『STILL CRAZY』にstill crazyなオイラ

こんにちは、にゃおんちゃんです。
やっと「KING CRIMSON中毒」から脱しましたが、今度は「STILL CRAZY病」が再発しました。

『STILL CRAZY』ってのは1998年製作のイギリス映画で、STRANGE FRUITという架空のロックバンドの20年ぶりの再結成を物語にしたものです。 もう10年も前の映画なんですがね、にゃおんちゃんのフェイバリット・ムービーです。

1977年、伝説の野外ライヴ「ウィズビーチ・ロック・フェスティバル」を最後に、人気ロック・バンドのスト・フルこと"STRANGE FRUIT"は解散した。

解散のきっかけは、落雷によるアンプの爆発。演奏続行が不可能になったバンドはステージを去り、そのまま解散した。キーボードのトニー・コステロの「これも何か啓示だ!」という言葉を残して・・・。

1970年代前半に一世を風靡したが、1975年に花形ボーカルのキース・ラヴェルがドラッグで死んでからというもの、その兄にしてバンドが誇る天才ギタリスト、ブライアン・ラヴェルは弟の死を乗り越えられず、酷いドラッグ中毒でまともに演奏もできない有様。ベーシストのレス・ウィックスは、キースの後任のレイ・シムズとソリが合わず、いつもキレっぱなし。

ヤクやエゴが蔓延しガタガタになっていたスト・フルは、SEX PISTOLSの登場によるパンク・ムーブメントの勃発にトドメを刺され、こうしてロック・シーンから姿を消した。


それから20年後、トニーは「コステロ・ミュージック」という会社を経営し、元ロック・スターという肩書きでスペインのイビサ島で仕事をしている。しかし、その実態はしがないコンドームのセールスマン。もう楽器も売り払ってしまい、コンドーム屋の儲けと昔の印税でどうにか食いつないでいる。

ある日、いつものように自動販売機へ商品の補充に歩いていると、ウィズビーチ・フェスティバルの主催者だった人物の息子という男に声をかけられる。スト・フルのファンだったというその男は、ウィズビーチ20周年記念フェスティバルが開催されることを話し、バンドを再結成して出演してはどうかと提案する。

金も無く退屈な毎日に飽きていたトニーは再結成を実現させるべく、かつてマネージャーをしていたカレン・ノウルズを訪ね、一緒にメンバーを勧誘することを頼む。バンドのスタッフになった当初は雑用係だったカレンだが、ウィズビーチの頃にはライヴを仕切るほどの存在になっていた。
当時はブライアンの恋人だった彼女も、スト・フル解散後は生き方を大きく変え、人並みに結婚、出産、離婚を経験し、今では一流ホテルで働いている。

最初はトニーの誘いを断るものの、自宅で思い出の品々を見ているうちに昔の情熱を思い出し、一大決心をしてホテルを退社。トニーとふたりで仲間探しを始める。


STILL CRAZY近年ヒットしたロック映画といえばジャック・ブラック主演の『SCHOOL OF ROCK』がありますが、この映画もあれと同系統。ロックを題材にしたコメディ・タッチの映画です。コメディといっても『SPINAL TAP』みたいな徹底したバカ映画ではなく、「笑って・泣いて・笑える」心温まるコメディです。
SCHOOL OF ROCKはメンバーが小学生がでしたが、こっちは50歳手前のおじさん達のお話なので、ロック魂とか音楽への情熱のみならず、「老い」も映画における重要なテーマのひとつとなっています。あ、それからイギリス映画なので、イギリス独特のセンス・オブ・ユーモアに満ちています。

それから、SCHOOL OF ROCK同様に音楽が素晴らしい。STRANGE FRUITは映画の中でオリジナル曲を演奏しているのですが、これらの曲を作ったのはミック・ジョーンズ(FOREIGNER)やジェフ・リン(ELO)といった大物です。
『ROCK STAR』と違って、この映画ではヴォーカル役の俳優さんが本当に歌っています。「この人、ロック・ミュージシャンでも成功できたのでは?」と思わせるほどイケてます。STRANGE FRUITが実在していたら、にゃおんちゃんは間違いなくファンになっていたでしょう。

70年代のロックが好きなら、絶対見たほうがいいですよ。


とりあえず、トレイラーをどうぞ。



The passion still burns. You're never too old to rock and roll !!


