2006バルト三国旅行記(その22) - 黒猫、シャウレイに慄く(9月10日)

前回の記事の続きです。
ここからやっと本格的に旅行が始まったって感じです。ヴィリニュスは居心地良いんですけど、スリルはありませんからねぇ。


◆十字架の丘を登ってみようと思う(2006年9月10日)

朝6時起床。前夜に夜中の2時まで遊んでいたせいで少し寝坊したが、十分リカバーできる範囲。速やかに荷物をまとめ急いでチェックアウト。駅まで徒歩3分なので余裕である。心のふるさとヴィリニュスとは今日でお別れだが、またいつか戻ってくると思うので寂しさは無い。来年?いや、さすがに3年連続は無いと思うが。
もうこれ以上ここにしてもすることが無いのだ。昨夜にユリアとも話していたのだが、にゃおんちゃんはこの街で外国人観光客が一人で行けるところには殆ど全て行ってしまった。次はちょっとマニアックなところや、現地人しか知らないようなところへ行く段階なのだ。というわけで、最初から今回の旅はリトアニアの地方都市へ行こうと決めていた。リトアニア第3の都市クライペダへ行くことは最初から決めていたが、その途中にあるシャウレイへ行こうと決めたのは昨日だった。列車を使えばシャウレイ経由でクライペダへ行くことができる。シャウレイにはあの有名な「十字架の丘」がある。

今日は6時38分発クライペダ行きの列車に乗り、ヴィリニュスとクライペダの丁度中間にあるシャウレイという街へ向かう。シャウレイまで約150kmほどあるというのに、切符はたったの25.7LTL(約1,100円)。ホームへ出て空を見上げると、朝の6時半だというのに弱々しい朝日でまだ薄暗い。そういや去年見たポーランドの空もこんな感じだったなぁ。緯度の高いところの朝はこんな感じなのだろうか。
列車は9両編成で客車の側面に「"BALTIJA" VILNIUS - KLAIPEDA」と書かれている。この列車はクライペタ行きの長距離列車で主要な駅にしか停車しない(急行のようなものか)ので、"BALTIJA"というのは列車の名前だろう。

クライペダ行きの列車


列車は定刻どおり出発したが、週末だというのに車内はがらがら。にゃおんちゃんの乗った車両なんて客が4人しかいない。こんなにガラガラじゃ列車の本数も減るわなぁ・・・。
早速、車掌さんにお茶を頼む。こういう長距離列車には必ず湯沸かし器が積まれているので、温かいお茶を飲むことができる。東欧諸国を列車で旅するときのささやかな楽しみだ。車掌さんがバスケットに入ったお菓子類も勧めてきたので、お腹がすいていたこともあってついでにビスケットを買う。お茶とビスケットでささやかな朝ごはん。別に美味いものじゃないけど、こういうのって何故か楽しい。

列車の中で買ったお茶とビスケット

が、楽しかったのは最初の1時間だけだった。外を見ても、牧草畑と何に使われているのかよく分からない草ぼうぼうの土地ばかりでつまらないのだ。雄大な景色と言えないこともないが、北海道在住のにゃおんちゃんにとっては珍しいものではない。
音楽を聴きながら2時間ほどぼーっと過ごす。


◆シャウレイの「レイ」は、「霊」ですか?

9時40分、シャウレイ到着。がらがらの列車からポツポツとお客さんが降りてくるのが見えたが、駅の中をウロウロしているあいだにあっという間に皆どこかへ消えてしまった。駅で地図でも仕入れようと思っていたのだが、ツーリストインフォはあいにくお休み。今日は日曜だからなぁ。
駅を出るとガラーンとしていて店も何にもありゃしないし、誰も歩いていない。

ゴーストタウンですか、ここは?

旧ソ連の街の場合、中心街は鉄道駅や主要道路から外れた場所にあることが多いとはいえ、これはないだろ。幸いだったのは天気が良かったこと。これでドンヨリ曇っていたら暗黒都市ミンスクに行ったときと同じ感覚に陥っただろう。しかも、ミンスクよりもはるかにガラーンとしているので、怖さ倍増だったに違いない。


シャウレイの駅前にあった教会十字架の丘はシャウレイの街から10kmほどのところにあるので、歩いて行くのは不可能。バスターミナルへ行かなくてはいけないのだが、この街の地図すら持っていないので誰もいない駅前に立ち尽くすにゃおんちゃん。どうしたものかと考え込んでいると、向こうからおじいちゃんがやって来るのが見えたのでバスターミナルの場所を尋ねてみた。

おじいちゃんは駅から見て左手を指差し「ここを真っ直ぐ行くんじゃ」と言う。他にも色々と詳しく説明してくれたが、にゃおんちゃんのロシア語能力では理解できず。英語?そんなもん、通じるわけがない。
駅前を走るその道路の先を見てもガソリンスタンドと高架橋が見えるだけで他に何もありゃしないのだが、ここでじっとしていても仕方ないのでおじいちゃんの言うとおり行ってみることにする。

しかし、本当に人がいない。建物はたくさんあるが、本当に人が住んでいるのだろうか・・・。
(写真はシャウレイ駅のそばにある教会)

2006バルト三国旅行記(その21) - ヴィリニュスの夜(9月9日)

前回の記事の続きです。
現地人と交流してきました。おもしろかったですよ。


◆絶対まっすぐホテルには帰らない不良オヤジ

時計を見ると23時になったので、そろそろ店を出ることに。にゃおんちゃんのまわりをウロウロしていたあの朝鮮人は、とっくにメシを食い終わっているのにまだ店内にいて雑誌を読んでいた。この店のスタッフとも知り合いのようだから、それほど変ではないが。

本当は一緒に飲みに行く予定だったのだが、ユリアはかなりくたびれているようでしきりにアクビをしていた。案の定、「疲れているので帰る」と言い出したため、バス停まで送って別れる。明日はシャウレイの十字架の丘に行こうかと思ってると告げると、「ああ、あそこは素晴らしいわよ。行ってきたら感想を教えてね」と言われた。
やがてバス停に着いた。明日ヴィリニュスを経つが、今回の旅行ではもうここに戻ってくることはないだろう。ユリアとはここでお別れとなる。

やがてバスが来たので、ハグしてお別れをする。
さようなら、またね。あ、それから留学の試験頑張ってね。


ユリアと別れると旧市街地をトボトボ歩いてホテルを目指すが、寝る前にビールを一杯飲みたい気分だったのでヴォキエチュウ通りにあるバーに入る。明日は6時半発の列車に乗るのだが、どうしてもこのまま帰って寝る気がしなかった。

