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2006.12.16 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第27回:コロンビア(Part7) - 口で言っても分からないバカは殴るに限る

前回の記事の続きです。
パストラーナ政権時代とは一転して強攻策に出たウリベ政権ですが、徹底的にゲリラを叩くことによって事態が好転しました。口で言っても分からないバカはぶん殴って分からせるに限る、ということなのでしょうか。


◆ゲリラの上手な締め上げ方 - 2002年~2003年
アルバロ・ウリベ大統領となったウリベは国軍兵力を2倍に増やすことを宣言し、アメリカとタッグを組んでゲリラを叩き潰す姿勢を鮮明にした。これに対し、FARCはウリベが大統領就任式に出席している真っ最中に会場近くでロケット弾を使ったテロ行為で報復した。そのため、ウリベは就任5日後には早くも非常事態宣言を発令する羽目となった。
9.11以降にアメリカが打ち出した「断固としてテロリズムと戦う」という姿勢に引っ張られて、コロンビア情勢は一転した。パストラーナ政権の和平政策で作られた仲裁委員会へ理事を多数出していたEU諸国も、アメリカとウリベ政権からの要請によりFARCをテロ組織と認定してしまった。

2002年6月にはアメリカ国務省次官補が「コロンビア内戦への介入も辞さない」と発言したため、憤懣やるかたないFARCは「ポストが赤いのも電柱が高いのも、全部俺達が悪いのか?ふざけんな」と怒りのコメントを発し、地方都市でウリベ派に属する市長・市議などを暗殺した。FARCは他のウリベ派市長・市議に対しても「辞任しないと殺す」と脅迫したが、これを見たAUCが「辞任したら殺す」と対抗したため、多くの市長・市議が「辞めても辞めなくても俺達は殺されるのか」と煩悶する羽目となった。

アメリカ議会は総額290億ドルにのぼる反テロリズム支援法を可決し、うち3,500万ドルがコロンビア政府へ提供された。アメリカの強硬姿勢に支援されたウリベ政権は、8月になると「ゲリラ対策の最終解決方針」を発表した。これは前述のとおり倍増された国軍兵力を頼りにゲリラとの全面対決を掲げ、新設の国家防衛最高評議会を頂点とする実質的な軍事独裁体制への移行を狙うものだった。民間出身でこんなことする大統領も珍しいが、戦時下同然と考えれば当然か。


丁度この頃、カスターニョがAUC議長を辞任してしまいAUCは崩壊の危機にあった。総司令官辞任後も議長に留まり民兵組織を束ねていたカスターニョだったが、この数年で急激に構成員が増えていたことから、元々様々な民兵組織の寄り合い所帯であるAUCを統制しきれなくなっていた。やがて内部で激しい対立が巻き起こり、もはやコントロールしきれないと悟ったカスターニョは「無政府主義に冒された一部のバカどもが麻薬ビジネスにばかり精を出し、今のAUCは当初に我々が掲げた理念と掛け離れたものとなった」と捨て台詞を吐いて、自分の出身組織であるACCUを率いて去っていった。

民兵組織をコントロールすべく合法化したサンペール政権だったが、合法化された民兵組織はAUCという一大連合へと発展し、政府の統制が及ばない組織となっていた。というわけで、カスターニョの辞任を見たウリベはチャンス到来とばかりにAUCの切り崩しに取り掛かった。
内部対立で弱体化したAUCはウリベ政権の切り崩し工作に対して抗しきれなくなり、2003年7月に武装解除に合意した。当初は2005年末までに完全解除の予定だったが、2006年になっても民兵組織は活動を続けている。ただし、かつてのような政府も手を付けられないほどの大規模なものではない。


アメリカという後ろ盾を得たウリベの掲げる強硬姿勢によって、FARCは軍事的にも政治的にも窮地に追い込まれ、2002年後半には目に見えて闘争活動が鈍っていた。ウリベは「2006年までにゲリラを殲滅する」と気勢を上げ、アメリカはFARCの銀行口座を凍結した。
FARCは苦し紛れのテロや挑発的なコメントで報復したものの、ブッシュ政権の徹底した「1発殴ったら100発にして返す」という姿勢により手詰まりとなっていた。パストラーナ政権の頃にはあれほど好意的だった諸外国も冷淡になり、アメリカの圧力に屈したビセンテ・フォックス大統領によって唯一外国にあったメキシコの事務所も閉鎖の憂き目に遭っていた。

ウリベ政権は高い支持率を盾にして軍や治安部隊の権限強化を図り、2003年4月にはマルランダをはじめとするFARC幹部をテロリストとして指名手配するに至った。これに対してFARCは後手を踏み続け、マヌケな前線指揮官のミスによってアメリカ人の民間人に手を出してしまい、ついに米軍特殊部隊の介入を招くという事態に陥ってしまった。マルランダは状況を好転させるべくELNと統一戦線を組んで全面的に共闘する体制を作るが、ウリベの恩赦を掲げた切り崩し工作によって政府に投降する兵士が出始めていた。


◆ GO!GO! ウリベさん 2004年~
ウリベは着々と政権基盤を固めていた。国民投票制度の導入や大統領の再選禁止規定廃止に失敗して閣僚が次々と辞任するというアクシデントはあったものの、支持率は80%に達する勢いだった。強権的な政権運営が批判されることも多かったが、ゲリラや民兵に対する強硬姿勢によって殺人・誘拐事件がたった1年で20~30%も減少したのだから、民衆が彼を支持するのも当然のことだった。
悪党が徘徊し銃弾が飛び交う土地で、「民主主義が云々」と言ったところで撃ち殺されるのがオチだ。そんなものは何の役にも立たない。ウリベ自身も「もちろん社会的不公正は排除しなくてはならないが、一番大事なものは平和だ」と語っている。

ただし、その代償としてアメリカの傀儡色が強くなった。コロンビア政府は2003年9月に国際刑事裁判所規程を批准したが、これがアメリカ様の逆鱗に触れることになってしまい軍事援助を大幅に削減されるという報復措置に遭った。アメリカは政治的に悪用される危険性があるとしてこの制度に反対の立場を取っているからだ。実際は米軍兵士が国外で作戦活動を行った際の不法行為(主に非戦闘員虐殺など)により訴追されることを嫌っているからだと言われている。
アメリカにしてみれば、これから特殊部隊を展開させてゲリラを掃討しようというのに、コロンビア政府にこんなものを批准されてはたまったものではない。アメリカ様の激怒に震えあがったウリベは、「特殊活動に関わる米軍兵士について適用外とする」という二国間合意を差し出して平伏した。
また、司法当局によって骨抜きにされていたアメリカへの麻薬犯罪者引渡し条約だが、ウリベ政権になってから法的問題がクリアーとなり、カリ・カルテルのオレフェラ兄弟などがアメリカへ移送されている。


2004年に入っても、ウリベは容赦無くゲリラと民兵を弾圧し続けた。勢い余って労働運動指導者を殺害してしまった軍幹部が「労働組合員と社会指導者たちはすべてゲリラだ」と暴言を吐いたが、治安が極悪なままに比べたらそんなことはたいした問題ではなかった。ウリベにボコボコにされたELNが「あいつが大統領である限り和平交渉なんて無理だ」と泣き言を言ったが、そもそもパストラーナが和平を呼びかけたときもテロばかりやらかしていた無法者なのだから、こいつらが何人死のうが全く問題ではなかった。
12月には憲法改正が行われ、大統領の再選禁止規定が廃止された。ウリベの強権政治が続く可能性があるが、そもそもその強権政治のおかげで国民は自分の生命や財産を理不尽に奪われる危険性が低下したのだから、これだって問題ではない。治安部隊の横暴を見た欧米の人権団体がコロンビア当局を批難したのに対し、ウリベが「あいつらはテロリストの代理人か?卑怯者」とコキ下ろしたのだって全然OKなのだ。


