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2006.04.28 (Fri)

【世界の香ばしき国々】第13回:ニカラグア(Part5) - 内戦は終わっても、迷走は続く

前回の記事の続きです。
今回でニカラグア編は終了です。あ~、長かった。

◆ビオレータ・チャモロ政権の誕生と内戦の終結
アメリカにいじめ倒されて崩壊寸前のニカラグアと、そのニカラグアいじめの資金に関するスキャンダルでレーガン政権が吹っ飛びかねないピンチに陥ったアメリカ。周辺国が和平調停に乗り出す絶好のチャンスが訪れ、1987年の中米首脳会談においてコスタリカのアリアス大統領による提案を元に「エスキプラス2」と呼ばれる和平合意が成立した。
これを受けてサンディニスタ政権はコントラとの交渉を開始。同時期にアメリカでも議会の穏健派が巻き返してコントラ援助の予算案を否決し、アメリカからコントラへの援助はストップした。アメリカからの援助なしで1万人もの勢力を養えるはずもなく、コントラは和平交渉に応じざるを得なくなった。

しかし、金づるを失ったコントラ内部では内紛が起き、強硬派が実権を握る。1989年にアメリカ大統領に就任したジョージ・ブッシュはこれを利用して再びコントラ支援を企むが、するとソ連のゴルバチョフ書記長が中米からの撤退を示唆。ゴルバチョフが書記長に就任してからの東西冷戦の緩和を考えると、ここでソ連が手を引くと言っている以上、アメリカだけが一方的にニカラグアいじめを続けることもできない。
八方塞となったコントラは1989年11月に3,500人を投入してホンジュラスから最後の攻勢を仕掛けるが、90%以上の兵力を失い壊滅した。


ビオレータ・チャモロ元大統領翌1990年2月には国連の監視下でソモサ政権崩壊後2度目の大統領選挙が実施された。酷いインフレに苦しめられたものの、アメリカやコントラと戦い抜いてニカラグアの主権を守ったオルテガは集会に10万人を集めるなど、このときの選挙でも圧勝するものと思われていた。ところが蓋を開けてびっくり。反サンディニスタの野党統一勢力「国民野党連合(UNO)」が擁立した候補ビオレータ・チャモロが得票率51%で当選してしまったのだ。
アメリカが露骨にビオレータに肩入れしたとはいえ、この敗戦は予想外でさすがのオルテガもすっかり気落ちしてしまった。ソモサ政権打倒から10年、ついにサンディニスタ政権は野党へ転落した。

サンディニスタ政権の敗因は、ベルリンの壁崩壊や東欧諸国の民主化などによる共産主義の敗北にもあるが、それ以上にニカラグア国民は戦いに疲れていたことにある。サンディニスタ政権の掲げた理想は正しくとも、アメリカに睨まれては援助どころかコントラのような反体制派を使った嫌がらせを受け、挙句の果てに経済封鎖を食らってハイパー・インフレが発生する羽目になるのだ。この地域でアメリカを敵に回して生きていくのはほぼ不可能だ。キューバという例外はあるが・・・。

それでも、ビオレータが「この選挙には勝者も敗者もない。サンディニスタに投じられた4割の投票も大事にしたい」と挙国一致を呼びかけ、右派の反対とブッシュ政権がちらつかせる援助凍結にも怯まず、ダニエル・オルテガの弟ウンベルト・オルテガを人民軍司令官に留任させた。親米派のビオレータが当選するとアメリカはさっさとニカラグアから手を引き、コントラの武装解除も順調に進み、ニカラグア内戦はあっさりと終結した。しかし、ビオレータ政権にはコントラとの内戦で肥大化したサンディニスタ人民軍の縮小という問題があった。国内経済は破綻同然なうえに内戦も終わったことから、8万人規模にまで肥大化した兵員の削減は至上命題だった。
ソモサ政権の国家警備隊が崩壊した後、FSLNのゲリラ兵たちがそのままサンディニスタ人民軍という名の国軍となり、これまでニカラグアを守ってきた。当然それを掌握しているのはオルテガ兄弟。ここでオルテガ兄弟から軍を取り上げ強引に削減を進めては、今度はFSLNが反政府ゲリラとなりかねない。だからこそビオレータはウンベルトを留任させ、人民軍の規模縮小を託したわけだが、ウンベルトもこれによく応えて1万5千人まで削減した。


