【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その21)
これまでの経過はこちら。
赤い巨人との戦いを乗り切ったドイツ軍は次なる作戦に。
ヴォルフスシャンツェの懲りない面々 - 1940年9月28日〜10月18日
9月下旬、レニングラードを攻略した北方軍集団とモスクワを攻略した中央軍集団が、レニングラードとモスクワ周辺に散らばる残存勢力の掃討を完了し、200個師団を超える赤軍は事実上壊滅した。南方軍集団はボルガ川周辺を制圧すると渡河を敢行し、カザン(現ロシア連邦タタールスタン共和国首都)を占領。バルバロッサ作戦で掲げていた目標ラインに到達した。
ソ連軍もポツポツと歩兵を繰り出しては進軍阻止を試みたが、グデーリアンやマンシュタイン率いる機甲師団に踏み潰されたうえに、容赦ない空爆に晒されて次々とロシアの大地に消えていった。残された最後の工業地帯ノヴォシビルスク(ロシア連邦ノヴォシビルスク州都)の陥落も時間の問題となり、ソ連の命運は風前の灯火となった。
ヒトラー総統の命令によりレニングラードがかつての名前「ペテルブルク」に戻された9月28日、観光三昧で遊び呆けていたポテンテはクレムリンから持ち出したスターリンの肖像画を担いでドイツへと舞い戻った。そして、その肖像画はヴォルフスシャンツェ正面玄関の片隅に飾られることとなった。
ただし、『ドイツ軍最良の将軍』というプレートを添えられて。
1940年9月の時点でドイツ軍は既にモスクワ、レニングラード、スターリングラードの主要三都市を陥落させており、またバルバロッサ作戦の到達目標としていたボルガ川西岸とカフカス地方の制圧も完了していた。
伸びきった補給線の維持に苦しみながらも、ドイツ軍はたった5ヶ月間でソ連軍をウラル山脈の彼方に追い払うという偉業を達成した。
ヘス副総統がそう言うと会議室のカーテンが閉まり、正面に設置されたスクリーンに映像が映し出された。その映像はトルコで撮影されたもので、トルコ軍とイギリス軍が激しい戦闘を繰り広げている映像だった。
驚くべきことに大統領イスメト・イノニュがこの前線を訪れ、砲弾が轟く中で将兵を鼓舞する姿も映っていた。
ドイツ軍のポーランド侵攻開始と同時にイラクとフランス領シリアに攻め込んだトルコ軍は、1939年冬にはシリア、レバノンを制圧し、バグダッド目前まで迫っていた。ところが、エジプトやインドから駆けつけたイギリス軍の反撃に遭い、さらには独ソ戦の開始によってカフカス地方からソ連軍にも攻め込まれ、あっという間に守勢に追い込まれていた。
その後もトルコ軍の戦況不利は続き、1940年の秋にはアナトリア半島北東部をソ連に、南東部をイギリスに奪われ、首都アンカラが陥落する一歩手前という危機に陥っていたのだ。
イノニュ大統領がそう叫ぶと、間もなく鉄十字の識別マークを持つ爆撃機がトルコ軍の背後から現れ、イギリス軍に向かって爆撃を開始した。兵士達の叫ぶ声が聞こえる。
「見ろ!ルフトバッフェ(ドイツ空軍)だ!ドイツ軍が俺達を助けに来たぞ!」
映像はここで終わった。
カーテンが開けられ、会議室に再び日の光が差し込むと、ヘス副総統が説明を再開した。
作戦は『クラフトヴェルク作戦』と命名され、ブロンベルク元帥率いる北方軍集団は「ドイツ・アラブ軍集団」と衣替えをして海路でレバノンへと向かった。補給網の確保を考慮して上陸地点はトルコに近いレバノンへと変更されたのだ。一方、バルバロッサ作戦に続くソ連攻略作戦『ゼーベルティーガー作戦』が発動され、カザンまで進出していたルントシュテット上級大将率いる南方軍集団は「ドイツ・シベリア軍集団」として引き続き西シベリア攻略をを担当することとなった。
そして、クルーゲ上級大将率いる中央軍集団は「ドイツ・インド軍集団」と命名され、バクーへの移動を開始した。彼らはバクーからイランを経由してインドへと向かうことになる。
アラブ軍集団、インド軍集団が次の作戦拠点への移動準備に取り掛かっている間、ゼーベルティーガー作戦によってさらにソ連奥深くを目指したシベリア軍団だったが、相変わらず深刻な補給難に苦しんでいた。
そもそも、高度に機械化されたドイツ軍が消費する物資の量は半端なものではない。そこで、車両輸送力の限られたドイツ軍は、補給物資の運搬を鉄道によって行おうとしていた。しかし、ソ連の鉄道は広軌(軌道幅1524mm)を採用していたため、西欧で一般的な標準軌道(幅1435mm)への変換作業が必要となる。ところが、工兵部隊の兵員不足によって作業は困難を極め、またロシア人のいい加減な工事によって敷設された線路は、主要路線を除いて補給物資を満載した貨物列車の重量に耐えられるものではなかった。
このため、ドイツ軍は主要都市までは貨物列車で物資を運び、そこからトラックに積み替えて前線まで輸送するという方法と取ることとなったが、この積み替え作業に多くの時間と人手を費やしていた。さらにロシアの劣悪な道路事情は重トラックの激しい損耗を招き、1940年秋には補給率の平均が60%台まで低下するという事態になっていた。