YouTubeで見る「いかすバンド天国」

最近、仕事が忙しくて帰宅が遅いのだが、寝るまでのわずかな時間に「YouTube」で『イカ天』の映像を見ていることが多い。
『イカ天』の正式名称は「いかすバンド天国」。毎週土曜日の深夜に放送されていた番組で、アマチュアバンドが登場してオーディションを受けるというもの。1990年代初頭に起こったバンドブームの火付け役となったTV番組だ。

にゃおんちゃんはイカ天が話題になる以前からライヴハウスに出入りしていたし、バンドブームだからといってバンド活動がしやすくなったわけでもなく、特に恩恵を受けることも無かった。・・・というか、むしろ軽薄なバンドが増えて迷惑していた。
そんなイカ天だが、あれだけ色々なバンドが登場しただけあって、中には腰を抜かすほど凄い奴らもいた。久しぶりに色々と見たが、15年以上経った今見ても、やはりこいつらは凄い。


それでは、その凄い奴らを紹しよう。まずはこれ。
グランドイカ天キング(5週勝ち抜き)となった「MARCHOSIAS VAMP」
1985年に東京で結成されたグラムロック・バンドで、この番組に出演した時点で既にインディーズからアルバムを2枚リリースしていた。そして次のアルバムは大手インディーズ『キャプテン』からリリースされることが決定しており、殆どプロと言ってもいいレベルだった。
そういう意味ではこの番組に出演するのは殆ど反則に近いのだが、審査員全員の度肝を抜く演奏を披露し、この番組への出演をきっかけにメジャーデビューを成し遂げてしまった。

実はにゃおんちゃんは誰にも知られずにひっそりとリリースされた彼らのデビューアルバムを持っており、イカ天登場以前からこのバンドを知っていた。しかし、ライヴどころか写真一枚すら見たことが無かったので、TVでこのバンドを見て演奏はもちろんそのルックスにも衝撃を受けたのだった。


バラが好き / MARCHOSIAS VAMP



凄いでしょ?
正統派のグラム・ロックでボーカリストはマーク・ボラン風。
そして、このベーシスト。ブリブリに歪んでいるうえにフレットレスを使っているのかと思うくらい変幻自在なフレーズを奏で、しかもこの出で立ち。ピンクのSGに沢田研二を彷彿させる衣装、おまけにかぶっている帽子が何気にSS(ナチスの親衛隊)の帽子だったりする。(ライヴではSSの制服を着て登場することもあったらしい)




続いて、これ。
グランドイカ天キングにはなれなかったものの、この番組への出演をきっかけにメジャーデビューを果たし、そして現在もバリバリ活動中の「人間椅子」
初期の頃はベーシストがアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するねずみ男の格好をしていたため色物扱いされてしまい、にゃおんちゃんも敬遠していたのだが、改めて聞くとこんなに素晴らしかったのかと感服してしまった。

基本はBLACK SABBATHやBUDGIE直系の無骨なHMだが、詩や歌メロに日本文学や仏教、さらには東北地方の民俗文化からの影響が垣間見え、西洋人の物真似で終わらない見事な日本人の・・・いや津軽人のロックを披露している。(ギタリストとベーシストは青森県出身)
聞いていると、太宰や芥川、さらには江戸川乱歩や柳田国男、果ては水木しげるの世界にトリップしてしまうのだ。当時、「文芸ロック」と言われてねずみ男がいるにも関わらず知的なバンドとして評価されたのは伊達ではなかった。


賽の河原 / 人間椅子



HMというより、浪曲とか琵琶法師の世界だな、こりゃ・・・。

【思い出の80'sメタル】第12回:VOIVOD - モントリオールが生んだ奇才スラッシャー

新年一発目はこれ。あまり人気の無いのだが、書き手としては思い入れがあったりする当コーナー。
今回登場するのはカナダのサイバーパンク・メタルの雄VOIVOD。長いキャリアを誇るバンドだが、これまたカルトな存在のバンドだったりします。


◆モントリオールの人食い戦士VOIVOD登場
VOIVODはカナダはケベック州モントリオールで、ミッシェル"アウェイ"ランジェヴァン(Ds)とドニ"ピギー"ダムール(G)という二人の幼馴染によって結成されている。バンド名は北欧に実在したといわれる人食いの蛮族戦士集団の名前から取られている。
まもなく、ドニ"スネイク"ベランジェール(Vo)とジャン"ブラッキー"イヴ・テリオール(B)の二人が加わるとバンドは活動を本格化させ、地元でギグを繰り返し、さらにデモテープを作成する。このデモテープが『Metal Blade』のオーナー、ブライアン・スラゲルの目に止まり、1984年にリリースされた同レーベルのコンピレーション「METAL MASSACRE V」への曲提供を経て、正式な契約を手に入れる。