◆ビオレータの苦悩
人民軍の削減は成功したものの、それだけで破綻した経済を立て直せるほど甘くはない。ビオレータはIMFの指導に従い財政再建を進めるが、IMFのやり方は対象がどこの国であろうと変わらない。経済活動の自由化を推進し、その一方で政府は徹底した緊縮財政を組んで歳出をギリギリまで切り詰める。これによって民間主導で経済活性化を促すという手法なのだが、多くの例を見るにこれが必ずしも上手くいくとは限らない。ニカラグアでも、貿易自由化を促進したことによって外国から安くて質の良い製品が大量に流れ込み、多くの労働者が失業し、零細農家が破産した。
また緊縮財政を敷くことからビオレータは公務員の大幅削減にも迫られるのだが、FSLNは革命の立役者であり与党であったことから、当然政府内にはそのメンバーが多数いる。軍に続いて政府と自分たちの既得権を次々と崩されてはFSLNも黙ってはいない。役所の労働組合はゼネストを行い、激しく抵抗した。

しかも、ビオレータ政権の難題はこれだけではない。
元コントラなどの右派勢力はサンディニスタ革命後の農地改革によって取り上げられた土地の返還を要求するが、これには農民が猛反発。長年搾取され続けた末に革命によってやっと手に入れた大事な財産である。そう易々と譲り渡すことはできない。
元々コントラの一員であり右派を支持層とするビオレータは基本的には旧地主への土地返還に積極的なのだが、再び内戦を招く原因ともなりかねないデリケートな課題だけに次第にこの問題に腰が引けてしまい、今度は支持基盤であるUNOから吊るし上げられるようになった。
元々、UNOは反サンディニスタという共通点だけで繋がっていた烏合の衆のような側面があった。選挙に勝利して大統領を輩出したものの、ビオレータが自分たちの思い通りに動かないと見るや否や対立は激化し、それによって政権の求心力が低下すると、今度は失業者となった元コントラ兵士や元FSLN兵士たちが再武装し、それぞれ「レコントラ」「レコンパ」を結成して暴れはじめる事態となった。


窮地に陥ったビオレータはFSLNとの連立を決断しUNOは崩壊した。FSLNが再び与党となったことにアメリカは激怒。約束した援助の履行をすっぽかすという嫌がらせで報復した。
議会多数派のUNOとビオレータ政権の対立は激しくなる一方で、ついにはUNOが大統領権限を削減する憲法改正案を可決させ対立は決定的となった。以後、議会は重要案件をことごとく否決してビオレータを追い込み、まともに国家運営が行われなくなったニカラグアでは怒った労働者がストライキやデモを繰り返し、政情不安は進む一方となった。1992年には右派議員の一部が国会を占拠するという騒動も起きている。

当然、ビオレータはFSLNとの連携を強めていくのだが、一方のFSLNも政権の運営方針を巡ってオルテガと対立した一部の連中が離脱している。
しかし1993年、ビオレータは突如ウンベルトの更迭を宣言し、FSLNを敵に回すという大失態をやらかした。怒ったFSLNが党員を動員してデモを行わせると、ビオレータは警官隊を送ってこれを弾圧した。デモ隊と警官隊は激しく衝突し、死者が出る惨事となった。これを期にニカラグア全土が麻痺状態に陥り、ビオレータはグアテマラに一時的にではあるが逃亡する羽目となっている。
これ以降、ビオレータ政権は完全にレームダックと化し、政治に嫌気が差したビオレータは大統領の任期を終えると政界から引退してしまった。