2005年になるとELNの惨状を見かねた関係国が政府との仲介に乗り出す。ところが身の程知らずのELNは、仲介役のひとつであるメキシコが国連人権委員会でキューバを非難する決議に賛成したことに怒ってメキシコを口汚く罵るなど、自分達の立場を全く分かってない発言を繰り返した。結局、これといった手も打てないままウリベ政権とアメリカに締め上げられ、2006年4月に殆ど降伏に近い形で休戦協定にサインする羽目となった。
一方のFARCも抵抗を続けたものの事態を打開するまでには至らず、ブラジルのルイス・ルーラ大統領が主導した和平交渉も不発に終わった。そこで、隣国ベネズエラのチャベス大統領に泣きついたが、チャベスも沈みかけた船に乗るほど愚かな男ではないので、表立ってFARCを助けるようなことはしなかった。チャベスの反米実践方法は、自国で産出される石油を武器に世界各国の反米国家とのネットワークを構築することへと変わっており、もはやコロンビアの山奥にいる時代錯誤のバカ・ゲリラへ援助することではなくなっていた。っていうか、チャベスだってクーデター疑惑やら暗殺計画やらで命を狙われていて、FARCなんぞにかまけてる暇は無いのだ。

2005年3月の国会議員選挙ではウリベ派が上下両院で過半数を占め、5月の大統領選挙ではウリベが得票率62%で圧勝して再選を果たした。二期目に入ったウリベ政権は引き続きゲリラ殲滅に取り組んでいるが、それに加えて経済改革も進めている。ウリベは新自由主義者と見なされており、IMFが掲げる自由貿易や積極的な民営化、政府予算の歳出削減を推進している。反対派はこれを貧富の差をさらに拡大させるものとして反対しているが、政権支持率は相変わらず高い位置をキープし、統計上の数値を見る限りでは着実な経済成長を遂げている。
いずれにせよ、諸悪の根源は貧困だ。農民が麻薬を栽培するのも、若者がゲリラに加わるのも全ては貧困が原因なのだ。コロンビアがまともな国になるか否かは、全ては貧困の撲滅にかかっていると言ってもよい。

≪コロンビア編終了≫

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2006.12.14 (Thu)

【世界の香ばしき国々】第26回:コロンビア(Part6) - 和平の兆し、そして暗転

前回の記事の続きです。
ダメダメのコロンビアでしたが、パストラーナの登場によって転機を迎えます。しかし・・・。
この国に平和はまだ訪れません。


◆進まない和平 - 1999年~2000年
パストラーナの和平交渉は遅々として進まず、左翼ゲリラと民兵組織の戦いは激しさを増し、毎月のように大量の戦死者と民間人の犠牲者が生まれていた。FARCは和平交渉で優位に立とうとしたのかコロンビア全土で警察署や民兵組織のキャンプなどへの大規模な襲撃を繰り返し、一方の民兵組織も農民や労働運動家を次々と殺し続けていた。

1999年3月、FARCがアメリカ人の人権運動活動家を殺害する事件が起きた。マルランダは現場の指揮官のミスであることを認め謝罪したが、アメリカ政府はカンカンに怒り「犯人を我々に引き渡さない限り、お前らとの交渉には応じない!」という声明を発表した。
これがきっかけという訳ではないが、アメリカのクリントン政権は一向に進展しないコロンビア情勢に業を煮やし、パパ・ブッシュ政権時代のアンデス・プランに続いて「プラン・コロンビア」と呼ばれる援助政策を打ち出してきた。これはコロンビア軍への軍事援助を中心に13億ドルからなる援助パッケージで、アメリカはこの中でFARCを資金獲得のために農民を使って麻薬栽培を推進する「麻薬ゲリラ」とみなし、そのFARCを叩き潰すためにコロンビア政府に大規模な支援を行うという考えを示した。麻薬戦争と銘打てば多くの人からの支持を得やすいし、クソ忌々しい共産ゲリラFRACを潰せれば、アメリカにとっては一石二鳥だ。

しかし、確かにFARCが支配する地域では麻薬栽培が行われているが、コロンビアの山奥に住む彼らがコカを栽培したところでそれが即アメリカへ密輸される麻薬に繋がるわけがなく、実際にはそれを精製して密輸する連中がいるからこそ麻薬がアメリカに入ってくる。メデジン・カルテル壊滅以降、精製や密輸、さらに儲けた金のマネーロンダリングはカリ・カルテルや民兵組織が手がけているのだが、プラン・コロンビアの中ではその点については触れられていない。
また、予算の大半はコロンビア軍への軍事支援に費やされており、そもそも麻薬を栽培しなくてはいけないほど貧しい農家への貧困対策には殆ど予算がついていない。


10月になると再び政府とFARCの和平交渉が始まった。また、一度は絶縁状を叩きつけられたELNだが、飼い主のキューバが仲介に乗り出してきてこちらも政府との交渉が始まっていた。これを見た市民はボコタで100万人が参加して和平を訴えるデモ行進を行った。そりゃ国民もうんざりするわな。
この頃のコロンビアは そこらじゅうで殺人事件が起こって治安は最悪、国家財政はIMFからの支援を受けても立ち直れず、都市での失業率は20%を超え、経済成長率は-4.5%と瀕死の状態だった。この国は100年前からずっとズタズタなのだが、そんなコロンビアといえども世界恐慌以来マイナス成長にだけはなったことがなかった。しかし、そんな市民の思いとは裏腹にFARCやELNは武力闘争を続け、政府軍との衝突を繰り返しては多くの民間人を犠牲にした。
ちなみにELNとキューバの関係はイデオロギーを共にする同志というだけでなく、キューバ政府はコロンビア産麻薬の横流しをして外貨を稼いでいることから商売のパートナーでもある。

ところが2000年1月、散々暴れていたFARCが突如政府との交渉再開を宣言した。パストラーナはこれにすぐに応じ、さらには国連も両者の交渉を支援した。政府、FARC、国連の三者はコロンビア担当のビクトル・リカルド平和問題高等弁務官を団長とする「政府=FARC合同派遣団」を作り、視察と称して欧州各国を訪問した。これはあまりにも現実離れした要求ばかりして時代錯誤が甚だしいFARCの連中に先進国の政治・経済体制を見てもらうことと、欧州各国にFARC幹部を知ってもらうことを目的としている。
一国の政府が反政府ゲリラの幹部を引き連れて海外ツアーに行くなど前代未聞の話だが、コロンビア政府の本気度が窺える。


政府軍と左翼ゲリラの衝突は続いていたものの両者は交渉を重ね、7月には和平協定の成立目前まで漕ぎ着けた。しかし、その直前の4月に担当のリカルド高等弁務官が突如辞任している。本人は突然の辞任について「両者の交渉はもう道筋がついている。あとは自分がいなくても話は進んでいくから問題ない」と言っていたが、実際には民兵組織から凄まじい脅迫を受けていた。
また、FARCは政府と交渉する一方で富裕層に対して「富豪税」なるものの支払いを要求し、これを拒否した農園主の首に時限爆弾を巻きつけて爆殺している。まるでバトル・ロワイヤルだ。

