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2006.03.15 (Wed)

【世界の香ばしき国々】第7回:ソマリア(Part2) - 世界から見捨てられた国

前回の記事の続きです。

◆ブラックホーク・ダウン
バーレ政権崩壊後、USCではアリ・マハディ・モハメドが暫定大統領に就任するが、途端に内部抗争が始まるという馬鹿国お決まりのパターン。半年後にはこれに嫌気がさしたSNMが自分達の拠点である北部地域(旧イギリス領ソマリランド)を分離し、「ソマリランド共和国」として独立を宣言してしまう。

モハメド・アラー・アディード将軍一方、SNMに逃げられたUSC内でもモハメド大統領派と、軍を掌握するモハメド・アラー・アイディード将軍派が対立し始める。アイディードはハウイヤ氏族出身で、バーレ政権下でモスクワに留学した経験を持つプロの軍人。同じハウイヤ氏族の強力な民兵を率いており、かつてはバーレ政権の一員であったことからソ連製の兵器を豊富に有しており、難なくモハメド大統領を国外に追放する。追放されたモハメド大統領は国連に泣きつき、国連平和維持活動(PKO)部隊の派遣を要請する。
ただでさえ旱魃で食糧難だというのに長年に渡る内戦の結果、軍閥もどきやら武装強盗やらが跋扈するようになったソマリアでは大量の難民が発生して周辺国へ流出していたことから、国連安全保障理事会は'92年に米国軍を中心とする多国籍軍の派遣を決定した。

ところが、アイディード派は国連軍に対して宣戦布告し、パキスタン兵への襲撃を皮切りに次々と国連軍を攻撃するようになる。国連は食料配給と引き換えに武装解除を進めようとしたが、氏族から見れば武力を失えば自分たちの支配力失うことになるのだから、こんなものに応じるわけがない。
事態を重く見たアメリカは「アイディード派幹部を逮捕しないことにはソマリアに平和は来ない」と判断し、主にデルタフォースとレンジャー部隊によって構成された特務部隊を派遣する。ところが、アイディード派民兵から予想以上の反撃に遭い、兵士達が乗っていた輸送ヘリが撃墜されて大規模な市街戦に発展する惨事となった。
アイディード派は民兵に引き回される米軍兵士の遺体や捕虜にしたヘリのパイロットの映像を全世界ばらまき、この衝撃的な映像を見たアメリカ国民は大激怒。当時のアメリカ大統領ビル・クリントンは撤退を即決。1995年3月には国連軍がソマリアから完全撤退し、この国は国際社会から放置されることになる。
なお、この事件は後に、「ブラックホーク・ダウン」というタイトルで映画化された。


◆アメーバのごとく分裂増殖する自称「国家」
当面の敵がいなくなると、途端に内部抗争を始める。それが馬鹿国クォリティ。

ソマリアも例外ではなく、国連軍が去った途端にアイディード派の財政を支えた実業家アリ・アトが離脱し、将軍派とアト派の抗争が始まった。この抗争の最中にアイディード将軍が戦死し、アメリカへの留学経験があり元アメリカ海兵予備隊の伍長という経歴を持つ三男のフセイン・アイディードが後継者になる。
ケニアやエジプトが和平工作を持ちかけたがことごとく失敗し、しまいには'98年に北東部のダロッド氏族が「プントランド共和国」の樹立を宣言し、今まで静観を保っていた北部のイサック氏族(ソマリランド共和国)と領土紛争を始める始末。

遠く離れたアメリカはいざ知らず、隣国のケニアやジブチにとっては、難民が流れ込んで来たり、武装強盗に国境周辺を荒らされるのでソマリアを放置しておくわけにはいかない。
という訳で2000年にアラブ諸国が主導となってジブチで和平会議が開催され、氏族の代表らが集まり暫定政府樹立に向けて協議を行い、その結果アブディカシム・サラ・ハッサンを暫定大統領とする政権を発足させた。しかし、これはアラブ諸国主導で作られた政権であることから、アイディード派などの有力氏族はもちろんのこと、ソマリランドなどの独立勢力さえも暫定政府を「ジブチの傀儡」として承認せず、その後も内戦は続いた。


ちなみにこのハッサン大統領という男、アルカイダ系のイスラム原理主義テロ組織アル・イテハドの出身といわれている他、アラブ首長国連邦の企業集団バラカート・グループとの関係が取り沙汰されている。このバラカート・グループはソマリアで通信や金融などの事業を手広く行っていたが、後にアルカイダの資金源となっているとしてアメリカから取引停止を食らったいわくつきの企業だ。
ソマリアにはアルカイダの軍事訓練施設があるといわれており、アフガニスタンがアメリカに攻撃されると幹部がここに逃げ込んだと噂されている。アメリカでは、アフガニスタンのタリバン政権を打倒した後に「テロリストの隠れ家となっている」としてソマリアを攻撃するのではないかという噂があり、実際に国防総省などで検討されたようだが結局中止になっている。

