【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その11)
ついに第二次世界大戦勃発。ポテンテの戦いが本格的に始まります。
衝撃のモロトフ=リッベントロップ協定 - 1939年7月8日〜8月29日
8月上旬のある日、ポテンテはいつものようにベルクホーフ山荘に出仕すると、ヒトラー総統から一冊の分厚いファイルを手渡された。ファイルの中身を尋ねても、総統はニヤニヤしているだけで何も言わない。まずは中身を見てみろ、ということのだろう。
早速ファイルの中身を見たポテンテだったが、あまりに衝撃的な内容に言葉を一瞬を失った。
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こ、これは!いつの間にこんなことを・・・。 |
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ふふふ、驚いたかね?そうだ、見ての通りソ連と結ぶ予定の不可侵条約案だ。 リッベントロップ君に命じて密かに交渉をさせていたのだ。ノイラート外相ですらこのことは知らない。 |
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スターリンがよく応じてきましたね。 我が国とソ連はお互いを『人類の敵』と罵り合う仲だというのに。 |
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スターリンは我が国に対する英仏の宥和政策を見て、英仏はドイツを使ってソ連を潰すつもりなのではないかと疑心暗鬼になっている。イギリスの姿勢にしびれを切らして交渉に応じてきたぞ。 |
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スターリンの『誰も信じられない病』に上手く付け込みましたね。 |
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それに、この条約に応じれば、ソ連はタダでポーランドの東半分を貰えるんだ。悪い話ではあるまい。イギリスやフランスは腰を抜かすだろう、はっはっは。 |
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確かにこれによって我が国は周辺国から包囲される事態は回避できますが・・・ボリシェヴィキどもと取引するのはあまり気持ちが良いものではありませんね。あなたを信じてついて来たナチ党員が怒りますよ。 |
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フン!この私が共産主義者どもにたぶらかされるわけがない。スターリンは私を利用したつもりなのだろうが、私が奴を利用しているのだ。英仏を倒せば、こんなものはいつでも破棄してやる。 |
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あれ?この付属の秘密議定書・・・。 |
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ああ、それか?スターリンは欲張りな奴でな。ポーランド東部だけでは満足せず、バルト三国、ルーマニアのベッサラビア地方、フィンランドなどもソ連の勢力範囲とすることを要求してきたのだ。 |
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総統!まさかこんなものに応じるつもりではないでしょうね?! |
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それは向こうの出方次第となるだろうな。 |
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冗談じゃありませんよ!これは私との約束に反します!我が国と敵対するポーランドはともかく、無関係のフィンランドやバルト三国をソ連に売り飛ばすのですか! |
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そ、そんなに怒鳴るな。耳が痛いではないか。この条約を締結すれば、我々がポーランドに進軍しても英仏は手出しできないのだ。戦争をせずに済むのだ。 |
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だからといってフィンランドやバルト三国を共産主義者に売り飛ばすことなど許されません!いつかソ連と戦うとき、フィンランドは我々の味方となってくれる国です。同盟国を敵に売り飛ばす人がどこにいますか! |
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では、どうすればいいのだ?ソ連との取引無しでポーランドを攻めるリスクはあまりに高い。ポテンテ君は、私にダンツィヒと西プロイセンを諦めろというのか? |
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ポーランド東部のみで手を打つよう、スターリンを揺さぶります。 今すぐリッベントロップさんを呼んでください。私が秘策を授けますから。 |
リッベントロップは、ポテンテ同様ヒトラー直属の補佐官として「外交問題担当顧問」という肩書きを持ち、『リッベントロップ事務所』なるチームを率いて外務省とは別に外交活動をしていた。
ヒトラーのお気に入りだったリッベントロップだったが、同僚や部下に対しては傲慢不遜な態度ばかり取っていたことからひどく嫌われていた。しかも、ビジネスマンとしては成功を収めていた彼だったが、政治ではこれといって目立った功績が無かったため、ゲッベルスからは「金で貴族称号を買った」と陰口を叩かれ、ゲーリングからは「奴のバカは絞首刑に値する」などと蔑まれていた。
今回のソ連との不可侵条約締結は、そんなリッベントロップにとって周囲を見返し、自分の存在を誇示する大きなチャンスだった。
いきりな呼びつけられたうえに自分が進めていた交渉に横槍を入れられたリッベントロップは不快感を露にするが、ポテンテは「このような取引をしようものなら、英米仏が牛耳る現在の世界秩序に立ち向かおうとしているドイツを支援してくれる中小国からの信頼を失う」と語って説き伏せた。また、ポテンテはリッベントロップに対して交渉を有利にするための秘策を授けて、彼をモスクワへと送り出した。
その秘策とは、ソ連指導者層の個人的スキャンダル。スターリンはプロパガンダ用の肖像画に描かれている岡田真澄似のダンディおじさんなどではなく、実際は痘痕だらけの小男であることを筆頭に、ラヴレンティ・ベリヤ内務人民委員のロリコン癖、その前任者ニコライ・エジョフのホモ疑惑などなど。ポテンテは東欧情勢に詳しいローゼンベルクや国防軍情報部などからソ連に関する様々な情報を逐一仕入れていた。
リッベントロップがモスクワに乗り込み協定締結に向けた最終交渉に臨むと、案の定ポーランド分割のみという条件に対してソ連外相モロトフは渋い顔をした。しかし、リッペントロップが「最近、こんな噂がありましてね・・・」と言ってポテンテから聞いたスキャンダルをいくつか囁くと、モロトフは「ギリギリの条件だが受け入れる方法で検討したい」と態度を一転させた。そんなものを世界中のマスコミにばらまかれたら、『ボリシェヴィキ=変態の集団』としてソ連の権威は地に堕ちること確実だった。
交渉は上手くいったものの、ソ連の高官相手に脅しを掛けたリッベントロップは「後でKGBに暗殺されるのではないかと思い、怖くて夜も眠れなかった」と、後日ポテンテに打ち明けた。
犬猿の仲といわれたヒトラーとスターリンが手を結んだことに世界中が驚き、イギリスとフランスは対独戦略の見直しを余儀なくされた。ノモンハン事件は決着がついていたことから、史実とは異なり内閣が総辞職することは無かったが、日本でも対ソ戦略を根底から見直すこととなった。
※史実と異なり、外相はノイラートのままですが「モロトフ=リッベントロップ協定」と表記します。また協定の有効期間は10年ですが、このゲームでは8ヶ月間となっています。
「世界中の度肝を抜いてやった」と喜んでいた総統の目論見では、これによって英仏は肝を潰してポーランドを援助するどころではなくなるはずだった。しかしイギリスのボールドウィン首相は、ドイツがポーランドを攻めた場合、ポーランドと締結してある相互援助条約に基づき英仏が参戦すると通告してきた。
ドイツがポーランドに突きつけた最後通牒に対する回答期日は8月29日。英仏という後ろ盾を得たポーランドは強気の姿勢を崩さず、ヒトラー総統は少し落ち込んだ様子だったが、いよいよ世界を振り動かす重大な決断を迫られた。
Guicho Zurdoの預言 - 1939年8月30日(ぎ印ドイツ帝国暦1944年2月8日)
ドイツが行ったポーランド回廊及びダンツィヒの返還要求に対し、最後通牒の期日である8月29日午後11時を過ぎてもポーランド政府は何の回答もしなかった。そして日付が変わった30日0時、ドイツはポーランドに宣戦布告。国境に配備していた部隊が北方軍集団・南方軍集団の二手に分かれて、一斉にポーランド領へと雪崩れ込んだ。
もちろん、英仏を筆頭とする連合諸国はドイツへ宣戦布告し、ドイツと軍事同盟を結ぶ枢軸諸国は連合国へと宣戦布告した。
【連合国】イギリス、フランス、ポーランド、南アフリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、イラク、オマーン、イエメン、ブータン、ネパール
【枢軸国】ドイツ、スペイン、ハンガリー、トルコ
こうしてついに第二次世界大戦が幕を開けた。
興奮と熱気に包まれたベルリンのクロール・オペラハウスの壇上に立った総統には、もはや戦争に対するためらいは無く、その目は異様に輝いていた。
「全ドイツ民族の悲願である失われた大ドイツの回復は目の前にある。しかし、そのドイツの一部を未だ悪辣な手段で占領するポーランドがダンツィヒの返還に応じない以上、我々は相手が誰であろうともドイツ人の権利と安全が保障されるまで戦い続けなければならない!
私は今から、ひとりの兵士として、ひとり国民として全てのドイツ人と共に戦う。第一次世界大戦に従軍して以来、私は再びこうして軍服に身を包んだ。そして、私は勝利の日までこの軍服を脱ぐつもりはない!