両者は和平協定に重みを持たせることと国際的な支援を取り付けることを目的として、諸外国の代表を招いた公聴会を何度も開催していた。この席上で、FARCは未だに誘拐した人質を拘束しているなど人権侵害について参加者からボロクソに批難され、幹部連中はショックを受けていた。先の視察旅行といい、こういう話から察するにFARC幹部は国際情勢に疎いのだろう。
同じ左翼ゲリラでもトルコの「クルド労働者党(PKK)」や「パレスチナ解放人民戦線(PFLP:前身組織は極左ゲリラ)」は欧州やアメリカに事務所を構えて情報収集・発信に機敏なのに対し、FARCやペルーの「センデロ・ルミノソ」といった南米の左翼ゲリラは1990年代になってもソ連や中国で使い古されたアジ文句を叫んでるだけなので、「山奥に隔離された時代錯誤のバカゲリラ」という印象を受けてしまう。


◆和平を阻む者たち - 2000年~2001年
2000年になるとAUCは拠点を西部から北部へと移し、同じく北部を地盤とするELNと死闘を繰り広げるようになった。これはFARCと比較すると規模の小さいELNから叩こうという戦略なのだが、同時にELNが持つ北部の麻薬利権を強奪しようという企みも含まれている。実際、軍や州政府の幹部がこの悪巧みに便乗したため、AUCには民兵に化けたコロンビア軍正規部隊が加わっていた。
これだけ麻薬ビジネスが発達してる国なのだから政府や軍の高官がこれと無縁であるわけがない。マフィアから賄賂を貰って手心を加える程度など可愛いほうで、1998年にはアメリカの空港でコロンビア空軍機から700kgのコカインが見つかるというとんでもない事件まで発生している。このときには怒り心頭のパストラーナによって軍首脳数名のクビが飛んでいる。

メデジン・カルテル壊滅以降、コロンビアの麻薬王となったオレフェラ兄弟率いるカリ・カルテルだが、1995年にオレフェラ兄弟が逮捕されて以来、徐々に衰退していた。すると、マフィアの残党は民兵組織に接近して商売をするようになっていった。マフィアはアメリカの支援を受けた政府軍から容赦なく攻撃されるようになったうえに、幹部の多くがアメリカのブラックリストに載っており、逮捕されてアメリカへ引き渡されるという恐怖に晒されていた。
しかし、民兵組織のメンバーと認定されれば政治犯として引き渡し対象外となるため、マフィアの多くが民兵組織へと流れ込んだ。組織内に政治的目標を持たないマフィア連中が増えることによって、民兵組織は武力闘争よりも金儲けを優先するような傾向を見せ始めることになる。

プラン・コロンビアによるアメリカからの武器援助や麻薬で儲けた金によって軍と民兵組織の戦力は増強され、彼らはゲリラへ激しい攻撃を加えた。また、プランの一環としてコカ栽培地域への枯葉剤散布もこの頃から始まった。こんなことをしたらコカだけじゃなくて何も栽培できない土地になってしまうが、どうせ農民は他の作物に転換しないのだからそれなら枯葉剤でも何でも撒いてしまえ、ということなのだろう。


一方、パストラーナは再度マルランダと直接交渉を行って事態の打開を目指すが、AUCは執拗に農村を襲撃してはゲリラ支持者の殺害を繰り返し、両者の交渉を潰そうと試みた。そもそも右翼民兵組織にとってゲリラは「交渉すべき相手」などではなく「抹殺されなければならない存在」であり、その支持者など「唾棄すべきゲリラの手先となり国を裏切った大罪人」なのだ。
パストラーナは狼藉が過ぎる民兵組織に対しても軍を派遣して資金源の麻薬工場を潰そうとするが、政府・軍内部の内通者によって事前に情報が漏れており、1gのコカインも押収できなかった。マルランダがこのような政府の無能ぶりに怒り交渉は頓挫しかけたが、それでも両者は2001年2月に再び直接会談を果たした。再開を果たした両者はオスポゾス協定について再協議を行い、その有効性の復活を確認する「ロス・ポソス協定」を締結した。

両者はロス・ポソス協定に基づいて10ヶ国から成る「仲裁委員会」を設立し、委員会理事国の監視と支援の下で捕虜交換を行うなど、和平交渉を進めようとした。一方、この年の1月に誕生したアメリカのブッシュ政権はFARCの存在など認めるわけがなく、「西半球に本拠地を置く最も危険な国際テロリスト」と呼んで両者の交渉を牽制した。ブッシュ政権は同時にAUCもテロ組織認定したが、こちらは「米国の安全の脅威とならない第二集団に分類されるテロ組織」として扱い、事実上容認する姿勢を打ち出した。
アメリカと同様に両者の交渉に危機感を募らせたAUCは行動を活発化させ、北部の国境地帯の街サン・ロレンソに前線基地を建設した。ところが、FARC=ELN連合の攻撃によってこの基地が壊滅に追い込まれ、カスターニョは総司令官辞任へと追い込まれた。それでもFARCとAUCの血みどろの戦いは続き、両者は二桁台の死者を出す戦闘を毎月繰り広げた。

2001年10月、コロンビア政府とFARCは「サンフランシスコ・デ・ラ・ソンブラ協定」に署名した。内容は、FARCは道路検問と旅行者の誘拐をを中止し、政府は民兵組織の取り締まりに努力することとなっている。FARCとの交渉は進む一方、ゴネ続けていたELNはパストラーナに「和平プロセスを進めようという意思がない」と再び干され、軍の標的となった。


◆パストラーナの豹変、ウリベ政権の誕生 - 2001年~2002年
ところがその直後、パストラーナはアメリカの圧力に屈して態度を豹変させた。ブッシュ政権は当初からFARCを「西半球で最も危険なテロリスト」「殲滅の対象」として敵視していたが、9.11テロ以降はカタ派色全開と化し、和平交渉を進めるパストラーナに強烈な圧力を掛けていた。いかなる理由があろうとも、アメリカ大陸に左翼テロリストが参画する政府ができることなど許されないのだ、と。
アメリカ政府は「FARCとAUCはテロリストであり麻薬業者である。政府が犯人を引渡さなければ、アフガニスタンの場合と同様の措置を取る」とパストラーナ政権を恫喝した。マルランダは「我々は政治団体として政府との交渉を進めてきた。今まではテロリスト扱いされていなかったのに、突然変わった理由を知りたい」と和平の推進を懇願するが、豹変したパストラーナは「我々は今まで十分にゲリラに譲歩した。今度は彼らが約束を守る番である。これ以上の延期や弁解は認めない」と、マルランダの問い掛けを黙殺した。

2002年1月、コロンビア軍は非武装地帯に関する協定の有効期限満了に伴い、南部の非武装地帯に軍を送ることを宣言した。このような政府の豹変ぶりをFARCが突然受け入れられるはずもなく、交渉は難航した。すると、政府は「FARCは話し合う気が無い」としてすぐに交渉を打ち切り、アメリカも「FARCが和平をブチ壊した」と批難した。完全な出来レースである。結局、国連や仲裁委員会諸国から「アメリカは本気だ。ここは堪えてくれ」と説得されたマルランダが渋々引き下がり、FARCは1998年以来実効支配してきた非武装地帯から撤退した。

政府のFARC潰しはさらに続く。2月にはハイジャック事件が発生し、国会議員が拉致された。これもFARCを追い落とすために政府・軍によって仕組まれた陰謀だ。FARCはすぐに関与を否定したが、パストラーナはFARCの仕業と断言すると翌日に非武装地帯への総攻撃を開始した。
追い詰められたFARCは、ゲリラ支配地域を訪問していた大統領候補イングリッド・ベタンクール(元大統領ベリサリオ・ベタンクールの娘)を誘拐するが、イングリッドはフランス国籍も有していたことから、仲裁委員会理事国のひとつであるフランスまで敵に廻してしまった。


