2006バルト三国旅行記(その33) - クライペダの市場にて(9月11日)
前回の続きです。
今回でリトアニア編が終了します。
次はラトビア編になりますが、この調子じゃいつまで経っても終わりませんねぇ。どうしよう・・・。
◆ヒトラー?ケマル・アタトュルク??明治天皇???
劇場広場の前でドイツ国歌を歌いたい衝動と戦っていると、浅黒い肌を持つ若い男性に話しかけられた。「ドラマ劇場の入口がどこか分かる?」と尋ねられたのだが、にゃおんちゃんもどこから入るのか知らないのだ。「建物正面に大きな扉があるけど、開いてなさそうだね」と答える。
その場で立ち話が始まったのだが、彼はトルコ人でリトアニアの大学に交換留学生として今月来たばかりらしい。休日を利用してリトアニア国内をあちこち見て歩いているそうだ。どこへ行ってきたのか聞かれたのでバルト海を見てきたことを話すと、「そうか、それじゃ明日行ってみようかな」と言っていた。
そのトルコ人の彼は見るからに知的な人物で、整った顔立ちで綺麗な英語を話しカジュアルながらも小奇麗な格好をしていた。きっとそれなりにお金持ちの家の子供で、トルコ本国ではモテモテに違いない。気品漂うトルコ人と、パンクでDQNなオイラ・・・。
にゃおんちゃんが話したことがあるトルコ人は皆頭の回転が速く気さくな人達なうえに、トルコはDQN揃いのイスラム国家の中でマレーシアと並ぶ数少ないまともな国なので、非常に良い印象を持っている。しかも、にゃおんちゃんはトルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクを尊敬しているので、そのことを告げるとトルコ人とはすぐに仲良しになれることが多い。
「トルコについて何か知っていることはある?」と訊かれたので、ケマル・アタトュルクの名前を挙げると、彼は「ケマルは日本で有名なのか?」と驚いていた。さらに彼は「ケマルは日本のエンペラーを尊敬していた」と言う。多分明治天皇のことだろう。おかげでにゃおんちゃんはヒトラーが演説を行った建物の前で、トルコ人相手に明治天皇について話すという、わけのわからないシチュエーションを経験することとなった。
ひとしきり立ち話をした後、昼飯に誘われたが残念ながら時間が無い。ネリンガから戻ってきたばかりこの街をまだ殆ど見ていないのだ。彼の申し出を丁重に断り去ろうとすると、「それじゃ君にこれをあげるよ。僕はもうひとつ持ってるから大丈夫」と観光客向けの無料ガイドブックをくれた。
非常に感じの良い人だったので、メールアドレスでも聞いておけばよかったなぁ・・・。
◆ツェッペリーニを食い損ねる
トルコ人の彼と別れ、旧市街地を散策する。が、クライペダの旧市街地はとても小さいうえにたいしたものが無いのですぐに見終わってしまった。綺麗に整備されているのだが、残念だったのが路上駐車してる車が異常に多いこと。せっかくの景観もこのせいで台無しになる。
とはいえ、これはこの街だけの話ではない。こっちには駐車場というものが殆ど無く、どこへ行っても歩道のちょっとしたスペースや道幅に余裕のある道路の端には必ず車が停まっている。これはバルト三国のみならず、ウクライナやポーランドでも変わりなかった。
ウロついていると市場を発見し、面白そうなので見に行くことに。昼過ぎだというのに買い物をしている人がたくさんいる。屋外に立ち並ぶお店の多くは野菜や果物を売っている。種類はかなり豊富で色とりどりの商品が山盛りになっていて、見ているだけでも楽しい。
果物を買ってバスの中で食べようかと思ったが、全部計り売りなうえにある程度まとまった単位じゃないと売ってくれないようで断念する羽目となった。大量のブドウやらイチゴやら抱えてバスに乗れというのか。
市場で売っているものは食料品が多いのだが、衣料品や雑貨を売っている店、さらにはDIY用品の店まであった。ところがこれが凄い。テーブルの上に無造作に水道の蛇口がゴロンと転がっているような代物なのだ。こんなものがポンポン売れるとは思えないのだが・・・。店主のおやじも売る気が無いようで客が来ても知らん顔をしている。
どうみても蛇口を買うような客には見えないにゃおんちゃんだが、売っているものをシゲシゲと見て回る。すると南京錠を発見。ハートのマークが入っていてずいぶんと可愛らしい南京錠だが、鍵としての役割は十分果たしてくれそうなので購入。値段は5LTL程度(約220円)。
市場の向かいにリトアニア名物ツェッペリーニ(リトアニア風芋ダンゴのようなもので、飛行船ツェッペリン号に似ているのでこんな名前がついたらしい)の店があったので入るが、あいにく満席。(;´д`)トホホ
去年の夏にヴィリニュスで食ったからいいもん!と空腹を我慢して強がるが、朝から何も食ってないので腹が減って仕方ない。屋台があったので揚げパンを買ってその場で食べる。ロシア語で屋台のおばちゃんに「これ、美味しいね」と言うと、おばちゃんはにっこり笑って色々と話しかけてきた。日本から来たことを告げると驚いていた。おばちゃんはこちらのロシア語能力などお構いなしに喋り倒すので全てを聞き取れなかったが、「あら、ずいぶん遠くから来たわね。あたしゃ、そんな遠くの国なんてどこにあるのか皆目見当つかないよ」みたいなことを言っていた・・・多分。
そんな感じで市場やその周りをブラブラしていると時間になったので、荷物を取りにホテルへ戻り、すぐにバスターミナルへ移動した。
ここからバスでラトビアのリエパーヤに向かう。いよいよ、リトアニアとお別れするときが来た。
2006バルト三国旅行記(その32) - にゃおんちゃん、バルト海を見る(9月11日)
前回の続きです。
先日予告した「香ばしき国々」の続編ですが、9割方書きあがっているものの最後のツメに苦しんでおります。週末に書こうと思っていたのですが、ススキノの遊びに行っていたので全く進まず。というわけで、もうしばらくお待ちを。
ススキノ?いや、ライヴ見てきただけなので、ムフフな話は何もありません。
◆バルト海に佇む黒猫
スミルティネから森の中の遊歩道を歩くこと数十分、やっと浜辺に到着。目の前には初めて見るバルト海が広がっている。風が吹いているせいもあるのだろうが、磯の香りはあまりしない。砂は白く粒がとても細かい。
多分、夏にはリトアニアのみならずベラルーシなどからも海水浴客が来るのだろう。かなり大きな海水浴場だ。しかし、今は9月なので人影は全く無い。港に入港する船と石油の備蓄タンクとが遠くに見える。対岸にスウェーデンが見えたりしないかなぁ?と期待したが、300kmも離れているのだから見えるわけがない。
管理棟らしき建物があるので行ってみると監視員か管理人らしきおじさんが数名いた。リトアニア語挨で拶するが、おじさん達はジロリとこっちを見て「こんにちは」と言うだけで、後は知らん顔をしていた。ちっ
腰を下ろしてしばらく物思いに耽るが、風が冷たくてじっとしていられない。これ以上ここにいてもすることがないので退散することにするが、帰る前にこんな写真↓を撮る。

浜辺に一定間隔で立ち並んでいたこの物体。何かと思って近づくと簡易脱衣所だった。
◆今度は歌も歌わないし、シャウトもしません
再び森の中を歩いて帰る。カンカンカン!と木を叩く音がするので、何事かと辺りを見渡すとキツツキが木を突付いていた。ちなみに、帰りは歌を歌わずに帰った。ソ連国歌でも歌うべきだったか?