そして1984年にリリースされたのがデビュー・アルバム「WAR AND PAIN」。VENOMやANVILなど1980年代前半に活躍したクソやかましいHMバンド直系のサウンドだが、DISCHARGEなどハードコア・パンクからの影響も強く感じられ、前のめりになりながら突っ走る破天荒な音を披露した。また、後にVOIVODのトレードマークとなるピギーの不協和音一歩手前の奇妙奇天烈なコードはこの頃から聞かれ、同時期にデビューしたMETALLICAやSLAYERなどの音像とは大きく異なる。思えば、この頃から唯一無二の存在としての片鱗はあった。

1986年にはセカンド「RRROOOAAARRR」をリリース。バカみたいなタイトルだが、音のほうも前作がさらに過激になったヤケクソとしか思えないような凄まじい轟音で、スラッシュ・メタルの歴史に残る傑作となった。元々独自の世界観を持つバンドだが、2作目で早くもこのバンドにしか出せない凍てついた雰囲気を醸し出すようになっていた。


◆人食い戦士は知性派スラッシャーへと進化した
「RRROOOAAARRR」で早くも自らのサウンドを確立し、スラッシュ・メタル界を代表するバンドのひとつとなったVOIVODだったが、「普通のスラッシュ・メタルはやりつくした」とあっさりこの路線を捨ててしまう。

KILLING TECHNOLOGYドイツの『Noise』に移籍して1987年にリリースされた3作目「KILLING TECHNOLOGY」は、誰もが驚くサウンドとなった。音のイカツさはスラッシュ・メタルのままながらも、ピギーの嗜好であるプログレやサイケデリック・ロックからの影響によって曲構成は複雑になり、ギターのリフはジャズ・コードを多用したますます複雑怪奇なものになり、吐き捨て型だったスネイクの歌もわずかながらもメロディを追うようになっていた。
また、サウンドのみならず歌詞やレコード・ジャケットなどの面においても、アウェイの影響によって科学技術の恐ろしさ、核戦争後の世界観、SF趣味などが前面に出されるようになり、VOIVODはいつしか"サイバーパンク・メタル"などと呼ばれるようになっていた。初期の頃は"Suck Your Bone"とか"Fuck Off And Die"とかバカみたいなタイトルの曲が多かったが、このアルバム以降はMEGADETHと並ぶ知性派スラッシャーとして一目置かれるようになる。

元々、アウェイは原子物理学者になりたくて大学まで行っており、今でも「ディスカバー」や「オムニ」といった科学雑誌を毎月欠かさず読んでいるインテリなのだ。また彼は絵を描くのが趣味で全てのアルバム・ジャケットやブックレットのイラストを手掛けている。最初の頃は「金が無くてダンボールに描いていた」だけあってチープなものだったが、現在はコンピュータを使って描いているので、作風は今と昔では大きく異なる。


1988年になると前作を正常進化させた新作「DIMENSION HATROSS」をリリース。スラッシュ・メタルの人気が高まっていたこともあってバンドは着々とファンを増やし、翌年にはメジャーの『MCA/Mechanic』に移籍して「NOTHINGFACE」を発表する。
「KILLING TECHNOLOGY」以降、バンドの音楽性はアルバムを追うごとにメロディアスになり、そしてプログレの影響が強まっていった。このアルバムからはPINK FLOYDのカヴァーである"Astronomy Domine"がシングル・カットされ、MTVでもガンガン流れた。

なお、この「NOTHINGFACE」製作中にブラッキーが他のメンバーと大喧嘩して脱退している。かなり深刻な対立だったようで、メンバーは未だに「ブラッキーの復帰?それはありえない」と断言している。これ以降、バンドは正式なベーシストを迎えることはなく、その都度様々なベーシストを雇ってレコーディングやツアーを行っていく。

VOIVOD 1989


◆栄光・・・そして転落
1991年リリースの「ANGEL RAT」ではRUSHを手掛けたことで有名なテリー・ブラウンをプロデューサーに迎えるが、前作のツアーで共演したSOUNDGARDENやFAITH NO MOREからの影響によって「ライヴ向きのストレートな音楽をやろうと思った」とメンバーが語ったとおり、プログレ色が大きく減退してシンプルな作風となった。正直に言えばVOIVODらしくないアルバムだが、バンドが上り調子の時期にメジャーで作られたものだけあって質は高い。

