2017年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2013.01.29 (Tue)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(最終回)

いよいよ最終回です。長かった・・・。


◆嫌がらせ観光最後の地

三田渡碑に夢中になっていたが、ふと気が付くと辺りはかなり暗くなっていた。この石碑の正体を知る朝鮮人に見つかって絡まれたりしたら嫌だから、そろそろ市内に戻ろうか。
そのまま石村駅に戻ってもよかったのだが、もう二度とこんなところに来る機会は無いと思ったので、地下鉄蚕室駅まで歩くことにした。
松坡大通に沿って蚕室駅を目指すと、その途中に石村湖の横を通りがかった。石村湖の中には島があり、そこが丸ごとロッテワールドという遊園地になっている。そういや、三田渡碑の移設予定地はこの石村湖のほとりのどこからしい。ついでだからちょっと見ていこうか。

石村湖の外周を半周ほど歩くが移設予定地は発見できず、歩き疲れたので湖のほとりにあるベンチに座りロッテワールドを眺める。絶叫マシンに乗ってる人達の歓声・・・いや悲鳴が遠くから聞こえてくる。石村湖周辺は公園として整備されており、外周に沿ってジョギングをしているおじさん・おばさん達の姿が見える。
天気の良い日の昼間なら日向ぼっこをするのに絶好の場所なのだろうが、辺りはもうすっかり暗くなっていて、しかも少し肌寒い。これ以上ここにいても風邪をひくだけなので、さっさと移動することにしよう。
さて、どこに行こうか・・・?

ロッテワールド
石村湖とロッテワールド


蚕室駅まで次の行き先を考えながら移動する。せっかく江南に来たのだから、江南のどこかに寄ってから市内に戻るべきなのだろう。でも、にゃおんちゃんは江南は好きじゃないんだよね。後進国の成金の巣窟みたいな場所だから。
「嫌がらせ観光」という今回の訪朝(というか、トランジットで仕方なく寄っただけなんだが・・・)の趣旨を踏まえて、キムチ太郎御用達のサイボーグ美女がわんさかいる高級クラブにでも行ってやろうかと思ったが、高い金を払って全身歪曲朝鮮女を見に行くなんて馬鹿らしいにもほどがあるのですぐにボツ。むむむ・・・困ったぞ。
しかし、にゃおんちゃんはここでまたしても笑韓の神様から啓示を受けた。<`∀´ ∩ ピコーン

笑韓の神様に導かれてやって来たのは狎鴎亭洞。目指すは朝鮮HOOTERS。そう、以前に紹介した「これ」の南朝鮮版。
実はカザフスタンに旅発つ前、某三国人チャット常連倭人のひとり、摩天楼氏とこの店について話す機会があった。摩天楼氏はアメリカに住んでいたことがあり、その際に行ったことがあるそうな。そして、その会話の中でなんと南朝鮮にもHOOTERSがあることが判明。早速ホームページをチェックしたところ、あまりにブサイク&貧相なウェイトレスばかりで二人して爆笑したという。ホントに性格の悪い二人である。
このことを思い出したにゃおんちゃんは、嫌がらせ観光の総仕上げとして朝鮮HOOTERSに突撃し、後でチョッパリーズの皆に報告してやることにしたのであった。


と、そんな感じでニヤニヤしながら店内へ突入。あ、店が店だから違う意味でニヤニヤしてると勘違いされてしまうね。必死に笑いを堪えながらウェイトレスが注文に来るのを待つ。
と、その間に店内を見回すが・・・。店内には客はまばらで、暇そうなウェイトレス達が厨房の入口で立ち話をしている。
うーん、リアルで見ると別にブサイクじゃないな。ホームページに載っていた連中は爆笑モノだったのに。

注文したハンバーガーとチキンを食っていると、ウェイトレス二人が話しかけてきた。報告用に写真を撮らなきゃいけないので、写真撮ってもいい?と頼むと、二人とも快く承諾してくれた。
数枚の撮影を終了すると、そのうちの一人が撮った写真を見たいと言うので、求められるがままに見せてやったのだが、その際に他の場所で撮った写真も見られてしまった。幸いなことに588で撮った写真は見られずに済んだが、西大門刑務所の写真を見た彼女が一言。
「ohhh, Japan bed~」。bedと聞こえたが、badと言っているのだろうということはすぐに分かった。あーあ、やっぱり西大門刑務所は日帝の極悪統治の象徴みたいな場所にされてるんだねぇ・・・。
場所が某三国人チャットなら、こんなことをほざいた朝鮮人は泣くまで責めたてるところだが、こんなところで小娘相手に説教かますのはあまりにナニだし、彼女もそれ以上余計なことを言わなかったので、聞かなかったことにしておいた。
帰り際にもうひとりのウェイトレスに明日の予定を聞かれたが、残念明日は朝早い飛行機で日本へ帰るのよ~。