とても美しいところなのに、季節外れの時期に来てもあまり意味が無い。夏に来るべきだった・・・。
スミルティネに戻ると丁度船が出るところだったので、全速力で走って急いで乗り込む。といっても、この船は最低でも一時間に数往復はしているので、乗り遅れても問題は無いが。
クライペダへ戻ると11時を過ぎていた。バスは14時なので旧市街地を見て時間を潰すことにした。昨日の夜に来た際は暗くてよく見えなかったし。
旧市街地は観光地として整備されているので、建物も綺麗だし駅周辺のように石畳がボコボコだったりはしない。しかし、ポツポツとドイツ風の木造家屋がある以外はそれほどドイツ色は無い。写真で見たリガのほうがずっとドイツ的な街並みだと思ったくらい。ヴィリニュスよりもさらにのんびりした雰囲気の地方都市だが、やはり港町特有の雰囲気があって教会が立ち並ぶヴィリニュスの旧市街地とはかなり異なる。
昼間に見た劇場広場。建物の中央にあるバルコニーがチョビヒゲ総統が演説を行った場所。その下が、にゃおんちゃんが「お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!」とシャウトした場所。
2006バルト三国旅行記(その31) - ドイツ国歌再び(9月11日)
バルト海目指して砂州へ行く黒猫。
◆砂州へ渡る
クルシュ砂州(ネリンガ)のスミルティネへ行く船の乗り場は旧市街地の端にある。切符代は往復で2LTL(約90円)程度だったと思う。フェリーなどという上等なものではなく、一見すると何かの作業船かと思うような外観で真ん中にはバスなどがそのまま乗れるようになっている。我々のような徒歩の一般客は隅っこにあるベンチに座る。
早朝というわけでもないのだが、乗客はには釣り道具を持ったおじさんが多かった。他はニダへ行く旅行客やドイツ人らしき観光客集団といったところ。

船はダニェ川を出てネリンガと陸に挟まれた幅数600〜800m程度の内海を進む。たったその程度の距離だから実際に船に乗ってる時間なんて10分程度。船上から周りを見渡すと、北に荷揚げ用のクレーンが立ち並ぶ港湾施設が見えた。
向こうには砂州の切れ目、すなわちバルト海への出口が見えるのだが、これがどう見ても幅数百m程度しかない。中世のガレー船ならいざしらず、現代の大型船が入って来るのは容易ではないだろう。しかし、リトアニアにある大型港湾はこのクライペダ港だけなのだ。
砂州によって保護されているので内海は非常に穏やか。夏の天気の良いに日来たら気持ちいいに違いない。
さて、あっという間にスミルティネに到着。船を下りてすぐのところにバス乗り場があり、ニダ行きのバスが乗客を待っている。ニダといっても<`∀´ >のことではない。しかし、このバスに乗ったら<`∀´ >の国に行ってしまうのかと思うと、一瞬身震いがした。
とはいえ、今回はニダヘ行っている時間は無いのでこの辺りをお散歩するのみ。船着き場の岸壁には釣りおじさんがずらりと並んでいる。その後ろにはおじさんの獲物を狙うニャンコが。
お友達になろうとしたが、逃げられて凹む。


◆森の中でドイツ国歌を歌う黒猫、ロシアおばさんが現れギョッとする
おじさん達が何を釣るか見ていたが、さっぱり釣れないので諦めてバルト海を見に行くことにした。スミルティネから森の中の遊歩道を歩いて海を目指す。正確な距離は不明だが、浜辺には海水浴場がありその案内板があるので、歩いて行ける距離なのは確かなようだ。
森の中の遊歩道をひたすら歩く。森の空気はひんやりと澄んでいてとても気持ちよい。
が、歩けど歩けど風景が変わらない。退屈なので歌を歌うことにする。
リトアニアの森の中をドイツ国歌を歌いながら歩く。
ドーイチュラント、ドーイチュラント♪
そういえば、ドイツのノーベル賞作家トーマス・マンはニダに別荘を持っていたらしい。誰もいないと思っていい気分で歌を歌っていると、突然森の向こうからおばちゃん達が現れてギョっとする。
おばちゃん達はこの先の浜辺から来たようだ。海辺までどのくらい掛かるか尋ねてみたが、おばちゃん達いわく「もう少し」とのこと。
おばちゃん達は英語が全然分からず、ロシア語を話していた。ロシア人観光客だろうか?
おばちゃん達の言うとおり、そこから少し歩くと突然景色が変わる。木々は殆ど無く、地面は浜から流れてきた砂に覆われている。海水浴場の案内板があり、気温や水温などが書かれている。ということは、こんなに寒いのに海水浴場は営業しているのか?
こんな気温で泳ぐ人がいるとは思えないが・・・。

2006バルト三国旅行記(その30) - バルト海へ行こう!(9月11日)
前回の続きです。
「お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!」と一発かましたにゃおんちゃんは揚々とホテルへ引き上げます。
◆バルト海を目指す黒猫(2006年9月10〜11日)
意気揚々とホテルへ戻るにゃおんちゃん。時間は23時を過ぎており、くたびれて眠い。元来た道を歩いて帰るが、オイラの前方にスキンヘッドの若者達が歩いている。何やら大声で叫び、手にしたビール瓶を路面に叩きつけ、道路沿いの店の窓を叩いたり看板を蹴っ飛ばしたりしている。感じ悪いなぁ・・・。
もしかしてあいつらもネオナチなのだろうか。だとしたら、にゃおんちゃんなど格好の標的に違いない。距離を取って歩くが、奴らはいつまで経ってもいなくならない。仕方が無いので通りがかったバーに入って奴らをやり過ごすことにする。ビールを2杯ほど飲み、30分ほど時間を潰す。
顔を真っ赤にしてホテルに帰還し、すぐに爆睡する。
翌朝9時にホテルを出る。荷物をフロントに預け、まずはバスターミナルへ。今日はバルト海に沿って北上し、ラトビアのリエパーヤへ行こうと思う。日露戦争でボコボコにされたバルチック艦隊のかつての母港だ。
バスターミナルは駅の向かいにある。時刻表で確認すると1日に4〜5往復走っているようだ。所要時間は2時間半〜3時間程度。ということは、午後の便で出発すればOKだな。
バスターミナルから旧市街を目指して歩く。道路には石畳が敷き詰められていて雰囲気は良いのだが、ヴィリニュスと比較するとボコボコで歩きにくいったらありゃしない。改良工事をして綺麗にしてあるヴィリニュスとは異なり、クライペダの道路は何十年も前からこのまんま、という感じ。

ヴィリニュスで買い損ねたSDカードを仕入れるべくカメラ屋を探すが見つからない。やっと一件見つけて飛び込むが、SDカードを取り扱っていなかった。むぅ・・・。
やがてダニェ川までやって来たが、昼間に見るダニェ川は昨夜見た幻想的な光景とは全く異なり、緑色の藻のようなものに覆われた汚い川だった。遠くから見るとまるで緑色のゴムマットが敷いてあるようで川に見えない。川沿いのフェンスは途中で切れている箇所があり、酔っ払いや子どもが地面と勘違いして川に落ちるのではないかと不安になった。
