋、どう?うちから近いし、値段も手頃だよ」と言うので、その部屋にすることに。キエフ通りの市場近くにある部屋で、1泊60USD。

マルシュルートカに乗って市場まで移動し、そこから階段と坂道を登る。建物はちょっとした民宿のようなつくりで、部屋が6〜7室程度の客室がある。さらに台所、娯楽室、バルコニー、プールといった共用スペースがあって中々豪勢。
エアコンもあるし、風呂にバスタブが無いことを除けば申し分ない。ちなみに、お湯もちゃんと出る。w


ウクライナに来て思ったのだが、モルドバと比較すると、何もかもがきちんと整備されていて、何もかもがきちんと機能している印象を受ける。一言で言うと、「何をするにも快適で便利」といったところか。
帰国後、友達のK君(日本人)にこの話をしたところ、「ウクライナを快適と感じるなんて、お前ヤバくないか?」と言われてしまった。にゃおんちゃんの感覚は旧ソ連仕様に劣化しつつあるようで・・・。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その22)

◆マルシュルートカでひと騒動

あまりに暑いので海水浴にでも行こうかと思い海水浴場を探すが、街中には無い。地元民に尋ねたところ、「アルカーディヤ」というビーチがここからトラムに乗って20〜30分のところにあるそうな。
アルカーディヤ・・・英語にすると"arcadia"になるのだろうか?「理想郷」という名の海水浴場・・・。

水着姿の美しいお姉さんがたくさんいる「理想郷」ですか?

でも、止めた。行くのがめんどくさいから。
それに、一人でビーチをウロウロしていたら、ホントに変質者とか盗撮マニアと思われかねんし。


代わりに・・・という訳ではないが、ショッピング・モールへ行って地下のカフェテリアでご飯を食べる。このカフェテリアはステーキやムニエルを目の前で焼いて作ってくれる。凄く美味しそうなのでステーキを注文してみるが、食べてみたら硬くてちっとも美味しくない。使っている肉が悪いのだ。鮭のムニエルにしときゃよかった・・・。

歩いていたらインターネット・カフェを見つけたので入る。日本語環境は無いが、とりあえずメールをチェックするだけなので構わない。
しかし、フルシチョフ君やアンドレイさんとは直接電話で連絡を取っているので、大事なメールはひとつも無し。行方不明なままとなっているアントネスクからの連絡も無し。あいつは一体何をやっているのだろうか?今さらトランスニストリアに戻る気は無いから、連絡貰っても手遅れなんだけどさ。


ネットカフェで時間を潰してもまだ16時・・・もう限界だ。かなり早いが駅へ行くことにする。
預けてある荷物を取りにホテルへ戻った際、フロントの女性に駅へ行く方法を尋ねる。来るときはトローリーバスで来たが、下車したところが一方通行なので反対方向に行くバスの乗り場が分からないのだ。ところが、フロントのお姉ちゃんは「10グリブナ」と言うではないか。
教えて欲しかったら10グリブナ払えってか?ジョークにしてはセンスが悪いし、ホテルのフロントが客に対してジョークをカマすか、普通?ジョークだと分かっていたが、ムカついたのでポケットから札束を取り出した。すると、受付嬢は目を丸くして「ジョーク、ジョークよ」と慌てて言う。そんなこと分かってら。

トラムでも駅の近く(多分バスターミナル付近)まで行けるはずなのだが、何番のトラムに乗れば良いか分からないのだ。という訳で、フロントで教えられたとおり、ホテルの前から195番マルシュルートカに乗って駅へ向かう。運賃は1.25UAH。
にゃおんちゃんは荷物を抱えて後部座席に座っていたのだが、途中から人がわんさか乗り込んできて大変なことになる。駅に着いたので降りようとするが、デカい荷物を抱えているので身動きが取れない。一旦降りて通路を空けてくれればいいのに、皆体を縮めるだけでその場から動こうとはしない。

そこのおばさん、そんなにデカいケツじゃ少しくらい体を縮めても、にゃおんちゃんはそこ通れませんから!