カウンターに座って飲んでいると隣に座っていた男が話しかけてきた。にゃおんちゃんが日本人だと分かると「ホンダ!ホンダ!」とか「スーパー・アグーリ」と言い始めた。彼はF1が大好きらしい。やがて、さらにその隣に座っていた男も話を聞いていたようで、会話に加わってきた。彼らはあまり英語が上手くないので少し苦労したが、F1の話で盛り上がる。にゃおんちゃんはガキの頃にF1好きだったので、かつてホンダ・エンジンを積んだ車でポルシェやルノーと死闘を繰り広げたナイジェル・マンセルや若き日のアイルトン・セナ話をしてやると驚いていた。童顔だけどおっさんだからな、オイラ。
彼は本当に車が好きなようで、「俺の車はホンダで、兄貴の車はトヨタなんだよ」と言っていた。にゃおんちゃんの車についても聞かれたので、「スバル」と答えると今度は「WRC! WRC!」と言い出した。オイラの車はインプレッサじゃなくてレガシーだけど、まぁいいわ。

そんな感じで話をしていると、突如警官がやってきて後から会話に加わってきたほうの男を連れて行ってしまった。最初に話しかけてきた男に何があったのか尋ねたが、彼の英語力では説明できないようで肩をすくめるばかりだった。かなり酔っていたようだが、一体彼は何をしたんだ???
一瞬、「こいつらヤバいんとちゃうか?」と警戒したが、それ以降は特に何も起こらなかったので二人で飲み続けた。しかし、しばらくするとその男が「店内を見回してみろよ。ほら、女の子がたくさんいるぜ。声掛けてきなよ」と言い出した。おまいはオイラにナンパしてこいと言ってるのか!
にゃおんちゃんは寝る前に少し酒を飲みたかっただけだから、と言って断り続けていると、その男は自分でナンパしに行って女の子を二人引っ張ってきた。あー、もう帰ろうと思っていたのに・・・。


◆またその質問かー!

いきなり帰ったら感じ悪いので、しばらく4人で話をすることにした。女の子は二人とも21歳で大学生だそうだ。二人とも美人とはいえないが、片方の子はおしとやかで上品な感じだし、もう一人の子はメガネをかけていてどことなく愛嬌がある。残念ながら、にゃおんちゃんはメガネっ子フェチではないが。
メガネの子がにゃおんちゃんの顔を見ながらリトアニア語で「あー、あたし英語下手なのよね」とか言ってボヤいていたので、すかさずロシア語で「リトアニア語、分からない。でも、ロシア語、少し分かります」と言ってやると、すげーびっくりしていた。どわーっはっはっ。
しかし、これが効いたようですぐに打ち解けることができ、間もなくダンスフロアに引っ張り出されて一緒に踊る羽目となってしまった。

例によってリトアニアへ来た理由を聞かれたので、ここでも「ヴィリニュスは我が心のふるさとである」と答えた。また、パンクな東洋人が珍しいらしく、「その服、どこで買ったの?」とか「その髪型、どこで切ってもらったの?」などと色々と聞かれた。
にゃおんちゃんなんてオヤジパンクだからかなりソフティケイトされた格好してるんだが、そんなに珍しいのだろうか。確かにこっちの男性は短髪とか丸坊主ばっかりで、オイラみたいな髪型の人は少ないが・・・。

時計を見ると、時間は既に夜中の1時半となっていた。明日は朝6時半の列車でここを去るのだ。もう帰らなくては。
皆に帰ることを告げると、「えー!もう帰るの?」と言われたが、明日は朝早いことを告げて納得してもらう。彼らはにゃおんちゃんの携帯電話を見て電話番号を聞いてきたが、「これ、日本の携帯だから国際電話扱いになっちゃうよ」と言うとあっさり引き下がった。w
代わりにメールアドレスをメモして渡しておいた。しかし、未だに彼らかのメールは来ない。


店を出てホテルへ向かって歩き始めたところ、さっき店内でオイラをチラチラ見ていた女の子二人組がいた。向かう方向が一緒だったので、自然と話をするようになった。彼女達はこれからさらに違う店へ行くらしい。

ここでもリトアニアへ来た理由を聞かれたので、「心のふるさと」と答える。彼女達は「心のふるさと」という表現が可笑しかったようで笑っていたが、「去年の夏に来てすごく気に入ったから、また来たんだよ」と言うと納得していた。そして、またしても「そんなに好きならリトアニア人の女の子と結婚してここに住んじゃえばいいのに」と言われた。「それじゃ君が結婚してくれ」と言い返すと、「あーら、あたしは彼氏いるのよ。残念ね」と言われて笑われた。
やがて二人の目的の飲み屋の前まで来たので、そこで挨拶して別れる。ホテルに戻ると2時だった。明日起きれるかなぁ・・・。2日前に寝坊して飛行機に乗り遅れそうになっているだけに不安だ。

2006バルト三国旅行記(その20) - にゃおんちゃん、男にストーカーされる(9月9日)

前回の記事の続きです。
にゃおんちゃん、生まれて初めて男にストーカーされました・・・。(;´д`)


◆リトアニア人とは正反対の人達について語る

食事を終えてダベっていると、突然ユリアがにゃおんちゃんの背後を見て「あの二人は中国人ね」と言った。後ろを振り向くと、そこには若い男性客とこの店のスタッフが話し込んでいた。二人が話していた言葉は中国語ではなく朝鮮語だった。ユリア、あれは朝鮮語だよ。
「すごい、どうして分かるの?」

中国語はシナ=チベット語族、朝鮮語はウラル=アルタイ語族。文法も発音も全然違う。
「あのさ、朝鮮って日本や中国と何が違うの?私、何が違うのか分からないんだけど」

鼻からお茶を噴き出しそうになる。

簡単に言えば、中国にも日本にもなれなかった国。それが朝鮮だ。
「どういうこと?」

朝鮮は長年中国の属国で、20世紀以降は日本の属国みたいなものだ。日本の一部だった時期もあったしね。19世紀までは中国の影響が強く、中華思想の影響で独自文化というものに乏しい国だった。
「中華思想って何?」

簡単に言っちゃうと、「中国こそが世界の中心。中国スタイルこそが文化的。独自文化なんて周辺の蛮族が持つものだ」って思想。朝鮮は「ウリ(朝鮮語で「私」という意味)は世界一の大国中国様の忠実な子分だから、ウリナラ(「我が国」という意味)は世界で二番目に凄い国ニダ」と言って「小中華」を自称していた国だ。
ところが、19世紀後半から中国の影響力が低下して、今度は日本の影響下に置かれるようになった。あいつらは中華思想を信奉して独自文化なんて殆ど持ってなかった連中だから、アイデンティティに乏しいんだ。だから、今度は日本の出来損ないみたいに国になっちまった。今では一応独立国だが、法律からポップ・カルチャーまで日本の劣化コピーばかりしてる。ユリアが違いが分からないと言うのも理解できるよ。帝政ロシアやソ連の統治下でも大事なものを守り通し、独立後はそれを復活させようとしている君達リトアニア人とは正反対にいる人種かもな。
「ふーん・・・。中国人とか朝鮮人ってこっちでも嫌われてるのよねぇ」

利害関係が全然無いリトアニアで嫌われるなんて、三国人どもは一体この国で何をやらかしてるでしょうか。


◆挙動不審はあの国の人のデフォでつか?