にゃおんちゃんに明日の予定を尋ねてくれる『日本人』のウェイトレスさんはいないんでしょうか・・・。

ちなみに、この当時(2009年秋)にはHOOTERSはまだ日本に進出しておらず、またにゃおんちゃんがこの時に行った狎鴎亭店は2010年5月に閉店しているそうだ。論峴と龍山にも店があるそうなので、興味のある人はどうぞ。



◆黒猫は嫌韓の果てに何を見た?

食事を終えたが、ホテルへ戻るにはまだ早いので、どこかで一杯やってから帰ることにしよう。今度こそ新村へ行こうかと思ったが、明洞にいい雰囲気のバーがあったことを思い出したので、そこへ行くことにした。

初めて京城に来たのは・・・えーと5年くらい前だったか?10日間くらい滞在していたのだが、殆ど毎晩あの店に顔を出していたような気がする。スタッフとも仲良くなって弘大入口のクラブに連れて行ってもらったりしたんだよな・・・。
あの頃から既に嫌韓と言えば嫌韓だったが、あの頃はリアル朝鮮人がこんなに性根の捻じ曲がった連中ばかりだと思ってなかったからなぁ。まだ純粋だったんだよな、あれでも。
でも、不愉快なこともたくさんあって、さらに人間不信ならぬ朝鮮人不信というか、民族レベルで朝鮮人の人間性を疑わざるを得ないような出来事がいくつかあって、あれからにゃおんちゃんの嫌韓は加速したような気がする。
もちろん、某三国人チャットやエンコリで遭遇したろくでもない朝鮮人ども、というロケット燃料がその加速を3倍速くらいにしたわけだが。

そんなことを考えながら店へ向かったのだが、いざ店の前まで来ると中に入るのがどうしようもなくためらわれた。
なんか、どんな顔して彼らに会えばいいのか分からなかったんだよね。あれから5年も経ってるからスタッフは入れ替わってるのだとしても、オーナーのマスターはいるんだろうし。
にゃおんちゃんはもうあの当時の、文字通りイノセントなにゃおんちゃんじゃないんだな。朝鮮人に対する嫌悪と不信と警戒心はもう隠しようのないレベルになってるし。
これはもうダメだね。にゃおんちゃんは金輪際この国に来るべきではないし、朝鮮人と関わるべきではないね。
結局、店の中には入らずその場を立ち去ることにした。

予期せぬ形で答えを見つけてしまったことがショックだったのか、当てもなく彷徨っていると南大門に辿り着いた。
2008年に放火によって焼失した南大門は復元工事の真っ最中だった。外壁によって覆われているので、復元工事の様子は全く伺えないが、工事現場を取り囲むフェンスに各時代に撮影された南大門の写真パネルが掲示されていた。
その中でこんなものを発見して噴きそうになる。゙;`;・(゚ε゚ )ブーッ!!

李朝時代の南大門
李朝時代(1890年代)に撮影された南大門の写真。
門の前に立ち並ぶ掘っ立て小屋をとくとご覧あれ。


おいおい、こんなものを公衆の面前に晒していいのか?自尊心(≒虚栄心)を傷つけられた朝鮮人が、また放火しそうで怖いんだが・・・。
結局、南朝鮮最後の夜はおとなしくホテルに戻り、コンビニで買った缶ビールを飲んでさっさと寝たのであった。だって次の日のフライトが朝8時だったからね。


≪完≫


スポンサーサイト

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

20:18  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2013.01.28 (Mon)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第35回)

いやいや、だいぶ間が空いちゃいましたね。ごめんね。
それじゃ、ボチボチ始めようか。


◆朝鮮のインチキを暴く(三田渡碑編)

さて、笑韓の神様に導かれて蚕室(正確には蚕室の隣にある地下鉄8号線石村駅)へやって来たにゃおんちゃん。
地下鉄駅を出たところで、目の前にあるのはだだっ広い道路と高層ビルとコンビニと銀行くらい。普通の観光客が来るところではない。一体何が目当てでこんなところにやって来たのでしょう?