THE OUTER LIMITSそして1993年、VOIVODはついに最高傑作「THE OUTER LIMITS」を発表する。もはやスラッシュ・メタルとは呼べないほどに正統派のHMとなったが、前作の反省を踏まえて再びプログレ色が強くなり、VOIVODサウンドは頂点を極めた。曲もよく練られており、全く飽きが来ない傑作だった。
このバンドはどれほど進化しても自らの出自を忘れないバンドらしく、ファンを置き去りにするような方向へ進化することはなかった。また、「プログレッシヴで知的」というイメージからお高くとまっても不思議ではなかったのに、実際はスラッシュ・メタルとは呼べないほどメロディアスでプログレッシヴなHMになってもファンは離れていかなかった。アウェイが「僕達のサウンドはクセがあるからハマりにくいけど、一旦ハマると抜け出せないんだ」と言っていたが、まさにそのとおりだった。VOIVODは誰も真似できないサウンドを奏でる唯一無二の存在となっていた。

また1990年代に入るとオルタナ・ブームによってHMシーンは瀕死の状態になるが、このバンドはSOUNDGARDENやFAITH NO MOREとツアーしたことからも分かるとおり、典型的なHMバンドは異なるので、HMバンド受難の時代でも生き残っていけそうな可能性を感じさせた。


せっかく傑作をリリースしたというのに、VOIVODの栄光は長くは続かなかった。1994年になると様々な個人的問題を抱えていたスネイクが脱退。さらにバンドは『MCA/Mechanic』との契約も失い、しばらく活動停止に陥る。これが無ければVOIVODは成功していたかもしれないのに・・・悔やみきれない出来事だった。

1995年に入るとエリック・フォレスト(Vo,B)を加入させトリオ編成となったVOIVODは『Slipdisc』というインディペンデント・レーベルから「NEGATRON」をリリースする。「大掛かりなコンセプトは持たずスタジオでジャム・セッションを重ねて作った」(アウェイ)ことからプログレ/サイケ色が大幅に減退したうえに、エリック・フォレストがまるでフィル・アンセルモのような咆哮型のボーカリストだたことから多くのファンがショックを受けた。
今となっては「スネイクそっくりのボーカリストを入れて愚か者になるわけにはいかなかった」というアウェイの言葉も理解できるが、当時は本当にショックだった。

1997年にリリースされた「PHOBOS」では幾分プログレ色が強まったが、どうにもパッとしないアルバムで、誰もが「スネイクを失ってVOIVODは終わった・・・」と落胆した。しかもこのアルバムのツアーで機材車が事故ってエリック・フォレストが瀕死の重傷を負うなど、VOIVODの命運は尽きかけていた。
1998年に未発表曲集「KRONIK」、2000年にライヴ・アルバム「LIVES」をリリースし、またエリック・フォレストが怪我から復帰してツアーも再開するが、もはや往年の勢いは無く、2000年末にアウェイとピギーはVOIVODの解散を決意した。


◆スネイクとジェイソンが馳せ参じるも、ピギー死す
しかし2002年、スネイクが抱えていた問題を解決したことを知ったピギーは、アウェイとスネイクを呼び戻してVOIVODを復活させた。誰もがオリジナル・ラインナップによる復活を期待するところだが、やはりバンドにはブラッキーに声を掛けるという選択肢は全く無かった。しかし、バンドは元METALLICAのジェイソン・ニューステッドを加入させることに成功する。
ジェイソンはかつてFLOTSAM & JETSAMやMETALLICAでVOIVODと共にスラッシュ・メタル・シーンを支えた他、アウェイとTARRATというプロジェクトをやっていたことからメンバーとの親交は深かった。最初は曲作りやレコーディングだけを手伝うつもりだったジェイソンだが、すっかりVOIVODを気に入ってしまい、自分のバンドECHOBRAINが崩壊していたこともあって正式にバンドに加入することを決意した。

VOIVOD 2003

VOIVODそして2003年、バンドはジェイソンのレーベル『Chophouse』から「VOIVOD」をリリース。「THE OUTER LIMITS」には及ばないものの、あのアルバムを正常進化させたような作風で、多くのファンが復活を喜んだ。バンドはSEPULTURAとのツアー、そしてオジー・オズボーン主催のパッケージ・ツアー「OZZFEST」にも参加するなど活発に活動し、スネイクが復活しジェイソンという強力なベーシストを得たVOIVODの未来に誰もが期待した。


しかし、再び悲劇がバンドを襲う。2005年8月、ピギーが直腸ガンで死去したのだ。次作のレコーディングに向けて準備をしていたピギーは体調に異変を感じて病院へ向かうが、そのときにはガンが肝臓にまで転移していて手の施しようが無い状態だったという。
死が迫っていることを知ったピギーは、VOIVOD結成以来苦楽を共にしてきたアウェイに対し、「どうか俺が死んでもアルバムを完成させてくれよ」と言い、病床から彼のコンピュータに納められているサウンド・ファイルに関する細かい指示を与えたという。