政府軍とFARCの戦闘が繰り広げられていた2002年3月、パストラーナの任期満了に伴い大統領選が行われた。相変わらず投票率は低調で50%にも満たなかったが、右派が躍進して無所属の独立系候補アルバロ・ウリベが当選した。パストラーナ政権が進めていた和平政策が頓挫したことによって、他候補よりも強硬な政策を掲げていたウリベが勝ってしまったのだ。
彼はAUCとも関係があるバリバリの右翼で、貧相な見た目とは裏腹にFARCに対して強硬姿勢で臨むことを明言していた。

ウリベはメデジン・カルテル全盛期の1980年代前半にメデジン市長を勤め、パブロ・エスコバルと共同で貧民対策を行った経歴がある。1995年になるとメデジンがあるアンティオキア州の知事となるが、サンペール政権が打ち出したCONVIVIRを積極的に支持し、州政府主導で民兵の訓練などを行ったことがあることからAUCと深いつながりがある。エスコバルやらカスターニョやら随分香ばしい奴とお付き合いしてますな。
また、彼は富裕層の出身で、父親をFARCによって誘拐・殺害されている。

≪Part7につづく≫

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2006.12.12 (Tue)

【世界の香ばしき国々】第25回:コロンビア(Part5) - 瀕死のコロンビア

前回の記事の続きです。

さて、5回目を迎えたコロンビア編ですが、書いてるこっちが嫌になってきました。この国はどこまでトホホなんでしょうか。あまりの酷さにムカついて過激な表現が多くなってしまいましたが、ご容赦ください。まじでこんな国に住んでる人は救われんわ・・・。


◆アペルチューラ政策とポスト冷戦下でのゲリラ再編 - 1990年~1994年
メデジン・カルテルをはじめとする麻薬カルテルが暴れていた頃、ゲリラのほうは何をしていたかというと、FARCに続いてM-19も政府との和平交渉を始めていた。政府はすかさずM-19に恩赦を与えて武力闘争を放棄させ、M-19は「M-19民主同盟(ADM-19)」という政治団体を作って合法的な政治活動を始ることになった。
ところが、政府とゲリラがいくら話し合いをしても、民兵組織がこれを邪魔するのだ。民兵組織はFARCやM-19が武力闘争を放棄したのに付け込んで、FARCの政治団体「UP」の要人やADM-19指導者の暗殺を行い、ゲリラを苛立たせた。ゲリラは政府に対して民兵組織の取り締まり徹底を要求するが、民兵組織は非合法化されたとはいえ軍の庇護を受けているため容易に潰せない。やがて堪忍袋の緒が切れたゲリラが再び暴れだすことになる。

1990年、バルコが任期を終え、セサール・ガビリア(自由党)が大統領に就任した。ガビリアはゴルバチョフのペレストロイカよろしく「アペルチューラ(開放)」という政策を掲げ、1984年以来続いていた戒厳令を解除した。さらにアペルチューラ政策の一環としてIMFの指示に従って規制緩和を行い、関税や貿易障壁を撤廃して市場を開放した。しかし、当然のことながら、これによって外国から安くて良質な製品が大量に流れ込み、国内産業が崩壊して失業者が増大した。貿易収支は赤字となり、ただでさえ多かった対外債務はさらに増加した。
加えて、政府との交渉が不調に終わったFARCが武力闘争を再開したため、コロンビアには再びテロの嵐が吹き荒れた。しかも、ガビリアが推進した自由貿易によって貧富の差はさらに拡大し、これを恨んだ多くの貧民や零細農民がゲリラに加わっている。せっかく戒厳令を解除したのに、コロンビア政府はすぐに非常事態宣言を発令する羽目となった。
この国には「平時」というものが無いのか。



反政府ゲリラは決してバラバラに政府に立ち向かっていたわけではなく、1987年以来「シモン・ボリバル・ゲリラ共同体(CGSB)」という緩やかな連合の元、ある程度連携を取って闘争を行っていた。しかし冷戦終結後の闘争方針を巡って、交渉の余地は残しつつも武力闘争は放棄しないというFARC=ELN連合と、合法的な政治活動によって目標を達成しようというM-19=EPL連合が対立し、CGSBは分裂してしまった。
M-19の政治団体ADM-19は1991年の総選挙で15議席程度を得ていたことから、FARCやELNとは違ってある程度の政治的な交渉力を有していた。しかし、合法政党としての責任からか現実的な政策を選択したことによってガビリア政権に取り込まれてしまい、すっかり影が薄くなってM-19の影響力は一気に低下してしまった。

結局、CGSBはFARC、ELN、武力闘争放棄に反対してEPLを飛び出した連中(EPL左派)の三派によって再編された。彼らは政府と交渉を行いつつも、1991年にボゴタのベネズエラ大使館を占拠するなど今までどおりゲリラ活動を続けた。1994年の総選挙でUPが民兵組織から徹底的に攻撃され、4,000人の死者を出したうえに惨敗すると、政治的な活動手段を失ったFARCはさらに武力闘争を活発化させることになる。
また、この年には大統領選挙も行われたが、長年続く内乱に国民も絶望してしまい、投票率は40%にも達しなかった。選挙はガビリアの後継者エルネスト・サンペールが勝ち、引き続き自由党が政権を担うことになった。FARCはサンペールの大統領就任に合わせて警察署を襲撃したり爆弾テロを行い、政権との対決姿勢を鮮明にした。


◆余命5年と宣告されたコロンビア - 1994年~1998年
民兵組織は1989年にバルコ大統領によって非合法化されていたが、既得権益層や軍部からの支援を受けていたため、その勢力は拡大する一方だった。左翼ゲリラが政治団体を作って合法的な活動をしようとしても、途端にこいつらがその政治団体を襲撃するためゲリラは再武装してしまう、という繰り返しでコロンビアの内戦は一向に終わる気配が無かった。
バルコ、ガビリア両政権は結局最後まで民兵組織を潰すことができなかった。このままではこいつらを潰せないと考えたサンペールは、「CONVIVIR(監視と私的治安のための組合)」というプログラムを打ち出した。これは民兵組織を「軍に地域情報を提供する住民の相互監視・治安維持組織」と位置づけて合法化し、これネットワーク化して組織の要所に政府とつながりのある文民や退役軍人を据えることで彼らをコントロールしようとした。要するに非合法化しても誰も取り締まりできないので、合法化と引き換えに政府の息の掛かった人間を民兵組織内部に送り込み、こいつらが暴走しないようにコントロールしようとしたわけだ。

ACCUを率いていたカスターニョ兄弟の弟カルロス(兄フィデルは1994年に失踪。EPLに殺されたらしい)は、この政策を利用して各地の民兵組織をまとめ上げ、「コロンビア自衛軍連合(AUC)」へと発展させた。
AUCは麻薬ビジネスに加えて「軍隊や警察は頼りにならん」と考えた地主や農場主から多額の献金を受けたことから、豊富な資金を武器に勢力を拡大させた。結成当時には4,000人程度だった兵員は、1998年には8,000人、2000年には15,000人と急速に膨れ上がり、最盛期には25,000人にまで増えている。サンペールの思惑は見事に外れ、巨大化したAUCは政府のコントロールが及ばない組織となり、左翼ゲリラとの戦いを激化させた。


冷戦終結によってソ連やキューバからの援助が途絶え、金に困った共産ゲリラはそれまで以上に積極的に誘拐や麻薬に手を出すようになった。彼らは麻薬と誘拐ビジネスで年間6~7億ドルを稼ぎ出し、その金で武器を買い漁り、ついには政府軍よりも高性能な歩兵火器やアメリカ製対空ミサイルを持つまでに至った。初期の頃は政府高官や麻薬カルテル幹部の家族が対象だった誘拐ビジネスも、1990年代半ばからは外国人も対象となり、現地に駐留するビジネスマンや技術者はもちろん、観光客まで誘拐されるようになった。