トイレに行くのに席を離れたついでにタバコを吸いに行くことにした。ビルの外に出てタバコを吸っていると、さっきの朝鮮人男性客もやってきてタバコを吸いはじめた。チラチラとこっちを見るので、鬱陶しい。さっきの会話を聞かれたのだろうか。いや、彼らは彼らでで話し込んでいたし、向こうまで聞こえるほどデカい声では話していない。つーか、タバコを吸うところなんて中にいくらでもあるのに、どうしてオイラのそばに来るんですか、この人は。
どうせまた「同じ東洋人」とかって勝手にシンパシーを感じて話をしたくてソワソワしているのだろうが、こっちにとっては「東洋人であるか否か」など何の意味も無いのだ。朝鮮人だろうがエジプト人だろうがブラジル人だろうが、にゃおんちゃんから見れば皆同じ「外国人」だ。何故か、海外で出会う朝鮮人はこっちが日本人だと分かると擦り寄ってくる。中国人はそんなことないのになぁ。

視線がウザいのでタバコを吸い終えるとトイレへ向かった。おしっこを終えてトイレから出ようとすると、さっきの男が入ってきた。偶然か?いや、二度続けば偶然ではない。男の尻を追いかけるおまいは変態ですか、かんしゃく起こるね!!1!11!
すれ違いざまに思いっきり睨みつけてトイレから出る。
もう、どうしてあの国の人達ってこういう挙動不審な人が多いのでしょうか。話をしたいなら堂々と話しかけてくればいいのにね。


席へ戻るとユリアが消えていた。トイレにでも行ったのかな?
すると、奥にある座敷の引き戸が突然開き、中からユリアが顔を出した。座敷席にいる知り合いと話をしていたらしい。にゃおんちゃんも呼ばれたので、カラオケで盛り上がっている彼らの席におじゃまして挨拶する。
すると、さっきのロリータ系の女の子と同じ顔をした子がいた。ああ、双子なのか。こっちの子もプッツン系なのだろうかと悩むにゃおんちゃんであった。

やがて彼らは帰る時間になったので、にゃおんちゃん達は自分の席に戻る。

2006バルト三国旅行記(その19) - 恋する彼女。誰に?いや、寿司に・・・(9月9日)

貧乏暇無しで忙しくしておりました。ごめんなさい、ごめんなさい。

前回の続きです。
前夜に引き続き、友達とメシを食いに行きました。


◆ヴィリニュスに恋する黒猫、スシに恋するリトアニア人女性

20時30分、ゲディミノ通りの某所でユリアと合流して食事に向かう。彼女は何やら用事があってお母さんとヴィリニュス郊外の街へ行ってきたらしい。二人とも夕食を食べておらず腹ペコなので何を食べるか相談する・・・までもない。彼女の目が「私はスシを食べたい」と訴えているのがわかる。
彼女の願いを叶えるべく、「寿司を食いたいんだろ?前に一緒に行ったあの日本レストランへ行こうぜ」と言うにゃおんちゃん。「日本食でいいの?あなたは毎日本物の日本料理を食べてるのに」と遠慮するユリアだが、顔を見れば分かるのだ。

「私はスシを食いたい」と顔に書いてある。

ふざけた寿司屋なら却下するところだが、あの店はまともな料理を出していたので問題ない。その店の名前は「歌舞伎」。旧市街地のど真ん中、旧市庁舎の向かいの雑居ビルの2階にある。
店に向かう道中、「私はスシなら毎日食べても平気」と言うユリア。寿司は毎日食えるほど安い食い物ではないことを告げると、「回転寿司があるじゃないのよ」と反論された。w
そう、彼女は数ヶ月間だが短期留学で日本に住んでいたことがあるので、回転寿司なら安い値段で寿司を食えることも知っている。本物の寿司屋には行ったことが無いらしいが、回転寿司は何度か行ったことがあるそうだ。

彼女は日本に住んでいたときの思い出をいくつか話してくれたが、本当に素敵な思い出となっているようだ。そんなに好きならまた来ればいいのに。
「前回は運が良かったのよ、資金援助してくれた団体もあったしね。自腹じゃ無理よ」

旅行で来るだけでもいいじゃん。
「お金が無い」

そうですか、はい。これ以上何も言いません。


◆回避された日本vsリトアニアのバカ対決

やがて店にたどり着いたが、入店した途端にユリアがトイレに行きたいと言い出したのでボーっと突っ立って待っていると、板前さんに「日本の方ですか?」と話しかけられた。板前さんは日本人だったのだ。どおりでまともな日本食を出す店のはずだ。その板前さんは関西出身らしい。
すぐにユリアが戻ってきたので残念ながら板前さんの身の上話にまでは及ばず。

前回来店した際と同じ席に座る。彼女も覚えていたようで、「前回もここに座ったよねー」と言っている。ポケットに取り出したガイドブックをテーブルに置くと、ユリアはそれをパラパラとめくり始めるが、中に挟まっていたこの店のパンフを見て驚く。「これって前回この店に来たときに持ち帰ったやつ?」
そうだよ。しおりのかわりにして挟みっぱなしにしてあるのさ。


何を頼むか相談するが、「前回のあなたのコーディネイトは完璧だったわ。だから今回もあなたに任せる」とメニューを押し付ける。前回何を食べたのか覚えていないが、食いたいものを頼んだだけだぞ。自分で頼むのが面倒なだけやろ?
結局、握りと巻きもののセットを頼む。それから前回彼女が頼んていた「ラーメンスープ」なるものを、今度はにゃおんちゃんが頼む。その名のとおりラーメンのスープなのだが、「ピリ辛に味付けしてあるインスタントラーメンのスープ+インスタント麺が少々」という代物なのだ。昨年の夏にユリアがこれを食べているのを見て絶句したにゃおんちゃんだが、少し分けてもらうと意外に美味しかったので、今度はオイラが頼んでみることにした。

料理が来るまで「久しぶりのヴィリニュスはどう?」なんて話をしていた。彼女はにゃおんちゃんがどれほどこの街が好きか知っているので、「こっちに住めばいいのに」と言う。今と同じ額の給料をくれるなら、いつでも移住しちゃうぞ。まあ、実際は言葉が分からないから、現状では無理なんだけど。勉強しようにもリトアニア語の辞書すら無いことを伝えると、日本語/リトアニア語の辞書は一種類だけあるらしい。デカい本屋に行けば売っているが恐ろしい値段だとのこと。


そんな話をしていると料理がやってきた。リトアニアのこと、日本のこと、ユリアのこと、にゃおんちゃんのことを話しながら食事をする。
前回会ったときの彼女は口数も少なく、会話をしていても妙な間が空いて困惑した記憶があるのだが、今日はとてもよく話す。そのことを告げると、「私、人見知りするからね」とのこと。以前のように頻繁にチャットをすることはなくなったが、それでもオイラ達はこの一年間ずっとメールをやりとりしてきた。そのおかげだろうか。
二人とも腹ペコだったのであっという間に料理を平らげてしまった。写真を撮るのを忘れた・・・。