ドイツ軍は明らかに攻勢限界点に達しつつあった。兵站総監として陸軍の補給を一手に引き受けていたヴァグナー少将は、来る日も来る日も前線から届く矢のような催促に晒され、激務による過労とストレスによって物凄い勢いで白髪が増えていった。
このゲームで補給率を改善させる特効薬は、占領地に傀儡政権を立てて独立させ、直轄地を減らすほかに無いのだ。しかし、ヒトラー総統は「ドイツにとってのロシアは、イギリスにおけるインドと同じ」だと言う。ポテンテは白髪どころか、ハゲてしまいそうなほど悩んでいた。
《つづく》
赤い巨人との戦いを乗り切ったドイツ軍は次なる作戦に。
ヴォルフスシャンツェの懲りない面々 - 1940年9月28日〜10月18日
9月下旬、レニングラードを攻略した北方軍集団とモスクワを攻略した中央軍集団が、レニングラードとモスクワ周辺に散らばる残存勢力の掃討を完了し、200個師団を超える赤軍は事実上壊滅した。南方軍集団はボルガ川周辺を制圧すると渡河を敢行し、カザン(現ロシア連邦タタールスタン共和国首都)を占領。バルバロッサ作戦で掲げていた目標ラインに到達した。
ソ連軍もポツポツと歩兵を繰り出しては進軍阻止を試みたが、グデーリアンやマンシュタイン率いる機甲師団に踏み潰されたうえに、容赦ない空爆に晒されて次々とロシアの大地に消えていった。残された最後の工業地帯ノヴォシビルスク(ロシア連邦ノヴォシビルスク州都)の陥落も時間の問題となり、ソ連の命運は風前の灯火となった。
ヒトラー総統の命令によりレニングラードがかつての名前「ペテルブルク」に戻された9月28日、観光三昧で遊び呆けていたポテンテはクレムリンから持ち出したスターリンの肖像画を担いでドイツへと舞い戻った。そして、その肖像画はヴォルフスシャンツェ正面玄関の片隅に飾られることとなった。
ただし、『ドイツ軍最良の将軍』というプレートを添えられて。
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モスクワとペテルブルクはどうだったかね? |
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はい、モスクワのクレムリンもペテルブルクの冬宮も、それは素晴らしいものでした。 総統も一度行かれてはどうですか?きっと気に入るものがあるはずですよ。 |
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ふん!ロシアの宮廷文化などドイツやフランスの物真似ではないか。 何が悲しくて、私があのような劣等民族の文化を見に行かなくてはならないのか。 |
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そうですか・・・私はフランスなんかよりずっと好きですけどねぇ?それはともかく、総統閣下、これお土産です。つまらないものですが、エヴァさん(ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウン)と召し上がってください。 |
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これは何だ?お菓子かね? |
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モスクワ土産といえば、これ。 はい、『モスクワの味 パルナス』のお菓子でございます。 |
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・・・・・・・ポテンテ君、嘘はいかんよ、嘘は。 パルナス製菓は2000年に清算して解散している。それにあれは日本の企業だろ。 |
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げっ!どうしてそれを。 |
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私は何でも知ってるのだ。 『パパは何でも知っている』のパパよりも何でも知っているのだ。 |
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お願いですから、Guicho Zurdoみたいなことを言わないでください。 |
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さて、それでは今後の方針について会議を始めようか。皆を呼んでくれ。 |