◆元ソモサの部下が大統領に
アルノルド・アレマン前大統領1996年の大統領選は、ダニエル・オルテガと前マナグア市長のアルノルド・アレマンの対決となった。アレマンはタチートの元部下で元UNO右派から支持を受けていた。マナグア市長時代にはビオレータ=FSLN連立政権への反対を明確に打ち出し、「マナグア市は独自の警察組織を作る」と発言してオルテガを激怒させた過去を持つ。
FSLNは分裂を経て内訌の末にビオレータ政権を崩壊させていることから選挙で苦戦し、得票率51%でアレマンが当選してしまった。また同じく行われた国会議員選挙でもアレマン率いる中道右派連合「自由連合(AL)」が93議席中42議席を獲得し、第一党となった。

磐石の政権基盤を手に入れたアレマンは自分の支持層である保守派富裕層に対して露骨に利益誘導を行う政治を繰り返し、ニカラグア国民の貧富の差はますます拡大してしまった。ニカラグアは中南米諸国ではハイチに次ぐ貧乏国となり、失業率は60%に達する一方で10%の富裕層が全収入の35%を独占するという社会が生まれた。ちなみに、アレマン本人の資産もマナグア市長就任から1999年までの7年間のあいだに9倍に増加している。さすがタチートの元部下である。

本来なら野党としてこれを追求するはずのFSLNも利権を餌にアレマンに取り込まれ、挙句の果てにオルテガが長年にわたって義理の娘に性的虐待を加えていたというスキャンダルが発生し、アレマン政権の腐敗追及どころではなかった。FSLNはたびたびデモを行い、国会では乱闘騒ぎを起こすなどアレマン政権と激しく対立したが、実は裏ではグルとなっていたのだ。


◆腐敗と戦い、敗れ去ったボラーニョス政権
エンリケ・ボラーニョス大統領2001年の大統領選ではアレマン政権で副大統領を務めたエンリケ・ボラーニョスとオルテガの対決となった。憲法で大統領の再選が禁じられているため、アレマンはボラーニョスを傀儡として裏から政治を牛耳ることを企んだ。アメリカとアレマンの支援によってボラーニョスは得票率56%で当選したが、ところが大統領に就任した途端にアレマン政権の腐敗を追及しはじめた。

思わぬ裏切りよってアレマンは禁固20年の刑を食らって刑務所にぶちこまれたが、議会のアレマン派は選挙時にはボラーニョスを支援していただけに腹の虫が収まらない。野党はもちろん与党も敵に回してしまったアレマンは厳しい政権運営を強いられ、2005年にはマナグアの市バス料金の値上げをきっかけにボラーニョス退陣を要求する大規模なデモが起こり、ピンチを迎える。

この危機は交渉の末に何とか乗り切ったが、とにかく議会の80%がALとFSLNという政権と敵対する勢力によって占められているため、大胆な政策を打ち出すことが殆どままならない状況が続いている。いや、それどころか議会によって大統領権限を制限する法案を次々と通され、大統領の中央政府各省庁に対する影響力は著しく低下してしまった。ボラーニョスはアメリカやOASに助けを求め、FSLNの台頭を嫌うアメリカも議会に対して圧力を掛けているが、状況は殆ど変わっていない。
2006年11月には次期大統領選が予定されており、二大政党のALとFSLNは当然それぞれ候補を立てることが予想され、勝ち目の無いボラーニョスは有力な後継候補を立てることすらできず、このまま任期切れで退任して消え去ると思われる。


仮に次の選挙でFSLNが政権を取ったとしても、今さら共産主義社会の実現を掲げておかしなことをすることはあり得ないが、反米を掲げるキューバやベネズエラ、ボリビアなどと徒党を組まれるとアメリカにとっても厄介なことになる。何せ背後には中国がいる・・・といっても、中国が地下資源に乏しく何も無い最貧国ニカラグアに強烈に肩入れするとも思えないが。
アメリカに逆らえば経済的に締め上げられ、親米を掲げれば既得権益層の力が増して貧富の差が拡大する。ニカラグアの庶民はどこまでいっても救われない。

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