仕方が無いので、「プラスチーチェ・パジャルースタ!("すまみせん"とか"失礼します"という意味)」と連呼しながら無理矢理スペースをこじ開けて進む。若い兄ちゃんが何やら文句を言っていたが、知ったことではない。
お前ら、一旦車から降りて通路を空けるという発想は無いのか?馬鹿じゃねーのか?

日本人のお行儀の良さが恋しくなった一瞬だった。

駅へ向かうマルシュルートカの中
マルシュルートカの車内。この後、ラッシュアワー並みのすし詰め状態になるとは夢にも思わず。



◆久しぶりの夜行列車

駅へやってきたが、列車の出発までまだ3時間以上ある。駅前で露天商がサングラスを売っていたので40UAH(約920円)で買う。ティラスポールでサングラスを壊してしまい困っていたので、丁度良かった。さらに近くの市場で飲み物と食い物を買い込んで、駅の待合室へ行く。フカフカのシートがあるうえに、冷房が効いていて快適。

自分の寝床が上段か下段か気になったので、隣に座っていた女性に切符を見せて尋ねてみるが全く英語が通じず玉砕。すると、近くの席でそれを見ていたお姉さんが英語で「どうしたの?」と助け舟。おー、ありがたい。
切符には座席番号が書いてあり、確か「奇数なら上段」とかそんな法則性があったはず・・・。お姉さんに尋ねてみたものの結局は分からずじまい。

暇なのでそのまま立ち話に突入。にゃおんちゃんが買ったクヴァースのペットボトルを見て、「あなた、これ好きなの?ウクライナ人みたいね」と言う。おう、当たり前だぜ。一度はウクライナ人になりかけたことがあるんだからな。幸か不幸か失敗したけど。
お姉さんはこれから友達に会いにスーミまで行くのだという。スーミっていうと、ウクライナ北部だな?ポルタヴァよりもさらに北だ。


お姉さんと別れ、時計を見ると18時。まだ早いけど、一度ホームへ様子を見に行ってみるか・・・。
ホームへ行くと、既に列車が入構していた。ホームをウロウロしていた車掌さんに切符を見せ、列車に乗り込む。ちなみに、にゃおんちゃんの車両の車掌はおじさん。男性の車掌を見たのは初めてだった。列車の車掌というのは女性の仕事だとばかりだと思っていたけど、そんなことないのね。

久しぶりに乗る夜行列車、いいねー!列車の旅は最高だ。同じコンパートメントの人と仲良くなって、酒をかっくらって酔っ払って寝ている間に目的地に着いちゃうのよ。日本と違って運賃も安いし、速度が死ぬほど遅いことと風呂に入れないことを除けば最高だね。
まるで修学旅行中の中学生のようにワクワクしていたにゃおんちゃんだが、出発直前になっても誰もこのコンパートメントにやって来ない。俺は隔離されてるのか?

結局誰も来ないままシンフェローポリ行きの夜行列車は出発し、にゃおんちゃんは一人寂しくビールを飲みながら音楽を聴いて過ごすことに。

タブリヤ号
この夜行列車は「タブリヤ号」という名前がついているらしい。何故か新幹線のイラストが。

途中の停車駅にて
駅のホームでおばちゃん達が食べ物やビールを売っている。


いつの間にか寝てしまい、目が覚めると列車はどこかの駅に停車していた。ホームには飲み物や食べ物を売るおばさん達がたくさんいる。車内で宴会を開いて酒を飲みつくした乗客達が、ビールやウォッカを買い込んでいく。旧ソ連諸国を列車で旅すれば、必ず見る光景。
去年行ったバルト三国は鉄道網が壊滅的な状態で、どこへ行くにもバスばかりだった。そんな訳でこの光景を見るのも2年ぶり。

ビールを飲んで酔っ払って寝ていたら、夜中の午前2時近くに誰かがコンパートメントに入ってきて飛び起きる。老夫婦とその娘らしき3人組で、同室の乗客だった。礼儀正しい人達で「起こしてしまってごめんなさいね」と詫びてきた。
ここはどこかと尋ねると、「ニコラエフ」だと言う。オデッサの東方約100kmのところにある都市だ。4時間かかってもまだニコラエフ?ここからシンフェローポリまで300km近くあるはずだ。この調子で本当に明日の朝にシンフェローポリに着くのだろうか?