湾岸戦争当時、アメリカ大統領パパ・ブッシュ周辺の石油関係者が何やら動いていた形跡はあるのだが、にゃおんちゃんのつたない英語力では全ての記事や資料を読むことができず、はっきりしたことは分からなかった。もしかすると、ソマリアにはアメリカが介入したがるだけの石油が埋蔵されているのかもしれない。


さて、この暫定政権は求心力が全然無い連中が集まって作ったものだけに状況は一向に改善されず、2002年にはこれに対立する南部の有力氏族達が南西部に「南西部地域自治政府(南西ソマリア)」を樹立してしまう有様。余計に分裂を促進してどうするんだ、こら。
これだけで既にアイディード派(ソマリア民主共和国)、イサック氏族(ソマリランド共和国)、ダロッド氏族(プントランド共和国)、南部の有力氏族(南西ソマリア)と四つの自称「国家」がソマリア領内に乱立している。さらに各勢力の統治が及ばない地域には有象無象の氏族や盗賊が存在しているわけだから、もう誰も手を付けられない。

しかし、難民や盗賊のみならずテロリストまでソマリアから輸出されて困り果てているケニアは、2004年に再び和平調停の場をお膳立てする。この会議にはソマリランドを除く各派が参加し、プントランド大統領のアブドゥラヒ・ユスフ・アーメドを暫定政権の新大統領に選出した。
このケニアの暫定政権は、2000年にジブチで設立された暫定政府を継承している他、ソマリランドを除く各派から閣僚が選出されているので、現状では一番正統な政権と言えるのかもしれないが、この政権を承認している国は今のところ殆ど無い。


◆現在の状況
現在のソマリアは無政府状態に相応しい香ばしさ満開で、難民支援のNGO職員などを狙った誘拐・殺害事件が多発し、2004年には国境なき医師団の現地責任者が殺害されている。また、近年ソマリア沖には海賊が出没するようになり、漁船を拿捕して乗組員を誘拐したり、国連の援助物資を強奪する事件が発生している。
自国民を助けに来たボランティアを誘拐・殺害するとは何事か、この馬鹿どもめ。お前ら、皆死ね。

さて、各自称「国家」の紹介をしておこう。

・ソマリランド共和国
1991年にイサック氏族を中心とした北部の住民が建国。旧イギリス領ソマリランドを実効支配し、ハルゲイサを首都とする。
選挙による民主的な政治が行われており、政情は安定している。外交関係も、どこからも国家として承認されていないにもかかわらず、隣国エチオピアとは緊密な関係を築くなど、分離国家としてはよくやっていると思われる。ただし、同じくソマリアからの分離を宣言したプントランドとは国境紛争を抱えていることから敵対関係にある。
比較的安定した国家運営が行われているだけに、この国はソマリアの暫定政権には激しく反発しており、再統一は極めて困難と思われる。

・プントランド共和国
ソマリア北東部3州を支配するダロッド氏族が自治宣言をし、ガローウェを首都として樹立した自治政府。ソマリランドとは異なり、連邦制によるソマリア再統合には賛成している。
'98年の独立以降、2003年まで内乱が続いていたことから、政治的にも経済的にも状態は良くない。が、天然ガスやウラン、鉄鉱石などが埋蔵されている可能性があることが分かり、現在試掘を行っている。

・南西ソマリア
ソマリア暫定政権と対立する有力氏族でつくる「ソマリア和解再生評議会」が、2002年にソマリア南西部6州を領土とし、バイドアを首都として樹立した自治政府。
対立しているといっても、プントランドと同様に連邦制による再統合には賛成している。そもそも、プントランドや南西ソマリアは、再統合ソマリアを連邦制国家とし、自国はその中の一自治共和国を目差していることから、ソマリランドのような完全分離独立志向とは異なる。

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18:28  |  ソマリア  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006.03.14 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第6回:ソマリア(Part1) - ソ連万歳!ただし反共ですが、何か?

4ヶ国目となる今回は某ニーナ氏からのリクエストにより、ソマリアを紹介。
ウクライナの博物館でナチスの制服を見つけて萌えていたところ、一緒に行ったウクライナ人の友達に「このナチスの同盟国民め」という顔で呆れられた過去を持つにゃおんちゃんにとって、ニーナ氏の命令には逆らえません。ジーク、ハイル!