その答えは「大清皇帝功徳碑(通称:三田渡碑)」。
17世紀半ば、女真族(満洲に住んでいたツングース系民族)の建国した清が朝鮮に対して朝貢と明への派兵を求めると、女真族を野蛮人と蔑んでいた朝鮮王朝は「てめぇら野蛮人に朝貢なんかするわけねぇだろ!ウリの宗主国様は明だけニダ!」とこれを拒否した。案の定、清国皇帝の怒りを招いた朝鮮は激しく攻め立てられ、ボコボコにされて屈辱的な内容で講和条約を結ぶ羽目になった。(丙子胡乱)

そして、この三田渡碑はその際に朝鮮王が清国皇帝に9回地面に頭を擦り付けて服従を誓った(三跪九叩頭の礼)ことについての記念碑なのである。
この石碑には満洲語の碑文が刻まれているのだが、その内容を要約すると「大馬鹿の朝鮮王は愚かにも偉大な清国皇帝に逆らった。清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった。良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するため、この石碑を建てることにする。」というもの。

朝鮮人はこれでも<`Д´ #>「ウリナラは中国の属国だったことはないニダ!」と言い張るのだろうか?
ちなみに、このときの講和条約の内容たるや凄まじいもので、詳しくは以下のとおり。

1.朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
2.朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと
3.王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
4.清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
5.内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
6.城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること
7.清に対して黄金100両・白銀1,000両と二十余種の物品を毎年上納すること
8.清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること
9.清が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること
10.清からの逃亡者を隠してはいけない
11.日本との交流を許すこと

どうですか?凄いでしょ?
ちなみに、7番の「二十余種の物品」ってところに、朝鮮が毎年朝貢していたと言われている牛や馬、宦官や処女などが該当する。
「処女3,000人を毎年貢いでいた」ってのは眉唾らしいけどね。当時の朝鮮の人口を考えると無理ありすぎるし。

しかし、清の属国だった国は多々あれど、ここまで屈辱的な扱いを受けた国も珍しい。
実際、朝鮮は清の属国の序列でも最低ランクに位置づけられていたからね。元々国力が貧弱なのに無駄に逆らったせいで余計に待遇が悪くなったのだろうかね?
ま、朝鮮人が致命的な外交ミスを犯すのは別にこれが初めてでもないし、最後でもない。究極の二択をさせたら絶対に間違えるんだから、あいつら。


三田渡碑のある公園
朝鮮のインチキを暴く土下座碑はこんな普通の公園の片隅にあった・・・。

石村駅を出てすぐに路地へ入り、住宅街の中を進んでいくと公園がある。
そして、三田渡碑はその公園の片隅にポツンと立っていた。周りにはマンションや一戸建ての住宅が建ち並び、公園では近所の子供たちがキャッチボールしてたりなんかする。そんな平穏な日常に満ちたごく普通の公園の片隅に、朝鮮人の自尊心(≒虚栄心)を吹き飛ばしかねない危険なブツがひっそりと鎮座していたのであった。

そのギャップたるや凄まじく、一瞬言葉を失い立ち尽くすにゃおん氏。すぐに気を取り直して観察に取り掛かり、さらに写真を撮り始めるが、公園で遊んでいた小学生達が不思議そうな顔をしてこっちを見ている。
ま、今のあんたらにはこの石碑の意味など分かるまい。いや、知らないほうが幸せなままでいられるのかもな。

そう、南朝鮮政府はこの石碑の存在を隠匿してるのである!
一応、大韓民国指定史跡101号として文化財扱いはしているが、朝鮮が中国の属国だったことを学校でまともに教えていないのだから、こんなヤバい石碑の存在について触れられるわけがない。
実際、某三国人チャットで多数の朝鮮人と丙子胡乱について議論したが、この石碑の存在を知っていた奴はたったの2人である。しかも、そのうちの1人は「三田渡碑」という文字を見た途端にファビョってしまい、殆ど話にならなかった。
朝鮮人が説く朝鮮の歴史なんか、三田渡碑と訓民正音を持ち出すだけで簡単に論破できる。「三田渡碑の碑文を読め、訓民正音を読め(ただし原文で)」って言うだけ。
ま、あいつら漢字読めないからダメなんだけどね。


土下座碑本体
これが三田渡碑の本体。
本来は対になっているのだが、石碑の片方は滅失して土台だけになってしまった。

しかし、一応こうやって保護してるだけ南朝鮮政府はまだマシ。
あいつら、日清戦争後の1895年と第二次大戦終了後の1956年に「こんな恥ずかしい石碑は埋めてしまうニダ!」ってホントに埋めやがったからな。
しかし、漢江の洪水によって埋めたはずの石碑が再び姿を現してしまい、1913年には当時の日帝が、1963年には南朝鮮政府がこれを保護して立て直している。埋めても埋めても姿を現す三田渡碑の呪い・・・。