私はやり遂げる。そして、我ら偉大な民族は、必ずや悲願を達成する!ドイツに抗う者を全て倒すだろう。同胞を!我らの同胞を助けよ!世界に冠たる我がドイツに栄光あれ!」
舞台の袖でこの演説を聞いていたポテンテは武者震いをすると、周りにいた護衛の兵士に向かって叫んだ。
「ドイツ人が生き残るための戦争が、いよいよ始まった。我々がドイツを救うのだ!」
その日の夜、仮眠を取るためにベルリンに借りているアパートへ戻ると電話が鳴った。ポテンテは最初の一言で誰からの電話か分かった。
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おい、野良猫。 |
夜中に電話を掛けてきて、いきなりこんなことを言うのは、あの男しかいない。そう、Guicho Zurdoだ。
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何か用ですか?今、忙しいんですけど。 |
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ワシは何でも知ってるのだ。ワシは『パパは何でも知っている』のパパよりも何でも知っているのじゃ。お前が忙しい理由も知っている! |
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先に言っておきますが、毛づくろいや爪研ぎで忙しい訳じゃありませんからね。 |
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ワシは何でも知ってるのだ。ワシは『パパは何でも知っている』のパパよりも何でも知っているのじゃ。お前が忙しい理由は、ポーランド侵攻の準備だ! |
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ぎくっ!先日のミュンヘン会談の件といい、どうして私の行動を知っているのですか! (この人、変なところで鋭いからなぁ・・・) |
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ぐわーっはっは! お前はワシが今世紀最後の預言者と呼ばれてることを知らんのか。 |
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べべべ、別に知られたっていいですよ。そっちの世界には関係ないことなんですから。 (もしかしてこっそり監視されているのだろうか?いや・・・盗聴器?) |
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いいや、関係あるぞ。ワシはお前とあのチョビヒゲがどのように無様な負けっぷりを晒すのか、楽しみにしておるのだ。 |
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ま、負けるもんですか!確かにあのチョビヒゲ総統はちょっとアレなところもありますが、私が何とかします。いや、何とかしてみせます! |
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へ?これは面白いことを言う。『政治力』を持たないお前に何ができるというのじゃ。 わはははは、ポンセよ、寝言は寝てから言え。 |
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あなたという人は・・・。こちらから手出ししなければ何ら害をもたらすことの無いスイスまで攻め落とすことが、あなたの言う『政治力』なのですか! |
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ワシはロレックスが好きなんじゃ。ワシの『政治力』に、ロレックスの腕時計は欠かせないのだ。それからスイス銀行もな。 |
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あなたは世界中を自分の同盟国と属国にするつもりですか!あれほどの頭脳と政治手腕を持ちながら、あなたはそれを自分の野望のためにしか使おうとしない! |
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ポンセ、お前の信じる自由と正義や民主主義が、この戦争の後に何をもたらすか考えたことがあるか? |
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・・・。 |
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ワシがまたひとつ預言してやろう。人間はお前が思うほど賢くないし、強くもない。ワシには見えるのだ。民主主義などという愚集政治は英米仏のごとき軟弱を生むだけだ。それでは人類は共食いになるのだ、今度の戦争のように。 |
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くっ!そんな理屈であなたの野心が正当化できると思っているのか! |
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ポンセよ、お前の理想とは何だ?・・・いや、ワシには分かっている。しかし、理屈で人は動かない。どんな崇高な理想も実現しなければ、ただの夢で終わるのだ。 お前は、自分なら理想の世界を築けるとでも思っているのか? |
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私はそんなに傲慢じゃない。ただ、納得したいだけなんです。 人が現実のためだけに生きているなんて信じられない。だから、確かめたいのです! |
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人間は一切れのパンのために他人を殺す。自分の幸せのために戦うのだ。だから、争いがこの世から消えてなくなることは無い。人は人である限り、戦いは無くならないのだ。 |
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・・・。 |
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ワシの役目はそうした人々を管理し、秩序ある世界へ導くことなのだ。彼らもそうした指導者を望んでいる。 |
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そんなものは欺瞞だ!現実に負けて夢を見失った敗北者、それがあなただ! |
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ポンセよ、お前の探しているものなど、どこに行っても見つからないのだ。気が済むまで探すがいい。そして希望を失ったとき、ワシの元へ戻ってこい。ワシはお前を待っているぞ、ふはははは!(ガチャ) |
受話器を電話に置くと、ベルリンの街に雨が降りはじめた。雨に煙るベルリンの夜景を眺めながらポテンテはつぶやいた。
「私は現実を知らない、ただの青二才なのだろうか・・・」
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その10)
これまでの経過はこちら。
今度はメーメルを併合。にゃおんちゃんが「おまいら、独逸を何だと思ってやがりますか!」とシャウトした街です。
マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで - 1939年3月24日〜3月29日
チェコ併合の衝撃も覚めやらぬ3月24日、リトアニアがメーメルの割譲に同意した。ドイツ国歌の一節に「マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで」とあるとおり、メーメルは元々東プロイセンの一部だったが、第一次世界大戦後は国際連盟の委任統治領を経てリトアニア領となっていた。
しかし、ズテーテンラントと同様にメーメル住民の殆どはドイツ人であることから、ズテーテンラント割譲やチェコスロヴァキア解体を見た彼らはドイツへの帰属を要求して騒ぎを起こし始めた。すると、チェコのように併合されてしまうことを恐れたリトアニア政府は、それまでの強硬姿勢から一転してあっさりとメーメルの返還に合意したのだった。
ポテンテは「リトアニアは我が心のふるさと」と公言してはばからないほどのリトアニア好きで、アンタナス・スメトナ大統領とも交友があった。今回の件で大統領は怒っているのではないかと心配して電話してみた。すると・・・
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こんにちは、あの・・・ポテンテです。 |
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あっ!ポテンテさん? これはこれはどうも。わざわざお電話していただいて恐縮です。(*^∇')v |
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あの・・・スメトナ大統領ですか? |
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はい、スメトナでございますよ。 嫌だなぁ、ポテンテさん。私の声を忘れちゃったんですか?r(^ω^*))) |
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本当にスメトナ大統領ですか?今日はやけに腰が低いですね。 それに、その顔文字は何なんですか。 |
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何を言ってるんですか、私はいつもこうですよ。 もう、ポテンテさんってば、私をからかってるんですね?(^。^;) |
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いつもと全然違うような気が・・・。 ところでスメトナ大統領、メーメルの件ですが・・・。 |
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ああ、あれね?問題ないですよ、全然問題ないです。(≧∇≦)b |
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怒ってませんか? |
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怒ってるわけがないでしょう?あそこは元々ドイツさんの土地です。ドイツさんからお借りしていた土地を返しただけなんですよ、ははは。 返すのが遅れてしまって申し訳ないです、ほんとに。m(_ _;)m |
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は、はぁ。 |
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そんなことよりポテンテさん、ヒトラー総統はお元気ですか?このスメトナがよろしく言っていたとお伝えくださいね、お願いしますよ。あ、今度リトアニア名物の琥珀でも・・・ |
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・・・ガチャ(電話を切る) |
小国の悲哀を見せつけられたポテンテは、またしても3日ほど逃亡したい気分になっていた。
プラハでこの知らせを聞いたヒトラー総統はベルリンに戻ると、直ちに軍艦ドイチュラント号に乗ってメーメルへ向かった。ポテンテのリトアニア好きを知ってか知らずか総統は彼にも同行を命じたのだが、メーメルへ向かう船の中でひどい船酔いに苦しみ、ポテンテに向かってこう吼えた。