お腹いっぱいになってお茶をすすっていると、後ろにある座敷(そう、この店にはちゃんと座敷もあるのだ!)から女の子が出てきた。その子はなんとユリアの知り合いだった。
二人は暫し話しこんでいたが、やがて女の子はカウンターへ行くと店員に何やら訴え始めた。どうやら、カラオケを使わせろと訴えているらしい。おいおい、こんなに客が入っている状態でカラオケなんかやられたら他の客がたまらんだろ。しかし、彼女はそんなことはお構いなしに「この店にカラオケがあるのは知っている。使わせて!」と訴えている。

そんな様子を見ていたユリアが、「あの子の格好見て。すごいでしょ?頭の中もぶっとんでるわよ」とポツリと言う。その子はショッキング・ピンクのストッキングを履いていて・・・何というかロリータ系のファッションなのだが、確かに格好も言動もぶっとんでいる。見た目は美人なんだがなぁ・・・。
頭のイカレ具合ならにゃおんちゃんも負けてないぞ!と、パンクvsロリータの決闘を挑みたい衝動に駆られるが、日本人の名誉に関わる問題なのでぐっとこらえる。

ちっ、運のいい奴だ。決闘は今度の機会までお預けだ。w

2006バルト三国旅行記(その18) - 不味いコーヒーをすすりながら、我が身の衰えを嘆く(9月9日)

前回の記事の続きです。
ふとしたことで肉体の衰えを痛感し、ヘコむにゃおんちゃんなのでした。


◆経験は失敗をフォローする

ホテルへ戻るが、すぐに駅前の銀行へ行き、大容量のSDカードを買うべく2万円ほど両替する。何だか毎日両替しているような気がするが、日本で両替したユーロとT/Cは手付かずなので、実際は2万円弱しか使っていない。そのうちホテル代だけで2/3を占めるので、この3日で使った金は実質数千円程度。何も買っていないし、変な遊びもしていないから当たり前なのだが。

駅前に来たついでに駅へ行き、クライペダ行きの列車の時刻を調べる。以前は1日3往復走っていたが、そのうちの1往復(夜行列車)が廃止となり、今は朝と夕方の2往復となっていた。バルトの鉄道事情はかなり悲惨で、タリン、リガ、ヴィリニュスを結ぶ列車も消えてしまったし、ヴィリニュスとポーランドのワルシャワを結ぶ夜行列車もバス転換となっていた。それでもリトアニアはまだマシなほうで、エストニアなどは壊滅状態に等しい。
「ソ連」と書かれている昔の地図を見ると路線そのものが廃止になっている部分も多い。バス嫌い、列車好きのにゃおんちゃんには辛い環境である。


ホテルへ戻り1時間ほどゴロゴロした後、再び外出。SDカードを仕入れるべくさっきのカメラ屋へ行くと既に閉店していた。ただいま17時過ぎ。一足遅かったらしい・・・。ユリアとの約束まではまだ時間があるのでゲディミノ通りへ行くが、雨が降ってきたので急遽コーヒーショップへ入って雨宿り。
レジの前で注文をしていると後ろにいた女の子に「あなたどこから来たの?」と聞かれた。またしても郷ひろみ風に「ジャペーン」と答えると、なんと「コンニチワ!」という答が返ってきて驚く。何かの機会に少し勉強したそうで、挨拶程度は知っているらしい。にゃおんちゃんのリトアニア語と似たようなレベルだな、という言うと笑っていた。オーダーを済ませた彼女は友達が待つテーブルへ戻っていった。

コーヒーを飲んで雨をやりすごしたが、それでもまだ時間はたっぷりあるので旧市街地のネットカフェへ行く。SDカードを買い損ねたので写真をCDに吐いてもらうためだ。去年もここで同じことをしているので、この店でそういうサービスを提供していることは知っている。いやー、経験とか知識って大事だね。それがあればヘマしないで済むし、たとえヘマしてもこうしてフォローできる。
店員さんに作業をしてもらってる間にメールチェックでもと思いPCを見るとOSがWinXP-SP2になっていた。去年来た時はWin98で日本語が表示されなくて泣かされたが、XPならユニバーサルランゲージ対応なので安心。ところが、何故か日本語が表示されない。文字化けしてるのでフォント自体がインストールされていないようだ。XPなのになじぇ?
自力でインストールしようとするとインストールCDを要求されるのでギブアップし、店員に泣きつく。優しい店員さんはすぐにCDを持ってきて、にゃおんちゃんに手渡してくれた。・・・・・・インストールは自分でやれってか?まぁいいさ。

無事日本語が表示され、日本語の辞書も使えるようになった。しかし、この先どこへ行ってもこの問題で悩まされることになる。どうやら向こうのWinXP-SP2は標準インストールだとユニバーサルランゲージは省略されてしまうらしい。


◆不味いコーヒーをすすりながら、我が身の衰えを嘆く

写真をCDに吐いてもらう作業も終り、そろそろユリアと会う時間なので店を出る。ところが、彼女に電話すると「まだ出かける準備ができていないので、あと1時間待って」と言われる。にゃおんちゃん、もう腹ペコなんたけど。彼女もまだ食事をしていないそうなので我慢することにする。うわーん、お腹すいたよぁ〜。

時間は19時、夕焼けも終わって空は青白くなりはじめている。昼間はそうでもないのだが、日が落ちると急激に寒くなる。外でぽーっとしていても寒いだけなので、スーパーマーケットへ行って電池やガムなど細々としたものを購入する。それでも時間が余ったので再びコーヒーショップへ。
バルトにはスターバックスが無く、代わりにスタバもどきの「Double Coffee」というチェーン店があるのだが、ここのコーヒーが不味い。というか、バルトと韓国では美味しいコーヒーを飲んだことが無い。外は寒いし足も痛いので、不味いコーヒーをすすって時間を潰す。
それにしても足が痛い。普段、全然歩いてないから当然といえば当然なのだが、去年はここまで酷くなかった。この1年で我が足は一気に衰えたというのか。それとも靴が悪いのだろうか。しかも、足だけじゃなくて腰までキテいるような・・・。

この先、大丈夫だろうか・・・。

2006バルト三国旅行記(その17) - 女神を見た日(9月9日)

前回の記事の続きです。
この日、にゃおんちゃんは女神様に遭遇しました。


◆聖三位一体教会にて

歩き疲れて足が痛くなったので、再び旧市街地をブラブラと歩いてホテルに戻る。せっかくのヴィリニュスなのに勿体無いと言われそうだが、今日は休養日にすると決めているので、これでいいのだ。
元々シャカリキになって名所巡りをするのは好きではない。その街の雰囲気や空気を感じられれば、それからその街に住む人と話すことで何かが垣間見えれば、にゃおんちゃんは満足なんだわい。

夜明けの門まで戻ってきた際、その少し手前にある聖三位一体教会へ行ってみることにした。この教会はホーリー・トリニティ、またの名をユニエイトという宗派に属する。
このユニエイトは、東方正教の儀礼を用いているにも関わらずローマ教皇に帰依する、という何ともヘンテコな代物。以前に礼拝を見たことがあるが、思いっきり東方正教のスタイルだったうえにロシア語(いや、もしかするとウクライナ語)が使われていて、あまりのヘンテコさに混乱した記憶がある。何も知らなければ、ただの正教教会と勘違いしたに違いない。