石碑のある公園は地下鉄駅から近いとはいえ、石村は漢城の中心部からかなり遠く、余裕で1時間くらい掛かる。正直、面倒だったのだが、どうしても今のうちに見ておく必要があった。その理由は石碑の隣に立っているレリーフにある。
実はこの三田渡碑は元々この場所にあったものではない。埋めたはずの石碑が1963年に再び姿を現したとき、置いておくのに適当な場所が無かったのでここに置いただけ、ということらしい。
近年、近隣住民からの要望(この石碑の正体を知ってしまった不幸な朝鮮人が荒らしに来るから)でこの三田渡碑を本来あった場所(蚕室のロッテワールド内らしい)に戻そうという動きがあり、その際に「石碑は歴史的遺産なのでちゃんと移設するが、付属のレリーフには歴史的価値は無いので移設しない(解体する?)」という内容の記事をウリナラチラシで見かけたことから、これは移設される前に何としても見ておかないと!と思ったのであった。
そんなことでもなけりゃ、わざわざこんな漢城の端っこまで来ませんよ。

朝鮮人の皆さん、にゃおんちゃんはもう証拠写真撮っちゃったからね。
移設にかこつけて土下座レリーフを破壊しても、無かったことにはできませんからね。


土下座レリーフ
これが付属のレリーフ(通称:土下座レリーフ)。
朝鮮王が三跪九叩頭の礼を行う様子が描かれている。



≪つづく≫


テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

22:25  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2012.09.18 (Tue)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第34回)

すんません、ちょっと国外逃亡していたので、更新が遅れました。
あと1~2回で終了する予定です。


◆朝鮮のインチキを暴く(西大門刑務所編 その2)

さて、西大門刑務所の中へ入ってみた。
刑務所だから薄暗いのは仕方ないが、古い建物にも関わらず内部も綺麗にされていて状態は良好。

しかし、天安の独立記念館と同様に、日本人の悪辣さを表現した蝋人形が各部屋に展示されていて大笑いする。おいおい、ここは刑務所だろ。これ、どうみても取り調べの際に被疑者に拷問を加えてるシーンじゃないか。
仮に取り調べ段階でそういうことがあったとしても、当時の朝鮮の警察官は幹部クラスで3割、一般警官で7割が現地採用の朝鮮人だぞ?朝鮮人が朝鮮人を虐げただけじゃねーか。
それに、こういうこっぴどい目に遭わされたのは共産主義者やテロリストじゃないのか?共産主義者やテロを企む連中については、日本人であっても苛烈な取り調べが行われたわけで、朝鮮人だけが狙い撃ちにされたわけではない。

西大門刑務所の蝋人形
「ウリ達は日帝警官にこんなひどい拷問を受けたニダ!」と言いたいらしい。
当時、朝鮮にいた警察官の70%は朝鮮人なんですが・・・。


そもそも、やれ強制連行されただの、やれ独立運動を弾圧されただの、嘘ばっかりいいやがってこのアホが。
日韓併合によって日本国民になった途端に本土へ大量に押し寄せて、あちこちで犯罪やら現地人とのトラブルを引き起こして、渡航制限食らったくせに何言ってんだ。国内の移動すら制限したくなるようなゴロツキ土人をわざわざ何百万人も連れてるわけねーだろ。
戦時徴用だって当時の国民の義務だ。朝鮮人は戦地へ送っても役に立たないから、銃後を支える労働力として活用されただけじゃないか。「清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教える事」とか「危険な状況下では銃を投げ捨ててアイゴー!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ」なんて通達が出される腰抜けのバカに日本軍の兵士なんか務まらんだろ。

自称独立運動家のテロリストが弾圧されるのは当然のこと。南鮮国内で北鮮命の共産主義者がテロを起こしたら、お前らは当然取り締まるだろ。だいたい、当時の朝鮮には独立運動家なんていない。目ぼしい連中は上海に逃亡して臨時政府を立ち上げたが、これを承認したのは連中のスポンサーだった蒋介石の中華民国のみ。イギリスもアメリカもソ連も、こんな連中の集まりを朝鮮の正統な解放組織として承認していない。
日本に宣戦布告だけはしたものの、ゲリラ活動をする資金もなけりゃ賛同する連中もおらず、アヘンとエロ写真を売って稼いだなけなしの資金を巡って内輪揉めを繰り返していたアホばっかりじゃねーか。


話を西大門刑務所に戻そう。
各部屋の内部には蝋人形が、そして通路には当時の新聞記事や判決文、警察の内部文書などが展示されているのだが、これを見ると収監された連中の罪状は「強盗、殺人、放火」等々・・・。

ただの刑法犯じゃねぇか、馬鹿野郎!