◆国連も見捨てる無法地帯
♪I am an antichrist, I am an anarchist...
と歌ったのはSEX PISTOLSだが、そんなパンクなあなたにぴったりなのがソマリア。イスラム教国なうえに現在無政府状態なのだから。

ソマリア国旗ソマリアはアフリカ大陸の東北端に位置し、インド洋に突出したその地形から「アフリカの角」と呼ばれている。ジヴァの女王の故郷であり、かつてはアラブの商人達の貿易拠点として栄えたこの国も今では荒れ放題に荒れている。
1991年の内戦勃発以来事実上の無政府状態が続き、一応中央政府(暫定政権)は存在するが首都すら満足に支配できておらず、現在国家と呼べるようなものが存在しないという世にも珍しい地域と化しているのだ。というか、ソマリア民主共和国憲法が'91年に廃止され、それ以降ソマリア全土を支配する国家によって憲法が作られていないため、法的にも公式な国家は存在していない。
長年、血で血を洗う抗争を繰り広げてきたカンボジアやリベリア、シエラレオネだって、一時的な混乱で無政府状態になることはあっても、それが長年続くことはなかった。それを考えれば、50万人以上の死者と200万人近い難民を出し、もう15年近く壊滅状態が続くこの国の香ばしさが分かっていただけるだろうか。

ソマリア位置図1992年にあまりの酷さに見かねた国連が国連平和維持活動(PKO)を開始。米軍を中心とした多国籍軍を派遣するが、武装勢力に宣戦布告されて事態の収拾に失敗したうえに殺された米軍兵士の死体がゲリラによって引きずり回されるというショッキングな映像が報道され、アメリカ世論から「あんな馬鹿国は放置しておけ」との反発を招き、散々な目に遭って撤退する羽目になっている。
国連からも見捨てられ、外務省からは退避勧告が出ている危険度A級の国、武装強盗やテロリストが跋扈するアナーキストの天国、それがソマリアだ。

ソマリアは、アフリカの国としては珍しく単一の民族・言語・宗教を持つ国だが、氏族と呼ばれる血縁でつながる地方豪族間の対立が酷く、それが統一国家運営の阻害要因となっている。元々、土地から土地へと渡り歩く遊牧民には国家というものに対する帰属意識低いうえに、大きく分けても6つ、細かく分けると20を超える氏族が互いに好き勝手なことばかり主張し、気に入らないことがあるとすぐに銃をぶっ放す野蛮人ばかりなのだから、今のような状況になるのはある意味必然だったのかもしれない。頭の中が中世から進歩してない輩に近代国家を運営しろと言っても、それは無理なのだ。

面積は約64万k㎡(日本の約1.8倍でアフガニスタンとほぼ同等)、人口は990万人(2004年)、GDPは・・・いつも使っている IMFのサイトに載っていないので不明。国家が無いのだから統計も取れるはずが無いか。


◆独立と大ソマリ主義
ソマリアの地は19世紀中頃までエリトリアやジブチなどと同様にエジプト(ムハンマド・アリー朝)の支配下にあったが、1869年にスエズ運河が開通すると紅海はイギリスとその植民地インドを結ぶ重要な航路となったことから、イギリス軍はソマリアや対岸のイエメン南部といった紅海沿岸の地域に駐留するようになった。
その後、イギリスはソマリアの保護領化を進め、1905年にはイギリス領ソマリランドとして植民地にするのだが、氏族の激しい抵抗にあって内陸部まで支配することができず、北部(紅海沿岸部)の経営に専念するようになる。元々、イギリスは紅海の入口を確保したいがためにこの地に進出したわけで、沿岸部さえ確保できれば、その後背地などどうでもよかったのだ。
一方の南部(インド洋沿岸や内陸部)はアフリカに残った数少ない空白地ということで、統一国家の建設が遅かったことから植民地ビジネスに乗り遅れていたイタリアが進出し、1908年にイタリア領ソマリランドとして植民地化した。

第二次世界大戦を経て北部はイギリスの保護領、南部はイタリアの信託統治領となるのだが、アフリカ諸国で独立機運が高まる中、南北ソマリアも1960年に独立することとなった。その独立運動の中で「ソマリ人が住む地域をひとつに統一しよう」という大ソマリ主義が台頭し、南北はそれぞれ独立を果たすとすぐに統合して、1960年に統一国家「ソマリア共和国」が建国された。
ただし、ソマリ人はエチオピアのオガデン地方(ソマリア=エチオピア国境)やケニア北部にも多数住んでいるが、植民地時代に引かれた国境がそのまま適用されたため、これには加わっていない。また、何故か大ソマリ主義から取り残されたフランス領ソマリ海岸は、'77年にジブチ共和国として独立している。