ゲリラや民兵組織が武力を強化している間、政府は大変なことになっていた。1995年、サンペールがカリ・カルテルから政治資金の提供を受けていたことが発覚し、政権はその火消しに追われてゲリラや民兵組織を潰すどころではなくなってしまった。
麻薬カルテルを何としても潰したいアメリカはこれを知ると激怒し、IMFに圧力を掛けてコロンビアへの融資を止めさせた。コロンビアは他の南米諸国のように通貨の大暴落や財政破綻を経験していないとはいえ、貿易赤字や対外債務に苦しむ貧しい国であることを考えると、これは「お前は今すぐ辞任しろ、ボケ」と言っているに等しい。サンペールは弾劾裁判に掛けられてクビにされそうになったうえにアメリカ政府からビザの発給を拒否され、国連総会への出席以外はアメリカに入国できない身分にされてしまった。

麻薬や誘拐ビジネスで大儲けしたうえに自由貿易推進政策によって失業した貧困層を味方につけたFARCをはじめとするゲリラは、1997年に入ると闘争をさらに激化させた。FARCは国内のあちこちに出没しては銃をぶっ放し、外国人を誘拐し、要人を暗殺して暴れまわった。鎮圧に当たる軍は装備が貧弱なうえに腐敗が酷く士気が低下していたため、一個小隊が丸ごと壊滅したりヘリを落とされるなど甚大な被害を出していた。あまりに不甲斐ない戦いだったようで、負けて帰った師団長が軍法裁判に掛けられたりしている。
この頃のコロンビアは殆ど無政府状態にあったと言っても過言ではない。優位に立ったゲリラは国土の60%を支配するに至り、1997年6月にはFARCが政府から南部平野地帯の実効支配承認を引き出した。アメリカ国防情報局(DIA)が「このままではコロンビアは5年以内に崩壊する」という見解を示すなど、建国以来ズタボロな歴史が続くコロンビア共和国はいよいよ本格的に傾き始めてきた。


◆パストラーナの和平政策 - 1998年~1999年
1998年の大統領選では、ゲリラとの和解交渉推進を掲げる保守党のアンドレス・パストラーナが当選し、ベタンクール以来16年ぶりに保守党から大統領が選出された。いくら強攻策を唱えても現実には軍にゲリラを鎮圧する力が無いのだから、和平交渉を進めざるを得ないのは当然のことだった。
パストラーナは政治家としてデビューしたボゴタ市議時代から麻薬カルテルの悪行を追求し続けてきた人物で、1988年にはメデジン・カルテルによって誘拐された経験を持つ。一週間後に無事救出されたが、これで「麻薬と戦う男」という評判を得て後にボゴタ市長になっている。

パストラーナ大統領とFARC最高指導者マルランダ大統領選を終えると、パストラーナは身の危険も顧みずにFARCの支配地域まで出向き、射撃の名手であることから「ティロフィホ(百発百中)」の異名を持つ最高指導者マヌエル・マルランダとの会談を果たした。両者はこのときの会談による合意事項を元に、1999年2月にゲリラによる誘拐や子どもの兵士、非通常兵器の使用などを禁止した「オスポゾス協定」を締結して、和平への一歩を踏み出した。
政府はオスポゾス協定に加えて、南部平野におけるFARCの実効支配を認め、政府軍を撤退させて非武装地帯とするなど積極的に和平交渉を推進した。

ところが、それを受けて軍が一歩退いた途端、今度は民兵組織と左翼ゲリラの全面戦争が始まった。AUCは政府とFARCの和平会談が開かれることを察知すると、その妨害のために農民を殺しまくるなど徹底的にパストラーナの邪魔をした。遅々として進まない民兵組織への取り締まりに業を煮やしたFARCは、「民兵組織が武装解除しない限り話し合いには応じない」と交渉を打ち切ってしまった。
このように、FRACはこれまで幾度も話し合いに応じる姿勢を見せてきたし、一時期は武力闘争路線を放棄したことすらある。にもかかわらずボンクラ政府が民兵組織を取り締まらないために仲間が次々と殺されるのだから、FARCが「この問題が解決されない限り交渉しても無駄」と思うのは当然のことだった。


当初、FARCはパストラーナの決断を高く評価し、捕虜の交換に応じるなど話し合う姿勢を見せていた。しかし、もうひとつの有力左翼ゲリラELNは何が気に入らないのか執拗に爆弾テロを繰り返したため、パストラーナから干されて政府軍や民兵組織の標的となっていた。
自国の国境付近で暴れまわるELNに迷惑していたベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスは、この頃ELNに対して「お前ら、邪魔。亡命したいなら受け入れてやるから、暴れるのを止めれ」という声明を出している。冷戦終結以降にFARCやELNのパトロンを務めていたのは、このアメリカ嫌いの共産主義かぶれ野郎チャベスと言われているが、そのチャベスでさえもELNの狼藉には迷惑していた。
ベネズエラやペルーなどの周辺国はゲリラに侵入されて国境地帯を荒らされていたうえに、自国民保護のために国境地帯へ軍隊を差し向けたところ国境を巡ってコロンビア軍と一触即発の事態になるなど、ホトホト困り果てていた。
隣国がバカだと周辺諸国が余計な苦労をする羽目となるのは極東も南米も変わらない。

「政府と交渉の機会を持つことは否定しない」というスタンスだったFARCに対し、ELNは徹底した武力闘争路線を掲げ、パイプラインの爆破、ハイジャック、教会の襲撃、外国人の拉致・殺害と、これでもかというくらい暴れまわった。特にミサの真っ最中だった教会を襲って市民を誘拐した事件は世界中のヒンシュクを買い、パストラーナはELNをキチガイ集団呼ばわりして絶縁状を叩きつけ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も「いいかげんにしやがれ」という声明を出している。

1999年1月に南部で発生したM6.3の大地震は900名以上が死亡し20万人が家を失う大惨事となり、政府はゲリラと和平交渉をしているどころではなくなる。一番被害の大きかったキンディオ州アルメニアでは略奪行為が多発したため、パストラーナは治安維持のために非常事態宣言を発令して3,000人規模の軍と警察を送り込む羽目となった。アルメニアでは市民が倒壊した他人の家から家財道具を盗んだり、被災者が被災者から援助物資を略奪していたのだ。
同じ境遇にあるものとして皆で助け合うという発想は無いのか。お前らみたいなクズは死ね。

≪Part6につづく≫

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2006.12.09 (Sat)

【世界の香ばしき国々】第24回:コロンビア(Part4) - マフィアにナメられる情けない国

前回の記事の続きです。

一般的にマフィアは公権力に楯突くような真似をしません。さすがの彼らといえども軍や警察を敵に廻しては生き残れませんし、そもそも彼らは非合法な手段による金儲けを目的とした集団ですから、政治的イデオロギーを掲げる反政府武装組織などと違ってお上とドンパチする必要など無いのです。
イタリアなど一部の国ではマフィアが恐喝にも賄賂にも屈しない司法関係者を爆殺したりしますが、それはあくまで最終手段のようなもので、彼らとて頻繁にそのような方法を取ったりはしません。

ところがコロンビアは違いました。さすがアメリカ大陸一ダメな国です。マフィアに喧嘩を売られてしまいします。


◆汚い戦争 - 1982年~1986年
1982年に大統領に就任した保守党のベリサリオ・ベタンクールは、それまでの自由党政権とは異なりゲリラとの対話を行い、内戦の平和的解決を目指した。1982年といえば既にニカラグアやエルサルバドルで泥沼の内戦が始まっており、ベタンクールはコロンビアもそのような状況に陥ることを恐れてたからだ。また、国内経済がズタボロだったので、いつまでも不毛な戦いを続けていられないという事情もあった。
ベタンクールが呼び掛けた甲斐があって、1984年にはFARCやM-19などいくつかの反政府武装組織との停戦協定が成立した。