川沿いには公園があり、おじさん達が釣りをしていた。何が釣れるのかと思いそばにいって眺めるが、怪訝な顔をされたのでそそくさと退散する。
そんなに怪しまなくてもいいじゃないか。(;´д`)
早い時間のうちに砂州へ行っておこうと思い、船着場へ向かう。
クライペダの沖にはカリーニングラードからここまで約100kmに及ぶクルシュ砂州(現地語ではネリンガという)という砂州がある。ここから船で対岸のスミルティネというところへ渡り、そこからバスに乗るとニダへ行ける。ニダはソ連時代に共産党幹部専用の保養地だった場所で、そのため手付かずの自然が残っていてとても美しいところだという。ユリアも「是非行くべきよ!」と絶賛していた。
しかし、残念ながらニダまで行ってる時間は無いし、季節外れのこの時期に行っても侘しいだけだろう。スミルティネには水族館があるのだが、残念ながらこの日は休館日。
だが、にゃおんちゃんには目的があった。オイラはバルト海を見たいのだ。スミルティネから海岸線までの距離は不明だが、このあたりは砂州の先端なのでたいした距離ではあるまい。
汚い川ですね。悪臭はしなかったけど。
2006バルト三国旅行記(その29) - お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!(9月10日)
前回の続きです。
このクライペダは旅行前半のハイライトとなりました。何故かって?いや、それは色々とやらかしてきたからですよ。到着したその日の夜にも一発かましてきました。
◆口は災いの元
ダニェ川のほとりには倉庫を改築したおしゃれな店が並んでいる。歩いていると、雰囲気のよさげなレストランを見つけたので入ってみる。店内はちょっと雑然としていたが、倉庫を改造したものなので雰囲気は十分ある。といっても小樽や函館にあるもののようにきっちりリフォームされているわけではなく、ベニヤ板で誤魔化してる部分があったりする。
メニューを貰うと、どこかで見覚えがあるものだった。ああ、そうだヴィリニュスでユリアと一緒に行ったレストランと同じなんだ。店名は違うようだが姉妹店なのだろうか?あのときにユリアが飲んでいたチリ産ワインがとても美味しかったので、同じものを頼む。料理は無難にパスタを頼んでおく。
店員がフォークやナイフ、それからサービスでつけてくれるパンを持ってきた際、話しかけてきた。
「あなた、どこから来たの?」
日本から来たと答えると、彼女は首都ヴィリニュスから遠く離れたこの街までわざわざ来た物好きな日本人の動機に感心を持ったようだ。
「え?日本から?この街の何に興味があるの?」
あー、メーメル川を見ようかと思ってね・・・。
「え?」
(あっ、しまった!ドイツ名だった。) いや、ネムナス川だよ、ネムナス川、わはは。
彼女は怪訝な表情を浮かべている。そりゃそうだ、ネムナス川は何の変哲も無いただの川なのだ。ライン川やドナウ川のような大河ではない。根が親切であろう彼女はさらに言う。
「ここから遠いわよ?」
わははは、いやー。砂州にでも行こうかと思ってさ、ははは。
「ああ、ニダ(クライペダ郊外の砂州にある保養地)ね?あそこはいいところよ」
必死に笑って誤魔化すにゃおんちゃん。 何とか話がまとまったが、変な奴と思われたかもしれない(;´д`)トホホ。
ワインを飲みながら優雅な夕食を楽しむ。テーブルの上にはローソクが灯っていてロマンティックだ。女の子と一緒じゃないのが残念だなぁ。
◆ドイツ人の無念について考える
食事を終えたにゃおんちゃんは旧市街地散策に向かう。といっても時間は23時過ぎ、真っ暗なのであまりよく見えない。あーこりゃダメだ、とホテルに戻ることにするが、その途中にナイトクラブを見つける。んー、ビールの一杯程度は飲みたいがクラブって気分じゃないな。
その向こうに何やら広場が見えるので行ってみる。
ほー、これが旧市街地の中心地「劇場広場」か。広場の真ん中にはこの街出身のドイツの詩人サイモン・ダッハに捧げられたという乙女の像が立ち、その背後にはドラマ劇場がある。
1939年、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーがこの劇場の二階中央にあるバルコニーで演説を行ったことがある。今でこそリトアニア領のこの街だが、元々はドイツ人が作った街で長年プロイセン王国やドイツ帝国の一部だった。第一次世界大戦の敗戦によってこの街は連合国(フランス)の委任統治下に置かれるが、そのどさくさに紛れてリトアニアのスメトナ大統領が派兵して強引にリトアニアに編入したという過去を持つ。
とはいえ、住人の殆どはドイツ系だからナチス・ドイツがチェコを併合すると、彼らはメーメルもドイツに統合されることを望んで騒ぎ始めた。これにうろたえたリトアニア政府はドイツへメーメル返還を申し出たため、ドイツはこの申し出を受けてヒトラーがここへ来て演説をしたというわけだ。
そのときの風景を思い浮かべながら広場を眺めていたにゃおんちゃんは、ドイツ人の無念を晴らすべく、少々酔っていたこともあってとんでもない暴挙に出る。
バルコニーの下へつかつかと進むと、辺りに誰もいないのを確認して突如日本語でシャウトした。
「お前ら、独逸を何だと思ってやがりますか!」
わーっはっは!やってやった、やってやったぞ!
ドイツ人の諸君、ドイツを心より尊敬するこの黒猫は諸君の友である。今度一発かますときは、また誘ってくれよ。ただし次回はイタ公抜きでな。
知らない人のために説明しておくと、元ネタはこれね。
本当はカリーニングラードで一発かましてやりたいネタだったが、そこまで行ってる時間も金も無いのでパス。っていうか、オイラはただのバカだ。誰も見てないところでひっそりとしかできない所業だな、これは。
◆可哀想な国ドイツとカリーニングラード
それにしても、ドイツは可哀想な国である。戦争をするたびに負けて領土が縮小され、ついには東プロイセンそのものを失ってしまった。諸侯が乱立していた現在のドイツを統一したのはプロイセン王国。そういう意味では東プロイセンはドイツ人の心のふるさととも言える土地だ。ところが、その東プロイセンはいまやポーランド、ロシア、リトアニアによって切り刻まれてしまっている。
多少なりとも過去に領有した実績があるうえに港を確保する必要があったポーランドやリトアニアと異なり、ロシア(ソ連)がカリーニングラードを領有する根拠なんぞ何にもありゃしない。戦勝国という立場を利用してドイツから掠め取っただけだ。
ん?ドイツが戦争したから悪いだって?ナチスみたいなキチガイが台頭するほどドイツ人を追い詰めたのはどこの誰かね?当時のドイツ人に野垂れ死にしろと言いますか?