聖三位一体教会かつてカソリック国のポーランドが正教徒の住むウクライナを統治する際、住民を懐柔するためにこのような宗派を作ったらしい。

ということは、今の時代にこんなヘンテコ宗派は当然日陰者なわけで、この教会は旧市街地の表通りからたった20mほど奥に入ったところにあるにも関わらず、訪れる人も殆どおらずひっそりとしているし、建物だってボロボロのまま。周辺にある他の教会はひっきりなしに地元の老人や観光客で賑わっているのとはあまりに対照的だ。

表通りに面している門だけはそれなりに立派だが、教会本体は朽ち果ててボロボロで、まるで廃墟を見ているような気分になる。
幽霊が住み着いていそうなオンボロ教会を眺めてしばし物思いに耽る。
 聖三位一体教会の塔


◆夜明けの門で見た女神

表通りへ戻ると、またしても結婚式に遭遇した。今日一日でもう既に5〜6組の新郎新婦を見ている。どうやら夜明けの門の中にある教会で式を挙げたようで、門を背景にして記念撮影をしている。
ついでだからあの凄いイコンをもう一度拝んでおこうかと思い、夜明けの門の中にある教会へ行くと、またしてもウェディングドレス姿の女性が。一体何なんだ、今日は。

しかし、この新郎新婦は少し違った。一瞬息が止まりそうになるほどの美人なのだ、新婦が。いや、マジで。マジで一瞬見とれました。あなたは女神か?
この新婦は目ざとい人で、にゃおんちゃんが固まっているのを見逃さなかった。こっちを見て微笑んでいる。彼女はウェディングドレスを見て驚いたと思っていたようだが、それは違うのだ。あなたの美しさに驚いたのだ。
式が始まる前にイコンを拝んでおこうと思い、中へ入る。うーむ、いつ見ても凄いイコンだ。本当ならばもっと大きな感動があるはずなのに、このイコンよりも美しい女性を見てしまったせいで神様も霞んでしまった。神よ、お許しを。これはあのような美女をお作りになったあなたの責任であって、にゃおんちゃんの責任ではない。

夜明けの門の中にあるイコン
 夜明けの門の中にあるイコン


式が始まりそうなので速やかに外へ出たところ、新郎新婦がニコニコしてこっちを見ているので「おめでとう」と声を掛けた。二人とも気さくな人で、「ありがとう。あなた、どこから来たの?」と尋ねてきた。郷ひろみ風に「ジャペーン」と答えると、「随分遠くから来たのね」と驚いていた。
新郎に、「あなたの奥さんは凄い美人だな。にゃおんちゃんにもあなたの幸運を分けてくれ」と言うと、本人は照れていたが後ろにいた彼の友人達が爆笑していた。その友人達からリトアニアに来た理由を聞かれたので、ヴィリニュスはオイラの心のふるさとなのだと答えると、 「そんなにここが好きなら、リトアニア人と結婚してここに住めばいいじゃん」と言われる。

だから、その方法を教えてくれと言っているの!

一瞬ユリアの顔が脳裏をよぎるが、あんなジャジャ馬と結婚したら尻に敷かれること確実どころか、下手すりゃにゃおんちゃんが主夫になって家事に追われる日々を過ごすことになりかねない。必死に頭を振ってその妄想を打ち消す。

やがて式が始まったので、部外者のにゃおんちゃんは人垣の後ろからひっそりと見守る。
しばし見守った後、そっと退室した。遠く離れた異国に住む名前も知らない人達だが、あの夫婦の幸せを祈る。ラーメン。

夜明けの門で見た結婚式
 夜明けの門で見た結婚式

2006バルト三国旅行記(その16) - ヴィリニュスの風景(9月9日)

職場のシステム、やっと復旧しました。疲れ果ててボロボロになってました。
前回の記事の続きです。


◆ヴィリニュスの街並みからリトアニア人の気質を考えてみる
写真を撮りまくっているせいで、デジカメのSDカードの容量不足に苦しんでいた。旅行が始まってまだ3日目だというのにこれだ。ピリエス通りへ戻るとカメラ屋さんを見つけたので、SDカードをチェックしに入ってみた。店員さんに尋ねると2GBのカードがあるというが、現金が足りなくて買えない・・・トホホ。カード決済すればいいのだが、極力カードは使わないようにしているので、お金を用意してまだ後で来ることにする。
特に行くあては無いのだが、とりあえずヴィリニュスの中心街であるゲディミノ通りへ向かって歩く。当たり前の道を通って行っても面白くないので、ちょっと裏路地へ入ってみる。地図を頭の中に叩き込んでいるので迷う心配は無い。

旧市街地のメインストリート、ピリエス通り
 旧市街地のメインストリート、ピリエス通り

大統領官邸
 大統領官邸

裏路地に入ると、こんな感じです
 裏路地に入ると、こんな感じ


裏路地を抜けて大聖堂の前までやってきた。ヴィリニュスのランドマークであるこの建物は、元々はリトアニアがキリスト教化した13世紀に建てられたものだが、現存しているこの建物は18世紀に大改築されたもの。屋根の上にある像はリトアニアを守護する聖人のもので、ソ連時代には撤去されていたそうだ。リトアニアの守護聖人は確か聖カジミエルだったと記憶しているが、屋根の上にある像は三つ。他の二人は誰だ?
去年の夏に来たときも改築工事をしていたが、1年経ってもまだ終わっていない・・・。その横に王宮を復元している最中なのだが、こっちはだいぶ建築が進んでいた。さらにその裏にある丘を登るとゲディミナス塔がありヴィリニュス市街を一望できるのだが、去年行っているので今回はパス。

大聖堂の前には広場があり、いつ来ても市民がくつろいでいる風景を見ることができる。例の市民マラソンはここがスタート/ゴール地点で、ランナーが続々とゴールしているのが見える。その横には何やら子供向けのアトラクションがあり、大勢の人が詰め掛けている。
大聖堂の中へ入ると、またもや結婚式に遭遇した。ちょうど式が終わって新郎新婦が退場するところだった。中にも礼拝堂やら色々と見どころはあるのだが、ここも去年見ているのでパス。

大聖堂(側面から撮影)
 大聖堂(側面から撮影)

大聖堂(正面から撮影)
 大聖堂(正面から撮影)


歩きづくめで足が痛くなったし、SDカードを買うのに金を調達する必要があるので一旦ホテルに戻ることにする。天気は良いけど寒いんだよなぁ・・・。街行く人達も秋ものを着ている。バルトの9月はもう秋だった。

写真を見てもらえれば分かると思うが、ヴィリニュスはタリン(エストニア)やリガ(ラトビア)と違って尖がった屋根を持つゴシック様式の建物は少ない。タリンやリガはハンザ同盟のドイツ商人が作った街だが、ヴィリニュスは違うので当然といえば当然か。しかも、柔らかい色使いの建物が多く、街中に教会があるのですごく穏やかな印象を受ける。実際、リトアニア人はおっとりした感じの人が多いような気がする。
そんなリトアニアだが、バルト三国で一番過激な民族主義を持つのはこの国なのだ。第二次世界大戦時にはソ連相手に一番最後まで併合に反対し、そのソ連の支配力が弱まった際には真っ先に独立を宣言している。死んだ人間の数も半端ではない。おっとりしてるようで芯が強い印象を受けるのはそのせいだろうか。

2006バルト三国旅行記(その15) - ヴィリニュスで過ごす幸せな土曜日(9月9日)

先日の強風で停電。さらにその停電で職場のLANがぶっ壊れて復旧に追われてました。
天気に文句を言っても仕方ないのですが、一言だけ言わせてください。

ふざけんな。

さて、前回の記事の続きです。
ブラブラとお散歩してヴィリニュスの休日を楽しんでいます。


◆本当のヴィリニュスの姿を垣間見たか?