こんな犯罪しでかした奴はどこの国だろうが逮捕されるに決まってるだろ、このマヌケ朝鮮人が。どうして、これを見て「日帝はウリナラ義士を弾圧した!」という発想になるのだろうか?
唐辛子の過剰摂取で脳みそのしわが無くなってしまったのかい?

展示されていた資料のひとつ
展示されていた資料のひとつで、当時の新聞記事をパネルに起こしたもの。
「郵便自動車等三臺襲撃」と書いてあります。要するに、ただの強盗犯ですね。



あーあ、つまらないものを見て時間を無駄にしちゃったよ。
というわけで、西大門から興化門の前を通って、さらに鐘閣へ移動。さて、これからどこへ行こうか?
そのとき、またしても笑韓の神様からの啓示が。ピコーン

地下鉄2号線に乗り、京城郊外の蚕室を目指すにゃおんちゃん。

普信閣
鐘閣のランドマーク「普信閣」。
現在の楼閣は1977年に再建されたものだが、実はオリジナルとはまるで違う。
オリジナルはえらく貧相な楼閣で、こんな立派なものではない。
南鮮にはこのようなインチキ復元された歴史的建築物が多数あるので注意すべし。



≪つづく≫

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

21:47  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2012.08.04 (Sat)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第33回)


◆朝鮮のインチキを暴く(迎恩門編)

さて、前回の記事に登場した「独立門」だが、反対側から見るとこんな感じになる。


独立門(迎恩門)
独立門(迎恩門あり)

独立門の前に柱が2本立っていることに気づいただろうか?
実はこれこそが「朝鮮が明や清の属国だったことを示す証拠」である。
今となっては柱しか残っていないが、かつてここには「迎恩門」という門があり、明や清から皇帝の使者がやって来た際には朝鮮王がここまで出向き、「三跪九叩頭の礼」という支那方式の土下座して勅使を迎えたという。
半万年も飼い殺しにしたくせに、「(支那様が朝鮮に与えた)恩を迎える門」なんて名前をつけさせているところに中華思想の本質が現れている。

下関条約によって朝鮮が独立した際に、迎恩門は取り壊されて独立門が建てられたため、今では柱しか残っていない。
というわけで、いくら朝鮮人が「ウリナラは中国の属国だったことはないニダ!朝貢をしていたが、あれはヤクザにみかじめ料を払っていたようなものニダ!」と言い張っても、この迎恩門の存在が事実を物語っている。

ちなみに、那覇市にある守礼門も同じような性格の建物。かつての琉球王国は支那王朝の冊封体制下にあったからね。
ということは、ベトナムにもこんな建物があるのかな?


しかし、殆どの南鮮人はこの迎恩門の存在を知らない。確かにこんな古ぼけた柱に興味を持って色々調べる人間もいないが、それ以前に南朝鮮政府が李氏朝鮮は中国の属国だったことをきちんと教えていないのだから当然だ。
すぐ近くに「迎恩門柱礎」と書かれた石碑が立っているが、漢字で書かれているので漢字教育を受けていない現代南鮮人には読めない。

というわけで、某三国人チャットでも迎恩門について知る南鮮人はまずいない。100人中1~2人が知っていれば上出来。珍しく迎恩門がどういう建物だったか知っていた奴も、にゃおんちゃんが迎恩門について話を振っただけで火病を起こす始末。
植民地から独立した国は世界中にたくさんあれど、「植民地だった過去自体を隠匿する国」なんて南北朝鮮くらいじゃなかろうか?

迎恩門柱礎
迎恩門があったことを示す石碑


というわけで、南朝鮮人には謹んで次の画像を送りたい。

みんな頭おかしい



◆朝鮮のインチキを暴く(西大門刑務所編)

独立門(迎恩門)の見学を終えた後、すぐ近くにある西大門刑務所へ向かう。
実は独立門も西大門刑務所も2003年に初めて南朝鮮に来た際に見ているのだが、「嫌がらせ観光」という今回の趣旨と、三国人チャットで永代部屋長氏との会話で気になったことがあったことから、再度見に来ることにしたのであった。