「私がこのような目に遭うのも全てはあの忌々しいポーランド回廊のせいだ。あれが無ければ鉄道で行くことができるのに!次のターゲットはダンツィヒとポーランド回廊にする」
メーメルに着いたヒトラーはドラマ劇場のバルコニーから演説を行い、劇場広場に集まった市民から熱烈な歓迎を受けた。歓喜の渦に包まれたメーメルでは真夜中になっても人々の歌うドイツ国歌が途絶えることはなかった。
ポテンテの杞憂 - 1939年3月30日〜7月7日
ドイツがミュンヘン協定を反故にするとそれまでの宥和政策から一転して強硬姿勢に転じたイギリスは、ドイツを封じ込めるべくポーランドに同盟締結を持ち掛け、3月30日にポーランドの連合国加盟が発表された。
ヒトラーが次に狙うのは、ドイツ本国と東プロイセンを分断している通称「ポーランド回廊」と港湾都市ダンツィヒであることは誰もが知るところだった。何故なら、ここも第一次世界大戦によってドイツが失った領土だからだ。ズテーテンラント割譲の際と同じように、ポーランドに対して激しく外交圧力を掛けることは子供でも予想がつくことだった。
しかし、連合国入りによって英仏という後ろ盾を得たポーランドに、チェコスロヴァキア対して行ったような恫喝外交が通じるとは思えず、各国はドイツがどのような手段に出るか固唾を呑んで見守っていた。もそもそ、英仏はヒトラーのハッタリ外交に四度(ラインラント進駐、オーストリア併合、ズテーテンラント割譲、チェコ併合)もしてやられているのだ。宥和政策を捨てた両国にはもはやこの手は通用しない。しかし、今まではハッタリだったドイツの軍事力は国力の増強に伴って一気に拡充され、もはやハッタリに頼らずとも目的を達成できるレベルに近づきつつあった。
このようにドイツ、ポーランド共に強気の姿勢を崩さないため、ヒトラーがダンツィヒ及びポーランド回廊の返還を要求すれば、今度こそ戦争になるのは間違いなかった。
しかし、周辺をイギリス、フランス、ポーランドと連合国に囲まれているうえに、その背後にはソ連という不気味な存在がいる現状で戦争を始めれば、ドイツが第一次世界大戦と同じように二正面作戦を強いられて不利な状況に陥るのは確実だった。スペインやトルコ、ハンガリーとの同盟もその問題を解決する切り札には成り得ず、打開策を見つけられないまま情勢が緊迫していくことに対するポテンテ補佐官の苦悩は日を追うごとに深まっていった。
「あのチョビヒゲ総統は、ドイツを再び破滅に追い込むつもりなのだろうか?」
4月10日、イタリアがアルバニアを併合した。ムッソリーニは3月26日にアルバニア併合に関する最後通牒を突きつけたが、アルバニア国王ゾグー1世はこれを拒否して両国は戦争に突入していた。しかし、アルバニアのような貧しい小国がイタリアに勝てるはずもなく、たった2週間で併合の憂き目に遭った。
これでイタリアはバルカン半島南部に橋頭堡を得た。ムッソリーニ親方がユーゴスラビアやギリシャに対して余計なことをしなければいいのだが・・・。
7月7日には、5月以来続いていた日ソの軍事衝突「ノモンハン事件」が、日本側が敗北を認めて譲歩することで決着がついた。満州国とモンゴルの国境線を巡る小競り合いから始まったこの事件は、両国の後ろ盾である日本とソ連の主力部隊が激しく衝突する事態となっていた。
しかし、元々両国とも全面戦争は避けたかったことから、近代化されたソ連軍によってボコボコにされた日本が引くことで事態の収拾がついた。なお、同時に両国は不可侵条約を締結している。
※史実での「日ソ中立条約」は1941年に締結されているが、このゲームではノモンハン事件のイベントにおいて発生。
また、各国に対する一通りの外交工作が完了したことから、この頃に情報大臣がヴィルヘルム・カナリスへと変更された。今後は彼が持つ諜報能力を生かして各国へスパイを送り込み、様々な諜報活動を活発化させることになる。
ナチス・ドイツの膨張やファシズムの台頭を見たイギリス、フランス、アメリカ、ソ連の列強は続々と戦時体制に入り、来るべき戦争に備えて一気に軍備拡張を開始した。そしてそれらの国は早くも各地で小競り合いを始め、世界中に戦火が轟く日は目前に迫っていた。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その9)
総統に逆らったチェコスロヴァキアに悲劇が。
背信のチェコ併合 - 1939年1月13日〜3月20日
国際社会から見捨てられ、経済的・軍事的要所であるズテーテンラントを失ったチェコスロヴァキアは事実上死亡宣告を受けていた。もはや、彼らを助ける者は誰もおらず、煮て食おうが焼いて食おうがヒトラーの思いのままという状況になっていた。
ミュンヘン協定締結の際にドイツはこれ以上の領土要求をしないと確約しており、そういう意味ではチェコスロヴァキアの残りの領土は保証されるはずだった。しかし、もはやドイツのお情けで存在しているチェコスロヴァキアを見て、ヒトラー総統がそんな約束を守るわけがない。
ヒトラーは、英仏の宥和政策を見て侮蔑に満ちた薄ら笑いを浮かべて言った。
「英仏は自分たちさえ困らなければ、東欧諸国がどうなろうとも見て見ぬ振りをする連中なのだ。彼らはきっとドイツとソ連を戦わせて共倒れさせるつもりなのだろう。ならば、来るべきソ連との戦いに備えチェコスロヴァキアやポーランドを攻めても、連中は何も言うまい」
ヒトラー総統は、スロヴァキア人の民族自決を掲げていた「スロヴァキア人民党」の党首ヨゼフ・ティソ司教をそそのかし、スロヴァキアで独立闘争を激化させてチェコスロヴァキアに混乱をもたらした。そして、チェコスロヴァキア大統領エミール・ハーハをドイツに呼びつけると、ボヘミアとモラビア(現在のチェコ領に相当する地域)の割譲を迫った。
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ハーハさん、よく来ましたね。早速ですが、この書類にサインしなさい。 |
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これは・・・ボヘミアとモラビアの割譲に同意する協定! ヒトラーさん、ワシがこんなものに調印できるわけがないじゃろ。 |
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あなたがこの書類への署名を拒めばドイツ軍全軍がチェコへ向かいます。戦争になったらチェコの軍隊など2日で消滅しますよ。それでもいいのですか? |
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ひぃぃっ!ワ、ワシャ心臓が悪いんじゃ。恐ろしいことを言わんでくれ・・・。 しかし、こんなものにサインしたら、ワシは国民に末代まで恨まれるわ。 |
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それでは、空港に待機している何百機という爆撃機がプラハへ向かうことになりますな。美しいプラハの街を爆撃しなければならないとは、実に残念なことです。 |
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ひぃぃぃぃっ!し、心臓が・・・。薬を・・・薬を! |
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大統領、薬をどうぞ。はい、水も。 (小声で)総統もゲーリングさんも、お年寄りを恫喝するのは止めましょうよ。ここで死んじゃったらどうするんですか。 |
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さあ、どうしますか、ハーハさん? |
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わ、分かった。サインする。 |
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これで私達は無駄な血を流さなくて済みました。 あなたの賢明なるご決断に感謝しますよ、ハーハ前大統領。 |
1939年3月15日、ボヘミアとモラビアはドイツに併合され、チェコスロヴァキア共和国は解体・消滅した。スロヴァキア地方についてはハンガリーとの密約により、枢軸入りと引き換えにハンガリーへ割譲されることとなった。当時のハンガリー王国は国王が不在の「国王無き王国」で、摂政のミクロシュ・ホルティが独裁体制を敷いていた。ドイツ同様、第一次大戦敗戦国であるハンガリーはオーストリアと分離され、さらに1920年に結ばれたトリアノン条約によってオーストリアとの合邦以前から領有していたスロヴァキア、クロアチア、トランシルヴァニアを失っていた。これによってハンガリーはドイツと同じように右傾化していき、失地回復を目指してドイツとの軍事同盟締結に応じたのだった。
しかし、これによってスロヴァキア独立を目論んでいたティソ司教は裏切られた格好となった。怒り心頭のティソはベルクホーフ山荘へ乗り込んでくると、とても神に仕える人間とは思えない凄まじい呪いの言葉を吐き散らしてヒトラーと、打ち合わせで偶然その場に居合わせたポテンテを罵った。
「おのれ、ヒトラーめ!よくも私を裏切ったな!貴様のような奴は地獄に堕ちろ!
む?そこにいるのはポテンテか!お前の甘言に騙されて私の人生は終わったわ!これでスロヴァキア人の独立の夢は潰えた。いいかよく聞け、スロヴァキア人は絶対にお前を許さないぞ。いつか誰かがお前を殺して三味線にするだろう。その日までスロヴァキア人の復讐は続くのだ。貴様のような裏切り者は永遠に地獄の業火で焼かれるがいい!」
ティソ司教は他にも何やらわめいていたが、駆けつけたSSによってどこかへ連れ去られた。SSのことだから、多分殺害してその辺に埋めたか谷底にでも突き落として始末したのだろう。
ドイツ民族の失われた土地を取り戻すためとはいえ、他国を食い物にするようなことはしないと誓っていたポテンテにとって、今回のチェコスロヴァキア解体は非常に後味の悪いものとなった。また、ティソ司教はローマ教皇ピオ11世の覚えめでたい聖職者だったため、チナス・ドイツはこの一件でバチカンから睨まれることとなった。
「私の手もまた血で汚れてしまったのだ・・・」
廊下ですれ違ったボルマンにそうつぶやくと、ポテンテはそのままどこかへ消え去り3日ほど行方不明となった。心配した総統官邸付きの秘書官ニーナが警察に捜索願を出そうとしたその日、酩酊状態で道端に倒れていたところを警察に保護されて自宅に送り届けられた。ポテンテは非情な政治の世界に対して、あまりに理想主義的でありナイーヴ過ぎた。
ナチス・ドイツは1938年にオーストリアとチェコの二ヶ国を併合し、オーストリア人675万人、ズデーテン人350万人の新たなドイツ民族を国民とした。また、チェコ併合によって多くの資源と工業力を手に入れ、あらゆる分野で欧州一の大国となった。
しかし、チェコを併合して非ドイツ民族であるチェコ人を支配下に置いたことで、ヒトラーがそれまで掲げてきた『民族自決に基づくドイツ人国家の建設』という大義名分は失われてしまった。また、ミュンヘン協定を反故にしたことから、今まで宥和政策を取り続けていた英仏もナチス・ドイツは交渉に値しない相手と判断し、ついに強硬姿勢に転じるに至った。チェコ併合はドイツにとってのルビコン川となったのだ。
うさぎのニーナ - 1939年3月21日〜23日
3日ぶりに帰宅したポテンテは酩酊していたうえに、どこかで喧嘩してきたらしく服はビリビリに破け全身に擦り傷や打ち身があり、さらに3日ほど寝込む羽目となった。ポテンテはベルヒテスガーデンの街外れに小さな家を借りてそこに一人で住んでいたことから、秘書官のニーナ・ゲーレンが毎日訪れて彼の世話をしていた。