円形城塞から旧市街地中心部に向かって歩く。空を見ると凄い速さで雲が流れていく。決して暖かいとは言えない気温だが、雲が切れると太陽の光が降り注いで気持ちがいい。
裏路地を歩いていると、ところどころに警官が立っていて交通整理をしている。不思議に思っていたが、その理由はすぐに明らかになった。ウジュピス地区へ行く橋のたもとにある正教教会の前まで行くと、大勢のマラソンランナーがやってきた。どうやら市民マラソン大会の真っ最中らしい。参加者の顔ぶれは老若男女様々だが、格好のほうもバラバラで何故か軍服(迷彩服にヘルメットまで装備)を着て走っている奴までいる。しばらく眺めていたが、とりたてて面白いことが無いのでウジュピスへ行ってみる。

ウジュピス地区は旧市街から川を挟んですぐ隣という絶好のロケーションにも関わらず、橋が架かっていなかったゆえに発展から取り残され、非常にうらぶれた雰囲気の地区だったという。しかし、1980年代後期からその雰囲気を好む芸術家や若者が住むようになり、いつしかパリでいえばモンマルトルのような位置づけとなった。
正教教会の横にある橋を渡ってすぐのところにラッパを吹く天使の像がある以外、おしゃれなカフェが数件あるくらいしか見所の無い地区だが、ボロボロの家がたくさんあってうらぶれた雰囲気が堪能できる。以前にユリアが「ヴィリニュスの街はあちこちで工事をしていて、ここ数年凄い勢いで綺麗になっている」と言っていたが、以前のヴィリニュスは街全体がこんな雰囲気だったのだろう。昨年の夏に来た際には郊外の住宅街まで足を伸ばしたが、確かにかなーりうらぶれていた。まぁ、キエフやミンスクみたいなドンヨリした嫌な雰囲気は無いんですけどね。この思いは後にリエパーヤに行った際に確信へと変わることになる。
ヴィリニュスに住むとしたら、この辺りのオンボロ家屋を買って改修して住もうかなぁ・・・。

ウジュピスにある天使の像
 ウジュピスにある天使の像


◆聖アンナ教会とベルナルディン教会

旧市街地へ戻る橋の上で親子が記念撮影をしていた。その際に何故か子供に懐かれ、もみくちゃにされる。子供は好奇心が旺盛なので、「あー、変な顔した奴が歩いてるぞ」と寄ってくるのだ。色々と話し掛けてくるが、残念ながら何を言われているのか全く理解できなかった。「黄色い猿」とか言われていないことを祈る。そんなこと言われたらな・・・そんなこと言われたら、泣くぞ。

やがて聖アンナ教会の前までやってきた。16世紀に建てられたゴシック様式の教会だ。かつて、この地までやって来たナポレオンに「なんと素晴らしき教会か。余はこれをパリに持ち帰りたい」と言わしめた傑作。
そのすぐ裏手にベルナルディン教会が隣接しているのだが、聖アンナ教会と違ってこちらはきちんと手入れされておらず、内部のフレスコ画もボロボロ。殆ど剥げてしまって何が描かれているのか分からない。近年になって修復作業が行われるようになったが、前回ユリアと一緒に来た際、彼女が「こっちの教会は文化的価値が低いから放置されていたのよ。隣同士なのに扱いが全然違うでしょ?」と言って笑っていたのを思い出した。皆様もヴィリニュスへ行った暁には是非訪問して、両教会の落差の激しさをご堪能ください。

聖アンナ教会
 天に向かってそびえ立つ聖アンナ教会


引き立て役同然の惨めなベルナルディン教会だが、ちょうど結婚式が行われていた。新郎新婦が教会の前で出席者を出迎えていたところを丁度通りかかったので、「おめでとう、お幸せにね」と声を掛けると新婦は感極まって半泣きになっていた。女の子にとって人生最大の晴れ舞台だから無理も無いが、これでは式が始まったら大泣きしちゃうのでは?と不安になる。
中へ入りボロボロのフレスコ画を見て「修復作業をしてるというが、去年の夏から全然変わってねぇじゃん」とボヤいていると、別室の礼拝所で結婚式が始まった。教会の片隅からこっそりと様子を見守ったが、新婦が泣き出すことはなかった。ほっとしたので、その場を静かに立ち去る。

旧市街地のメインストリートであるピリウス通りへ出ると、ここもマラソンのコースになっているようで金網が立てられており、警官とスタッフが立っていた。その様子を見ていた子供があまりにかわいらしかったので、写真を一枚。

マラソンを見物していた子供
 マラソンを見物していた子供

2006バルト三国旅行記(その14) - 心のふるさとヴィリニュスを行く(9月9日)

前回の記事の続きです。
重陽の節句のこの日、ヴィリニュスで何もせずに体を休めることにしました。ジジィだからね、体力無いんですよ。


◆ヴィリニュスの休日(2006年9月9日)

8時30分起床。シャワーを浴びて10時にチェックアウト。昨夜、延泊を断られてしまったのだが、ダメもとでもう一度掛け合ったところ、なんとOKの返事を貰えた。どうやらキャンセルが出たらしい。しかも、124LTL(約5,300円)にディスカウントしてくれた。おぉ、ありがとう。
にゃおちんゃんが延泊の手続きをしている間、ロシア人のおばちゃんが隣から何やらゴチャゴチャ言っていたため、フロントのお姉さんはかなりイライラしていた。せっかくのディスカウントが吹っ飛びかねないので、必死になだめる。w

今夜の分も前払いしたため両替していたLTLがかなり乏しくなったが、どうせたいした買い物はしないから大丈夫だろう。今日は夜まで何も予定が無い。トゥラカイ(ヴィリニュス郊外にある昔の首都で古城がある)に行くことも考えたが、今日は完全休養日にすることとし、ひたすらまったりヴィリニュスで過ごすことにする。だって、この街は本当に居心地がいいんだもん。にゃおんちゃんの心のふるさとだな。