KATROZピギーの死後、メンバーは彼が遺したギター・トラックにドラムやベース、ボーカルを被せていくという異例の方法でレコーディングを進めた。作業は難航を極めたものの、2006年夏に13枚目のアルバム「KATORZ」がリリースされた。
アウェイによれば、ピギーは他にも13曲のトラックを遺しており、いずれも発表する価値があるものであることから、2007年にもう一枚アルバムをリリースする予定らしい。


ピギーはVOIVODにとってはただのギタリストのみならず、メインソングライターだった。しかも彼の奇妙なジャズ・コードを多用した複雑怪奇なギターはバンドのトレードマークであったことから、新メンバーを加えてバンドが活動を続けるということは考えにくい。デモ・トラック集などをリリースしない限り、次のアルバムが間違いなくラスト・アルバムになるだろう。
アウェイはツアーをすることも考えているようだが、現状では全くの未定となっている。VOIVODはついに一度も来日公演を行うことなく解散してしまうことになるのだろう。

また、アウェイは過去のアルバムをリマスターして再発することや、過去の映像を集めたDVDのリリース、さらには彼の画集を発売することを予定している。仮にツアーが無くても、彼は当分の間忙しい日々を過ごすことになりそうだ。


ピギーはVAN DER GRAAF GENERATORやEL&Pといったプログレ・バンドが大好きで、ギタリストがいないこれらのバンドのレコードを聴いては、キーボードのコードをギターに置き換えて弾いていたらしい。彼が使う奇妙なコードの殆どのそのようにしてできたのだという。
派手なソロを弾くギタリストではなかったが、間違いなく唯一無二のギタリストだった。

あなたがいなくて寂しいよ、ピギー。




【思い出の80'sメタル】第11回:MAMMOTH - 間違いなく世界最重のバンド

◆このバンドに加入する条件は?

鏡よ、鏡。この世で最も美しいロックバンドは誰?

この問いに対する答は人それぞれだろう。ある人は危険な香りがプンプンしていた若き日のAEROSIMTHやGUNS N'ROSESと言うだろうし、またある人はLED ZEPPELINと言うかもしれない。白装束に身を包んでいた頃のQUEENと言う人もいるだろうし、DURAN DURANやJAPANと言う人もいるだろう。


さて・・・では、この世で最も醜いロックバンドは?

この問いに対する回答が今回紹介するMAMMOTHである。
まずは写真を見ていただこう。

世界最重のバンド、MAMMOTH

どうだ、メンバー全員デブだぞ。w
しかも、全員体重が300ポンド(120kg)以上の超デブ
デブじゃないと、このバンドに加入できないのだ。


◆「ハゲ・ヒゲ・デブ」と三拍子揃った最強の男ジョン・マッコイ

さて、どうしてこのような珍奇なバンドが登場したか説明しよう。

DEEP PURPLE(以下「DP」)のヴォーカリスト、イアン・ギランはDP脱退後はミュージシャン稼業を引退し実業家の道へ進んだが、見事に事業に失敗。多額の負債を抱え、借金返済のために復帰を余儀なくされる。そのイアン・ギランがソロ・プロジェクトを経て1979年に結成したのがGILLAN。イアン・ギランのパワフルな歌を生かした豪快なHRを披露するバンドで、イギリスでは結構な人気を誇った。

ところが、1982年にDP再結成の話が持ち上がると、イアン・ギランはあっさりとバンドを解散させてしまった。当時、解散の理由は「イアン・ギランの喉にポリープができて歌えなくなったため」とされていたのだが、真っ赤な嘘。結局、DP再結成の話がポシャってしまい、哀れなイアン・ギランはすぐにBLACK SABBATHに加入し、1983年に「BORN AGAIN」をリリースした。
突如失業者となってしまったGILLANの他のメンバーが「おいおい、ポリープができて歌えなかったんじゃないのか?」と怒ったのは言うまでもない。

GILLAN

そのGILLANでベースを弾いていたのが、写真左端の海坊主みたいな男ジョン・マッコイ。
GILLANはイアン・ギランとバーニー・トーメ(G)の2枚看板を、ジョン・マッコイ(B)、コリン・タウンズ(Key)、ミック・アンダーウッド(Ds)という3人の仕事師が支える、という実にバランスの良いバンドだった。その中でもロック界の三悪(ハゲ・ヒゲ・デブ)」を全て兼ね備えた男ジョン・マッコイは異彩を放っていた。