日本だってドイツと同じようなものですよ。石油の供給を止められたうえにハルノートなんか突きつけられたら誰だって暴発しますよ。というか、それで何もしなかったら独立国家を運営する資格なんかありゃしない。どこかの国の植民地にされて、「猿」と呼ばれて蔑まれなさいってことだ。ただし、日本の場合は戦争に至るまでの外交努力が殆ど無いので、その点については反省が必要だけど。
戦争には善悪など無い。勝者と敗者がいるのみ。日本もドイツも負けたが故に悪者にされたに過ぎない。
話が逸れてしまった。カリーニングラードの話に戻そう。
ソ連崩壊に伴ってリトアニアが独立してしまい、カリーニングラード州は飛び地となってしまった。しかも、リトアニアのEU加盟&シェンゲン条約締結によって、カリーニングラードの住民は本土へ行く際にいちいちビザを取得する羽目になった。だーっはっは、ざまーみろ。
ロシア政府は「非人道的だ」とリトアニア政府に抗議したらしいが、だったらお前らもEU諸国に対してビザ免除するか、カリーニングラードから出て行け。
ロシア政府はバルト海に面しポーランドとリトアニアに挟まれた土地の利を生かして、カリーニングラードを貿易の拠点にしようとしたが、結果は密輸が蔓延っただけだという。今ではカリーニングラードの住民の多くは担ぎ屋をやって生計を立てているという恐ろしい噂まである。
かつてプロイセン王国の首都として栄えたこの土地もロシア人に統治させたらこのザマである。ドイツ人の皆様、返還要求しないんですか?
ロシアが青息吐息だった頃、円パワーでカリーニングラードを買い取って日本の飛び地とし、裏技でEUに加盟しちゃおう、などとバカなことを言っていたのはオイラだったりする。
いつかカリーニングラードへ行って、殴られるの覚悟でロシア人に説教してやろうと思う。w
2006バルト三国旅行記(その28) - 港町クライペダへ行く(9月10日)
前回の続きです。
シャウレイを発ち、バルト海に面した港町クライペダへ向かいます。当初から行くことを予定していた都市で、楽しみにしてました。
◆謎の若者達
17時04分発の列車でクライペダへ移動するので切符を買う。運賃は15.6LTL(約670円)で。こっちの鉄道の切符はコンサートのチケットくらいの大きさなのだが、ここで買った切符は普通のレシート。しかも裏面には何故か新幹線のイラストが描かれている。何故、新幹線?
暫しホームで空を眺めて待った後、やって来た列車に乗り込む。ヴィリニュスから来るときに乗った列車とは異なり、本当に普通の鈍行列車だった。シートもシンプルなもので硬く、尻が痛くなる。
シャウレイを出たときはガラガラだったこの列車だが、途中の田舎駅から大学生か高校生くらいの若者が大量に乗り込んできて突如満員となる。一体何なんでしょうか?後にこの手の若者をパルヌゥ(エストニア)でも見かけるのだが、サマーキャンプの時期はもう終わっているだろうしホントに貴方達は何者なんですか?
現地人である彼らに言わせれば、「お前こそ何者なんだ?」という感じなのだろうが。
静かだった車内は一転して賑やか・・・っていうか騒がしくなる。通路を挟んだ反対側のボックスのガキどもはラジカセ代わりに携帯電話の着信音を流すので、うるさくて非常に癪に障る。こっちはチープな電子音を聴いて楽しめるような感性の持ち主ではないのだ。
一方、にゃおんちゃんの隣と向かいに座る女の子どもは、脇目も振らず一心不乱に携帯電話でメールを打ち続けている。他人様に迷惑を掛けているわけじゃないが、何時間もずっとカチャカチャと携帯をいじくっている姿を見ているとイライラしてくる。
お前らな、100リタスやるから、今すぐその携帯を窓から捨てろ。
ヴィリニュスで調べたときにはシャウレイ-クライペダの所要時間は2時間程度だったが、この列車は鈍行なので3時間かかる。やがて日が沈み始め、夕焼けによって黄金に輝いて見える牧草地を眺めながら気を紛らわす。
カウナスへ行く際にも思ったが、リトアニアの田舎は何に使われているのか分からないような荒れ地が目につく。耕作放棄地ではないようだが?また、牧草地はたくさんあるが、放牧されている牛や馬は殆どいない。麦畑と牛馬のいない牧草地と荒れ地がひたすら続く。
薄暗くなり始めた20時過ぎ、やっとクライペダに到着。早朝にヴィリニュスを出てからずっと動きっぱなしだったので、かなり疲れているうえに足が痛くてたまらなかった。
駅の中にはこれといったものは無く、外へ出てみるがガラーンとしていて何も無い。列車が来た際には乗客で賑わうのだろうが、それ以外の時間は人がいなさそうな感じ。シャウレイといい地方都市の駅はこんなものなのだろうか。 
◆港町クライペダ
ホテルを探して歩き回る元気も無いので、駅から200〜300m程度のところにある「プロメナダ」というホテルに行く。リトアニア第三の都市だけあってこの街にはラディソンSASやエウロパ・ロイヤルなどの高級ホテルもあるが、そんなものはトイレを借りる以外にゃおんちゃんとは一生縁の無さそうな存在だ。
プロメナダには空室があり、難なく今夜の寝床を確保できた。すぐに部屋へ向かい、荷物を床に放り投げてベッドに倒れこむ。新しいホテルで、部屋も三つ星ホテルとは思えないほど広くて綺麗だった。ただし、まだ新建材の臭いがするので、シックハウス症候群の人には危ないかもしれない。
せっかくの綺麗な部屋だが、今のにゃおんちゃんにはそのことを喜ぶ余裕も無い。もうヘトヘトだ、どこにも行きたくない!