ローマの休日ならぬ、ヴィリニュスの休日を楽しむことにしたオイラ。腹が減ったが店を探すのも面倒なのでホテルの向かいにあるマックへ。初日に見たときは色々なことを思い出してジーンとしたマックの看板も、こっちへ来て3日目、それも真昼間に見ても何の感慨も無い。まあ、そんなことはどうでもいいので、速やかに食事を済ませる。
とりあえずブラブラと旧市街地へ向かって歩き、旧市街地の入口となる「夜明けの門」までやって来た。かつて城壁にあった門のうち唯一現存しているものだが、ただの門ではなく教会も兼ねており2階には凄いイコンが飾られている。ここからどこへ行くか悩むが、このままメインストリートを歩いてもつまらないので、その右にある脇道へ入る。

夜明けの門
 夜明けの門

綺麗に整備されているヴィリニュスの旧市街地だが、建物の裏手にまわったり細い路地に入るとまだまだボロい建物が残っている。とはいえ、それが逆に生活臭を感じさせてくれる。教会に入れば地元の爺ちゃん婆ちゃんがお祈りしてるし、路地を一本入れば子供が遊んでいたり洗濯物が干してあったりと、ここに暮らしている人がいることが分かる。完全な観光地と化していないところが本当に良い。
ボコボコで水溜りだらけの路地を歩くと、やがて17世紀に城の防衛用に作られたという「円形城塞」にぶつかる。前回来た時は外から見ただけで済ませてしまったので、今回は中に入ってみることにした。

円形城塞の入口
 円形城塞の入口

2LTL(約85円)払って中に入るが、レンガで組まれた通路が地下に向かって延びているだけ。階段を下りて地下へ向かうが、何も無い通路があるだけ。ところどころに小窓があり、そこに大砲が備え付けてある。ここに立て篭もって砲撃したわけか。内部は妙に空気が生暖かく、薄暗いうえに誰もいない。オバケが出そうで怖い。
特に面白い場所ではなく、少しがっかりして帰ろうとしたところ、通路にいた職員のおばちゃんが「こっちへどうぞ」と隅っこにあるドアを開けてくれた。何かと思って外に出るとそこにはヴィリニュスを見渡せるパノラマが。おぉ、これは素晴らしい。この城塞は高台にあるので、旧市街地を一望できるのだ。まあ、ゲディミナス城のてっぺんに行けばもっと凄い景色を見ることができるけどね。

円形城塞の内部
 円形城塞の内部

円形城塞から眺めた旧市街地
 円形城塞から眺めた旧市街地

2006バルト三国旅行記(その13) - リトアニア娘とデート(9月8日)

前回の記事の続きです。
カウナスからヴィリニュスに戻ってきました。友達とメシ食いに行きました。


◆相変わらずワイルドだった彼女

ホテルにチェックインしたが、ゆっくりしている暇は無い。18時半にホテルを出てバスに乗り、待ち合わせ場所のゲディミノ通りに向かう。去年も来ているし、さして大きい街ではないので、移動は全然余裕。約束どおり19時にゲディミノ通りの某所に到着してユリアを待つ。
が、来ない。ユリアが来ない。寒風吹きすさぶ中待つこと30分、サングラスにライダース・ジャケットというスタイルで彼女は現れた。相変わらずワイルドな女性だ。パンクスとバイカーというガラの悪い二人がヴィリニュスの街を闊歩する。

二人ともまだ夕食を食べていなかったので、食事に行くことに。ユリアが良いレストランを知っているというので旧市街地に向かう。その店は聖ミカエル教会のそばの裏路地にあった。店内が満員なので、外のテラスに座る羽目になる。ものすげぇ寒いんですけど・・・。二人とも店の人が貸してくれた毛布を羽織り、震えながらワインを飲む。


お互いの近況について話し合う。彼女はイギリスに留学するための試験を控えており、その勉強でかなりストレスが溜まっているらしい。元々、アウトドアやスポーツが大好きな人なので、部屋に閉じこもって分厚い本と格闘する日々は拷問以外の何物でもないという。彼女はとにかくワイルドなのだ。空手の有段者だし、去年の夏に会ったときは「MTBでコケて骨折した」と手首に包帯を巻いていた。
25歳の彼女は既に大学も卒業しているし、仕事に必要な資格も有しているのだが、イギリスに行ってさらに勉強したいことがあるらしい。詳しいことは分からないが、何やら相当難しい試験らしい。試験前なのにごめんねぇと言うと、「ストレスが溜まっていたから、気分転換になって丁度いい。こっちこそ、せっかく来てくれたのに付き合えなくてゴメン」と言われ、恐縮する。

夜の旧市街地彼女が案内してくれただけあって、確かにこの店は雰囲気もいいし料理も旨い。日が沈む前の青白い空を眺めながらワインを飲む。こっちは緯度が高いだけあって日が沈むのも遅く、20時くらいまで薄明るい。しかし、寒いのだ。寒くてたまらない。
やがて店内の席が空いたので、すかさず席を移り紅茶を飲む。ユリアは何故かケーキまで頼んでいる。ケーキは別腹ですか、はいそうですか。
コックさんが料理をしている様子を見て、ユリアが「私、料理が苦手なの」とポソリと呟く。嫁に行けないぞと脅すと、「結婚相手に料理してもらう」と口ごたえをした。w




 夜の旧市街地

二人とも疲れていたので、22時に店を出て別れる。明日はどこかに飲みに連れて行ってくれるとのこと。つーことは、ヴィリニュスにもう一泊だな。ホテルに戻り延泊を申し出るが、満室と言われてしょげる。明日もホテル探しか・・・。0時に就寝、良い子は早寝。

2006バルト三国旅行記(その12) - にゃおんちゃん、凹む(9月8日)

前回の記事の続きです。
リトアニア人にいじめられますた。それも子供・・・。

◆はいはい、どうせオイラはパンクですよ。トホホ・・・

ドイツ国家を歌い終えたにゃおんちゃんは、続いてカウナス城に向かう。相変わらず雨が降ったり止んだりしていて寒い。さて、ドイツ騎士団の侵略に備えて13世紀に作られたというカウナス城だが、今ではいくつかの塔と城壁の一部が残るのみ。ネリス川とネムナス川に挟まれた場所にあるので、確かに守るには適している土地だが、洪水が来たら大変だなぁ・・・と思っていたら、城がぶっ壊れたのはやはり洪水が原因とのこと。
入場料3LTL(約130円)を払って中に入ってみる。塔の上へ行ってみるが、さして高い場所ではないので景色もたいしたものではない。プロユースのビデオカメラを構えて景色や城の内部を撮影しているおじさんがいる。「TVの取材ですか?」と話しかけるが、変な顔をしてこっちを見てる。どうやら英語が分からないらしい。下へ戻ると受付の人に「地下にも行ってください」と言われ、今度は地下へ。しかし、がらーんとした部屋がひとつあるだけで、他には何もありゃしない。つまらん、外に出る。

外へ出ると、城壁の影で中学生か高校生くらいの女の子数名が隠れてタバコを吸っていた。目があったので、ニヤニヤしながら「悪い奴だなぁ」と声を掛けると、「私達、パンクだもん」と言いやがる。さらに「あなたもパンクね」とのたまう。確かに、にゃおんちゃんの格好はパンクなのだ。髪はツンツンしているし、スタッドつきのベルトやらアクセサリーを身につけている。お子様達よりは幾分上品とはいえ、ガラの悪いおっさんに見えるのは間違いない。トホホ・・・。