今でこそヒゲもハゲ(スキンヘッド)も市民権を得ているが、1980年代のロックシーンでは基本的に御法度だった。(デブについては言うまでもない)
ハゲ・デブ(ジェイソン・ボーナム)、ハゲ・ヒゲ(BLACKFOOTのチャーリー・ハーグレット)、ヒゲ・デブ(CHEAP TRICKのバン・E・カルロス)と、二悪を満たしている人はチラホラいたが、三悪全てを満たしていたのはこのジョン・マッコイのみ。GILLANの来日公演を見た人の話によると、スキンヘッドにサングラスで派手なスーツを着て登場したジョン・マッコイは、どうみてもヤクザにしか見えなかったらしい。しかも彼は結構な巨漢なのでベースがウクレレに見えたとのこと。


◆世界で最もヘヴィなバンド結成の秘話

GILLAN解散後、ジョン・マッコイはMcCOY名義の2枚のソロ・アルバムのリリースを経て、1987年に新バンド結成に動く。このあいだに彼のデブっぷりは一段とパワーアップし、プロレスラー級の体格になっている。
さて、新バンド結成に際し、声を掛けたのが元SAMSON、ELECTRIC SUNのニッキー・ムーア(下の写真中央のちょんまげデブ)。ニッキー・ムーアはIRON MAIDENにスカウトされたブルース・ディキンソンの後任として1982年にSAMSONに加入し、3枚のアルバムを残している。1984年にSAMSOMが解散(後に再結成する)すると、ギタリストのポール・サムソンがMcCOYに加入しているので、ジョン・マッコイとニッキー・ムーアが以前から親しい間柄だったとしても不思議は無い。

さて、一緒にバンドをやることになったジョン・マッコイとニッキー・ムーア。二人はどんなバンドにしようかと色々考えた末に、あることに着目した。
その「あること」とは・・・。

二人ともデブであること。
そう、メンバー全員がデブのロック・ハンド結成に動いたのだ。

ただでさえ三悪揃ったジョン・マッコイと水ぶくれのフーマンチューみたいなニッキー・ムーアがいてルックス的は不良債権と化しているというのに、さらにあと二人デブを加えようというのだ。
悪ふざけとしか思えない話はトントン拍子に進み、オーディションを経てタビー・ヴィニー・リード(Ds:下の写真で右から二人目の皮ジャンデブ)とビッグ・マック・ベイカー(G:下の写真右端のヒゲもじゃデブ)が加入し、ここに「世界で最も(体重が)ヘヴィなバンド」MAMMOTHが誕生した。
新人の2人も名前がtubby(太っちょ)とかビッグ・マックとか素敵過ぎる。


デビュー当時の宣材写真1987年のレディング・フェスティバルでデビューを飾ったMAMMOTHは、大手楽曲出版管理会社「Zomba Music」が設立した『Jive』と契約を結び、1987年にEP"Fatman"でデビューする。『Jive』は大手資本によって設立された会社であるうえに、『Arista』がディストリビューションを担当していたことから殆どメジャー・レーベルと言ってもいい会社だった。

こうしてデビューを果たしたMAMMOTHだったが、何せこのルックスである。雑誌に写真が載ると笑いものにされたのは言うまでもない。
"Can't Take The Hurt "、"All The Days"と続けてシングルをリリースした後、1989年に「MAMMOTH」でデビュー。ちなみに、このシングルも"All The Days"などはメンバー4人がカレンダーをブチ破って飛び出してくるというジャケットで、見た目に関してはとことんお笑い路線を突っ走っていた。


◆MEAT LOAFにはなれなかったMAMMOTH

さて、そんな色物路線を爆走していたMAMMOTH。
当時10代のにゃおんちゃんにとって、限られた小遣いでそんなバンドのレコードを買うなど博打以外の何物でもなく、興味はあれど聞く機会が無いまま数ヶ月が過ぎた。そんなある日のこと・・・。
当時よく利用していた輸入盤屋のバーゲンに行くと、なんとこのアルバムが500円で売られていた。即決で購入し、ニヤニヤしながら帰宅した。
さて、どんなバカロックが飛び出してくるやら・・・?

MAMMOTHの1stアルバムところが聞いてビックリ。なんと哀愁のブリティッシュ・ハード・ポップだったのだ。
GILLANともMcCOYともSAMSONとも異なるコンパクトでキャッチーな楽曲が並び、野太い声のニッキー・ムーアが見事に哀愁ある楽曲を歌い上げる佳作だった。"Fatman"のように自分の体型をネタにしたようなフザケた歌詞の曲もあるが、基本的には至ってマトモもマトモ。ベテランが作り上げた大人のHRだ。
『Jive』よ、早く本作をCD化してくれ!