西大門刑務所は日帝統治下の1908年に建てられた、朝鮮初の近代的刑務所。
それまで未開国家だった朝鮮が、近代国家である日帝によって統治されることになりあらゆるインフラの整備が進められたが、この西大門刑務所もそのひとつ。
「刑務所もインフラのひとつ」と言われてもピンと来ないが、両班(朝鮮の貴族階級)の気分次第で残虐な刑罰がまかり通っていた李朝とは異なり、日帝は罪刑法定主義をとる法治国家だったのだから刑務所の整備は当然必要になる。

しかし、南鮮人はそういう事実を踏まえないで「西大門刑務所は朝鮮人を弾圧するために作られた強制収容所ニダ!」などと言い出すのだから、あいつらの頭の悪さは尋常ではない。何言ってんだ、お前らは独立後もここを刑務所として使い続けて、軍事政権時代には政治犯を収容しまくっていたじゃねぇか!
もっとも、南朝鮮政府がこの建物を「日本の過酷な朝鮮統治」の象徴にしておどろおどろしい演出をしてるからなんだけどね。
南鮮人は一度カンボジアのトゥールスレン刑務所でも見てこい。クメール・ルージュやお前の国の軍事政権に比べたら、日帝なんか仏様だぞ、ほんとに。w

西大門刑務所正面入口
西大門刑務所正面入口


さて、中に入ると相変わらず綺麗にされていて驚く。作られてから100年を超える建物だが、きちんと手入れされているようで状態は極めて良好。南朝鮮政府にしてみれば、反日教育を煽るための大事な施設だからなのか?
建物のデザインはちょっとイカツいものの、レンガづくりなこともあって温かみがあり、中庭には綺麗に芝が張られているので、実はここは明治時代の官営工場なんですと言われても違和感がない。
こんなのに比べたら、ミンスク(ベラルーシの首都)に立ち並ぶスターリン様式の建築物のほうがよっぽと威圧感があって怖いわ。しかも、あっちは刑務所でもKGBの施設でもなく、ただの役所だったり一般市民が住んでるアパートだったりするんだぞ!

しかし、そんな気分は建物内部に入ると一転、ここからは朝鮮人の妄想が炸裂するウリナラワールドが繰り広げられることになる。
何も知らず・何も考えずに見てしまうと、南朝鮮政府の演出にまんまと騙されて「日本人はなんてひどいことを!」なんて思ってしまうのだろうが、それが連中の狙いなんですよ。日本人がそんなことではいけませんよ。日本語を理解する日本人なら、少しばかり注意深くその演出を観察してみてください。にゃおんちゃんが「それは鮮人の妄想が具現化したものであり、反日思想を煽るための演出だ」と言う理由が分かりますから。

さて、「朝鮮お笑い道場」と化している建物内部の紹介については、次回に。

西大門刑務所内部
西大門刑務所内部



≪つづく≫


テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

15:10  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.07.28 (Sat)

2009カザフスタン・南朝鮮旅行記(第32回)

3年も前の旅行記をまだ引っ張っているとは・・・。
ごめんなさい、速やかに終わらせます。


◆梨泰院の夜

清涼里でしぶとく生き残っていた置屋の見学を済ませると、タクシーで梨泰院へ向かった。梨泰院は東京でいうと六本木みたいなところで、京城に住む外国人が多く集まる繁華街。
どこかで酒を飲んでからホテルへ帰ろうと思っただけで場所は別にどこでも良かったのだが、清涼里からだと新村は遠いが梨泰院なら帰り道の途中だし、外国人が多い場所だから英語が通じるので余計なストレスが無い。

タクシーで移動すること約20分、久しぶりにやって来た梨泰院。もう地下鉄も動いていない真夜中だというのに、この一帯だけは道路が渋滞していて、多くの外国人で賑わっている。しかし、京城に来たときは新村か鐘閣あたりで飲むことが多いので、実はにゃおんちゃんはこの街をあまりよく知らない。
ここに来たときはいつも某ホテルの中にあるクラブへ行くのだが、そういや前回あそこに行ったときはチョッパリーズの大僧正氏が一緒だった。シャイな大僧正氏は自分から女の子に声を掛けることができず、仕方ないのでにゃおんちゃんが女の子を引っ張ってきて彼にあてがってやったことがある。首尾よくお持ち帰りに成功した大僧正氏だが、ゴムを持っていなかった彼は同じホテルに泊まっていた永代部屋長氏を訪ねて分けてもらったそうな。次の日に永代部屋長氏と会った際にその話を聞かされて大笑いした記憶がある。