疲れてくると肉体的な疲労や苦痛に耐えることに気を取られてしまい、頭の働きが鈍るのが何より嫌だ。こういうときに軽率な判断ミスをしてヤバいことになったり、後々後悔するようなことをやらかすことが多い。
あまりにも足が痛いので靴下を脱いで確認したところ、靴擦れを起こして水ぶくれとなっていた。この靴で台湾を散々歩き回ったのに何故だ!今回の旅行は街中の移動には確かにタクシーどころかバスも使わないことが多いのだが、そんなにすごい距離を歩いているのだろうか。去年の夏に熱を出しながら重たい荷物を背負ってミンスクを彷徨った苦い記憶があるので、今回は極力荷物を担いで歩かなくて済むようにしているのに。
しばらく横になって一休みした後シャワーを浴びると、少し元気が出てきた。お腹が空いていたので食事に行くことにする。ホテルにレストランが併設されているが、せっかくだから酒場でビールの一杯も飲んでこようと思い、市街地へ向かう。
寝坊はしても準備の良いにゃおんちゃんは絆創膏を持参していたので、靴擦れの痛みは気にならないレベルに緩和された。
駅のすぐ側だというのにホテルの周りは閑静な住宅街で、港町特有のうらぶれた雰囲気は全然無い。が、この街がメーメルと呼ばれていた頃のドイツ風のものも全然無いし、スターリン様式の無骨な建物もあまり無い。
表通りに出たところで向こうからやってきた若者の集団が、にゃおんちゃんを見て大声で「ハロー!」と声を掛けてきた。手を振って応えるが、それ以上は何も起こらず。彼らは駅のほうへ、にゃおんちゃんは市街地のほうへそのまま去っていった。
新市街を抜けるとダニェ川のほとりにたどり着いた。この辺りから旧市街地となり、途端に雰囲気が良くなる。神戸や函館といった洋風の港町を彷彿させるが、それらの都市と違って山や坂道が全然無い平坦な地形なので、全体的な印象はかなり異なる。
それでも、川に係留されている帆船(レストランとして使われているらしい)や、改装されて飲食店や土産物屋として使われている倉庫群がライトアップされていて、とても美しい。
2006バルト三国旅行記(その27) - シャウレイは全然「おしゃれ」ではない(9月10日)
オヤジギャグかましてる場合じゃないっす。ブンブン行きます。
◆「おしゃれ」ではないが、「お祭り」があった
公園で子どもと話をした後、街の中心部へ向かった。とはいえ小さな街なので10分も歩けば着いてしまう。この週末はシャウレイのお祭りだったようで、歩行者天国となっている目抜き通りは人でごった返していた。出店が立ち並び、民族衣装に身を包んだ南米人(ボリビアかな?)がフォルクローレを演奏していた。ミゲルは世界各地のフォークロアが好きなようで、ヴィリニュスでリトアニアのフォークロアのCDを買ったと言っていた。
噴水には石鹸水が入れられ、小さな子どもがシャボン玉を作って遊んでいた。見るからに悪ガキ風の女の子ふたりが噴水の中にあるオブジェによじ登り、道行く人に向かってシャボン玉を飛ばすイタズラをしていた。写真を撮っていると、そのガキどもがこっちを見てニヤリと笑ったので慌てて退散する。

その通りの一角にツーリストインフォがあったのでシャウレイの地図や観光案内パンフを仕入れる。時間は既に13時を過ぎていて二人とも腹ペコだったので、職員に食事する場所を教えてもらった。職員は自分の行きつけの店を教えてくれた。ちょっと分かりにくい場所にあるが、安くてうまいものを置いているらしい。
その店は歩行者天国となっている通りの外れにあるビルの地下にあった。アメリカ風のレストランで夜は酒場としても営業しているようだ。客は子連れの家族が一組いるのみ。
メニューを貰ったところ全てリトアニア語で書かれていて、にゃおんちゃんもミゲルも途方に暮れる。もちろん英語のメニューなどあるはずもなく、店員のお姉さんも英語は苦手の模様。ミゲルはまたボヤきだしたが、ボヤいていても仕方ないので英語とロシア語とリトアニア語が飛び交う凄まじい会話でウェイトレスのお姉さんを質問責めにする。
結局、お姉さんのお勧めに従って「リトアニアの伝統的スタイル」という何やら肉料理を頼むことにした。やがて出てきた料理を見ると、それは大きな皿に野菜とフライドポテトとコショウをたっぷりふってある豚肉が盛られているものだった。名前は忘れてしまったが、こっちでは比較的よく見かける料理だ。去年の夏にヴィリニュスでこんなのを食べたことがある。ミゲルは「ドイツ風だな」と言っていたが、確かにドイツ料理を彷彿させる部分もある。
食事を終えるとミゲルはカウナスへ戻るバスの時間をチェックし始めた。すると、今から急いでバスターミナルに行けば次のバスに間に合うかもしれないことが判明。これを逃すと次は夕方まで無い。「お前はどうするんだ?」と言われたが、にゃおんちゃんは夕方の列車でクライペダへ行く予定なのでもう少しここにいることになる。
ミゲルは次のバスで帰ることを決心したようで、急いで準備をすると挨拶をして店を出て行った。何やら慌しい別れになってしまった。
残ったにゃおんちゃんはのんびりと食事を済ませ、クヴァス(ロシア風コーラ)を飲みながら観光パンフを眺めていたが、行くところが無くて困っていた。次の列車までまだ3時間くらい時間がある。どうしようか・・・。
◆濡れ鼠ならぬ、濡れ猫と化す
結局行く当ても無いまま店を出るが、外に出ると雨が振りだしてきた。午前中はあんなに天気が良かったのに。日曜の午後ともなればイベントもそろそろおしまいなので、歩行者天国の出店は次々と店じまいを始めた。あーあ、これじゃ買い物もできない。
そんな感じで途方に暮れて歩行者天国の片隅で雨宿りしていると、向こうから若い女の子が走ってきた。彼女もここで雨宿りするらしい。彼女はパンクな東洋人が珍しいのかこっちを見てニコニコしている。こっちでは珍しいことではないので、内心「また動物園のパンダ扱いされるのか・・・」と思っていると、案の定話しかけてきた。
にゃおんちゃんが日本から観光に来たことを告げると彼女はとても驚いていた。十字架の丘を訪れる観光客は多くともシャウレイの街まで足を伸ばす人は少ないようで、シャウレイの街をウロつく怪しい東洋人が不思議で仕方ないらしい。時間があるからついでに街にも立ち寄ったこと、リトアニアに興味があることを説明するが、「ここは何も無い小さな街なのに!」と理解できない様子だった。物好きな奴だと思われてるんだろうなぁ・・・。
ラトビアやロシアといった隣国にしか行ったことが無いという彼女にとって、外国それも遠く離れた東洋の国である日本は相当ミステリアスなようで、あれこれと様々な質問を受けた。「日本はハイテクでリッチな国というのは知っているが、日本人がどんな人達なのか見当もつかない」と言うので、彼女に日本を伝えるべく努力したが、にゃおんちゃんの拙いロシア語、彼女の拙い英語では会話もままならず、ものの見事に頓挫した。
やがて雨が少し収まったので、彼女は別れを告げて去って行った。
シャウレイの中心街は本当に小さく、これ以上この辺りにいても仕方ないので駅のほうを見に行くことにした。バスターミナルに預けてある荷物を拾いに行こうと歩き始めた途端、夕立のような激しい雨に襲われ、あっという間にずぶ濡れになる。かんしゃく起こる!!!
通りがかった薬屋の軒先で雨宿りをするが、止む気配が無いのでバス停まで走る。預けてある荷物の中には傘が入っているのだが、午前中はあんなに天気が良かったので持参していなかった。

バスターミナルに到着して荷物を受け取るが、待合室にいた若い女性に笑われた。びしょ濡れだったので、「マヌケな奴だ」と思われたようだ。猫は濡れると恐ろしく貧相になる。にゃおんちゃんも相当貧相に見えたに違いない。かんしゃくが起こりますね!!!
荷物の中から傘を取り出し、傘を差して駅へ向かう。車道の縁を歩くと車に泥水を掛けられるので歩道を歩いたのだが、舗装されておらず泥濘となっていた。泥まみれになっていく自分のブーツのつま先を見ながら歩く。気分は東部戦線に赴いたドイツ兵のようだった。
駅へ着くと雨は止み、すぐに青空が広がり始めた。本当にかんしゃくが起こりますね!!!