でも、そんなことはどーでもいいや。眠い・・・寝るぞ、ぐー。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その21)

◆オデッサ写真館(本日はネタ切れ)

暑くて暑くて真面目に観光する気にならない。しかし、時間だけはたっぷりあるので、「適当に街を散歩し、疲れたら飲み物を買って休憩」を繰り返す。

フェリーターミナルに行ってみるが、暑いだけで何も無い。埠頭の先端にはヨットハーバーがあり、ヨットやクルーザーがたくさん。金持ちが船の上でくつろいでいるのが見える。えーと、どんな悪いことをしたら、そんな船を買える金を稼げるのでしょうか。にゃおんちゃんには一生縁が無さそうな代物です。

ゴールサト公園でゲーム
ゴールサト公園でチェスやドミノに興じる人々。金掛けてるのかな?

フェリーターミナル内部
フェリーターミナル内には旅行者がたくさん。イスタンブールへ行く船でも出港するのかな?

オデッサのヨットハーバー
労働者の敵がたくさん。このブルジョワどもめ、粛清してやる!

下から見たポチョムキンの階段
下から見たポチョムキンの階段。ね、踊り場が隠れて見えないでしょ?

思えば遠くへ来たもんだ  黒猫をだっこしたおじさん
左:横浜から8,460km。クライペダ(リトアニア)まで1,225km。思えば遠くへ来たもんだ。
右:工事現場のおじさんが野良猫をだっこして記念撮影。

オデッサの街並み
オデッサの中心街はどこもこんな感じ。街路樹があって緑豊かです。

オデッサのトラム
オデッサのトラム。ボロくもなく、新しくもなく、普通。

オデッサの落書き
「鎌とハンマー」の落書き。下のほうに"Fuck NATO"と書いてある。

あまりの暑さに犬もダウン
あまりの暑さに犬もノビちゃいました。

ぬこもノビちゃってます
ぬこもダウンしてます。しかも道の真ん中で。死んでるのかと思って一瞬焦った。

そして人間もダウン?
犬猫に続いて人間もダウン!暑さにやられた訳ではなくて、ただの酔っ払いですけど。


という訳で、書くことは全然無いのに写真だけはたくさんある。
ホントに書くこと無いので、今日は写真をご覧ください。


《つづく》

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その20)

◆熱帯夜のオデッサ

22時に目が覚めるたので、散歩に出かけることにする。夜だというのに気温は30℃を超えており、暑くて仕方ない。なので、夜風に当たりに港へ行くことにする。ついでに『ポチョムキンの階段』も見てこよう。
「ポチョムキンの階段」とはオデッサ港の正面入口にある階段で、1920年代に作られたソ連映画の名作『戦艦ポチョムキン』の撮影に使われて有名となった。この映画は、兵士に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンが圧巻で、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』にもこれをパクッたシーンが登場する。(駅構内の階段で乳母車が階段を落ちていくが、間一髪のところで主人公が赤ちゃんを救出)

行ってみると、夜の10時過ぎだというのに人がたくさん。オデッサ一番の観光名所だけあって、周辺は綺麗にライトアップされていてロマンティックな雰囲気を醸し出している。一人でいると寂しいなぁ・・・。
このポチョムキンの階段は途中にいくつかの踊り場があるのだが、上から見ると踊り場しか見えず、下から見ると逆に階段のみが見えるというつくりになっている。また、見た目の安定感を出すため、下に行くにしたがって徐々に道幅が広くなっているなど、非常に凝った設計が施されている。見た目は普通の階段なのだが、実はただものではないのだ。
おーすげー、おーすげー、言いながら写真を撮りまくる。

階段を下りて道路を渡ると、そこはフェリーターミナル。残念ながら船は停泊していないが、夜風に当たりながらオデッサの港を見渡すことができる。海沿いだけあって心地よい風が吹いてきて、とっても快適。