◆せっかく独立したのに余計なことをする馬鹿
独立間もない'63年、隣国エチオピアがオガデン州に住むソマリ人遊牧民の家畜に課税し始め、抗議した遊牧民が殺害される事件が発生した。
すると、大ソマリ主義に燃える初代大統領アデン・アブドゥラ・オスマンは、フランス領ソマリランド、ケニア、エチオピアと片っ端から周辺国にちょっかいをかけ軋轢を深めていく。とりわけ対立が深刻だったエチオピアがアメリカから軍事援助を受けていたため、ソマリアはソ連に接近する。

モハメド・シアド・バーレ大統領2代目大統領アブドゥル・ラシッド・アリ・シェルマルケは近隣諸国との関係改善に努めたが、1969年のクーデターによって暗殺され、モハメド・シアド・バーレ少将を指導者とする軍部が実権を握った。
バーレはそのまま大統領になるとそれまで以上にソ連に接近して援助を引き出し、オガデン州の併合に向けて軍備増強を進めた。さらに、彼は強力な独裁体制を敷き、ソマリアを完全な共産主義国に変え、国名も「ソマリア民主共和国」に変更した。
といっても、バーレはマルクスやレーニンを信奉していた訳ではなく、親米のエチオピアに対抗するためと、自分の独裁体制の正当化のため。ほんと、ただそれだけ。あ、それから、バーレは金日成と仲良しだったりする。


1974年にエチオピアで革命が発生し、共産主義政権が誕生するのだが、軍内部で粛清が続くなど混乱が続いた。これをチャンス到来とみたソマリアはオガデン州のソマリ人ゲリラを支援して戦い、一時はオガデン州を殆ど手中にしかけた。しかし、ソ連やキューバの援助で軍備を整えたエチオピアが反撃に転じて、一転して形勢不利に。
ソ連がソマリアよりもエチオピアを優先したことを知ったバーレはソ連から招いていた軍事顧問団を追放し、それまでとは一転してアメリカと協力関係を結んだ。バーレよ、お前にはイデオロギーも信念も無いのか。
このオガデン紛争は'83年にはエチオピア軍がソマリア領内まで侵攻するなどエチオピア優勢の状態で進んでいたが、ソマリアで内戦が発生すると、エチオピアも下手に関わって泥沼に足を突っ込みたくないので、オガデン州を取り戻すとあっさりと兵を退き、'90年頃に自然終結した。

ソマリアは独立直後から、経済的に裕福な北部のイサック氏族が南部主導の政治に不満を持ち、南北の対立が深刻化していた。北部の連中がバナナの輸出などで稼いでも、その金の殆どは南部の開発に費やされてしまうのだ。また、バーレはソマリ社会主義革命党による一党独裁体制のもと、自分の属するマレハン氏族ばかり優遇したため、マレハン氏族と他の氏族の経済格差が広がるなど様々な火種を抱えていた。
にも関わらず余計な戦争をして国内を疲弊させたうえに旱魃によって食糧危機が発生したため、バーレ政権に対する怨嗟の声は日増しに高まり、1982年頃から反政府ゲリラが暴れ始めるようになる。


◆裏切りの応酬の結末
1990年にバーレ政権の支持者であったハウイヤ氏族が反政府勢力に転じ、北部のイサック氏族主体の「ソマリ国民運動(SNM)」などと共に反政府勢力「統一ソマリア会議(USC)」を結成し、大攻勢に打って出る。
ソ連のゴルバチョフ書記長の新思考外交やペレストロイカによって東西冷戦の緩和が進んでいたにも関わらず、バーレはエチオピアに共産主義政権がある限りアメリカは自分を支援し続けると考え、ひたすら自国民を弾圧し続けた。実際、長年アメリカから毎年4,000万~8,000万$の援助を貰っていたのに、バーレはそれをエチオピアとの戦いに使わず、国内の政敵を弾圧することばかりに使っていた。特にイサック氏族に対する弾圧は凄まじく、世界各国からソマリアが人権弾圧国家として非難されるようになると、アメリカもバーレ政権に対する援助を大っぴらに続けることが難しくなり、バーレに退陣を迫った。

当然バーレはこれを拒否するが、ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結しつつあるときに、アフリカの片隅にあるキチガイ政権などアメリカにとってももはや価値は無い。'91年にはUSCが首都モガディシオを制圧し、アメリカにも見捨てられたバーレはナイジェリアに追放された。

《Part2につづく》

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