もはやどこにも行く気にならず、一時間ほど駅の待合室で過ごす。ちなみに、この駅のトイレは屋外にある仮設トイレのみ。この仮設トイレが凄まじく、長い間汲み取りされてないようでアレが溢れんばかりに溜まっていた。当然、匂いも凄まじく吐きそうになった。小のほうだけだから我慢できたが、あそこで大をするのは無理。
この駅のホームの片隅には、昔使われていた狭軌の蒸気機関車が展示されている。旧ソ連諸国の鉄道はスターリンの指示によって広軌に統一されているのだが、バルト諸国のローカル線では狭軌が使われ続けていたらしく、確かラトビアには未だに狭軌の路線があったはず。小さくて可愛らしい機関車だった。

2006バルト三国旅行記(その26) - シャウレイの子ども達(9月10日)
前回の記事の続きです。
この旅行記、果てしなく続きそうな勢いになってきました。キリの良いところで次回の「香ばしき国々」を出しますので、当旅行記にもお付き合いのほどをよろしくお願いします。
◆シャウレイの子ども達
十字架の丘から再びシャウレイの街へ戻ってきた。十字架の丘へ行く際に街の出口にあった大きな教会が気になっていたので、帰りは街へ入ってすぐのところでバスを降りてみることにした。ミゲルも同じことを考えていたようですぐに意見が一致した。
バスを降りると目の前に真っ白で巨大な教会がある。にゃおんちゃんはシャウレイの地図すら持っていなかったのだが、ミゲルの持っていたガイドブックによると、この教会はシャウレイの大聖堂らしい。ソ連時代に火事によって消失しており1970年代に再建されたものなので、普通にコンクリートが使われていたりして歴史的価値は無い。とはいえ、地元の人が熱心にお祈りしていて地域に根ざした教会であることがよく分かった。
ミゲルが大聖堂の裏手に何やらスタチューがあると言うので言ってみることにした。裏手に回ると数百メートル先にスタチューが立っているのが見えた。先端には黄金に輝くアーチャー(弓手)の像が乗っている。これにどういう意味があるのかは、ミゲルのガイドブックにも書かれていなかったので不明。
スタチューの周りは公園になっており、市民がのんびりと日向ぼっこを楽しんでいた。風が冷たいのが難点だが、空は抜けるような青さで日の光を浴びた木々の緑が美しい。シャウレイは緑の多い美しい街だった。
この公園の向こうにはスタジアムがあるようで、サッカー観戦に向かう子ども達が歩いていた。シャウレイには「SFK Sakalas」というチームがあり、彼らはもちろんそのチームのグッズに身を包んでいた。
気になったので彼らを捕まえて質問してみた。英語が通じなくて苦労したが、彼らを引率していた高校生くらいの女の子(この子達の誰かの姉らしい)が少し英語を話せたので通訳してもらった。
やはり彼らはこれからサッカーの試合に向かうようで、今日の相手はヴィリニュスのFK Vetraというチームらしい。にゃおんちゃんも見に行きたいなぁ・・・。
Sakalasは弱小国リトアニアの国内リーグで下位にくすぶっているようなチームで、日本でいえば多分J2以下の運営費のチームだと思うが、それでもこの子達にとってはオラが街の自慢のチームなのだ。子ども達は口々に「今日は勝つよ!」と言っていた。
彼らはドイツ・ワールドカップに日本が出ていたことも知っていて、にゃおんちゃんが日本人と分かると「ナカータ、ナカータ」と言っていたがが、「日本は弱いね」とバッサリやられてしまった。トホホ・・・。帰国後に試合結果を調べてみたところ、シャウレイは0-4でボロ負けしていた。あの子達の悔しがる様子が目に浮かぶ。
ちなみに、ミゲルはマドリード出身でレアル・マドリードのファン。「マドリードにはアトレティコもあるね」と言ったところ、「奴らは負け犬だ」と言っていた。ヒドス・・・。
この公園には木陰でトランプをして遊んでいた小学生もいたので、片言のリトアニア語で話しかけてみた。最初はいきなり怪しい東洋人に話しかけられて驚いていたこの子達だが、はにかんだ笑顔を浮かべながら「天気が良くて気持ち良いから外でトランプしてるんだよ」と教えてくれた。ちなみに、ゲームはこの男の子が一人勝ちしているらしい。
どこの国でも子どもは素直で可愛い。言葉が通じればもっと色々話せるのに、残念だった。
天皇陛下がテロリストと会談された件について
一言言わせてくれい。
天皇陛下 ルワンダ大統領と会見
天皇陛下は8日、ルワンダのポール・カガメ大統領と皇居・宮殿で会見した。94年に約80万人が犠牲になった大虐殺などの内戦に話が及び、天皇陛下が「(その後)安定してきたと聞き喜ばしく思います」と語ると、カガメ大統領は「和解は大変なプロセスでしたが、人々が一緒に暮らしていく調和が築かれつつあります」と話したという。
その後、カガメ大統領は東京都渋谷区の国連大学でルワンダの復興について講演し、皇太子妃雅子さまが聴講した。
11月9日 毎日新聞
おいこら、外務省に宮内庁!
薄汚いテロリストを陛下に会わせるな!
このカガメという男、今では一応ルワンダの大統領ということになってるが、元はウガンダを拠点として活動していたツチ族ゲリラ組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」の親分だ。
陛下はルワンダの虐殺について触れているが、1994年にそのフツ族の虐殺をやらかしたのはこいつの手下だ。カガメ本人がどこまで関わっていたのか知る由も無いが、知らなかったわけがない。もっとも、その前にフツ族がツチ族を散々殺しまくったうえに国外追放してるわけで、「お互い様」と言えばそうなのかもれないが、だからといって大虐殺をやらかすような野郎を陛下に会わせないでくれ。
この悪党はフツ族をルワンダ国内で殺しまくって追い出したことに飽き足らず、兄貴分に当たるウガンダ大統領ヨウェリ・ムセベニやコンゴ民主共和国前大統領ローラン・カビラとグルになって、コンゴ領内に逃げたフツ族まで追いかけて殺しまくった野郎だ。
しかも、チェ・ゲバラも愛想を尽かしたバカゲリラの頭目カビラに散々武器を売りつけてモブツ政権崩壊寸前のコンゴ(当時はザイール)に内戦を招き、売りつけた武器の代金としてコンゴ国内のダイヤモンド鉱山を今現在も不法占拠してるような奴だ。
外務省、お前らもこんな奴にビザを出すんじゃないよ!
どうせ金をせびりに来たんだろうが、ダイヤモンド鉱山で儲けた金を軍事費に注ぎ込んでるんだから、金なんかくれてやる必要は無いぞ。手錠をはめて国際刑事裁判所に連行しちまえ。
なに?一応選挙で選ばれた大統領だと?
ふざけんな、バカ野郎。フツ族が皆逃げ出しちまった状態で選挙をやって、まともな大統領になるわけがないだろ。だいたい、得票率95%って異常だろ。
政治家に清廉潔白など求めちゃいないが、それにしても限度がある。インチキ選挙が根拠になるなら、フセインだって金正日だって民意によって選ばれた正当な国家元首になっちまう。
もしチェチェン・ゲリラがロシア軍を追い払って独立を果たし、死んじまった野戦指揮官シャミーリ・バサーエフが何かの間違いで大統領になっていたら、お前らはあのキチガイを「独立国家チェチェン共和国」の国家元首として陛下に会わせるのか?
ウガンダの鬼畜ゲリラ「神の抵抗軍(LRA)」がまかり間違ってムセベニ政権を打倒してその親玉ジョセフ・コニーがウガンダの大統領になっちまったら、何事も無かったかのようにビザを与えて入国させるのか?