ニーナはヘマをすると激しく落ち込み、そのたびに慰めたり励ましてやらないといけない女性だったが、ポテンテは不思議なことに彼女といると心が安らいだ。普段、かんしゃく持ちで誇大妄想癖のある総統や死ぬほど融通が効かない堅物の副総統、ヤク中で挙動不審なくせに見栄っ張りの空軍大将やサディストの変態親衛隊長官など、香ばしい奴らに囲まれて仕事をしているポテンテにとって、ニーナとおしゃべりしているときだけがリラックスできる時間だったのだ。
職場ではキチガイに囲まれ、街を歩けばスペイン語訛りのドイツ語(ポテンテが住んでいたトロピコ島はカリブ海にある)を喋るがゆえに「よそ者」と警戒されるポテンテにとって、モンテネグロ出身でセルビア語訛りのドイツ語を話すニーナだけが唯一自分に対して屈託のない笑顔を見せてくれる存在だった。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その8)
いよいよ本格的に暴走していくドイツ。話がどんどん重くなっていきます。こんなはずではなかったのだが・・・。
砕かれた水晶の夜 - 1938年11月9日〜11月10日
そして11月9日、ついに越えてはならない一線を越える事件が起こった。水晶の夜事件(クリスタルナハト)だ。
ゲッベルス宣伝相の扇動で興奮した突撃隊(SA)やナチ党員がついに暴発し、ドイツ全土でユダヤ人街やシナゴーグ(ユダヤ教の教会兼集会所)を一斉に襲撃したのだ。ヒムラーの差し金により警察が見て見ぬふりをしたため、ユダヤ人は成す術なく殺害され略奪に遭った。
もはやユダヤ人排斥運動の激化は止められないことを確信したポテンテは、まずは他の外国人に累が及ぶのを防ぐべく、ナチ党外務部長アルフレート・ローゼンベルクに協力を仰いだ。
ローゼンベルクは『我が闘争』に次いでナチ党員に大きな影響を与えた書物、『二十世紀の神話』の著者として党の思想やイデオロギーに大きな影響力を持っており、ゲーリングやヒムラーの掲げる「ゲルマン民族"しか"認めない」というものに比べて、彼の「ユダヤ人"だけ"認めない」という主張はポテンテにとって受け入れやすいものであった。また、エストニア出身で東欧情勢に詳しく、「ドイツがボリシェヴィキの圧政からの解放を訴え、ウクライナ人国家やバルト連邦、カフカス連邦を作ることで、ロシア人の侵略を阻止できる」という彼のヴィジョンにポテンテは大きく共感していた。
ヒトラー総統が『我が闘争』の中で「スラブ民族は劣等民族」と唱えていることもあり、ナチ党内ではゲーリングやヒムラーなどが主張する「東方にドイツ人を入植させて直接統治を行い、スラブ民族は奴隷化する」という考えが圧倒的に主流だった。そのため、反主流派の二人は自然と共闘する機会が多く、またアクの強い性格の人物が多いナチ党幹部にあって、ローゼンベルクはクールでインテリ然としていたことからポテンテとはウマが合った。
しかし、学者肌のローゼンベルクは悲しいほどに政治に関するセンスが無く、いつもヒムラーやリッベントロップに自分の仕事を邪魔されていた。そのたびにポテンテが総統に掛け合って彼の仕事を助けていたことから、二人は同志のような関係となっていた。
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アルフレートさん!大変だ、ユダヤ人が! |
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やあ、カール。そんなに慌ててどうしたんだい?その話なら、もう知ってるよ。 |
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早く彼らを何とかしないと。このままじゃなぶり殺しだ! |
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君は相変わらずユダヤ人に対して甘い。『シオン賢者の議定書』に書かれているように、奴らは世界を乗っ取ろうとしているのに。 まあ、いいさ・・・。それで何をするつもりなんだい? |
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ドイツ中から貨物列車をかき集めて、彼らを周辺諸国へ移送するんです。ドイツからユダヤ人を追い出すため、と言えば周囲の理解も得られやすいはずだ。 |
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カール、それは甘いな。突然そんなことをしたら、難民と化したユダヤ人を押し付けられた周辺諸国との関係が悪化してしまう。それに、周辺諸国は国境を封鎖してユダヤ人をドイツに追い返すだろう。 |
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そ、そんな・・・。 |
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世界恐慌のせいで、どこの国だって自国民を養うので精一杯なんだ。大量のユダヤ難民を受け入れる余裕のある国などあるわけがない。 |
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じゃあアルフレートさんは、これを黙って見ていろと言うのか! |
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帰る家も無いユダヤ人がドイツ中に溢れ出したらどうなると思う?きっと、保安警察長官のハイドリヒあたりが「収容所を作って押し込んでしまえ」と言い出すに決まっている。そうなったらもうおしまいだ。 |
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・・・・・・。 |
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カール、ここは辛抱だ。私が以前から主張しているとおり、毎年ユダヤ人を少しずつパレスチナに移送するのが一番良い方法なのだ。ドイツからはユダヤ人が消え、彼らは聖地エルサレムへの移住が叶う。両者の利害が一致するじゃないか。 |
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そんな、何年かかるか分からない方法では・・・。 |
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周辺国に逃げても同じことだ。ユダヤ人の迫害はリトアニアでもハンガリーでもルーマニアでもロシアでも起きているのだ。場合によってはドイツにいる以上に危険な目に遭いかねない。 |
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彼らの住む土地はどこにも無いのですか? |
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いずれ英仏と戦争になる。そうなれば同盟国のトルコがパレスチナを攻略するから、その後に彼らを入植させればいい。 恨まれるどころか、感謝されるかもしれないよ。ふふふ。 |
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エルサレムはイスラム教徒にとっても聖地ですよ。トルコが受け入れてくれるかどうか・・・。 |
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ならば、英仏からマダガスカル島やニューファンドランド島でも奪い取って、そこにユダヤ人を住まわせればいい。 下手に動けば、逆に彼らを追い込むことになる。とにかく、今は耐えるんだ。 |
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う、うん・・・分かったよ。 |
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かといって何もしないのも気分が悪いな。そういえば、満州の件はどうなってる? |
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安江大佐と樋口季一郎少将から、「数千人程度なら、いつでも受け入れ可能」との連絡を受けている。 |
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そうか。ならば希望する者は満州へ移住できるよう手はずを整えておこう。 数千人など焼け石に水だが、何もしないよりはマシだからね。 |
二人はギュルトナー内相の協力を得て警察組織を率いるヒムラーに圧力を掛け、翌日には暴動の沈静化に成功した。ユダヤ人以外に被害者が出ることは無く、最悪の事態は何とか回避された。
偉大なトルコ人の死 1938年11月11日〜1939年1月12日
暴動の沈静化にホッとしたその翌日の11月11日、彼の元に悲報が届いた。敬愛するトルコ大統領ケマル・アタトゥルクが亡くなったという知らせだった。トルコを破滅の危機から救った救国の英雄にして、近代国家へと生まれ変わる道筋をつけた建国の父は、その実現を目前にしてこの世を去った。
取るものもとりあえずイスタンブールへ向かい葬儀に出席すると、ケマル閣下の後継者イスメト・イノニュから閣下がポテンテに遺した手紙を手渡された。そして、手紙を読み終えた彼は人目もはばからずその場で号泣した。手紙には次のように書かれていた。
「ポンセよ、私にも神の元に旅立つ時が来た。私にはまだやるべきことがあるのだが、偉大なる神アラーはこのケマル・アタトゥルクのことがよほど好きらしい。しかし、私が死んでも心配することはない。私に代わってイノニュがお前を助けるだろう。
お前の夢はトルコの夢、そして世界中の夢だ。皆で力を合わせて輝かしい未来を築いてくれ」
ケマル閣下と過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、ポテンテの涙はいつまでも止まらなかった。 Guicho Zurdoの出す意味不明な命令や彼のわがまま・気まぐれに苦しめられていたポテンテにとって、ケマル前大統領は「独裁者とはかくあるべし」という存在だった。ポテンテは、もし世の中に「正しい独裁者」というものが存在するとしたら、それはケマル・アタトゥルクのことなのだろうとさえ思っていた。
葬儀を終えるとイノニュ大統領に呼ばれ、「トルコはケマル前大統領の遺言に従ってドイツとの同盟を含む今までの外交方針を堅持する」ことを告げられた。
そして年が明けた1月7日、ポテンテはシャハト国防相を訪ねた。ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動でヒムラーの恨みを買って以来、彼は国防軍情報部から護衛を派遣してもらっていたが、ゲシュタポの監視や嫌がらせは水晶の夜事件以降一層ひどくなり、新たな対策に迫られていた。
打ち合わせは30分程度で済んだものの、ヒトラーの恫喝外交によってドイツが国際社会から『ならず者国家』と見なされていることに心を痛めていたシャハトは、溜まった鬱憤を晴らすべくここぞとばかりにポテンテに対して延々とお説教をした。
シャハトもホスバッハ会議の出席者なので、過激な外交がヒトラー総統の方針によることは知っていたが、彼は三奉行の存在がそれをさらにタチの悪いものにしていると考えていた。ポテンテは親衛隊とゲシュタポの流言によって「総統をたぶらかす化け猫」として多くの人に警戒されていたし、彼と共に『ヒトラーの三奉行』と呼ばれていたマルティン・ボルマンは優秀だが傲慢、ヨアヒム・フォン・リッベントロップは無能なうえに傲慢と、三人揃って最悪の評判を誇っていた。
シャハトは小一時間ほどポテンテを問い詰めたあげく、最後には「ワシはもう全てが嫌になった」と言って国防相を辞任することをほのめかした。ドイツ一経済に精通した政治家である彼は国防大臣としても軍需産業の経営・生産効率化に辣腕をふるっており、代わりが務まる人間など他に誰もいなかった。ここで彼に辞任されると大変困る。
ヒトラー総統はポテンテから報告を受けるとすぐにベルリンへ向かい、自ら説得してシャハトの辞意を思いとどまらせた。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その7)