カウナス城
 カウナス城


小腹がすいたのでケバブを食べるが、あまり美味しくない・・・。
時計を見ると15時。そろそろヴィリニュスに帰ることにする。ヴィタウタス大公博物館に行きたかったが、もう時間が無い。トローリーバスに乗って駅へ向かうが、車内で小学生の男の子がこっちを見てニヤニヤしている。東洋人が珍しくて仕方ないようでニヤニヤしているのだが、目があうと恥ずかしそうな仕草をしてうつむいてしまう。リトアニア語で「こんにちは」挨拶をすると、モジモジしながら「こんにちは」と言う。しばらくすると、後ろの席にいたその子の兄弟らしき女の子がやって来たが、この子は全く物怖じせず。やはり女のほうが度胸があるのか。w


駅へ向かうが、ヴィリニュス行きの列車が無い。次の列車はポーランド国境のほうへ向かうローカル線を走る列車だった。どうやら時間を調べ間違えたらしい。ヴィリニュス行きの次の列車は1時間半後。バスを使えばその頃にはヴィリニュスに着いちまうだろ。
というわけで、バスターミナルへ。ヴィリニュス行きのバスはひっきりなしに走っているが、途中の街を経由するものが多いので、30分ほど待って急行(直行便)で帰ることにする。15時50分のバスでヴィリニュスへ。これが何と20人程度しか乗れないベンツのミニバス。街中を走るバスにはミニバスも多いが、都市間バスでこれに乗ることになるとは・・・。


◆ またあのホテルか!

ミニバスの狭いシートに揺られること約1時間半、17時半にヴィリニュスに到着。駅のツーリスト・インフォで今夜の宿を探すと、駅前にあるパノラマ・ホテルを紹介された。実はにゃおんちゃんは昨年の夏にここに1泊したことがある。値段も手頃だし綺麗なのだが、部屋でタバコを吸えないのだ。というわけで他のホテルを探してもらうが、手頃なホテルが見つからない。ユリアと19時に待ち合わせをしているので、あまりゆっくりホテル探しをしている暇も無い。もういいや、パノラマでいい。コインロッカーから荷物を取り出し、駅の真ん前にあるパノラマに向かう。

パノラマ・ホテルは改装して外観やフロントの一部が変わっていた。フロントに行くと一泊180LTL(約7,700円)と言われる。去年泊まったときは140LTL程度だったのだが・・・。バスも値上がりしてるし、この国がインフレ気味なのは本当のようだ。 何はともあれチェックインする。

ヴィリニュス駅
 ヴィリニュス駅

2006バルト三国旅行記(その11) - にゃおんちゃん、喧嘩売ってますか?(9月8日)

前回の記事の続きです。
事前の宣言どおり、にゃおんちゃんはついにドイツ国歌を高らかに歌うという暴挙に出ます。


◆メーメル川のほとりでドイツ国歌を斉唱

聖ペテロ&パウロ大聖堂さて、やっとたどり着いた旧市街地。当てもなくフラフラと彷徨う。真っ先に目に飛び込んできたのがヴィリニアウス通りの終りにある聖ペテロ&パウロ大聖堂。壁一面がレンガに覆われている真っ赤なデカい教会だ。カソリックのリトアニア枢機卿はここにいるらしい。
中に見事なフレスコ画が描かれているらしいが、反対側の旧市庁舎に気をとられてしまい、中を見学するのを忘れた。ちくしょう・・・。

ヴィリニュスと比べると人通りの少ない街なのだが、このあたりに来るとさらに人が少なくなり、天気が悪かったこともあって何やら寒々しい光景に見える。
天気というのは重要なのだ。晴れていれば、あの暗黒都市ミンスクですらそれなりに美しく見えるし、ドンヨリ曇っていればヘルシンキですら陰鬱な街に見えてしまうのだから。
 聖ペテロ&パウロ大聖堂


ヴィリニアウス通りの突き当たりにあるのが旧市庁舎広場。ど真ん中にバロック様式の建築物が建っている。旧市庁舎で現在は結婚登記所になっているらしいが、この日は中に入れず。
旧市街地の真ん中だというのに、やはり人が殆どいない・・・。

カウナスの旧市庁舎
 カウナスの旧市庁舎


ヴィタウタス大公教会そこから南に向かって歩くとヴィタウタス大公教会があるが、こっちはゴシック様式。その名のとおり、15世紀にヴィタウタス大公が建てた教会だそうだ。残念ながら結婚式をしていて中には入れなかった。

裏手にネムナス川(メーメル川)があり、河川敷へ行くとヴィタウタス大公教会で結婚式を済ませたばかりの新郎新婦が記念撮影をしていた。
邪魔にならないように隅っこでおとなしくしているにゃおんちゃん。皆、「こいつはここで何をする気なんだ?」という顔をしてこっちを見ているが、オイラにはここでやることがあるのだ。




ヴィタウタス大公教会(新郎新婦つき)


やがて撮影を済ませた新郎新婦とその友人達が去ると、河川敷にいるのはにゃおんちゃん一人となった。さぁ、やるか・・・。


事前の宣言どおり、メーメル川のほとりで

高らかにドイツ国歌(それも一番)を歌う。



今では歌われることのないドイツ国歌の一番には、「マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで」という一節が登場する。ドイツ帝国最盛期には、この一節で歌われている地域は全てドイツ領だった。メーメル川はその当時ドイツとリトアニアの国境で(このカウナス付近は違うが)、本当は国境に近いクライペダ(旧名メーメル)で歌ってやろうと思っていたのだが、クライペダの市街地からメーメル川までは遠く、川っぷちまで行けそうも無い。というわけで、ここで一発歌ってやったわけだ、ウェーハッハッハ。

ところが、これは今の時代に歌うとネオナチと思われてしまうという恐ろしい歌。一番を歌うとネオナチ、二番を歌うと女性蔑視主義者と思われてしまうので、当のドイツ人ですら今では三番しか歌えないといういわくつきの代物なのだ。
にゃおんちゃんはドイツ好きだがネオナチではなく、今は亡き東プロイセン(現ロシア・カリーニングラード州とポーランド・ヴァルミア=マズルィ県)に思いを馳せてみただけである。誤解無きように。私はあのチョビヒゲ総統など大嫌いである。あの伍長あがりの能無し(軍事に関しては能無しと断言してもいい)が連発した「撤退は認めん!死守せよ!」という無謀な命令のせいで一体どれだけのドイツ兵が無駄死にしたことか。演説だけはかっこいいと思うけど・・・。w

まぁ、いわくつきの代物を大衆の面前で大っぴら歌えないので、誰もいなくなったところを見計らってこっそり歌ったわけだ。
調子に乗ってソ連国歌も歌ってやろうかと思ったが、ここで歌う理由は何も無いので止めておく。ソ連国歌については、いつの日かミンスクのレーニン像の前で高らかに歌ってやることにする。

Template Designed by DW99