1940年9月の時点でドイツ軍は既にモスクワ、レニングラード、スターリングラードの主要三都市を陥落させており、またバルバロッサ作戦の到達目標としていたボルガ川西岸とカフカス地方の制圧も完了していた。
伸びきった補給線の維持に苦しみながらも、ドイツ軍はたった5ヶ月間でソ連軍をウラル山脈の彼方に追い払うという偉業を達成した。
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諸君の献身的な働きによってバルバロッサ作戦は成功に終わった!邪悪なボリシェヴィキの滅亡は時間の問題だ!私は、諸君のドイツに対する忠誠に感謝したい! |
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本日は『影の薄い副総統』こと私ルドルフ・ヘスが中東戦線について報告します。 まずはこちらの映像をご覧ください。 |
ヘス副総統がそう言うと会議室のカーテンが閉まり、正面に設置されたスクリーンに映像が映し出された。その映像はトルコで撮影されたもので、トルコ軍とイギリス軍が激しい戦闘を繰り広げている映像だった。
驚くべきことに大統領イスメト・イノニュがこの前線を訪れ、砲弾が轟く中で将兵を鼓舞する姿も映っていた。
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反撃せよ!ここが落ちたら首都アンカラが砲火に晒されることになる。何としても耐えるのだ!ケマル閣下が命を掛けて守ったこのトルコ共和国、むざむざイギリスに渡してなるものか!ええい、私にも銃をよこせ! |
ドイツ軍のポーランド侵攻開始と同時にイラクとフランス領シリアに攻め込んだトルコ軍は、1939年冬にはシリア、レバノンを制圧し、バグダッド目前まで迫っていた。ところが、エジプトやインドから駆けつけたイギリス軍の反撃に遭い、さらには独ソ戦の開始によってカフカス地方からソ連軍にも攻め込まれ、あっという間に守勢に追い込まれていた。
その後もトルコ軍の戦況不利は続き、1940年の秋にはアナトリア半島北東部をソ連に、南東部をイギリスに奪われ、首都アンカラが陥落する一歩手前という危機に陥っていたのだ。
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ドイツ軍がモスクワを落としたという知らせが入った。もうすぐドイツ軍が助けに来るに違いない。兵士諸君よ、それまで耐えるのだ! |
イノニュ大統領がそう叫ぶと、間もなく鉄十字の識別マークを持つ爆撃機がトルコ軍の背後から現れ、イギリス軍に向かって爆撃を開始した。兵士達の叫ぶ声が聞こえる。
「見ろ!ルフトバッフェ(ドイツ空軍)だ!ドイツ軍が俺達を助けに来たぞ!」
映像はここで終わった。
カーテンが開けられ、会議室に再び日の光が差し込むと、ヘス副総統が説明を再開した。
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ご覧のとおりトルコはイギリスとソ連に攻め込まれ、「イノニュ危機一髪」の状況でしたが、バルバロッサ作戦を終えた空軍が支援に向かってピンチを切り抜けました。 |
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何という危ない戦いをしていたのだ・・・。 トルコがイギリスの手に落ちたら大変なことになっていた。 |
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空軍がトルコ領内にいた敵軍をあらかた始末したので、トルコ軍は既に反撃を開始しています。しかし、さらに誤算が発生しまして・・・。 |
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今度は何が起こったのだ? |
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去る8月13日、我が国に対して好意的だったイラン皇帝パーレヴィ1世がクーデターによって失脚し、イランは連合国に加盟してしまったのです。 |
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新たに皇帝となった息子のパーレヴィ2世は親英米派ですからね。 |
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おのれ、イランめ・・・。我々と同じアーリア人でありながら我らを敵に回すとは。 |
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イラン軍とイランに駐留していたイギリス軍がトルコへと向かっています。 我々は速やかにトルコへ援軍を送るか、イランを叩く必要があります。 |
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その任務を担えそうな部隊は手近にいるのかね? |