ソ連で、そしてチェコスロヴァキアで悲劇が。心を痛めるポテンテ。
スターリンの赤軍大粛清 - 1938年3月14日〜9月29日
オーストリアからベルクホーフ山荘ヘ戻ったその日、ポテンテはヒトラー総統からとんでもないことを告げられた。
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ポテンテ補佐官、伝えるのを忘れていたことがある。君の友人のハイドリヒ保安警察長官から良い知らせが届いていたのだ。 |
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何ですか、総統閣下?(おいおい、ハイドリヒなんか友達じゃねーよ・・・) |
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あのグルジアの野蛮人な、赤軍の幹部を軒並み粛清しおった。トハチェフスキー元帥まで処刑したそうだ。これで赤軍は烏合の衆となった、わっはっは。 |
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え?トハチェフスキー元帥は『赤軍の至宝』と呼ばれた名指揮官じゃないですか。 (あんたも、後にルントシュテットさんやマンシュタインさんをクビにするけどな) |
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しかも粛清の理由が凄い。「ドイツのスパイだから」だそうだ。 |
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えぇぇぇ??トハチェフスキーさんが我が国のスパイなわけないでしょう? |
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ハイドリヒが流した偽文書に、スターリンがまんまと引っかかったのだ。 あの男は精神病に違いない。誰も信じられないというのは哀れだな、わっはっは。 |
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・・・。(あんたもそうならないように気をつけろよ) |
スターリンの家来だったソビエト共産党中央委員会書記セルゲイ・キーロフが何者かに暗殺されたことを発端に1934年に始まったスターリンの『大粛清』は止まるところを知らず、1938年3月には赤軍最高司令官ミハイル・トハチェフスキー元帥を含む大量の将校が処刑されるという惨事に発展した。大佐以上の高級将校の65%が殺害またはラーゲリ(強制収容所)送りとなり、赤軍は壊滅状態に陥った。
ソ連軍(赤軍)は元々スターリンの政敵トロツキーがロシア帝国軍を元に創設したもの。農業の集団化に失敗して大飢饉を発生させるなど、当時多くの人からヒンシュクを買っていたスターリンにとって、赤軍は自国を守る軍隊ではなく自分の地位を脅かす武装勢力だったからだ。
※史実のトハチェフスキー元帥は1937年6月に処刑されていますが、このゲームでは1938年3月にイベントとして赤軍将校が一斉に処刑されるという形になっています。
哀しみのミュンヘン協定 - 1938年9月30日〜11月8日
チェコスロヴァキアは現在それぞれ別の国になっていることから分かるように、ヴェルサイユ条約によってオーストリア=ハンガリー帝国が解体された際に、単に言語が同じスラブ系であるという理由だけで人為的に造られた国家であった。
この際にチェコスロヴァキア国内のドイツとの国境地域ズデーテンラントには350万人のドイツ系住民が取り残された。当初、彼らはチェコスロヴァキア政府に対して自治権を要求していたに過ぎなかったが、オーストリア併合による大ドイツ成立を見ると公然とドイツへの帰属を主張するようになった。
恫喝外交の天才ヒトラーとプロパガンダの天才ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相がこれを見逃すわけが無い。二人は「ドイツ人の民族自決権を認めないチェコスロヴァキア政府は、ズテーテンラントのドイツ人を迫害している」と世界に向かって喧伝し、民族自決の観点からズテーテンラントの割譲を要求した。そして、この問題をこのまま放置すれば欧州中がチェコスロヴァキアの巻き添えを食らうことになると恐怖を煽り立てた。
フランスとソ連はチェコスロヴァキアと相互援助条約を結ぶ同盟関係にあり、ドイツとチェコスロヴァキアが戦争になれば仏ソは自動的に戦争に巻き込まれる。仏ソが参戦すれば・・・後は言うまでも無いだろう。
この地域はチェコスロヴァキア随一の工業地帯であり、国土防衛の拠点であるボヘミア要塞があった。経済的・軍事的要所であるこの地を、ドイツが少しくらい脅しつけてきた程度で簡単に手放せるわけがない。するとヒトラーは国境地帯に軍を展開させ、戦争も辞さない構えを見せて緊張を煽った。
先に述べたようドイツに対して宥和政策を取らざるを得ないイギリス首相ボールドウィンは、戦争を避けたい一心でベルクホーフ山荘まで飛んできた。しかし、『人間、志を立てるのに遅すぎるということはない』という名台詞を残した名政治家ボールドウィンも、ハッタリをかましてラインラント進駐やオーストリア併合を成し遂げた千年帝国の魔王ヒトラーには勝てず、ズテーテンラント割譲に応じるようチェコスロヴァキアを説得する羽目となった。
チェコスロヴァキアはなおも抵抗を続けたが、ヒトラーが9月26日に最後通諜とも取れる演説を行い、一刻の猶予も許されない事態となった。眼前の危機に耐え切れなくなったボールドウィンは英独仏伊の四ヶ国首脳を集めて会議を開き、ドイツがこれ以上領土を要求しないことを条件にヒトラーの要求どおり協定を結んだ。(ミュンヘン協定)
チェコスロヴァキアは会議にすら参加できず、代表のヤン・マサリク外相は控室で待たされたあげく、助けてくれると思っていたボールドウィンから「ズテーテンラントを割譲すべし」と告げられたのだった。加えて、ハンガリーとポーランドにも一部領土の割譲を強いられ、さらに仏ソとの相互援助条約も解消されてしまい、チェコスロヴァキア国民は自分達が世界から見捨てられたことを知った。
ポテンテ補佐官もヒトラー総統に随行してミュンヘン会談に出席し、オブザーバーとしてマサリクと共に控室いた。ボールドウィンから会議の結果を聞かされたマサリクが落涙する姿を見たポテンテは、チェコスロヴァキア国民の暗い未来に同情せずにはいられなかった。もはや、チェコスロヴァキアは死んだも同然、先は長くないだろう。
「ヤン・フスとトーマシュ・マサリクの民族は、このような暴力には屈しない!」というマサリク外相の叫びに対し、フランス首相エドアール・ダラディエはあくびで答えた。
※ヤン・フス〜チェコ出身の宗教思想家、トーマシュ・マサリク〜初代チェコ・スロヴァキア大統領にしてヤン・マサリクの父
ボールドウィンはロンドンの空港に到着すると、出迎えに来た外相ハリファクス卿に共同声明文をふりかざして叫んだ。
「やったぞ・・・私達は平和を手に入れた!」
ボールドウィンは、チェコスロヴァキアを生贄にして手に入れたこの平和を大きな成果と捉え喜んでいたのだ。しかし、そう感じていたのは彼だけではなかった。イタリアに帰国したムッソリーニは市民に大歓迎で迎えれられ、ヒトラー総統の元には日本から祝電が届いた。世界中が戦争を回避できたことを喜んでいた。チェコスロヴァキアと、ひとり人のイギリス人政治家を除いて。
前海軍大臣サー・ウィンストン・チャーチルは葉巻をふかしながらつぶやいた。
「何が平和だ。こんなものでヒトラーが満足するのものか。ミュンヘン会談はこれから始まる恐怖の幕開けに過ぎない」
そして、ポテンテは国際政治の舞台の非情さを痛感し、そして連合国や国際連盟が唱える秩序や平和など所詮は欺瞞なのだと改めて思い知らされた。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その6)
これまでの経過はこちら。
ナチス・ドイツの膨張がついに始まりました。最初の餌食はオーストリア。
満州国と河豚計画 - 1938年1月30日〜2月8日
2月8日、満州国の承認イベントが発生。満州国承認を巡って、日本を取るか中国(国民党)を取るかという選択を迫られた。ソ連との衝突は避けられないことを考えれば、日本と組まない手は無い。というか、国民党などと手を組んでも日本の恨みを買うだけで、得られるものは殆ど何も無い。
元々、ドイツにとって日本は第一次世界大戦で敵対した国であり、両国は決して良好な関係ではなかった。当初、ドイツはアレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン将軍を筆頭とする軍事顧問団を派遣して国民党政権を支援していたほどだった。
しかし、日独両国の間に立ちはだかるソ連という脅威の存在、そして両国とも国際連盟を脱退して国際的に孤立しつつある状況を考えれば、ドイツと日本がお互いに接近していくのは歴史の必然といってもよかった。政府・党内部では伝統的友好国である中国を切り捨てることを危惧する声もあったが、リッベントロップら日本支持派が活発に動いてヒトラー総統から満州国承認への同意を引き出した。
ポテンテ個人としては満州事変のような謀略によって作られた傀儡国家を承認することにためらいもあったが、ドイツで迫害されていたユダヤ人の受け入れ先を確保しなければならない事情もあり、同意せざるを得なかった。
ポテンテはヒトラーの補佐官になるに当たり「ユダヤ人をむやみに殺すのは絶対に許さない」という条件を提示していた。ヒトラーもこれを了承し、ユダヤ人排斥については国外追放に留めていた。しかし、SSやゲシュタポといった対ユダヤ強硬派の暴走によってユダヤ人に対する排斥運動は徐々に過激さを増し、もはやヒトラーをもってしても止められない段階まで来ていた。
そこでポテンテは満州でユダヤ人受け入れ計画(河豚計画)を進めていた日本陸軍ハルピン特務機関の安江仙江大佐に相談し、ドイツを追われたユダヤ人を満州国で受け入れてもらう準備を進めていた。
日本は日露戦争の際にユダヤ系アメリカ人銀行家ジェイコブ・シフからの巨額の融資によって戦費を調達した過去があり、ユダヤ人の経済力や政治力を大変高く評価していた。そして日本人は、彼らがこれから行う「五族協和の理念の下、満州に東洋のアメリカを作る」という壮大な実験国家建設において、ユダヤ人に力を貸してもらうことを考えていたのだ。
このような諸々の経緯からドイツ帝国は満州国を承認したが、国民党政権との外交関係は致命的となり、蒋介石は報復としてファルケンハウゼン将軍の軍事顧問団の放逐、そして全ての貿易協定の破棄を通告してきた。
国民党との決裂は決定的なものとなったが、それでもユダヤ人の受け入れ先ができたことにポテンテは安堵した。この後、ドイツを追われたユダヤ人達は続々と満州へ向かうこととなる。
血を同じくする者は同じ国家に - 1938年2月9日〜3月13日
ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動により、国防軍総司令官にはなり損ねたものの自分に逆らう陸軍の首根っこを押さえることに成功したヒトラーは、次の目標であるオーストリア併合に乗り出した。
オーストリアの保護国化を狙っていたイタリアの横槍によって一度は潰えたオーストリア併合計画だったが、1935年のエチオピア侵攻によって国際社会から総スカンを食らったイタリアはドイツの支援を必要とするようになり、もはやムッソリーニの反対を心配する必要は無くなっていた。また、イギリスもドイツの暴発を恐れるスタンリー・ボールドウィン首相によって宥和政策を取っていたことから、 ヒトラー総統にとってまたとない好機が訪れていた。
※史実では1937年にネヴィル・チェンバレンが首相になっているが、何故かゲーム上では首相交代が起きず。エドワード8世が退位しなかったせいだろうか?