そんなろくでもない思い出に浸りながら、落ち着いて飲めそうなバーを探して梨泰院の路地をウロウロする。今夜は例のクラブに行きたい気分ではない。
結局、梨泰院をほぼ一周した後にメインストリートに面したビルの中にあるバーに入ってみる。木の暖かみを生かした落ち着いた内装で雰囲気は良さそうだ。ここは龍山の米軍基地が近いので、米兵達が大騒ぎしてるパーやクラブが多いのだが、このこじんまりした店ならそんな喧騒に巻き込まれる心配も無さそうだ。客は4~5人組の南鮮人女性の一団のみで、彼女達は奥のテーブル席で何やらサイコロを使ったゲームに興じている。


カウンター席についたにゃおんちゃんはバーボンをオーダーする。旧ソ連諸国はウォッカが安いうえに種類も多いので、あっちにいるときはどうしてもウォッカばかり飲んでしまう。こんな店でゆっくりとバーボンを飲むのも久しぶりだ。
英語の通じるバーテンと世間話をしていると「朝鮮語は分かるか?」と尋ねられたので、悪口だけなら分かると答える。すると、「どんな悪口?」と尋ねてくるので、20種類ほど決まり文句や単語を披露したところ、「一体どこでそんな言葉を覚えたのだ?」と驚かれる。悪口だけは20種類も覚えてるくせに、まともな単語は殆ど知らないのだから、彼が驚くのは当然だろう。某三国人チャットで朝鮮人に毎日悪口を言われ続けた成果なのだが、説明するのが面倒なので「悪い友達に教えられた」と答える。

バーテンと世間話をしながら奥のボックス席にいる女性達がやっているゲームを眺めていると、彼女たちのひとりと目が合った。すると、彼女は何やら朝鮮語で話しかけてくる。どうやら「一緒にゲームする?」と言っているらしい。
言葉が通じないうえにどんなゲームをやっているのかも分からず、バーテンに救いの目線を送ると、カウンターの隅に立っていたウェイトレスの女性がやって来てつたない英語で説明してくれた。しかし、ウェイトレスの英語はメチャクチャすぎてルールどころか何を言っているのかすら理解できない。しばらくゲームを眺めていたがやはりルールは掴めず、またそれほど面白そうなものにも見えなかったので、彼女達からの誘いは断って席に戻った。


カウンターへ戻ると、さっきまで店の隅っこにいたウェイトレスがやって来て、にゃおんちゃんとバーテンの会話に加わってきた。さっきはメチャクチャな英語(しかも酷い朝鮮訛り)を披露した彼女だが、我々の会話は理解できるのだろうか?話すことはできなくても相手の言うことは理解できる、というレベルなのかもしれない。
やがて、彼女はバーテンに通訳を頼んでにゃおんちゃんの身の上について色々質問してきたため、段々ウザくなってくる。うーん、色々と取り留めのないことを考えながら一人で静かに飲んでいたかったのだが・・・。
ついには、バーテンから「彼女は君の事を気に入ったようだ」と言われ、ウェイトレスの熱視線を浴びながら酒を飲む事態となった。今夜はもうお開きだな、こりゃ。

どうしてこうなるかなぁ・・・。自慢にもならないのだが、どういう訳かにゃおんちゃんは朝鮮人にはモテる。すみませんが、支那人と朝鮮人はお断りしています。
もっとも、あいつらは相手が若い日本人ならダボハゼみたいに食いつくのだが。

嬉しくない・・・。
寿命が半分になってもいいから、日本人女性にモテモテになりたい・・・。

夜の梨泰院
夜の梨泰院



◆朝鮮のインチキを暴く(独立門編)

明日の朝の飛行機で日本へ帰るので、今日が今回の旅行の最終日となる。
特にすることは無いのだが、今回の南朝鮮滞在の趣旨が『嫌がらせ観光』であることを踏まえ、ネタになりそうな西大門へ行くことにした。ここには迎恩門や独立門、西大門刑務所など、いくつか絶好のネタがある。

という訳で地下鉄に乗って西大門へ移動。地上へ出ると真っ先に目に飛び込んでくるのが、この「独立門」。長年にわたり清国の属国だった朝鮮が、1895年の下関条約により独立が認められたことを記念して建てられたものだ。
南朝鮮政府は李氏朝鮮が清や明の属国だったことをきちんと教えていないので、これが「日帝からの独立を記念したもの」と勘違いしてる朝鮮人がたくさんいる。
反日教育が徹底している南朝鮮では、殆どの連中が日韓併合が1910年に行われたことを知っている。なので、朝鮮には時系列を無視するアホが大勢いるとはいえ、連中の悪い頭でもこれくらいの矛盾には気づく。
何のことはない、南朝鮮政府が独立門が建てられた年や経緯をきちんと教えていないからこんなことになるのだ。

日本が併合する前から独立門は存在してるんですよ。
したがって、日本からの独立を記念したものではないということですね。分かりましたか、朝鮮人の皆さん?