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ハウサー中将とブラウヒッチュ中将の部隊がカフカスに展開していますが、たったの6個師団ですし、これまでの戦闘でかなり消耗しています。 |
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私に良い案があります。レニングラード攻略を終えて遊んでいる北方軍集団を船でエジプトへ向かわせましょう。エジプトから東へ進んでイランを攻略するのです。 |
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スエズ運河を制圧すれば、インドへ落ち延びたイギリスの地中海進出も絶てるし、一石二鳥だな。 |
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それだけではありませんよ。エジプトからイラクへ向かう途中には何があります? |
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エルサレム・・・ユダヤ人対策か。確かに、これで連中を追放する場所が確保できるな。 |
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よし、決まりだ。その作戦で行こう。作戦名は『クルセーダー(十字軍)作戦』とする! |
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閣下、ダメです。その名前はイギリス軍がこれから使う予定です。紛らわしいので止めましょう。 |
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イギリス軍が?どうしてそんなことを知っているのだ? |
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私も何でも知ってるのです。 『パパは何でも知っている』のパパよりも何でも知っているのです。 |
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もう、そのネタは止めろっての。 |
作戦は『クラフトヴェルク作戦』と命名され、ブロンベルク元帥率いる北方軍集団は「ドイツ・アラブ軍集団」と衣替えをして海路でレバノンへと向かった。補給網の確保を考慮して上陸地点はトルコに近いレバノンへと変更されたのだ。一方、バルバロッサ作戦に続くソ連攻略作戦『ゼーベルティーガー作戦』が発動され、カザンまで進出していたルントシュテット上級大将率いる南方軍集団は「ドイツ・シベリア軍集団」として引き続き西シベリア攻略をを担当することとなった。
そして、クルーゲ上級大将率いる中央軍集団は「ドイツ・インド軍集団」と命名され、バクーへの移動を開始した。彼らはバクーからイランを経由してインドへと向かうことになる。
アラブ軍集団、インド軍集団が次の作戦拠点への移動準備に取り掛かっている間、ゼーベルティーガー作戦によってさらにソ連奥深くを目指したシベリア軍団だったが、相変わらず深刻な補給難に苦しんでいた。
そもそも、高度に機械化されたドイツ軍が消費する物資の量は半端なものではない。そこで、車両輸送力の限られたドイツ軍は、補給物資の運搬を鉄道によって行おうとしていた。しかし、ソ連の鉄道は広軌(軌道幅1524mm)を採用していたため、西欧で一般的な標準軌道(幅1435mm)への変換作業が必要となる。ところが、工兵部隊の兵員不足によって作業は困難を極め、またロシア人のいい加減な工事によって敷設された線路は、主要路線を除いて補給物資を満載した貨物列車の重量に耐えられるものではなかった。
このため、ドイツ軍は主要都市までは貨物列車で物資を運び、そこからトラックに積み替えて前線まで輸送するという方法と取ることとなったが、この積み替え作業に多くの時間と人手を費やしていた。さらにロシアの劣悪な道路事情は重トラックの激しい損耗を招き、1940年秋には補給率の平均が60%台まで低下するという事態になっていた。
ドイツ軍は明らかに攻勢限界点に達しつつあった。兵站総監として陸軍の補給を一手に引き受けていたヴァグナー少将は、来る日も来る日も前線から届く矢のような催促に晒され、激務による過労とストレスによって物凄い勢いで白髪が増えていった。
このゲームで補給率を改善させる特効薬は、占領地に傀儡政権を立てて独立させ、直轄地を減らすほかに無いのだ。しかし、ヒトラー総統は「ドイツにとってのロシアは、イギリスにおけるインドと同じ」だと言う。ポテンテは白髪どころか、ハゲてしまいそうなほど悩んでいた。
《つづく》