民族自決に基づくドイツ人統一国家(大ドイツ)は、神聖ローマ帝国崩壊以来ゲルマン民族の悲願だった。第一次世界大戦に敗北してオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、単独では生きられないオーストリアをドイツと併合する案も検討されたが、フランスやイタリアなどから「弱体化させなければならない敗戦国ドイツの領土が拡大するのはおかしい」とイチャモンが付き、ドイツとオーストリアは引き続き別々な国として存在することとなった。 しかし、チェコスロヴァキアやハンガリーの独立により経済的繁栄も大国してのプライドも失ったオーストリアでは、右派・左派を問わず多くの人々がドイツとの統一を願った。
ナチス・ドイツを警戒して併合推進派を弾圧していたエンゲルベルト・ドルフス首相が1934年に暗殺されるとオーストリア・ナチ党は急速に勢力を拡大するが、同党の過激なやり方やナチス・ドイツの執拗な外交圧力は逆にオーストリア人の反発を招いてしまった。「ドイツとは統一したいが、相手があの"ナチス"では嫌だ」というわけだ。
ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動が覚めやらぬ1938年2月、ヒトラーはドルフスの後任であるクルト・シュシュニック首相をベルクホーフ山荘に呼びつけ、オーストリア・ナチ党を入れて組閣することを要求した。
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シュシュニックさん、私の言うとおりオーストリア・ナチ党を入れて組閣しなさい。 私もオーストリア出身だ。悪いようにはしない。 |
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な、何を言うか!これは我が国に対する内政干渉だ! |
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シュシュニック首相よ、あなたに選択の余地は無いのだ。 フリッチュ司令官!ミュンヘンに駐留している我が軍の準備はどうなっている? |
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総統閣下のご命令ひとつで、いつでもオーストリアへ進軍できます。 |
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ヒ、ヒトラー総統!あなたはオーストリアへ攻め込むつもりなのか! |
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私がたった一言命令するだけで、あなたの国のお粗末な防衛体制など一夜にして吹き飛んでしまうのだ。わっはっは。 |
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シュシュニックさん、民族自決の概念による統一ドイツ国家実現はあなた達オーストリア人にとっても悲願なはず。どうして我々に非協力的なのですか? |
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確かに大ドイツ実現は我々にとっても夢だが、あなた達のやり方は危険すぎる! |
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ああ、美しいウィーンの街が我が軍の戦車に蹂躙されるのを見ることになるのか・・・。 残念だ。じつに残念だ、シュシュニックさん。 |
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くっ・・・分かった、あなたの要求を受け入れよう。 |
しかし、シュシュニックはヒトラーに国を黙って差し出すような政治家ではなかった。彼は帰国すると、国民投票を実施して国民自らに「ドイツとの併合」と「自主独立」の選択をさせようとしたのだ。当時のオーストリアではドルフス前首相の暗殺以来、オーストリア・ナチ党とナチス・ドイツによる様々な圧力に国民の反感が高まっていたことから、シュシュニックにはこの国民投票によって真正面からナチス・ドイツとの併合を断ることができると踏んだ。
ところが、シュシュニックの小細工はヒトラーは激怒を誘発してしまい、3月11日にはついにドイツ軍がオーストリアに侵攻する事態となった。ヴィルヘルム・ミクラス大統領は徹底抗戦も辞さない姿勢を見せたが、シュシュニックは同じゲルマン民族同士で血を流すような事態は避けるべきと考えて首相の座を降りてしまった。オーストリア軍は抵抗しなかったうえにオーストリア・ナチ党の協力もあったことから、 ドイツ軍は無血占領に成功した。
ミクラス大統領とシュシュニック首相がドイツ軍に逮捕されると、オーストリア・ナチ党の党首アルトゥール・ザイス=インクヴァルトが大統領兼首相に就任し、3月13日にドイツとの併合条約に調印した。こうしてオーストリアはドイツ帝国の一部である『オストマルク州』となり、三十年戦争によって神聖ローマ帝国が崩壊して以来、約300年ぶりにドイツ人の統一国家が誕生した。
ヒトラーは民衆の大歓迎を受けて故郷リンツに凱旋し、その後ウィーンに入城した。王宮美術館のバルコニーに立ったヒトラーは詰め掛けた何万もの群衆を前に、オーストリア併合(アンシュルス)を宣言した。
「神が私をこの世に送り出した理由は、まさにこの日のために違いない。そう、私がこの世に生を受けた目的は大ドイツ成立を実現するためなのだ!諸君、オーストリアはドイツの一部となった。諸君は胸を張ってドイツこそ我が祖国と言えるようになったのだ!」
その日の夜、故郷に錦を飾った感激でホテルに戻っても涙が止まらない総統とは対照的に、ポテンテは英仏がこのことに対してどのような対応を取るか心配で暗い顔をしていた。「民族自決」という錦の御旗を掲げてのこととはいえヴェルサイユ条約に対する明確な違反であり、相当荒っぽい手段で併合していることから、英仏がさらにナチス・ドイツに対する警戒心を強めるのは確実だった。
ところが、ポテンテの不安に対してイギリスは何も言うことなくロンドンにあるオーストリア大使館をドイツの領事館へと格下げして併合を事実上認め、フランス政府に至っては「20年前にドイツとオーストリアの合併を認めなかったのは、民族自決の原則に反した歴史的な過ちであった」という信じられない声明を出した。
両国の対応にすっかり拍子抜けしたポテンテは疑心暗鬼に陥っていた。
「もしかして、イギリスとフランスは真性のアフォか腰抜けですか?それとも我が国をハメるための深淵なる陰謀ですか?」
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その5)
これまでの経過はこちら。
国防軍とタッグを組み、親衛隊&ゲシュタポと戦うポンセ。プロイセン軍人の名誉を守れ!
レーベンスラウム(生存圏)構想と東方政策 - 1937年9月27日〜1938年1月17日
トルコとの同盟締結によるヒトラーの上機嫌も長くは続かなかった。10月5日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、世界に緊張と恐怖をもたらす国家を国際社会から隔離すべしと演説したからだ。俗に言う『隔離演説』である。
ルーズベルトはどこの国を隔離するのか明言しなかったが、それが日独伊の三ヶ国を指していることは明らかだった。日本はこの年の7月に起きた盧溝橋事件によって中国との戦争に突入しており、反ファシズムを掲げるルーズベルトにとってはドイツとイタリアも日本同様、許されざる『ならず者国家』だった。
演説の内容を知ったポテンテは一言、吐き捨てるように言った。
「イギリス流のご都合主義や、アメリカ流の押し付けがましい正義はもうたくさんだ!」
ルーズベルトの隔離演説以降、しばらくは忙しくも平穏な日々が続いていたポテンテ補佐官だったが、11月5日になるとヒトラー総統に秘密会議(ホスバッハ会議)への出席を命じられた。会議には総統と三奉行に加え、ノイラート外相、シャハト国防相、ベック統合参謀総長、そして陸海空三軍の司令官(フリッチュ、レーダー、ゲーリング)が出席した。
会議は冒頭から大荒れとなった。ヒトラー総統がドイツ軍の軍備が最高潮に達する1943-45年の間にオーストリアとチェコスロヴァキアを打倒することを宣言し、戦争も辞さない覚悟であることを明確にしたからだ。オーストリアはともかくチェコスロヴァキアに手を出せば、フランスが黙っているわけがない。
ノイラートは総統閣下のあまりに唐突な発言に目を白黒させ、レーダーはやっと再建に着手したばかりの貧弱な海軍のことを思い黙って様子を見守っていた。ゲーリングはこの方針に賛成したが、断固反対を主張するシャハト、ベック、フリッチュと激しい口論となった。3人にしてみれば、このような戦略は第一次世界大戦と同様に周辺国からヒンシュクを買って袋叩きにされかねない無謀なものであり、断固として応じられないものであった。
しかし、そもそもヒトラー総統のドイツ復活の戦略は著書「我が闘争」に書かれているとおり、レーベンスラウム(生存圏)構想に基づく東方政策(東欧諸国の併合・保護国化)によるものであり、東方政策によって力をつけたドイツが次の段階を目指す際に英仏と敵対することになるのは当然のことだった。
さらに、総統は動揺を隠せない出席者に対して追い討ちを掛けるかのごとく、英仏の動向次第によってはこの計画の発動は前倒しされる可能性があることを告げた。フリッチュは顔を真っ赤にして怒り、ノイラート外相は殆ど卒倒しそうなほどの虚脱状態に陥った。誰もが、この総統はついに頭がおかしくなったのだと戦慄した。
ヒトラー総統は頭がおかしくなった訳でも、己の力を過信した訳でもなかった。彼の鋭い洞察力は英仏の足元を見抜いていたのだ。
イギリスとフランスは共に第一次世界大戦の戦勝国ながら膨大な経済的・人的損失を蒙っており、再び戦争になることは何としても避けたかった。両国ともヒトラーのような輩が登場したのは自分達がヴェルサイユ体制下でドイツをいじめ過ぎたからという負い目があり、また戦争になればソ連がどさくさにまぎれて西進してくることを恐れていた。
当時のイギリスは工業生産力も金保有高もアメリカに抜かれ、かつては世界の海軍力の半分を単独で有していた自慢のロイヤル・ネイビー(海軍)も、ワシントン、ロンドンの両軍縮条約によってアメリカと同等のところまで成り下がっていた。にも関わらずイギリスは世界最大の植民地帝国の座にしがみつこうとして、インドやエジプトで激化した独立闘争に悩まされていた。ヴェルサイユ体制維持のためには、それによって虐げられるドイツの協力が必要不可欠という、何とも皮肉な状況となっていたのだ。
またフランスも、荒れ狂う恐慌とファシズムに対抗するべく左翼勢力が結集したブルム人民戦線内閣でさえスペイン内戦への対応が原因であっさりと崩壊してしまい、絶え間ない政権交代と小党分立による混乱に陥っていた。そして軍部は独仏国境にマジノ線と呼ばれる防衛陣地群を建設して自国に引きこもり、ドイツに対する軍事的主導権などハナから捨てていた。
ヒトラーは、このような事情を抱える英仏がドイツに対して宥和的にならざるを得ないことを見抜いた上で、冒頭のような発言をしていた。必要以上に軍事に口出しして馬脚を現した晩年とは異なり、この頃の彼は長年の闘争で培った政治的手腕をいかんなく発揮していた。
しかし、ヒトラーは陸軍きっての親ナチ派フリッチュが激しく反対したことに驚き、会議が終わった後にそのことをゲーリングにボヤいた。野心家ゲーリングがこの不協和音を見逃すはずがなく、その日以降ゲーリングは親衛隊と警察組織のボスであるハインリヒ・ヒムラーと何やら怪しげな密談を繰り返すようになった。
ポテンテ補佐官は、つかの間のクリスマス休暇をオーストリアのウィーンで過ごしていた。これはもちろん先の会議におけるヒトラー総統の方針を受けたもので、彼は休暇の合間にオーストリア・ナチ党幹部や親ナチ派の軍人と極秘で会談し、来るべき日のために様々な協議を行っていた。
その来るべき日とは、もちろんオーストリア併合を意味する。