先日、友達の妙齢の女性にこのバンドの話をしたところ大笑いしていたので、試しに1曲聴かせてみた。彼女の答は「こんな暑苦しいデブが演奏しているとは思えないほど良いメロディだね」だった。w
そうです、MAMMOTHってそういうバンドなんですよ。


LARGER THAN LIFEさて、そんなMAMMOTHだったが、見事にアルバム1枚で消滅してしまった。残念ながら同じデブ・キャラで大成功を収めたMEAT LOAFのようにはなれなかった。
1991年に1st収録曲や2nd用に製作したデモ音源を集めた「XXXL」がリリースされた。メンバーの服のサイズかいな?と思ってしまうようなタイトルに爆笑しながら聴きはじめたところ、"Always And Forever"という切ない名曲(2nd用に作った曲)が収録されており、しんみりしてしまった。

なお、「XXXL」はライヴ音源が6曲追加されて2003年に「LARGER AND LIVE」というタイトルで再リリースされている。"Always And Forever"のライヴ・ヴァージョンも収録されているので、買うならこちらをお勧めします。


なお、MAMMOTH解散後、ニッキー・ムーアは再結成SAMSONに加わったが、2002年にポール・サムソンの病死によって解散となった。現在はスウェーデンのFROM BEHINDというプロジェクトに加わっているらしい。
ジョン・マッコイはANTHRAXを脱退したジョーン・ベラドナとのプロジェクトや、元BADLANDSのレイ・ギラン率いるSUN RED SUNなどを経て、現在はGUY-McCOY-TORMEというバンドをやっている。名前から分かるとおり、G&Voは旧友バーニー・トーメ、Dsはロビン・ガイ(元ブルース・ディッキン・バンド)。
タビーとビッグ・マックについては一切不明。




これが動くMAMMOTHのお姿。笑ってください。



【思い出の80'sメタル】第10回:ECT COMPILATION(Part4) - やっぱりSHEは凄かった

前回の記事の続きです。
「ECT COMPILATION」に関する記事はPart4の今回が最終回となります。


◆VENOM / 1.Too Loud (For The Crowd) 2.Nightmare 3.Die Hard
元祖ブラック・メタルにして、「演奏下手、音質極悪、でも何故か格好良い」という訳の分からんバンド。今でこそ元祖とか本家などとリスペクトされているが、1980年代前半はこのバンドなどギャグのネタ以外の何者でも無かった。"Nightmare"を「ニューシングル」と紹介しているので、1985年のライヴではないか。

VENOM 1985

下手くそなバンドなので全然期待していなかったが、予想を上回る酷さに目の前が真っ暗になる。しかも、何故か3曲も収録されているのだ。嫌がらせか?
どのくらい下手かというと、何の曲を演奏しているのか最初はマジで分からなかったほど酷い。アバドン(Ds)とマンタス(G)は「普通にすごく下手」なだけなのだが、クロノス(Vo,B)に至っては「暴れるほうが最優先で、最初からまともに演奏する気などない」としか思えないくらいメチャクチャな演奏をしている。お前、絶対に適当に弾いているだけだろ?

演奏を犠牲にしているだけあって、アホパワー全開で訳の分からないエネルギーには満ちているが、何をやっているのか分からないほど演奏がメチャクチャというのはいかがなものか。


◆ROCK GODDESS / 1.Satisfied Then Crucified 2.So Much Love 3.Love Is A Bitch
GIRLSCHOOLと並ぶNWOBHM期に活躍した女性バンド。ポップ化したGIRLSCHOOLと違って、こちらはスケバン路線まっしぐらのイカツい演奏を披露している。「YOUNG AND FREE」からの曲を演奏しているので、1987年頃のライヴと思われる。

ROCK GODDESS 1987

ドスの効いた声で客をにらみつけるように歌うジョディ・ターナーはマジで怖い。MCも第一声が「おい、おめーら元気か!」である。w 演奏は・・・VENOMの次なので凄く上手に聴こえる・・・。あ!ジョディ姐さん、嘘です。普通に上手いと思います、はい。^^;
そんな怖いジョディ姐さんだが、ハードにシャウトするだけではない。実はソフトに歌わせても凄く上手い。ドスの効いた声とクリーン・ヴォイスを使い分けて楽曲の幅を広げているところは、ロニー・アトキンス(PRETTY MAIDS)を彷彿させる。

「馬力で勝負!」といった感じの小細工無しのストレートな感じのライヴだが、決して猪突猛進するだけでなく、イギリスのバンドらしく押し引きを心得ている点は好感が持てる。