しかし、その一方で民兵組織は暴れ放題で、ゲリラの支持基盤を潰すために農民を追放・殺害するなどの乱暴を繰り返していた。それによって生まれた耕作放棄地をマフィアが次々と買い漁ったため、1980年代末には彼らがコロンビア最大の土地所有者となってしまった。
ベタンクールは交渉相手であるゲリラが見ている手前、民兵組織の犯罪についても調査を始めるが、その背後にいる軍や既得権益層の妨害を受けて一向に進まなかった。それでもいくつかの事件で民兵組織や軍関係者を法廷に引きずり出すことに成功したが、判事が報復を恐れて被告を軍事法廷に引き渡してしまい彼らに何の罰も与えることができなかった。軍部が自分の手下である民兵組織を裁くわけがなく、こうして民兵組織はアンタッチャブルな存在となり、容赦なくゲリラを襲撃し続けた。後に「汚い戦争」と呼ばれる時代の幕開けである。

それでも、ベタンクールが説得した甲斐あってFARCは武力闘争を停止して合法組織となり、コロンビア共産党などの左翼政党とタッグを組んで「政党愛国同盟(UP)」という政治団体を作って活動を始めた。
ベタンクールはゲリラと和平交渉を行う一方で麻薬カルテル壊滅にも力を入れ、メデジン・カルテルの工場を潰して幹部を国外逃亡に追い込むなど奮闘していた。しかし、メデジン・カルテルは政府と対立して和平協定を破棄したM-19と手を組んで報復に出る。1985年にはM-19が最高裁判所を占拠し、判事や職員など60名を殺害するという事件を起こした。ハト派のベタンクールもこれにはカンカンに怒り、逮捕したゲリラ兵をぶち殺して行方不明扱いにしたうえに、その一週間後にはM-19のアジトを襲撃して首脳陣の大半を殺害した。
ベタンクールの和平政策はこの事件で崩壊し、翌1986年の大統領選で保守党は大敗。自由党のビルヒリオ・バルコが新大統領となった。


◆麻薬戦争 - 1986年~1990年
バルコ政権は前政権とは異なりゲリラとの対決を鮮明にしたが、その一方で前政権と同様に国内の麻薬カルテル壊滅を目指した。この頃になると、コロンビアから大量の麻薬が流れてくることに怒ったアメリカが、「お前の国で大量に生産されている麻薬を何とかしろ!それから麻薬カルテルの幹部を逮捕してアメリカに引き渡せ!」と強烈な圧力を掛けていたからだ。バルコはアメリカと犯罪者の身柄引き渡しに関する条約を結ぶが、これに怒ったカルテルが政府要人への襲撃を繰り返し、恐れをなした司法当局が条約に違憲判決を出して骨抜きにしてしまった。
政府と麻薬カルテルがそんな争いをしている間も共産ゲリラは暴れまわり、民兵組織はそのゲリラを襲撃し続けていた。1987年にはFARCが民兵組織の度重なる攻撃についにブチ切れ、武力闘争をの再開を宣言した。コロンビアの国内情勢は悪化する一方だった。

パブロ・エスコバル1988年に入るとFARCの激しい反抗が始まり、他の共産ゲリラもこれに同調して爆弾テロを繰り返した。民兵組織はそれに対抗して農民を殺しまくり、当局の捜査に抵抗する麻薬カルテルが政府要人への恐喝や暗殺を繰り返した。中でもメデジン・カルテルはバズーカ砲でアメリカ大使館を攻撃したり航空機をハイジャックするなど、その暴れっぷりはマフィアのレベルを超越していた。
最盛期のメデジン・カルテルは世界のコカイン市場の80%を支配し、年間250億ドルの収入を得ていたと言われている。親分のパブロ・エスコバルはアメリカのビジネス雑誌に掲載されるほどの大富豪だったが、その一方で身銭を切ってメデジン市内の生活インフラを整備したり貧困層への慈善事業を熱心に行っていたため、市民から絶大な支持を得ていた。そのためメデジンは公権力の力が十分に及ばず、半ばエスコバル王国と化していたという。
国土の約半分が政府の統治が及ばない地域となり、悪党が跳梁跋扈するカオスと成り果てたコロンビアを見たバルコは戒厳令を敷き、「民主主義防衛法(テロ対策法)」を公布。力ずくで事態の収拾を図ろうとする。


1989年になるとベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦は終結した。ソ連からの援助が止まったFARCは武力闘争の停止を宣言し、政府に対して交渉を呼び掛けてきた。事態を収拾するチャンスである。しかし、相変わらず民兵組織はゲリラの支持基盤である労働組織や農民の代表を殺しまくっていた。右翼民兵組織が現われた1982年以来、彼らに殺害された市民の数は3万人にも達していた。しかも、殺害された人は左翼活動家なのみならず、ただの犯罪者、売春婦、同性愛者、浮浪児など多岐に及んでおり、「気に入らない奴を片っ端から殺してみました」といった印象すら受ける。
バルコはこいつらを潰すことを決意し、市民が自衛組織を作ることを禁じて民兵組織を非合法化した。

さらに、バルコはアメリカの支援を得て改めて麻薬カルテル撲滅を宣言し、軍・警察に一斉摘発を命じた。するとカルテルは政府に対して全面戦争を行うことを宣言し、当局のみならず政治団体や銀行、新聞社にまで及ぶ広範囲なテロで報復した。改めて言うが、こいつらはマフィアであり反政府武装組織ではない。武装ヘリや重火器を所持している極悪マフィアとはいえ、ヤクザに喧嘩を売られる政府って一体何よ?
1989年夏から始まった対麻薬カルテル戦争は約半年に及んだが、コロンビア政府はアメリカから武器や資金を援助してもらい、徹底的にカルテルを叩いた。カルテルも爆弾テロなどで必死に応戦したが力の差はいかんともし難く、最終的には1万人の逮捕者を出し、5億ドル相当の資産を没収され、60~100億ドル相当の麻薬を失った。1990年初頭にカルテルは白旗を揚げるが、バルコはこれを拒否。悪党の殲滅を目指した。


◆メデジン・カルテル - 1990年代前半
アメリカ当局が配布したエスコバルの手配書1990年に入るとアメリカ・ブッシュ(父)政権は「アンデス・イニシアチブ」と呼ばれる麻薬撲滅政策を打ち出した。対象国は左翼ゲリラと麻薬カルテルの跳梁跋扈に苦しむコロンビア、ペルー、ボリビアの3ヶ国。内容は麻薬組織壊滅を目的とした経済・軍事援助で総額は22億ドル。
アメリカはこの援助を武器にコロンビア政府に強烈な圧力を掛け、能無しのコロンビア政府に代わってカルテル撲滅作戦の指揮を直接取るなど積極的に介入した。

1991年6月、やはり政府には勝てないと感じたエスコバルは、5年の服役と自分の身柄をアメリカへ引き渡さないこと条件に投降した。このまま政府に逆らっていても、いつか殺されるか、捕まってアメリカへ身柄を送られることになるからだ。アメリカへ移送されたら死ぬまで刑務所から出られないのは確実だった。
しかし、おめおめと服役するエスコバルではない。自腹を切って自分専用の豪華な刑務所を建設すると、「大聖堂」と名付けてそこに引きこもった。そこで謹慎しているならまだ可愛げもあるが、実際にはエスコバルは買い物やらパーティーやらで自由に外出していたし、手下に電話を掛けてはカルテルに関して様々な指示を出していた。こんなふざけたことを許すコロンビア政府は前代未聞の大馬鹿野郎ですか?