雪国育ちのポテンテはインスブルックのとあるスキー場で見事なスキーの腕前を披露して周囲を驚かせたが、調子に乗りすぎてコースを囲う有刺鉄線を突き破ったあげく川に転落するという失態を晒し、ずぶ濡れになったうえに傷だらけになってプンスカ怒りながらドイツへと帰国した。
ブロンベルク=フリッチュ罷免騒動 - 1938年1月18日〜29日
ポテンテ補佐官の全身を覆う有刺鉄線の傷が癒えはじめた1938年1月18日、事件は起こった。ヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥の再婚相手が元ポルノ女優であることが発覚したのだ。当初、国防省はこのスキャンダルを内々に処理するつもりだったが、これを嗅ぎつけたヘルマン・ゲーリング空軍総司令官によって公にされてしまった。ブロンベルク夫人は若い頃に一度だけいかがわしい雑誌でモデルになったことがあった。
ゲーリングは国防軍最高司令官の座を狙う野心家で、1月29日には陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍の同性愛疑惑もでっち上げた。
ドイツ将校はプロイセン王国時代から結婚相手は軍人か貴族の家系という伝統があったが、自分も平民出身であるヒトラーはブロンベルクの結婚を大いに祝福していた。ポテンテ補佐官就任後の内閣改造によって国防大臣を解任されていたとはいえ、それはあくまで政治上の問題でヒトラー総統はブロンベルクもフリッチュも国防軍を担う有能な将官として信頼していた。それだけに、二人のスキャンダルを知ったヒトラーは大ショックを受けていた。
やがて気を取り直した総統は、ブロンベルクやフリッチュが先に行われたホスバッハ会議の方針に猛反発していたことから排除を決意し、自らが国防軍最高司令官に就任することを画策した。
後に東部戦線でヒトラーの無謀な命令によって多くの将兵が戦死することを知っているポテンテ補佐官は、何としてもこの困った総統の最高司令官就任を阻止する必要があった。
「私の夢をあの伍長閣下にブチ壊されてたまるか!」
ポテンテ補佐官は親しくしていたルントシュテット将軍やレーダー提督を説き伏せて国防軍の全面バックアップを受けると、ブロンベルクやフリッチュを追い落とそうとするゲーリング、そして国防軍の足を引っ張って権力拡大を企む親衛隊(SS)やゲシュタポと凄まじい暗闘を開始した。
質実剛健をモットーとするプロイセン軍人である両者は当初はこのような権力闘争に巻き込まれることを嫌ったが、ポテンテ補佐官が「ドイツ軍人の名誉がこのような謀略で踏みにじられてよろしいのか!」と肉球で机を激しく叩いて力説すると協力に同意してくれた。
ポテンテは国防軍と法曹界の協力を得てフリッチュの無罪を証明することに成功したが、ブロンベルク夫人の件については事実なのでどうしよもなかったことから正面突破を試みた。
「総統、あなただってかつては乞食同然の暮らしをしていた時期があったではないか!人間にとって一番大切なのは今をどう生きるかでしょう?そもそも、ブロンベルク夫人にそのような行為を強いたのはヴェルサイユ体制よる経済破綻が原因です。ヴェルサイユ体制打破を誓うあなたが、その犠牲者である哀れなドイツ婦人がやっと掴んだ幸せを打ち壊すというのですか!」
ポテンテが総統本人の前で総統ばりにダミ声を張り上げて説くと、ハッとしたヒトラー総統は「正直、すまんかった」と言い、すぐにブロンベルク元帥の罷免を撤回する指示を出した。元帥が総統の方針に逆らっていた点については、スペインやトルコと同盟を締結した実績を挙げ、「可能な限り外交による問題解決を重視し、無謀な戦争を国防軍に強いる真似はしない」と確約することで納得してもらった。
そして、この一件でブロンベルク夫妻はスキャンダルから一転、「身分の違いや過去を乗り越えたおしどり夫婦」として雑誌に美談として取り上げられるようになった。
さらに、この事件はポテンテの人間関係にも大きな影響を与えた。彼は幾人かの新しい友人を得たが、幾人かの古い友人を失い、そして幾人かの人から恨みを買った。
国防軍幹部からは「ドイツ軍人の名誉を守った猫」「話が分かる奴」として信頼を得たが、経営学の先生として師事していたシャハト国防相からは「ドイツを無謀な戦争に導く猫」として疎まれるようになった。そして、SSやゲシュタポから恨まれて付け狙われるようになり、国防軍情報部員の護衛無しではどこにも行けない身になってしまった。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その4)
これまでの経過はこちら。
私の座右の銘は「今度はイタリア抜きでやろうぜ!」です。そういうことなんです、はい。
コミンテルンを叩け! - 1937年1月1日〜3月13日
ゲームが始まって1年が過ぎた。スペイン派遣軍の撤収作業で多忙だったことからクリスマス休暇を取れなかったポテンテは、2月下旬にフランコ総統との打ち合わせでスペインを訪問したついでにイビザ島で休暇を満喫していた。
猫は寒さが苦手なのだ。陰鬱な曇天が続く寒いドイツで毎日仕事に明け暮れ、体力的にも精神的にも消耗していたポテンテは、太陽が降り注ぐイビザで思う存分ひなたぼっこをして英気を養った。
日向の匂いを漂わせたポテンテがお土産に買ったひまわりの種を片手にベルリンへ戻って早々の3月13日、日独伊防共協定締結のイベントが起こった。
「世界に共産主義を輸出する」と公言しているコミンテルンの影響によって社会が混乱することを、多くの国の指導者危惧していた。そして、ドイツは共産勢力の影響を封じ込めるべく、今後5年間にわたりイタリアや日本と情報を共有し、相互支援と対抗措置を定めた協定を締結することとした。
しかし、ヒトラー総統は1933年にイタリアを率いる独裁者ベニート・ムッソリーニ総帥と会談した際に「若造」呼ばわりされたことを根に持っており、またポテンテ補佐官も日頃から軟弱極まりないイタリア軍のことを「ヘタリア軍」と呼んでバカにしていた。このようなことから、イタリアと命運を共にする関係になることについて、ドイツはとても消極的だった。
西にはイギリスとフランス、東にはソ連と、敵に囲まれたドイツは喉から手が出るほど味方を欲していたが、そのドイツといえどもイタリアを同盟国とすることには二の足を踏んだ。1935年10月にエチオピアへ侵攻したイタリアが国際社会から総スカンを食らって以来、ドイツはイタリアに対して武器や物資などを援助してきたことから両国の関係は良好になりつつあったが、それもイタリアが英仏陣営に加わってドイツ包囲網を作ることへの警戒に過ぎない。
ポテンテ補佐官はムッソリーニの写真を見て一言つぶやいた。
「頼りない味方は強大な敵より恐ろしい」
ヒトラーの三奉行(ポテンテ、ボルマン、リッベントロップ)を中心に外交セクション、軍部のトップによって検討が重ねられた結果、「軍事同盟ではないし、今後イタリアとの協力が必要な事態になることも考えられるので、協定締結に応じよう」との結論に至った。
イタリアをアテにすることの危険性を力説するポテンテ補佐官は、「あんなヘタリアよりもトルコと組むべきだ!」と激しく抵抗したが、リッベントロップ補佐官から「これは防共協定だ。ソ連とイタリア、どっちが危険だと思う?」と説得されて渋々締結に同意した。
ケマル・アタトゥルクとの邂逅 - 1937年3月14日〜9月26日
防共協定の締結を終えると、ヒトラー総統はポテンテが主張したトルコとの同盟について話を切り出してきた。
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ポテンテ君、貴君が主張していたトルコとの同盟だが、実現可能なのか? トルコのケマル・アタトゥルク大統領は親独的だが、中立志向が強い人物だ。 |
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総統閣下、私はぎ印ドイツ帝国を飛び出す前に内緒でリクルート活動をしていて、その頃に短期間ですがケマル大統領の元に厄介になっていたことがあるのですよ。 私はケマル閣下を大変尊敬していて、閣下のことならホクロの数まで知っています。 |
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君は油断も隙もない猫だな。 しかし、トルコとの同盟が実現すれば、我が国は来るべき戦争において中東でかなり優位な状況に立つことが出来る。 |
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はい、英仏と戦争になった暁にはトルコが中東にある英仏の植民地を攻略してくれるでしょうし、ソ連と戦う際にはカフカスで道案内を務めてくれるでしょう。彼らは頼もしい同盟国となってくれるはずです。 |
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うむ、それではポテンテ君、この件は全面的に君に任せる。 ノイラート、ヒンデンブルク、リッベントロップにもこのことを伝えておくから、彼らを好きに使ってよいぞ。 |
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はい、それでは同盟が実現するまで、しばしお待ちください。 |
1937年6月6日、盧溝橋事件が発生。これをきっかけに日中戦争が勃発した。中国側は国民党、共産党、各軍閥が統一戦線を組んで日本に対抗することとなった。
ヒトラー総統のお墨付きを貰ったポテンテは、1937年の春から初夏にかけてドイツ帝国外交スタッフの総力をあげてケマル大統領を口説き落としにかかった。
ケマル・アタトゥルク大統領をはじめとするトルコ共和国首脳陣は親独的だったが、彼らは戦争に巻き込まれることを恐れていた。第一次世界大戦の敗戦によってオスマン帝国が崩壊し、戦勝国によって占領される危機からやっと守りきったのが現在のトルコ共和国なのだ。ケマル大統領の強力なリーダーシップによって急速に近代化が進んでいたものの、1924年に建国されたばかりの新興国家だった当時のトルコに戦争という博打を打つ余裕などなかった。
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閣下、ご無沙汰しておりました。ポンセでございます。 あ、今はポテンテという名前に変わりましたが。 |
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おぉ!ポンセではないか。元気にしておったか? お前が以前に私に教えてくれた日本式とドイツ式をミックスした生産効率向上マニュアルな、あれを我が国の工場に導入したら生産効率が15%もアップしたのだ。 |
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一宿一飯の恩義を返せたようで、それは何よりです。 |
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ところでポンセよ、いきなり私を訪ねてくるとは何かあったのか? |
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はい、実は私は現在ナチス・ドイツで総統補佐官を勤めておりまして・・・。 |
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ドイツと同盟しろと言いに来たのだな? ダメだ、ダメだ。いくらお前の頼みでもそれは無理だぞ。 |
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それは百も承知のうえでお願いに来たのです。 閣下、これはドイツとトルコ、双方にとって利益となる話です。 |
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今のドイツは英仏のみならず、ソ連やアメリカまで相手に戦争しそうな勢いではないか。世界中を敵に回して勝てると思うのか?個人的にはドイツの窮状には同情するが、そのために我が国を破滅に導くことはできん。 |