◆HEAVY PETTIN' / 1.Rock Ain't Dead 2.Sole Survivor
口の悪い人には「DEF LEPPARDの出来損ない」などと言われたイギリスのバンド。個人的にはDEF LEPPARDよりもオランダのVENGENCEあたりに近いと思うのだが、いずれにせよアメリカン指向のポップ・メタルを演奏するバンドであることは間違いない。「新作からのニューシングル」と言って"Soul Survior"を紹介しているので、「ROCK AIN'T DEAD」をリリースした1985年のライヴだろう。

HEAVY PETTIN' 1985

元からそういう色のあったバンドだが、「ROCK AIN'T DEAD」で一気にアメリカン・ロック化に拍車が掛かっているので、アメリカのバンドのような爽やかで華のあるライヴを披露している。
しかし、正直言ってイギリス人がこういうタテノリで「皆で歌おう」みたいなコーラスがふんだんにあるバンドを好んで聴くとは思えない。多分、「アメリカに魂を売り渡した」などと言われて叩かれたんだろうなぁ・・・。

メジャー・レーベルがプッシュしていたバンドなので、さすがに演奏は上手いし魅せ方も心得ている。シングル・ヒットを飛ばしてアメリカ進出に成功していたら、本当にDEF LEPPARDのような存在になれたかもしれない。


◆SHE / 1.不明 2.Never Surrender
以前に購入したNWOBHMのコンピレイション「LIGHTNIN' TO THE NATIONS」でにゃおんちゃんの度肝を抜いたこのバンドだが、驚くことにライヴ映像が残っていた。恐るべし「ECT」!ありがたや、ありがたや・・・。

SHE 1985

そして、SHEはまたしてもやってくれました!
う、上手い・・・マジで上手い。このバンド、絶対メチャクチャ練習してるよ。アルバムに忠実ながらも躍動感あふれる演奏、そして伸びやかで瑞々しいボーカル。「ラフに演奏する=ノリがいい」と勘違いしてる奴らに見せつけてやりたい演奏である。本当に素晴らしい。

見た目的には垢抜けてないので、まるで大学生のバンドを見ているような錯覚に陥るが、シングル1枚しか出していないバンドなのだし、楽しそうに演奏しているのでそれは言うまい。タイトルが不明の曲も爽やかでとても良い曲だ。
どうしてこんなに素晴らしいバンドがシングル1枚で消え去ったのか。今なら『Frontiers』や『Now & Then』が放っておかないだろうに・・・。


◆TRASH / 1.Boogie Woogie Man 2.Rock Me Rock You
お前ら本当にスウェーデン出身か?と疑ってしまうほど都会的でニヒルな雰囲気を持っていたR&Rバンド。「新しいシングル」と言って"Rock Me Rock You"を紹介しているので、「BURNIN' ROCK」をリリースした1985年のライヴだろう。

TRASH 1985

このバンドはヘンポ・ヒルデンという名ドラマーがいるうえに、二人のギタリストが粒の揃った音でぴったり息の合ったリフを刻むので、とにかく聴いていて気持ち良い。ただし、ステージが狭いせいもあるのだろうが、動きが殆ど無いのはちょっと寂しい。

ミディアム・テンポでタテノリの曲が多いうえにこんなにリズムがタイトなのだから、アメリカで人気があったのも納得。リーダーのギタリストがアメリカへ移住してしまい、それが原因で解散してしまったらしいが、確かに「生まれた国を間違えた」と言いたくなるようなサウンドだ。
R&R志向のバンドではあったが、GUNS N'ROSES以降に出てきたバンドとは違って、AC/DCやZZ TOPのようにリズムの一撃一撃に魂込めるような感じが良い。


◆WARLOCK / 1.Hellbound 2.Out Of Control 3.All Night
誰もがSCORPIONS、ACCEPTに続くバンドになると思ったドイツHM界の希望の星・・・だったバンド。もう解散しているので過去形。3曲とも「HELLBOUND」からの選曲なので、1985年頃のライヴと思われる。

WARLOCK 1985

それにしても、ドロ・ペッシュって本当にいいキャラだと思う。メタルシンガーらしいエッジの立ったパワフルな声を持ち、そしてこの美貌である。変にお色気路線に走るわけでもなく、かといって「女だからって馬鹿にするんじゃないわよ!」みたいな意地を張るわけでもなく、それでいてどこか妖艶なのだ。美しさと強さを兼ね備えた女戦士のような佇まいだ。

ドロ姉さんの歌はライヴでも強力だし、バックの演奏も悪くない。曲もジャーマン・メタル特有のイモっぽさが無く、ゴツい音ながらもどこか北欧メタルを彷彿させる透明感がある。ギターヒーローになれるような強力なギタリストがいれば、凄いバンドになっていたかもしれない。また、RAGEやU.D.Oにメンバーを引き抜かれてしまったのも痛かった。上手くいかないものである。

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