ポチョムキンの階段
これがポチョムキンの階段。正面に見えるのはフェリーターミナルとホテル。


ポルタヴァに住むロック友達のアンドレイさんに、「ウクライナに来たよー」とメールする。アンドレイさんはNIGHTWISHが大好きというロック野郎なのでにゃおんちゃんと話が合う。すげーいい人で何度も「旅は順調?困ったことは無いか?」とメールを送ってくれていた。「ポルタヴァにも来ればいいのに」と言われるが、今のところその予定は無い。
ポルタヴァって微妙な位置にあるんだよね。キエフと東部の都市(ドニプロペトロフスク、ハリコフ等)の中間にあるけど、両都市を結ぶ幹線からは外れてる。立ち寄ろうと思えば寄れる場所だが、果たしてそんな時間があるかどうか。

キシナウのヘレンさんにも「無事ついたから」とお礼の電話をするが、一瞬でスターターパックの通話時間を使い果たしてしまい、二言三言喋って終了となってしまった。
それから、キシナウで会ったドイツ人の教授にも電話したが、何をやっても繋がらなくて断念。彼らもまたこのオデッサのどこかにいるはずなのだが・・・。彼らに会えないのは残念だが、ナンパの片棒を担がされなくて済むと思うと少しホッとした。

夜風に当たった後、午前1時にホテルに戻って寝る。

夜になってもこの気温
夜になってもこの気温です。寒冷地仕様のにゃおんちゃんにはつらい。

オデッサの橋にて
帰りに通った橋の欄干。たくさんの南京錠がぶら下がってる。恋人たちの願掛けでしょうか?



◆にゃおんちゃんの「オデッサ作戦」 = 省エネ観光?

8月24日(金)
朝6時に起きて、暑くなる前に市内を観光しようと思ったのだが、思いっきり寝坊する。
結局、9時に起きて近所のスタローヴァヤでメシを食い、11時にチェックアウト。ホテルで荷物を預かってくれるよう頼むと、引き受けてくれたが5UAH取られた。ホテルに荷物を預けて金を取られたのは初めてだ。ケチくせーな。
凄まじく暑いので、今日も半ズボン&サンダルの浮浪者スタイル。

今日はウクライナの独立記念日だが、にゃおんちゃんには全然関係ない。ソ連が崩壊して独立できちゃっただけのウクライナの独立なんぞ祝ってやる気にもならん。いや・・・大昔のウクライナが独立を守るためにロシアやポーランドと戦ったのは知ってるよ。でも、そんなの一体いつの話よ?
と、ウクライナ人に知れたら殴られそうなことを考えて街を歩く。しかし、暑くて暑くて観光する気にならない。ましてや、一昨日は灼熱のソロカで体力を激しく消耗し、さらに夜行バスで移動しているのだ。かなり日焼けしているし、体力は絶対落ちてるはず。シンフェローポリ行きの列車は17時44分発。あと6時間も何をして過ごそうか・・・。


まずは泊まっていたホテルの裏にあるアーケードを見に行く。このホテルはバリバリのアール・ヌーヴォー建築で、裏手にあるアーケードにはすごい彫刻がたくさんある。
さて、どんなもんかと見に行ったものの・・・うーむ・・・街ひとつ丸ごとアール・ヌーヴォーのリガ(ラトヴィア)を見ちゃってるにゃおんちゃんにとっては普通の出来。彫刻の細かさもヴィリニュス(リトアニア)で見た「聖ペテロ&パウロ教会」のものには及ばず、作りの荒さが目立つ。
聖ペテロ&パウロ教会の彫刻は息を飲むほど精巧で美しかったからねぇ。人物の表情が全部微妙に違うし。それに比べたら、こっちは全部同じ顔してる。

アーケードの入口
アーケードの入口。場所はゴールサト公園の北側で、歩行者天国に面している。

パサージュの全景
アーケードの全景。中には店がいくつかあるが、たいしたものは無い。

パサージュの漆喰彫刻
パサージュ内部にある漆喰彫刻。凄い所と比較したらショボいが、それでも迫力ある。


今日は祝日。ということは、博物館や美術館なども閉まっているに違いない。
あーっ!このクソ暑いオデッサで何をして過ごせばいいのだ!

仕方ない。体力を消耗しない程度に散歩して時間を潰そう。疲れたらすぐに休む!
今日はひたすらダラダラして過ごしてやろう。
わざわざオデッサまで行ったというのに、やる気ゼロで省エネモードの俺。


《つづく》