しかし、1992年に手下に対して殺人の指示を与えていたことが発覚すると、さすがに国民も怒りエスコバルは刑務所へ移送されることになった。ところが移送当日、エスコバルは刑務官の前を堂々と歩いて外出し、そのままどこかへ姿を消してしまった。この国の政府はどこまでマヌケなのだろうか。 しかも、メデジン・カルテルの組織網は後に殆ど無傷のままライバルのカリ・カルテルに吸収されてしまい、コロンビアの麻薬はカリ・カルテルがほぼ独占する形となってしまった。当然、カリ・カルテルは誰も逆らえない圧倒的な力を持ってしまい、アメリカへ流れるコカインの量など全く減るわけがない。

書いているこっちが泣きたくなるくらいマヌケな話である。こんな国ですら「一国の独立国でございます」なんて冗談としか思えない。お前らなんてベネズエラにでも併合されてチャベス先生の使い走りをやってろ、この馬鹿野郎。


それ以来、エスコバルはコロンビア政府、アメリカのデルタフォース、カリ・カルテルに追われる身分となった。しかし、1993年に入ると突如姿を現し、「メデジンの反逆者」という武装組織を作って爆弾テロを始めた。するとこれに対抗して、過去にエスコバルに酷い目に遭わされた連中が「ロス・ペペス(パブロ・エスコバルに迫害された者たち)」なる武装組織を作り、エスコバルの一族や手下を300人以上殺害してメデジン・カルテルに大打撃を与えた。
後に分かったことだが、ロス・ペペスを率いていたのは民兵組織ACCUのカスターニョ兄弟。彼らはコカインの取引でエスコバルと揉めた際に身内を殺されていたことを恨んでおり、それを知ったカリ・カルテルが彼らに金を与えてやらせたらしい。

テロを始めてから約1年後の1993年12月、コロンビア当局はエスコバルがメデジン市内の隠れ家から家族に掛けていた電話の逆探知に成功。治安部隊が隠れ家に突入して彼を射殺した。エスコバルの死後、幹部達も次々と殺害または逮捕され、残った組織網はカリ・カルテルに吸収されてメデジン・カルテルは消滅した。ちなみにエスコバルの葬儀には市民3,000人が参列したという。

≪Part5につづく≫

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2006.12.06 (Wed)

【世界の香ばしき国々】第23回:コロンビア(Part3) - 腐敗と麻薬と殺戮の時代へ

前回の記事の続きです。
国内の混乱が収まらないコロンビアに、ついに軍事政権が誕生しました。普通の国なら軍事政権の強権政治によって少しは混乱が収まるものなのですが、この国は違いました。国家の成り立ちは周辺諸国とそれほど違わないのに、どうしてこの国だけはこんなにグダグダなんでしょうか。


◆軍事政権を経て国民戦線の時代へ - 1953年~1974年
1953年、ゴメス大統領が陸軍総司令官グスタボ・ロハス・ピニージャを解任しようとしたところ、ロハスが軍事クーデターを起こし、ゴメスを追放して軍事政権を打ち立てた。
ロハスは自由党支持者の自衛組織に恩赦を与えて投降を促すと彼らを武装解除し、彼らに奪われた大地主の土地を奪還するため各地に軍を派遣した。しかし、自衛組織の中心だった零細農民達は農地改革を求めて激しく抵抗したため、ロハスは貧困対策を取ることと武装農民に特赦を与えることで彼らを納得させた。
また、彼はアルゼンチンのペロン政権ばりのポヒュリスト政策を掲げて国民からの支持を得ようとしたことから、自由党支持者を殺害して投獄されていた保守党支持の過激派まで釈放した。ところが、こいつらは釈放された途端に再び自由党支持者の農民を次々と殺し始めたため、せっかく武装解除した農民達が再武装してしまった。

ポピュリスト政策に失敗したロハスは一転して強硬姿勢を取り、独裁政治を行うようになった。「オラ達を散々いたぶった地主やテロリストに恩赦を与えるなんて、ロハスはとんでもない奴だべ!オラ達はもう政治家なんて信じねぇ!」と怒った農民達が南部にあるトリマ州に武装自治区を作ると、軍隊を投入してこれを叩き潰した。
これらの武装農民は、1959年にキューバ革命が起きると共産主義の影響を受けて「コロンビア革命軍(FARC)」を結成し、反政府ゲリラ活動を行うことになる。

ロハスがしくじったのを見た保守党と自由党の指導者は、それまで散々争っていたにも関わらず軍事政権打倒で利害が一致したことから結託し、ゼネストと路上抗議行動を繰り返してロハスを退陣に追い込んだ。総スカンを食らったロハスはコロンビアに居られなくなり、2年間ほどスペインへ逃亡する羽目となった。
ロハス追放に成功した両者は1958年に「国民戦線」と呼ばれる協定を結び、両党が4年ごとに交代で大統領を務め、全ての政府関係職を公平に分けることで決着をつけた。両党によるこのような談合によってラ・ビオレンシアは終結したものの、一度武装した農民達は貧富の差の解消を訴えて武装解除を拒否したため、これ以降のコロンビアは武装農民のゲリラ活動に悩まされるようになる。


◆「ゲリラと麻薬の国」へ - 1960年代前半~1970年代前半
1960年代に入ると国民戦線の談合政治に対する抗議運動が活発になり、1964年に前述のトリマ州の農民達がFARCを結成する。FARCはマルクス=レーニン主義を掲げる共産ゲリラだが、他の南米諸国の共産ゲリラ組織とは異なり、都市に住むインテリ層や労働者階級出身の兵士が殆どおらず、メンバーの90%が地方の農民で占められている。結成当時には1,000名程度だった兵力は、冷戦時代にソ連からの援助などによって次第に増え、1980年代末には4,000人に達することになる。(現在は約18,000人)
またコロンビアの共産ゲリラ組織はFARCだけではなく、キューバ革命に影響を受けた都市中間層出身のインテリが中心となって作られた「民族解放軍 (ELN)」、毛沢東主義を信奉する「人民解放軍(EPL)」などが存在した。これらのゲリラの兵力は1960年代には数百名程度だったが、1980年代末には1,000人規模にまで増え、爆弾テロや石油パイプラインの爆破などを繰り返して暴れまわることになる。(現在は約5,000人)

冷戦時代には共産ゲリラなどどこの国にもいたが、コロンビアには「4月19日運動(M-19)」という右翼のゲリラまでいた。民族主義者まで愛想を尽かしてゲリラを組織するほどコロンビア政府は無能だったのか。
3つの共産ゲリラは支援元がソ連だったりキューバだったりという違いこそあるものの、いずれも共産主義を標榜するゲリラであるのに対して、M-19はロハス軍事政権支持者が作った「国家人民連合(ANAPO)」を母体としており、反米であり民族主義を掲げている。保守党と自由党の談合政治に失望した過激なインテリ民族主義者達が、合法的な手段による社会変革は不可能と考えて1970年代初頭に結成した。しかし、その割にはグループ内にはポピュリストやキューバとつながりのある共産主義者なども多数いて、何だかよく分からないごった煮団体の様相を呈していた。

これらのゲリラ組織は険峻な山岳地帯と熱帯雨林が多いコロンビアの自然条件を活かして国内各地に武装自治区を作り立てこもったため、コロンビア国内には政府の統治が及ばない地区がいくつもできあがった。
それでも1960年代はまだマシなほうだった。国民戦線体制によって支配層同士による争いが無かったからだ。しかし、保守党と自由党の癒着は確かに死者の数は減らしたが、農業問題と貧困の増大には何の対処もしなかった。1974年に国民戦線体制終了すると、絶対貧困層は就労人口の50%と以前の2倍に増大していた。地方部ではさらに酷く、70%近くの国民が貧困に喘いでいた。