にゃおんちゃんに言わせれば、カガメもバサーエフやコニーとたいして変わらんぞ。
こんなボケと会見しなくちゃいけない陛下がお労しいです。

2006バルト三国旅行記(その25) - にゃおんちゃん、十字架の丘に立つ(9月10日)
前回の記事の続きです。
原因不明の頭痛に苦しんで、更新が滞っております・・・。
◆訪れる人の祈りによって今も増殖し続ける十字架の丘
スペイン人旅行者と農道を歩くこと数十分、十字架だらけでハリネズミのようになっている丘が見えてきた。本当に何も無い野原の中にポッコリと小さな丘があり、そこに無数の十字架が立っていた。たくさんの観光バスが停まっていて、大勢の観光客がいるのが見えた。殆どはドイツ人だった。
丘の手前にある駐車場には露店が立ち並んでおり、覗いてみると大小様々な十字架を売っていた。ここで十字架を買って自分の名前を記入し、それを丘に持っていって立てることができるのだ。という訳で、この丘の十字架は現在も恐ろしい勢いで増殖しており、それらの十字架群は既に丘からはみ出して駐車場の縁にまで広がっていた。 
注意深く眺めてみると、普通の十字架のみならずキリストの彫り物がほどこされた巧妙なもの、5m以上の高さを持つ巨大なもの、金属や陶器で作られているものまである。大きめの十字架にはさらに小さな十字架が無数にぶら下がっており、一体いくつの十字架があるのか見当もつかない。
ここに来た観光客本人が立てていったものもあれば、亡くなった家族のために身内の人が立てていったものもあるし、ボロボロに朽ち果てて壊れているものもある。スペイン人旅行者が立てていった十字架を見つけたので、ミゲルに教えてあげると喜んでいた。また、日本の宗教団体が立てた日本語が刻み込まれている十字架もあった。カソリックのみならずロシア正教の十字架や、さらにはユダヤ教のダビデの星まであり、何だかとんでもない場所になっていた。
とにかく十字架だらけの場所で、墓場ではないとはいえ夜に来たら相当不気味に違いない。
この十字架の丘ができた経緯についてはっきりした記録は残っていない。帝政ロシアの支配下にあった時代にカソリックの聖職者が処刑されたのが由来とか、ポーランド蜂起に合わせてリトアニアでも反乱が起きた1831年に処刑・流刑となった人達のために立てられたとか、色々な説がある。
帝政ロシアの時代、そしてソ連の時代を通じて、この十字架の丘は抑圧された民族や宗教の象徴として扱われてきたが、それ故に当局に目をつけられKGBや軍によって幾度も破壊されている。しかし、リトアニア人はその都度闇夜にまぎれて十字架を立て直したという。
にゃおんちゃんはリトアニアの苦難の歴史を見るたび、「信仰」と「不屈」という言葉が思い浮かぶのだが、それはこのエピソードに如実に現れていると思う。
とにかく無数の十字架が立ち並ぶ様は壮絶の一言で、よっぽどのバカじゃない限りここに漂う様々な思いや捧げられた祈りを感じ取れるはず。にゃおんちゃんもミゲルも言葉を失ってしまい、ここに来るまでの道中とは一転して殆ど会話することは無かった。
ユリアにここに行くことを告げたところ「凄いわよ」と言っていたが、本当に凄かった。ヴィリニュスから遠いのが難点だが、リトアニアを訪れる人は是非行ってみて欲しい。リトアニア人と一緒に行くと一層感慨深いかもしれない。
丘の裏手に教会が見えたので行ってみた。通常、教会に入ると正面に聖壇があり十字架に磔となったイエス・キリストの像があったりするのだが、ここの教会は正面にあるのは巨大な窓。その窓の向こうに見えるのは十字架の丘。あれが聖壇というかご本尊のようなものなのだろう。面白いつくりだったが、見所はそれだけだった。
帰りに露天で絵葉書を数枚買った。今回はバッグパックひとつで色々な都市へ行く旅なので、荷物になるものはご法度。これが日本へのお土産となる。
2時間ほど過ごした後、再び2kmの道程を歩いてバス停へ戻り、シャウレイの街へ帰ることに。近くにインフォメーションセンターのようなものの建設予定を告げる看板が立っていた。ミゲルは「ここにちゃんとしたお店を作れば儲かるのにね」と言っていたが、確かにリトアニア人はそういう商売っ気に欠けるかもしれない。
せっかくだからシャウレイの街を見ていこうということでミゲルと意見が一致した。時間はお昼を少し過ぎたところ。クライペダ行きの列車は夕方なので時間はある。
【シャウレイ情報:その2】
・十字架の丘の付近には、裏手に教会があるのを除き本当に何も無い。電話すら無いので、タクシーで来る場合は帰りのことを考える必要がある。
・というわけでまともなトイレは無い。あるのはおぞましい簡易トイレのみ。女性の方は要注意。
・雨や風、日差しを遮るものは何も無い。天候に合った服装の準備を。
・教会ではありませんが、祈りを捧げる人がいるのでアホみたいに騒ぐとヒンシュクを買います。
2006バルト三国旅行記(その24) - 旅は道連れ、余はルカシェンコじゃ(9月10日)
最近、更新が滞りがちですが遊んでいるわけではなく、次作の香ばしき国と新ネタの創作に勤しんでいるのであります。
それらについては、旅行記のキリの良いところで出そうかと思ってます。
◆スペイン人バックパッカーとの出会い
シャウレイからバスで北に10kmほどのところにある「ドマンタイ」というバス停までやって来たにゃおんちゃん。一緒にバスを降りたバックパッカーと十字架の丘を目指すことになりました。彼はロンドン在住のスペイン人で名前はミゲル。年のころはにゃおんちゃんとそう変わらない。
彼と話をしながら、十字架の丘までの2kmの道程を歩く。
彼は、運転手がにゃおんちゃんに向かってバス停の名前を叫んだのを不思議に思ったようで、「事前に運転手に言ってあったの?」と尋ねてきた。はい、そうですよ。事前に運転手に言ってありました。準備いいでしょ?w
彼はいわゆるバックパッカーで、アジアや南米には行ったことはないが、ヨーロッパはかなりあちこち行っているようだ。にゃおんちゃんが日本人と分かると、「クロアチアを旅行した際に日本人の女の子と行動を共にしたことがある」と言っていた。クロアチアねぇ・・・結構ディープなところに行ってますな。
早速これまで旅してきたところと、これから行くところ、そしてリトアニアに関して彼と情報交換をした。彼はカウナスから来たそうで、今日は十字架の丘を見て夕方にはカウナスに戻り、そこからバスでエストニアのタリンへ行くそうだ。ラトビアを飛ばす格好になるが、ラトビアについては半年前に行っているので今回はパスするとのこと。
彼が今回の旅行でこれまでに行ったところを尋ねたところ、ヴィリニュスから南東に30kmほど行ったところにあるメディニンカイというところが面白かったそうだ。旧ソ連時代の共産党指導者達の銅像が保存されているらしい。レーニンをはじめとするその手の連中の銅像はリトアニア各地にあったわけだが、当然独立時に撤去されている。しかし、リトアニア人はそれを破壊せず、メディニンカイの公園に集めて保存してあるそうだ。うーむ、面白そうだがヴィリニュスへ戻る予定は無いので今回は無理だなぁ・・・。
彼が「今どき街の真ん中にレーニン像が残っているのはロシアだけだろうなぁ」と言うと、にゃおんちゃんの目がキラリと光った。
旦那、ミンスクには街のど真ん中にはバカでかいレーニン像が立ってますぜ。
「え??ベラルーシに行ったの?」と驚くミゲル。はい、アメリカから「圧政の拠点」と名指しで批判された独裁国家ベラルーシに行ってきましたぜ。感想を聞かれたので、「街中に警官がいるので治安はいい、ただし観光するところは全然無い、やたらドンヨリした雰囲気で憂鬱になる、それから英語は全く通じない」と答えておいた。旦那もどうですか?とふってみたところ、「いや、ビザを取るのが面倒だし、遠慮しておく」と言われてしまった。ちっ。
ミゲルは「ベラルーシもEUに加盟すればビザいらないのにぁ」などと言うので、ルカシェンコ閣下があの国に君臨する限りそんなことはありえないと断言しておいた。彼も、「そうだよな、旧ユーゴ諸国(スロベニアを除く)ですら加盟できないんだから、当然だよなぁ」と納得していた。
ちなみに、ルーマニアとブルガリアがもうすぐEUに加盟する予定だが、それについては「ああ、両国ともまだ経済的に問題が多いけど、基本的には歓迎だよ」とのこと。トルコについてさえも「構わないよ。彼らはイスラム教徒で、出稼ぎ労働者の問題があるけどそれはトルコ人に限らないし。トルコは良い国だし、料理も旨いから歓迎するよ」と言っていたのに、旧ユーゴ諸国については「あんなにマフィアが多いんじゃダメだろ」と切り捨てた。w
南でも東でもスラブ系はDQNなんですね・・・(;´д`)トホホ
英語が通じないといえば、ミゲルはリトアニアでいまいち英語が通じないのが気に入らないようだ。「リトアニアだってEU加盟国だろ?スウェーデンやデンマークではどこに行っても英語が通じるのに、ここは全然ダメだ」とブツブツ言っている。リトアニアは一人当たりの年間GDPがまだ7,000USD程度で15年前までソ連の一部だったのだから、スウェーデンやデンマークと比べては可哀想だとなだめるが、納得できない様子だった。w
そもそも、彼はリトアニアに対する印象があまり良くないようで、「ラトビアはもっと楽しかったのになぁ」とボヤいていた。彼の話を聞いてラトビアに行くのが俄然楽しみになったにゃおんちゃんだったが、そんな期待とは裏腹にこの数日後にリエパーヤやリガで散々な目に遭うのであった。
実はラトビアにいる間、リトアニアが恋しくて仕方なかった。彼は「リトアニア人はラトビア人ほどオープンではない」と言っていたが、にゃおんちゃんの印象はまるで逆なのだ。相性・・・なんですかねぇ?