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閣下はトルコ国民だけが生き残ることができればそれで良いとお考えですか?メスヘティアやアゼルバイジャンでスターリンの恐怖政治に怯えて暮らす同胞を、キプロスでギリシャ人の弾圧に耐えて暮らす同胞を救おうとは思わないのですか? |
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うむむ・・・。しかし、ヒトラーはアーリア人至上主義を唱えているではないか。私はあのような危険な男とトルコの命運を共にしたくはない。 |
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私がいる限りそのようなことはさせません。閣下、私の目標はイギリスやフランスが牛耳る現在の世界秩序を破壊し、そして共産主義をこの世から抹殺することなのです。 |
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ポンセよ、お前が世界を戦争の渦に放り込んでまで作りたい世界とは、一体どのようなものだ?何故そこまでするのだ? |
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私は黒猫です。黒であるがゆえに言われなき差別に遭ったこともあります。だから、私は白人が世界を支配する世の中に終止符を打ちたいのです!植民地支配や搾取に苦しむ民衆を解放し、世界を多極化するのです。 |
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うーむ・・・ドイツ版「大東亜共栄圏」を作ろうというのか。 |
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そして、私が思い描く戦後の世界では、トルコには中東において重要な役割を担ってもらう予定です。 |
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オスマン帝国のように再びアラブ世界に君臨しろと言いたいのか? |
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いいえ、閣下が掲げる政教分離や世俗主義、近代化の推進は他のイスラム国家にとっても模範となるものです。トルコには中東の近代化や民主主義のリーダーとなってもらいたいたいのです。 |
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・・・分かった、ポンセよ。このケマル・アタトゥルクとトルコ国民もお前の夢に乗ろう。 |
1937年9月26日、トルコ共和国はドイツとの軍事同盟を締結し、枢軸国入りを果たした。
「同盟締結成る」の知らせがベルリンに届いた日、ヒトラー総統は滅多に披露しない口笛を披露するほど上機嫌だったという。
またこの頃、防共協定締結を受けてイタリアのムッソリーニ総帥がベルリンを訪問していた。かつてはヒトラーを「若造」と罵ったムッソリーニだったが、そのヒトラーの手腕によって一糸乱れぬ軍国主義国家へと生まれ変わったドイツを見て感銘を受け、ヒトラーに対する認識を改めたようだった。
大のイタリア嫌いを公言するポテンテ補佐官が事あるごとにムッソリーニの側近に対して「ヘタリア、ヘタリア」とイタリア軍の軟弱ぶりを当てこすったため、ノイラート外相が顔面蒼白となる場面が幾度かあったものの、ムッソリーニは上機嫌で帰国した。
≪つづく≫
【黒猫ポンセの野望】「HEARTS OF IRON II」リプレイ(その3)
これまでの経過はこちら
ドイツ風にカール・ポテンテと改名してあります。よろしく。
兵隊さんが街にやって来た - 1946年1月1日〜7月17日
Guicho Zurdoに一泡吹かせるべく、タッグを組んだヒトラー総統と黒猫ポンセ改めポテンテ補佐官は、当面の政治方針として次のことを目標に掲げた。
・ヴェルサイユ条約により課された賠償金の支払い拒否
・フランスに割譲したエルザス・ロートリンゲン(アルザス・ロレーヌ)地方の再占領
・ポーランドに割譲したボーゼン州と西プロイセン州の再占領
・国際連盟保護下の自由都市ダンツィヒの占領
・オーストリア併合による大ドイツ成立
要するに、まずは第一次世界大戦によって失った領土を取り戻し、さらにオーストリアを併合してドイツ民族の統一国家建設を実現しようということだ。なお、ダンツィヒ同様国際連盟保護下にあったザールラントのドイツ復帰と、徴兵制の復活は既に実現している。
ドイツがゲーム開始後最初に行ったことは、ヴェルサイユ条約によって非武装地帯と定められていたラインラント(ドイツ西部ライン川沿岸)進駐だった。自国の領土に自国の軍隊が駐屯できないとは理不尽にもほどがある。
しかし、これは明確な条約違反でありヴェルサイユ体制に対する挑戦であることから、フランスが怒って軍を差し向けてくる危険性もあり、総統とポテンテにとって大きな賭けであった。この時点でのドイツ国防軍が有する陸軍戦力は歩兵36個師団と軽戦車3個師団のみ。ドイツは既に1933年に国際連盟を脱退しており、外交的に孤立しつつある状況だった。 もし英仏と戦争になろうものなら、そう簡単に国境を破られることは無いにしても苦戦は免れない。
しかし、フランスは不快感を示したのみで何ら具体的な報復措置を採ることは無く、ラインラントへ進駐したドイツ陸軍第12軍は1月3日、『強いドイツ』復活を願う市民から熱烈な歓迎を受けてケルンへの入城を果たしたのだった。総統とポテンテは、まず最初の賭けに勝った。
後日、ヒトラー総統はこのときの話になると、決まって次のように漏らした。
「ラインラント進駐後の48時間は私の人生で最も神経をすり減らしたときだった。もしフランスがラインラントに兵を進めたら、我が軍は尻尾を巻いて撤退しなければならなかっただろう。私の不退転の頑張りと冷静さがドイツを作ったのだ」
ポテンテは続いてルクセンブルク侵攻作戦を立案した。ルクセンブルクは19世紀にはドイツ連邦(ドイツ同盟)に加盟していたが、後に独仏の緩衝地帯とするべく両国の話し合いの末に永世中立国として独立したという経緯を持つ。そういった経緯から、ヒトラー総統やポテンテは「あそこは元々ドイツ領だ。奪還して何が悪い?」と考えており、またフランス攻略の際には重要な拠点となる場所であることから、いずれ何としても手に入れなければならない場所であった。
しかし、ルクセンブルクはフランスが独立を保障していることから、下手に手を出せば今度こそフランスと全面戦争となりかねない危険性があり、検討を重ねた結果断念することとなった。
当初、ヒトラー総統はポテンテ補佐官が戦争という戦争にことごとく反対するのではないかと恐れていた。ところが、予想に反してポテンテは自らルクセンブルク攻略作戦を持ち出してきたのだ。この積極的な姿勢を見た総統はいたく喜び、「まあ、焦ることない。チャンスはいくらでもある」と労をねぎらった。
ラインラント進駐以降、来るべき戦争に備えた軍備増強のため、必要な資源の確保や軍需産業を担う各企業との折衝などで多忙な日々を過ごしていたポテンテだったが、7月に入ると次の重要な決断を迫られた。
誰が為に鐘は鳴る - 1936年7月18日〜12月31日
7月18日、スペインでフランスシコ・フランコ将軍率いる軍部を中心とする右派(国民戦線)が、資本家や教会などの保守派から支援を受けて、左派政権(人民戦線)に対して武装蜂起した。いわゆるスペイン内戦の勃発だ。
1930年代のスペインの政治情勢は混乱を極めていた。1931年にスペイン・ブルボン朝王政が倒れて共和制が成立したが、右派と左派の激しい抗争が続いていた。1936年2月の総選挙で左派が辛勝したが、政権を支える社会党、共産党、アナーキストの内部抗争による社会混乱が続き、ついには軍部が不満を爆発させて内戦に突入したのであった。
英仏は介入しない姿勢を打ち出したが、ソ連は人民戦線を、イタリアは国民戦線支持を宣言して武器や資金、さらには義勇兵などを送り込んでいた。そして、我が国にもフランコ将軍から救援要請が届いた。
7月20日、ヒトラー総統は閣議を開催し、そこで今後の対応について話し合いを行った。なお、閣議には総統の補佐役としてカール・ポテンテ(軍事担当)、マルティン・ボルマン(内政担当)、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(外交担当)の三人も出席している。この三人は総統の側近中の側近として大きな影響力を持ち、『ヒトラーの三奉行』として政府・ナチ党内で頭角を現しつつあった。
「これ以上、欧州の赤化を許してはならない。我が国にはスペインを共産主義の魔の手から守る使命がある!」
会議はヒトラー総統のこの一言によって、たった10分で決着した。唯物史観を掲げて神を冒涜し、暴力による革命を肯定するボルシェヴィキが輸出する邪悪な共産主義思想はこの世から抹殺されなければならない。
フランコ将軍の要請どおり、航空戦力が弱い国民戦線を支援すべくフーゴ・シュペール空軍少将を司令官とする航空部隊『コンドル軍団』がスペインへと派遣された。ポテンテ補佐官は大規模な陸戦部隊投入を進言したが、ベルリン・オリンピック開幕を目前に控えていたことから総統はこれを却下した。
そして8月1日、ベルリン・オリンピックが開催された。ナチスのプロパガンダに使われた、いわくつきの大会だ。ベルリン・オリンピアシュタディオンに詰め掛けた多くの観客がナチ式敬礼で「ハイル!」と出迎える中、ヒトラー総統は高らかに開会宣言を高らかに行った。
それから約2週間、世界はスポーツに熱狂してスペインの戦火など忘れたかのように見えた。
総統がオリンピックに関連する様々な行事に忙殺されている間、ポテンテ補佐官はスペインのコンドル軍団と頻繁に連絡をやり取りしては、しきりに国防省への出入りを繰り返していた。彼は国民戦線の戦いに不安を感じていたのだ。
いくら人民戦線が無政府主義に侵された暴徒の集団とはいえ、一応は選挙によって成立した政権。それに対して蜂起した国民戦線は、いわば反乱軍なのだ。果たして、国民戦線は民衆から支持されているのだろうか?わずかばかりの義勇兵を送った程度で十分なのだろうか?
しかも国民戦線の支配地域は北西部のガリシア地方と南西部のアンダルシア地方で、両地域は人民戦線の支配地域やポルトガル領によって分断された状態となっていた。良く見れば挟撃が可能な状況だが、悪く見れば分断されて各個撃破される可能性がある。
いずれ起こる英仏との戦争に備え、その背後に位置するスペインには是が非でも親独的な政権を打ち立てておく必要がある。もしスペインと軍事同盟を結ぶことができれば、我が軍は西部戦線でぐっと有利になるのだ。ポテンテは国民戦線との軍事同盟締結と陸戦部隊投入について総統に掛け合ったところ、スペイン内戦を部隊運用や新兵器に関するテストの場としたい国防省の協力もあって総統の許可を得ることに成功した。
マドリード詣でを命じられたノイラート外相とヒンデンブルク情報相によって、国民戦線との関係は見る見るうちに深まり、9月27日に軍事同盟の締結に成功した。
国民戦線との同盟締結によってドイツは自動的に人民戦線に宣戦布告する格好となり、すぐさまルントシュテット将軍率いる陸戦部隊とケッセルリンク中将率いるルフトバッフェ(ドイツ空軍)爆撃機部隊からなる正規軍部隊『スペイン派遣軍』がガリシア地方のラ・コルーニャへと向かった。
最新装備のドイツ軍は民兵主体の人民戦線部隊をスペイン各地で蹴散らし、わずか2ヶ月半で国民戦線を勝利へと導いた。12月18日には人民戦線最後の拠点バダホスが陥落し、スペイン内戦は史実よりも2年以上早く終結した。
年末には国家元首である総統となったフランコがベルリンを訪問し、ドイツ=スペインのファシズム同盟を世界にアピールした。史実では色々と理由をつけて枢軸入りを断り続け、上手いこと逃げおおせたスペインだが、ポテンテの作戦によって同盟締結・枢軸入りが実現した。
歓迎晩餐会の席上、ヒトラーは一蓮托生の仲となったフランコ向かって次のように言った。
「死ぬときは一緒です。地獄の底まで付き合ってもらいますぞ、はっはっは」
≪つづく≫