ゲリラ組織は闘争資金確保のために支配地域の農家に対してマリファナやコカの栽培を奨励し、それを売って資金を稼いでいた。貧困にあえぐ貧乏農民が、コーヒーよりもずっと儲かるマリファナを栽培して生計を立てようと考えても不思議ではない。後にコロンビア政府がアメリカの圧力によってコーヒーの価格維持協定を破棄し、さらにIMFの指導によって市場開放政策を取って自由貿易を行うようになると国内の農業は壊滅的な状況に陥り、零細コーヒー農家は次々と麻薬栽培へと走った。
農村部を基盤とするFARCは笑いが止まらない。政府の政策を恨んだ国民がゲリラに加わったうえに、彼らが栽培するマリファナやコカで大儲けできるようになったのだ。FARCの兵員は急激に増大し、装備は一気に近代化された。さらに武力闘争のみならず、行政組織を整備していくつかのサービスを住民に提供できるレベルまで発展した。

1970年代前半の時点でコロンビアはメキシコを抜いて世界最大のマリファナ生産国となっており、北部を中心に8~10万人がマリファナの栽培や密輸に従事していた。アメリカ国内で流通するマリファナの70%をコロンビア産が占めるようになリ、密輸で大儲けした成金マフィアが次々と現われた。警察は腐敗が酷く、賄賂によって無力化していた。
1970年代後半になるとアメリカでコカインの需要が高まると、コロンビアの農民はよりコンパクトで儲けの大きいコカを栽培するようになる。マリファナと違ってコカインは精製作業が必要となるため、マフィアがこれを受け持った。パブロ・エスコバルのメデジン・カルテルやオレフェラ兄弟のカリ・カルテルはこのコカインの精製と密売によって急成長し、後に世界中にその名を轟かす極悪マフィアへと成長した。


◆麻薬カルテルと右翼民兵組織の台頭 - 1978年~1982年
ゲリラやマフィアが麻薬でウハウハしている間、政府は何もしなかった。いや、できなかったと言うべきか。麻薬でボロ儲けしている悪党を叩き潰すどころか、ELNやM-19のテロや誘拐によって要人を殺されていた有様だった。
1978年に大統領となった自由党のフリオ・セサール・トゥルバイは強硬路線を採り、戒厳令を敷き国家保安法を作ってゲリラや共産主義者を弾圧した。公安警察は怪しい奴を片っ端から捕まえ、拷問に掛けた末に殺害して「行方不明」扱いにした。それでも、M-19のテロに悩まされ国内情勢は一向に安定しなかった。

M-19は1970年代末からキューバの支援を受けて闘争を激化させ、南部ではいくつかの都市を制圧するなど奮闘していた。1980年にはドミニカ大使館を襲撃して14人の各国大使を人質に取り、実行犯は政府から巨額の身代金を獲得したうえに、まんまとキューバへの亡命に成功している。ゲリラに屈して赤っ恥をかいたトゥルバイは威信を回復すべくFARCに「恩赦を与えるから投降しろ」と凄んでみせたが、FARCから「寝ぼけたこと言ってるんじゃないよ、バカ」と一蹴されて恥の上塗りをする羽目となった。
この頃の政府はゲリラにコケにされるどころかマフィアにもナメられており、カルテルが雇った殺し屋によって当局や司法関係者が殺害されている。ゲリラどころかヤクザにまでナメられる政府・・・どこまでもダメな国である。


コロンビアでコカイン製造が始まって間もない頃には、ゲリラとマフィアは連携していた。FARCをはじめとして農村部を支配するゲリラが栽培を受け持ち、カルテルがそれを精製し販売するという構図だ。ところが大儲けしたカルテルの連中が農場など不動産への投資を始めたため、ゲリラと敵対するようになった。ゲリラから見れば、麻薬マネーを武器に農場を買い漁るカルテルは自分達の敵となる新たな地主階級の出現であり、奴らの金満ぶりは自分達が信奉する共産主義思想に反するものだった。

やがてカルテルと敵対するようになったゲリラは、コカ栽培の他にもう一つ絶好の収入源を発見した。それはカルテルの要人とその親類を誘拐することだった。カルテルはマフィアであってゲリラではないので重火器など持っておらず自力で人質を奪還するのは無理。それでいて金だけは余るほど持っているのだから、ゲリラにとっては絶好のカモである。
これで味をしめたコロンビアの左翼ゲリラは現在でも「ビジネスとして」誘拐を行っている。イデオロギーなどそっちのけなので人質は理不尽に殺されることはなく、金さえ払えば無傷で解放してもらえる。ゲリラから見れば人質は「商品」なので、たとえ誘拐されても結構丁重に扱ってもらえるらしい。

しかし、やられっぱなしでいるマフィアではない。激怒したカルテルの親分達は元軍人やゲリラ兵など武器の扱いに慣れたプロの傭兵を雇い、「誘拐者へ死を(MAS)」という民兵組織を立ち上げた。MASは「誘拐をするゲリラどもは全員ぶっ殺せ」をスローガンに掲げ、ゲリラやそのシンパを次々と殺害した。M-19などはこのMASに酷い目に遭わされ、「もう二度とカルテル関係者には手を出しません」という誓約をさせられている。
同じくゲリラの誘拐ビジネスの被害者だった地主や大企業なども、これを見て政府や軍からの支援を得て民兵組織を結成している。民間人が傭兵を雇ってドンパチを始めようとしているのに、政府はそれを咎めるどころか「なに?ゲリラを叩いてくれるのか?よし、盛大にやってくれ!」と言わんばかりに協力していたのだ。本当に情けない。


4,000m級の山々を有する山脈が3本も国土の中央部を縦断しているうえに熱帯雨林が多いコロンビアは、その地形特性から中央政府の統制が地方にまでなかなか及ばない。そのため、地方の農場・牧場主は用心棒を雇って自分の土地を守る習慣が昔からあり、法律でも自衛権が認められていた。これが後に右翼民兵組織を多数生む土壌となった。

MASが活動を始めると、コロンビアには次々と右翼民兵組織が生まれた。中西部のアンティオキア州に住むカスターニョ兄弟は父親をFARCに殺されたという過去を持ち、MASの活躍を見た彼らは「オラ達も銃を取ってFARCに復讐してやるべ!」と「ロス・タンゲーロス」という武装組織を立ち上げた。ロス・タンゲーロスは後に「コルドバ・ウラバ州農民自衛団(ACCU)」という組織になり、さらに多くの民兵組織を取り込んで「コロンビア自衛軍連合(AUC)」という一大勢力に発展した。

後にMASやAUCはエリートセクタや既得権益層の利益を守るテロ集団と化し、合法的左派グループや人権団体まで容赦なく襲うようになる。このような民兵組織の台頭は、後にコロンビアの民衆を恐怖のどん底に突き落とすことになる。
ACCUの場合、当人に対して3件の告発があると組織内で秘密裁判が行われ、その結果「有罪」となる要件を満たしていた場合は容赦なく処刑される。ある日突然武装した男達が家にやってきて、彼らによって道端に転がる死体にされてしまう、というわけだ。また、彼らの処刑方法は相手を普通に撃ち殺すのではなく、とてもここには書けないような残虐極まりない方法を採ることが多い。

はっきり言ってこいつらは鬼畜です。にゃおんちゃんはこのクソ民兵組織の兵士をいかなる理由があろうとも人類と認めたくありません。こんな人の皮をかぶった鬼畜はカリブ海の鮫の餌にでもなればいいと思います。

≪Part4につづく≫

テーマ : 南アメリカ - ジャンル : 海外情報

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