ラトビアの悪口・・・じゃなかった、ラトビアで楽しめなかった理由にしてはまた後日に。
2006バルト三国旅行記(その23) - リトアニア名物「十字架の丘」を目指す(9月10日)
前回の記事の続きです。
十字架の丘へ行く方法です。意外と簡単でした。行かれる方は参考にしてください。
◆十字架の丘へ行く方法
まるで人の気配がしないシャウレイの駅前からバスターミナルを目指して歩くにゃおんちゃん。駅前でおじいちゃんに「ここを真っ直ぐ」と言われて500〜600mほど歩くが、いつまで経っても何も見えない。
本当にこっちでいいのだろうかと不安になりはじめたその時、向こうから小さな子供を連れた夫婦が歩いてきた。すかさずロシア語とリトアニア語のちゃんぽんでバスターミナルの場所を尋ねると、流暢な英語で「ああ、バスターミナルならその陸橋のすぐ向こうさ」と言われた。目の前にある陸橋が邪魔で見えないだけで、すぐそこだった。
陸橋の下をくぐると本当にそのすぐ裏にバスターミナルがあった。5本程度のレーンとプレハブ小屋があるだけの小さなバスターミナルだ。事務所があるプレハブ小屋に入るとツーリストインフォがあったので、十字架の丘に行くバスの時間を尋ねる。窓口のおばちゃんは英語を話せなかったが、すぐに見当がついたようで十字架の丘のイラストが入った紙をくれた。
普通のコピー用紙を使って印刷機で作ったような代物だが、最寄のバス停の名前と行き帰りのバス時刻が書いてある優れものだった。うーむ、これは便利だぞ。素晴らしい。しかもこの小さなターミナルには荷物の預かり所まであった。これで重たい荷物を担いで行かなくて済む。本当にありがたい。
バスのチケット(1.6LTL)を買い、荷物を預けて外へ出る。次のバスは10時25分なので、20分ほどあたりをブラブラする。
やがてバスがやって来たが、これがすげーオンボロ。ホディには錆が浮いていてスクラップ寸前の様相を呈していた。バスに乗り込む際に運転手に「ドマンタイ!」と言うと、首を振って「乗れ」という仕草をされた。ローカル・テイストがプンブンするバスでシートなんて木製だぞ。何とも凄いバスだ。ソ連時代に作られたバスなのだろうか?
バスはシャウレイの中心街を走りぬけ、北へ向かう。リガへ向かう主要道路なので道路は整備されており交通量も多い。牧草畑が広がる中にポフラ並木があったりなんかして、何とも牧歌的な風景の中をバスは走る。
やがて何も無いところでバスが突然止まり、運転手がこっちを見て「ドマンタイ!」と叫ぶ。どうやらここらしい。にゃおんちゃんが出口へ向かうと、奥の席からバッグパックを背負った男性が慌てて走ってきた。彼も十字架の丘へ行くのだろう。
バスを降りると、ポンコツはにゃおんちゃんに排気ガスを浴びせて走り去った。周りを見渡すが、牧草畑が広がるだけで本当に何も無い。それでいて車だけはビュンビュン走っている。リトアニア中部からリガへ向かう主要道路だから別に不思議ではないが。
道路の反対側(シャウレイから来ると進行方法から見て右手)に並木道があり、その入口に「←十字架の丘 2km」という標識が立っている。標識の他に十字架のオブジェなどがあるし、他に脇道は無いので間違える人はいないだろう。
【シャウレイ情報:その1】
・ヴィリニュスからシャウレイを経由してクライペダまで行く列車は、朝の6時30分と夕方17時の二本。所用時間は2時間半〜3時間程度で、料金は25.7LTL(シャウレイまで約1,100円)。事前にヴィリニュス駅のツーリストインフォで確認しておいたほうが無難。
・シャウレイやクライペダへ直接行く高速バスもある。真っ直ぐクライペダへ行くならバスのほうが早いと思う。便数も列車よりずっと多くて便利。
・シャウレイのバスターミナルは、駅前を走る道路を左(方角にして西)に約500mほど行ったところにある陸橋のふもとにある。駅前から見えるので陸橋を目指して歩くべし。そこから北へさらに数百メートル歩くとシャウレイの中心街にたどり着く。
・十字架の丘へ行くには、シャウレイの北にあるヨニシュキス(Joniskis)という街に行くバスに乗り、その途中にあるドマンタイ(Domantai)というバス停で降りる。ツーリストインフォのおばちゃんに「ドマンタイ」と言えば、バス時間が書いてある紙を貰えるだろう。当たり前の話だが、リトアニア語で「Kryziu Kalna」と言えば確実に通じる。
・所用時間は15〜20分程度で、運賃は1.6LTL(約69円)。一日9往復で1時間に1本ずつバスが走っているが、最終便は17時台なので帰る時間には注意が必要。
・ドマンタイのバス停は目印となるものが本当に何も無いので、事前に運転手にドマンタイに着いたら知らせてくれるよう頼んでおいたほうがいい。
・バス停から十字架の丘まで約2km。バスターミナルに荷物を預けて身軽になっておいたほうがいい。
・詳しいことを知りたい人は、にゃおんちゃんまでご連絡ください。分かる範囲でお教えいたします。