実際、三国人チャットでもこの辺の経緯をきちんと押さえている朝鮮人はたった数人しか見たことが無い。90%以上の朝鮮人は意気揚々と「日帝からの独立を記念して建てたものだ」と答えるのだが、独立門ができたのはいつですか?というツッコミを食らうと途端に火病を炸裂させる。
連中がいきなりファビョるのは、間違いを指摘されて恥をかかされたという理由のみならず、年代から推察して「清の冊封体制からの独立」だったことに薄々気づいてしまうからなのだと思う。
だって、朝鮮の宗主国って日本以外には歴代の中国王朝しかないわけだからねぇ・・・。

素直に認めりゃいいのに、虚栄心だけは人一倍の朝鮮人にしてみれば、(朝鮮人から見て)格上の日本に支配されたのはともかく、「自分たちよりも貧乏で不潔で馬鹿な中国人に支配されていた歴史」なんて認めがたいものなんだろう。
っていうか、朝鮮人よ。お前らはデタラメに中国を見下すが、お前らが支那人よりもいい暮らしをしていた歴史なんて、20世紀以降のたったの100年程度に過ぎないんだぞ。日本に併合されるまでは糞にまみれて暮らしていた(※1)くせに生意気言うなよ。

※1:朝鮮人の衛生観念
当時の朝鮮には「トイレ」というものは存在しておらず、当時の朝鮮七大名物として「糞、煙管、蚤、娼妓、虎、豚、蝿」が挙げられていることから分かるとおり、李朝末期や大韓帝国時代に朝鮮を訪れた外国人の旅行記にはことごとく「道端のそこらじゅうに転がっている黄金の花」に関する記述が登場する。
イギリス人旅行家イザベラ・バード女史の旅行記にも「漢城(ソウル)は穢いことと臭いことでは世界一」と書かれているし、大韓帝国を訪問した日本人の旅行記にも「朝鮮人の生活は犬や豚のようだ」と書かれている。
朝鮮人のこの衛生観念の低さは日本人が35年間教育した程度では治らず、南朝鮮は今でも公衆衛生のレベルが極めて低い感染症大国である。もし、朝鮮の気候が高温多湿だったら、朝鮮人は食中毒と感染症で絶滅していたに違いない。

独立門
独立門


さて、我々が独立門をネタに朝鮮人をファビョらせるのはこれだけではない。
独立門の扁額(門の上部にある)に揮毫したのは誰か。この質問をしても朝鮮人は確実にファビョる。

まず、連中はそもそもこの質問に答えられない。もっとも、そんなことまで学校の授業で習うわけではないので、知らなくても仕方がない。しかし、この門とは直接関係がない日本人のにゃおんちゃんが知ってるのに、お前らが知らないってどうなのよ?
こうやって挑発すると連中は必死に調べるのだが、何も見つからない。そりゃそうだ、最初から存在しないものや、政府によって隠匿されてるものは見つからないよなぁwww

(´∀`)それでは、無識(朝鮮語では「無知」を意味する)な朝鮮人のために教えてあげましょう。答えは「李完用」です。

<`Д´;> ウリナラの独立を記念する建物に、親日派の売国奴の李完用が揮毫なんかするはずがないニダ!

(´∀`)お前らは「李完用=朝鮮を日本に売りとばした売国奴」としか思ってないから、理解できないんですね。独立門を建てた「独立協会」は、そもそも徐載弼と李完用が創設した団体なんですよ。

<`Д´;> ファビョーン!歪曲ニダ!捏造ニダ!

(´∀`)独立協会は朝鮮を立憲君主国家にしようとした開化派が作った政治団体ですよ。

<`Д´;> 李完用が開化派なはずがなくて!独立協会は日帝が圧力を掛けて潰したの!

(´∀`)あのー・・・独立協会に解散を命じたのは高宗ですよ?絶対王政を維持したい高宗と保守派が結託して独立協会を潰したんですよ。

<`Д´;> 歪曲なの!お前の言うことは全部嘘なの!

(´∀`)「素晴らしい朝鮮」を妄想したい朝鮮人は、全てを日本のせいにして、近代化のチャンスを自ら潰してしまったことを認められないのですね。

<`Д´;> グギャー!このチョッパリ!くぁwせdrftgyふじこlp!


≪つづく≫


テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

21:31  |  2009カザフスタン・南朝鮮  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。